重層的非決定?

メイン

2010年12月31日

■ ハロプロ?大賞2010 イメージ部門

写真集

  1. 高橋愛 『形』 書籍
  2. モーニング娘。 「アロハロ!モーニング娘。写真集2010」 書籍
  3. 亀井絵里 『sweet』 書籍
  4. 安倍なつみ 『夏・美』 書籍

イメージビデオ

  1. 高橋愛 「Figure」 Blu-ray
  2. モーニング娘。 「アロハロ!4 モーニング娘。」 Blu-ray
  3. 亀井絵里 「too sweet Eri」 DVD
  4. 安倍なつみ 「夏海」 DVD

デジタル写真集

  • 高橋愛 Digital books vol.69(2009年写真集「私」より) データ
  • 高橋愛 Digital books vol.71(2009年写真集「私」より) データ
  • 高橋愛 Digital books vol.74(2010年写真集「形」より) データ
  • 高橋愛 動く!写真集「アロハロ!モーニング娘。2010」 データ

白井 ん?写真集とかじゃなくて、DVDとかも全部一緒?

長 メディアの種類は関係ないからね。楽曲だって別にCDでなくてもかまわないわけだし。ただ順位はメディアごとに出しておいた。やっぱ動画と静止画じゃいろいろ違うし。

黒田 それにしてもなんだかんだたくさん買ってるね(笑)。

白井 写真集とイメージビデオはある意味同順だな。

黒田 要するに「愛ちゃん」がたくさん写ってれば満足なんでしょ(失笑)。

白井 なるほど、だから全部が高橋愛ソロである「デジタル写真集」では順位がついていたいわけだ(笑)。

黒田 で、冒頭で高橋愛のエロスについてはさんざん語ってもらったから、それ以上は細かく聞かないけど、この中でどのシーンとか衣装とかが特に好きなの?

長 アロハロ!4で「元気ピカピカ」を水着で歌い、踊っているシーン。普通に歌って踊っているから、いかにもグラビアという仕草とかポーズじゃない訳よ。そうすると鍛え上げられた筋肉がくっきり見えて、これがもうたまらん。

黒田 筋肉フェチかよ!

長 どの作品、どのシーンも、ちらりズムを感じさせるシーンがあったり、何とも女性らしい恥じらいを感じさせるポーズ、表情があったり、愛ちゃんのコケティッシュな魅力が満ちあふれていて、簡単には絞れないっす!たとえば「Figure」で紫色のビキニを着て・・・

白井 もういいから(笑)。それより高橋愛以外のメンバーの作品についても簡単に語ってくれよ。

黒田 「夏海」をまだ開封すらしていないことがばれるからだめらしい(笑)。

■ ハロプロ?大賞2010 楽曲部門

  1. 永縁 前田有紀 ミアネヨ 〜ごめんなさい〜
  2. 泣き出すかもしれないよ モーニング娘。 女が目立って なぜイケナイ
  3. メロンティー メロン記念日 MELON'S NOT DEAD
  4. 雨上がりの虹のように 安倍なつみ 雨上がりの虹のように

黒田 なんか一瞬めまいがした気がするが、落ち着いて2位以降から見ていこうか。

白井 今年の対象曲は去年よりは減少、ただし2008年よりは多い、という感じ。まあ娘。が2枚アルバムを出したのに救われた感じかな。

長 娘。の曲はアルバム曲もシングル曲も両曲揃いなんだけれども、逆にこれ一曲というのが案外難しかった。

黒田 で、カップリングの「泣き出すかもしれないよ」なの?

長 この曲、ヴォーカルレスでコーラスをしっかり聴けるようにしたバージョンがあって、これがとてもいい。コーラスの声が透明感があって、優しくて、なんだか泣けるの。

黒田 えーと、この曲のコーラスって誰?

長 高橋愛。

黒田 あっそ。

長 メロンティー。本来は去年の分なんだけれども発売がいくら何でも直前過ぎて入手できなかったので、今年分に。これはメロン記念日のよいところがきっちり出ている良曲だね。

黒田 それでも同じアルバム収録曲なら昨年度対象の「青春・オン・ザ・ロード」とか「DON'T SAY GOOD-BYE」の方が好きなんでしょ?

白井 なんだ?せっかくのなっち曲が4位?。

長 いい曲ではあるんだけれど、ちょっとまったりしすぎな感じ。もっと起伏のあるドラマチックな曲の方が安倍なつみの表現力に見合っている気がする。いい曲ではあるんだけどね。

黒田 問題は1位だよ。何?この曲。誰が聞いているんだよ。

長 俺。

白井 演歌のシングルのそのカップリングだもんなあ。たぶんこれ読んでいる人でこの曲聞いた人は一人もいないだろうなあ。

長 俺が聞いているからいいの。静かでともすれば単調なメロディーなんだけれども、ささやくような歌唱の中に強い情熱が潜んでいることが伝わってくる。圧倒的な歌唱力のなせるわざともいえる。

白井 で、久々に藤本美貴の2008年の曲「遠い恋人」を聞き直しているという(笑)。確か作曲が同じ人だったと。

長 選から漏れた曲についても簡単に。モーニング娘。シングル「女と男のララバイゲーム」。これはライブバージョンが圧倒的にいいな。愛ちゃんのタメ。アルバム「10 MY ME」収録の「Loving you forever」。これは珍しく歌詞で泣ける。「君と出会い、君を愛したね。当然のように愛した」。このフレーズ。「10 MY ME」は高水準の曲が多すぎて、逆にこの一曲というのは難しかったけれど、とりあえずこの曲。

黒田 「元気ピカピカ」のPVを相当回数見ていたみたいだけど?そう、あの水着のやつ(笑)。

長 それは別ジャンル。

白井 「Fantasy! 拾壱」は「10 MY ME」以上にまとまりがよくて、ますますこの一曲というのは難しかったね。

長 「Fantasyが始まる」。メロディもドラマチックでかっこいいし、高橋愛のフェイクがすばらしい。「女心となんとやら」。新垣里沙のかっこいい歌い回しがとてもいい。「I'm Lucky girl」。メロディーもキャッチーだし、メンバーおのおのの歌唱の特徴がいい感じで出ている。「愛しく苦しいこの夜に」。亀井絵里卒業曲として珠玉。せめて最後の横浜アリーナで歌ってほしかった。「電話でね」。高橋愛ソロらしい「変な」曲。最初はぴんとこないのだけれども、聞き込むと「なるほど」と思う。

白井 それ以外の曲もどれも味があって、本当に捨て曲がないアルバムだった。アルバム賞としては文句なしでしょう。

アルバム賞 「Fantasy! 拾壱」

黒田 あ、ここでどさくさにアルバム賞を発表しちゃうんだ。

■ ハロプロ?大賞2010 全体総括II

黒田 じゃあ、さっさとMVPの発表から行こうか。

白井 最初にMVPからやるの?

黒田 高橋愛大賞なんだからMVPは最初から決まっているしね。

長 待て待て。だから高橋愛大賞じゃないって。ハロプロ大賞。ハロプロ全体を客観的に俯瞰して、その活動を評価しようという賞なんだから。

黒田 君の頭の中に客観性が保持されていたことはただの一瞬もないよな。

白井 まじめな話、見ている活動にも偏りがありすぎるよ。今年一年の支出額の集計表を見てあきれた。モーニング娘。、愛ガキなどを含めて高橋愛がらみの支出が全体の74%。これはもう「単推し」と言っていい状態だな。

長 だ〜か〜ら〜、モーニング娘。はモーニング娘。でしょうが。個人名では未だ安倍なつみがトップだよ。

白井 娘。名義じゃなくても、高橋愛個人名義と高橋愛・新垣里沙名義をあわせれば、安倍なつみを上回るんだが。

長 そういう足し算は意味がない。愛ガキは愛ガキ。

白井 MVPはとりあえず置いておいて、支出額合計がまたずいぶん増えたものだ。その中でも交通費とグッズへの支払いがものすごく増えている。

黒田 去年は山梨まで行ったのに、今年は福井とか静岡とかぐらいでしょ、地方は。何で交通費がそんなにかかるのさ?

白井 横浜を含む関東圏に行きすぎだね。特に秋以降、何回いってんだって感じ。

黒田 グッズは?

白井 DVDはしょうがないとして、写真ものを買いすぎだね。どうせあとから見もしないくせに。

長 MVPを決めるってコーナーで何人の財布の中を覗いてんだよ?

黒田 じゃあ先に行こうか。

長 MVPを決めるんじゃなかったのかよ!

■ ハロプロ?大賞2010 全体総括I

長 まずは今年一年を振り返ろうか?今年はハロプロにとってどんな一年だった?

白井 ハロプロを振り返る前にまず君の嘘つきぶりを確認するべきだろうな。

長 は?

黒田 そうそう。去年土壇場まで「一推しは安倍なつみ」を言い続けた。我々がさんざん「推し替え」済ませているはずだと詰め寄ったのに。結局一推し高橋愛になってるじゃねえか。

長 推し替えをしたのは今年冬じゃないか。

白井 いやいやいやいや。別にそのとき特別な何かがあった訳じゃねえだろ。単に現状を追認しただけだよ。

長 いやいやいやいや。今年の活動をいろいろ見ての「推し替え」なんだから、去年のあの時点で「安倍なつみ一推し」は嘘ではなかったんだよ。

黒田 ほおーーーーー?君は高橋愛が安倍なつみを上回っているところはエロさだと言ったよな。高橋愛が今年新たにやった活動である朗読劇も即興劇もブログもエロくないじゃん。

長 だからだね、最終的には愛ちゃんイメージビデオ「Figure」のBlu-rayをみて、だな。その前にはドラマで緊縛シーンがあったりとか、デジタルブックスが3回も愛ちゃんが登場したりとか、モーニング娘。名義で出したアロハロ2010の水着が愛ちゃんの露出が特に大きかったりとか、まあそういうのの積み重ねで、だな。

黒田 そっちかよ!

白井 嘘つきの汚名を逃れるためにただのエロ親父の汚名を進んで被る君の姿勢には感服したよ。

長 いやいや、エロスの追求は大事なことだよ。ツアー目標を「エロ可愛く」とするとか、ライブ中の振りでスカートがめくれるシーンで客が歓声を上げるのを聞いて「(気持ちが)あがる」と言ったり、写真集のために痩せすぎないようにしているとか、きちんと狙ってやっているところがいいんですよ。ハロでエロスを狙ってやるというと石川梨華、岡田唯、三好絵梨香の美勇伝とか松浦亜弥、藤本美貴のGAMとかあるけれど、あの辺はどっちかというと制作サイドが狙っているだけ。自身で狙ってってのは後藤真希に次いで、愛ちゃんが二人目ぐらいじゃないのかな?しかも狙っている方向が「モロ」のエロさじゃないところがいい。表現においてエロスを狙う、というと「セックス(性行為)」表現に近づくことが多いけれど、それじゃ言っちゃ悪いがアダルトビデオの後追いみたいなものだ。高橋愛の表現するエロスはそうじゃない。その方向で言えばせいぜい高校生のスカートめくりレベル。行き着く先が「性器」そのものではなくて、チラ見し、させるという関係の中に生起する男女間の感情、「精神」なのだよ。「見たいの?」「見たい!」「へえ(笑)。そんなに見たいんだ。ばっかみたい(可愛い)」。

黒田 高校生がスカートめくりなんかしないでしょうが。なんか高尚っぽくものをしゃべっているけど、結局言っていることは「成人の性」を避けて、幼稚な性表現にすがりつくという君のロリコンぶりを露呈しているだけじゃないのか?

長 24歳の女性のエロス表現をほめて、ロリコン扱いされるとは思わなかったよ。

白井 年齢は関係なかろう。高橋愛は童顔だし、言動からどこかしら子どもっぽいところがあるし。というか一回り以上年の違う「アイドル」のエロスを語っている時点で・・・。

黒田 そもそもいい年扱いたおっさんが「愛ちゃん」とか言ってる時点で終わってるだろ。

長 いやいや、始まっているのさ。

■ ハロプロ?大賞2010 開会の辞

長 ここを更新するのも久々だな。

黒田 なんかかび臭いんだが。ちょっとは掃除しろよ。蜘蛛の巣がはってるし。

白井 で、今日は何で集まったんだ?まさか?

長 言うまでもなく、ハロプロ大賞をやるのだ。

白井 やるのかよ!

黒田 だから高橋愛大賞だろ?

長 いやいやいやいや。

2010年05月03日

■ ガキ亀さゆ

今ツアーでの高橋愛以外のメンバーの印象をつらつらと。といっても例によって高橋愛ばかり見ていたので、たまたま目についたメンバーについてだけ。触れられないメンバーは関心がないわけではなく、たまたま。私のライブ鑑賞辞書に「公平」「客観」という文字はない。

道重さゆみ。メンバーでは珍しい黒髪。長く伸ばしたその黒髪をたなびかせて踊る姿は実にかっこいい。可愛いというよりもかっこいい。なんということだ。

化粧も他メンバーと比べてナチュラルメイクに見える。それだけに幼くも見えるのだが、その顔の幼さと、そして踊りのどこかしらぎこちなさが、しかしなぜか未熟さではなく、かっこよさに転化するという不思議。特に「大きな瞳」でのパフォーマンスには目を奪われる。

またこの人は確かに高橋愛のフォロワーなのだ、とも思わされた。曲中の表情の作り方。高橋愛と並んで、曲ごとに表情を作ろうとしている。その曲の登場人物になりきろうとしている。今のところメンバーでそれをやっているのは高橋愛と二人だけ。

バラエティの道重さゆみしか見ていない人には、是非ライブでの道重さゆみを見てもらいたいと思った。とてもストイックにがむしゃらに、ステージパフォーマンスに賭けている姿が見られる。

亀井絵里。彼女のキャラに合わせて、これまでに提供されたソロ曲などはほわっとしたかわいらしいものが多かった。私はそれを残念に思ってきた。しかし今ツアーでの亀井絵里の歌声には渋さがある。低音をどっしり響かせる。元々定評あるダンスは、運動神経を生かしてダイナミック。でもMCになれば、またいつものぼけぼけの亀ちゃん。この落差、それがいい。

新垣里沙。最大の見せ場、というより聞かせどころは高橋愛とのデュエット曲「あの日に戻りたい」。

この曲は二人の声質の違い、そしてそれも含めて表現される世界の微妙なずれのようなものがおもしろい。題名のごとく過去の恋愛を振り返る歌。高橋愛はみずみずしく透明感あふれる声でしっとりと歌う。いまだに相手への思いがリアルに生きており、その相手へかつてと同じように甘えたい気持ちも残っている。まだ「女の子」をしている。過去と、そして今も生きている「恋」の歌。

一方新垣里沙は少し乾いた声。じっくりと自らに語りかけるように歌う。過去の自分への後悔の感情、相手への思いはもはや「恋」としては生きていない。それをできなくしたのは自分の振るまい。それを受け止めつつ、なお相手へのつきることない思い。恋が終わった後の「愛」の歌。

しかしそれでは終わらない。「春だよというのに、震えてる私」のところで突然強い感情が発露され、何とも言えない艶っぽさが出る。かつての、相手に甘えられていた「女」としての弱い部分が隠しきれなくなったような。

新垣里沙の歌は声量音程とも申し分なく、また包み込むような優しさにあふれた表現力も秀でていた。ただ一点、艶っぽさだけがあまりない、と思っていた。しかしこの曲の、一瞬の、しかしにじみ出るようなこの艶やかさ。これだ、と思った。

安倍なつみ。まさに安倍なつみと同質の表現をこの曲の新垣里沙の歌唱から感じ取った。力強さと弱さと、人間愛と切ない恋心と。高橋愛のエロさと可愛さとはまた違ったベクトルのこの落差をこそ私が新垣里沙に求めていたものだった。

もっと新垣里沙の歌を聴きたい、と思った。たとえば「Loving you Forever」を新垣里沙ソロで聞けたらどんなによいだろうとも思った。バックの音がいまいちな娘。コンではなくて、生演奏で、大胆なストリングスの音色が混じるアレンジで、新垣里沙の歌を聴けたらどんなにすばらしいだろう。

それを思い出すと、「音」の部分では今の娘。コンではやはり何とも物足りなく感じてきた。もっと贅沢な音の世界に耽溺したい。娘。コンは視覚的にはすばらしい。でもそれだけでは満たされないものが絶対的に残っている。ああ、なっちライブに行きたい、と思考はあらぬ方向に向かってしまった。簡素な舞台装置、衣装もシンプル、なのに終わってみればおなかいっぱい、この感覚は今の娘。コンでは味わえないものだ。そして新垣里沙ソロライブがあれば、なっちコンと同様のこの感覚が味わえるのではないか、と思ったのだ。


きわめて蛇足ながら、高橋愛ソロライブがあれば、満足感・満腹感ではなく、一層の飢餓感を煽られることになるだろう。それもまた一興。

■ 生まれついての舞台人

しつこく引っ張る。今回ツアー冒頭の全身ピンクにウサギ耳の衣装。同い年の松浦亜弥が着ている姿なんて想像もつかない。それを当たり前のように着こなす高橋愛。そんな衣装を着ることに何か思うことはなかったのだろうかと思っていた。

どうやらあったらしい。

といっても、元々は何とも思っていなかった(ようだ)。ところが地元公演で中学時代の友人と楽屋であった際、「高橋、マジ?」と突っ込まれ、とたんに「大丈夫なのかな?」と心配に。

しかしステージに立って、客から声援を受けて、大丈夫なのだと再確認。

表現者、舞台人としてはとにもかくにも前向き。(年齢的に)可愛すぎる衣装も、逆にエロい衣装も、全部ノリノリ。しかしプライベートで親しい人から突っ込まれるととたんに個人としての感覚が目を覚ます。元来のシャイな部分が出てくる。目立つのが苦手、自分をさらけ出すのがきらい。

しかしまた舞台に立てば、一気に自信を取り戻し、表現者としての自分を最大限に見せびらかすことに余念がない。

この人は、そういう場面になれば、キスシーンだって、ヌードだって、何だってやれる人だと思う。アップフロントにいる限り、キスシーン止まりで、ヌードになることはないと思うが。それを残念と思うか、よかったと思うかは人それぞれ。私個人は高橋愛本人がノリノリでやる限りはなんだってあり、だが、どうしても裸を見たいというわけでもない、ということもない、わけでもない。

■ 生まれついての舞台人

しつこく引っ張る。今回ツアー冒頭の全身ピンクにウサギ耳の衣装。同い年の松浦亜弥が着ている姿なんて想像もつかない。それを当たり前のように着こなす高橋愛。そんな衣装を着ることに何か思うことはなかったのだろうかと思っていた。

どうやらあったらしい。

といっても、元々は何とも思っていなかった(ようだ)。ところが地元公演で中学時代の友人と楽屋であった際、「高橋、マジ?」と突っ込まれ、とたんに「大丈夫なのかな?」と心配に。

しかしステージに立って、客から声援を受けて、大丈夫なのだと再確認。

表現者、舞台人としてはとにもかくにも前向き。(年齢的に)可愛すぎる衣装も、逆にエロい衣装も、全部ノリノリ。しかしプライベートで親しい人から突っ込まれるととたんに個人としての感覚が目を覚ます。元来のシャイな部分が出てくる。目立つのが苦手、自分をさらけ出すのがきらい。

しかしまた舞台に立てば、一気に自信を取り戻し、表現者としての自分を最大限に見せびらかすことに余念がない。

この人は、そういう場面になれば、キスシーンだって、ヌードだって、何だってやれる人だと思う。アップフロントにいる限り、キスシーン止まりで、ヌードになることはないと思うが。それを残念と思うか、よかったと思うかは人それぞれ。私個人は高橋愛本人がノリノリでやる限りはなんだってあり、だが、どうしても裸を見たいというわけでもない、ということもない、わけでもない。

■ 深淵

ライブやらメンバーのブログ写真やらを見ていて、ますます高橋愛という人がわからなくなってきた。

ライブ冒頭のピンク衣装にウサギ耳、きょとんとした表情は幼ささえ感じさせる可愛い可愛い女の子。

衣装替えの後の露出度の高い衣装で登場して、ちょっとエロ目のダンスを踊る姿は妖艶に成熟した大人の女性。表情の作り方から、腰の振り方から、一切手抜きなし。歌パートじゃないところのダンスの全力っぷりがすごい。

ライブ終盤、Tシャツにジーンズ姿、ステージ狭しと駆け回り、スタンドマイクを抱えて歌ったり、田中れいなとふざけたふりをしたり姿・表情はいたずらっ子な少年のよう。メンバーブログに掲載されているメンバーとふざけている姿もまたいたずら少年の顔。元気いっぱいの少年。

MCでまた噛んだりしないだろうかとすこしおどついたり、少し口を滑らしてへこんだりしている様はナイーブな少年の姿。気の弱い、傷つきやすい少年。

これまたメンバーブログに掲載されたライブが終わって髪を乾かしている姿。片足を上げてくるぶし丸出し、長い髪を豪快にかき上げる姿は捌けた大人の女性にも見えるが、どこかおっさんの姿にも見える。

リラックスしているときに出る、訛りの抜けない、そして少し口の悪いしゃべりは完全におっさんが入っている。いっぱい引っかけた田舎のおっさん。

ステージに立つと恥ずかしげもなく、露出度の高い衣装にエロティックな激しい踊りを挑発的に披露する威風堂々たるパフォーマーでありつつ、自分語りの場面になるととたんに少し早口になり、シャイな性格が丸出しになる。

いったいこの人は何なのだろう。老若男女、何個の人格を持っているのだろう。

全くわからない。

■ モーニング娘。コンサートツアー2010 春〜ピカッピカッ!〜

滋賀、福井、そして神戸2日、全日昼夜合計8公演。モーニング娘。コンサートツアーで8公演参加は自己最多。前回秋ツアーは4公演だったから一気に倍。諸々の日程の都合でたまたまそうなっただけだが。とりあえず見るべきものは見たという気にはなった。

娘。コンの客層が変わってきている、と一部界隈で話題になっている。女性が増えた、若者が増えた、というのは多少なりともその通りかなと思うところで、私のイメージの中の「ハロプロコン」の客層よりも松浦亜弥コンサートの客層に近い感じになっている。しかしそれ以上に思うのが「変なの」がだいぶん減ったなということ。「変なの」というのは、ゴミをところ構わずまき散らす、周り(コンサートの客以外の人)の迷惑を一切顧みない言動を行う、ライブ中に私語をする、そういうのが消えたとは言えないが、少なくなった。

ライブ全体の構成としてはいろいろ不満もある(PV垂れ流しコーナーは何がやりたいのかわからない、とか、「雨の降らない星では愛せないだろう」中国語バージョン披露は前回もやったしもういいんじゃないか、とか)けれども、「愛して愛してあと一分」から始まる「情熱的なナンバー」が続くコーナーがよかったし、新アルバム曲中心のライブとしては及第点というところ。ライブ後半は盛り上がり曲連発で、歌としての聞かせどころは少し寂しいところだが、その分ダンスでのメンバーのはじけ方がすごい。おのおの思い思いに自由に暴れているようで、しかしきちんと統制がとれている。総じて2008年秋−2009年春の少し重い目のライブイメージに比べて、前回今回とまた明るく元気なイメージに復したようだ。私の好みとは少しずれてはいるが、これはこれで悪くはない。

中盤の「期」別のコーナー。5期曲については別途書くとして、続く8期曲「大阪 美味いねん」と6期曲「.大きい瞳」の会場の盛り上がりの差はちょっと残念。「大阪 美味いねん」はせめて関西圏では盛り上がってもらいたいものだが、なかなかそうも行かず。それでも「大阪」が始まった段階ではまずまず盛り上がってるな、と思うのだが、続く「大きい瞳」に入ると「本当の盛り上がり」のなんたるかを思い知らされるという。客席側の音量が二段階ぐらい上がった感じ。「真打ち登場」みたいな雰囲気で、前曲は何だったのか、と思わされてしまう。「大きい瞳」は曲としては「凡庸」なアイドル曲なのだが、歌っているメンバー一人一人の良さがうまく出ているし、見ていて楽しいパフォーマンスであることは間違いない。曲の凡庸さがかえってメンバーを引き立てている、というのか。「大阪 美味いねん」はまさにつんく♂ロックなのだが、好き嫌いの分かれそうな曲だし、光井愛佳のシャウトとかメンバーの見せ場はあるのだが、リンリンの歌唱力が少しもてあまし気味なのは惜しい。

と、あれこれ書いてきたが、ライブ冒頭のピンク衣装にウサギ耳の「可愛い」高橋愛と、その次の露出度の高い衣装で歌う「愛して愛してあと一分」、その曲でのステージに寝そべるエロい高橋愛で満足しきっていたのであった。逆に言うとライブ序盤に最大の(個人的)盛り上がりどころが来てしまうのが本ライブ最大の難点かもしれない。

2010年04月07日

■ 君と出会い、君を愛したね 当然の様に愛した

福井県春江町を歩く。ここを訪れたものの大半がそう書く様に、特に何もない、素朴な町並みだった。大都市圏から来たものにとってはあまりに「田舎」なのに驚くかもしれない。しかし地方から来たものにとってはただただ普通の素朴なだけの町並みだった。

駅から昼食のソースカツ丼を食しに「ヨーロッパ軒」に向かう途中、右手に小学校が見える。休み時間なのか、子どもたちの姿が見える。長く伸ばした黒髪を一つ縛りにした少女の姿。そこにこの素朴な町から華やかな宝塚の世界にあこがれて芸能界にやってきたあの女性(ひと)の面影を見てしまう私は少しおかしいのかもしれない。そんなひととの出会いを必然にした町。

「何もない」と書いたが、交通の不便さや、町並みののどかさに比して、大手チェーン店やらショッピングモールなどがここかしこにあって、「寂れた町」という風ではない。適度に賑わい、しかしのんびりしたこの町は静かな多幸感に満ちていた。

それはくだらない「データ」の大群に嫌気がさしていた私の気持ちを癒すに十分であったし、また前日に感じた幸せをまさにそのまま風景にしたものであった。

モーニング娘。福井公演、フェニックスホール。関東圏在住者が多数を占めるモーニング娘。ファンにとってかなり不便な会場。そうであればこそ、リーダー高橋愛の地元ということに思いを込めた客が多くの割合を占める。ただ好きなもの、好きな人を見たい、応援したい、そんな当たり前にしてとても人間らしい感情に動かされた人が集まった。好きなものを持ち上げるために他をくさすというこれまたある意味人間らしい嫌らしい腐りきった感情とは少なくとも今日は無縁でいられる。

実を言うとライブ自体の構成としては昨年春ツアー「プラチナ9DISCO」のほうが私は好きだ。エロティックな衣装、踊りに力強い歌唱の「情熱のキスを一つ」とゆったりと静かで清楚な雰囲気に満ちた高橋愛ソロ曲「夢から醒めて」の落差がライブ全体にメリハリを持たせていた。そしてこのソロ曲での、高橋愛のカラーである黄色を使った演出、客が一斉に黄色のサイリウムを掲げ、照明も黄色を多用し、会場全体が黄金色に輝いたその風景は何物にも代えられないものだった。

今年はモーニング娘。全体としてのパフォーマンスを重視したライブ構成ゆえ、高橋愛個人としての見せ場は控えめ、全曲楽しめるが、メリハリには少し欠けるきらいがある。

しかし、ライブはあるいは去年以上の多幸感に満ちていた。「こんなところで?というところで」すぐ泣く高橋愛が、今日も何度も泣いた。たぶん去年よりもたくさん泣いた。

昼公演、田中れいな「愛ちゃん幸せもの!」。「あんなところ(Loving you forever)で泣くとはおもわんかったけど、愛ちゃんの思いが感じられた」。光井愛佳「愛ちゃんを見て私も幸せになった」。亀井絵里「愛ちゃんのお母さんになったみたいな気持ちになった」。道重さゆみ「愛ちゃんのみんなと一緒にいて幸せという気持ちが伝わってきた。みんなが愛ちゃんを好きな気持ちも伝わった。でもさゆはみんなに負けないぐらい愛ちゃんが好きだからキスしようと心に決めた」。それを受けて高橋愛「やあ〜」と絶叫。「天国にいるおじいちゃんも喜んでくれてると思います」。

そして夜公演「愛ちゃん」コールを受けてのMC。高橋愛「皆さんからの暖かいアンコール」。田中れいな「これカットね、やり直し」。高橋愛、突然れいなの後ろに隠れて「暖かい愛ちゃんコールありがとう!」。それに併せて口パクをするれいな。華やかな世界にあこがれて飛び込んできたのに、未だに自分にスポットが当たるのを恥ずかしがるアイドルグループリーダー。そしてそんなリーダーをフォローする後輩。

新垣里沙「いつも以上の愛ちゃんの笑顔」。田中れいな「愛ちゃんリボンつけて可愛いんやね〜。そんなリーダーは置いておいて」。触れかけられて放置されるリーダー。「置くんかい!置くんかい!」。リーダーの突っ込み。リンリン「実はリンリンの地元と愛ちゃんの地元は姉妹都市なんですよ。お姉ちゃんお帰り〜」。ジュンジュン「愛ちゃんのおばあちゃんの差し入れの苺、美味しかったよ〜」。道重さゆみ「今回もさゆのキスは拒否されたけれども、ファンの皆さんの愛は受け取るんですよ。だから今日だけはみんなに愛ちゃんをあげます。さゆみたちみんなリーダーをたよりにしているし、みんなにも愛されていて、そんなリーダーの元でモーニング娘。でいるさゆみは幸せです」。後輩皆から「愛ちゃん、愛ちゃん」呼ばれてご満悦のリーダー。

最後の道重さゆみの言葉を受けてまた半べそで「いいこというなよ〜」。沸き起こる「愛ちゃん」コール。「ほんとに頼りにしてくれてるんだ〜」。自分が頼られているという実感をいまだに持てずにいちいち確認しては喜ぶリーダー。さゆ「噛むところは置いておいて頼りにしてますよ」。「今日は噛んでないもん!」。噛むことをいまだにまじめに気にしているリーダー。

そして訛り全開で「また福井に帰ってこられる様にがんばるでえ、応援よろしくお願いします!」。

「一人一人にありがとうっていいたいけどお、時間がないんでえ、大きい声で言います。(マイクをそらして地声で)ありがとう!」。「みんなに支えられて本当に幸せやなって思います。一緒に年齢を取っていきましょうね」。最後に投げキッス。

ライブ後会場に響く。安倍なつみライブではおなじみのコール「愛ちゃん最高!」。

それは外から見ればありきたりな、予定調和の感動なのかもしれない。メンバーの地元でライブをやれば、「ファン」なら盛り上げて当然なのかもしれない。でもそんなありきたりかもしれない幸せに私は浸っていたかった。多くの人に愛されている高橋愛を見て、感じて、私は幸せだった。でもさらに欲深くもっと多くの人に愛されてほしいとも願った。そしてその実感をもっと強く感じさせてやりたいと祈った。ずっとどこかしらに不安を抱えている様にも見える彼女に確かなものを感じさせてやりたいという不遜な想いが、彼女に「出会った」時からずっと私にとって彼女への吸引力になっていた。

そんな高橋愛をはぐくんだ町、春江町、取り立てての特徴もないこの町に、この素朴で、私にとっては少し懐かしい感じのする景色にお別れをして福井市内に戻る。

福井市内。桜を見に足羽川へ向かう。川沿いに桜並木。まだ満開には至らない。初々しさを残しつつ、凛々しさを感じさせる。まだまだ美しくなる、その無限の可能性を秘めて。

足羽山に登る。足羽神社の垂れ桜。幾重にも重なった桜色の波。華麗。まだ花びらを散らすには早く、もう少し時間を経ればさらに美しくなるだろう。

足羽山中の桜はまだ蕾が堅く、ひたすら初々しい。素朴・純朴だが、数日後に来たるべき華麗に舞う桜吹雪の風景が頭の中に重なる。

高橋愛の中に併存しているおぼこい純朴な田舎娘の姿と洗練されたエロティシズムを感じさせる姿とをいちいち桜の中に見ていた私は少しおかしいのだろう。女性を桜にたとえるというこの陳腐な連想が、しかし私の中ではしっくりきてしまった。桜を見ている私の目には、前日の高橋愛の姿が確かに浮かんでいた。

オープニング、ピンクの衣装にウサギの耳。高橋愛の年齢的には少し微妙な衣装。松浦亜弥ならこの衣装を渡されたとして、どんな顔をするだろうか。安倍なつみが同年齢の時にこの衣装を渡されたとしたら、どんな顔をするだろうか。高橋愛は少し恥ずかしがっただろうか。それとも道重さゆみと一緒に単純に「可愛い」と喜んだのだろうか。全く想像もつかない。

ステージにいる高橋愛は、どこかしらきょとんとした感じで、きまじめにコミカルなダンスを踊る。がに股も様になっている。餅つきの動作も絵になる。かわいらしさの中に真剣な表情が垣間見える。

衣装チェンジ。本ライブ中随一の露出度の高い衣装。「情熱的」な曲が並ぶ。特に「愛して愛してあと一分」は振り付けもエロティック。身のこなしもしなやかで、女性の美を全身で表現している。

中盤から終盤にかけてはステージ所狭しと走る、走る、跳ぶ、跳ぶ。落ちたら大けがをしかねない舞台装置、走りにくそうな靴なのに、結構なスピードで駆け回り、かなりの高さで跳躍する。

そして本編ラストの曲「Loving you forever」。これまた実を言うとこの手の曲調は私はあまり好みではない。なんとなく作り手の「感動しろ」というメタメッセージを感じてしまって、正直ちょっとうざったいのだ。でもこの清らかな曲調とそして圧倒的にくさい歌詞が、今更ながら心にしみた。昼公演、自身のパートで少し涙ぐみ、声が乱れる。一瞬幼子に戻ったかの様な歌声。そんな純朴な姿がこの曲の清らかさと調和していた。うざいほどのこの曲の清らかさ、それが今日は心地よかった。

純朴さと華麗さと、ナイーブさと脳天気さと、危うさと凛々しさと、その時々に様々な顔を見せつつ、しかしどの顔も確かに紛れもなく高橋愛その人である。そんな揺らぎに満ちて底知れぬものを持ったひとだからこそ、この期に及んで未だに気持ちがざわつくのだろう。そして高橋愛に出会わなければ、きっと私の心はもっとずっと平穏だったろう。

私が高橋愛に初めて出会った時には、ただただ純朴で、ナイーブで、常に不安を抱えていて、まだ堅い蕾の様な少女だった。そして時は流れ「大阪恋の歌」でセンターをつとめる姿を見て、不安感が前面に出ていた少女の中に凛々しさが宿っているのを見たとき、私は当然の様に彼女に惹かれていったのだった。

2010年03月28日

■ 安倍なつみ鳳トークショー

頭の中がすっかり高橋愛に占拠され、また思考が140字区切りになりブログの書き方も忘れかかってきた頃、安倍なつみトークショーの知らせが入る。大阪鳳でのイベント。かつて研究会で何度か行った大阪市大のある杉本町よりさらに和歌山より。これは遠い。30分程度とおぼしきトークショーのために往復3時間かけて行くのはつらい。生歌を聴けるのなら丸一日かけても惜しくはないが、トークショーはつらい。そういえばテレビのトーク番組「美女放談」もまだ見ていない。トークを聞きたいならそっちの方がよほど価値があるだろう。

行くかどうかぎりぎりまで迷った。それでも当日昼前にようやくやはり行こうと決める。

行こうと決めた気持ちにはいろいろある。自分の中でいろいろ確かめたいこともあったし、その上で安倍なつみにすがりたい気持ちもあった。モーニング娘。、安倍なつみに救われた頃の私の気持ち。そしてまた安倍なつみの情況にくすぶりを感じたときに高橋愛に救われた時の気持ち。今高橋愛でくすぶる私の気持ちを安倍なつみは救ってくれるのだろうか。

大阪から紀州路快速一本で鳳。意外と楽だ。杉本町は快速がとまらなかったのだな、と思い出す。駅からは5分も歩けば大きなショッピングセンターが見えてくる。到着したのはイベント開始30分前。藤本美貴イベントや現モーニング娘。メンバーイベントのときには朝から必死で並んだ。会場まで行く時間が違う、というのはおそらく言い訳。ただ一般人に埋もれても声を聞ければ十分だと思ったのは事実。また今の一般人にとっての安倍なつみという存在を肌で感じたかったというのも事実。

イベントスペースに行くと、当たり前のことだが着席用に用意された空間はすでに埋め尽くされていて、その周りをずらりと人が囲んでいる。家族連れもいちいち足を止めて前の人の頭越しに「なっち」を見ようと必死になっていたりする。もっとも中には父親が必死で、子どもは案外素っ気なかったりすることもあったり。もちろん見たがっている子どもも多数。

司会の諸注意があっていよいよ安倍なつみ登場。黒い上下、下はミニスカートかキュロットか。満面の笑顔。これぞなっちスマイルというしかない。営業スマイルというのとはまた違う。なっちスマイル。

簡単に今の状況などのトーク。娘。を卒業してからの方が絆はむしろ強くなって、しょっちゅう食事に行く、とか、現メンバーも二十歳を超えた子が多くなって、一緒に飲みに行けたりして楽しい、とか、自分が娘。の頃は10代が多かったのでそういう機会はなかった、とかファンサイドからすれば既出といえば既出。それを実に楽しそうにしゃべる。

続いて野菜ソムリエの資格を取ったという話から、食の話へ。さらに今は食マイスター(?)を目指しているとか、そんな話。「どんな勉強をするんですか?」。「もういろいろですよ。政治の話とかも出てきて」。政治の勉強をする安倍なつみ、頼もしいというのかほほえましいというのか危なっかしいというのか。

そこから引き続き会場のファンからの質問回答コーナー。質問はあらかじめ紙に書いてもらっていて、そこから女性限定で選別した様。名古屋から始発できた15ぐらいの女の子の質問もあった。泣きそうになるぐらいのファンらしい。質問内容は「貧血だけどどうすればいいか」といった健康関係の質問。「レバーは嫌いなんです」。「ああ、そう。困ったね」。なっちスマイル。

最後に舞台の宣伝。といっても大阪公演チケットは完売なのだが。簡単なストーリーの紹介込みで。主演のDAIGOの名前はすんなり出たが、もう一人の共演者の名前が詰まり詰まり。ちょっと失礼。日程の紹介では完全に失念、目の前のファンに助けられる。「ありがとうねえ」。なっちスマイル。

「私こうしておしゃべりするのが本当に大好きで、すぐに時間がたっちゃうんです」。なっちスマイル。最強。

拍手に送られて安倍なつみ退場。その直後から安倍なつみ関連CD,DVDを2000円以上買った人に直筆サイン色紙プレゼントの告知あり。当然出待ちなんてせずに直販コーナーへ急ぐ。

ほとんど持っているものばかりで、最初は最新アルバム「24色の似顔絵たち」を手に取ったが、これは他の人に買ってもらおうと思い、舞台DVD「ファーラウェイ」を購入、無事サイン色紙を入手。そのまま販売状況を見ていると、CD関連はほぼ売り切れ。値段の高い舞台、ライブDVDが若干売れ残り。子ども連れの客もそこそこ並んでいたし、アルバム収録曲「微風」を新たに聞く人も少しは出たかとも思う。もちろん並んでいた大半は私と同様の「なっちヲタ」だったわけだが。

結論。なっち天使。

2010年03月15日

■ 緊縛高橋愛

twitterでそそのかされたので書いた。後悔はしていない。性的な表現を含むが、18禁ではない。


登場人物が悪者にとらわれて束縛されているシーンはここかしこにある。先日も刑事ドラマでそんなシーンがあった。若手男性刑事が犯人グループに拉致されて手錠で大の字に拘束されている。刑事は拘束から逃れようと抵抗し、身をよじる。別に興奮しない。ヘテロ中心主義に毒された一男性としては、ありきたりなことだ。

そういえば道重さゆみも楽しみにしているドラマ「ブラッディ・マンデイ」では主人公の女友達がやはり拉致されて、拘束されて、薬物を注入されてもだえていた。ヘテロ中心主義に毒された一男性として、何らかの性的興奮を覚えてもおかしくないシーンかもしれないが、別に興奮はしなかった。そんなものだ。

さらに思い起こせば、北乃きいがいじめをテーマにしたドラマ「ライフ」で下着姿で縛られているシーンがあったが、これはさすがにちょっとエロかった。どうでもいいけれど。

高橋愛がやはり何者かに拉致されて、いすに縛りつけられているシーン。次回予告のほんの5秒程度のシーン。その短いシーンが、しかし、エロい。エロ過ぎる。本編はまだ放送されていないので本当はどれだけの尺の、どういうシチュエーションのシーンなのかはわからないが、わずか5秒足らずのそのシーンがあまりにもエロい。

不安と恐怖にゆがんだ顔が大写しになる。胸の下には縄目が見える。身を包んでいるスーツは大きく胸をはだけ、その下の白いブラウスには縛り付けた縄に沿うように胸の膨らみがくっきり刻まれている。すでに視線がエロ過ぎるって?いや、このシーンを描写しようとしたら誰しも同じような視線で見るだろう。

カメラは次第に引いていき、後ろ手に縛られた全身があらわになってくる。清楚なスーツ姿だが、スカートの丈は少し短い。まるでAVに出てくる典型的OLのごとく。

スカートからは白い太ももが覗き、足にはハイヒール、その間に伸びるすらりとした脚が美しい。変態親父の視線丸出しだろうって?いや、このシーンを見たものはだれしも同じ見方をするだろう。

今から自分の身に何が起こるのかを想像しつつ、天を仰ぐ。恐怖と不安に満ちた表情。その仕草、表情には恥辱が浮かび、どこか切なげにも見える。「悪人に拉致された」というだけのシチュエーションなら恐怖が表現されていればよいのだが、そこに何かを懇願するかのような切なさと恥辱心が加わるから、エロさがいや増す。「私をどうしようっていうの?」。そんな台詞が聞こえてくる。お前の脳内がエロいだけだって?いや、このシーンを描写しようとしたら誰しも同じ台詞を聞くだろう。

不安げに視線を落とし、ぎゅっと唇をかみしめる。そしてうつむいたまま、悔しさと恥ずかしさに打ち震える。そしていじらしげに身をよじらせる。緊縛に対して無駄と知りつつの抵抗。身もだえした後、かすかに吐息がこぼれる。「あっ」。吐息なんて別に漏らしてねえだろって。いや、このシーンを描写しようとしたら誰しも同じ吐息を聞くだろう。

あまりにもエロくも美しいシーンはここで終わる。

この高橋愛緊縛シーンと、ありきたりな「悪人にとらわれ、監禁されているシーン」とは何が違うのか?

カメラワークから衣装選びから、作り手が狙っているとしか思えない。そして高橋愛の表情の付け方とか、躰の動かし方とか、演出も狙っているとしか思えない。コンサートツアーの個人テーマが「エロ可愛く」だから、エロさ底上げのための調教の一貫なのではないか、という想像は妄想的すぎるだろって。いや、このシーンを見れば、誰しも似たようなシチュエーションを思い描くだろう。

このシーンのエロさは、しかし、こうした作り手の狙い、SMチックなシーン造りによって表現されたものではない。それはエロスとしてはあまりにも安直で浅はかだ。作り手の狙いどころはどうしようもなく下品でくだらないものだ。しかしそうであるにもかかわらずこのシーンを、ありきたりな「悪人にとらわれ、監禁されているシーン」でもなく、作り手の狙いたる下品でくだらないSMチックな作りでもない、高度にエロティックなものに仕立て上げているのは高橋愛という人の表現者としての在りかたにほかならない。

「次の撮影時には拉致監禁されて、いすに縛りつけられるシーンがあるから。はい台本」。「え〜?そんなシーンあるんですか〜?」。「いや?」「ちょっとだけ抵抗はありますけど、でも大丈夫です(ちょっと早口で)」。

「この椅子に座って腕を後ろに回して」。「こんな感じですか?」。「はい、じゃあ縄をかけるよ」。「なんか恥ずかし〜」。

「はい、カット!お疲れ様!いや〜高橋さん、よかったよ!」。「本当ですか!けっこう頑張りましたよ〜」。「ちょっとエロくて良い感じだったよ」。「そんなこといわんでや〜。あっしはエロくなんかないし〜」。「でもエロ可愛くがいまのテーマなんでしょ?」。「あっひゃー」。

恥ずかしいのになんだかんだノリノリでエロスを表現する高橋愛。撮影時は毅然と演じきって、その後恥ずかしくてほほを染める高橋愛。うーん、エロい。恥ずかしさを感じつつ、それを一途にやりきるというそのけなげさがエロい。なに完全に妄想モードに入っているのかって?いや高橋愛を知るものなら誰しも似たような状況を思い描くはずだ。

すべてを見せびらかすハードコアポルノよりも羞恥心とチラリズムを、しかしエロス表現者の主体性は不可欠という私のエロ指向からして、高橋愛は至上のエロアーチストだ。そしてこの感性は、エロティシズムの本質に確かに触れている。

というわけで、このテキストが全体的にエロ妄想に満ちているのは、高橋愛を受容する者にとってはまっとうに駆り立てられる普遍的なエロティシズムに由来するものであるということが見事に立証された。私が特別にエロいわけじゃない。Q.E.D.証明終了。

2010年03月09日

■ アホエロ可愛い高橋愛

たまっている高橋愛語録を一挙蔵出し。

ハロプロDVDマガジン。ニュースキャスターをやろう!みたいなコーナー。矢島舞美、前田憂佳と3人で、キャスター、アシスタントキャスター、ディレクターを割り振って、その役をこなすという企画。

別グループでたとえば田中れいなはみるからにキャスターをやりたがっているのに対して、高橋愛、ひたすらキャスター役をやるのを嫌がる。しかしくじ引きの結果、果たして高橋愛がキャスター役を引き当てる。

しぶしぶニュース原稿を読み出すが読めない漢字が多い。それなりに読書とかもしている風なのだが、きっと読み方とか考えずニュアンスですべてを処理しているのだろう。舞台の脚本とか読めなくて困るのではないか、というのは割とまじめな心配。

しかし一番けしからんのは「吹雪」が読めないこと。

もうあんたは宝塚ファンと名乗るな!3ヶ月名乗るな!越路吹雪に謝れ!256回土下座して謝れ!宝塚の歴史について9時間特訓を受けろ!

その高橋愛、モーニング娘。として「ミュージャック」に出演。モーニング娘。にたいする「平成が生んだビッグアイドル」という紹介に対して「昭和(生まれ)もいます」という突っ込み。しかもネタとしてじゃなくて、マジ突っ込み。アホすぎる。

というわけで上記二点についてはファンクラブに入っている人は愛情あふれるファンレターの中でオブラートに包んで、あんこの中に入れて、餅でくるんで、デスソースをまぶして指摘してたしなめてあげるといいと思うよ。というか誰かやって下さい。

さらに木下優樹菜の料理番組も出演。そこでは加入以来「(モーニング娘。だから)人を好きになったことはない」と発言。処女性を求めるキモヲタに合わせてどうこうと言われているが、実際そうだが、ただ高橋愛本人はまた別の感覚があるような気もする。宝塚自体が恋愛厳禁。自分がファンとしてあこがれていた世界の掟なのだから、おっさんキモヲタの犠牲という感覚は薄いのかも、と思ったりもする。

新曲発売記念イベント、私が参加しなかった横浜公演。そこでは今度のツアーの個人目標を発表する機会があったらしい。といっても本来はスタッフ・メンバー内での目標であって、ファンサイドに公表する性質のものではなかった。それを司会の新垣里沙の思いつきで発表することになり、高橋愛「え〜それ発表するの〜」と必死の抵抗をするも、ガキさんにあっさり押し切られ、順次発表していくことに。高橋さんの番になっても「言ったらそう見るわけでしょ〜」となおも抵抗。結局渋々発表したのが「エロかわいく」。「ふぅー」という会場からの声に「だからいいたくなかったんだよ!」。

いやあ愛ちゃん、私と心が通じ合っているのかなあ。昨年の写真集で愛ちゃんは「エロかわ」を楽しんでいるようだと言ったそのままが今度のツアー目標とは。正直前ツアーナインスマイルでは「エロ」がちょい足りなくて少し物足りなかったので、今ツアーは大いに期待しよう。愛ちゃん公認のエロ目線で「そう見」させてもらいます。

2010年02月20日

■ 今後の予定

娘。ファンのイベント時の服装がどうとか、態度がどうとかいう話はよくあるけれども、それと同程度にネット上での言説がどうか、というのだって重要だろう。モーニング娘。に何らかの理由で関心を持って、検索かけて、出てきた「ファン」界隈の言説が糞尿にまみれているとき、その人はどう思うだろうか。そういうことを考えたこともないのだろうか。2ch狼(モーニング娘。ハロプロ関連板の通称)に初めて行き着いて、そのトップページを見たときに並んでいるスレタイの一覧を見たとき、ハロプロ・ハロプロファンがどう映じるか、考えてみた人はどれだけいるのだろう。

2chは見ないことにしていると公言している人は立派だ。それは盗聴音源を聞かない宣言をしているのと同等に、一つの態度の表明であり、毅然と2ch狼の価値を否定しているからだ。私は別の思いで逆にしつこく見ることが多いが、本来は「見ない」という宣言をもっとするサイトさんが増えてもよいと思う。だったらお前がバナーを作れ、という話になるわけだが、やればよかったのかな。そこはまあ私は口先野郎だからな。

もっとも問題は2ch本体だけではない。2chエピゴーネンサイトなんてあちこちにある。特定メンバーファンブログでも2chのバッシングネタを喜々として取り上げている。2chまとめサイトがよくうちのブログの「あわせて読みたい」サイトに入ってくる。「ハロヲタ」どもの言説の醜き姿はネットのここかしこで観察されている。そういうことを恥とも思わない「ハロヲタ」どもの厚顔さにほとほと嫌になった。

ととりあえず愚痴ったところで、まあ今日明日すぐに「ハロプロ」と縁を切るというわけにはいかない。明日はメロン記念日ライブだ。私にとっては最初で最後になるかもしれないメロン記念日のライブ。もちろん行く。娘。コンサート福井公演もチケット予約済み。もちろん行く。安倍なつみ舞台チケットも予約済み。いうまでもなく行く。

じゃあ何が違うのかというと、これまではいろいろあっても何とか気持ちをもり立てようとしてきた、ブログも何とか更新しようと義務感のようなものも感じてきた、娘。界隈を何とかもり立てたいという気持ちがあった。今はそういう義務感とか感じないようにしている。少しずつ気持ちが離れていくのなら、むしろそれでいい。

そして一番たぶん大きな変化。高橋愛のハロプロからの卒業を今は願っている。もう「ハロヲタ」どもに高橋愛のことは語ってもらいたくない。「卒業」しても粘着されるだろうが、それでも少しは離れてもくれるだろう。奴らの汚らわしい口で高橋愛のことは語ってもらいたくない。その思いが今は強い。

安倍なつみについてはもはや何ら変わることはない。もうだいぶ前から私の中で安倍なつみとハロプロは切り離されている。まだまだ一部「ハロヲタ」に粘着されているが、ノイズとして聞き流せるようになった。高橋愛については現状ノイズでは対処できていない。ノイズが大きすぎる。大きすぎるノイズはもはやノイズではなくて、言説本体を構成する重要な要素となる。だから私はハロヲタ言説一般を否定するしかない。

2010年02月19日

■ 続かない

続くと書いたけれども、あのエントリの続きを書くのは辞めます。

じゃあ、後このブログはどうするのか、というのは未定。

一点だけ、PerfumeでもAKBでも何でもいいけれど、グループでこれほどまでメンバー間のバッシングを際限なくやっている馬鹿なファンを抱えているのはモーニング娘。、ハロプロ以外にない、ということ、そのことをモーニング娘。「ファン」、ハロプロ「ファン」は真摯に考えなければならないと思う。

でも私はもう疲れた。嫌になった。1年ぐらい前からの様々なファン界隈の言動に疲弊してしまった。


「女が目立って なぜイケナイ」の紹介エントリを読んで反応し、CDを買ってみたいといって下さったはっちまん。さんには最後にお礼を。まあ購入にはいたらかなったみたいなのが残念ですが。いずれにせよ、こういうエントリをもっと書ければよかった。でも今は希望よりも絶望感の方が強くて、それができなかった。

2010年02月17日

■ 無題

ファンであるということ。あるグループ、ないし表現者が好きであるということ。それはイコールだろうか。そうかもしれない。しかしファンであるということにはそれ以外の意味が付加されるように思う。ファンとしての言動、それは「集団としてのファン」の言動の一部となる。そしてファン集団の言説の流れの中で、一人一人のファンの言動も解釈される。それは避けがたいことだ。

そういうことも含めて、ファンであるということはそのファン集団に対するある種の帰属意識、仲間意識のようなものも、多少なりとも醸成される。同じグループ、表現者を好きであるということ、趣味を同じくするものとして、相手に親しみを持ち、敬意を払い、そうしたものとしてファンであることをする。

それ故、ファンであるということはファン集団全体に対しても最低限の信頼がないと成り立ちがたいように思う。いくらあるグループ、表現者が好きであっても、そのファン集団への信頼が全く持てなくなったとき、そういう状態で私たちはファンであることがなお可能なのだろうか。

続く。

2010年01月25日

■ ハロショとヨドバシとメロン記念日と

昨日の購入品。

モーニング娘。41thシングル「気まぐれプリンセス」発売記念キャンペーン大阪心斎橋店イベント参加のために申込んだ写真を心斎橋店まで引き取りに行く。新曲の発売が迫っているのに今更感が漂うが、心斎橋まで行くのが億劫で今まで放置してきた。引取り期限が迫ってきたので意を決して赴く。

二度目の「ハロショ」。せっかくだからと店内を見てまわるが、やはり買うものがない。もうちょっとイベントDVDとかを気楽に買えるようにしてくれると嬉しいのだが。写真以外のグッズも多少は売っているようだが、高橋愛関連はことごとく品切れ。結局予約済みの写真を引き取ってきただけ。せっかくイベントで釣って二回も来店させたのに、支払った額は写真一枚分2000円のみ。もう二度と当選させてもらえないだろう。

ついでなので梅田ヨドバシに寄る。かつてなら日本橋電気街にいったところだが、今やすっかり「萌え」系が中心になってしまっているようで、あまり行く気がしない。ヨドバシもいい加減飽きているのだが、Thinkpad X100eがもしかしたら展示しているかもと淡い期待をいだいて。

そんなものは影も形もなく、そもそもThinkpadコーナー自体が絶滅しかかっていた。VAIO Xの新色シルバーをとりあえずチェック。ゴールドと比べると平凡。買うのならゴールドだ。

帰りの電車の中でふと思い出す。そういえばメロン記念日ライブの大阪公演のチケット発売日っていつだったか。慌てて確認すると前日の土曜日。早速プレイガイドサイトにいくとまだ2階席が残っていたので昼の部のチケットを確保。2階席がなければスルーするつもりだった。

というわけでエルダーコンがなかった分(?)、初めてのメロン記念日ライブ参加決定。これが今年初の現場となる予定。

2010年01月20日

■ 妄想話

「まっすぐな男」というドラマを見ている。このドラマ自体は割とどうでも良くて、その主題歌「ストレート」という曲がちょっと良くてクレジットを見てみたらトータス松本だった。

そういえば「ホカベン」というドラマもトータス松本の「涙をとどけて」が主題歌になっていて、かなり好きだった。

シャ乱Q・ウルフルズ時代はどっちがどうというのはなかったし、今でもつんくの演歌ロックは嫌いじゃないが、でもピンの歌い手としてはトータス松本の方が好きかなあ、と思ったりする。

ということで妄想。安倍なつみの曲、トータス松本に書いてはもらえないだろうか。安倍なつみはもともとそんなに演歌が似会う歌い手ではない。もっと正統なロックの方が合う。「微風」のようなのもいいけれど、ロックな安倍なつみも見てみたい。

さらに妄想。つんくの弟子筋の安倍なつみの曲をつんくのかつてのライバルトータス松本が提供、となると結構話題にもなるだろう。また話を持ちかけたら、そういうシャレ込みで引き受けてくれそうじゃないか。

ちなみに「ストレート」は2月10日発売らしい。娘。新曲「女が目立って なぜイケナイ」と同時じゃないか。勝手に妄想して、勝手に運命的なものを感じてしまった。

2010年01月13日

■ AYA blog

松浦亜弥のブログが更新されないことが話題になっている。ファンサイドからは不満の声もあるようで、代わりに(?)スタッフが更新したエントリには少し荒れ気味のコメントも。

私が安倍なつみブログに次いで更新チェックしているのがここなんだよな。おっ、今日もまた更新していない。おっ、今日はスタッフが更新か(笑)、みたいなノリで。結構楽しい。

だいたい「アメブロ」でブログやっているメンツは更新しすぎ。ひとつのエントリでいちいち一ページとるのもうざったい。アメブロのPV数を稼ぎたい思惑があまりに見え見えであまり愉快でない。松浦亜弥は潔い。更新したい気分の時しか更新しません!とても正しい。妙なプライベートもさらけ出さないし。

藤本美貴だってブログなんてやっても更新しない!って言っていたのに、あの更新頻度はなんだ、と思うとこちらは私にとっては少し裏切られた気分。松浦亜弥は期待通り。

あやや大好き。

■ twitter

twitterのほうをごちゃごちゃ書いているとこっちの更新意欲が一層減退する。それでは本末転倒だ。

ただこっちのシステムは本文のhtmlは手打ちで書いている(<p>ほか)から、つい面倒に感じてしまう。

またこっちにはあまりネガなことは書きたくない、というのもある。

もしハロプロの現状に問題があるとして、その「戦犯」を名指せと言われたら、私は文句なく「ヲタ」だと思う、そのことをつらつら考えている。私はある時点から自らを「ヲタ」と自称するのをやめた。「ヲタ」という自称には少なからず自嘲の響きがあり、それは一定好ましいものだと感じていた。しかし今や「ヲタ」たちはクレーマーとなった。自嘲のニュアンスは開き直りに転化した。

とまあ、そんな感じのことをtwitterにはメモがわりに書き散らしている。followしていただくのはありがたいし歓迎するけれども、twitter文化には沿わずにあくまでメモ帳がわりとして使っているだけなんで、一応そのつもりで。うっかりfollowして後悔したらすぐに外してください。いちいち気にしませんので。

とはいえ、本来の使い方の部分でも結構ありがたく感じていたりする。ずっと(ネット上で)音信不通だった方からフォローいただいて、あ、まだ見ていただいていたんだ、と気づいたり、とか。あと加護ちゃんのtwitterはなにげに楽しい。ブログはなんとなくもう見ていないけれど(今見ているのは安倍なつみと松浦亜弥ぐらい)、twitterのライブ感はこういう時にはなかなかだ。

2010年01月03日

■ ある裁判の記録4

長 ああ俺は愛ちゃんに恋してますよ。これが俺にとっての恋愛レボリューション2010さ、イエイ。

白井 壊れたか。

長 で?だからなんだっての?あややだって言ってるじゃん。「妄想の中だったら服をビリビリにしようが何しようが構わない」って。

黒田 で、君は愛ちゃんに何をしたんだ。

長 残念ながら特段のことは。そこまで若くねえし。妄想力ってのは歳とともに減退するものだ。ただ愛ちゃんを見ると胸がときめくだけさ。

黒田 いやいや。十分に「若い」よ、君は。十分に妄想的だし、十分にキモイ。

長 で?それでそのことがこの「裁判」となんの関係があるんだよ。

黒田 もう自白してしまっているじゃないか。恋している相手こそ君にとってのNo.1って事じゃないか。

長 いやいやいやいや。そこが根本的にちがってるんだよ。「恋」と「推し」とは別であっても全然おかしくないだろ?

白井 「推し」に「恋」する必要はないが、「恋」している相手がいればそれが「推し」になるのが普通だろ?

長 じゃあ、君の「推し」はリアル恋人かよ?

白井 君は高橋愛とリアルに付き合ってるわけじゃない。彼女の表現物を通じて彼女に「恋」したわけだ。それは表現者としての彼女への最高の思い入れであり、それが「一推し」にならないとしたら、「一推し」ってなんなんだって話だよ。

長 わかった。じゃあこういえばさすがにわからず屋の君たちにも理解出来るかな。俺は高橋愛の先に安倍なつみを見ているんだよ。高橋愛には安倍なつみのようなライブをやって欲しい。安倍なつみのような舞台に出て欲しい。安倍なつみが三文オペラで見せたようなパフォーマンスを見せて欲しい。俺はたしかに今は高橋愛を中心に見ているかもしれないけれど、俺はその中に宿る安倍なつみを見ているんだ。安倍なつみはスピノザ的神のごとく、高橋愛の中にも遍在している。そういうことだよ。


長 どうだ。ぐうの音も出ないだろう。


長 俺の圧倒的勝利だ。完全無罪だ。


長 黒田よ、もう降参しろ。さっさと起訴を取り下げろ。


長 白井くん、もう無罪判決しか下しようがないだろ。さっさと判決言い渡せ。


長 おい、黒田くん、白井くん、なんか返事しろよ。


長 おーい。


長 え?もう誰もいないの?この落とし前、どうつけてくれるんだよ。


長 オチはねえのかよ。


長 ここはどこ?俺の一推しは誰?


長 ・・・・・・・。


・・・・・・・

2010年01月02日

■ ある裁判の記録3

白井 続いて証人尋問を行います。検察官、どうぞ。

黒田 それでは証人に伺います。被告人の普段の頭の中の状態について教えてください。

長’ 「ハロプロ」のことを考えているときは、まず高橋愛のことを考えています。ライブなどイベントの前はそのイベント、及びその出演者のことを考えることが多いですが、例えば松浦亜弥コンサートの直前にも高橋愛のことを考えていたために、コンサートチケットを忘れるという失態を演じました。有り体に言うと寝ても覚めても愛ちゃんという状態です。

長 なんだよ、こいつ(笑)。なんで俺の頭の中の状態なんてことを勝手にしゃべってんだよ。適当なこと言ってんじゃねえよ。

黒田 証人は被告人の複製であり、被告人の頭の中をトレースすることができます。したがってその証言には十分な信憑性があります。

長 オカルトかよ!SFかよ!んなもん裁判物では反則に決まってんじゃねえか。

白井 異議を却下します。検察官は尋問を続けてください。

黒田 それでは被告人のエピソードについてもう少し伺います。握手会の後の被告人の状態はいかがでしたか。

長’ それはもう「キモイ」の一言です。とてつもなくだらしなく緩んだ顔をしていました。

長 いや、俺の頭の中に俺の顔の画像はねえだろ。もうその時点で捏造丸出しじゃん。

白井 異議を却下します。続けてください。

長’ もうあれは完全に恋そのものでした。擬似恋愛なんてものじゃありません。本気で高橋愛に恋していました。阿呆です。このようにキモイおっさんが高橋愛に恋するなんて犯罪です。有罪に決まっています。

長 いやいやいやいや。そもそも罪の内容が変わってるし。もうむちゃくちゃだろ。

黒田 以上、被告人の異常性は明確であり、その悪質さが十分立証されたものと検察官は考えます。

白井 被告人は最後に言っておきたいことはありますか。

長 最後も何も、最初から最後まで何もかもむちゃくちゃじゃねーか。

2010年01月01日

■ ある裁判の記録2

白井 それでは続いて証拠調べに入ります。検察官、どうぞ。

黒田 はい。2009年MVPを決定する際にも、被告人はほとんどなんの迷いもなく高橋愛を指名しており、またそれに至る振り返りでも高橋愛への言及量は安倍なつみを圧倒しております。

長 いやいやいやいや。2009年の活動振り返りでしょ?活動量に合わせて言及してるだけじゃん。しゃーないやん。

黒田 また2009年の全エントリにおいて「高橋愛」に言及したエントリ数85、「安倍なつみ」に言及したエントリ数77となっており、「高橋愛」が「安倍なつみ」を圧倒しております。

長 いやいやいやいや。言うほど差、ないやん。それにこれも活動量にある程度比例するのはしゃーない。

黒田 活動量とは無関係に被告人が「高橋愛」への言及をしている証拠として「Word2007でのマウス操作」なるエントリを提示いたします。ご覧のとおり、なんの脈絡もないところで唐突に「高橋愛」に言及しており、被告人の頭の中がいかに高橋愛でいっぱいかが明確であります。

長 いやいやいやいや。あれはギャグだから。mixiあたりで検索かけているとあんなふうにほんとになんの脈絡もなしに「高橋愛カワイイ」とか書いてる日記が見つかるんだよ。それをパロってみただけだし。

黒田 それでは決定的な物的証拠を提示いたします。下グラフをご覧ください。

2009年度メンバー別支出比率<br />安倍なつみ25%、モーニング娘。40%、高橋愛16%

黒田 本グラフは2009年度のメンバー別支出比率を示したものです。

長 個人名ではなっちが一番じゃん。

黒田 モーニング娘。と高橋愛を合算した金額は安倍なつみを圧倒しています。

長 いやいや。モーニング娘。はモーニング娘。だから(笑)。

黒田 被告人は以前より「高橋愛がステージにいる時間はほとんど高橋愛しか見ていない」などと述べており、「モーニング娘。」に対する支払いの9割が高橋愛個人への支払いとみなすことができます。

長 なんなんだよ、その意味不明な想定は。だいたいこのグラフ、交通費が入ってないじゃないか。交通費は6割以上が「安倍なつみ」のためのものだよ。

黒田 交通費は事務所が儲からないから関係ない。

長 いやいやいやいや。それこそ関係ないじゃん。俺の心の問題でしょ?俺はなっちを見たくて多額の交通費を掛けてるの。娘。に比べて現場数が少ないから、東京でも山梨でも行くの。

黒田 裁判長!それでは証人として長’氏を申請いたしますので、採用の上、証人尋問の許可をお願いいたします。

白井 長’氏を証人として採用し、尋問を許可します。

長 誰だよ?

■ ある裁判の記録1

長 明けましておめでとう!ってまだこのモードでやるの?そろそろ家かえって屠蘇飲みたいんだけど。

黒田 証拠はすべて揃ったな。

白井 うむ、完璧だ。

長 は?

白井 これより長被告人の偽証罪について、審議を行います。被告人は前に出なさい。

長 はあ?

白井 それでは黒田検察官、冒頭陳述をどうぞ。

黒田 はい。被告人はすでに「推し替え」を済ませており、一推しは高橋愛になっているにもかかわらず、以前一推しは安倍なつみであると虚偽の証言を行い、本サイトの読者を欺き、自身の立場を隠蔽し続けています。これは立場性・当事者性を重んじる被告人の普段の立場・言動からして、明確な読者への裏切り行為であり、許されることではありません。検察官は証拠によって被告人の証言の虚偽を暴き、その罪を立証しようとするものであります。

長 なんだよ!誰が「推し」かなんて俺の心の中のことじゃないか。なんで他人から嘘だとか言われなければならんのだ!だいたい裁判ごっこをするにしても弁護人もいないじゃないか。不当だ!

白井 当法廷には弁護人はつきません。異議は却下します。それでは検察官、続きをどうぞ。

長 むちゃくちゃやがな!

黒田 黙りなさい。証拠はばっちり揃っているから、観念して黙って聞きなさい。

長 不当裁判だ!不当裁判だ!

■ ハロプロ大賞2009 MVP

白井 あ〜あ、結局年明けてんじゃん。

長 2007年も年越したから問題ない。

黒田 さあ、ここから安倍なつみ・高橋愛大賞の面目躍如だな(笑)。

白井 というかマジで「現場部門」に入ってからちょっと偏向しすぎてないか?楽曲部門でメロン記念日と前田有紀、Hangry&Angry、テレビ部門で道重さゆみの名前が出た以外、ほとんど二人の話しかしてない。

長 これもエルダークラブ、ハロプロ「卒業」の弊害だな。

白井 なに責任転嫁してんだよ。単に君の視野が狭まっただけだよ。

黒田 なんか妙に怒りっぽくもなってるし。

長 いや、俺は2008年よりは2009年の方がずっと楽しかったよ。曲もたくさん出たし、テレビも沢山見られたし。

白井 じゃあまあ2009年を振り返りながら、MVPとやらをまったりと考えてみるか?

長 2009年は予算もろもろの関係とかもあって、本当に安倍なつみ・高橋愛、モーニング娘。に特化しようと思っていたんだ。その意味では逆に誤算だったのはほぼ見限りつつあったメロン記念日のシングルリリース連発。ライブにはもともと行きづらかったし、メディア露出も極小だから、これがなきゃ、本当に終わっていた。でもこのシングルがかなりの好曲連発。まあ金銭的には全部買っても知れてるしね。

白井 そしてバラエティ番組では道重さゆみの大活躍。

長 正月早々にかましてくれたからねえ(笑)。娘。現メンバーがこれだけ活躍してくれているのが痛快というか、嬉しくて仕方がない。さっきから安倍なつみ・高橋愛大賞って皮肉られてるけど、少なくともモーニング娘。の名は入れておいて欲しいね。娘。自体は見限る予定は当面全くない。

黒田 高橋愛が卒業しても?

長 そんな先のことはわからない。

黒田 逃げたな(笑)。

長 さあ、じゃあそろそろ個人賞の選考でも始めるか。

黒田 そんなこと言ったってここまでの過程を見れば安倍なつみ、高橋愛にせいぜい道重さゆみぐらいしかまともに候補いないじゃん。どうやって三賞とか出すんだよ。

長 じゃあ、今回は個人賞はやめる?俺はそれでもいいよ。

白井 いや、MVPだけは決めよう。

長 そうか、じゃあ意見を出してくれ。

黒田 いや、君が決めてくれ。俺たちは異存は唱えない。

長 あ、そうなの?じゃあ・・・。なっちは「三文オペラ」はでかいんだよなあ。。。でも秋以降の活動がぱったりだったし、愛ちゃんは「Q.E.D.」主演もあったし、ディナーショーの「Stuck」が最高に良かったし、今年一年ということでは 、んー、やっぱ高橋愛、かな。

黒田 ファイナルアンサー?

長 うん、決定!

MVP 高橋愛

■ ハロプロ大賞2009 歌唱・パフォーマンス

  • Stuck 高橋愛 モーニング娘。プレゼンツ高橋愛・新垣里沙プレミアム サマーディナーショー
  • 夢から醒めて 高橋愛 モーニング娘。コンサートツアー2009春〜プラチナ9DISCO〜 福井フェニックスホール
  • 情熱のキスを一つ 高橋愛 モーニング娘。コンサートツアー2009春〜プラチナ9DISCO〜 福井フェニックスホール
  • 空 LIFE GOES ON 安倍なつみ Summer live tour2009〜やっぱりスニーカーが好き〜 河口湖ステラホール
  • 微風 安倍なつみ Summer live tour2009〜やっぱりスニーカーが好き〜 河口湖ステラホール
  • 愛ひとひら 安倍なつみ プレミアムライブ〜春の微風〜 浜松Space-K
  • 海賊ジェニー 安倍なつみ 三文オペラ

白井 ん?順位がついていない。。。

黒田 日和ったか(笑)。

長 どうしても順位がつけられんかった。

黒田 まあ、いつの間にか年も明けてるしねえ。いい加減さっさと終わらそうとしているんでしょ?

長 Stuck。とりあえずこれ。これまではずっと「アイドルグループ」メンバーとして、いわば与えられた課題に応えることが第一に求められてきた事が多かったと思うんだけれど、この曲に関しては高橋愛自身が表現したいものを第一に表現したように感じられた。こういうのを見たかったんだよ、と。愛ちゃんが普段見聞きしていて、そうしたいと思ったことを最大限やらせてもらった、と。これがもうたまらなくキュートでエロティックで、よかった。まあ愛ちゃんの自己認識ではもっと大人びてセクシーなんだろうと思うけど(笑)。

黒田 まあ勝手な妄想を膨らますことよ。

長 「夢から醒めて」と「情熱のキスを一つ」はこれまで語ってきたとおり。清楚さとエロさのコントラストが、いい。おまけに福井公演の「夢から醒めて」はファンからのサイリウム祭りのおまけがついているし、愛ちゃん自身の思いものっているしで、シチュエーションからして最高。

黒田 どちらかというと君の思い入れの問題で、パフォーマンスとはあまり関係ないかな。

長 いやいや、シチュエーションで歌い手の気持ちがのってパフォーマンスがさらに良くなることはあるさ。なっちの「空 LIFE GOES ON」、これも野外会場だから、「空」が視野に広がって、これまたいい。

白井 バンド編成も特に豪華だしね。この曲に関してはいろんな楽器がだんだんと幾重にも重なっていく感じがとくにいいので、この公演はたしかに良かった。

長 「微風」は前にもいったとおり、なかなかの難曲なのね。昨年末に元X-JapanのTOSHIさんが苦戦したぐらいに。そんな難曲を冒頭に持ってくるという正直ちょっと無理のあるセットリストになっていて、そこはちょっと微妙だったんだけど、ようやくモノになってきたかな、という感じ。ただしこの曲はまだまだ良くなるよ。

白井 「愛ひとひら」はそもそも披露されること自体が貴重だね。

長 安倍さんは一方で渋い声も持っていて、この曲はそっちの安倍なつみが堪能出来る曲。こっちの安倍なつみももっともっと見たい。

白井 そして三文オペラのソロ曲か。

長 これはDVDにもCDにもなっていないから、本来的には見に行った人の頭の中だけにある音源。この安倍なつみはライブのどの曲でもまた見られない安倍なつみ。ある意味一番「ロック」な安倍なつみかもしれない。こういう曲を歌手安倍なつみとしてだけで歌う機会はなかなかないだろうから、ミュージカルに出てくれるというのも歌手安倍なつみを堪能するという点からしてもとても有難いこと。「Stuck」のエロさを安倍なつみは表現できないと思うけれど、この「海賊ジェニー」のド迫力なコケティッシュさ(文字で書いても意味不明)は高橋愛には表現できない。このド迫力というのは例えば人を包丁で刺せる狂気を表現できるようなもの。なっち天使!転じてなっち悪魔!になったわけだ。これは表現者としてはひとつ突き抜けた部分だと思う。

黒田 この部門、去年よりもエントリが少ないけど、早く終わりたいだけか?

長 何をおっしゃいますやら。本来なら去年よりも明らかに上積みのあった部分だけを取り上げたかったんだよ。それなら「Stuck」と「海賊ジェニー」だけが残るんだけどね。ただどうしても切りきれなかった部分が後の曲。

黒田 なんか今年は妙に真面目だな。。。熱でもあるのか。

長 俺はいつだって真面目さ。エロティシズムもいたって真面目に探求している。

2009年12月31日

■ ハロプロ大賞2009 ライブなどII

  1. モーニング娘。コンサートツアー2009春〜プラチナ9DISCO〜 福井フェニックスホール 3/29
  2. モーニング娘。プレゼンツ高橋愛・新垣里沙プレミアム サマーディナーショー ホテルリーガロイヤル 8/30
  3. 安倍なつみ Summer live tour2009〜やっぱりスニーカーが好き〜 河口湖ステラホール 8/8
  4. 安倍なつみプレミアムライブ〜春の微風〜 浜松Space-K 2/7
  5. 高橋愛、光井愛佳「Happy Mania × Perte wedding」公開生放送 大津パルコ 8/15 無料

長 さっきの振り返りをもとに順位付け。

黒田 ああ、こうなりましたか。

長 愛ちゃん凱旋はねえ、やっぱりいろいろな意味でたまらなかった。安倍さんの北海道公演も行ければすごくいいんだろうなあ、って思うんだけど関西圏から行くには福井と北海道ではお金も時間も違いすぎて。

白井 凱旋公演ってそんなに違いますかね。

長 そりゃ違いますよ。なんか空気全体に高橋愛を感じられる気がするのよ。もうなんというか、愛ちゃんの胸に抱かれているかのような。。。

黒田 キモイわ。

長 ライブ自体も「夢から醒めて」の清楚な愛ちゃんと「情熱のキスを一つ」のちょいエロで迫力ある愛ちゃんという昨年のリゾナントライブと同様のコントラストが見られて、良かった。

白井 次が愛垣のディナーショーか。

長 これはとれた席の場所も良かったし、なによりこれまでで最高の高橋愛のパフォーマンスを見られたもので。まあ詳しくはパフォーマンス部門でしゃべるけど。

白井 パフォーマンス部門なんてやる時間、あるのかね。もうすぐ年があけるよ。

長 年が明けてもやる。絶対にやる。

白井 で、ようやくなっちか。。。

長 いや、でも河口湖公演は本当によかった。会場も良かったし、安倍なつみのパフォーマンスもステージさばきもとても良かった。冒頭の「微風」に始まり、ラスト前の「空LIFE GOES ON」。ツボを抑えた構成だった。そして追加曲に「愛しき人」。花火打ち上げ。あるべきところにあるべきものがきっちりはまっている感じ。

黒田 ただあまりにスペシャル過ぎて他公演との差が出すぎって声もあったけどね。

長 ツアーラストを通常通り終わらせれば文句が出、スペシャルにやれば文句が出。まあ何をやっても文句いう人は出てくるさ。

白井 続いても安倍なつみ。春のプレミアムライブ。

黒田 通常よりチケット代が高くて、公演時間は短い。「プレミアム」と銘打つだけのことはある。

長 まあそのへんはファン側の足元を見られている気がしなくもないけど。動員数が少なくていいから、熱心なファンだけがくればいいや、というような。それはともかく、名曲「微風」を生で聞ける最初の機会なんだから、こっちは必死にもなるさ。

白井 「微風」は名曲であると同時になかなか難曲でもあって、安倍さんも苦戦しているなあ、というのはあったかな。まあそういうのも含めてこの曲はずっと見守っていきたい感じだな。

長 あと「愛ひとひら」もまた絶対に生で聞きたい。安倍さんはこれだけ長く見ていても、まだまだもっと見たいと思わせるものがいっぱいある。

黒田 最後に無料イベントがランク入りかよ。

長 愛ちゃんとの握手が。

黒田 結局握手か。

長 ここは見逃してくれよ。

■ ハロプロ大賞2009 ライブなどI

長 まずはまったり一年を振り返ろうかな。

Hello!Project 2009 Winter エルダークラブ公演 大阪厚生年金会館 1/17昼
エルダークラブ全体がハロプロからの卒業ということで、最後のエルダークラブ公演。最後だから見られるだけ見ようという気持ちにはならずに、昼公演だけ。もうこの時点で「ハロプロ」という括りにはうんざりきていた。それでもライブ自体は古き良き「ハロプロ」、「10年愛」とか見たかった曲も見られたし、前田有紀、メロン記念日など直接見る機会があまりないメンバーのパフォーマンスも見られて満足。このライブが終わって、私の中でも確かに何かが終わったと思った。
Hello!Project 2009 Winter 決定!ハロプロ アワード'09 横浜アリーナ 2/1昼夜
ひたすら「セレモニー」を見るためにわざわざ横浜詣で。バックステージ席なんてところから、私の中で完全に終わった「ハロプロ」の最後を見届ける。中澤裕子に新ハロプロもよろしくと言われても、私の中ではそれを引き継ぐことはできないと思った。ただ娘。とOGとがひとつになった時の力だけは強く感じる。それだけに一斉「卒業」が一層馬鹿馬鹿しく思えた。
安倍なつみプレミアムライブ〜春の微風〜 浜松Space-K 2/7昼夜
小さな会場、やっとのことでとれたチケット。昨年の12月に出た新曲「微風」を生で聞くことを第一の楽しみとして。その「微風」の他に待望の「愛ひとひら」を生で見られていたく満足。時間は少し短かったけれど、本当に春のそよ風のようにささやかながら爽やかなライブだった。
「泣いちゃうかも」発売記念イベント 堂島リバーフォーラム 2/21 無料1回目
娘。としては2005年以来の新曲イベント当選。2005年時とは異なり、歌披露もある。普段のライブではやらないグダグダのコントはまあ、こんなもの。そしてまた2005年以来の高橋愛との握手。言葉を伝える余裕もなく、ただ高橋愛を感じる。
藤本美貴アコースティックライブ2009〜ミキティーズパーティ〜 都雅都雅 2/21夜
昨年に引き続き藤本美貴のアコースティックライブ。カバー中心だった昨年と異なり、今回はカバーとオリジナル曲をバランスよく配した。こぢんまりとした空間に待ったりした空気感、MCはちょっと内輪気味の裏話満載。これが今年最後のミキティライブになろうとは。
モーニング娘。コンサートツアー2009春〜プラチナ9DISCO〜 琵琶湖ホール 3/28昼
光井愛佳「凱旋」公演。会場はちょっと凝った作りで縦方向に客席を積み上げた感じ。ステージまでの距離は比較的近い。昨年秋の「リゾナントライブ」以降、底上げ著しい娘。のパフォーマンスを堪能する。最後は光井愛佳カラーである紫に染まる会場を見る。
モーニング娘。コンサートツアー2009春〜プラチナ9DISCO〜 福井フェニックスホール 3/29昼夜
高橋愛「凱旋」公演。サンダーバードで福井に赴く。会場はちょっと古い感じのホール。前日の琵琶湖とは一転してフラットな作り。ライブは地元客、高橋愛の知り合いらしき人も多く集い、アットホームな空間。「夢から醒めて」を通じて高橋愛の繊細な「心」に触れられたように感じられ、またその時に客が掲げた黄色いサイリウムの光でファンの思いを届けられたように感じた、そんな時間。当日から翌日の福井には高橋愛ファンの痕跡が残り(菓子ai売り切れ、ソースカツ丼屋にはファンらしき客の姿が多数など)、自分のその空間にいることが不思議な感じもしたり。
モーニング娘。コンサートツアー2009春〜プラチナ9DISCO〜 大阪厚生年金会館 5/6昼夜
安倍なつみの三文オペラの会場の隣で行われた公演。MCではその安倍なつみネタも飛び出す。福井公演の思い出に浸りながら、素晴らしかったライブツアーの、私にとって最後の公演を見守る。
安倍なつみ Summer live tour2009〜やっぱりスニーカーが好き〜 御堂会館 6/20昼夜
やや古臭い感じの会場、客も全体的にまったりした感じ。舞台で安倍なつみに興味を持ったと思しき「場違い」な雰囲気の客もいたり。少数のバンド編成、すこし意図の見えづらい選曲もあったが、締めるところはきっちり締められていた。
安倍なつみ Summer live tour2009〜やっぱりスニーカーが好き〜 東京厚生年金会館 8/1昼夜
他公演よりも会場が広く、予想通りバンド編成も変わる。前半のまったりライブと後半のノリの良いライブとのコントラストも明確で、ツアーの意図がようやくみえてきた。
安倍なつみ Summer live tour2009〜やっぱりスニーカーが好き〜 河口湖ステラホール 8/8
新幹線と在来線特急、富士急を乗り継いではるばる山梨まで。なるほどいかにも「自然」に囲まれたロケーション、そこに鎮座する野外ライブ会場。バンド編成はますます豪華になり、セットリストの意図もさらに鮮明に。見方によってはこの最終公演を目指して作られてきたツアーだったとも思える。野外会場を活かして最後には花火の打ち上げもあって、スペシャル感満載。安倍なつみのテンションも上々。帰りはまた在来線特急を乗り継いでの旅路、それもまたライブの思い出を飾る。
高橋愛、光井愛佳「Happy Mania × Perte wedding」公開生放送 大津パルコ 8/15 無料
きつい流しのない握手、初めて高橋愛に言葉を伝える。
モーニング娘。プレゼンツ高橋愛・新垣里沙プレミアム サマーディナーショー ホテルリーガロイヤル 8/30昼
普段のコンサートとはちがったこぢんまりした会場、その2列目。間近でモーニング娘。にいる時とはちがった愛垣のパフォーマンスを堪能する。高橋愛と新垣里沙の歌い手としての個性の違いを満喫。
「なんちゃって恋愛」発売記念イベント Zepp名古屋 9/7 無料1回目
40th記念ということで、10thシングル、20thシングル、30thシングルとともに曲披露。通常のイベントよりも曲披露が多い。握手会は流しがきつく、ほぼ記憶が飛ぶ。
松浦亜弥 コンサートツアー2009秋〜想いあふれて〜 NHK大阪ホール 9/12昼
とても綺麗な会場、客層もファミリー層が多く、全体的に華やいだ雰囲気。アイドル松浦亜弥を見ようというのが客の期待とも見える。それに合わせたようにアイドル時代の名曲をおりまぜたセットリスト。ライブツアー休止前の集大成という位置づけということはよく理解できた。私個人はとりあえず松浦亜弥ライブ最後のお見送り。
モーニング娘。コンサートツアー2009秋〜ナインスマイル〜 神戸国際ホール 9/23昼夜
こちらも綺麗な会場、交通の便もいい。客層は少しがさつな雰囲気。3階席は閉鎖と少し寂しい客入り。久住小春ラストツアーがツアー初日に発表されたが、この時にはすでに客側も平静を取り戻しており、小春の自由さと相まってそうした特別感は特に感じさせられなかった。少し緊張感を漂わせていた前ツアーとは異なり、今回は明るさ、楽しさが全面に出たツアー。
高橋愛・久住小春 大阪心斎橋店イベント 御堂会館 11/6 無料2回目
いわゆる「ハロショイベ」。歌披露などはなく、トークショー。まったりグダグダのトークをひたすら聞く。高橋愛・久住小春ともリラックスした雰囲気で、普段の二人の様子が垣間見られたようにも思えたり。ひとり語りはグダグダなのに、後輩をフォローする役どころになると急にしっかりする高橋愛。
「気まぐれプリンセス」発売記念イベント Zepp大阪 11/25 無料
客のリクエストに答えて、急遽曲披露するという企画イベント。5,6期は流石にどんな曲でもそこそこ対応出来る。こちらもかなりしっかりした高橋愛を見られる。しかしコントコーナーではいつものシャイでぐだぐだな高橋愛になる。
モーニング娘。コンサートツアー2009秋〜ナインスマイル〜 神戸国際ホール 11/29昼夜
関西での久住小春ラスト公演。でもあいかわらずそういう雰囲気はなく、自由にのびのびとした小春。客は三階席までしっかり入り、大盛り上がり。普通に楽しく、普通に盛り上がり、娘。一行は最後の東京ラスト公演へ。私は娘。としての小春を本公演で見届ける。

黒田 長っ。

■ ハロプロ大賞2009 舞台

  1. 三文オペラ 大阪厚生年金会館芸術ホール 5/5
  2. 三文オペラ 大阪厚生年金会館芸術ホール 5/9

黒田 え〜と、なんですか、これは?

長 しゃーないじゃん。舞台関係は殆ど関東圏でしかやってないんだから、こんなものでしょ?まあ、石川梨華が出演していた「オペラ・ド・マランドロ」は見られればよかったんだけど。

白井 あれは安倍さんが出ていた「三文オペラ」の姉妹版だから、両方を見ておけばまたいろいろ広がるものもあったんだけどねえ。

長 どちらも劇中劇をモチーフにした作りだが、ブレヒトの「三文オペラ」の方がそれをラディカルに突き詰めているんだよな。

黒田 ほお?

長 どちらもブルジョワオペラの予定調和な世界の作り方を皮肉っているのは同じ、これが基本にある。

白井 で?

長 「オペラ・ド・マランドロ」のほうは「劇中劇」・「劇(劇中劇を見る、演じる人たち)」・「観客」の三層構成になっていて、ブルジョワオペラを「模倣」する「ならず者」の姿(「劇」の世界)を通じて「観客」はその皮肉を受取る。そこではブルジョワオペラの滑稽さは観察対象として*ある*。

黒田 はあ。

長 ブレヒト劇の方は「劇中劇」・「観客」の二層構成にしてしまった。間の「劇」をすっ飛ばしてしまう。それにより「観客」の「劇中劇」の世界への関与をより強固なものにした。観客自身がブルジョワオペラ的滑稽さの「当事者」として名指しされるわけだ。話の辻褄としては、「劇」が「劇中劇」を反転させるというストーリーのほうが綺麗に「落ち」て、全体としてなめらかに流れるけれども、ブレヒトはあえてその滑らかさを断ち切り、強引で不条理なストーリーに仕立て上げた、と。だから多分「オペラ・ド・マランドロ」のほうを先に見てからブレヒトを見た方が、ブレヒトの意図は伝わりやすかったように思う。まあ「オペラ・ド・マランドロ」のほうを見ずに語っているので、説得力は0なんだけどね。

黒田 ただのエロオヤジのくせに語るねえ(笑)。

長 悪いが、なっちがらみでは俺はエロオヤジじゃないんで。愛ちゃん、愛ちゃん。

白井 愛ちゃん(涙)。

長 またこういうラディカルな結末をキティちゃんでさらにエキセントリックな演出をした宮本亜門はやっぱすごいと思ったね。そしてこういうちょっと人を食った作りの舞台に安倍さんの演技もしっかりあっていた。頭のネジが何本か抜けたヘラヘラしたキャラの中に潜む図太さ。歌もド迫力だった。安倍さんもやっぱすごいよ。

白井 そういえば安倍さん、ようやく来年の仕事として「リトルショップ・オブ・ホラーズ」が発表されたね。あまり何も出てこないからちょっと心配だったので安心した。関西公演もあるし、良かった、良かった。

■ ハロプロ大賞2009 PV

長 娘。はライブ映像の方が断然いいんで、こちらもあまり力が入らない。それほど決定的な順位の差があるわけでもないし。しいて言えばドラマ仕立ての「しょうがない」とアニメ仕立ての「3、2、1」が「変化」という点で上位にしたくなるぐらいかな。

黒田 そう言いながらなんで「気まぐれ」が一位なんだよ。

長 「気まぐれプリンセス」のあの衣装、お尻に空いたあの穴、あれってほんとに「中」が素通しなんだろうか。「音楽戦士」では愛ちゃんのかなりきわどい部分まで見えているようだけど、下に肌色のものを履いているだけなのか、素肌が見えているのか。気になって夜も寝られない。

白井 それにつられて一位かよ。しょーもな。はい、次いこ、次。

■ ハロプロ大賞2009 シングル

長 ここはカップリングとの足し算というだけの評価だな。正直力は入っていない。ついでにカップリングのないメロン関係は除外。

白井 「しょうがない」はカップリングの「3、2、1 BREAKIN’OUT! 」がロスのアニメエキスポのテーマソングに選ばれただけあって、力も入っているし、曲調も両極でかなりお得な感じ。二つの娘。を同時に見られるという。

長 「なんちゃって恋愛」は通常バージョン、カップリングが「秋麗」のほう。40th記念盤の「すべては愛の力」よりも断然こっちの方がいい。

黒田 「秋麗」が田中麗奈の「麗」を、「愛の力」は高橋愛の「愛」を採ったという説があったけど、どうなんだろうねえ。

長 出来すぎの話だな。「ケンチャナ」はカップリングとともに、いい。

黒田 娘。の曲が演歌過ぎるって批判に反発してたけど、手前が演歌好きなんじゃないか。そりゃ演歌が嫌いな人とは話があわないわ(笑)。

■ ハロプロ大賞2009 アルバム

  1. プラチナ9DISC モーニング娘。
  2. 想いあふれて 松浦亜弥
  3. Sadistic Dance Hangry & Angry
  4. チャンプル1〜ハッピーマリッジソングカバー集〜 ハロー!プロジェクト

番外

黒田 例年盛り上がらない部門だな(笑)。2007年を最後にだめだな、この部門は。

長 カップリングコレクションは新曲が一曲もない時点で、新アルバムとしての評価はしづらいので選外ってことで。

黒田 未だにCDの封も開けてないしな(笑)。

長 二位と三位の順位はかなり適当。その時々で入れ替わるかもしれない。Sadistic Danceはどの曲を聞いても、ああ「ハンアンだ」と思う一貫した音作りがいいっちゃあいいし、ちょっとつまらない部分でもある。でも平均値は高いね。楽曲賞でもこのアルバムからはどれを代表としても良かった。あややのは地味なアルバムなんだけど、一曲一曲はなにげに心にしみる。「きずな」以外は全部いいね。

白井 余計なことを。

黒田 チャンプル1なんて全曲聞いてねえじゃん。全14曲中5曲しか聞いてないのにアルバム賞の対象なのかよ。

長 だから上位にはできないけれど、高橋愛の「秋桜」、ガキカメの「守ってあげたい」、リンリンの「For You・・・」はとても良かった。

白井 れいなの「部屋とYシャツと私」は?

長 個人的にれいなにはもっと疾走感のある曲が合うと思ってるので、この曲はいまいちだったかな。

白井 一位が娘。か。まあ、しょうがないかな。

長 既発のシングルが多くて、新曲が微妙に少ないんだけどね。また小グループやソロで歌ってる曲も入っているから純粋な娘。の新曲がSONGSしかない。そのへんはちょっとどうかとも思うけれど、何曲かいい曲が入っているし、なんといっても素晴らしかったコンサートツアープラチナ9DISCOの下敷きになったアルバムだからね。

黒田 なんとなく最初から結論ありきの順位付けだなあ。娘。の新オリジナルアルバムってだけで一位確定、みたいな。

長 そんなことはないさ。なっちがアルバムを出していたら結果はわからなかったよ。

黒田 な?「安倍なつみ・高橋愛大賞」だろ?

2009年12月30日

■ ハロプロ大賞2009 楽曲

  1. 情熱のキスを一つ 高橋愛, 新垣里沙, 田中れいな 「プラチナ9DISC」
  2. Don't say Good-bye メロン記念日×BEAT CRUSADERS 「Don't say Good-bye」
  3. ソウルの雨 前田有紀 「ケンチャナ」
  4. しょうがない 夢追い人 モーニング娘。 「しょうがない 夢追い人」
  5. 中央改札口 松浦亜弥  「想いあふれて」
  6. Sadistic Dance HANGRY & ANGRY 「Sadistic Dance」
  7. DISTNY LOVE(初CD化音源) High King 「プッチベスト10」

番外

白井 序盤の山場。去年よりも対象曲も増えたし、選考もむつかしかった。

黒田 一応「ハロプロ」と冠するだけあってそこそこ幅広くみられているかな、ってなっちの曲がない!なして?どして?

長 だって今年曲だしてないじゃない。

黒田 他のサイトさんでやってるのには安倍さんの曲がちょろちょろ触れられているんだけど。

長 ほかは11月締めだけど、うちのサイトは12月29日締めだから。去年の12月に出た「微風」ほかが去年の曲という扱いなんだよね。

黒田 それでなっちの曲が今年なくなる、ってのは結果的に失敗だったな。

長 そんな事言われても。有馬記念の結果を見ずに年度代表馬選んでも興ざめでしょ?まあ他は集計の関係でああなってるんだけど、うちは全国1人の投票結果をもとにした極度に公正な審査をやっているのにぎりぎり間に合わせている!これはすごいことなんだよ。

黒田 全然すごくねーし。というか今日発売のメロン記念日の曲はきちんと聞いたのかね。

長 しーっ。そこは触れてはダメ。

黒田 なんかグダグダだな。

白井 一位は「情熱のキスを一つ」。例によって微妙なところでくるなあ。

長 歌唱力上位の高橋愛、新垣里沙、田中れいなが歌っているから、安心して聞ける。ガキさんとれいなの声質が対照的で、それを愛ちゃんの落ち着いた声がまとめる。複数メンバーで歌う、ってことの価値がきちんと出ている。そしてなによりも愛ちゃんのフェイク、これだけで一位。iTunesならぬx-アプリの再生回数でも断トツ。

黒田 楽曲の質としては残念ながら去年の「微風」には遠く及ばないけどね。

白井 二位がメロン記念日。「ハロプロ」大賞らしくなってきたじゃん。

長 だろ?何が安倍なつみ・高橋愛大賞だよ。純然たる楽曲としての評価ならこっちが一位かも。ただ愛ちゃんのフェイクが。。。

白井 曲もいいし、歌唱もメロン記念日の良さがばっちり出ている。たしかに楽曲賞として恥ない作品だ。つーか、こっちが一位でよかったんじゃない?

長 だから愛ちゃんのフェイクが。

黒田 三位に前田有紀「ソウルの雨」。これが入るってスゲーな(笑)。この曲、いったい日本全国何人が聞いたんだよって。せめて横浜アリーナ1万人が聞いた「ケンチャナ」にすればいいのに。

長 そこをあえてキャッチーじゃない「ソウルの雨」を推すのが味だな。地味だけど物悲しいメロディーで、前田さんの透明感溢れる歌声が胸にしみる。

白井 モーニング娘。名義最上位は「しょうがない 夢追い人」。

長 演歌だなんだといわれたけど、まあ、演歌だよな。

黒田 「ソウルの雨」を上位に持ってくるぐらい演歌が好きなんだから、まあ、しょうがない。

白井 あややからは「中央改札口」。これも演歌っちゃあ演歌だな(笑)。

長 HANGRY & ANGRYは演歌じゃないぞ。昨年に引き続き「型」がきっちり出来上がってる。

黒田 HighKingの「Destiny Love(初CD化音源)」のカッコはなんだ?

長 配信で買ったら曲名がこうなってた。あえて修正せずにそのままにしている。後悔はしていない。

白井 この曲ってそんなに褒めてたっけ?

長 冒頭の「あなたから切り出した、その言葉ほんとに信じていいのかな」、ここの歌い方が普段の愛ちゃんと違ってちょっと甘えた、なんともいえない雰囲気が出ていて、やられた。

黒田 愛ちゃん、愛ちゃんって。だいたい「楽曲」に対する評価じゃないじゃん。

白井 番外ってのは?

長 歌い手がなるべく重ならないように選別したので、本来なら上位入りするはずだった曲を挙げてみた。「なんちゃって恋愛」、これもかなり好き。アレンジもいい。でも「しょうがない」の演歌にやられた。

白井 メロン記念日はこっちの方が「演歌」っぽいかな。まあ70年代ニューミュージックってやつ?狙い通りにはまってるね。

長 あややのもう一曲は「チョコレート魂」のカップリング。

黒田 また微妙なほうを選ぶねえ。

長 明るい曲調をあややが明るく歌ってるのに実は悲しい曲。結構いいと思うんだけど、ほとんど触れられているのを読んだことがない。

黒田 そして最後にボーノ!買ってたのかよ。

長 この曲だけ配信でね。これはもう曲がいいね。歌詞とメロディーの作り出す世界が実に初々しく、儚く、悲しい。冒頭「言葉にしたら壊れそうで怖くて」、もうここから泣かせる。これはアイドルソングとしてかなりの名曲。センターで歌っている夏焼雅もいいんだけど、この子にはちょっとした恨みがあってね。。。

白井 ん?何があったんだ?

長 もう5-6年以上前になるかなあ。ネット上でやたらと「雅、雅」って書き込みがあふれたことがあった。

白井 その頃から人気が出だしたわけか。

長 俺はキターって思ったね。ついに時代が来た!と。

黒田 ほお。

長 ついに大谷雅恵の時代が来たって喜んだのさ。そしたら。。。

白井 はーい、解散、解散。

■ ハロプロ大賞2009 テレビ番組

  1. Q.E.D. 証明終了 NHK 高橋愛
  2. モーニング娘。アメリカ初上陸ライブ テレビ東京(9/5) モーニング娘。
  3. ふくい浪漫い〜ざぁええDay 福井テレビ(7/6, 7/13) 高橋愛
  4. コラボ☆ラボ〜夢の音楽工房〜 WowWow(1/27) モーニング娘。
  5. 世界の村で発見!こんなところに日本人 テレビ朝日(1/2) 安倍なつみ・矢口真里
  6. 英語でしゃべらナイト NHK(5/29) 高橋愛
  7. キズナ食堂SP TBS(7/18) 中澤裕子、安倍なつみ、辻希美、保田圭、矢口真里、飯田圭織、高橋愛、新垣里沙
  8. 音の素 日本テレビ(8/13) モーニング娘。(高橋愛、田中れいな、道重さゆみ、ジュンジュン)
  9. グータンヌーボ フジテレビ(10/28) 安倍なつみ
  10. おとなの学力検定SP小学校教科書クイズ!! 日本テレビ(1/3) 道重さゆみ
  11. ロンドンハーツ テレビ朝日(9/1) 道重さゆみ
  12. 土曜スタジオパーク あなたの声に答えます NHK(1/10) 高橋愛
  13. 浜ちゃんが! 日本テレビ(10/23) 新垣里沙・田中れいな
  14. AmebaStudia「久住小春卒業記念SP Part1」(10/28) 高橋愛、新垣里沙、亀井絵里、久住小春、ジュンジュン
  15. 金曜バラエティ「下町物語」 NHK(7/10) 安倍なつみ
  16. 東京フレンドパークII TBS(9/17) モーニング娘。、中澤裕子、矢口真里、吉澤ひとみ、辻希美
  17. 音楽戦士 日本テレビ(11/6) モーニング娘。
  18. グルニエ少年少女 西日本テレビ(11/19) 高橋愛、田中れいな
  19. しゃべくり007SP しゃべクリスマス 日本テレビ(12/21) モーニング娘。、中澤裕子、飯田圭織、保田圭、矢口真里、石川梨華、吉澤ひとみ

白井 去年こんな部門なかったよね?

黒田 今年になってテレビにで出したらいきなり新設かよ。現金なものだな(笑)。

長 今年は道重さんの活躍が目立ってるけど、それ以外でも結構出ているんだよね。挙げ出したらキリがないからこれでも結構絞り込んだ方。順位も結構適当。番組ごとにコメントしだしたらきりがないから、メンバーごとに。道重さゆみ。ロンドンハーツ二回目の出演での「極度に可愛い」と教科書クイズの「カイヤ」。なかなかすごい。おかげで「嫌いなタレント」なんてものにランクインしちゃったらしいけど。

白井 そういえば道重さん、ネットで自分の評を読むとか言ってたけど、どこを見ているんだろ?Googleで検索かけているのなら、うちのサイト、結構早くにヒットするんだよね。案外見られているかも。まあシニカルとアイロニカルの違いだとか、ワケ分かんないこと書いているから、見たとしてもすぐに次に行かれちゃってると思うけどね。

長 安倍なつみもちょろちょろ出てるんだけど、もう一押し出て欲しい感じかな。特に9月以降なんてテレビしかこっち的には露出なかったんだから。他のOGメンバーが出ているのに安倍さんだけ出てない、なんてこともあって、ちょっと残念だった。とりあえず年初めのアイスランド旅行記は良かった。それ以外もまずまずではあったけど。

白井 「オーラの泉」とか「ハートにつなごう」とか、順位に入れないんだ?

長 まあ過去の思い出話みたいなのよりも未来を語って欲しいよね。愛ちゃんは今年は最高に美味しかった。ドラマ主演はあるし、故郷福井帰省番組もあったし、好きな英語関連、宝塚関連もあったりで、なんともいい一年だった。年末も立て続けにテレビで見られたし。

白井 「モーニング娘。」としてのテレビ出演もいいのが多かったな。WowWowのコラボ☆ラボ、昨年末の安倍なつみに続いてモーニング娘。。こういうのを地上波でももっとやって欲しい。あとはロスのアニメエキスポでのライブ、これも永久保存版。

長 来年もこの調子でお願いしますよ、糞事務所様、ってことで(笑)。

■ ハロプロ大賞2009 バラエティDVD

  1. 高橋愛DVD「I.」
  2. モーニング娘。DVDマガジンvol.25「クイズ!ハロテン検定」
  3. モーニング娘。DVDマガジンvol.27「カレンダー撮影、2010年大胆予想」
  4. モーニング娘。DVDマガジンvol.23「メンバーひとり語り」
  5. モーニング娘。DVDマガジンvol.22「もんじゃ焼き」

白井 娘。DVDマガジンが強いな。

長 vol.25はリンリンの司会っぷりがなかなか。まあありきたりなクイズ番組仕立てなんだけど、普通に安心して見られる。vol.27は2010年大胆予想というコーナーがなかなか。愛ちゃん「ハロウィン大好きなの」。れいな「それは、なぜ?」。愛ちゃん「大好きなの」、とかまあそんな調子。vol.23、これは「愛ちゃん得意なひとり語り」 (道重さゆみ)の愛ちゃんのヘタレっぷりがなかなか。さゆやれいなにカバーしてもらってなんとかコーナー成立。後輩にあれやこれや気にかけてもらうリーダー。

黒田 なんかまた「愛ちゃん」ばっかだな。もうちょっとバランスよく語れんのか。

長 vol.22はいかにも娘。DVDマガジンらしい企画。もんじゃ焼きのへらを小春が隠して、それを他のメンバーが2チームに分かれてさがして競う、というもの。定番だな。

白井 一位は「I.」ね。ハワイの大学に体験入学して、英語で演技とかに挑戦する企画。

長 日程の関係で事前準備とかがあまりできなくて、非常にナイーブな感じになる。そういう感情の高ぶりもあってか、演技では大泣き。それを見た先生が「あなたはとてもエモーショナルな人です。それはとても大切な事です」とか誉めてくれるの。良いシーンだった。

黒田 いや、あなたが繰り返しみていたのはそこじゃないでしょ(笑)。

白井 ハワイで、写真集との連動物ときたら、まあね。

長 もうね、冒頭からね。どきどきしちゃうよね。どうしようかと思うよね。やっぱ静止画よりも動画だね。紐なんだよ。白いのもあるんだよ。制服ぽいのとか、着エロっぽいのとか、見えそうで見えないのとか、チクショーって感じだよね。

白井 えーと、なにいってんだかわかんないからこの辺でお開きで。

黒田 完全にただのエロオヤジだな。

白井 それよりなっちがいないんだけど。

黒田 唯一でたのが「癒し」。バラエティーとしての面白さはいまいちだったかな。つうか長さんは?

白井 「I.」を見ながらなにやらうわ言のようなことをしゃべり続けてる。

黒田 キモッ。

2009年12月29日

■ ハロプロ大賞2009 食賞

  1. ai 五月ヶ瀬
  2. 五月ヶ瀬煎餅 五月ヶ瀬
  3. モーニング娘。グミ(9スマイル グッズ)
  4. モーニング娘。チョコクランチ(プラチナ9Disco グッズ)
  5. モーニング娘。プレゼンツ 高橋愛・新垣里沙プレミアムサマーディナーショーディナー ホテルリーガロイヤル

黒田 なんだこりゃ?

長 aiは高橋愛ちゃんの名前をいただいて作られた福井の製菓会社のお菓子。もう名前だけで一位。チョコクリームを挟んだビスケット。普通においしい。福井でコンサートがあった日には街中からこの商品が消えたという。五月ヶ瀬はその製菓会社の製品で愛ちゃんおすすめの品。ピーナッツ煎餅って感じかな。後の二つはコンサート会場で売ってたジャンク菓子。おまけとしてメンバーの写真が入っている、というもので菓子自体がどうこういうものでもないけど、まあ食べられる。

白井 その下にホテルのディナーって(笑)。

長 ホテルでこんなもの食わすな!と。

2009年12月28日

■ ハロプロ大賞2009 写真集賞

白井 これだけ?

長 そう、これだけ。他は買ってない。というか他に誰が出しているかさえよく知らない。

黒田 で、エロオヤジ的にはこの作品はどうなのよ?

長 だからエロオヤジ言うな。それにこの作品はそんなにそっち目線では見てないし。

白井 じゃあどっち目線で見たんだよ(笑)。

長 いやあ、もうとにかく可愛いね。これまでの写真集の中でもトップクラスに可愛い。愛ちゃんが衣装選びにもかかわったとか言ってたと思うけど、そのへんが明らかにプラスに出ている。もう笑っちゃうぐらい可愛い。

黒田 水着は?水着は?

長 ぶっとい太ももがすげーな、と。なんというか、たくましいね。鍛えられてるというか。

黒田 もっと正直にエロ目線で語れよ。

長 なんでそんなこと強要されなければならんのか、意味分からん。まあすでにあらかた語っちゃってるんで、こんなものでいいでしょ?

■ ハロプロ大賞2009 開会の辞

長 ハロプロ大賞、今年も始めるよ!

白井 何だ、今年もやるのかよ。もうやらないのかと思ってた。

長 やるさ、やるに決まってるでしょ。

黒田 でももう名称変更した方が良くね?全然「ハロプロ」なんて括りで見られてないっしょ?

長 じゃあどう名称変更しろと?

黒田 安倍なつみ・高橋愛大賞。

白井 そりゃひどいね(笑)。

黒田 だってこれまでだって毎年MVPはこの二人の持ち回りなんだぜ?まして今年ときたら。

長 失礼な。今年はボーノの曲だってちゃんと聞いたんだから。

白井 そりゃすげー。というかそんな話し、今までに出たことあるっけ?

長 多分初めて。その曲のことを書こうと思ったときに、いろいろむかつくことがあったので更新をやめた。それでそのままお蔵入り。だから代わりにこの機会に、と。

黒田 で、最初に念のために聞いておくけど、あなたの一推しはだれ?

長 なっちだよ。

黒田 その言葉、しっかり覚えておくからな。後で吠え面掻くなよ。

長 なんでそんなに脅されるようなことを言われなきゃならんのだ。

白井 まあ、あとのお楽しみってことで。

2009年12月25日

■ 自己紹介あれこれ

番組として盛りだくさんすぎたので、もう少し引っ張る。

高橋愛ネタもう一点。

保田圭自己紹介のところで、やはりライブ様に盛り上げようと煽る保田さん。それを全員が黙殺して「シーン」。「え?なんで?」というのが「お約束」。もうハロプロ界隈では何百回となされ来た定番中の定番。1万人のライブ会場でやっても、客全員が一糸乱れずそろえられるほどの「お約束」。

なのに高橋さん、保田さんと一緒に手を振り上げ、盛り上がりかける。他がしら〜としているのを見て、「あ、そうだったんだ」とばかりにあわてて手を下ろす。うーん、これぞ高橋愛。圧倒的ではないか。

さて、自己紹介を現メンバー、OGメンバーが一通り行ったわけだが、この中で私が順位漬けをするなら。

  1. リンリン
  2. ジュンジュン
  3. 石川梨華

順位が付けられるのはここまで。

リンリン。誰かに入れ知恵でもしてもらったのか?というほどの出来。それならそれでそれを見事に演じきったというだけでも凄い。

「はい。しゃべくりがめちゃ好きでずっと本物の(MC陣の一人である)有田を見たかったリンリンです」。

先輩芸人を呼び捨て。しかもその時に指さす。二重に失礼。

敬称ぐらい付けろと注意されるのを黙殺してさらに話を続ける。

「有田が超ウケるんですよ!」。

再度「有田さんでしょ?」と突っ込まれると、「みんな有田って呼んでるじゃん!」。

日本語ネイティブじゃないという「特性」を生かして、見事に失礼キャラを貫く。

ジュンジュン。こちらはもっと天然。

「どこの方なの出身は?」。「中国です」。

「いつ来た?」。

「いつ?あの・・・、この前来ました」。

石川梨華。「あなたの、あなたの、あなたの、あなたの。あっゴメンなさい。あなただけの石川梨華です」。

石川さんはハロプロ内では「キショイ」キャラ。内的には見事にそのキャラを貫き、後ろのリンリンなど大爆笑。でもそのキャラは外にまでは届いていない。このキャラの未確立は自己紹介的には辛い(逆に言うとそのキャラが固まっているメンバーはそれだけ「下駄」をはいているということだ)。しかし石川さんの自己紹介は「アイドルの鏡」として、「キショイ」とは真逆の方向で絶賛。どっち向きにも突破できるだけの破壊力。これは凄い。

ランク外では田中れいな。ファンには定番の「おつかれいな」が大受け。これはフレーズの勝利。もうこの一言でバラエティでまくって目指せ!来年の流行語大賞!といって欲しいところ。

2009年12月24日

■ すべってこその高橋愛

「盛り上がってるかあ・・・。えっと、清く正しくをモットーにやってます。えっと、モーニング娘。リーダーやらしてもらってます、高橋愛です。えっと、好きな芸人さんは明石家さんまさんです」


どうもここのところ「ものを書く」ということに対する意欲が0状態。そんなわけでずっと放置。そうした中で放送された番組がモーニング娘。現メンバーとOGが出演したトーク番組「しゃべクリスマス」。視聴終わって早速感想を書こう!と思わないでもなかったけれども、執筆意欲0状態ゆえ、なんとなく日和ってネット上で感想をつらつら見ていたらしょうもないテキストを何本か読んでいよいよ更新意欲もうせた。

今日もまたつらつら感想を読む。ちなみに一番くだらないのは(2chを除くと)「ファンサイト」掲示板。Youtubeコメント欄はまだましなぐらい。一番まともなのはmixi。mixi自体は好きではないが、「モー娘。」あたりで検索かけると非ファンの日記が多くヒットし、これが中々まとも。メンバーの足を一番引っ張るのが「ファン」だといういつもの見慣れた風景。

とまあ、こうして自分が「ファン」ブログを更新するのもあほらしくなる中、一つのテキストに出会った。おお、まだこんなテキストの書き手がいたかと驚く。2000年ぐらいの娘。テキスト界隈ではよく見かけた雰囲気の文章。洒脱で、ちょっと意地悪な書きかたもしているけれども、対象への愛に貫かれている。「推しメン」にはつねに「最高!」と賛辞を送り、そうでないメンバーに対しては執拗に「戦犯」探しの視線を向ける、そんなくそったれな「ファン」テキスト界隈とは全く別物のテキスト。

あまりに素晴らしいので、そのテキストを紹介すれば、もう私は何も書く必要はないな、ということでまたまた更新意欲減少。

せめてそのテキストだけは紹介しようと思ったのだけれども、出来ない。なぜならそのテキストはmixi内のテキストだからだ。いかに「全体に公開」されていても、mixiという閉ざされたコミュニティサイトの文章をその外で引用したり、直接リンクを貼ったりは出来ない(私はしない)。がっかり。

ざっくり概要を説明すると、冒頭の高橋愛の自己紹介の華麗なる「すべり」具合を称揚したもの。そうなのですよ、これは芸術的ともいうべきすべりかたなのだ。かつてダウンタウンの松本人志をうならせた伝説のすべり芸が再び日の目を見たというのに、周りの突っ込みが甘すぎたので、半端なすべりになってしまった。まあそれでも相当なすべり方ではあったけれど。

もう道重さゆみなんて「やった!愛ちゃんだ!」てな具合で実に嬉しそうに笑っているのだけれどもいかんせん距離が遠かった。結局「内」の突っ込みは中澤裕子が担ったのだけれども、中澤さんはちょっと優しい。「なんでそれ?!」。それを受けて「外」の芸人一同も微妙なフォロー付きの突っ込み。惜しい、実に惜しい。

この自己紹介に入る前の振りで、単なる自己紹介ではなくてライブでやるような本気モードの自己紹介をしてもらおう、という話になる。そして「高橋愛届いてる〜?」という実にくさくて素晴らしい例が示される。

「自己紹介をする」という段階では余裕ありげだった高橋さんがとたんに不安丸出しに。道重さんは自分のほうは余裕綽々で、高橋さんが困っている様子を見て嬉しそうに手を叩く。もうここではすべることが期待されている。

だったら堂々とすべり芸を披露するのが形。たとえばこんなの。

「高橋愛届いてる〜?清く正しく美しくがモットー、リーダー、高橋愛です!好きなファイナルファンタジーのキャラはエドガーです!」。

例えばこんなのと比較して、高橋さんのしゃべりはここ彼処で「日和ってる」。ふりの「ぱくり」がないのはまあいいとして、「美しく」がない。この微妙な謙虚さ。口調の堅さはまあいいとして、決定的なのは「好きな芸人」。司会サイドが芸人だから、そっちのほうが接点があって良かろうという「配慮」。ここで何の脈絡もなければ、ほとんど食いつける人もいないゲームネタを出せば見事にすべれたものを。そして視聴者なりにゲームファンがいれば、「わかるわかる」と共感してもらえる。この二重においしいチャンスを逃し、「日和る」。

でもやはりこの日和った半端さこそが高橋愛のすべり芸なのだ。加入して、先輩におびえ、気を遣いまくりなのに、「空気が読めない」キャラを貫いた、まさに高橋愛そのものなのだ。いまや最年長リーダーとなっても、トーク場面となれば何かと後輩にフォローされ、「噛んでこその高橋愛」とまでいわれる高橋愛の面目躍如というべきところなのだ。

2009年11月05日

■ 娘。とともにある日常

大量にたまっている作業の一つがとりあえず終了。もうおくちゃったのでじたばたしても始まらない。その「質」に微妙に自己嫌悪を感じつつ、今の私はこれだけのもの。長年のブランクを克服できるか。そのチャンスはあるか。

お金目的のお仕事の方もだいぶん前進はしたが、まだまだ。なんだか一人で戦わされている感じがして、気合いが入らない。「組織」から逃げ回る人生を送っているが、こういうときに組織の強さを思い知る。

とりあえず明日は愛こは(高橋愛と久住小春)のトークイベントだ。どうも他会場の話を聞くと30分ぐらいのかなりあっさりしたイベントらしい。わざわざ仕事後に滋賀から大阪に駆けつけるほどのものか?と思わなくもないが、それでもとりあえず必死になってみせるのもオツなもの。そのイベントのついでか、逆かはわからないが、お二人は毎日放送の「ちちんぷいぷい」に出演するらしい。もちろんリアルタイムではみられないので、しっかり録画準備をする。

モーニング娘。新曲「気まぐれプリンセス」のPVも発売されているが、まだ買っていない。Amazonに注文しそびれてそのまま。明日大阪で買えるかな。そういえばイベントの応募もまだしていない。仕事が一段落ついたら、と思っていたが、なかなか。9日までなので、それまでに何とか仕事を片付けて、気分よく応募しよう。

2009年11月04日

■ 幸せってなんだっけ

モーニング娘。気まぐれプリンセス宣伝サイト。

こんなのがあるなんて全然知らなかった。せっかく作ったんだったら、もうちょっと宣伝したらいいのに。私のようなネット中毒系モー娘。ファンが知らないなんてありえないっしょ?と思っていたらmixiあたりで宣伝していたらしい。なかなかのできなので、是非ごらんあれ。

先日住基カードを引き取りにいく。思っていたよりもデザインから何からしっかりしたもの。これが手数料500円とは結構やすい感じ。

それでも私はその500円のほかにカードに貼るための写真代1200円、抽選番号をもらうための写真代2000円と結構な出費。というか、高橋愛がらみじゃなければ絶対住基カードも持たなかったし、「ハロショ」にいくこともなかったな。何だかなあ。まあ必死になれることがあるのは幸せなものだ。

2009年10月25日

■ ハロショ探訪

10年間ハロプロファンやってきて初めてハロショ(ハロー!プロジェクトオフィシャルショップ)に訪れる。

存在は知っていたけれど、写真ばっかり売っていると聞いていたので、あまり興味なかった。もちろん今回訪れることにしたのは「ハロー!プロジェクトオフィシャルショップ プレゼンツ『モーニング娘。41thシングル「気まぐれプリンセス」発売記念キャンペーン』!!ハロー!プロジェクトオフィシャルショップ大阪心斎橋店来店イベント」(長い)の抽選申し込みのため。ちなみにどこかの「卒メンファン」がこのイベントを称して「CD売り上げのために必死」とか見当違いのことを書いているのを見かけたけれど、このイベントCD売り上げには一枚も寄与しない。妙なネガキャンはやめてほしいと思ったり。

じゃあ何のためのイベントかというと、要するに「ハロショ」集客イベントでしょ。現にこれまで一回もいかなかった私がわざわざ行ったのだから。

地下鉄心斎橋で降りて、はて?と困る。場所がわからない。「ミューズホール」2階だと聞いていたので、簡単にわかると思っていた。何で「ミューズホール」だとわかるかというと、もちろん一回行ったことがあるから。でも考えてみたら前に行ったのって20年前!じゃないか。覚えているはずもなし。でもせっかくライブハウスに近接してショップを持っているんだからミューズホール自体も使えばいいのに、と思ったり。

ちなみに帰る際には地下鉄御堂筋線が人身事故のため、不通。四つ橋線が動いているというので、四つ橋線を求めて歩くと、なんとそこは大阪厚生年金会館に行くときに使っていた駅ではないか。そこそこ近いとは思っていたけれど、こんなに近いとはあまり思っていなかった。コンサート行くついでにハロショによるというのはそれなりに無理のない話なのね。まあもうすぐ厚生年金会館自体がなくなっちゃうので、そんな「発見」今更だけど。

店内。ひたすら写真。もっとコンサート会場発売のDVDとかFC発売のDVDとかもおけばいいのに、と思ったり。私は写真にあまり執着がないので(だから今まで行かなかったわけだが)、買うものもなく、イベント申し込みのための写真予約受付だけをする。その写真1枚2000円。まあCD一枚1000円で売るより儲かるわな。

店員「これだけでよろしいんですか?」。だって写真興味ないもの。いやな客かなあ。でもそんな客に2000円の品売りつけたのだから、やはりたいしたイベントだ。

完全にイベント目的だけで申し込んだ写真だが、それでも抽選にはずれてもそれはそれでかまわない。宝くじを買ったようなもの。「高橋愛」が「大阪」(関西圏)に来るというのではこちらとしても無為にやり過ごすわけにはいかなかった。やるだけやった、それで満足。当たればもちろん喜んでイベントに行くけれど、はずれたら「ああ、娘。の人気はやっぱりたいしたものだ。私なんぞがイベントに当選するなんて10年早い」と思うだけ。本当はもっと「浅い」ファンが行きたくなる、行けるようなイベントの方がうれしいけれど。

ちなみに店内は混雑してはいないが、ひっきりなしに客が来る、という感じ。たまたま私がいたわずかな時間だけの話だが、女性客が多かった。男性客よりも多い。年齢20後半から30代の落ち着いた感じの女性。そういうものなの?まあ、たまたまか。

注文が入るたびに店員がメンバーの名前を確認するのだが、私がいたときには立て続けに「高橋」。まあたまたまだろうけれど。

それよりちょっと「あれ?」と思ったのが敬称略なこと。もちろん当然だ。店員対客の関係でいえば店員にとってタレントは「身内」。でもコンサート会場のグッズ販売所ではなぜか「さん」付け。違和感があったが、おそらくどこぞの「ファン」が「僕の某ちゃんを呼び捨てにするなんて許せない」とか何とか抗議したのだろう、と勝手に納得していた。うかつに「身内」だからといって呼び捨てにしてまたどこぞの有名司会者に監禁説教食らわされるのもいやだろうしね。でもこちらではふつうに呼び捨て。私の妄想はどうなった、と思いつつ、やっぱりこっちが普通だよな、と思う。

2009年10月24日

■ 割り切れない

かなり散漫なデータを強引に一つの資料として集約中。今日一日でA4用紙80枚分。吐きそう。

土日のうちに200枚程度にまではまとまりそう。だけど「敵」は段ボール一箱の資料で勝負してきているらしい(笑)。いや、もう笑うしかない。この資料が完成しても、まだまだやらなければならないことが山積み。無駄になるだろうと思いつつ、やるしかない。だめだったら完全にただ働きになるので、本音を言うともう降りたいんだけれども、そうもいかない。こういうときは雇われ人はいいよなあ、と思ったりする。31日のモーニング娘。アルバム発売イベントは行けそうもない。

さらに11月5日には高橋愛と久住小春が大阪でイベントをやるらしい。新曲発売記念キャンペーンと銘打たれているけれども、参加条件は「写真購入」。新曲関係ないやん。CDじゃなくて写真を売りたいわけ?意味わかんない。

もうCD売り上げを嵩上げする「勝負」からは完全に降りたということか。それならそれでいいけどそれで「写真」なんて売ってせこい金稼ぎするかねえ。もっとほかにやることあるだろうと。手続きの煩雑さからしても、「濃い」ファンしか参加できないし、喜べないイベントをやる意義がわからん。

まあ、もういいけどね。事務所の戦略とやらにやきもきするのももう限界。高橋愛と安倍なつみの芸能人生に幸あれば、それでいい。

先日はよみうりテレビのバラエティ番組に新垣里沙と田中れいながでていた。うーん、めちゃめちゃ可愛いし、やっぱ愛おしい。

なかなか割り切れないものだな。

2009年10月21日

■ あんな道こんな道

インフルエンザが原因だろうけれども、これをきっかけに「握手会依存」体質を直すのなら、よい話なのではないか。

と、こっちはモーニング娘。新曲「気まぐれプリンセス」発売記念イベントのお話。休日はコンサートツアー中なので時間がとれず、平日の夜東京・大阪各一回のみなのは残念だが、その際握手会はやらないというのは方向としては賛成だ。今更握手会で売り上げをふくらませたって、大して宣伝効果はあるまい。そしてCDの売り上げによる収入自体もたいしたことはないだろう。娘。はライブアーティストなんだから、そんなところで頑張るよりもほかにやるべきことがあるはず。CDは身の丈にあった売り上げでいいから、もっと多くの人にモーニング娘。の魅力を知ってもらう努力をすること。「ファン」だって、自分がイベントに複数回はいるために大量枚購入するんじゃなくて、たとえばイベントでも自分以外の人も多く楽しめることを考えるとかさ。いつも思うのだが、イベントは一回入ればいいじゃない。もう一回「いつもの」自分が入るよりも、その分もっと別の人が入って、それでその人が娘。のことをもっと好きになってくれるんだとしたら、そちらの方が素敵なことだ。

私はメンバーとお近づきになりたいとは(ほとんど)思わない(ちょっとは思う?)。むしろ逆に、「遠い」存在になってほしいと思う。

「ファン」心理なんて様々だろうけれども。

というわけで、モーニング娘。新曲、聞け。CD100枚買え、ってあれ?

2009年10月20日

■ 温さもいい

件の仕事、思っていたよりすんなり本決まりになった。とりあえずシラバスの提出までには準備を進めていかないと。

「こっち」の世界の常識では先に「企画書」の提出を求められるかと思ったが、「向こう」の世界では本決定になってからでよい、というのも少し「温い」気がしてちょっと拍子抜けする。

今日もさゆこと道重さゆみは頑張っていた。でも本音を言うともうあまり頑張らなくてもいいよ、とも思う。バラエティなんてもっと温い内容でいい。さゆはライブで頑張っている、とてもまじめに頑張っている、そのまじめさ、ひたむきさは画面にも出ているはずだが、それが伝わらない人たちが多数なのなら、もうそんな世界にいることはない。そんな風に思ったりもする。


ひきつづき「ぷっすま」を見る。こっちは適度に温くて、きちんと道重さんを「アイドル」として扱ってくれて、いい感じ。こういう番組でいいよなあ。

2009年10月19日

■ 今は昔

新しい仕事が一つ決まりそうだ。

といっても金銭的には雀の涙、という感じなのだが、かつて私が思いを傾けた事柄に関する仕事。

すっかり昔話になりかけてきた今になって、ひょんなことから話が舞い込む。10年近いブランク、せめてこの話が5年前に来ていたら、という思いもあるが、それでもせっかくのお話、お受けすることにした。

仕事は1年後だが、それまでに論文2本書くぐらいの準備をしなければならない。少しの気の重さと久々の高揚感と、そして流れた数年の歳月を思う。

この話の絡みで食事をした際にその「昔話」をした。そのほとんどが昔話でしかなかった。そのときはこの話が本決まりになるとは思っていなかったから、ただただ昔話でしかなかった。私とはもはや関係のない世界の昔話。 しかしそのときにたまたま話題に出た一人の名前を聞いて、少し心が波立った。でもそれこそ昔話。

その流れ去った歳月を、しかしモーニング娘。を、安倍なつみを、そして高橋愛を見てきた日と重ね合わせると、なぜか昔話ではない、リアルな記憶となってよみがえる。昔の、「黄金期」とかではない、*今*の娘。をいつもずっと見てきた。娘。はいつも今ここにあるものだ。

2009年09月20日

■ 久住小春卒業

久住小春、モーニング娘。卒業

とりあえず「残念!」といった類の、ある種ネガティブな反応があるのはむしろ当然。全員が「やった!」では娘。サイドからしても小春サイドからしても寂しい限りだ。

私も、娘。サイドから、せっかく界隈から全体的にいい雰囲気になってきたこの時期に何でまた、と正直かなり落胆もした。できれば今の9人で続けて欲しいという思いは変わらない。

それでもこれはこれで妥当なことだったのだ、とも思う。

モーニング娘。はメンバーを交代させることで鮮度を保ってきた、云々という方向性は私は今は支持しないし、実際事務所サイドでも今はそういう方向性は志向していないというインタビュー記事もあった。だからそういう意味では今回の卒業もする必要があったとはいささかも思わない。

ただそれとは別に「去る者は追わず」的な鷹揚さ、娘。を出たほうがさらによい活動が出来ると考えられる場合には娘。には縛り付けない、というのもあって、それ自体は今でもあり得べき志向だと思う。そしてそういう意味では久住小春の今後を考え、娘。に縛り付けるのに限界を感じた、というのであれば、私は今回の卒業を支持しよう。

実際久住小春のタレントとしての指向性は今の(ここ数年来の)娘。の方向性とは確かにズレを感じるところはある。そういうズレを包含するところが娘。の良さであるのは確かだ。しかしそれが娘。にとってではなく、久住小春にとって負担となるズレなのであれば、そのずれを放置し続けるのが良策とは言えないだろう。

こういうズレといえば道重さゆみの名前を挙げる人も多そうだけれども、私は道重さゆみはその指向性において、今の娘。の方向性とのズレはないと考えている。道重さゆみにとって、今のモーニング娘。は自分の最高の居場所だと感じているだろうと私には思えるのだ。

2009年09月16日

■ 気まぐれプリンセス 初聴

一回聞いた感想。

久々の明るい曲。こういうのを求めていた人が多いのだろうなあ。良かったね。

二回聞いた感想。

「恋は発想 Do The Hustle!」みたいな曲か。まあこんなものかな。

3回聞いた感想。

いや、これは怪作だ!

まあつんく♂+モーニング娘。だな。どう聞いても。良くも悪くもというか。とりあえず「演歌」っぽくはないので(よく聴くと演歌だが、それをいうとつんく♂曲は全部演歌だ)、演歌じゃ駄目だといっていた人はあらためて責任を持ってこの曲を批評するように。


さらに聞き込んだ感想。

アレンジがおふざけ・お馬鹿系っぽく作ってあるけれど、また歌詞もおふざけっぽいけど、実はつんく♂得意の哀愁漂う世界なんだな。このミスマッチ感がこの曲を「怪作」たらしめているのだと思う。

2009年09月02日

■ ロンドンハーツの道重さゆみ

道重さゆみ(not 道重さゆり)は生まれてくる世界を間違えたのかも知れない。あるいはもう少し控えめに言うと相手のレベルを高く設定しすぎた、と言うべきか。

mixiあたりの感想文を読んでいると、オイ、ニッポンだいじょうぶか!と本気で心配になる。まあmixiなどという、ネットの三流クズニュースを垂れ流すクズSNSなどに夢中になる人間の知的水準などというものを期待する方が間違っているのだろう。

バラエティ番組だぞ、しかもかなり下品さを狙った。そんなところで話された表面的な内容で人間性を判断するってドラマの悪役を演じる役者本人をドラマでしでかした行為でもって悪し様に言うのとほとんど変わらない。

いや、伝わらなかったのは仕方がないし、伝わらないのは発信者側の責任だろうから、もしmixiあたりの評が「世間」だというのなら道重さんはちょっと失敗しているのかも知れない。でも「あれは滑っている」とかいう評ならまだ理解できるけれど、「親の顔が見たい」とか言ってる奴の親の顔が見たいわ。コリン星から来たと名乗る小倉優子の精神を本気で心配する人とか、いたのかねえ。

ただ確かに道重さゆみは少し高度すぎるのは認める。コリン星は「そんなわけない」と万人が安心して共有できる。だから安全なのだ。しかし道重さゆみの「私は極度に可愛い」は容易には突っ込ませない。何となれば道重さゆみは実際どう控えめに見ても「世間一般」水準からすれば十分に可愛いからだ。だから安心して落とせない。道重さゆみは「何言ってるねん」という突っ込みを待っているのだが、しかし見る側は突っ込みきれない。それでお互いが見合い状態になる。いったん「落ち」てしまえば人は安心できるのだが、見合い状態は緊張感を強いられる。mixi脳の人間はこの緊張感に耐えられない。だから「イライラ」する。

道重さゆみが作り出している「笑い」は、安直な安心感、薄っぺらなカタルシスを得ておしまい、というものではない。見る側に緊張感を強いる笑いなのだ。それはまさに「三文オペラ」と同じ構造を作り出す。「女の子はかわいさが一番」という価値観に我々自身がどう対処するのか、それを道重さゆみは問う。

可愛くないとされる女性芸能人が「私可愛い」と言うのは安全な落ちである。我々は安心して突っ込める。「何言ってるねん」。その背後に「可愛さなんて人間の価値には関係ない」というエクスキューズを用意しつつ、しかしその実、可愛さの序列はそのまま温存される。道重さゆみの問いかけはそれを許さない。「お前なんかちっとも可愛くないわ」と突っ込む人がなぜかいらつきながら突っ込む、このいらつきの中に「女の子はかわいさが一番」という価値観が否応なく現出してしまう。「よし、今日も可愛いぞ」と自賛する道重さゆみを否定しながら、自身はまさに「女の子はかわいさが一番」という価値観にとらわれていることを思い知らされてしまうのだ。道重さゆみは確かにピエロを演じているのだが、そのピエロを笑うものもまたピエロの位置に立たされることになる。

道重さゆみの作り出す笑いはきわめてアイロニカルな笑いなのである。自分を安全圏において他者を貶めて笑い飛ばすシニカルな笑いしか知らないものには確かにレベルが高すぎる。

2009年08月29日

■ お勧めしないお勧め

小ネタ一つ。

Web放送アメーバスタジオでモーニング娘。9人のソロ放送。各メンバーがファンに質問を募集。

  • 『田中れいな』への「普段聞けない質問、ご意見」
  • 『道重さゆみ』への「お悩み相談、ご要望」
  • 『亀井絵里』への「教えたい四字熟語、又は亀井絵里に似合う四字熟語」
  • 『新垣里沙』への「普通の質問、まじめな質問、ふざけた質問」
  • 『高橋 愛』への「さまざまな質問、ご意見」

えーと、愛ちゃん、やる気あるんですか?何かお役所みたい。

そして放送。

「福井でおすすめの名所」という質問に対する回答。

「東尋坊です。これは自殺名所なんであんまりあれなんですけど、ちなみに私は行ったことないんですけど」。「あまりおすすめはしないですけど。はい。そんな感じかな」。

いや、やっぱりこの娘はちょっとおかしい。

2009年08月16日

■ 膳所大津パルコ

前のエントリは最後の落ちを思いついちゃったんで書かないわけにいかなかった。後悔はしていない。

妄想から逃れる根拠もまた妄想だ、という妄想の無間地獄がテーマ。蛇足な解説だけれど。

「悪趣味」な部分はなんというか、たまたま「裏切られた」とか言っている人を見かけて、それは確かにそうなのだろうけれども、それでもファンたちには彼女の味方でいて欲しいな、という気持ち。ちなみに私はのりぴーよりものりりんな人だったので、のりぴー自身に対しては特に何の思いもない。えーと、のりりんが誰だか分かりませんか、ああそうですか。

と己の尻ぬぐいをしたところで、普通のレポートを。

去年亀井絵里と光井愛佳がラジオの公開放送で訪れた膳所大津パルコ。そのときは仕事で夕方になってからしかいけなかったが、握手会の様子も見て、結構いい雰囲気だった記憶が未だに鮮明にある。そしてその大津パルコになんと滋賀出身の光井愛佳とともに高橋愛が今度は来るという。やはりラジオの公開放送、そして新曲発売記念握手会。握手会には必死にならない、といっているけれども、ほとんど地元に高橋愛が来る、というのは行かないわけにはいかない。膳所は大阪などからの交通の便もいいし、それほど辺鄙な場所でもないのだけれども、それでも人の集まりはちょっと不安。せっかく娘。メンバーが来るのだから枯れ木でも少しは賑わせたい、という気持ち。

握手会参加券つきCD販売は15:00から。CD何枚売るのかは分からないけれども、万が一売れ残って、複数回握手するために複数枚購入するいわゆるループする人が出るぐらいなら、私が買おう、と思う。そうならば15:00に着けばいい。その時点で盛況で売り切れなら、それはそれで良し。

でもそんな殊勝な気持ちは朝起きたら消えていた。やっぱちょっと早い目に行こう。何となく急いた気分でJRの最寄り駅に向かい、そこからは普通列車で30分弱。膳所からは徒歩20分足らず。13:00過ぎには着いてしまった。もう完全に握手会参加モード。いそいそと列に並ぶ。大津パルコ内の階段に列が出来ていた。列は長々と続き、結局6階まで。概算200人強。CD発売数は去年の例では300。どうやら買えそうだ。

そうはいっても列は離れられないので、2時間、ひたすら階段で暇をつぶす。なんと生産的な時間だろう。やらなきゃいけない作業があるのに、「アイドル」と握手するために階段で無駄な時を過ごす。なんて素敵な生き方なんだろう!

15:00、列が動き出し、CDは無事購入。CDはやはり300しか用意していないようで、後ろの方に並んでいた100人前後の客は購入できず。当然「ループ」なんてできっこない。十分盛況。枯れ木なんて全然いらなかった。

握手会の前に18:00からラジオ公開放送が始まる。すでに場所取りが完了していて、後方の立ちスペースしか場所はない。さすがにそこにまた2時間以上とどまる趣味はないので、パルコ店内をうろつく。今回CD販売を請け負ったタワーレコード、書店、疲れたので飲食店街に行って一休み。それでも時間が余る。まあいいかと思って会場前で立ちスペースを確保。1時間あまり突っ立つ。生産的な時間だ。

18:00。ラジオ番組スタート。そして光井愛佳と高橋愛が登場。ブース内からの放送なので、当然客の声なんてほとんど聞こえないはず。それなのに必死で声援を送る観客たち。ある程度はいいんだけれども、奇声としか思えない声を張り上げるのは勘弁。ライブ会場でやられてもいらっと来そうな掛け声を公共のスペースでするのが応援だと思っているのだろうか。単に自分が叫びたいだけだよな。琵琶湖に向かって叫んでこいよ、と思う。

大勢の人だかりに、買い物客も足を止めて何をやっているのか、興味津々の様子。でもブースの様子は後方からではなかなか見えない。貼ってあるポスターを見て「モー娘。だって」と確認する人多数。光井愛佳も滋賀出身として結構知られている。大半は、ちょっと見てみたいけれど、見えないのならまあいいか、という感じで立ち去る。勿体ないけれどもこればかりはどうしようもない。

司会が二人いる番組なのに、時々進行表のようなものを高橋愛に確認させている。光井愛佳にはそれがない。なんだかんだリーダーというのはいろいろ仕事をしているものなのだ。

2007年段階ではちょっと微妙な雰囲気もあったこの二人だが、今はすっかりうち解けている。ここでもさりげなく高橋愛がお姉さんっぽい振る舞い。なんだかんだリーダーというのはたよりになるものなのだ。

番組終了。引き続き握手会。握手券を持たない人も握手会の様子は見られる。しかもかなり近くで。去年はそれでいい思いをした。今年もそれでいいかな、と思ったのだけれども、参加券をもらってしまった。

指定された場所でならび、握手会が始まったことを音で知る。すると「すごい低速だぞ」と触れて回る人がいる。「低速」とは一人あたりの握手時間が長いこと。主役が二人、参加者が300人、普段の握手会に比べて「低速」になるのは予想されていたことと言え、あらためてそういわれると心が騒ぐ。

列が進んで握手会の様子が見える場所に来る。ならびは高橋愛が先。前回握手会で言えなかったことを言おうと心に決める。光井愛佳には何を言おう。「可愛いね」とか「歌、いい感じだね」とか上から目線のことは言いたくなかったし、さりとてとっさに言葉が見つからない。無難に「がんばってください」ぐらいか。

握手券を係員に渡して壇上に上がる。間近に高橋愛がいる。でもいつも見ているのと同じく遠くにいるように感じる。決して身近には感じられない。私にとってその距離感は大切だ。

「ありがとうございます」、向こうから声を掛けてきて、こちらの手を握ってくる。当たり前だが手慣れたものだ。普段の握手会ならもうすぐに次に移動しないと流れを妨げるぐらいなのだが、今日はそのまま次に進むわけにはいかない。

「ずっと表現者でいてください」

インタビューでも彼女自身がたびたび言っている思いをことさらにお願いするのもおかしなものだが、それでも私が高橋愛に込めた思いの第一はここなのだから、これ以外には浮かばなかった。

同じことを言うファンが当然、たくさんいるのだろう、よどみなく返事が返ってきた。「はい。がんばります」。これまたこれ以上にはないある意味定型的な言葉。でもそれで十分だった。

のに、前がつっかえている。次の言葉を発することも出来た。もちろんそんな準備はしていない。それにそれをすれば、今度は私が「粘る」ことにもなりかねない。それで会釈だけして手を引いた。え、もういいの?一瞬そんなとまどいのようなものを感じた。私のことを光井愛佳本命のファンだと思ったかも知れない。

次は光井愛佳。満面の笑顔。高橋愛よりもずっと近くに感じられる。妙な現実感。でも語りかけるべき言葉は用意していない。「がんばってください」とありきたりなことをいい、「ありがとうございます」とにこにこと返事をもらう。それでも時間が余って、会釈をすると彼女も頭を下げてきて、ちょっとの時間二人で頭を下げあった。妙な時間だった。

あとは見物客の中に戻って握手会の様子を見守る。いろいろ厚かましげな要求をする客も数名。まあ、いい。

握手会が終わって、会場からさる二人を見送って、さあ帰ろうと思うと、人だかりが。どうやら「出待ち」をするらしい。それもイベントの一つ、ぐらいの雰囲気だったので、まあいいかと思って、私も見守ることにする。

待つこと十数分、私が想定していたよりもずっと近いところから二人が現れる。衣装はすでに着替えていて私服の二人。でも公然と出ていったときのことなのでいいだろう。高橋愛は上下グレーのカジュアルな感じの服だった。表現が乏しい。記憶も曖昧。ただ「スター」という雰囲気ではなく、そこらの女の子という雰囲気だった。いっぽう光井愛佳は黒のちょっとおしゃれな感じのドレス?年齢からすると、あるいは今日の衣装と比べても、大人びた雰囲気。

ほとんど丸一日つぶして、しかもその大半がただの待ち時間という一日だったのだけれども、それでも参加して良かった、と思った。高橋愛とは3度目の握手。なんだかんだ最多。

それでもあらためて言うのも何だけれども、私は彼女と握手したいわけでも、ましてやお近づきになりたいわけでもない。私は確かに彼女に「惚れて」いるけれども、それはパフォーマーとしての彼女に対してだ。「ずっと表現者でいてください」というのはつまりそういうことだ。

2009年08月15日

■ 陰日向に散る

「ずっと表現者でいてください」

「はい、がんばります」

想像していたよりもよどみなく会話は終わった。「はい」のまえに「え?」とか「あ」とかが入ると思っていたが、思いの外、すんなり返事が返ってきた。想像していたより0.8秒短い一瞬の逢瀬。時よ、止まれと思う余裕すらなく。

格好付けて、別れもよどみなく。彼女の手にあと1.3秒長く触れることも出来た。でも僕は未練がましい男でいたくはなかった。

それでも僕は本当はどうしようもなく未練たらしい男なのだ。未練たらしくほんの一瞬振り返ってみた。でも彼女はもうこちらを見ることはなかった。

すべてが終わった。あとはただ、もう死んでもいい、と思った、そんな夏の想い出。

艶やかな長い髪、その中には白くはにかんだ笑顔。

「ありがとうございます」。向こうから話しかけてきた。それが一瞬の逢瀬の始まり。ショッピングセンターの階段で2時間、人群れる広場で2時間待ってようやく会えた。あこがれの彼女。普段は僕はただ彼女を憧憬のまなざしで遠くから眺めるだけだ。小柄なのに躍動感があって格好いい。妖艶な表情を見せるかと思えば、驚くほど幼い表情も見せる。僕はそんな彼女を何千分の一、何万分の一の存在として見守るだけだ。でも今10秒足らずだけ一対一で目の前にいる彼女は堂々としているようでいて、どこか緊張しているようでもいて。堂々たる格好良さと、どこかにかいま見える不安定さと。そんな彼女がとても愛おしく思った。もし僕が彼女のために何かできることがあれば、それはどんなに素敵なことだろう。

「なにこれ、こういうポエムって基本的に読むに耐えないんだけど」

「いや、純粋無垢な18歳の少年のささやかな恋心を小説にしたものなんだけど」

「何かシチュエーションがいまいちよく分からないし、全体的にキモいし。せめてもうちょっと面白くできないの?」

「まあ、続きを読めって」

彼女のためなら死んでもいい。もし暴漢が彼女を襲ったら、僕が彼女の盾となる。彼女の前で僕が倒れる。僕が最後に見るのは彼女の顔。そんな妄想の中の妄想を反復する。

僕は彼女のすべてを愛せる。彼女が世界を敵に回しても、僕は彼女の味方でいる。そんなありきたりの妄想がなぜかリアルに感じられる。

彼女が覚醒剤をやっていても、僕は彼女のそばにいる。彼女がヒトラーを信奉すれば、僕も一緒に「ハイルヒトラー」と唱えよう。

彼女が裸の男の死体のそばにいても、僕は彼女の味方だ。僕は一切ぶれることなく、彼女の味方だ。

「なにこれ?こういうの面白いって思ってんの?単に悪趣味なだけじゃない。ていうか、そもそもこれ18歳の少年の話じゃなくて、アラフォーのキモいおっさんである君の話でしょ?なにごまかしてんだよ?」

「待て待て。俺の話のわけないじゃん。俺には山梨まで会いに行くリアル彼女がいるんだぜ。こんな妄想、冗談でも俺が抱くわけないじゃん」

2009年07月31日

■ 体調不良につき

体調がずっとよろしくない。クーラーにやられたか。

そういえばなっちこと安倍なつみは、のどに悪いから、とクーラーを使わない、とか。

うん、筆が進まないな。

体調がよろしくないのに、明日は東京厚生年金会館まで「東征」。行きは普通に新幹線だが、帰りはどうしよう、と考えて、どのみち日帰りは出来ないので、夜行バスというのも考えたのだが、体調がよろしくないとつい楽をする方向に気持ちが行く。というので、ホテルを予約してしまった。となると翌日は何をして過ごそうか。

今更東京で行きたいところもないし、何か(大)ハロプロがらみであるかな、と考えていたら、そういえば石川梨華出演の「オペラ・ド・マランドロ」をやっていることを思い出した。でも8月2日は千秋楽、チケットなんて手配していないし、当日券も難しかろう。残念。

大阪ではハロプロコンサート。現(小)ハロプロというくくりに関心がなくなったし、愛ちゃんこと高橋愛の「秋桜」だけのために8400円は払えない、とスルーしていた。が、東京でのホテル代が8000円、夜行バスで帰って、そのままハロコンに行けばホテル代でまかなえたのか、と思うと、ちょっとしまったかな、という気もしてくる。人間体調がよろしくないと、いろいろ思い通りに行かなくなるものだ。

2009年07月21日

■ キズナ食堂

久々のモーニング娘。OGと現メンバーの共演ということで界隈でも話題の「キズナ食堂」。

話の内容自体はファン的には既出のネタばかりだし、過去映像もかなり詳細に内容まで記憶にあるものばかり。それでもかつての*あの*モーニング娘。のぐだぐだトークが聞けた、それだけでもお腹いっぱい。「なっちがいつもメイン」ネタなんてもう10年来のネタなのに、未だにいきいきとしゃべる。皆まだまだ現役で若いし、それほど回顧感が感じられないのはファンのひいき目か。

見所は数え切れないぐらいあったのだが、さしあたりなちゆゆ(安倍なつみと中澤裕子)派として最大の見所は「思い出の品」公開コーナーなっち編。黒い犬のぬいぐるみを紹介する安倍なつみ。このぬいぐるみがやたらと可愛い。そしてそれを紹介するなっちもやたら可愛い。そして最後、そのぬいぐるみを抱きかかえ、犬に手を振らせて「バイバ〜イ」と腹話術っぽく犬に挨拶させる安倍なつみを見つめるワイプ中の中澤裕子のちょっと呆れた表情。「またまたなっちはかわい子ぶりっこして〜」とでも言いたげな。そして最後に一言、「あれはちょっと」。

2009年07月13日

■ HOW DO YOU LIKE THIS JAPAN?

少し続ける。

いつも『ハロー!プロジェクト』を応援していただきありがとうございます。

℃-ute有原栞菜は2009年7月9日をもって、℃-ute及びハロー!プロジェクトを脱退した事を皆様にご報告致します。

有原栞菜はハロプロエッグオーディション2004に合格後レッスンに励み、2006年1月に℃-uteに加入し、翌年のメジャーデビューを経て℃-uteの一員として活動をしてきました。
皆様もご存知の通り、今年2月末から外反母趾の治療の為℃-uteの活動を休止していましたが、
この度℃-ute及びハロー!プロジェクトをやめて普通の女の子に戻るという決心を彼女自身がしました。

ファンの皆様には突然のご報告になり、大変申し訳ありません。
今後も引き続き℃-uteへの応援よろしくお願いします。

ハロー!プロジェクト

『℃-ute 有原栞菜』に関する大事なお知らせ

この文章がファン界隈の不興を買っている。私は「情報量としては」この程度で仕方がないと思うし、この文章からことさらに陰謀論的な含みであれこれ読み込むことに意義を感じないのだけれども、この文章自体が稚拙であることは確かである。

さんざん突っ込まれたのが「彼女自身が」というフレーズ。裏があること前提じゃないか、という突っ込み。私からすればそういうしょうもない「深読み」を「ファン」がし続けた結果の過度の警戒心がこのフレーズを挿入させたのだ、といいたいのだが、それでも書かずもがなのフレーズであったことは確かである。

もう一点、「普通の女の子」。ちょうど℃-uteがキャンディーズのカバー曲を歌っている関係で「ふざけている」と批判。つんく♂ブログでもこのフレーズ(「普通に女の子として生きていくということ」)が使われていたので、ふざけているわけではなくて、それに類することを有原さんサイドが引退理由として言ったのだと思うが、やはり稚拙。

そして文章全体から漂うそこはかとない舌っ足らずな感じ。「外反母趾の治療の為℃-uteの活動を休止していましたが、」から「この度℃-ute及びハロー!プロジェクトをやめて普通の女の子に戻るという決心を彼女自身がしました」にいたる飛躍。ここでも陰謀論者がつけいる余地を与えてしまっている。普通に読めば十分脳内で補完できるレベルではあるが、それでも脳内補完が必要というのは十分に稚拙。

そして、これは今回に限ることではないが、文責の曖昧さ。「ハロー!プロジェクト」って誰やねん。

私が一番問題だと感じるのはこの一番最後の部分だ。同系のSI☆NAからメンバーが止めることになった際の告知文

いつもSI☆NAを応援していただきありがとうございます。
7月25日(土)開催の公演をもちまして、SI☆NAのnana(中山菜々)はSI☆NA、ならびに所属のアップフロント関西を離れ、学業に専念することとなりました。

本人との話し合いをし、本人の意思、17歳という今後の
可能性も鑑み、今回の結論に至りました。

応援していただいた皆様には御礼を申し上げるとともに、
ここにお知らせいたします

尚、SI☆NAは、ai、asami、manami、の3人で今後も
活動を続けていきます。

今後ともSI☆NAの応援を何卒、宜しくお願いいたします

7月25日(土)開催の公演の情報も当サイトにてご覧いただけます

(株)アップフロント関西
代表取締役
西山拓幸

書かれていることに決定的な違いはないのに、ずいぶん印象が違う。稚拙さが全く感じられない。ファンが納得できるかどうかはともかく、告知文としてしっかりしているなという印象。

「ハロー!プロジェクト」のほうは「文責」が曖昧だ、といったが、これはもしかすると読者にとって、だけではないのかも知れない、と思う。「代表取締役」名義の個人名が文責に上がっていれば、その文章自体も本人ないしそれに十分に近い人がチェックをするだろう。一方、個人名がない場合、いったいこの文章の最終チェックは誰がしているのだろう。誰がこの稚拙な文章をそのままアップすることを決定したのだろう。ことによると、こちらが常識的に想像するのとはかけ離れた、社内での立場の低いレベルでこの文章はアップされたのではないか、と想像できてしまうのだ。

なぜ個人名が出せないのか。邪推をすれば、グループ内でも誰がこの「プロジェクト」の最終責任を負うのかがはっきりしていないのではないか。グループ内のいろいろな思惑が渦巻いていて、結果として総無責任体制がどこかに生じてしまっているのではないか。それは悪しき意味できわめて「日本的」な風景なのかも知れない。

2009年07月12日

■ 「果たして彼女は戻ってこなかった」

予想どおり、予定調和的に、去るべくして彼女は去った、のだろうか。

℃-uteメンバーの有原栞菜さんが外反母趾の治療のため、今年2月以降活動を停止していたが、結局そのまま引退を表明したとの報。それを巡ってファンブログ界隈では「やはり」、「おそれていたことが」というような言説で満ちている。

たしかにそういう「予想」がされていたことは知っている。そしてそういう「予想」を的中させた人からすれば、まさに「予定調和」の産物として、この結果は映じるのだろう。

そしていつもの想像(妄想)混じりの陰謀論的「分析」、そしていつもの事務所批判。

私にはわからない。今年の2月まで、何の問題もなく活動できていたのに、それ以前の「古傷」をことさらに読み込み、それが彼女の活動停止、そして引退の原因とする分析をする妥当性の根拠が。時系列的に合理的な説明が出来そうには私には思えない陰謀論的分析を垂れ流すことの意義が。少なくとも私は読んでいない。「古傷」が「今」になって浸食しはじめたという分析の合理的説明を。

そういう分析を垂れ流し、「古傷」の存在を反復することのほうが私にはよほど彼女を毀傷しているように思えるのだが、などと書いている私もまさにその言説に連なっているわけだが、陰謀論的な分析大好きなこの界隈の言説にささやかな抵抗をどうしてもしておこうと思った。

忙しく走り続ける毎日、心おれそうになることがあっても必死で食らいついた芸能生活の中、療養生活を余儀なくされ、ふと立ち止まったとき、どっと疲れが出る。マラソンランナーが立ち止まったときのように。もう走れない、そう感じたのではないか、というのももちろん想像の産物だが、でもありきたりなこの想像を否定しなければならないだけの理由がどこにあるのか。再び走り出せるものなら走りたい、走らせたい、そういう彼女と事務所とのあり得べき5ヶ月の葛藤を頭から否定しなければならないだけの根拠はどこにあるのか。陰謀論を吹聴することは、彼女の芸能生活をリスペクトすることに繋がるのか。

私にはわからない。


事務所批判の大勢は「説明が足りない」ということだけれども。

『℃-ute 有原栞菜』に関する大事なお知らせ

確かに足りない。でも足りないなりに理解は出来る。

そして「足りない」から説明を尽くせ、はまだしも、「嘘でもストーリーを作れ」というような主張があったりして呆れる。「嘘」って何だよ、と。裏ばかり読んでいるから、やや説明不足気味なこの「お知らせ」が致命的に穴だらけに見えるんだろうけれども、変な裏読みをしなければ、この説明でもそれなりに状況は理解できる。そしてそれ以上の細かな状況をすべてつまびらかにするのが正しいとも一概には私は思わない。そういう意味ではこの説明不足なお知らせのあり方も私はそれなりに納得も出来るのだな。もちろんファンとしてこの結果自体が納得できない、というのは心情的にはもっともで、それを否定する気は一切ないのだけれども。

2009年07月05日

■ 才能溢れる照れ屋

すでにすっかり話題としては古いけれども、矢口こと矢口真里の人騒がせ企画、『二日間でモーニング娘。全員に会えるか企画ーえ゛!』

「二日」という時点で本気でないのが見え見えという何ともあれな企画で、結果としてファンが期待した人には全然会わず、現UPA所属メンバーとだけ会ったという。市井ちゃん(市井紗耶香)はともかく、ごっつぁん(後藤真希)ぐらいはちょっとだけでも期待した私がバカだった。というかもっと無難な石黒彩ぐらいは会いに行けよ〜。

とまあ、結構期待はずれというか、ある意味期待通りというか、そんな企画だったのだけれども、ちょっといい一文があったので、メモ。

才能をたくさん持っている愛ちゃんは照れやさん

十人目☆十一人目☆十二人目☆

短いけれども、これはいい愛ちゃん評。高橋愛という人をとてもよく表現できている。このフレーズを読めただけでも、この企画はいい企画だった。

矢口、ありがとう。

2009年06月06日

■ なっちだなあ

安倍なつみ オフィシャルウェブサイトのデザイン、初めて見たときの感想。「なるほど、なっちだなあ」と。

なっちらしくないところがなっちらしいという。

普通芸能人ブログ、ましてや少なからず「かわいらしさ」で売っている女性アイドルのサイト、自分のちょっといい写真を使うもの。これまでのハロプロメンバーのブログはことごとくそうなっていたはず。そこをあえてはずす。それでその代わりに絵を使う、それならそれでほんわか系、可愛らしい系でいきそうなものを、またまたそこをはずす。そしてこういうサイケデリック、ちょっと違うか、絵のジャンルはよくわからないが、何とも言えない雰囲気の絵を採用する。

具体的になんなのかは私にはよくわからないところもあるけれども、何というか何とも安倍なつみのこだわりやら想いやらが詰まっているというのはひしひしと感じる。

「なるほど、なっちだなあ」。

■ 初めてのブログ♪

なっちこと安倍なつみの頭の中をちょっと覗いてみたい気持ちになったことについて。

安倍なつみ オフィシャルウェブサイト

「女性アイドル」のサイトじゃないよーな。

独自ドメインでブログやるのは中澤裕子に続いて、なのだけれども、中澤さんは途中からアメブロに行ってしまった。はてさて、安倍さんはずっとここでやるのか知らん。

2009年05月19日

■ 祝杯

とりあえず祝杯。

いろいろ思うこと、注釈を付けるべきこと、あるけれども、とにかく祝杯。

モーニング娘。メンバーの皆様、おめでとう。そしてありがとう。


「いろいろ思うこと、注釈をつけるべきこと」というのは主としてオリコン自体に対してであって、娘。に対してネガなことを言いたかったわけではない、念のため。

オリコンの何がいけないかって、調査対象店を公表し、対象店もそれを売りにしているところ。もうその時点であの会社は「調査会社」ではなくて、広告会社でしかないわけで、そんな会社の出した「数字」なんてもので一喜一憂するのは本来はナンセンス。

なんだけれども、現にメンバーが喜んでいる話を聞くと、ねえ。

稽古の休憩中、嬉しい報せが入る。

みんな当然ものすごく喜んでたけど、

特にあんなに素直に全身で喜びを表わしてる愛ちゃんを見てると、

自分のことのように本当に嬉しく思う。

淡い期待の覚書

とか。

そういうのを見聞きして、一緒に喜べずにぐちゃぐちゃ「しょうもない」ことを言っている人って、もはや自分は「ファン」という心性とはずれてしまっている、と思わないのかな。

2009年05月06日

■ 非批評的態度とは

自分はアンチではない、といいきる人間の厚顔さ。

否定的なことを書いてもいいのだ。しかしそのとき、「自分のやっていることはアンチ的行為かもしれない」という可能性を留保に置きさえもしない、他者にネガティブな評価をすれば、それはそのまま自分に返ってくる、それだけの覚悟すら持たずに、辛口だかなんだかの批評とやらを開陳してみせる、そんな厚顔さ。

そして最悪なのは、自分の中で既に結論が出ていること(誰某が好きではない)を反復するためにそのネタを探してきて反復すること、それをアンチ的言説といわずしてなんなのか。自分の実感にあわない「ネット投票」結果は信頼できないとわざわざ言及し、自分の実感にあう投票結果は信頼に足るいうとか。そういう連中がアカデミズム気取りで跋扈するこの界隈。


あと「アイドル」とか「ヲタ」とかいうタームを隠れ蓑にして個人の感想を語るのもどうかと思う。一度そういうのは使わないで徹底的に「私」を主語にして目の前のパフォーマンスについて語れば、また見えてくるものが違ってくるんじゃないのと思う。特に「ヲタ」を主語にして語られても、「ヲタ」概念が不明確なままで、結局言説責任主体が拡散しているだけにしか見えない。その感想は誰が語っているの?誰の感想?「アイドル」概念も同じ。自分の好みに合うものを無批判に「アイドル性が高い」とか評価しているだけじゃないかという可能性は考えてみるべきだと思う。

私の好みを語ってはならないといっているのではない。逆だ。私の好みを、私という限界、好みという限界をふまえた上で、一般的な言語として表現する作業、それこそが文化批評の出発点となるはずなのだ。


結局亜門「三文オペラ」のメッセージとして私が受け取ったのは、状況に「関わり」ながら、自らの「顔」を持たない存在(キティちゃんのお面をつけた人々)の不気味さ、ということかな。

ブログなどの語りに於いては、客観的な分析者とか「ヲタ」とかに隠れて、意図的に顔を隠しているケースもあれば、単に「ヲタ仲間」に埋没してしまって、その価値観の反復をするだけになってしまっているように見えるケースもある。

今一度、ものを観察・鑑賞するということ、そしてそれを語るということについて、もう少し突き詰めて考えてみたい。

2009年05月05日

■ いいわけ

なっちこと安倍なつみがラジオでなにやら裏切りにあって、大泣きしたという話をしていて、界隈で微妙な波紋を呼んでいたりする。

すみませんでした!!!

悪いのは私です!私が裏切るようなことを言ってしまったんです。

ほら、4月1日の更新で、一推しを変えたとか言っちゃったじゃないですか。あれがエイプリルフールネタだって、なっちは読めなかったんだよね。ごめんよ、なっち。あれはジョークだから。もう11年ずっとなっち一推しできているんで、そんな今更一推しを変えるなんてあり得ないから。・・・

(編註:以下、意味不明な妄想的いいわけが続いたので、削除した)。

2009年05月02日

■ 無い物ねだりしても しょうがない

夢追い人

性格的な部分にかかわることなんて、簡単に変わりゃしないわけで、そういうものとして、あるいはそうであるからこそ、面白い、好きだ、という人もいるわけで、そういうところであれこれ言っても生産的だとは私は思わないのだな。

ということで、モーニング娘。新曲、「しょうがない 夢追い人」PV。

2009年04月24日

■ 美女呆談

超へたれ体質なもので、人並みに仕事をしているときにはここを更新する気力、体力がなかったりする。

それでもそれなりに妄想的には生きているわけで、公式携帯サイトポケモーのQ&Aコーナーで「春に行きたい観光名所はどこですか?」という問に愛ちゃんこと高橋愛が「足羽山」と答えているのを見て、そういえば福井公演のついでに足羽山観光をしたというレポートをあげている人はほとんどいなかったな、私は足羽山に行って、そのレポートも書いたぞ、やっぱり愛ちゃんは私のものだ、とかそんなくだらないことを考えたりもする。

そういえば大ハロプロ(旧エルダー含む)の新番組「美女放談」初回・二回目に高橋愛が登場して細川護煕夫人と対談をしていたことについて、感想文を書こうとも思っていたのだった。初回を見たときは、これはいい番組だ!と思って、いっぱい褒めまくろうと思っていたのだが、ちょっと機会を逃して、二回目を見たら細川さんのしゃべりの内容に腹が立って、すっかりそういう気がなくなった。それで逆に批判記事でもあげようかと思ったが、それはそれで結構エネルギーがいるので放置して今に至る。ざっくりものすごく教条的に言うと細川さんというひとは徹底的に「ブルジョワ」的視点でしかものをしゃべれないひとなんだなあ、と。特に彼女が熱心にかかわっているはずの障害者についての語りの粗雑さにはあきれてしまった。

かれらはとっても純粋で嘘ついたりひとをだましたりすると言うことは絶対しない人なの。とっても誠実なの。優しいの。あるがままなの。飾らないの。

こういうイノセントであるがゆえのユートピア的な理想像をかぶせるのもステロタイプの押しつけ以外の何者でもない。そしてこういう思考でもって障害者差別を乗り越えたと考えるおめでたさはそれこそ半端な道徳教育を受けた小学生あたりが作文で書けそうな内容ではないか。こういう思考を悪しき意味で抽象的思考(=70年代的左翼用語でブルジョワ的思考)というのだ。実際彼女はスペシャルオリンピックスなどでもっと深く色々かかわっていると言っているのだ。小学生レベルの道徳を説教がましく開陳している暇があったら、もっと実際に自分がかかわった具体的な個人の生き様を語ったらどうか。

高橋愛はかつて身体障害者のバスケットボールチームとテレビ番組で競演した際、出演者の中でただ一人、車いすに乗る練習を黙々としていたというエピソードがある。それこそが具体的な態度というものだ。そんな高橋愛に細川夫人が説教をたれているのを見ていると、なんだかとても滑稽で馬鹿馬鹿しくなってきた。

細川夫人の思考の抽象性は「若者の自殺」を語る際にも遺憾なく発揮される。若くして命を自ら立つ人の存在を「信じられない」とばっさり切ったあとで、命の大切さを説く。一人の人間の25代前の先祖の数は3355万人、それだけ多くにひとの命をいただいて今自分たちは生きているのだ、それで命の大切さを思い知れ、だと。

これこそ抽象的思考の最たるものではないか。ただの数学でしかない。それにこの数学は正しくない。その数学を続ければ、人類誕生の時の人類の数はどれだけの人数になるのだ。生命の受け継ぎはこんな単純なねずみ算では計算できない(単純な生物学のレベルで)。馬鹿馬鹿しい詐術的な言辞を労するなと言いたい。

こんなのだったら、まだなっちこと安倍なつみのメルヘン話、恐竜時代から続いたきずなだなんだという話のほうがよほどまともだ。

3000万人だかのご先祖様の重みだなんだというのが駄目なのは、この話はコンテキストを変えれば180度逆の結論を導き出すことも出来てしまうからだ。先祖代々受け継がれた大切なものを守るために自爆テロに駆り立てられる、そういう社会だって存在しうるし、おそらく存在しているのだ。大切なのは25代前だとか、そんな顔も見たことのないご先祖様ではなくて、まさに今私たちが、かれらが生きている環境そのものに他ならない。

まあ愛ちゃんは馬鹿のつくほど正直でナイーブな乙女だから、こんな抽象論から来るお説教に感動して涙なんか流しちゃったりするわけで、それはそれでいい娘だなあ、と思ったりはするわけだけれども。それでも、本来全然関係のないところに話を飛ばしてしまうのだけれども、冷徹にグロテスクな形で「現実」を切り出そうとしたブレヒトの舞台に出演する安倍なつみと、こんなブルジョワおばさんのお説教に付き合わされる高橋愛とを無意味に比較したくなったりしてしまったわけだ。もっとも安倍さんだって「オーラの泉」とか出て喜んでいたわけで、本来はどちらがどうという話でもないのだけれども。それでも(これも悪しき権威主義なんだけれども)ブレヒト劇に出ている、というだけで、なっちはいい立ち位置にいるなあ、と思ってしまうし、愛ちゃんにも近い将来そういう舞台(広義の)に立って欲しいものだとも思うのだ。

そういえば愛ちゃんは最近特に「今後の夢」みたいな話を語るようになってきた。ブロードウェイの舞台に立ちたい、そのために留学したい、みたいな話。確かにアップフロントのしょうもない人脈作りに付き合わされるぐらいだったら、アメリカに行って勉強に励んだ方がずっといい、とも思うのだけれども、ファン的にはアメリカなんぞに行かれたらそれこそほとんど消息不明になってしまうわけで、それはそれであまりにも寂しい話だと思ったり。やっぱり安倍なつみぐらいに国内で上質な舞台に出て、ファン向けにツアーをやる、というぐらいがほどよく嬉しいな、とか、まあ我ながらなんとわがままな願いを持っているのかと呆れてしまった。

2009年04月06日

■ 女児演劇もとい叙事演劇とは何か

三文オペラ。私は5月になるまでは見に行かないのだが、ネタバレ歓迎なので、色々なサイトを見回っている。

色々と難しいところもある劇のようで、微妙な表現もちらほら。

見ていない私が言うのも何だけれども、これはそういう劇なんだと思うよ。なんと言ってもブレヒトだもん、と知ったようなことを言おうと思って、ブレヒトとか叙事的演劇とかをキーワードに色々調べてみた。とりあえず書棚にあった「ベンヤミン・コレクション1」(ちくま学芸文庫)より「ベルト・ブレヒト」と「叙事演劇とは何か」をざっくり読む。なるほど、なるほどと思い、そのあたりのことを私なりにかみ砕いてここに記そうかと思って、でもその前に「せりふの時代」の宮本亜門と安倍なつみの対談を読み返したら、亜門さんが既にそのあたりのことをかみ砕いて説明してくれていた。なんだ、書いてあるじゃん。というわけでその部分を紹介。

各場面のストーリーも、シーンが始まる前に説明している。これからこんなお話になりますよと教えてしまう、という戯曲です。つまりそれは、大切なのはストーリーを追うことじゃありませんよと観客に伝えているということなんです。歌もミュージカルのように、感情が高まってそれが歌になるというのは、きっとブレヒトにとっては白々しいんでしょうね。

・・・

最近は観客が物語の中にどっぷり入り込んで、カタルシスや感情でおぼれさせてくれるような作品が面白いということになっている。とにかく泣けるのが名作みたいな風潮もあります。でも、それはちょっと待ってよと僕は思います。・・・演劇というのは、もともとそういうところからスタートしてはいない。「三文オペラ」はあくまで観客がそこにいるということを意識させ、観客に考えさせ、その場を共有するための芝居です。

・・・

その部分(政治的なメッセージ)を甘くしては、この作品をやる意味がないと思います。

ただ、また極端になりすぎてメッセージを伝えることだけになったら、プロパガンダになってしまう。

・・・

生きるとは、社会とは、資本主義の矛盾とはなど、メッセージがやたらとちりばめられている作品です。・・・そして自分をさらけ出しつつ、世の中の露骨さも全部さらけ出して欲しい。

・・・

(この作品が演劇の世界で)評価されるはずがないと思っているし、そういうことを目的としているのではないんです。観にきた観客がハッと何かを考えたり、自らを省みたりするためにつくる作品だと僕は思っています。

せっかくなのでベンヤミンの説明も少し引用しておこう。

叙事演劇の技巧とは、感情移入ではなく、それに代わってむしろ、驚きを呼び醒ますことなのだ。定式化して言えば、観衆は、主人公に感情移入することではなく、それに代わってむしろ、主人公の振る舞いを規定している状況に驚くことを学ぶ、これこそを期待されている。

ブレヒトの考えるところでは、叙事演劇は筋を展開させるよりも、状況を表現しなければならない。だが、ここに言う表現とは、自然主義の理論家たちが言う意味での再現のことではない。むしろ、何よりも重要なのは、まずもって状況を発見することなのだ。(状況を異化させること、と言ってもよいであろう。)

さらにそれを演じる俳優の使命についてもベンヤミンは次のように解説する。

叙事演劇は、映画フィルムの映像のように、ひとコマずつ進行する。・・・こうして、切れ目となる合間が生じ、それが観衆のイリュージョンをむしろ阻害する。感情移入しようと構えている観衆のこころの用意を萎えさせてしまうのだ。こうした合間は、観衆が・・・批判的な態度決定をするためのものなのである。表現の手法に関して言えば、叙事演劇における俳優の使命は、彼が演技中にも冷静な頭を保持していることを、その演技の中で証明することにある。俳優にとっても、感情移入はほとんど使用できない。

ということで、ブレヒトの演劇においては徹底して感情的・感性的ではない理知的・批判的な鑑賞姿勢が求められているのだ。

あるいはこういう言い方も出来るだろう。叙事演劇は、落としどころの見えた、ファンタジックにして抽象的で予定調和的な感動を再認させるためのものではない。そうではなくて、現実のある側面をグロテスクに切り出し、それを観客に突きつけることで、観客の安寧なる精神を破壊し、状況に対する批判的思考を呼び覚ますためのものなのだ。劇の最終場面はカタルシスを呼び覚ますものであってはならない。むしろ様々なクエスチョンマークが観客の頭によぎること、それがこの劇のあるべき姿だ。

だからもし観客が「トゥーランドット」に比べてわかりにくい、感情移入できない、と嘆いたとすれば、それはこの演劇が成功していることの証である。逆に「トゥーランドット」と同じように感動した観客がいれば、それこそブレヒトは嘆くだろうし、宮本亜門は作品を堕落させたのだ、という評価が免れがたいものとなるだろう。

もちろん作品自体に対する感想・評価は実際に見た人が各々に持つべきことなのだけれども、仮にこの作品を駄作だと感じたとしても、安倍なつみがこれほど政治的・思想的に突っ込んだ演劇に出演するということ、そのことの意義については積極的に受け止めて欲しいかな。そしてそれこそが安倍なつみがこの作品に出演するということの「スキャンダラス」性だということも。これまでのハロプロ出演作品の「安全」さからするとそこにこそ驚きがある。ちなみにキスシーンがどうとか、胸を触られたとかそういう話はどうでもいい。そんなのは「スキャンダラス」なことでも何でもない。そしてそういうレベルでぎゃーぎゃー言うような「ハロプロ」なんてものとは安倍なつみはお別れして当然だし、私も一刻も早くおさらばしたいと改めて思うのだ。

愛ちゃん、早くこっちへ来い。


ベンヤミンを読んだついでに、ちょっと気になるところを引用。「ベルト・ブレヒト」冒頭。

現存している詩人についてある評者が、非党派的に、いかなる囚われも排して、客観的に語ると称するなら、その態度はつねに、不誠実というものである。しかもそれは人間的に不誠実であるというばかりでなく、おそらくそれ以上に・・・とりわけ学問的に不誠実なのだ。・・・この場合の叙述には・・・批評の形式こそ、この叙述にかなった形式なのである。そして、批評という形式は、安易な高尚気取りから遠ざかっていればいるほど、作品のまさにアクチュアルな局面に決然としてかかわってゆけばゆくほど、形式としてそれだけますます厳密なものになる。

まさに高尚気取りで、自分を客観的な分析者に位置づけたがるブログ主に聞かせてやりたい言葉だね。「自分はだれだれ基準というものをもたない」とか「客観的に流れを分析している」とかそういうことをいって、自分の大好きな誰それちゃん以外のメンバーにネガティブな評をぶつける輩がいっぱいだからね、この界隈。私に言わせればこんなのは「学問的」以前に「人間的に不誠実」なことなのだ。

ファンブログが(ベンヤミンのいう意味での)批評的である必要はないけれども、「作品のアクチュアルな局面」にかかわらずに妄想的な「分析」とやらを垂れ流すことはとても恥ずかしいことだということは言っておきたいかな。それだったらまだ誰それちゃんきゃわ!、萌え〜とか言っている方がよほどましだよ。

■ 可奈のQ.E.D.ブログ

軽い告知。

携帯サイトNHKドラマストリート 「Q.E.D.証明終了」の「高橋愛独占 可奈のQ.E.D.ブログ」が今更ながらの更新。動画2本(更新日は不明。3/20以降に更新されていたのはAct11「廃校ロケ風景」、Act12「印象に残るロケは?」)。

有料サイトで、私も3月で解約するつもりだったのだけれども、解約を忘れていて、今日見てみたら、しっかり更新されていたという(苦笑)。同じ境遇の人がいたら、一応チェックしてみればいいかも。今からわざわざ会費払うほどのものかどうかは不明。

2009年04月04日

■ 一途な浮気者

長らく愛ちゃんモードでお送りいたしておりましたが、ようやく来ましたよ。なっちこと安倍なつみ「三文オペラ」。

テレビ・雑誌での宣伝もちらちら出てきて、特に「せりふの時代」の宮本亜門さんとの対談とか亜門さんの安倍さんへの深い信頼が感じられたりして、なんというか「うちの娘もすっかり立派になったなあ」というか、そんな気分になったり。昨年のトゥーランドット初日終了後の様々な記事とか鑑賞者のブログとかを読んだ時の気分がよみがえってきた。あと久々に週刊アスキーなんか買ったりして、アスキー編集人の福岡さんとの対談記事を見て、いやあ福岡さんも年を取ったなあとか変な感慨にふけったり。週刊アスキー前身のアイコン時代には童顔編集長とか言われていたのを思い出して。どうでもいい話だけれど。

今年はマスコミの注目度は昨年トゥーランドットよりは低いけれども(トゥーランドットは舞台としてはやや別格の話題性)、作品の質というか出演者にとっての難度は相当あがっているようで、その中での安倍なつみの演技には今からどきどきする。といっても私が見に行くのは5月大阪公演なので、当面は鑑賞者のレポート待ちなのだけれども。

そしてその後のアコなちツアーではヴァイオリンが入るというので、これまた「来た来た」という感じ。東京でも山梨でも行っちゃうよー、とすっかり安倍なつみモードになったのだけれど。

次の現場ってゴールデンウィークのモーニング娘。コンサート大阪公演なんだよな。そうそう5月6日結局昼夜娘。コンに行くことにしてしまった。三文オペラはチケット予約済みの最終公演前にどこかで入るかどうかは未定。

というわけでまた愛ちゃんモードに引き戻されたりするのか。我ながら忙しいことだ。

2009年04月02日

■ スニーカーで河口湖散策

安倍なつみ夏のコンサートツアーの名前が「やっぱりスニーカーがすき」、意味わかんねえ。

とりあえず地元大阪と最終で会場の広い東京に行くか、と思っていたら。なんとその後にスペシャルライブと称して山梨河口湖公演があるというではないですか。しかも会場の広さが東京を上回り最大。大丈夫かね?

やっぱりあまりに空席が多いのは悲しいし、ここはファンとしては何とか行くべきだろう。バンマスとなるらしい和田さんによるとバンド編成もこの公演(と東京公演)は他とは変わるらしいし。まあ東京よりは西だから、この河口湖公演は関西人にとっては行きやすいよね。でもどうやっていくんだろう。ちょっくら乗り換え案内で調べてみよう。

えーと、京都から新幹線で新横浜、八王子から中央線特急で30分、そこからさらに富士急で40分?いやいや、名古屋から松本経由とかなんかもっといいルートあるでしょう?え、八王子ー中央線ルートが最速?お金もどう行こうと片道15,6千円?参った。

夜行バスが最安かあ。でも往復夜行バスっていうのも辛い。うーむ、悩む。

というか、なんで河口湖なんだ?去年イルカさんのイベントに安倍さんも参加したときの会場ということで、ご本人が気に入った、というのは想像できるけれど、会場規模と交通の便とを考えると正直動員大丈夫かねと一ファンながら心配になるんだけれど。

東京と河口湖、両方行くのは辛いなあ。どっちかを選ぶとなると、頑張って河口湖、行くのかなあ。

■ ふるさと論返し

3月29日の福井公演以来ずっと私の耳には「夢から醒めて」が残っている。これまでいまいち心に響かなかったこの曲が、少なくともここ数日、一番心に残る曲となっている。澄んだ、よく響く声、穏やかな旋律なのに歌唱には躍動感が感じられる。あるいは黄色のひかりに包まれたステージの引き起こした錯覚なのだろうか、2007年のディナーショーや前日の滋賀公演では感じることのなかった歌の力をひしひしと感じられた。

思えば高橋愛も不安定な人だ。ある意味当たり前の話ではあるが、気合い・気負いによって萎縮することもあれば、一層力を増すこともある。ディナーショーの時は気負いが緊張に変わってしまって、やや萎縮しているように感じられた。そして福井では歌に魂がこもった。

私はずっと高橋愛という人は緊張とかプレッシャーとかには少し弱い人だと思っていた。リラックスしているときにより高いパフォーマンスを出せる人。モーニング娘。内でも先輩が卒業していき、先輩に気兼ねすることが少なくなってから大いに存在感を増してきた。地元福井公演は気合いは入っても、精神的には逆にリラックス出来たのだろうか。

「ふるさと」(「兎追いし」ではない)。最高の「ふるさと」は何かと問えば、迷わず2005年福井公演での高橋愛の「ふるさと」だという人(ex.はっちまん。さん)もいるし、いや北海道で安倍なつみが歌う「ふるさと」こそ最高だ、という人もいるだろう。私はどちらも聞いていない。だから私にはどうとも言えないのだが、ただもともと「ふるさと」は安倍なつみに合わせて作られた曲ゆえ、彼女の音域にもあっているし、安倍なつみにとっては歌いやすい曲ではあるだろう。そして2006年高橋愛と安倍なつみの二人で歌われた「ふるさと」は私には安倍なつみの歌唱のほうが数段上に感じた。高橋愛は明らかに萎縮していた。

福井公演と同じツアーでDVD収録がなされた東京公演の「ふるさと」もやはり緊張感が表に出ているように感じられた。私は高橋愛の力が発揮された「ふるさと」を聞く機会はこれまでなかった。そして東京公演よりもおそらく力が入ったであろう福井公演での「ふるさと」も、たぶん私の中ではある種の見積もりをしてしまっていたのかも知れない。

しかしおそらくその見積もりは誤っていたのだろう。ある種の緊張やら気負いやらが彼女に大いに力を与えることもあるのだ、ということを今回の公演で私は身をもって知った。福井公演での「ふるさと」が最高の「ふるさと」であったのだ、という可能性を今は十分な納得感でもって受け入れられる。もちろんだからといって「いや、北海道での安倍なつみの『ふるさと』こそ最高だ」という主張を否定するものではない。

などといいながら、実を言うと私は「ふるさと」という曲自体にはそれほど思い入れがなかったりするんですけどね。安倍なつみ最高の曲は「微風」かも知れず、「空 LIFE GOES ON」かもしれず、「愛しき人」かも知れず、「たからもの」かもしれず、まだまだ候補はあげられるのだけれども、私の中で「ふるさと」は出てこない。そして高橋愛の歌唱の中で最高の曲は、といわれても同じく「ふるさと」はまず出てこない。安倍なつみが北海道で歌う「ふるさと」、高橋愛が福井で歌う「ふるさと」を聞けばいずれにおいてもまた気持ちが変わるのかも知れないけれど。実際、これまで高橋愛最高のパフォーマンス曲の候補に入れることのなかった「夢から醒めて」が、筆頭候補にあげられるようになったのだから。

やはり高橋愛なら高橋愛を「一番」に見ている人は、そうでない人とは少し見ているものが違うのだ、という当たり前のことを改めて思い知った次第。

■ ひそひそ話II

黒田 なんか前のエントリを書く前から、落ちがバレバレっぽいんですけど。それに俺の名前も勝手に変えられているし。

白井 まあ単なるエイプリルフールネタというよりもこれを機会に「推し」について改めて考えてみよう、ということだからいいんじゃね。

黒田 それにしても微妙なところをやるよね。狙いがきわどすぎるというか。せめて一推しがなっちから真野ちゃんに変わりました!ぐらいにしておけよ、と。

白井 そこをあえてリアルなネタにするから、膨らむ話もあるわけでさ。

黒田 で、結局あの「お知らせ」はエイプリルフールってことでいいんだよね?

長 それは秘密です。

白井・黒田 そこでひっぱるなよ!

2009年04月01日

■ ひそひそ話I

馬原 やあ、久しぶり。

小鹿 大晦日の「ハロプロ大賞」以来か。で、今日はなんだい?

馬原 いや、唐突な「推し替え」宣言があったので、ちょっとそのあたりについて語ろうかな、と。

小鹿 うーん、いきなり来たねえ。確かに「愛ちゃん愛ちゃん」な更新が増えているなとは思っていたけれど、一方でさりげに安倍なつみが一番なんだというアピールもしていたからねえ。

馬原 そう。それに11年、11年だよ、11年間守ってきた一推しを変更するという宣言をあんな短いエントリですまそう、っていうのが信じられない。そんなこんなでちょっと何考えてんだ、と。

小鹿 ただまあ、気持ちが変わっちゃったのだとすれば、それはどうしようもないからねえ。なまじあれこれ「推し替え」をした原因を語られても、変にネガティブな内容になりかねないし。

馬原 うーむ、納得がいかん。

小鹿 まあいい機会だから奴の推し遍歴を振り返ってみようよ。

馬原 振り返るも何も少なくともこれまではずーーっと一推し安倍なつみ、でしょ?

小鹿 いや、二推し遍歴のほうだ。

馬原 二推しか(苦笑)。そういえばあまり二推しの話は聞いたことがなかった。一推し安倍なつみ、二推しそれ以外、みたいなところもあったような。

小鹿 基本的にそういうところのある奴だが、それでもうっすらと二推しはいたりしたんだよ。

馬原 へー。

小鹿 なんか関心なさそうだけれども、振り返ると、「中澤裕子→市井紗耶香→加護亜依」。ここまででだいたい2003年半ば。その後は「加護亜依、藤本美貴、高橋愛」あたりでぐちゃぐちゃだった。

馬原 2003-4年といえば安倍なつみの卒業がらみで、そっちにしか神経が行っていなかったというのもあるしな。ところで大谷雅恵は?

小鹿 永遠の三推しらしい(苦笑)。でもこうして二推し遍歴を振り返ると、なんだかんだ「若い方」「新しい方」へ流れていっているんだよね。

馬原 二推しなんてものは割とどうでもいいと考えていたところもあるから、そんなものなのかも知れない。

小鹿 そして2005年、「大阪 恋の歌」でセンターでメインを張る高橋愛の姿を見て、「落ちた」。娘。が色々苦境にある中で、毅然とした立ち姿がとてもまぶしかったとか何とか。これ以降は「二推し」がどうでもいい感じじゃなくなった。

馬原 逆に彼の高橋愛遍歴はどうなの?

小鹿 加入直後は五期メンバーでは一番歌も上手いし、可愛らしいし、いいんじゃないかとか言っていた。そんなに関心はなさそうだったけれど。それからハロモニでの露出が増えてきて、そこそこ気に入っていた感じ。一方でハロモニで高橋愛のコーナーが他メンバーよりも多めというのでバッシングめいたことがなされ出したのもこの時期。

馬原 アホやね。

小鹿 そう、そういう部分での同情も含めて結構好意的な方だったとは思う。そしてミニモニ。「Crazy about you」、このときの高橋愛の歌唱を聴いて、かなりはまっていた。娘。のアルバムも買っていなかったこの時期にミニモニ。のアルバムを買ったりしていた。実を言うとこのあたりではまだ安倍なつみは歌唱面ではそれほど評価していなくて、高橋愛の歌唱をハロプロ内ではかなり高く評価していた。でもその後さっきあったように安倍なつみのモーニング娘。卒業で安倍なつみしか見ていない時期に突入する。

馬原 で、「大阪 恋の歌」で「再発見」するわけか。

小鹿 娘。のCDもまた買い出した。そしてなにより次のシングル「色っぽいじれったい」の握手会イベントに応募、そして当選。こういうのってあまり応募とかしないほうだから、この段階でもうかなり愛ちゃん愛ちゃんなんだよ。

馬原 ただまだ娘。のコンサートには行っていないんだよな。

小鹿 当日券で確実に入れなければ行かない、というものぐさ振りだったから、まあ行かないわな。

馬原 2006年、高橋愛主演ミュージカル「リボンの騎士」、ここで初めて東京にまで駆けつけた。いわゆる初「遠征」。

小鹿 最初に「リボンの騎士」を見たのは別の用事で東京にいたときだから、「遠征」とはちょっと違ったんだけどね。その時はゲストが松浦亜弥だったんで、どうしても安倍なつみゲストの回も見たい、と言うことでそこで「遠征」をした。だから初「遠征」は安倍なつみのためだったんだよ。でも実際はステージを見るときは高橋愛のほうに注目していた節もあったけれど。その後は「在宅」が続いて、2007年夏に高橋愛のディナーショーに参加、秋にはモーニング娘。コンサートに初参加。

馬原 安倍なつみの在籍時にも行かなかった娘。コンサートにここで初参加とはねえ。

小鹿 もちろん高橋愛がリーダーになったモーニング娘。を見たい!というのもあったのは確かだけれども、前売りチケットの買い方をようやく覚えた、というのも大きい。

馬原 前売りの買い方って、そんなん少しも難しくないがな。

小鹿 それが出来ない奴なんだよ。

馬原 でもディナーショーって前売りしかないでしょ?

小鹿 そっちは直接ホテルに電話すれば良かったから。プレイガイド経由のチケット購入方法がよく分からなかったみたいだよ。

馬原 意味不明。

小鹿 ただ07年の娘。コンはやや物足りなさそうな感じだった。しかし08年「シングル大全集」から「シンデレラ」、そして「リゾナントLive」と実に充実してきた。そして高橋愛主演ドラマQ.E.D.の話が。

馬原 やっぱ連ドラってでかいのかなあ。

小鹿 2009年に入ってなっち関連が微風ライブ浜松公演一本で、愛ちゃん関連が毎週のQ.E.D.に娘。新曲、そしてそのイベントじゃあねえ。そして福井凱旋コンサートと。

馬原 うーむ。でも奴にとっての「推し」ってそんなテンポラリな露出の有無で左右されるようなもんだったかなあ。もっとこう歴史とかそういうものを含めた「重い」ものだと思っていたよ。だって11年だよ。たかが3ヶ月の露出の差でひっくり返るなんて、ちょっと納得できない。

小鹿 言いたいことは分かるけれども、高橋愛だって4年間ずっと見守ってきたわけだし、そんなにテンポラリな話でもない。それとハロプロ内でのバッシング対象からほぼ安倍なつみが外れて、娘。そしてハロプロリーダーとなる愛ちゃんにあれこれ集中している、というのも残念だけど影響あるかも。

馬原 この界隈、アホが跋扈しているからねえ。

小鹿 それよりも逆にこれまで「推し」が入れ替わらなかったことのほうが不思議という見方も出来る。実際2004-05年段階の安倍なつみのパフォーマンスにはそれほど納得しきってはいなかったようだし。

馬原 その辺の話を掘り下げると98年までさかのぼらなくちゃならなくなるからねえ。あとハロモニ。の存在も大きかったかな。まだまだパフォーマンスよりもキャラ重視で「推」せていた頃だ。でも06年秋に娘。コンのチケットを取る行動力が奴にあれば、あるいは07年からの安倍なつみのパフォーマンスアップがなければ確かにちょっとやばかったかも知れない。チケットを前売りで買うスキルを身につけた07年は、ヴァンサンクコン、10年記念隊コン、アコなちコン、とこの年は完全になっちなっちな一年だった。

小鹿 逆に07年は娘。のほうは色々ごたついていて、中々本領発揮とは行かなかったしね。08年になって娘。も体制が整って、ようやくがちの勝負という感じになった。

馬原 2008年春のトゥーランドット。初日の記事を読んで、東京にまで見に行くべきだった!と悔やんでいたね。ここではまだまだなっちなっちだ。

小鹿 ただ内緒話だけれども、悔しがっていたことの原因の一つにレッドカーペットに高橋愛が登場したというのがあったんだけどね。

馬原 それはちょっと。

小鹿 そして夏のバースデーコンから秋のAngelicコンと実にいい流れ。でも娘。リゾナントLiveも熱かった。07年に後れを取った娘。が08年もよどみなく走る安倍なつみをひたひた追いつめた、という構図かな。

馬原 ってここまで話してて、ふと思ったんだけど、この「推し替え」ってやっぱネタじゃね?ほら、新年度より安倍なつみはハロプロメンバーじゃなくなるから、そのままハロプロでの一推しは高橋愛になるでしょ?とか、さ。

小鹿 ああ、なるほどね。確かにそういうネタを面白がる悪趣味なところはある奴だ。でもそれなら「一推し」を「変更」とは言わないんじゃない?単にハロプロ内一推しが高橋愛となりました、とだけ書くとかさ。それにあのエントリのどこにも「ハロプロ」なんて限定はされていないし。

馬原 うーん、そうかあ。対象範囲は全宇宙の女性アーティスト、か。4月1日の更新だから、ハロプロ卒業関連ネタかな、と思ったんだけど。。。ん?

小鹿 4月1日がどうかしたって?ん?

■ 重大なお知らせ

唐突であり、かつ私事ではありますが、私本日より「一推し」を安倍なつみから高橋愛に変更したことをお知らせいたします。

2009年03月31日

■ 携帯ストラップ

安倍なつみラジオ番組Five Stars卒業回。

そこで安倍なつみより衝撃のお話が。

あたしねえ、(携帯にストラップを)なんにもつけてないの。そうなの、もうシンプルイズベストみたいな。

えー!?

私はなっちとおそろいだと思って、アコなちはにわっちストラップをずっと付けているのに!

2009年03月26日

■ インペリアリズム宣言

藤本美貴婚約に関するファンブログを見ていると、妊娠していない、というところに好意的なメッセージを寄せているのがちらほら目についた。順番を守ったから素直に祝福できる、と。

ええと、それって辻ちゃんとか飯田さんとかのときには素直に祝福できなかったってことですか。それは人それぞれの倫理観・道徳観・結婚観などに関わる話なので、いいけれど。

とりあえず秋からは舞台が入っている、というのは先に聞いていたので、妊娠していたらそれは難しくなるだろうから、そういう部分では良かったとは思うけどさ。

そんなことよりも「藤本美貴婚約の御報告」にある次の文言のほうが私は気になったんだけどな。

今後藤本美貴は、結婚後も家庭を優先しながら芸能活動を行っていく予定でございます。

えーと、ゴウマンかましてよかですか。

「しょーじさんよ、あんたが家庭を優先して美貴帝さまの仕事を支えろよ!!!」

2009年03月25日

■ 祈りを込めて

少し不愉快な(ネガティブな)話をします。

モーニング娘。最新オリジナルアルバムの売上が(オリコン発表によると)最新シングルの3分の1を下回ったようだ。

オリコンという調査会社まがいの広告会社の問題はさておき、同じ会社の発表したシングルとアルバムの数字を比較すること自体にはそれなりに意味があるだろう。そしてそれがこの結果。

ショックを受けた。藤本美貴の婚約よりもずっと、比較にならないぐらいショックだった。

そのぐらいのこと分かっていなかったのか?と問われれば、なんとなくは、と答えるしかない。しかしいざ数字として提示されてしまうと、とても悲しい気持ちになった。

色々なことを考えた。結論の出しようもない、色々なことを考えた。「誰が悪いのか」という私が一番嫌いな方向にも頭が働いた(この場合、「結論」は既にあって、悪いことはつんく♂に押しつけておけという安直かつ「正しい」結論を得られて、少し気持ちが落ち着いた。けれどもすぐにむなしくなった)。

その雑ぱくな気持ちの変遷をつらつらと以下に記す。とりとめもなく、落ちも結論もなく。


つんく♂が悪い、という結論はある意味本当に正しくて、それは色々な方向から言えるのだけれども、安倍なつみファンという立場からいえば、昨年の「スクリーン」と「微風」、この二曲に対する評価に帰着する。私はこの界隈にいるアンチつんく♂派ではないので、仮に「スクリーン」だけを出されれば、それはまあそれなり(ちょっと理想とは違うけれど)、と思えただろう。しかしその直後に「微風」を出されてしまった。別の選択肢があったのだということをリアルに提示されてしまい、その選択肢がとても良いものであったのを「知って」しまった。そのときの「なんで『スクリーン』だったんだろう?」「なんでつんく♂だったんだろう」という思いはいまだに抜けることがない。


それでも明確な代替が提示されてしまった安倍なつみのケースとは異なり、今回に関しては私は特に不服は感じなかった。もともと私は音楽的素養がない人間ゆえ、アレンジがどうとかもよく分からないし、好みの音楽的方向というものも特に持ってはいない。もっと良い曲があれば、そっちのほうがよいとは思うだろうけれども、とりあえず出された曲は出されたなりに楽しめる。ただ私は歌い手の声、その歌い回し、に思いがあり、それがよく聞ければ、それで納得できる。

だから今回つんく♂以外の制作陣を用いていたら、もっと良いものになっていたのかどうかは私には分からない、としかいいようがない。つんく♂を悪者にするのは私には無理そうだ。


そもそも売れ行きなんてどうでもいい。私もそう思う。というよりもそう思いたい。でもそう簡単に割り切れない。


安倍なつみが「オーラの泉」に出演したとき、「ヒット曲が欲しい」といった。それを聴いたとき、何ともいたたまれない気持ちになった。安倍なつみに関してはとっくに「忘れていた」ことにしていた思いが掘り出されたように感じた。私はもはや安倍なつみには「ヒット」は望まないつもりだった。そして今もそれを明確に望んではいない(「望んではいない」というのは少し語弊があるかも知れない。私が安倍なつみの活動に望む様々な事柄の中での優先順位が低いということだ)。


CDを複数枚買う話。

私は「スクリーン」は五枚買いました。そう、複数枚買い。何のため?


昔話。

むかしむかし、私はさる(アイドル)歌手が好きだった。そしてあるシングルをやはり5枚買った。

その(アイドル)歌手はもはや(アイドル)歌手としての寿命は尽きていた。それはファンも、そしておそらく本人も、皆が分かっていた。売上が下がり、楽曲発表のペースも落ちていた。その状態を引っ張って1年、待望のシングル発売。私は「祈り」を込めた。「後もう一曲」。しかしその(アイドル)歌手がその後新曲を発表することはなかった。「祈り」は届かなかった。


「祈り」と、そしてファンレターの替わりと。

私はあなたの歌が好きです。そのメッセージを一枚のCD購入に込めて。


だから私は複数枚買いしたCDは捨てたことがない。「祈り」を込めたラブレターだから、捨てられるわけがない。15年前の五枚のCDだって、いまだにきちんと持っている。もちろん「スクリーン」も。


娘。最新シングル「泣いちゃうかも」、白状すると私は四枚購入しました。初回限定A,B各一枚、通常版二枚。普段買わない通常版二枚買ったのは色々な意味合いがあって(もちろん「握手会」抽選というのが頭になかったわけはない。現に四枚とも応募に使ったし)、2008年のリベンジというか、そういうのも含めた「祈り」も込めた。

でも本当は握手会とかのないアルバムこそ、ファンレターとしては正しいはずだ。「あなたの歌が好き」。握手会付きのシングルとは購入枚数を変えたくはなかった。でもアルバムは高かった。だからせめて、二枚。

私に関してはシングルの二分の一の購入枚数。そして全体においては三分の一。シングルとアルバムの落差作りに私も荷担した。そして私自身が荷担したこの落差に私はショックを受けた。


娘。への祈りとは「せめて後一曲」という後のない切実さではなく、安倍なつみの願い、「ヒット曲を」という祈りだ。歌い手としてのモーニング娘。の(再)評価。でももうそれを祈り続けるのは疲れた。何が、誰が悪いとかはともかく、今回のアルバム売上の結果を見て(もちろんそれはきっかけに過ぎず、それ以前の様々な状況を通じて)、もはやその祈りを込める気力が失せた。


後に残るのは「私はあなたの歌が好きです」、そのメッセージ。私は高橋愛の、そして娘。たちの歌が好き。それでいい。


CDというのは(音)データの詰まった媒体に過ぎず、あるいは握手券の包装に過ぎず、それ以上の意味を持たせるのは単なるフェティシズムなのかもしれないけれども。そして「チャート」というのは歌手活動の実体の一つを示す指標であると同時に宣伝素材でもあって(オリコンはまさにここにフォーカスを当てきっていて、だからこそ「調査対象店」を公表するという「調査会社」としてはあるまじき破廉恥なことも平然と出来るのだ)、宣伝になると思えばこそ、何ら「実体」を反映しないようなやり方を用いてでもチャートを引き上げようとする行為も経済的合理性を持つわけで、これもまた資本主義の織りなすフェティシズムの産物。二つのフェティシズムの狭間であがきつつ、考えたこと。

2009年03月24日

■ おめでとう!!!!!!

藤本美貴が婚約!?

なーんなんだろ、この妙に複雑な気持ちは。

別に私は将来藤本美貴と結婚したいとかいう妄想を持ったこともないし、そういう次元の話はどうでもいい、と思っていたはずなのに、なんか複雑。

というか、はじめてだよ、「ハロメン」(ハロプロメンバー)の不幸をちょっとだけでも願ったりするのは。

1年後とかに藤本美貴、早期破局!とかいうニュースが流れたら、思わずにんまりしそうだよ。

というわけで、ミキティ、婚約おめでとう!

2009年03月18日

■ たかが円盤、されど円盤

うちのサイトを読んでいる人なら既読だろうと思いつつ、紹介したいテキストがあった。

好きで×8+αさんのdialyより2009/03/17更新分「やっぱり疑問に感じること」

ここのサイトさんぐらいさらっと正論が書けたらいいのに、と思う。どうしても私はよけいなノイズを入れてしまう。

歌手にとっては曲っていうのは唯一無二な存在なわけでして、芸能人である以上は、色々な形の仕事がそこにあるとは思いますが、自分たちの曲、そして歌を唄うこと以外というのは、あくまでも手段であって目的ではあり得ないものだと思うんです。

・・・

イベントをやるのは別に良いとは思うんですけど、歌手のファンがその歌手にとって唯一無二であるはずの楽曲が実体のあるモノとなっているCDを、その付録ほしさに単なるプラスチック製のややこしい形をした過剰包装然として扱っているのは如何なものかと。

つんくの楽曲がどうのと「音楽通」ぶったテキストをものすくせに、この手のイベントに疑問を呈するのは「ひがみだ」というような情けないことをいう人(特定の新「ハロプロ」ファンのサイトさんを想定しているけれども、まあ特定の誰かではなくてそういう感じの人、いっぱいいますよね)には噛みしめてもらいたい、とかそういう余計なことを私は書くからだめなんだよね。

CDを一片の紙切れで十分なイベント応募券に代替させるこの「転倒」、そしてこの過剰包装による大量のゴミの発生、そういう事態を引き起こすことを「エコ」イベントにも度々登場するグループ(「ハロプロ」だ!)がやっているというこの二重三重の馬鹿馬鹿しさに何とも思わず万歳できる人って、やっぱり私にはよくわからないわけです。

先日紹介した英字新聞の記事を読んで、私はプロデュースサイドをちょっと見直した。「歌手」としてのメンバーたちの想いを受け止めて、それを実現しようと頑張っている、そう感じるところがあった。なのにその矢先の今回のCD「応募券」化。

まあ今までも散々やってきたことなのに何を今更、というのはあるけれども、そのCDにクレジットされてもいない人を「餌」にしてCDを買わせる、というのはさらにもう一段転倒を重ねてくれるわけで(しかもこれはかなり本質に関わる転倒だ!)、私としてはあきれかえるしかないわけだ。

で、そういうのを万歳する人に限って自分は客観的だとか何とか言いながら、ハロプロの未来とかプロモーションがどうとか語っちゃうわけで。お前はアップフロントの営業か!

少なくとも私は彼女たちの生み出す作品にもうちょっと敬意を払いたい。私は作品の生産者・「表現者」としての彼女たちを愛している。私は私がいいと思う作品を生み出す人を完全なる主観的立場でもって称えたい。

せっかくの素敵なテキストを私の難癖に利用してしまいました。うーむ、やっぱり私はノイズをたてすぎる。

■ オウム真理教を蔑称ネタとして用いること

ハロプロ大手ファンサイトにおいて、設立当初から運営に関わっていた人が、現在運営の主導権を握っている人の逆鱗に触れる発言を当該ファンサイト外部の別サイトにおいて行い、ファンサイトから「追放」。

この一件が多少話題になっている。

もめ事はそのサイトさん内部の問題で、外部からあれこれいうことでもないけれども、微妙に妙な論点で語られているところがある気がしたので、ちょっとだけ私の思ったことを書いておく。

切られた側は饒舌にいろいろしゃべっているのにたいして、切った側はあまり多くを語っていない。 「何度も時間をおいて読み返したがどうしても譲れない部分があった」とだけ指摘している。ここが具体的に何を指しているかが分からないだけに、あれこれいわれることになっている(そして私もあれこれ言うのだ)。

「追放」された人は自サイトにおいてAKB48の握手会に行き、その楽しさをレポートし、その際にハロプロの握手会のひどさについて触れた。そしてもうハロプロにこだわらずに、AKB48のほうに来たら、という勧誘を行った。

非常に雑ぱくに状況を説明するとこういう感じ。それで「追放」されたということで、ハロプロファンとAKB48ファンの気持ちのすれ違い、みたいな文脈で解釈して、ハロプロの「余裕のなさ」を言い立てる人がいたけれども、ちょっと違うんじゃないかと思う。

問題となった記述、ハロプロに拘泥するファンを「オウム真理教」に見立てて、「ハロプロサティアン」とか「ポア」とかいう言葉を用いていた。

私が「譲れない部分」を感じるとしたら、まさにここにある。

前にヒトラーを話題にしたことがあったけれども、それとある意味同じ構造。「オウム真理教」というのは今なお私たちの心の中に様々な思いや傷を残している。すくなくともこの更新をした人も私と同年代ぐらいだろうから、今の何も知らない「若者」と違って、そういう状況についての記憶ぐらいはあるだろう。そしてその記憶があれば、「オウム真理教」を単に人を誹り、笑い者にするためネタとすべきではない、ということを感じるべきだと私は思う。2chではそういう馬鹿な言葉が充ち満ちているけれども、この人はそういう2chのノリを「外」のファンサイトにまで持ち込んでしまった。この人には前からそういう言動はたびたびあって、私もかつて直接メールで糺したことがあった(黙殺されたけれど)。その悪い面が今回あからさまに出た、ということだと思う。

部外者としてみて、さて私が管理サイドだったら、と考えてみたが、私だったら「イエローカード」を出して、いきなり「切る」ことはしなかっただろうとは思った。それはそのサイト構成の問題だ。問題となった発言を行った場所は、当該ファンサイトから直接リンクをはられていたわけではなかった、一応別所での言動ゆえ、その言動でもってサイトから「追放」というのはやや違和感は感じる。

ただ「切った」側の「どうしても譲れない部分があった」という思いはそういうサイト構成といった理屈を越えた思いだったのだろう。それは「ハロプロファンのAKB48に対する余裕のなさ」などというような理屈付けとは全く異質なものだし、こういう「分析」をして悦に入っている人も実にくだらない。

2009年03月17日

■ FC発足イベント!

新ハロプロFCイベント参加は真野ちゃん新シングル購入が条件!

ま、私はFC会員じゃないからさらっと流すけれど、私が会員だったらかなりぐちゃぐちゃ文句言いたくなるお話。FC会員をなんだと思っているんでしょうね。ま、私はFC会員じゃないから文句言う資格無いけど。日程が5月だというのに4月発売の℃-uteのシングルとか5月発売のモーニング娘。シングルでは応募資格が発生しないみたい。いや、あとからそれでも応募できます、といわれても、とりあえずFCイベントに参加したければ真野CD買うしかない、と思うよね。

これを見たらAKB48はなんて良心的なんだ!と思えてくる。そうそう、同日に我らがこじはること小嶋陽菜属するノースリーブスもシングル発表するので、よろしくね。もちろん真野ちゃんのシングルもね。

2009年03月16日

■ 「場」としてのモーニング娘。

最近プロデューサー気取りが多くて疲れません?

ということで、私は(文化の)受容者という立場を基本的には崩さないようにして語ろうと思っている。否定的なことを書く場合でも「これこれすべきだ」「こうだからだめなんだ」、ではなくて「こうあってほしい」「これこれが不満だ」。同じようでも違う。あくまで受容者としての主観的立場で語ること、それが文化を語るということだ。

「こうしないから斜陽なのだ」、「こうすればうまくいく」、無責任なことを言うなって感じなんだよね。「あそこでバントさせたからこの試合負けたんだ」、そんな居酒屋でくだを巻くプロ野球ファンと同レベルの情けないことをブログで書くなっていうの。「あそこでバントさせるからつまらない試合になってしまった」、同じようでも違う。この違いがわからない人、ここのスタンスが違う人とは意見交換もできそうもない、ということを最近特に強く感じる。せいぜいチラシの裏でプロデューサーごっこを楽しんでください。

なんて言いながら、ちょっと私もプロデューサーごっこをしたくなってきたのだ。AKB48との比較におけるモーニング娘。のあり方、進むべき道。

AKB48については私は詳しくないので、ほとんど聞きかじりの知識で進める。

AKB48は複数の芸能事務所の連合プロジェクトであって、今後のメジャーデビューを目指すメンバーと、すでに大手の芸能事務所に所属していて、ソロでの活動も(AKB48とは独立して)行う力も持っているし、現に行っているメンバーとが混在している。しかしそういうメンバー構成においても、グループとしての目標を一つ掲げている。「武道館でコンサートを!」。

一方のモーニング娘。。考えてみればグループとしての目標というのはあまりなかったように思う。もちろん「オリコン一位」とか「紅白出場」とかいろいろあったとは思うけれども、それを事前に(ファンに向けても)掲げて活動を行う、ということはなかった。メディアで煽られて伸びてきたグループ故、これは一見不思議な気もするけれども、実はある意味当たり前のことなのかもしれない。

所属メンバーは(少なくとも建前上は)ソロ活動をするには「足りない」ために、モーニング娘。の活動を通じてスキルを磨き、将来のソロ活動へとつなげていく、それがモーニング娘。の「目標」だったからだ。グループとして何かをなすのではなくて、あくまで所属する個人が成し遂げることが求められていた。一部メンバーの知名度、人気をグループに還元しつつ、グループとしても目標を達成せんとするAKB48モデルと違い、その本義に於いてはメンバーの成長の場としてグループが存在している。メンバーが人気を取り、グループ人気に還元することは本義に於いては補足的なものなのだ。AKB48のグループが「組織」であるならば、モーニング娘。のグループとは「場」である。

しかし今、そのグループとしての本義が弱まっている。「卒業」自体がグループとしての力を削いでしまうので(本来から言うとそれはそれで一向かまわなかったはずだ。オリメン5人が独り立ちできるようになったときに華々しく解散!が成立当初の目標だったはずだから)、グループを守るために、力のあるメンバーの卒業も遅れ気味になる。そして遅れるあまり、本来の意味からすると「卒業」であってしうるべきメンバーがスキャンダルの汚名を着せられて「脱退」させられる。グループとしての力はますます弱まり、メンバーをだんだんと固定化させざるをえなくなってきている。

こうしてグループの本義を見失った結果、ファン界隈にどことなく「惰性」感が漂っている。それが今のモーニング娘。の状況ではないか。

ではAKB48と同じく「武道館コンサートを!」を掲げればよいか、というとそれは難しいだろう。何となれば、それはその気になれば多分できてしまうからだ。コンサートツアーの会場数を大幅に減らす。そして関東圏を1日か2日だけに絞って、武道館を会場にする。各地のモーニング娘。ファンがその日、その会場に行かざるをえなくすれば、それなりに会場は埋まるだろう。それでも不安ならゲストに卒業メンバーを呼べばいい。それでスペシャル感を演出すれば、ほぼ間違いあるまい。でも、それでいいのか?

コンサート会場を減らす、というのは全然前向きな話ではない。卒業メンバーを呼ぶ、というのも前向きな気がしない。そんな前向きでない施策で実現できてしまうことを「目標」とすることはできない。しかもかつてはそんなことをしなくても余裕で実現できていたことを。

さりとてそれに変わるような「目標」も、さっとは思いつかない。モーニング娘。デビュー時の「愛の種」5万枚に対抗して、握手会やりまくりで売上10万枚、というのは行けるかもしれない。でもこれもそれほど前向きな気もしない。

それなら「本義」に立ち返って、メンバーのソロ活動を充実させ、「卒業」後の方向をファンにもアピールする、というのは「正しい」方向のように私には感じられる。メンバー個別の活動の土台、「場」としてモーニング娘。を再定義すること。そして次の「堂々たる」卒業者を迎えること。後藤真希の卒業の知らせに悔し涙に暮れた安倍なつみを見守ってきた私にとっては、やはりそれこそがモーニング娘。だと思うのだ。


プロデューサーごっこ、確かに楽しい。やみつきになるかも、かも、かも。

■ The Japan Times

The Japan Timesの記事より。Morning Musume not ready to graduate yet

既出の話も多いけれども、ちょっと新鮮な話もちらほら。

(メンバーの?)「卒業」

Generation eight of the group, with nine members, is the longest-running incarnation so far, celebrating its two-year anniversary this month. Yet under the tutelage of producer Tsunku, "graduation" is likely never far away.

9人のメンバーからなるグループ8世代は今までで最も長く続いており、今月2年目を迎えた。しかし、プロデューサーつんくの後見のもと、「卒業」はまだまだありそうもない。

まあ、これはどこまで字義通り読んでいいのやらわからない話だけれども。

モーニング娘。の楽曲について

"Recently, the songs Mr. Tsunku gives us are kind of mature and lonesome," says Niigaki.

Asked how they may differ if they were in control, Niigaki replies: "If I could write a song, I'd like to write a little funny and jolly tune!"

"(I'd do) something cool. A danceable tune!" says Takahashi. "Like Destiny's Child."

Revealing their very different personalities, the Lin Lin suggests "rock music! A very crazy song! And the lyrics would be written in Chinese, Japanese and English!"

「最近のつんくさんが提供してくださる歌は大人っぽくて、悲しい感じの曲です」と新垣里沙は言う。

じゃあもし自分たちで曲を作るとしたらと聞かれて新垣里沙は答える。「曲を作れるんだとしたら、ちょっとおもしろくて陽気な曲を書きたいです!」。

「わたしだったらクールなもの。ダンサブルな曲!」高橋愛は言う。「デスティニーズ・チャイルドみたいなの」。

おのおの全く異なった個性を出す。元気いっぱいのリンリンは「ロック!はちゃめちゃな曲!歌詞は中国語、日本語、英語が混ざってるの!」

おのおのの曲の好みがかいま見えてちょっとおもしろい。その一方で最近の曲のパターンにやや飽き気味なのがちらりと感じられたり・・・?

メンバーの卒業と今の課題

Morning Musume have recently been on a slow decline in terms of sales, and the group's revolving-door regeneration has had the negative effect that few consumers today recognize individual members. However, the girls' different personalities are highly apparent, and it's clear the management is keen to cultivate their individual abilities to reverse the slide.

"Each one should be recognized as being in Morning Musume in her prime," says Nishikata. "It used be like that. Morning Musume were well known, but also (original member) Natsumi Abe was well known (in her own right). But nobody knows who is in Morning Musume anymore."

モーニング娘。は最近セールスという観点からは緩やかに下降傾向にある。そしてグループとしての世代交代は、メンバー個別を認識できる人が今日ほとんどいないというネガティブな効果をもたらした。しかしながら、メンバーおのおのの個性は明確にあって、今の状況を逆転するためにはその個々の能力を引き出すマネジメントをすることが重要であることは明白だ。

「メンバーはまず第一にモーニング娘。の一員として認識されねばなりません」、西方は言う。「かつてはこうでした。モーニング娘。は有名だったが、それと同様に安倍なつみも個人として有名だった。しかし今モーニング娘。に誰がいるのか知る人はいません。」

率直すぎて、言葉が・・・。結構シビアに現状認識を行っていることは確かなよう。

今後の活動について

"I'd really like to make sure each one of them continues to work after their graduation," explains Nishikata. "We have promoted them as a group so far, but from now on, we'd like to promote them one by one, so I hope they can do more personal work after this summer."

「私は卒業後もメンバーが確実に仕事を続けられるようにしたいと思っています」、西方は言う。「これまでグループとしてプロモートを行ってきました。しかし今からは個人としてもプロモートしていきたいと思っています。そのためにもこの夏からは個人の仕事を増やせるように願っています」

「卒業後」をメンバーサイドでしっかり見据えている、というのは、当たり前のことながら、ちょっと安心させられる。そしてそういう方向は少しずつ見えてきているし、今ツアーが終わったらだんだん本格化させていく、ということだろうか。期待していいのかな?

ファンのあり方

At Morning Musume's inception, the group's fan base was diverse, attracting young girls, boys and parents. But another probable reason for their recent decline can be attributed to the resurgent otaku (obsessive fans). At a recent Hello! Project show in front of around 14,000 in Yokohama Arena, barely a single woman could be spotted among the dedicated and exuberant middle-age male crowd.

In April 2004, audio footage recorded backstage reportedly captured then-member Rika Ishikawa exclaiming: "Look at them. Grownups screaming like that! I can't believe it. So stupid!" Although such a scandal is rare in the micromanaged Musume life, standing in front of such frenzied supporters clearly affects the girls.

モーニング娘。初期に於いては、女の子や男の子、その両親をも惹きつけるなどファン層は多様なものだった。しかし最近のモーニング娘。衰退の(メンバーの卒業とは)別の理由として、妄想的なファンである「ヲタク」のせいだと考えることができる。1万4千人を集めた横浜アリーナでの最近のハロプロコンサートでは、女性一人の客はほとんど見られず、必死で熱狂的な中年男性で埋め尽くされていた。

2004年4月、舞台裏の音源に当時のメンバー石川梨華が叫んだ声が録音されていたらしい。「見てよ!大の大人があんな風に叫んでる!信じられない。馬鹿じゃないの」。こうしたスキャンダルは娘。においてはほとんど無いが、こうした「いっちゃった」客の前に立つことは年頃の女性には影響がある。

いろいろ残念な話だけれども、正論です。それでは「中年男性」ファンとして何ができるか。。。

海外での活動

Morning Musume's move into China has been seen as the next logical step for the group. However, all has not gone according to plan.

"The attempt to launch Morning Musume into China hasn't gone very well," admits Nishikata. "CDs don't sell well, because they are soon pirated. Two years ago, when Lin Lin and Jun Jun (22) joined, we tried to push them hard to China, but it didn't go so well. We are still trying to find a way."

The future of succeeding generations of Morning Musume is clearly something Nishikata is working hard to secure. And a move to the West is a definite possibility.

"In Europe and the U.S., there are many fans of Morning Musume and Japanese idoru (manufactured entertainers), thanks to the Internet," says Nishikata. "(We) were invited to an event in L.A. called A.X. (Anime Expo) as a music guest this July. There are already a lot of fans of Japanese animation (in the U.S.), so it might be easy to get in through that."

モーニング娘。の中国進出はグループとして次なるもっともなステップとして考えられる。しかしすべてが計画通りに進んでいるわけではない。

「中国でモーニング娘。を立ち上げようという試みは必ずしもうまくいっていません」、西方は認める。「CDがあまり売れていない。海賊版が出回ってしまうのです。2年前、リンリンとジュンジュンが加入したとき、強く売り込みをかけましたが、あまりうまくいきませんでした。今やり方を模索しているところです」。

次世代のモーニング娘。の未来は明確な像としてあって、それを実現すべく西方は取り組んでいる。そして西洋への進出は明確な可能性として見えている。

「ヨーロッパとアメリカにはインターネットのおかげでモーニング娘。と日本のアイドルファンが多くいます」、西方は続ける。「七月にはL.A.のアニメエキスポに歌手ゲストとして招待されました。アメリカにはすでに日本アニメのファンがたくさんおり、それを通じて分け入るのは簡単かもしれません」。

中国進出もいいけれど、それで日本がおろそかになったきらいもあったような。。。お呼ばれしていくぐらいはいいと思うけれど。アメリカも。

結び

No matter where they go next, the curiosity is that Morning Musume, the concept, will no doubt continue to outlast any of its members.

興味深いのは、モーニング娘。がどこに行こうとも、概念としての「モーニング娘。」はいま在籍しているどのメンバーよりも長く続いていくことは間違いないということだ。

モーニング娘。は永遠なれ!でしょうか。


追記。高橋愛ファン目線で。

休みを夏・冬・正月に5日ずつもらっているという話を受けて

Exuding self-confidence, Takahashi bursts out, "I went to New York! I saw Blue Man Group and Broadway musicals like 'Phantom of the Opera,' 'The Producers' and 'Chicago!' "

自信をみなぎらせて高橋愛は言う。「ニューヨークに行きました。Blue Man Groupと「オペラ座の怪人」「プロデューサーズ」そして「シカゴ!」といったブロードウェイミュージカルを見ました」。

娘。加入

"In my case," says Takahashi, "since I was little I've loved singing in front of people. So, when I saw Morning Musume, I wanted to join them. But more than that, I just wanted to be a singer.

「私の場合、小さい頃、人前で歌うのが大好きでした。それでモーニング娘。を見て、入りたいと思いました。しかしそれ以上に、とにかく歌手になりたかったんです」

それ以外にもリーダー・サブリーダー関係とか、グループ全体の運営話とか、各メンバーのエピソードとかいろいろ盛りだくさんなので、興味があればそれ以外の部分も是非。英語が苦手でも翻訳サイトを使えばまずまず意味はとれます。


一応ざっくりとした全文訳。機械翻訳よりはましなはず?

続きを読む "The Japan Times"

2009年03月14日

■ 批評もどき

「外圧」があると、言説に微妙に乱れが生じて、これはこれで面白い。

モーニング娘。の「現状」を語るに際して、先日はモーニング娘。ファンにおいて、「おニャン子クラブ」への態度の違いについて話題にしたけれども、もうひとつ、どの時期のモーニング娘。が好きか、あるいはいつモーニング娘。にはまったか、というものもあるように思う。

最近特に私が違和感を感じるのが、いわゆる「黄金期」(広義には後藤真希加入から卒業までぐらい)を至上のものとする人たちの最近の言説。「勢い」を感じられるものこそ素晴らしい、今勢いがあるのはAKB48であり、それに比べてモーニング娘。は「負けて」おり、駄目だ、というようなもの。

「勢いがあるから素晴らしい」という価値観が私には全く理解も共感も出来ない。それって勝ち馬に乗りたいってこと?順序が逆だろうと思う。自分がよいと思うものが広く多くの人に支持されている、というのは嬉しいことだ。メンバーたちだって多くの人々に支持される方が嬉しかろう。でもそれを「支持されている」から価値があるのだ、という風にいってしまうと、この人にとって「文化」って何なのだろうと思ってしまう。

ちなみに私が好きなモーニング娘。は、例えば「真夏の光線」から「セカンドモーニング」の頃。鈴木亜美の勢いに完全に「負けて」いた頃。ボーカルとコーラスが美しく混ざり合い、質の高い楽曲が提供されていた頃。「限界」「解散」がささやかれ、メンバーにはとても大変だっただろうこの頃が、しかし私はたぶん「過去の」モーニング娘。としては一番好きだった(「今の」モーニング娘。はまた別)。

もちろん「勢い」を単に発表している楽曲などの作品の内部で語るのならば、それはそれで十分理解も共感も出来るはずだし、そういう語りもあるだろうけれども、ここ数日私がたまたま読んだのがそういうものではなかったということ。ただそういう(私からすると)質の低い語りがなんとなく主流言説になりそうな気がした、ということでちょっと釘を刺したくなった。

そもそも文化批評とは鑑賞者の主観を一般的な言語で語るものであって、チャートだ何だといった「客観的」な数字は批評の外部にあるものだ。それこそマーケティング分析みたいなのをやりたいのなら、そっちのほうが大事だろうけれども。

■ THE QUIZ SHOW

あややこと松浦亜弥、連ドラ出演決定

春夏の予定が全然出てこないので、何かあるといわれていたのが来ました。

個人的にはドラマはいいね。あややが出ていなくても見る枠だから、ありがたい。普段見ないバラエティとかわざわざ見るのがかったるくて。安倍なつみがここのところ出ていたバラエティ番組、録画したきり全然見ていないし。

それにしても去年後半から今年にかけて、「ハロプロ」全体として結構いろいろ動きが出てきているような。何というか、事務所が仕事しているな、というか。

ん?じゃあ「仕事をしていなかった」時っていつだ?何となく茫漠とした不満が界隈に渦巻いていたから、そんな気がしていたけれども、思い返せばそれなりにやることはやっていた気もしてきた。ま、去年モーニング娘。のシングル・アルバムをろくに出さなかったことだけはガチだけれど。

■ 写し鏡

関西地区のテレビ番組「ちちんぷいぷい」という番組にAKB48が出ているのを見た。AKB48をテレビで見るのは初めて、歌を聴くのもほとんど初めてだったので、ちょっとその感想などを書こう。

しかし曲の純粋な感想を語る前に、いろいろ余計な思いを付け加えたくなる。そういう余計なメッセージを付加したくなる、それはそういう売り方をAKB48サイドがやっているからだという面が正直ある。

CD販売チャートがライブ活動を行う際の指標ともなるという話もあるようだし、歌手活動を円滑に行うに際して単にCD販売の利益に止まらない意味を持つ、というのはそれなりに理解はしているつもりだ。しかしそれでもチャートを無理矢理引き上げるということを相互にやり合う今の状況はやはり「引く」ものがある。

やり出せばきりがない。AKB48のやり方が「あり」なのなら、極端な話、今後コンサートチケットをCD5枚セットとかにするということも「あり」となるだろう。CDを買わせるネタとして、「握手」か「ライブ」か、どっちがましかという程度の話だ。ライブに来たければCDセットを買いなさい。買う側の負担がこれまでの紙のチケットと変わらなければ、これはこれで十分成立してしまうのではないか。2000人規模のコンサートを4回行えば4万枚の売上。モーニング娘。のコンサート規模だったら、20万枚の売上だって無理ではない。

もちろん紙のチケットを製造するよりもCD5枚セットを製造する方が遙かにコストがかかる。だから本来だったら意味がない。でもチャートとやらの宣伝効果がそれほどあると思えば、やるところが出てもおかしくもない。恐ろしいのはCD販売チャートにせよ、テレビの視聴率にせよ、「数字」となるとそれが「実体化」され、一人歩きすることだ。そして制作サイドも、「ファン」もそれに振り回される。前に書いたとおり、私がAKB48のやり方に不快感を催すのは、それがハロプロの嫌な部分を見せつけられているように感じるからだ。

いわなくてもいい話ではあったけれども、さる音楽ファンサイトを見ていたら、AKB48について「曲はいいのに、あの売り方でイメージを悪くしている」という意見が散見されたので、私もちょっと反復してみた。

曲自体の印象に入る前にもう一点、AKB48制作サイドの発するメッセージも好きになれない部分がある。

例えば去年のAKB48のコンサート「まさか、このコンサートの音源は流出しないよね?」という名称がついていた。今年のコンサートは「神公演予定 諸般の事情により神公演にならない場合もありますので、ご了承下さい」となっている。

これは完全に私の好みの問題だが、この手のセンスが私にはついて行けない。特に前者の「流出」なんてことを制作サイドがネタにして、どう?面白いでしょ、といわんばかりにやられても、私は不愉快になるだけなのだ。全てを面白おかしくネタにしてしまえ、そういう軽さ、斜に構えた姿勢、私にとっての80年代文化の嫌な部分を反復されているように感じられてしまう。そしてなるほど秋元康だ、と私は妙に納得してしまうのだ。

そういえばモーニング娘。初期、おニャン子クラブとの比較がしきりになされた。モーニング娘。ファンサイドの反応はまっぷたつに分かれていたように思う。おニャン子クラブとの近似性を認め、それなればこそファンになった人と、逆にそれとの断絶を強調する人と。ある年代のモーニング娘。ファンの中にはおニャン子クラブを好きだった層と、嫌いだった層とが混在していた。

ちなみに私は「嫌い」ではなかったが、あまり好きにはなれなかった方。アイドル一般が好きではなかったわけではなく(中森明菜とか結構好きだった)、おニャン子クラブのある種の「軽さ」が好きになれなかったのだと思う。

いまのAKB48に対する好悪の分かれ方はそのときの「対立」が反復されているのか、とも思う。

それではモーニング娘。制作サイドの発するメッセージはどうなのか、となるとこれはとても難しい。そもそも私はモーニング娘。発祥の番組「ASAYAN」をほとんど見ておらず、見たときにも不快感を感じることの方が多かった。あとになって中澤裕子があるASAYANの「演出」について「嫌だった」と感想を述べたときに、心の中で快哉を叫んだ。

ただ、何故か集まってきたメンバーがよかった。それはASAYAN後でもそうだ。そしてそういう「いい」メンバーを集めるセンス、それがあればこそ、私は究極的に今の事務所を否定できないのだ。自らが行う「表現」というものに対するいじらしいばかりのひたむきさ、まじめさ、そういったものを私は多くのメンバーから読み取ってきた。そういうものを感じさせられる場が多く提供された。そして私の中でそういういじらしさがとてもよく感じられた二人が安倍なつみと高橋愛なのだ。

AKB48のメンバーについては私はほとんど何も知らず、ただ一人小島陽菜はドラマで見かけて、「悪くないな」と思った、それぐらい。今後とくに歌の場面で「良いな」と思うメンバーが出てくれば、制作サイドの嫌な部分とは別にAKB48を評価できるようになるかも知れない。果たして。

というところで、ようやく今日見た歌披露の感想。

曲自体は悪くないと思った。というか、こういうのもハロプロもやれよ、と思った。最近とみにつんく♂への風あたりが強いが、少し理解できる気がした。モーニング娘。もBerryz工房も℃-uteも、どれもあまりにも代わり映えがしない。もっとさっぱりさわやかに明るい曲があってもいい。

ただそれではAKB48に私が「はまる」かというと、そういう要素は今のところ皆無だった。ボーカルの魅力が感じられない。同年代の女の子を適当に同程度の人数集めてきて、歌わせてもほとんど同じような歌唱になるだろうと感じられた。歌がうまいとか下手だとかではなく、ボーカルの個性・魅力を引き出すような作りにそもそもなっていない。なるほどおニャン子クラブなのだ、と妙に納得がいった。あのような作りでは、少なくともテレビを通じてだけだったら、モーニング娘。メンバーに感じるひたむきさをAKB48メンバーから感じることは出来ないと思った。もちろん「現場」に行けばそういうのも感じられるのかも知れない。しかしそもそも現場にまで行こうとは今のところ(そしてたぶん永遠的に)思わない。

ということで、初めてAKB48を(グループとして)見て、ハロプロ・モーニング娘。の嫌な部分と、そして良き部分を再確認させられた。その限りにおいて今日見たAKB48はとても興味深かった。

2009年03月13日

■ 無事終了

幸せな三ヶ月でした。

またライブ・舞台等々でいい作品に出会えることを願っています。

2009年03月08日

■ あっひゃひゃ

ちょっと不快な話を書いちゃったけれども、実は最近は機嫌がいい。スマイリーキクチさんや辻ちゃんの行動も胸がすく思いがしたし、とても機嫌がいい愛ちゃんこと高橋愛の笑い声を聞いたのも大きい。

2/28ヤンタンより

さんま「21日に放送されたCDTV恋人にしたいアーチストに愛ちゃんが堂々の3位」、え〜!

道重 すご〜い!

村上 ほんま?

さんま うそやん!

高橋 あっひゃひゃひゃ

村上 まじでぇ〜

高橋 うそやんってそんなに言わんでも、ひゃひゃひゃ

文字には上手くできない愛ちゃんの笑い声、そういえば小川麻琴もネタにしていた。

一緒にお笑いのDVD見てたんですが相変わらず愛ちゃんの笑い方は独特です(笑)

お泊まり/小川麻琴モバゲータウン

■ 日曜の昼間っから申し訳ありません

「夜分遅くに申し訳ありません」辻希美オフィシャルブログのんピース

プチメールで勉強になる事も沢山あります!

でも言葉一つによって相手を傷つけたり、嫌な気持ちにさせたりしてしまう事もあると思います!

希空の悪口や、成長の事もです!

子供は何も悪くありません!!

公開されているコメントではなく、非公開の「プチメール」に(おそらく)大量の「批判」が投稿されたことに対して辻ちゃんこと辻希美が反論。

引用部分だけでなく、全文を読んでもらえれば分かるとおり、辻ちゃんが本当に怒っているということがストレートに伝わってくる。辻ちゃんの、何の衒いもない、まっすぐな気持ちが伝わってきて、胸が痛む。

「芸能人ブログ」でここまではっきりと書いたというのは、もちろん推測だけれども、よほどひどい投稿があったのだろう。親切ごかしの、その実悪意に満ちた投稿。

前にも書いたとおり、この手の「批判」を行う連中は明確に悪意を持っている奴と、自分では真に正しいことをしていると思っている奴らがいて、最初から悪意しか持っていない奴には何をしても無駄なんだけれども、自分は正しいと思っている連中に対してはこの手の反論は私は意味があるんじゃないかと思う。このエントリを読んで、少なからずはっとさせられたひともいるんじゃないか。


スマイリーキクチさんの一件があって、ちょっとしばらく2chのさる部分を観察してみた。その直前を観察していないために直接的な比較は出来ず、あくまで感覚的な印象に止まるのだけれども、以前だったらしきりに書かれていたさる誹謗中傷ネタがものの見事に消え去っていた。そしてちらちらとスマイリーキクチさんの一件をちらつかせる(うかつなことを書くと摘発されるぞという「警告」として)書き込みも見られる。

私は2chの改善とかそんなものにはほとんど価値を感じないけれども、それでもやはりましになるに越したことはない。2chは残念ながらハロプロファンが選んだ有力な言説空間であることは事実なのだから。2chからしてこうなのだから、きっとネット言説全体においてスマイリーキクチさんの一件は私は肯定的な効果をもたらしたのだと思っている。反撃すべきところではきちんと反撃すること。

どんなくだらないネタでも、しつこく反復されれば力を持ってしまうことがある。沈黙はやましいところがあるからだ、と解釈する人が根強くいるし、そういう人は往々にして意地でも沈黙を破らせようと躍起にネタを反復する。そして自分で最低限の事実確認もしない無責任な「一般人」がそのネタを肴に無責任な「批評」をする。いつの間にかネタは既成事実化する。


高橋愛の「熱愛」の一件だって、非ハロプロファンのほうがナイーブに信じていたりする。Q.E.D.ファンのブログで「ドラマ放送中ぐらいは自重しろ」なんてことが書いてあったりするのだ。2chの「アンチ」連中ですらネタとしてしか扱っていないことでも、馬鹿メディアが垂れ流してしまえば既成事実化してしまう。

「最低限の事実確認すらしない」というのは、要するにその言葉の定義において「状況」にコミットしないことを意味する「一般人」からすればある意味当たり前のことだ。でも「ハロプロファン」ならば、2chを見てようが見てなかろうが、このネタがどういう類のネタで、それを垂れ流している「メディア」がどういうものなのかぐらいは多少なりとも判断は出来るだろう。なのにさる松浦亜弥ファンブログがこのネタを今更ながら扱って、「処分」云々と話題にしているのを読んでものすごく腹が立った。ハロプロファン界隈にいて、あのネタの事実性を「真」として扱う人間はよほど悪意があるか、決定的にメディアリテラシーに欠落を抱えているかどちらかだ。普通だったらいちいち腹を立てることでもないのだけれども、そのブログは私がアンテナ登録していたところだったから、余計に腹が立った。もちろん直ちにアンテナ登録は外したし、今後は二度と見ない。

あ〜あ、私が把握している限り、あややファンブログの書き手って結構微妙に数が少ない気がして、その意味ではそのブログも結構重宝していたんだけれどもね。どっかまた探してこないとあややへのモチベーションが下がってしまう。毎週のラジオは私は聴けないし、レギュラー番組も私は見られないし(関西人はね)、ファンブログが結構重要な情報提供元になるだけにね。どこかいいあややファンブログがあれば紹介してください。


ぐだぐだ書いてきたけれど、要するに何が言いたいかというと、辻ちゃん頑張れ!圧倒的に頑張れ!ってことです。

2009年03月05日

■ 壁の裏

2/1(日)18:00〜行われました、「Hello! Project 2009 Winter 決定!ハロ☆プロアワード’09 エルダークラブ卒業記念スペシャル」横浜アリーナでの最終公演にて、追加で開放しましたバックステージ席において、後日、一部のお客様より「ステージが見えなかった」との苦情が寄せられました。

バックステージ席を開放・販売するにあたって、バックステージという席種の特性上、一般席と比較して、演出的に視覚的な問題がある旨を事前にお伝えして、ご理解の上ご購入いただいたという事と認識しておりましたが、一部表現や、解釈についての相違があり、公演当日、不快な思いをしたお客様がいらっしゃった事が分かりました。

Hello! Project 2009 Winter決定!ハロ☆プロアワード’09エルダークラブ卒業記念スペシャル横浜アリーナ最終公演のバックステージ席に関して

「一部表現や、解釈についての相違」ではないと思う。

いかにバックステージといえども、客席とステージの間に「壁」を作る無神経なステージ設営が非難されているのだと思うけれど。バックステージといってもステージ上のメンバーの後ろ姿を中心に見られると思っていたら、壁でメインステージが全く見えない、とか。スピーカやら何やらで視界は遮られるのは想定していても、壁はないだろう。

私個人はバックステージ席と言っても、実際はサイドステージだったので直接の被害者ではないけれども、開演前に「バックステージ」を見てみて、そのひどさにはあきれた。

邪推だろうけれども、少し思う。私がサイドステージで見られたのはそれが一般プレイガイド購入だったからではないか。壁に遮られた客席は、事前にどう「表現」しようと客がプレイガイドにクレームを付けたらさすがに問題になるのではないか。だからプレイガイド経由の購入客には比較的ましな席を売った。そしてクレームが直接事務所に来るファンクラブ会員には壁の裏の席を売った。そういうようにも思える。

いずれにせよ、ブログを見ていても、この仕打ちに怒りよりも落胆し、そのままファンをやめようと思っている人をちらほら見かけた。いかにメンバーが頑張っていても、こんなことで少しずつ、しかし着実にファンは失われていくのだろう。

この事務所のしでかした許さざるべきことのリストにまた一つ項目が加わった。

2009年02月25日

■ 鬱陶しいこと

ここ数日の「ファン言説」で気になったこと二点。

データ分析

なんだか愛ちゃん(高橋愛)ファンの言及がほとんどなくて、そうじゃない人があれこれ言ったりしている感じなので、あえて言及しておくか。

愛ちゃん、CDTV「恋人にしたいアーティスト」3位、おめでとう!実を言うと私も初めてこっそり投票しました。ちなみに安倍さん(安倍なつみ)が連続一位記録を打ち立てていたときは放置していました。ついでに小春(久住小春)10位、たなかっち(田中れいな)5位、おめでとう!

もともと、ネット投票なんてものの信憑性を云々すること自体がばからしいんだけれども、信用できないと思うのなら最初から黙殺すりゃいいのに。こんなの話題にする以上はランクインしたメンバーに対して「すげー」とか、逆に誰それがランクに入らなくて残念だ!くそー、とかそういう反応で十分でしょう。そもそもアンケート結果なんて、厳密な手続きを経たもの以外は学術的には価値0なんだし、そんなものを個別にどれが正しくて、どれは価値がない、とか言うこと自体がナンセンス。

だからネット投票の結果なんてものはそれ自体ネット言説の一つとして見るべきであって、つまりどんな結果でもそれはある一つの「現実」を構成する言説としてみるべきなのだ。それこそ「ヤフオク」の落札数から、mixiのコミュニティメンバー数から、ファンサイトの人気投票から、その一つ一つがハロプロの「現実」を構成する一つの「結果」。その一つを恣意的に取り出してきて、それが自分の実感に合わないから怪しい、別の結果は自分の実感にあうから価値があるとか。そんなご都合主義に過ぎないことを言うんだったら、最初から手前の実感だけでものしゃべってろよ、と思う。結論は既に自分の中にあるのだから、外部のデータなんて最初から参照しなくてもいいわけだ。

歴史哲学

最近「卒メン」ファンの現娘。にたいする言及に腹が立つことが多い。現モーニング娘。は現メンバーのものですよ。そして今の娘。の活動を支えているのは今のメンバーのファンですよ。卒メンファンが現メンバーにさして関心もないくせに、「モーニング娘。」の名だけであれこれ絡んでくるのがなんだか小姑のいちゃもんみたいに聞こえて正直うっとうしくて仕方がない。「音楽戦士」で現メンバーがオリジナルメンバーの名前を漢字で書けなかったからといってぐちゃぐちゃ言われていたりとかね。今の巨人の選手は巨人成立時のスタメンの名前全員、漢字で書けなきゃいけないのかよ!

モーニング娘。はたしかに卒メンや、そのほか様々に関わってきた人たちが紡いできた歴史の中に存在しているが、だからといってそれを日々自覚して感謝しろとかそういうのって、なんかやたら押しつけがましい宗教みたい。現メンは現メンで今を頑張って活動を続けること、それが歴史を紡ぐことだと思う。

そして私は将来安倍なつみの存在を知らない子がモーニング娘。として活動するぐらい、モーニング娘。が続けばいいと思います。ただその頃まで私が「ファン」でいるかどうかは別問題ですが。

ま、「中澤欲子」、「石黒安矢」、「飯田香お里」「福田安す香」という久住小春の解答は、中国人のリンリンに「久住さん、日本人ですか?」と言われたごとく、「学力」という意味では笑っちゃったけど。「安倍なつみ」だけは正しく書けていたので、問題なし。

もちろん無関係ではない人の名前を間違えることは一般的に「失礼」であることは間違いない。でもそんなことはその番組でも突っ込まれていたことだし、それ以上に「歴史への敬意の欠落」みたいな大仰な物言いでどうこう言う話でもない。

あ〜、結果的に正しく書けていたけれど、途中段階では「阿部」と書いていたみっつぃーこと光井愛佳はガキさんこと新垣里沙から5時間くらい説教食らえばいいと思います。

2009年02月20日

■ 限界、かも

いっとくけど、機嫌悪いよ!

なんて威勢のいい気分でもなく。。。

こんな奴らと同じ「空間」にいたくない、というのは端的に私の問題であって、それをどう正当化しても、結局私が去るしかないんだよなあ、と。いろいろなことに対する私の忍耐力というか、許容量というかがなくなっているのだろう。ごく一部ではあってもどうあっても存在を認めがたい連中が跋扈する「ハロプロファン」界隈というものに止まる、というのが「しんどく」なってきた。「しんどい」、標準語ではどう言えばいいのか、「しんどい」まさにそういう気分だな。

スマイリー菊地さんがネットで誹謗中傷された件で刑事告訴だっけ、したというニュースがあったけれども、あの話、今回は彼のブログに直接書き込んだ連中が摘発されたみたいだけれども、もともと2chあたりでまことしやかに言われていたのを読んだ記憶がある。

そういうことを言っている連中、最初に言い出した奴は知らないけれども、それを何らかの理由で信じてしまって、それを拡散した連中は「義侠心」からやっているところが結構ある。「正義」を笠に着ている、というよりもまさに「正義」だとかれらなりに信じてしまっている、という感じ。*奴ら*は真実を隠している。我々はそれを暴き、真実を明らかにする。そういう正義感をもってやっている連中が少なからずいる。でもやっていることは犯罪。

同じような構造がきっとハロプロ界隈でもあって、特にハロプロファンというのは「反体制」的心性の持ち主が妙にいて、かれらの思う「体制」側をかれらなりの正義感で糾弾している。体制の隠している「真実」を暴く。体制側のグループ・メンバーを攻撃する。そうして不当にも不遇を託っているメンバーを「救済」する。誹謗中傷の反復の中にかれらはさらに自らの正義を見いだす。ナチスのユダヤ攻撃と同じ構造。そして当然やっていることはほとんど犯罪。でもそんな犯罪の片棒を3流ネットメディアが担いだりするんだから、まあどうしようもない。

ブログへのコメントとかだけじゃなくて、2chで誹謗中傷を書いている連中にもきちんと責任とらせたらいいのにね。事務所が本気で動いたら、数人は挙げられるんじゃないか。それって凄い抑止効果になると思うけどね。

なんて威勢のいい妄想をしてみたりして、ちょっとは気持ちを立て直そうと思うんだけれども、所詮は妄想だしな。


本当は同じエントリで書くことじゃないけれども、なんとなくだらだらと連ねたい気分。


松浦亜弥「チョコレート魂」、モーニング娘。「泣いちゃうかも」は入手済み。「チョコレート魂」は一週間遅れでの購入となってしまった。アルバムを買った店に行ったらおいていなくて、買えなかった。で、娘。CDと同時に購入。早く聞きたいからデータ配信ですまそうか、という気も少ししたけれども、「ファンの義務」と思い、我慢した。

まあこのあたり、いろいろネタもあったんだけれども、そういうことを書く気分じゃない。

「泣いちゃうかも」発売イベントは一応応募。たぶん外れるでしょう。


今日のメロングリーティング、メロン記念日9周年、かつゲストモーニング娘。ということで気にしていたら(といってもさすがに東京までは行けない)、なんとなんと平家みちよが登場したとか。安倍さん、平家さんが来ましたよ、と(しつこい)。

ちょっとだけハロプロが心から好きになれた時代を思い出した。

いつからこんなになっちゃったのかな。

2009年02月13日

■ 世界の核

Q.E.D.証明終了「賢者の遺産」。タイムスリップものの定番としてある「物質」が二つの時空を繋ぐ。本作では主人公加奈が時空を行き来する出入り口となる屋敷(洋館)と加奈が過去に落としてきた携帯電話。

その携帯電話には加奈と、過去の世界で出会った青年とのツーショットが残されていた。その携帯電話を70年間、ずっと大切に持ち続けてきた青年(老人)。

感想文を読むとそこに突っ込みが入っている。電池が切れるだろう。そもそも70年間も壊れないわけがない。

この突っ込みは全く当たっていない。なんとなれば携帯電話は現在のものだからだ。携帯電話は現在今あるものとして、現在と過去を繋ぐ。携帯電話は今の時間から過去に向けて常に投げられた「物質」なのだ。

洋館は逆に過去から時を刻んで現在にいたって存在し続ける。そして青年は携帯電話という未来(現在)からの投下物を支えにして、洋館を未来(現在)に向けて温存し続ける。未来から投下されたその物質の存在によって、過去はそうあるものとして時を刻むのだ。そして70年の月日が流れ、二つの世界はある定点ー携帯電話ーに回帰する。

2009年02月12日

■ 「Q.E.D.」賢者の遺産

偶然にかける恋と、必然を作り出し、守る愛。

今日のNHKドラマQ.E.D.証明終了「賢者の遺産」の原作とドラマの違いを表現すれば、上のようになるだろうか。

主人公水原可奈がさる古びた屋敷でタイムスリップする。行ってしまった先は昭和9年。そしてそこで帝大に通う青年と出会う。

その青年と心を通わせつつ、現代に心を残す可奈。現代に戻ることが出来るのか、いったんはこの時代で生きていこう、とまで決意する。しかしまもなく現代に戻れるチャンスはやってきた。だがそのときは青年にピンチが。

可奈はチャンスを棄て、青年の元に駆けつけ、青年を助ける。戻るチャンスは途絶えた。このあとどうしようと途方に暮れる。「もし、もしよかったら」、言いよどむ青年。

まさにそのとき可奈は現代に戻るチャンスがまだ残っていることを発見する。タイムスリップした屋敷がまだ健在だった。「私、帰る!」。いったんは駆け出しながら、もう一度青年の元に戻って別れの挨拶を。手を握り、あとは後ろを振り返ることなく現代に戻る。

現代。その屋敷の持ち主はあのときの青年だった。売りに出されたその屋敷を青年は買い、何十年もの間、何も触ることなくずっと守り続けてきたのだ。

原作。可奈が冒頭に屋敷にやってきたのは偶然だった。かつての青年(今は老人)はずっと守ってきた屋敷をあえて取り壊すことを決断する。そうすることで最後に可奈にあえるチャンスが来ることを信じて。老人は、あのときの可奈に出会えることを数十年間ずっと待っていたのだ。果たして可奈はやってきた。偶然の成就。偶然の機会を何十年も待ち、必然にした老人の想い。

ドラマ。老人は現代の可奈を知っていた。孫娘の剣道の弟子。そして可奈がタイムスリップしたその日に、屋敷の取り壊しを決め、可奈を呼びつける。可奈があの時代にやってきて、そして確実に帰れるように、その日が来るまで老人はずっと屋敷を守ってきた。可奈が無事に今の時代に戻ってきたことを確認し、老人は安堵する。老人はあのときに出会った可奈を数十年間ずっと守ろうとしてきたのだ。必然の成就。必然を何十年も守り続けた老人の想い。

原作とドラマのぶれの中に、両作品の深みが見えてくる。

原作は自分では読んでいないんだけどね。

2009年02月11日

■ 憧れ My Girl

mixiあたりをつらつら見ていたら、妙なものがちょっと流行っているらしい。

憧れ女性ちぇっく。女性の好みに関するアンケートを答えていくと「お勧めアイドル」を表示してくれるとかいうもの。

私がたまたま見た人(いわゆる「ハロプロファン」ではない)の結果が

  1. 高橋愛
  2. 安倍なつみ
  3. 矢口真里

だった。

これはすごい。愛ちゃん、なっち、やぐち、まってろよ〜、というわけでやってみた。

結果

  1. 井上真央
  2. 愛内里菜
  3. 平野綾

あの〜、かすりもしないんですけど。

ついでにごちゃごちゃ診断結果もついてきた。

まず、ロリコン属性評価ですが、はたのさんの場合大人な女性が好みなようです。一般的な男子としては普通です。

次に知的属性評価ですが、知的な女性でなければ嫌なようです。一流大学卒でバリバリのキャリアが無いと付き合わない傾向があります。

そして、かなり明るい女性が好みなようです。服装も割と派手な感じが好きな傾向があります。 女性の胸に関しては、まあそんなにはこだわりは無いようです。あればあったで良いけど、無くても全然問題ないと言った感じでしょうか。

さて、見た目からみた性格的な傾向ですが、特にどちらでもなさそうです。優しそうな女性に憧れる場合もあれば、ハッキリしたキツめの女性も好きになります。

外見的な部分で言うと、大柄な女性は好きではないようです。特に小さいのが良いわけではありませんが、小さい方が可愛いと思っている傾向があります。

髪型にとくにこだわりはなさそうです。

身長あたりの質問では愛ちゃん、なっちが出るように回答を制御したんだけどなぁ。どうも愛、なち、やぐあたりを出すためには「ロリコン属性評価」が高くて、おバカ好きでないと駄目らしい。「ハロプロファン」界隈では愛、なち、やぐってすでに「おばさん」扱いされているんですけど。


人格を改造して、ロリコン、お馬鹿大好きキャラになりきって回答をやり直した。20なんてもうおばさんさ。女子高生大好き!若い子をどんどん取り入れるハロプロは永遠に安泰!

まず、ロリコン属性評価ですが、はたのさんの場合割とロリコンです。童顔な女の子が好きなようです。 次に知的属性評価ですが、割とおバカなのも可愛いかな?と思う反面、しっかりと常識を持っている感じが好みです。

そして、割と明るい感じの女性が好みなようです。デートは楽しいところに行く感じです。

女性の胸に関しては、こだわりはあまり無いようです。適度なふくらみがあれば文句は言わないタイプです。

さて、見た目からみた性格的な傾向ですが、かなり優しい女性が好きなようです。耳かきをしてもらったり、病気の時に看病されたら、もう我慢できないタイプです。

外見的な部分で言うと、150cm前後の身長がかなりツボなようです。ミニモニ。が大好きだったタイプです。 髪型にとくにこだわりはなさそうです。

そんなあなたにオススメなのは…

1位 北乃きい (281.9点)

2位 安倍なつみ (280.5点)

3位 永作博美 (278.7点)

・・・

あなたの憧れ、高橋愛さんは、267.1点(9位)でした。

なっち、来たよ、なっち。頑張ったよ!なっち。

2009年02月02日

■ Smile

私は待っていたのだと思う。高橋愛のある想いを察せられる機会を。

その機会は最大限に早くやってきた。明石家さんまさんとのラジオ「ヤンタン」。

件のネタが三流イエロージャーナリズムに流れて最初の放送。もし「声」からだけでも何かを感じられれば、と思っていた。しかしおそらく誰かが気を利かせたのかもしれない、かなり迂回した形だが、タイムリーなネタが振られた。

「(恋愛)スキャンダル」ネタ。そのことについて語る高橋愛の声は、いつものようにどこか茫洋としつつ、しかし心の底には確たる意志を感じさせられる凛とした響きの中に、かすかな怒気が覗いていた。

私がおそれていたもの。それは高橋愛の声の中にかすかな「恐れ」が感じられること。

「恐れ」の種がやがて根を張り、「ファン」への不信感となり、そうして彼女が去っていくこと。私たちはかつてそのようにしてあるメンバーを失った。私たちは振られたのだ、と思った。私はもうあんな形で振られたくはなかった。

もちろんそのときと今回とではいろいろな状況が違う。だからすぐに彼女が去ってしまうことまで心配したわけではなかったが、それでも彼女の中にかすかに芽生えた私たち(ファン)への恐れ・不信感を彼女の中に見ながら、彼女を見つめていくことは辛いと思った。彼女のファンへの笑顔の中に曇りが見られるとしたら、それはとても辛いことだと思った。

でも彼女の声には「恐れ」はなかった。そうではなくて「怒り」だった。まだ見捨てられていない、と思った。馬鹿息子を叱る母親のような、どこかおおらかな怒りを感じたとき、私は自身の中にあった不安が一掃されたように感じた。

2月1日、ハロプロコンサート。彼女の笑顔にためらいの影は見えなかった。どこまでもすんだ笑顔だった。

2009年01月28日

■ リセット

2chという場への*憎しみ*が如何ともしがたく、憎しみからはハッピーな言葉は書くことが出来ないので、ちょっといったん気持ちをリセットします。

今回の件がどうとかそういうことではなくてね。2chへの憎しみはこの4年もの間、ずっと募らせてきたもので、ちょっと今の状態ではどうにもならん。4年ですからね。筋金入りですよ。このサイトをそこそこ見ている人からすればその辺に関する私の異常さは何となく分かるとは思うけれども。こればかりはね、どうしようもありません。2chそのものだけじゃなくて、そのネタをそのまま盗用して垂れ流す三流マスコミとか、さらにそのネタをそのまま垂れ流すmixiとかそういうのも全部含めてね。そう、mixiね。よろセン!ヒトラー騒動の時もやらかしてくれましたよね。あのバカスイーツ御用達SNSね。まあ全部同類ですわ。

今回のことについて微妙に誤解されるといやなので、改めていっておくけれど、私は別に安倍なつみでも高橋愛でも、自分から笑顔で「結婚しました!」とか言うのだったら、それで私の気持ちが変わるなんてことは一切ありませんよ。ホント、そういうのは全然いいんですよ。

私が許せないのはプライベートを暴力的に暴く奴がいて、さらにそれをネタにあることないこと、愚劣な妄想を書き立てる輩がいて、それを肯定的に受け取り、広める輩がいる、というそのことです。その点では私に言わせりゃえらそうなお題目を唱えているmixiも同類ですわ。

もうそんなこんなの気持ちが限界で、今日は娘。の秋ツアーDVDが届いてちょっとだけ見てみたんだけれども、それを見ながら「奴ら」への憎しみがこみ上げてきて、ちょっとどうしようもないな、と。そういうのでいったんリセットします。

まあそんなことを言ってもハロコン横浜アリーナ公演のある2月1日に更新再開すれば、結局普段通りの更新頻度になるわけだけれども。安倍なつみ微風ツアー浜松公演のあとに更新がなければ重傷だと思ってください。娘。ツアー福井公演後に更新がなければそのまま「閉鎖」ということで。まあたぶんそんなことにはならないと思いますけれども。


なっちこと安倍なつみのコンサートDVDを視聴。

月並みだけれども、癒された。心が洗われるような。俗世とは無縁の世界。しばらくこの平穏に浸ります。

なっち、天使!

2009年01月27日

■ お詫びとお礼とその他もろもろと

先のエントリの内容に関して、直接ご本人にメールをし、回答をいただきました。その結果、私の側に相当の誤解がありました。また当該アンテナから問題となった記事一覧は削除していただけました。その点についてのお詫びとお礼と、それを踏まえてなお思うことを以下に書きます。

まず私はアンテナに上げられていたエントリ一つ一つが意図的に選別されたものだと認識していました。しかしそれは誤解でした。私も使っているi-knowというアンテナシステムは記事ごとに項目を立てる機能を持っているようで(私は自分が使いながらそのことを知りませんでした)、その結果として2chまとめサイト(このサイトについては後述)の個別エントリの題名がそのまま大量にそのアンテナに表示されてしまっていたのでした。この誤解は小さなものではありません。申し訳ありませんでした。

その上で、しかしなお、私が見たそのときの(そしてそのまま放置されていれば今なおそうであったであろう)そのアンテナの状態はひどいものだったといわざるをえません。はっきり彼女を毀傷し、さらにそのファンを愚弄するためにもっともふさわしい、そのためにある種周到に悪意を持って選ばれた言葉が並んでいたのです。それは2ch本体のスレッド一覧を直接見るよりもさらにずっと醜悪な光景でした。

私からすれば、信頼できるサイトさんのアンテナを見て、あの字面を見せられたのは、いわば夜道を歩いていて、いきなり後ろから殴りつけられたような(そんな経験はありませんが)、そんな気分でした。事態を落ち着いて理解できるようになった今でも胃が縮んで、ほとんど食欲がないぐらいですよ。防御態勢のない中で一撃を受けたショックというのはそれだけの力を持ってしまいます。

そうしたことについて了解していただけ、早速その記事一覧はアンテナから削除していただけました。改めてありがとうございました。

それを踏まえて、改めて思うのですが、やはり2chの取り扱いは私たちはもっともっと慎重にあらねばならないのではないか。私も元2ch言説の観察者として、2chを観察することの意味・意義は理解しているつもりです。人によってその意味するところは当然バラバラだとは思いますが、例えば私にとってはあれは一種プチファシズム研究になぞらえられるものと認識しています。人間のなかにあるわずかな悪意を編成し、動員し、一定の力に仕立て上げていく、そういう力学が蠢いた言説空間です。もちろんそれ以外にも様々な切り口はあろうかと思います。

しかしそれを意義あるものとして提示するのであれば、一層その取り扱いには慎重を要します。成果物は一定抽象化されたもの(例えば言説構造)として提示するべきこと。その具体的根拠を例示する際にも引用者としての責任の下で内容を慎重に選別すべきこと。スレッドの内容を丸ごと転載したり、あるいは当該2chまとめサイトの管理人の選別内容をそのまま転載したりすることは、いわば化学実験で用いる劇物をそのまま一般教室に放置するがごとき危険な行為だと思います。そしてアンテナに2chなり、そのまとめサイトなりをそのまま登録することもそれと同じ危険性を有した行為だと私は思うのです。実際何の注釈もないまま、例えば私のサイトとそのまとめサイトの記事題名が単に並列して並べられている空間というのは私にとってはやはりどうあっても許容しがたいものでした。「なんでオレのサイトがこの糞尿まみれの空間に置かれなければならないのだ?まあうちのサイトも糞尿か」、とか。

蛇足ながら、当該まとめサイトを2ch観察の代用品として用いることにも私は賛同できません。なぜ2ch言説観察の一環としてあのサイトを用いられたのかはまた改めてお聞きしたいのですが、私はあのサイトは2ch言説をとらえるという目的に照らしてふさわしくないサイトだと思っています。2ch言説観察の目的にもよるのでしょうが、あのサイトはご承知の通り、掲載内容の選別にバイアスがかかりすぎています。そこに2chの極限が現れているとも言えますが、私には2chの力学を越えた、まとめサイト管理人の恣意的な思惑、力が作用しすぎているように思えます。あのサイトを見ても2chという言説空間は取り逃がしてしまうのではないでしょうか。

もう一点、ファンサイト言説空間の状況についても私には誤解がありました。当該まとめサイト、私はあのサイトをアンテナ登録しているサイトさんは多数あるものと認識していました。そしてそういう状況に対する憤りがあったのです。実際何故そう思ったかというとhatenaのアンテナシステムには当該サイトを登録しているサイト一覧を表示する機能があり、それによると当該まとめサイトを登録している公開アンテナの数が207件あると表示されるからです。207件という数字は私にとって少なくない数字だと思いました。前述の通り「劇物」としての扱いを要すると私には思えるそのサイトをそれだけの人が公開アンテナにおいて登録している。それは私には理解しがたい状況に思えました。

でもその一覧で並んでいるアンテナの中身を見てみたところ、なぜかそのまとめサイトの登録はほとんど(全く)なされていないのです。他のサイトなら、登録サイト一覧で並んでいるアンテナにはきちんと当該サイトが登録されているのは確認しているのですが、本まとめサイトに限っては全然登録されていない。どういうこと?とちょっと状況が理解できていないのですが、今現在本まとめサイトをアンテナ登録しているサイトさんは私が当初認識していたよりもずっと少数のようです。google先生も駆使して検索してみましたが、ほとんど全く発見することが出来ませんでした。不思議であると同時に、安心しました。

いずれにせよ、アンテナ登録の選別内容について、そこにネガティブな意図を読み込んだのは私の一方的な誤解でした。申し訳ありませんでした。また登録内容に関しての早々の対処、ありがとうございました。

2009年01月26日

■ それでも僕はしゃべる

コメントレスをあえて本文でさせていただきます。

高橋順也さん

あと、http://d.hatena.ne.jp/risapul/20090126←ここをご覧になったら、少しは気持ちが晴れるかな?

いただいたコメントの一番ついでと思われるところからお返事するのは大変心苦しいのですが、私にとってはここが結構キモになるところです。

紹介させていただいたエントリ、読ませていただきました。

うーん、気が晴れるというか、むしろその次元では私は向こうさんよりもずっと楽観的ですよ。最大限まで(疑似どころか本気バリバリの)恋愛モード、処女性万歳!、愛ちゃんに男がいるなんてゆるせなーい!!!という気持ちになったとしても、私は元ネタには、その内容レベルでは何とも思いません。向こうさんはずいぶんいろいろ気にされているようだけれども、私にはそれが失礼ながら滑稽に思えます。まあ写真の中身については(理念として)語りたくないので、ぼかして話すしかありませんが、どうぶっちゃけても(本気恋愛モード全開の感情レベルで)くだらない写真というしかありません。

私が問題にしているのはまずは当たり前で、それ自体はここではどうしようもないことだけれども、ストーカーと呼ばれる盗撮豚野郎が存在しているということ、そしてここ(サイト・言説上)での問題として、それが提供するとされるネタを許容し、おもしろがる人間が存在しているということです。そしてそういう環境全体が彼女たちを傷つけている。私はそれを問題にしています。

それでは私たちは何が出来るのでしょうか?盗撮豚野郎を見つけたら、ぶん殴ってやりたいところですが、それが犯罪であること以前に盗撮豚野郎に出くわすのは同じ盗撮豚野郎だけでしょうから、まあかなわないことです。でも少なくともそやつらの提供したネタを肯定的に語ることだけはしてはならない、そしてそれをしている語りを許してはならない。

そうはいっても語る人は語るのです。どうしようもない。でもせめて自分の知り合いでそういう語りをする人がいれば、身を挺して止めなくてはならないと思いませんか?私はそう思う。絶交することになっても、私はそうした語りを続ける知り合いを野放しにすることは出来ない。してはならないと思う。

でも、(エクセプトミーで言いますが)皆さん、そうできていないじゃないですか※1※2。自分の直接の知り合い、ネット上での交友がある人が、ストーカーネタをおもしろがって話していて、それを断固として批判できますか?mixiでもその手の語りはここそこで見られますけれど、「マイミク」たちはなにも言わないじゃないですか。それで一般論として「ストーカーは許せない」と言っても私には全然説得力が感じられないのですよ。

実を言うと、件の彼は私が直接お会いした唯一の「ヲタ友」です。本当に唯一無二の友になる人だと思いました(思っています)。でもその友を失っても、私は言わなくちゃならないと思った。それも彼には申し訳ないことだけれども、「ヲタ」仲間に気遣って言うべきことも言わない(ように見える)この界隈に対するささやかなデモンストレーションとして、私はあえてこのサイトで公開詰問をすることを選んだのだと思う(前のエントリを書いたときはそこまで自覚はしていませんでしたが)。

だから私は写真の内容についてはスルーするべきだ、というのは全くその通りで、ただそれについてはご紹介いただいたサイトさんよりも私のほうがスルーしていると思っています。そして、それをおもしろがる語りについては逆にスルーしてはならないと思っています。

電脳丸三郎太さん

ありがとうございます。

この一連の書き込みが、私にとって「諦めない」決意だと今は思っています。

はっちまん。さん

一般的にはそうだと思います。ただ知り合いとなるとそうも行かないとも思います。まあ直接メールで詰問する、というのが正解だというのは分かっていましたが。


※1あ、出来ている人もいると思います、当然。表に出さずに、しかし直接はっきりNoを突きつけられている人がいるなら、それが一番だと思います。でもそれが出来ていない界隈もここそこで観察されるのも確かです。私はそれが赤の他人である限りはスルーするよりないし、極力スルーしてきたつもりです。

※2でも一方で2chのまとめサイトと称する、ストーカーネタを含めたスレッドを好んでかき集めている糞サイトにアンテナを貼っているサイト、そしてそういう無神経な管理人と仲良くしているサイトさんなんていくらでもありますよね。例えばそういうレベルの話です。「スルーする」というのは、そういうサイトへのアンテナを外す、という積極的なスルーが必要じゃないですか?そういうサイトを許容しておいて「スルー」は私は違うと思う。ここに来ているひとは自分のアンテナを貼っているサイトさんをもう一度チェックしてみてくださいよ。きちんと「スルー」出来ていますか?私は今回「スルー」出来なかった。私のアンテナには今現在もそういう糞サイトへアンテナを貼っているサイトさんが登録されてしまっている。だから今回は私は話題にすることもスルーできなかった。


結局私はまたしても懲りずに2ch的言説相手に喧嘩したかっただけなのかも知れない。もうそこからは撤退することに決めたのに。

もうひとつは、おかしな話に聞こえるだろうけれども、私はのことを悪く思いたくはなかった。だから問題は彼個人ではなく、2ch的なるもの、ストーカー的なるものを許容する*ファン言説*にあるのだということにしたかったのだと思う。個人的にメールをしたためると、私は彼個人を詰問しなければならない。実際にはサイト上で彼個人を詰問したのだけれども、それでも私の中では*ファン言説*を詰問したのだというエクスキューズを求めていたのだろう。

特に愛ちゃんファンには不愉快な思いをさせたことと思います。きっと私は今回の一件では、その実それほど愛ちゃんとそのファンのことを考えてはいなかったのだと思います。私はただストーカーネタ一般が、例えば少なくとも私が信頼していたの中に普通に流通しているということ、つまり私にとって限りなく「ファン一般」の間で肯定的に流通していると感じられたそのことに多大なショックを受けたのだと思う。

私は件のエントリを書き出したときには、もうこれを最後にサイトを閉鎖しようとまで思っていた。それほど私は*現状*にショックを受けた。ファン言説一般に絶望した。それはきっと客観的には単にへの一方的な過大評価に過ぎなかったことだと、今はそう思うけれど。

■ 親愛なる君へ

あなたのことを僕は最大限の親しみを込めて「君」と呼ばせてもらいます。まだ1回しかお会いしていないあなたに対して、ずいぶんなれなれしいことだと感じられると思いますが、そう呼ばせてください。

僕は君のメールアドレスを知っています。だから僕は君に直接メールをして問いただすことも出来るはずです。あえて公開サイトでお話しするのはナンセンスだ、とも思います。でも僕は君にメールをしたためる勇気が持てません。僕は怖くて仕方がないのです。

僕の言葉は君には通じていませんでしたか。君は僕がかつて書いた「蛇口を占めろ」というエントリに共感の意を表してくれました。このエントリに僕が書いた言葉は君には通じていませんでしたか。僕の日本語はそんなに理解できないものですか。

僕は恐がりです。自分の書いた言葉が全く理解されないことが怖くて仕方がありません。言葉の通じない異国の中に一人放り出され、全くコミュニケーションが取れない、そんな恐怖を僕は今感じています。

だから僕はずるくも、もしかしたら一人でも僕の言葉を理解してくれる人がいるかも知れない不特定少数のこのブログの読者全員にむけて言葉をつづります。誰か一人ぐらいは理解してくれるのではないか、そんな淡い期待を胸に、僕は言葉をつづります。

つまらない、甘えた愚痴から書きます。馴れ合いが好きではない僕がこんなことを書くのは恥ずかしくて仕方がない。でも僕はどういう次元で君と話が出来るのかが分からないので、あえて僕の甘えに満ちた感情的な文章から入ります。

君は僕が高橋愛という人のファンであることを知っていますよね。その君が、僕と直接会ったそのあとで、高橋愛を誹謗する複数の記事にアンテナを貼りました。作品・パフォーマンスへの批評でも何でもない、ただの誹謗記事にアンテナを貼りました。君のアンテナを覗いた僕がそれを見てどれほど悲しい思いをしたか、君は想像できるでしょうか。

僕の個人的な事情を続けます。

僕は2chを毛嫌いしてきました。してきましたが、いろいろな思惑で観察はしてきました。しかしそうして観察して得られる考察が2005年段階から一歩も進歩しないことにようやくあきらめて、ようやく2chを観察することを完全にやめることにしました。もちろん君の知ったことではない、僕個人の事情です。

2ch断ちをしてずっと僕は平穏でした。そりゃ多少はプラスの情報を取り逃がすこともあるだろうけれども、それでもやはりあのサイトは見るべきではない、とつくづく思いました。まあそんな結論はもっとずっと前から分かっていたことですが、それをつくづく実感しました。

なのに2chとは直摂なんの関係もないはずと思っていた場所を見て、そこで騒がれているらしいネタを見せつけられました。僕はバカな人間です。せっかく見ていなかった2chもまた覗いてしまいました。

はっきり言ってくだらないネタです。だから君も軽い気持ちでアンテナを貼れたのかも知れません。でも考えてみてください。盗撮された写真は実在するのです。その写真がそれ自体としていかに「無害」なものであっても、それをネタにあることないことをかき立てられている。それが彼女を傷つけることだとは君には思えませんか?そしてそれを見たファンもまた心を痛めるだろうと君には想像できませんでしたか?数日前、君の目の前にいた僕がどういう思いをするか、君はアンテナを貼るときに一顧だにしてくれなかったのですね。

あの記事をアンテナに貼った君の気持ちが僕には分かりません。どう想像しようとしても、僕には全く想像できないのです。あのような記事を書き、また嬉々としてそれを拡散させる人の顔は僕の想像の中では最大限に醜いものでした。そういう頭の、精神のおかしい輩がいるのだ、と信じることで、僕は何とか「この世界」との折り合いを付けようとしていたのかも知れません。

でも数日前に見た君の顔はとてもジェントルだった。そのギャップが僕を苦しめています。

ストーカーネタやらその他の妄想ネタで彼女を誹謗し、傷つけている、少なくともその片棒を担ぐようなことをしている人が、君のような人であったことが僕を苦しめています。

ストーカーが盗撮をしようとつけねらい、そしてそうして撮られた写真をネットに上げ、そしてそれを拡散させる人がいる。そういう環境に彼女を追い込むことに君の心は痛みませんか?その片棒を担いだのだという自覚はありませんか?撮ることだけでなく、それを拡散させることも同じ種類の罪を犯しているとは思いませんか?

お前も拡散させる片棒を担いでいるではないか、という第三者の突っ込みがあることは理解はしている。私は私なりにぎりぎりのラインでこの文章をつづっているつもりだ。他の誰でもない、私が今そういう状況に追い込まれることを一番辛く思える彼女のことだから、私はこの綱渡りを何とか出来るはずだと思って、この文章を書いている。他のメンバーなら、私もまた安直に誤るかも知れない。もちろん今回だって私は誤っているのかも知れない。それでもぎりぎりの思いで私はこの文章をあえてしたためる。

続けます。君がここ数日にアンテナに貼った一連のエントリを見て、君が高橋愛という人を余り快く見てはいないのだ、ということがよく分かりました。明らかにリンクをはるエントリの内容に偏りがあったからです。でもそんなことはいいのです。僕は「友」とそういう次元で一致しなければならないとは思っていません。だから僕は君が高橋愛の演技とか諸々のパフォーマンスを酷評するエントリを書いたからといって君のことを否定しません。でも君のしたことはそんなことではない。プライベートに関してあることないこと妄想を書き立てた、それもストーカー・盗撮というもっとも卑劣な行為を通じてえられた素材を元に書き立てた、そんな記事を君は僕を含む君のサイトの読者に「お勧め」したのです。

僕は君を軽蔑したい。軽蔑できたらどんなに楽だろうと思います。

一度だけ君に甘えさせてください。僕はどうすればいいのですか?「軽蔑すれば?」とでもいってくれますか?


2005年段階の私の2ch評。

■ 僕がこの世界を終わらせるんだ

自分のプライベートを盗撮する人間、それをネタに「盛り上がる」人間、そういう連中が「ファン」と称して跋扈する*この世界*は彼女たちにとってどういう世界なのだろう。その世界に本当に愛着を持って、楽しんで、誇りを持って仕事が出来るのだろうか。

盗撮された本人だけではない、自分たちの仲間をそのような目に遭わせられて、メンバー全員にとってこのファン界隈というものはどのようなものとして目に映るのだろうか。盗撮し、そのネタで盛り上がり、そしてライブでは熱狂的な声援を送る「ファン」たち。悪魔たちの送る声援。それに涙するメンバー。歪んでいる。腐っている。耐え難い。

もうこんな世界なんて消えてなくなればいい。

ハロプロとはファンクラブの名称、ファンとともにあるべき世界だった。そのファンが、その根っこまで腐っているのだとしたら、ハロプロなんてものはいっそなくなってしまえばいい。

■ 悲しみに

かつてストーカー写真とそれを元に騒いだ連中のせいでハロプロを辞めていったメンバーがいた。そのことへの怒りを共有した人なら(そうでなくとも、だが)、ストーカー写真をネタに盛り上がること、あるいはそういうことをしているサイトへのリンクを貼るということは絶対にしないものと思っていた。

なんで?なんで、ストーカー写真なんてもので盛り上がることに絶対的な嫌悪感を感じられないの?私には分からないです。

なんでそういう写真をネットに上げられることへのメンバーの痛みが想像できないのか、そういうネタを見せられてそのファンもまたいかに心を痛めるかが想像できないのか、私には分からないです。

良き友が出来た、と思ったのに。

もう何もかもよく分からないです。


参考エントリ

蛇口を閉めろ

2009年01月25日

■ オーラの泉

「オーラの泉」に安倍なつみ登場。

はてさて、どう見ればよいものか、困り果てる。ほとんど生まれついてのごりごりの素朴唯物論者ゆえ、この手の「スピリチュアル」系なお話というのはどうにも言及しづらい。いまさら「うさんくさい」だとか批判する気にもならない。私の世界観と相容れるものは全くないし、でもそういう世界観の現実的効用というのは理解は出来るし、基本的には生暖かく見守る、という姿勢でいるしかない。

まあ安倍さんはこういうのは好きだよなあ、というのも認識はしていたし、でも究極自分が一番な人だから、最後までずるずるはまりこむというところまでは行かないだろうと、その辺は安心はしている。安倍さんに限らずこの辺の若い女性はこういうの好きな人結構多いだろうなあ、とか。もっとも織田信長好きな高橋愛はまたちょっと違った感性を持っている気がするのだけれど。

一般的にこの手の語りというのは大仰な舞台装置を用意はするけれども、実際に語っている内容というのはぬるいというか、一般常識を薄くそのまま反復しているだけというか、対象に深く切り込むということが全く出来ないというか、そういうもので、それは構造的にそうなるのだけれども(きちんと対象に切り込む手間をかけられる人はその外部によけいな舞台装置など必要としないのだ)、この番組を見た印象もそのままだった。ありきたりのことしかいわないよなあ、と。

ただそれでもこれだけの舞台装置を用意した効用というものはきっとあって、安倍なつみおよび事務所にとって「盗作」に触れさせるためにはそういうのが必要だったのだろう、と。私はそういうのもちょっと不満だけれども。

もし私に究極の筆力と、多大な人脈と、多少の権力があれば、この件について安倍なつみに語らせる語り部には私がなったのに、という妄想は4年来持ち続けていて、そういう意味では「初」をこんな番組にさらわれたことが悔しくて仕方がない。

もっともこの話題に主として話をしたのは江原啓之さんではなくて、美輪明宏さんのほうで、美輪さんというのは表現者として一流の人であるので、それ自体としては良かった。それでも、仕方がないとはいえ、美輪さん自身はこの一件をほとんど何も知らないので、いっていることは間違ってはいないけれどもやっぱり少し皮相だなあ、と思う。安倍なつみの詩と元作品とを比べてみたことはないのだろう。それは美輪さんサイドからすれば当たり前のことで、いちいちそんな手間をかけるわけがないのだが、逆に安倍なつみサイドからすれば、この話題に最初に触れさせる相手としてはやはりきちんとそれにコミットできる人を選ぶべきだろう、と。理想論でしかないことは承知。

結論としての、創作活動を行うべき、というのには同意する。たぶんそのきっかけとして、この手の番組出演で「タブー」を破る必要があったのだ、とは思う。

ついでに「楽器」という話も出たが、楽器の演奏に関しては保田圭が先輩としてサックスに取り組んでいることもあるので、やればいいんじゃないか、と。ただやるにしても何をやるのか知らん。鉄琴?

番組冒頭の「ヒット曲が欲しい」という願いはあまりにも切なすぎるのだが、江原さん、美輪さんの「自分の作品を作れ」というのが至極真っ当で、よかった。ソロとしてのヒット曲はなくとも、モーニング娘。としてのヒット曲はあって、それは明らかに財産となっているわけだけれども、一方で足かせになっている部分もあって、未だにおちゃらけた歌しか歌えない「アイドル」というイメージが強固にしがみついてしまっている現実がある。それを思うと、ヒット曲なるものが空中戦でしか生まれにくい状況において、その空中戦で生み出されたヒット曲なるものの代表がモーニング娘。時代のヒット曲であるわけで、そういう次元のヒット曲をねらえる状況を今の安倍なつみが作っていくべきか、というのはちょっとわからない。それでもヒット曲が欲しい、というのなら、今の事務所にいては全く可能性がないのも明白で、その辺をどう折り合いを付けるか、だろう。それよりも、作詞作曲も含めて、自分の作品をとにかく作り込むことに精力を使う方が生産的だと思うが、そのためのサポート体制も今の事務所は結構微妙に思えたりもする。なんだ、八方ふさがりじゃないか。まあ個人的には作詞も作曲もしない、ただの歌手、というのも路線としては悪くないと思うけれども。それなら良質の楽曲提供者が不可欠になるのだが、それも今の事務所は結構不安。駄目じゃん。

モーニング娘。時代はメンバー全員がライバルだったから、食事とかも一緒に行かなかった、というのはこれまた強烈な話。メンバーの食事会に安倍さんがあまり出席していない、というのはファンでは知られた話だったのだが、単に出不精なだけかと思うところもあった。そうではなくて、自覚的にそうしていたのだ、というのをはっきり聞いたのはたぶん初めて、だろうか。「アットホーム」を標榜する今のモーニング娘。体制とはちょっと違う。どっちがいいとかいうのではなくて。

最後に非常に残念なこと。

平家みちよの近況を安倍さんって全く知らないのだなあ。まあそうだとは思っていたけれど。ちゃんと今でも歌手だし、ソロライブもやってますので。うちのサイトを見てくれていれば、把握できるはずだから、安倍さんがうちのサイトの読者でないことだけはよく分かりました。

あ、誰か突っ込んでね。

2009年01月24日

■ Q.E.D.落ち穂拾い

本質に迫るドラマ批評を書けた満足感でとりあえず今はいっぱいなのだが、些末なところにも少しだけ触れておく。

演技。高橋愛の演技についてはその評価にかなりばらつきが見られる。でも第一回分はともかく、二回目、三回目の演技はきちんと見れば、絶対に下手ではないよ。まあ、あれだ、歌手グループの歌を聴いて、一人が音をはずすとグループ全体が下手という印象を持たれるのと同じ。ちょっとまずい台詞回しがあった、というだけで、もうそういう印象を持ってしまっている人がいる、ということだろう。二回目、三回目はかなり微妙な感情を、決して舞台演技ではない、抑えた良い演技で表現できている。というよりもいい意味で演技をしていない。素な高橋愛をそのまま出している。素直で、繊細で、でもどこかがさつ。

三回目でもまだ多少のばらつきはあるけれど、「若手アイドル女優」と呼ばれる面々の水準には達している。特に台詞回しよりも個人的には重要だと思っている「目の演技」がきちんと出来ている。「目」の中に自らの中に宿る思いがけない恋心に戸惑い、相手の反応にいらつき、しかし愛おしく思う、そんな心の動きがきちんと表現されている。この「目力」はハロプロにおいてドラマ演技で一定の評価を得られている安倍なつみよりも上でしょう。

ドラマ全体としてはもはや推理ものとしての魅力はほとんどなく、高校生男女の成長物語からだんだんと恋物語へと進みつつある。原作は決して恋愛ものではない、という風に聞いていたので、第三回放送分でここまで恋心をほのめかしてくるとは正直思っていなかった。切なくも甘酸っぱい仄かな恋の香り。初恋の時のあの胸のときめきを思い出させてくれるドラマ。

というわけで愛ちゃんとの疑似恋愛モードで見れば、このドラマは傑作としか言いようがない。だったら原作はQ.E.D.でなくてもいいじゃないか、という突っ込みはこの際却下。

■ 「Q.E.D.」三回目

地デジでの録画に失敗したQ.E.D. 第二回放送分、再放送が1月31日にあると聞いて浮かれていたら、「関西地区・沖縄地区は別番組を放送予定です」。

というわけで個人的に傑作回となった第二回分は最高画質でのファイルは手元に残らないこととなった。毎度毎度なんで関西地区ってよけいなことをするかなあ。ぶつぶつ。

まあでもPCで録画した地デジファイルなんて、PC買い換えたらおしまいだし、DVDに焼けば画質が落ちる(はず)だし、Blu-rayディスク環境は持っていないし、「永久保存」とはどのみち行かないから、いっか。手元に残ったファイルは画質はいまいちだけれど、使い勝手はいろいろいいし。画質もどのみちPCがSXGA+の解像度しかないノートPCで見ることになるので、そんなに差があるわけでもあるまいし。あ〜、でも残念。

とまあいつもながらに地デジへの愚痴からはじめたわけだが、Q.E.D.三回目「学園祭狂想曲」。

だんだんとこのドラマの本質は高橋愛のプロモーションドラマなのではないか、という気がしてきた。とにかく愛ちゃんが可愛い。そういう感想はドラマ批評としては本質をはずしている、と思っていたが、間違っていたのは私だった。このドラマから我々が受け取るべきメッセージとは「愛ちゃん、きゃわ」、それが正しいようだ。

実際このドラマを見ているハロプロファンの感想を読んでも、ドラマの出来はともかく、演技もともかく、高橋愛は可愛い、というものが並んでいる。どうも私はハロプロファン視点を自らに持たせようと意識しすぎて、かえって本質を見失ってしまっていたのだ。

というわけで、あらためてこのドラマを見た感想。

愛ちゃん、きゃわ!愛ちゃん、きゃわ!愛ちゃん愛ちゃん。

うん、我ながら素晴らしい批評文が書けた。

2009年01月18日

■ 泣いちゃうかも

モーニング娘。2月18日発売の新曲「泣いちゃうかも」。

文化を享受した人はその対価を支払うべきである。

ということでこのページにアクセスした人はもれなく1PVにつき、100枚購入するように。

2009年01月16日

■ コラボ☆ラボ

なっちこと安倍なつみがX-JapanボーカルのToshiさんとコラボ。

この番組を見るのはあややこと松浦亜弥がチャゲさんとコラボしたとき以来。中々いいものを見せていただきました。

初顔合わせから練習シーンまで収録されていて、希代のボーカリストToshiさんと向き合う安倍なつみの緊張感やら感動やら息づかいやらがリアルに伝わってくる。最初に二人で歌うのは昨年末発売のベストアルバム「15色の似顔絵たち」から「微風」。アルバムを直に手渡しして「この1曲目に今回歌わせていただく曲が入っていて」と説明するなっち。「あ、ほんとだ」。そんな何気ないやりとりからも安倍なつみの息づかいが伝わってくる。

練習に入る。「微風に変更」というスタッフの声が入る。練習の順番が変更になったのか、本番で歌う曲が変更になったのか。後者ならどの曲から変更になったのか、何故変更になったのかが気になるところだが、まあ前者かな。アルバムを渡した当日そのまま練習に入ったようで、Toshiさんがハモりにかなり苦戦する。CDにもハモりが入っているのを聞いたToshiさん、「いまハモりが入っていましたよね」となっちに確認。「はいってます。でもあたしが入れたんじゃないんで。。。」。あれ、ハモり担当は誰だっけ?と歌詞カードで確認してみるとNatsumi Abe。あんたじゃねえか。

本番ではToshiさんの喉の調子が相当悪かったらしく、それが影響したかしなかったか、Toshiさんが絡む部分がやや少なかったのが残念。でもバックもヴァイオリンを中心としたストリングス5重奏と贅沢。松浦亜弥の時はギターベースだったので、歌い手に合わせて楽器の選定もいろいろ工夫しているんだなあ、と感じる。金もかかっているなあ。Toshiさんといる時間を「贅沢」と評した安倍なつみだが、視聴者にとっても贅沢な番組。

コラボの二曲目はToshiさんサイドの「永遠に旅すること」。こちらのほうは前もって安倍さんにはCDが渡されていたようで、下調べが済んだ状態からの練習開始。「何となく覚えてる?」。「何となく、はい」。まだ若手のアイドル出身の女性歌手を温かく見守ろうという雰囲気。期待値低めで一回通してみました、という感じで一緒に合わせて歌う。

歌い終わって第一声。「いけますねえ」。「いやーでも、はい」。そして安倍なつみ、カメラを見て「必死」。「すごい」とつぶやくToshiさん。歌詞カードを手作りするところから初めて、かなり研究を重ねていた様子。天才肌の松浦亜弥とは対照的に努力の人、安倍なつみ。

こちらのほうはToshiさんサイドの曲だと思っていたら、パートは安倍なつみのほうが多いじゃないか。しかもハモりあり、ソロあり、とかなりおいしい。ソロパートからハモりに切り替わるところが特に難しい、と安倍なつみ。

その切り替わりの最後のソロパート、「いつまでも」という一節がおそらく最高の安倍なつみ。声の艶から微妙な音程の取り方まで、これぞ安倍なつみという。ハードルを高くして、プレッシャーをかければ、期待以上にそのハードルを越えてくるのが安倍なつみ。確かにぬるま湯ハロプロなんかに止まっていてはいけないのかも知れない。本人は性格的に内弁慶なだけに、事務所まで内弁慶なのはどうにかならないものか、と思ったりも。

いずれにせよ番組スタッフも「すげぇ面白い」と太鼓判を押していたらしいこの組み合わせ、いやあ、本当にいいものが見られました。

■ 「Q.E.D.」二回目

愛ちゃんこと高橋愛主演ドラマ「Q.E.D.証明終了」二回目。

その前にまた地デジがらみの愚痴を。

10日土曜日は「Q.E.D.」の宣伝でNHKの土曜スタジオパークに出演。愛ちゃんのトーク番組なんてあまりに貴重、当然地デジでがっちり録画するぞと準備万端。

なのに、録画を開始すると同時にエラー。あわててPCを再起動したりして、なんとか途中から録画したけれど、出だし10分が飛ぶ。ああ、ショック。まあ急遽アナログで見られたから・・・。ああ、ショック。

写真集を唐突に出されて照れまくる愛ちゃんとか、デビュー前の映像を出されて恥ずかしがる愛ちゃんとか高画質で保存しておきたかったのに。。。

でもこの愛ちゃん、中々どうして、結構しっかりしゃべる。細かすぎて誰にも分からない物まねも披露してくれたし。「これやるの二回目なんですよね」とつぶやいていたその一回目は今は亡きハロモニ@。確か浴衣姿で「ノゥノゥノゥ!」と叫んでました。

終始謙虚で可愛らしく、しかも結構しっかりしたお姉さんぶりを発揮して、まあこの番組を見ていた人で愛ちゃんを好きにならない人とは人間としてどこか欠陥を抱えていると確信するのだけれど、一点、歌を披露する場面で「ラブマシーン」を照れまくってごまかして一節だけ歌ったのはもったいない。かつては藤井隆司会のバラエティ「マシュー」でうざく歌いまくっていた(ま、演出だけど)のに。もったいない、実にもったいない。

そして「本番」Q.E.D.二回目。今度はエラーを起こさないように前もってPCを再起動して準備万端。

とおもいきや、なまじ再起動をしたばかりに外付けUSBのキャプチャボックスを認識せずにまたしてもエラー。別所でリアルタイムに見ていたために録画されていないことすら知らずに、さあ見返すぞと思ってPCを見たら、全く録画されていなかった。録画失敗率高すぎ。

とりあえず低画質のファイルが手元にあるので、それを見返して我慢することにする。再放送があるらしいとのことで、私が取りそびれた2回目は2月初旬ぐらいのはず。それまで低画質ファイルで我慢するのだ。

肝心のドラマの内容だが、これがもう、1回目とは別物。2回目がこのできになるのなら1回目はもっと酷評しておいても良かった。やっぱり今回ぐらいのクオリティは欲しいよね。前回ははっきり言って高橋愛が出てなければ見るのをやめようかというレベル(ちなみに私はドラマは結構しつこく見る方)だったけれど、今回のできだったら、愛ちゃんがいるいないは無関係に見ようと思いますわ。

今回は事前にゲストキャストをみて楽しみにしていた江波杏子さんにつきる。やっぱりこのクラスの役者さんが出てくるとドラマの質が変わる。

もうトリックとかはどうでも良くて(演出・脚本サイドもそれ以外の部分で見せようとしている。それは前回からすでに覗えた)、今回でいえば「親の愛情」が主テーマになっているわけだが、これをぬるく描かずに、実に強烈な描き方をしている。死してなお娘を守らんとする母親の愛情から来る殺人なのだが、その母親を演じる江波杏子さんが鬼気迫る演技を最後の最後にするのだ。台詞もなく、ただ細工を施した人形のなかにじっとその魂を潜ませているというだけのシーンなのだが、そのシーンが狂気に満ちた恐ろしさを感じさせる。同じテーマで、同じ事件ネタでももっとぬるく描くことはいくらでも出来るのだけれども(まあ、「殺人」なのだから、余り綺麗に描かれても困るといえば困るのだけれども)、あえて狂気を前面に出すことで「母親の愛情」の強烈なまでの深さを描き出しているのだ。ちょっとしたホラー仕立ての、背中がぞくっと来るシーンでありながら、なぜか泣けてくる。これは最近のテレビドラマの中では名場面の一つに数えてもいいと思う。

ドラマ全体としては探偵役の天才少年燈馬想演じる中村蒼さんの余り目から鼻に抜ける感じがしないキャラが原作好きからは微妙に評判がよろしくないところもあるようだけれども、ドラマ制作意図からすれば、彼のナイーブな演技・演出も正しいものだと思う。主役高橋愛演じる水原可奈の母親が既に亡くなっていることと合わせて、天才少年の鮮やかな推理が売りのドラマではなくて、「主人公二人の成長」のドラマなのだ。

ドラマとしての完成度が上がるのに合わせて、高橋愛の演技も飛躍的に良くなっている。1回目は上手いか下手かと聞かれれば、「下手」と迷わず答えた(でもそう言いきるのが「ファン」として逡巡してしまったので前回は煮え切らないエントリとなった)が、今回の演技ならばほぼ問題なし。台詞が浮いたところもほとんどなく、表情も自然、抑えた演技をするべきところはきっちり抑えられていて、感情がナチュラルに伝わってくる。単なる元気だけが取り柄の「超健康優良女子高校生」ではなく、かすかな寂しさ、喪失感と、そこから来る愛情深さ、やさしさがシーンの端々に自然に浮かび出てきている。地が決して「脳天気」系ではない高橋愛の素の繊細さが良い方向に出ている。

ついでにやや余談ながら、最後の謎解きの場面で愛ちゃんが涙流しているのは、あれは絶対に目薬とかじゃありませんから。きちんと地で泣ける人。それも含めて、「きゃわ」とかじゃなくて、普通にドラマ批評的な視点から見ても、及第点。

もちろん愛ちゃんファン視点からしたら、終始「愛ちゃん、きゃわ!」の40分でした。あ、結局そこですか。ああ、そうですよ。

■ 酸っぱいブドウ

しばらく更新をサボタージュしている間にもいろいろなことがあった。ありすぎて更新が出来なかったというぐらい。

なっちこと安倍なつみ、春の小規模ライブツアー「〜春の微風〜 」、浜松公演は既にチケット入手済み。その翌日にある六本木STB公演でのチケット販売が火曜日。

関西からだから、浜松までいくのと、そこから一泊して六本木まで出向くのとでは支出額がずいぶんと違ってくる。今年は節約モードだし、今回はスルーかな、と思う。

というのがいつもの振りで、例によってまたまた一応STBチケット予約サイトにアクセスしてみましたよ。販売開始時間ちょうどにアクセスして、予約ボタンを押すところまで成功。でも次の画面に進んだらあっさり満席でさよなら。

ん〜、サイトの作りも良くないよね。普通予約ボタンを押して次の画面に進んだ段階で仮予約フラグを立てておくものだと思うんだけど、まさか個人情報入力早い者勝ち、とかじゃないよね?まあ一気にアクセスが集中した結果だ、と思っておくことにしよう。

というので、激戦が予想されたSTBライブ、文字通り「瞬殺」でした。公演数が違うから比較は出来ないけれど、あやや(松浦亜弥)のSTBライブが割とあっさり(といっても実際はこちらも「瞬殺」だったけれど)チケットが取れたので、何とかなるかなとも思ったけれど。

まあ浜松公演のチケットが押さえられていて良かった。STB一公演余分に見るためにかかる費用、浜松ー品川往復運賃+宿泊費+チケット代。ざっくり2万強。STBから直接買えるチケットって、ファンクラブの余り席しか座れないし、そうすると雑音だらけで、ステージは見えない。それで2万は高いぜ。ああ、チケット取れなくて良かった。

2009年01月10日

■ Q.E.D. 証明終了

高橋愛主演ドラマ「Q.E.D. 証明終了」。

私はドラマオタクだ。ハロプロメンバー出演番組を見る時間よりもドラマを見る時間のほうが圧倒的に長い。主要なドラマはほぼすべてを見ることにしている(昼ドラは除く)。かつては簡単だが一つ一つ批評文を物していたこともある。しかも結構シビアな見方をする。

今回の「Q.E.D.」だって高橋愛主演とは無関係に見る対象になるドラマ。当然、ドラマファンという視点で見る。シビアな視点だって保持する。それがドラマファンとしての矜恃というものだ。ここで「愛ちゃんきゃわ」なんて感想文を書いたら、それはドラマという文化作品への愚弄に他ならない。

さあ、始まった。しっかり見て、久々にドラマ批評をしっかり書くことにしよう。

第一回終了。さあ、批評文をば。

愛ちゃんきゃわ!愛ちゃんきゃわ!


というエントリで更新する予定だったのだが、もう少しまじめに書くことにする。

とりあえずハードディスクが磨り減るぐらい見返している。一応それが私のこの作品への評価のすべてだと言うことだ。愛ちゃんきゃわ!愛ちゃんきゃわ!

いや、だからそうではなくて、演技だとかストーリーだとか。

推理ものとしてはまあいろいろ突っ込みが入るところだろう。特に「容疑者」3人のキャラがあまりたっていないので、一回見ただけでは話の流れがよく分からなかった。これは辛い。少しゲスト役者が地味すぎたように思う。第2回放送予定を見るとキャラのたった役者さんが出演されるのを見てそう思った。トリックもまあ、いややめておこう。そこを突っ込めばきりがない。

演技・演出と言うところではいろいろ言っている人もいるようだけれど、これは演出サイドとして、かなりわかりやすい、小学生でも分かるような演技を求めたのだと想像できる。基本的に子ども向けドラマの演出。石黒賢さんの演技を見ているとそのように理解できる。繊細で、微妙な心理的変化を描く意図はなく、誰が見ても同じ心理解釈が可能な演出。ただその割に台詞の滑舌が悪い場面があったりして、すんなりストーリーが頭に入ってこないところがあったのは少し痛い。

高橋愛の演技についても基本的にはそれを踏襲したものと言うしかないだろう。もちろん堅さも見られたが、その点については場面ごとにずいぶん印象が違ったので、撮影開始当初の演技はかなり堅かったが、段々こなれてきた可能性があり、今後はもっと良くなっていくだろう。あと女言葉でしゃべっているシーンは少しわざとらしさが感じられるので、作中人物像(暴力的なところもある元気娘)からしても、普通に中性言葉でしゃべらせる方がいいと思う。

とくに最終場面、天才少年燈馬想が高橋愛演じる水原可奈に「Q.E.D.」の言葉の意味の説明をし、「いつかQ.E.D.できるのかな」とつぶやくところの二人は表情を含め、良い演技をしていた。そしてこの場面こそ、毎回の謎解きとは別に、このドラマ全体を貫くおそらく最も重要なテーマに関わる部分、ここがしっかりしていた、というのは大切なポイントだ。

あ〜、落ちに繋がらない。え?どんな落ちを用意していたんだって?

愛ちゃんきゃわ!愛ちゃんきゃわ!

ワンパターン。つまんない。

2009年01月07日

■ 古き良き伝統

安倍なつみと矢口真里がレポーターとして出演した「世界の村で発見!こんなところに日本人」。これは中々実によい番組であった。この二人が出ているとかは関わりなく(といっても出ているから見たわけだが)、番組そのものとして面白かった。

しかしその面白さはここで書けるようなたぐいのものではない、見てない人は再放送でもあればまた見てください、というしかない。とりあえずここで書くべきこととして、「モーニング娘。」ファンとしてはやはり「なちまり」がポイントだ。

最初にカメラが二人並んでいるのをとらえたシーン、安倍なつみはきょとんとして何となく初々しく、矢口真里はそれからするとやはり落ち着いた雰囲気。そういうシーンからしても、その他諸々のこれまでの「記憶」からしても、頼りない安倍なつみをしっかり者の矢口真里があれこれフォローするのだろうな、と今後の二人の道中を想像する。その後、「アイスランドはどこか」と問われて、地図も何もない中空の明後日の方向を指して、「こっち?」と答えた安倍なつみと、「またまた〜」という表情を浮かべつつ、それにあえて乗ってみた矢口真里の姿を見て、その思いを強くする。

しかし道中は中々どうして、安倍なつみが結構「お姉さん」っぽく振る舞っているのだ。強風の中、矢口をかばうようにする仕草、ヒッチハイクをするとき、先にターゲットに駆け寄り、身振り手振りでやりとりする様、バスターミナルの窓口で英語混じりに問い合わせをする様、あ〜なっちは自分がしっかりやらなきゃ、と思っているのだなあ、と。

1998年「抱いてHold on me」のキャンペーンのシーンを思い出す。このときは矢口真里はまだ加入してまなし。移動車から出て、大勢の観衆が待つステージに登場する場面。安倍なつみは「怖い、怖い」と言って後輩矢口真里の背中に隠れるような仕草をした。それと比べて10年で何たる成長ぶり!

しかしやはりなんだかんだ矢口はあれこれ気を回して安倍なつみをフォローしているものだ。「姉」を立てつつも、良く気のつく賢い「妹」として実に上手く場をコントロールしている。頼りない姉を立てつつ、それを支えるしっかり者の妹、今のモーニング娘。に同じ構造が反復されていることを思い出す。「頼りない?リーダー」高橋愛、それをなんやかやと支える新垣里沙と後輩たち。なるほど、モーニング娘。の伝統の一つなのだ。

■ 道重さゆみの「小学校教科書クイズ 」

道重さゆみが大活躍したクイズ番組「小学校教科書クイズ 」に関しては既に界隈で多くのテキストが生産されている。しかしその多くのテキストは本質を取り逃がしている。

しかし結論は佐紀先(普通に変換したら佐紀が先に出た。おかしいな)に送って、そろりと参ろう。

まず道重さんの珍解答、あれはウケ狙いだったのではないか、という議論がある。確かに純然たる間違いとは思いがたい解答があった。

この点については確かにウケ狙いの要素があったと言おう。しかしそれはかの番組で「ドーピング」と呼ばれているたぐいのものではなかっただろう。「ドーピング」とは実際は正解が分かっているのに、あえてウケをねらって間違った解答をすることだ。それはクイズ番組的には反則だろう。

しかし答えが分からないときにどう解答したか、は別の問題である。何とか正解に近い、正解の可能性があると思しき方向に頭が働いたとき、何とか正解にたどり着こう、可能性は低くとも当たる可能性のある答えを書こうとするだろう。そして道重さゆみもそうしていたはずだ。問題は正解が皆目見当もつかないとき。全く何の手がかりもえられない問を前にしたとき、普通私たちは無解答、空欄とする。しかしテレビ番組解答者としてそれは許されない。となると何か答えを書かなければならない。

皆目見当がつかない以上、何を書いてもどうにもならないのだ。それでも何か書かなければならない、そういう状況を思い浮かべてみれば分かるが、これはかなり苦痛なのだ。

そういう状況にあって、ネタを書けたのだとすると、それは既にそれだけでたいしたものだと言わなければならない。道重さゆみの「ウケ狙い」の解答とはこういう状況において生み出されたものだ。

ましてそういう「お笑い」の素人にとっては苦しい状況の中で生み出されたウケ狙い解答(と思しき解答)、これが実にたいしたものであった。

三葉虫の化石の写真を見せて、これは何の化石の写真かを問う問題。道重さんの解答は「カイヤ」。

笑いを解説するのは全くもって野暮なのだが、しかしこの解答、実に理知的に計算された絶妙な解答となっている。この解答の面白さはオンエアを見るのが一番として、野暮は承知でこの解答が理知的なものであることを簡単に説明しよう。

この番組、解答者にはかなり多数のゲストがいたのだが、その中の一人に川崎麻世がいた。周知の通り、川崎麻世さんは恐妻家と知られ、その奥さんの名が「カイヤ」。道重さんは川崎さんが「いじられる」ように絶妙なパスを出した。

道重さゆみのすごさはこのパスがロングパスだということだ。バラエティ慣れしていない人間が人をいじる、乃至いじらせようとしても普通短いパスを出すのがいっぱいいっぱいだろう。「身内」に振る。同じ解答者席にいた「先輩」矢口真里か、せいぜい同じ「バカキャラ」スザンヌ、つるの剛士にまで振れたらたいしたものだ。

それがいきなりの川崎麻世。何の接点もない、大先輩を「いじらせる」。しかも絶妙のポイントで。これほどのロングパスを成功させられる人はそうはいるまい。

実際あの場面でこれ以上の解答があるだろうか。あるいはこれと同等か、これ以上の解答を出せる「お笑い」芸人が今のテレビ界にどのぐらいの割合いるだろうか、と考えれば、あの解答は限りなくボケの模範解答に近いものであったと言ってよかろう。

ウケ狙いといっても、単に突拍子もないこと、あるいは下品なことを言うのではない、実に計算し尽くされたボケをかます、このことを積極的に評価すべきなのだ。高橋愛が道重さゆみを評して言った「頭はいいです、でも言葉(=知識)を知らない、その辺がまだ若い」その通りに、道重さゆみの頭の良さが最大限に発揮された名場面だったのだ。

要するに「バカ(=知識の欠如)」が受けたのではない、計算された笑いを作り出した「頭の良さ」が評価されたと見るべきなのだ。

しかしこの道重さゆみ評もまた本質を取り逃がしている。この番組の道重さゆみは確かに面白かった。しかしそれはいまだ手段に過ぎない。彼女を画面に多く映らせるための。

道重さゆみが画面に多く登場することによって、この番組の視聴者に伝えられた一番の本質、それは「道重さゆみは絶対的に可愛い」ということだ。これがこの番組の本質であり、すべてなのだ。

2009年01月06日

■ 幸先良し

「よろせん」地デジでの初視聴。

晴れ着姿の娘。を今年はじめてみる。初娘。あるいは娘。はじめ。ってなんか別の言葉と間違えそうだな。

ポケモーからは愛ちゃんの晴れ着待ち受け画像をダウンロード。これまではデフォルトのクールなアナログ時計を待ち受けにしていたけれど、愛ちゃん晴れ着があまりによかったので、待ち受け画面を変えてみる。なかなかいい感じ。

なかなかいい感じのスタートを切った<何のだ?

2009年01月05日

■ 幸せって何だっけ

トラックバックをいただいた内容についてのお返事。アンジェラスさん「勝ち組〜負け組とか〜」

どうも話がかみ合っていないのか、すれ違っている感じです。例えばPaboと音楽ガッタス、私は両ユニットのファンでは特にありませんので、あまり両ユニットの置かれた状況についてはよく知らないのですが、アンジェラスさんの言い分を読むと、Paboは「勝ち組」、音楽ガッタスは「負け組」と言っているように読めます。そういう言葉を使う使わないは別として、この両ユニットにそりゃ「違い」はあるでしょうが、アンジェラスさんのエントリを読むと両ユニットに価値的な「差」があるように読めます。それを自明のものとされても、私はよく分からないのです。知名度も確かに重要でしょうが、その一点を持って「この両者の違いって、一体何なのでしょうか」と言われても、私は困ってしまいます。それはまるで例えば「プロ野球」と「カーリング」と、知名度に違いはあるけれども、「この両者の違いって、一体何なのでしょうか」と問われたような戸惑いです。カーリングファンに向かって、君たちの応援している競技は知名度が低い、カーリング協会(そんなのがあるかどうかは知りませんが)はアピールが不十分だ!と煽っているようなもので、そんな煽りをされてもカーリングファンからすれば不愉快になるだけじゃないですか。私はPaboと音楽ガッタス、どちらからがより価値があるとも思いませんし、さらに言えばどちらかがより*ユニットとして*幸せであるとも思いません。アンジェラスさんは多くの人に知られていることが*ユニットとしての*幸せの必要条件だ、という前提でお話しされているように思いますが、それが私には分からないのです。知られているに超したことはありません、しかしそれこそが重要だ、知名度が不足しているのは不幸なことなのだ、といわれると、少なくとも私はカチンときます。

私にはどこかしらアンジェラスさんは論理を転倒されているように読めてしまいます。知名度があるものが価値があるのではなく、価値があると思うものを少しでも知らしめたいと思う、私はそう思います。たぶんアンジェラスさんも同じことをおっしゃっているのだと思います。だからたぶん私の誤読だとは思うのですが、音楽ガッタスとPaboのくだりは特にそのように読めてしまいました。アンジェラスさんの表現があまりに「中身」を省いて、知名度に力点を置かれているからです。

もし論理の転倒が私の誤読であるならば(当然そうであるはずだと思っています)、「ファンの皆さんが個人サイトやブログ等を通じて、アーティストの活動を世間に向かって発信する事は出来ると思います」というくだりについては100%賛同いたします。

しかしそれならより一層私たちのなすべきことはメディア露出の少なさを嘆くことではないはずです。メディア露出が少ないことを世間に向かって発信することが「アーティストの活動を世間に向かって発信する事」ではないですよね。某ファンサイトでモーニング娘。のテレビ露出の減少をしつこく嘆いた方がいましたが、そういうネガティブな発信をしつこく続けることは「アーティストの活動を世間に向かって発信する事」とはどう考えても整合しません。私の印象ではそうしたネガティブな発言の反動として一部の事務所万歳論者が台頭したようにも見えます。そしてどちらがましかと言われれば、私はまだしも後者のほうだとさえ思っています。

例えば「マクガフィン」というユニットがあるとしましょう。そのユニットは久しくテレビ出演をしていません。さてファンサイトが二つあります。一つはマクガフィンがテレビに出ないことを嘆き、事務所の無能を言いつのっているサイト、一つはテレビ出演など気にせず、マクガフィンの行っているライブのレポートを載せ、そのライブのすばらしさを謳い上げているサイト、どっちがマクガフィンの*ために*なっているサイトでしょうか。

実際テレビ出演など久しくしていなくても、固定ファンがしっかりついて、愛されている音楽グループなんてたくさんあるじゃないですか。そのグループのファンサイトに行って、たとえば「羞恥心」は知名度があって、紅白も出場したぞ、いったいこの差は何だ、といって何になるのでしょう。私がそのファンサイトの管理人だったら、そんなバカはアクセス禁止にしてやりたいぐらいですよ。

私たちがなすべきことはメディア露出の多寡について云々することではなくて、自分が受容した作品の価値を積極的に発信することでしょう。テレビを通じて、あるいは現場で直接、我々が見聞きした作品の価値を発信すること、それが「アーティストの活動を世間に向かって発信する」ことに他なりませんよね。

音楽ガッタスに戻りますが、アンジェラスさんの記述を読むと、Paboと比べて音楽ガッタスは*不幸な*ユニットに読めてしまいます。どちらも知らない人がアンジェラスさんの記述を読んで、どちらのユニットを今後見聞きしたいと思うでしょうか。私たちはやはり*幸福な*ものに触れたい、音楽なのだから多幸感溢れるユニット・グループの音楽をこそ聴きたいと思うのではないですか(その作品自体は悲恋をテーマにしたバラードであっても、です)。たとえ「ごく限られたファンにしかその存在を知られていな」くても、そのファンに本当に愛されているユニットなのなら、それはそれで私はユニットとして幸せだと思います。そしてそのユニットのすばらしさをブログなどを通じて謳い上げることによって、さらにそれに触れる人が出れば、それはさらに素晴らしいことです。

ちなみに私はアンジェラスさんからすればハロプロ信者に属する人間だからかも知れませんが(苦笑)、Paboと音楽ガッタス、どっちがユニットとして*幸せ*だと思うかと問われれば、音楽ガッタスのほうだと答えるかもしれません。ついているファン一人一人の思い入れが音楽ガッタスのほうが遙かに強いように私には見えるからです。これは単にネット上でのファンブログのレポートを見ただけの印象なので間違っているかも知れませんが。こうした私の価値観は小説でも、映画でも同じことです。史上空前の観客動員をした映画と、マニア受けした小品、前者のほうが良いに決まっているという価値観を私は持っていないのです。


追記。

件のエントリが私にはまさに「勝ち組・負け組」言説の反復に見えるんだけれども(加護ちゃんの発言もその一つ)、そして私の「敵」はそういう言説だと言っている訳なんだけど、そんなに分かりにくい話なのかな、と思ったり。

まあ「言説」という概念がテクニカルタームなので、そこに頼って、説明を省きすぎたのかな。でも「言説」の説明って難しいんだもん。ま、反省。

2009年01月04日

■ よし、今日も可愛いぞ!

今日のさゆ(道重さゆみ)は神懸かり的に可愛かった。でも設定ミスで長期保存できないドライブに録画してしまった。地デジはドライブ間のファイル移動が出来ないのでどうしようか。

裕ちゃん(中澤裕子)のドラマはドライブ容量不足で録画しそびれた。アナログに比べて地デジはいろいろ面倒だなあ。録画ソフトもやたらと重くて不安定だし。最後40分ぐらいだけリアルで見た。界隈で波紋を呼んだ(らしい)「濡れ場」の「ぬ」の字も「お色気」の「お」の字もなかった。冒頭にちょっとだけあったらしいけれど。って別にそれ目的で見たわけじゃないよ。

先日のなちまり(安倍なつみと矢口真里)の番組も良かったし、なんか去年よりも今年のほうが正月テレビは充実していたような。

いい一年になるかな?

2009年01月03日

■ 一年の計

「革命元年」は元年であって、その最初の日に何かが起こるというわけではなかったようだ。なるほど。

というわけでハロプロ年少組(来年度以降の真「ハロプロ」)ワンダフルハーツコンサートはつつがなく終了したらしい。まあ想像通りだったかな。微妙に肩すかしみたいなところもあったけれど。

まあこの先何があろうとも、私は変わらず「文化」としてのモーニング娘。を見つめていく所存。時流におもねった表層的な評価にとどまることなく、表現されたもの=文化的生産物の価値をしっかりと評価し、またその生産活動を少しでも支えていくこと、そのためには「表現されたもの」については時に辛辣な評をすることもありますが、うちはそういうスタンスのサイトだということでご理解下さいませ。

否定的な記述をメンバーに見せられるか、という問を見かけたことがありますが、私が安倍なつみについてもっとも否定的な評をした一連のエントリを安倍なつみが読んでくれたら、私はうれしさのあまり泣くと思います。まあだからといってファンレターにしたためるとかはしないのですが。ちなみに高橋愛のある種のネタについてはあまり読んでもらいたくはありませんです。

2009年01月02日

■ テレビに出るのが勝ち組vs事務所が儲かっているからすべてよし

アンジェラスさんからいただいたコメントのお返事、長くなり、かつ論点として重要だと感じましたので、新規エントリを立てます。

「いつも新曲は出したら出しっぱなし、今年も沢山ライブやってチケット売れたからそれで良いみたいなアップフロント流の考え方」

それはそうなんですけどね(苦笑)。アップフロントのまずさはまずさとして、加護ちゃんサイドが慎重に事を進めている、というのも理解も共感もしていますよ。私が「待ってくれ」と思ったのは「自分だけテレビに出られて」という発言一点でして。

まずテレビタレントがテレビに出るのは当たり前で、それはそれで価値があるというのは全く否定しません。しかしテレビではない活動だって立派な芸能活動であって、テレビに出ないから駄目だ、という言説には辟易としています。それは「もっとテレビに出てプロモーションしなくては」という主張とは別のものです。私はもっとモーニング娘。として真っ当なメディア展開はすべきだとは思っていますよ。でもテレビに「出られない」今の娘。は価値が低いとも思いません。戦略としては下手だと思いますけど。

エントリに書いたようにモーニング娘。にとってテレビに出るのは「手段」として重要だと思います。しかしあくまで「手段」であって、目的ではない。加護ちゃんにとってはどっちが目的でどっちが手段かは分かりませんが、もし加護ちゃんがテレビ出演が「目的」なのなら、それはそれでいいと思います。思いますが、それはモーニング娘。とは別の芸能活動となるので、「自分だけテレビに出られて(出られない人たちに申し訳ない=出られない人可哀想)」というのは当たりません。そこを同一平面に並べてしまうのはテレビに出ている「バラドル」が「勝ち組」であって、舞台やライブ活動を主として活動している人を「負け組」呼ばわりする言説と同じ論理構造を反復していると思います。

いまのファン界隈言説は「テレビ出演」をするものが「勝ち組」なのか、「現場で稼ぐ」のがよいことなのか、という二元論で終始しているように思います。そして加護ちゃんの発言(あるいはそれを紹介した加護ちゃんファンの言説、というべきなのかも知れませんが)もそこにとらわれているように思いました。

まあ私の主張が後者に与しているように読まれるのはある意味仕方のないことで、私が応援している人が主として「現場」傾斜になっているというのが大きいのかなと。どうしてもそっち(活動方針というよりはその人自身)に肩入れする感じにはなってしまいます。ただそれだけでなく、アップフロント・ハロプロファン界隈では確かに後者が主流言説に見える部分もありますが、それ以外の場に出ると明らかに前者、「テレビに出ることこそが勝ち組」が主流言説に思います(ファンのやっている「ハロプロMVP」企画みたいなのだってテレビに出ている里田まいさんがMVPとされることが多いですよね。安倍なつみや松浦亜弥や娘。メンバーをMVPとするのは明らかに少数派でしょう)。私はむしろその主流言説のほうが仮想敵なのです。そしてその主流言説がアップフロント・ハロプロファン界隈でも席巻し、娘。落ち目、安倍なつみ負け組、みたいなことが反復されている、私はそちらの方に抵抗する言説を生産しようと思っているのです。

ちなみに界隈で流行の「アップフロントは偉大だ」「事務所が儲かればよい」一派なんて逆に相手にするほどの言説だとは私は認識していません。某ファンサイトで席巻しているように見えるだけで、言説としての力なんて全くないと思うんですけど。せいぜい事務所をすべて悪者にすれば事足りるというファン言説(まあ私も最近はどちらかというとこっち側ですが。事務所が嫌いというよりは現状批判をする際、メンバー批判よりはよほどましだという理由もあって)への反動的抵抗言説ぐらいにしかとらえていません。実際某ファンサイトでもまともに相手にされていないんじゃないですか。どっちかというとアンチ事務所の工作員に見えるぐらい(笑)。

3万円イベントについては、どうなんでしょうかね。まあ今回は「クリスマス」ということでそっちだけにした、というのは理解すべきなんでしょうけれども。安倍なつみや松浦亜弥の活動がディナーショーみたいなのを主とするようになったら私はついて行けないです、経済的に。ちなみにFCだけでやっていることなので、私が口を出すことではありませんが、娘。ハワイツアーも私はあまり好意的ではありません。どちらも資金稼ぎとして必要だ、といわれればどうこう言える筋合いのものではありませんが。もっとも加護ちゃんも秋にはアンダー1万円のイベントをやっているのだから、今回のイベントだけを取りざたすべきではなかったですね。ただ+7000円の特別プログラムだとか、良い印象を持ちにくいことが今回のイベントにはいろいろあったのでつい筆が滑ってしまいました。


追記

「事務所が儲かっているからいいんだ」言説って有害なのかなあ、というのもあります。別にいわせとけばいいやん、としか正直思わない。事務所自身がそういう考えなのは困りますが(でもまあ、そうでしょうけれど)、ファンサイドで「事務所ファン」みたいな輩がいたって共感のしようもないけれど、別に私は腹も立ちません、それ自体の言説構造としては。もちろんそこから派生して、事務所は立派なのに、所属タレントが駄目だから、とか、アップフロントから離れた奴は裏切り者だ、とか言い出すと話は別ですが、それは言説構造としては別のものであって、そういう言説は別個批判すべきことだと私は思います。

「事務所が儲かっているからいいんだ」言説を唱える人がファンサイトで席巻したからといって、事務所がつけあがるとも思えませんし、逆にそういう言説を「鎮圧」したところで、事務所が考えを改めるとも思えません。仮にCDだかDVDだかの売上が数百枚が上がっただけでも「大成功!」と言ったって別にいいじゃないですか。いちいち何かにつけて惨敗だ何だと言っているのと比べて、こちらだけが特に悪質だとは思いませんけどねえ。まあ私はそんなので「大成功!」とも思わないし、共感も賛同もしませんが、単に読み飛ばすだけです。

あるいは例えば握手会でCDを大量枚買いさせて、CD売上をアップ・維持するのだって、私は好きでもないし、評価もしませんが、そこに金をつぎ込み、握手して喜ぶ様をレポートし、売上のアップ・維持をファンが言祝ぐのも「言説としては」さして有害とも思えません。それしか能がない事務所にはうんざりですし、そういう事務所の(無)戦略を批判する言説のほうに私は遙かに共感しますが。

■ ハロプロ大賞2008 落ち穂拾い

勢いで書き上げてしまった「ハロプロ大賞2008」シリーズだったので、いろいろ積み残しが出てしまった。簡単に補足を。

去年の3月まで「歌ドキ」をやっていたことをすっかり失念していた。「歌唱」部門にエントリーしたかったものがあったのに。高橋愛「恋人よ」。これよかったのになあ。

加護ちゃんの件。私は彼女が「また歌いたい」という一心で復帰したのだと、加護ちゃんファンの人たちのブログなどを読んだりして、勝手にそう思っていた。「みんなの前で歌う」、それが目的なのだと。そうだとするとバラエティ番組出演は「手段」にすぎないということになる。実際misonoさんなんかはそういうことをはっきり言っているわけです。ライブをやりたい、でも今は出来ない。バラエティに出演してでもお金を稼がなくてはいけない。加護ちゃんも同じ気持ちだと私は勝手に思っていたわけだ。

そしてもしそうだとしたら、今のモーニング娘。、ホールクラスのコンサートを年間70公演やる今のモーニング娘。は彼女たちの目標であって、決して同情の対象じゃない。手段と目的をはき違えていなければそうなるはず。

でも加護ちゃんは今の娘。を自分の目標だとは言わなかった。「自分だけテレビに出られて」なんて言ってしまった。あ、そういう認識だったのか、と。加護ちゃんの自分に対する現状認識ってそうなんだ、と。自分の「スキャンダル」をネタにして、テレビに出られて満足。そんなことのために戻ってきたんだ。別にいいけれど。

思い切り意地悪く言うと上のような話。

まあ実際は違うんだと思うけれどもね。自分の目的が何かをぶらさず見据えてものを語る、ということができない娘なんだと思う。そういう危うさは昔からあったし、そういう危うさも含めての「加護ちゃん」なんだから、今更それをどうこう批判がましく言うのも違うとは思う。表面的な語りはどうあれ、心の奥底にしっかりしたものを持っていてくれればそれでいい。

でもその心の奥底にある思いをしっかりくみ取ってくれるスタッフは周りにいるのかい?ファンの前で歌う有料ライブといえば3万円イベントを連発する、そこに加護ちゃんの思いはくみ取られているのかい?

愛ちゃんを「エロ」ネタまみれにしてしまったこと。ごめんなさい!!!あくまで「ネタ」ですから。道重(さゆみ)さんが愛ちゃんを評して「カッコ可愛いセクシーガール」と言っていた、そういうことです。

■ マリコの部屋に電話をかけて

大晦日は紅白は見ずに、田中れいなのソロラジオでOn Airされたモーニング娘。新曲「泣いちゃうかも」を聞き込んでいました。

ラジオ音源なので、今の段階でオケがどうとかいうのはナンセンスだと思うんですが、音楽マニアはあの音質からでもオケの善し悪しとか分かっちゃうんですかねえ。結構CD音質だと印象が変わることが多いのだけれど。

まあ曲自体はものすごく新味があるか、というと、まあ最近の娘。の曲ですね、という感じだけれど、悪くはないんじゃないかと。本音を言うともう少し思い切った曲を期待するところはあるけれど、今のファン層の許容度の狭さとワンダ3グループの各々の立ち位置を鑑みると、あまり路線に幅は持たせられないのだろうなと思う。Berryz工房の「行け 行け モンキーダンス」を娘。にあてがったらどうなるか、と考えるとね。私はいいと思うけれど、制作陣が冒険はしたくない、と考えるとすれば、それも理解できてしまう。とにかく否定からはいる言説が多すぎる。まあ私も含めてだけれど。

で、「マリコ」って誰よ?

2008年12月30日

■ この謎を、解けぇ

NHKドラマ「Q.E.D.証明終了」の番宣を見ていたら、あまりに愛ちゃんが可愛かったので、頭がとろけました。しっかり17歳に見えるし。

正直それほど期待していなかったドラマだったけれど、やっぱりいいねえ。テレビドラマ万歳!

Q.E.D.証明終了、1月8日、スタート!

2008年12月29日

■ 写真嫌い

愛ちゃんはあまり(写真を一緒に)撮ってくれません(汗)

「あたし写真とんのあんま好きじゃないんだよね・・・」えぇーー

今の衝撃発言聞きました!?

愛ちゃんアイドルですよね!?!?

えぇーー

愛ちゃん・・・

ポケモー小春メールより

愛ちゃん・・・。

2008年12月19日

■ 変わらない夢を求めて

前に書いた高橋愛に関するエントリに望外の反応をいただいた(hatchmanさん高橋順也さん)。

本当は単に引用だけじゃなくて(というかあれではただの転載だ)、もう少し言葉を足したかったのだが、何となく高橋愛の言葉(「ずっと表現者」)だけで十分な気がして、あのエントリとなった。

思えば高橋愛について熱く語る人も少なくなったな、と思う。2004-05年あたりではこの界隈ではうざがられるぐらい語りたがりだった*あの人たち*はどこへ行ったのだろう。さる高橋愛ファンだったブログを覗いてみたら、「一推し 真野ちゃん」とか書いてあって寂しくなった。

「推し替え」が常態化しているこの界隈、私は変わらないものを持っている人を変わらず見守りたい。

2008年12月16日

■ 「微風」と「さよならさえ言えぬまま」

曲の本質は詞自体にはない。作詞についてのみ云々するのは真っ当な音楽批評とは言えない。しかし今回はそれをやってみようと思う。だから今回の批評は曲そのものの評価とはまた違ったものとなるだろう。それでも作詞は曲制作の重要な一側面を構成することには相違ない。

今回批評するのは安倍なつみ最新シングルのカップリング曲「さよならさえ言えぬまま」とベストアルバム収録曲「微風」の二曲である。

いずれも「失恋」をテーマにした私小説的な歌詞となっている。

「さよならさえ言えぬまま」。こちらはつんく作詞。表題曲「スクリーン」の続きの恋を歌った、という「ネタ」がついている。はっきり言ってこの「ネタ」は不要だ。くだらないと思う。曲は一曲一曲独立したものとして聞かせるべきだ。続き物というだけの連続性も特になく、単にどちらも「恋」をテーマにしたというだけの共通点で、「続き」などと「ネタ」にする。安直としか言いようがない。

「ネタ」はさておき、問題は詩自体である。

詩は全体として終わった恋を一人で悶々と回想するというシチュエーションとなっている。このシチュエーション自体が観念的な世界を構成してしまって、失恋の曲としての深みを損なうように思う。

初恋のように はしゃいでいたわ

終わった今むなしくて Ah

・・・

青空をながめながら 今

何がいけなかったのか 問う

いったい失恋してからどのぐらい後の状況を歌った歌なのだろう。失恋という結果を受けて「むなしい」とか「何がいけなかったのか」と自省するのはすでに状況をかなり客観視できているからだ。すでに恋の終わりを理性的に対処できる状況にある人物の心理、若い女性の失恋の歌と言うよりも初老のおっさんの青春回顧録みたいな状況じゃないか。特に恋の終わりの歌で「むなしい」はないだろう。終わってしまった恋なのに、まだその恋が愛しくて仕方がない、そういう状況がこの手のシーンの見せ所であろうに。

買い物したり お料理を覚えたり

今までに無い 私に出会ったの

・・・

たまの休みは いろいろ歩いたね

今思ったら ままごとだったかな

練れてないなあ、と思う。「買い物」とか「お料理」とか、「今までに無い私」のエピソードとしてはあまりにも皮相すぎる。買い物ぐらいするでしょう。「今までに無い」様を示すのならもっと具体的に表現してくれなくては何もイメージができない。

たとえば昨年のシングルのカップリングに「小説の中の二人」という曲があって、買い物シーンにこのような描写がある。

ドライフラワー ローズマリーの香り

一日かけて探したラグマット

私はずっと 二人で好きだったもの

好きでいるわ いつまでも

二人で部屋に置く「ラグマット」をあれこれ物色している様がきちんと想像できる。だからその直後のフレーズ「二人で好きだったもの・・・」が生きてくるのだ。

同所の二番に相当する歌詞もいけない。「いろいろ歩いた」のが「ままごと」と言われてもこれまた一般的すぎて明確なイメージを描けない。

たとえば一番と二番の組み合わせを入れ替えてみてもこの歌詞は成立する。

たまの休みは いろいろ歩いたね

今までに無い 私に出会ったの

・・・

買い物したり お料理を覚えたり

今思ったら ままごとだったかな

むしろこちらの方が据わりがいいのでは、とさえ思えてくる。「いろいろ出歩く」ことはしない女性が出歩くようになったというのは「買い物」をすることよりは「今までに無い」感じがするし、「お料理」という言葉は「ままごと」と親和性が高い。

要するに言葉の置き方に絶対性・必然性がまるで感じられないのだ。それは繰り返すが、言葉の選択が一般的・抽象的にすぎるからだ。

一方の「微風」。こちらは先の「小説の中の二人」作詞の久保田洋司と西村ちさとの二人がクレジットに名を連ねる。

こちらはまさに二人が「別れる」その瞬間を描いた詩。ちなみに「小説の中の二人」の方は「さよならさえ言えぬまま」と同じく終わった恋を一人で振り返る状況の詩。しかしいずれも「恋」は未だに主人公の中では現在進行形で続いている。過去のものとしては描かれていない。だからその時々に揺れる心境をリアルに描くことができるのだ。

輝いてた季節の中

変わらないと信じた

鮮やかな時を見送って

微笑み交わした

最後のそのときに「微笑み」を交わすのだ。「むなしい」とのこの差。終わった恋を描いた詩だからネガティブな言葉を連ねた「さよならさえ」とそこにあえてポジティブな言葉を織り交ぜる「微風」、失恋の悲しさの表現としてどちらがより上手いかは言うまでもない。

私たちは同じだった

同じ空を見ていた

舞い落ちる満開の花も

同じように見えていた

わずか四行の中に恋が終わっていく心の動きが見事に表現されている。

最初は「同じだった」。恋する二人の絶対的な同一性が確信されている。しかしその確信は二行目にすでに揺らいでいる。なぜなら二行目はその確信の根拠を求めているからだ。絶対的なものには根拠はいらない。それが揺らぎを見せたとき、人は根拠を求めるのだ。「同じ光景を見ていたじゃない」、そこにはかつては疑う余地もなかった同一性の再確認を行っている様が描かれているのだ。

そして四行目。「見ていた」から「見えていた」への言葉の変化。自発形を使うことで、二人の意志の存在が薄れていく。二人を「同じ」にしているのはもはや二人の内面的な絆ではなく、物理的に同じ空間にいて、同じ景色を見ていたという外的な状況なのだ。相手が私と同じようにその満開の花を「見ていた」確信もすでに無く、ただそこには確かに二人が見ることができた満開の花があった、それが二人を結びつける絆となる。

ここに描かれているのは別れの予感が漂う中、満開の花を見ながらの一瞬の心の動きである。二人で寄り添って満開の花を眺めている、この幸せいっぱいに見える状況の中に別れの伏線が描かれているのだ。

この「微風」という曲は、あたかも短編映画を見ているように、登場人物の「顔」が見え、二人のいる世界が具体的に浮かび上がってくるようになっているのだ。

抽象的な状況設定、言葉の選択を行うというのは、要するにどのように言葉を配置しても大きな矛盾を来さない、という意味において(「さよならさえ・・・」で一番と二番を入れ替えても詞として成立したことを思いだそう)、楽なのだ。「さよならさえ・・・」はその意味で、言葉をぎりぎりまで選別し、格闘した痕跡が見えてこない。確固たる世界観を構築せずに、ありきたりの言葉を羅列しただけに見えてしまう。この手の安直な作詞方法の極端な帰結は4年前にいやというほど見せつけられた。

将来作詞を志すメンバーがいるとすれば、それをこの詞を書いたつんくに学んではいけない。

■ 「ヒトラー」を知らないということ

onoyaさんのエントリ、アイドルがバカであることについてについて。

ちょっとだけ紛糾しているみたいだけれど、私はこのエントリの本筋にはさして違和感はなかった。全く余所道のところ、

ぼくは先日も書きましたが、歴史は単純に何でも相対化できるとは考えていないし、すべきではない、という倫理観です(どうも誤読されていそうですが)。

を除いて。

ここは申し訳ないけれど、誤読はしていないと思う。

たとえば幼児に対して性的虐待をした男がいたとして、「彼を偉いと記述できる可能性があるが、しかし私はそれはすべきでないと考える」、などという文章は真っ当な文章だろうか、ということを考えてみよう。

世のあらゆる事象について、妥当性をさておけば、「可能性」としては肯定的に評価を下すことが出来る。それはまさに「あらゆる事象」に対して可能であるが故に、無意味である。逆に言えばその可能性にわざわざ言及することは、その記述自体は「無意味」ではない、ということを含意していることになる。つまりその「可能性」にはわざわざ言及するだけのポジティブな価値を含んでいると言ってしまっているのだ。いかにそれを「私」が結果的に否定しようとも。

この点は私にとっては些末ではない本質的な話なのだが、たぶん多くの読者にとっても些末でしかないと思うので、これ以上の突っ込みは辞めておく。

で、本筋。

何らかの人間的「欠陥」「欠如」がその人物に対する愛着を深める。この論法はそれほど妙なものだとは私は思わない。というより、ものすごくあり得べき状況を記述しているように思える。そして「アイドルにおけるその欠如が、『一般教養・知識がないという意味でのバカ』である必要は、確かにない」というのも、まさにその通り、と思う。

一方で、その欠如が、「一般教養・知識がないという意味でのバカ」であっても構わない、というのもまた私は肯定できる。そしてこうした価値観は必ずしも「女性アイドル」にだけ向けられるものでもないように思う。「大人(たいじん)」は時として「一般人」からするとあきれさせられるような非常識なエピソードを持っているものだ。そしてそうである人物ほど、偉人でありながら多くの人に愛着を持って、いわばアイドル的な共感を持って、語られたりするのだ。ということでonoyaさんのアイドル欠如論はアイドルの持つ価値の一側面を正しく切り出しているように思う。

では今回の「ヒトラー」問題はそうしたほほえましいエピソードの一つとして考えて良いのだろうか、となると私は全くそうは思わない。私の考える(テレビ局側ではなく)アイドル側から見たこの問題の中心は放送界の常識とか、一般常識とか、そういうものが欠如していた、ということではない。ということでここからはonoyaさんのエントリとは無関係の、私から見た今回の問題の本質について。


「アイドル」であれ、「一般人」であれ、人は様々な情報に触れ、一部を記憶にとどめ、多くを忘却する。愛すべき「欠陥」「欠如」とはそのバランスが「一般人」とは違っていることによって形成される。駅での切符の買い方すら知らずに芸に打ち込む女優、切符の買い方を知らないという「欠如」は芸に打ち込むということを優先した結果として作り出される。そうした優先順位付けについて、「一般人」とは異なったものを持ちながら、「一般人」とは違う才覚を発揮すればこそ、敬意を持った愛着心を人に呼び覚ますのだ。

問題はこうした優先順位付けをいかに行うか、である。そしてそれはその人物のおかれた様々な環境によって左右されるのであるが、結局のところ第三者的にはそれはその人物に所属するものとしての価値観によるものと映じることになる。

「ヒトラー」を知らない、ということと、例えば「カバー」のスペルを「cober」だと思う、ということ、これは「常識」知らずということで価値的に等価だろうか。

英語の綴りを知らない、簡単な漢字が読み書きできない、そこで低い優先順位付けをされ、結果として切り捨てられたものは学校的知識である。「ヒトラー」も同じだろうか。

同じだと考える人ももちろんいるだろう。しかし少なくとも私はそうは考えない。「ヒトラー」という名には様々なエピソード・知識が付随している。小中学生的には「アンネの日記」かも知れない。(ちょっと古いが)「アドルフに告ぐ」かも知れない。日本の戦争体験とともに語られた知識かも知れない。

いずれにせよ、そのエピソード・知識には多数の人間の生死・命運を左右した事柄が含まれている。そうしたエピソード・知識の総体を、単なる数ある学校的・歴史的知識の一つとして、それと同等の(低い)優先順位付けをしてしまうその価値観、あるいは感性は「表現者」として私は致命的だと思う。

その情報を、優先順位付けする以前にそもそも本当に触れる機会がなかった、という可能性はあるが、それは私にとって、今回のケースにおいては「キッズオーディション」なる青田買いオーディションの問題点を浮かび上がらせるだけのことだ。それは何ら当該タレントを救済してはくれない。

そして私が、高橋愛がヒトラーを知らなかったら失望する、というのはこういうことだ。この失望は、だから、絶大なものである。私は直ちに彼女を「推しメン」とすることを止めるだろう。

もちろん今回のメンバーとは年齢が違う。私の感覚ではいかに中学生でもあまり擁護は出来ないのだが、それでも多少は考慮の余地はある。だからせめて今回のことはメンバー全員に大いに恥じて欲しいし、そうした感性をもし持っていないとすれば、もはや私には「表現者」として救いようのない存在であるというしかなくなるのだ。

2008年12月15日

■ ずっと表現者

高橋愛、ヤンタンにて。

ずっと表現者ではいたいんで(当面の華やかな場から降りて仕事を休むことも、将来に向けての歌や踊り、演技の勉強のためなら、厭わない)。

(結婚して旦那に仕事をするなと言われたら?)

じゃ、結婚しないんじゃないですか。

「ずっと表現者」、来たね。

安倍なつみ、hot expressインタビュー。

もっと自分自身、歌に磨きを掛けていかないとヤバイなと思いました。もっともっと認められるためには、もっとやらないと。足りなさすぎるって再確認したというか。「ここからだな」って思いました。ここからまたいろんなことしていきたいなと思うし、そのためにももっと経験を積まないとなとも思うし。

47newsインタビュー

結婚について尋ねると「地元の友達はみんなしているし、私もいつか結婚して子どもが欲しいという夢はあります」とほほ笑みながらも、「今は私の中で仕事を辞める選択肢はなく、やりたいことに情熱を注ぎたい」と宣言していた。

この二人、やっぱりいろいろと似ていると思うんだけれど。

2008年12月11日

■ お事務所様!

モーニング娘。メンバー年末年始のバラエティ番組出演がぱらぱらと。

れいな(田中れいな)とジュンジュンが12月18日の「とんねるずのみなさんのおかげです」、さゆ(道重さゆみ)が正月のクイズ番組に。

とりあえずテレビ・バラエティ志向が強そうなれいなとさゆにテレビ仕事が入ってよかった。しかもキー局のゴールデン。ちょっとは溜飲を下げてもらえれば。

なんだか前にここで事務所に向けてごねたことが通じたようで、ちょっとうれしい。いや、ちょっとというか、かなり、うれしい。「とんねるず」にはなっち(安倍なつみ)と梨華ちゃん(石川梨華)も出るようだけれど、それより何よりとにかく現メンが出るということがうれしい。

この一発にとどまらず、来年はどんどんとこういう機会を作っていってね、お事務所様。

2008年12月03日

■ 来た来た来た

なんかいっぱい来た。

  • 1/21 松浦亜弥8thアルバム「想いあふれて」
  • 1/28 モーニング娘。ライブDVD「コンサートツアー2008秋リゾナントLive」
  • 2/11 モーニング娘。シングル「泣いちゃうかも」

何かとフラストレーションがたまる状況が続いているのに、お金だけは出ていくわけですね。

でもどれも外せない。

あややアルバムはSTBで聴いた曲が入るかもしれないアルバム。竹内マリアに新曲一曲でも書いてもらえたりはしていないのかな、とか期待せずに言ってみたり。

娘。ライブDVD。結構早いのね。こんなものだっけ?先日見たばかりの娘。コンサートの映像。今から楽しみだ。そういえば既発表済みの発売情報としては同じ1/28に安倍なつみライブDVD「コンサートツアー2008秋Angelic」があった。同じ日にLiveDVDが2枚とは。。。私はどっちを先に見るのでしょうか?そもそもまだ安倍なつみ「コンサートツアー2008 Birthday Special Concert」DVDだって2,3回見ただけでまだ未消化なのに。実は結構忙しい。

そしてそして待ちこがれましたですよ。モーニング娘。新曲。曲名は正直「どうなんでしょう?」というところもなきにしもあらずですが、こちらも思い切り期待させてもらいます。

まあ一介のファンとしてはこれだけ作品が発表されれば、何を不満に思うことがあろうか、という感じではあるんだけれども。モーニング娘。にはもうちょっとだけメジャーでいてほしいの。

2008年12月02日

■ 愚痴など

なっちこと安倍なつみ、新曲が店頭に並ぶ日(発売日は明日)。だけれどもCD屋に行く時間が取れないので、Amazonに注文済み。もちろん同時にモーニング娘。の「シンデレラ」のDVDも。届くのは木曜日ぐらいだろうか。

そして安倍なつみのライブ情報も。まっつぅこと松浦亜弥もやったSTBライブとそれから今度は浜松のK-MIX space-Kとかいうところでもライブをやるとか。STBはキャパ300人弱。とてもチケットが取れる気がしない。space-Kの方はと思って調べてみるとキャパ200人ぐらいだとか。厳しい。

でもこのライブ、「〜春の微風〜」と銘打たれていて、来週発売のベストアルバム「15色の似顔絵たち」収録の名曲「微風」が披露されることは明らか。何とかしてチケットをとりたいものだ。浜松なら東京へ行くよりも断然楽だし。

初春にこのようなライブを持ってきたということは通常の春ツアーはない、ということだろう。となると、何か外部仕事が入っているのだろうか。「来年に向けて決まっていて言えないことがある」と9月だかに言っていたとことの正体がまだ見えていなくて、もしかしてそれってハロプロ卒業のことだったり、と思ったり、そうだとするとファンとしては取り立ててうれしい話でもなかったよなあと思うわけで、やはりそれとは別に何かがあってほしいものだと思ったりするわけだ。まあ今日発売のシングル「スクリーン」が番組エンディング曲になったりとか、少しずつまたメディア露出をし出しそうな感じもあるので、それほど切迫感のある話でもないのは確かだが。

メディア露出というと安倍なつみよりも私にとって深刻なのはモーニング娘。。このまま年が明けるまで何もなくて、そのまま「ハロコン」をやって、そのまま春ツアーに入ったら、ちょっとどうしようかと思う。どうしようってただ春ツアーのチケット取りに奔走するだけなのだが。

もうちょっとこう、ファンとして何かできることはないものか。

■ 何かできること

ミキティ作詞賞、℃-uteレコ大、Berryz工房有線。さらになっちタイアップ、と来るとなんだかモーニング娘。が取り残されたような気分になって寂しい。なんとか彼女たちにも華々しい舞台を。

まあ事務所の思惑では紅白、だったんだろうけれどもね。。。

なんとかしてやれないものなのかねえ。残っているのは「1億3000万人が選ぶベストアーティスト」ぐらいか。あれってネット投票とか受け付けていたっけ?

番組ページを検索。

あ、受付終わってた。

駄目ファンだな。

2008年12月01日

■ 「スクリーン」発売前日

明日はなっちこと安倍なつみシングル「スクリーン」が店頭に並ぶ日。

さしあたり今は翌週発売のベストアルバム収録の「微風」の評価が高いし、同じくベスト収録の「鳴りやまないタンバリン」も公開されたりと、話題がベストアルバムの方に行っているきらいがあるけれど、一年ぶりのシングル、しかもタイアップ付き!ということなので、せいぜい盛り上げていきまっしょい!

2008年11月30日

■ 改めて紅白

今日(昨日か)のコンサートを見て、ヤンタンを聞いて、改めて紅白出させてあげたかったなあと。一介のファンがどうこういう話でもないけれど。

コンサートのラストの曲が「リゾナントブルー」。いい曲だな。ああ、この曲紅白で最後に聞きたかったなあ、とか思うのね。まあ去年だって「笑顔Yesヌード」という名曲がありながら全くその曲は歌えなかったし、その時点でもう紅白自体どうでもいいや、という気持ちもあったけれど、でもやっぱりね。

事務所もいろいろ思うところはあったと思うし、もう姑息なカバーとかそういう小細工は通用しないと身にしみてわかっただろうし、でも紅白には多分こだわる事務所だろうから、きちんとまともに仕掛けてくるんじゃないか、と信じたい。曲をきちんとリリースして、その質を高めて、メディア戦略をきちんと立ててプロモーションをする。今年は全くそのあたりが抜かっていたから。ファンもね、誰々ちゃんと握手できればいい、とかレスをもらえないとショックとかそういうのとは違う姿勢で応援していきたいものだと思うけれども。まあファンなんて無力なものだけれどね。

2008年11月29日

■ そんなのは「ファンサイド」じゃない

気に入らないことは気に入らない人間の責任にすれば気持ちいい、という思考で、とりあえず悪い要素は特定のメンバーに押し付けるという考え方はアンチサイドに典型的に見られます。

もちろんそれは性根の腐った奴のやることで、まともな人間なら口にするのもはばかられることです。

■ 2ch出張所

休憩室@モーニング娘。学会 Ver.2.0 「第59回NHK紅白歌合戦」出場歌手発表

高橋愛卒業後のモーニング娘。の攻勢を考えれば、とりあえず悪い要素を押し付けるという考え方は(事務所サイドはともかく)ファンサイドにはありうると思います。

ただ、それは「第二の矢口真里」を生むわけで、私にも少なからず躊躇はあります。

んなもんねーよ(呆)。

しかも「私にも少なからず躊躇あります」って本音を言えば、そういうのも「あり」だと考えていると言うことですからね。

2chに毒されている人間の思考丸出しじゃないですか。

「モーニング娘。学会」なんてたいそうなお題目をつけておいて、この手の言説をまき散らすわけですね。

くだらねえ。


12月1日追記

コメント欄まで見れば分かるとおり、「言論統制」しろなんて一言も言ってなくて、議論をしないの?と言いいたかっただけなんだけどね。まあ、粗雑なエントリだったということは認めます。「挑発」だったので。挑発は誰も乗ってくれなかった時点で、私の失敗です。それは素直に認めます。ealさんには失礼なことをしました。申し訳ありませんでした。

ま、期待した私がバカだったということがよく分かりました(ちなみに私が期待した人は学会メンバー一般ではなく特定の人です)。ありがとうございました。

 

高橋順也さんがコメント後半でおっしゃることが正しかったと思います。読者にも不愉快な思いをさせただけでした。


娘。楽宴さんのような出入り自由な掲示板サイトでも突っ込みが入る発言だと思うんだけどな。「学会」は「ひまつぶし」の場だから厄介ごとは全てスルーします!


「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とでも言えば通じるのかしら(引用内容のほう)。


12月2日追記。

なるほど、「学会」という場がいろいろ見えてきました(苦笑)。そこに「入る」人(全員ではないにしても)の心性もね。まあ、確かに「期待した」私がバカだった、と。

2008年11月26日

■ よくやった!

紅白「落選」を受けて、娘。メンバーに対して「改めて頑張れ」的な記述を見かける。それはそれで前向きな話でいいとは思うのだけれど、でも今以上何をどう頑張れと言うのだろうと思う。彼女たちは頑張ってきたじゃない。一年間、ずっとライブにミュージカル、紅白が重視するはずの音楽活動を一年間、絶え間なくずっと頑張ってきたじゃない。

地方まで巡っての大規模なコンサートツアー、春にはアジアツアーまで実現した。夏には親子連れも多数見かけたミュージカルを一ヶ月。秋にも全国ツアー。まさに音楽の普及活動という「文化」を担う仕事を彼女たちは一身にやってきたじゃない。ミュージカルを批判する人も多いけれど、いかに招待券の効果であっても、あれだけの子連れの人たちが見に来てくれた舞台、何を否定しなければいけないのか。そんなこんなの活動、疑似恋愛だけが売りの「地下アイドル」になんてできない。彼女たちは音楽パフォーマンスグループとしてしっかりやってきたと思う。彼女たちに卑下しなければいけないことなんてない。

今回の結果は結果であって、それは仕方がない。「運がなかった」、「時代が悪い」、外部のせいにしてすませても良い話だと思う。ただ事務所のプロデュース方針の不透明さ、ファンへの伝わらなさが残念。これだけの活動をしながら、それが多くの人々に伝えられなかったプロモーションのまずさが残念。

メンバーに対しては、一年間よく頑張った!というねぎらいの言葉しかない。まあ今年はまだおわっていないので、それを言うのは早計なのだが。

■ 娘。エバンジェリスト

紅白話とはあまり関係のない話なのだけれど。

今の「ハロプロ」ってのめり込む「マニア」じゃないと楽しめない構造になっていると思う。事務所の戦略の問題が大きいけれど、ファンサイドだってそういう状況を追認し、そういう構造を一緒になって作り出している。

たとえばシングル発売イベント。本来だったらCDを初めて買った人とか、ちょっと興味があって買ってみた人が試しに応募してみて、当選して、間近でメンバーを見られて、感動して、そういう風につながるのが理想でしょ?でもそういう可能性は極小。イベントに行きたい人は十数枚CDを買うとか、オークションを利用するとか、そういうことをしなければならない。だからイベントに来る人はいつも同じ(なんでしょう?)。ずっとCDを買っている私でも娘。のイベントに当たったのは2005年1回だけですからね。イベントをきっかけにしてファンを増やす、なんて効果は全くない。まあこれは事務所の方針が決定的に悪いんだけれども。目先の小銭稼ぎに熱心で、薄いファンを喜ばせ、客層を広げようという姿勢があまりにもない。

コンサート。レポートと称して書かれるブログエントリ等々ではいかに前の席だけが楽しい、価値のある席であるかなんてことが書かれ、その席をえるためにはオークションで高額のお金を費やしていることが書かれ、FCから送られてきた席が後方席だと「糞席」などとののしり、チケットが完売しているような公演でもその「糞席」は捨ててしまってオークションで別のチケットを取得するなんてことを麗々しく書く。回り回ってその捨てられた席のために、会場に入りたくても入れなかったファンがいるだろうことを考慮もしない。そして前方席で入れれば、メンバーからのレスがもらえる、それこそが楽しみだなんてレポートを書く。与えられた席なりに楽しむ、ということができない。

FCに入っていない、ちょっとモーニング娘。に感心のある人がチケットを取ろうと思えば、後方席になる。それでも見てみようという気持ちをわざわざそぐようなレポートをファンサイトにあげる。実際私が娘。現場に長らく行かなかったのはそういう「常連」の書くレポートがうざかったから、というのが大きい。もっと初めての人でも楽しめますよ、というような雰囲気を全体として作っていけないものかと思う。

娘。を応援するってそういうことじゃないの?レスをもらうために、オークションで高額つぎ込む、それって応援?単に刹那の「デート気分」を消費しているだけじゃない。それを全面的に否定するものではないが、それは応援とは違ったものだと思う。もっと娘。の良さを広めようというような「娘。エバンジェリスト」的な動きもしてみようよ。

ま、ここで書いてもむなしいだけだけれどもね。名古屋公演でゴミがひどい、と書いたけれど、千葉公演でも同じ光景があったみたいだし。

紅白落選の戦犯捜しも結構だけれど、もっと手前の足元を見た方がいいんじゃないの?

2008年11月25日

■ お事務所様

「トゥーランドット」に始まり、ツアー二本を経て、最後に「微風」を含むベストアルバムリリース、ということで私の中では今年は結構いい一年だったということになっているので、今更ネガティブな話題には触れたくはなかったのだけれど。

モーニング娘。紅白落選、ですか。

私個人の楽しみ、という意味ではもう去年の紅白の「ハロプロ枠」がひどすぎて論外だったので、そういう次元での期待はゼロだったのだけれど、それでも10年守ってきた出場枠を完全になくした、というのはやはりどうにもショック。

結果論だけれど、いろいろ事務所の「戦略」にもけちもつけたくなる。意図はどうあれ、結果としてファンの手元には娘。名義のオリジナルCDが一枚しか残らなかったというのはどうなのか、とか。これほど娘。ファンの気持ちを逆なでにした一年はなかった、と私には思える。それもこれも「紅白」狙い、ぐらいで何とか納得させていたところもあったのだが。

ファンのモチベーションも下がっているだろうし、メンバーのモチベーションだって心配になる。テレビ志向の強そうなメンバーがいるだけに、よりそう思う。あれだけ地方ラジオに出られる余力があるのなら、せめて何とかバラエティ番組にでも出させてやれよ、と思う。それを望んでいるメンバーがいる限り。

ドラマ主演が控えていて、さらに将来的にはミュージカル方面に関心を寄せていると思われる高橋愛はともかく、またもしかしたら「生涯一モーニング娘。メンバー」を全うする覚悟がありげにも見える新垣里沙もともかく、6期メンバー3人はこのままでは可哀想すぎる。今までの「ハロプロ」でのバラエティ出演実績を見れば、別にそんなに難しいことでもないだろう。テレビ・バラエティ志向をもっているメンバーにとってはそれも一種ボーナスみたいなものだろうし、彼女たちの普段のがんばりを考えれば、それに報いてやるぐらいのことはしてもいいんじゃないか。

■ 「微風」

なっちこと安倍なつみのソロラジオで新曲「スクリーン」のカップリング「さよならさえ言えぬまま」とベストアルバム「15色の似顔絵たち」収録の新曲「微風」がオンエア。京都でもなぜか聞いちゃいました。なんで?どうして?

有り体に言うと「スクリーン」が90年代、「さよならさえ言えぬまま」が80年代、「微風」が70年代か逆に2000年代の曲という感じ。そして昨年のアルバム「ヴァンサンク」以降の安倍なつみの曲は「微風」。

そういうわけで「さよならさえ言えぬまま」を聞いたとき、何とも言えない懐かしいような感じとある種の古くささと、なるほどつんく♂曲だという納得感とが同時に感じられた。さびの部分なんかは演歌が入っているし。私は結構好きですよ、こういう曲。何てったって今年のベスト曲の候補として藤本美貴の「遠い恋人」を入れているぐらいだし。ちょっと演歌が入った80年代的歌謡曲、嫌いじゃない。

ただやはりこの曲も表題曲「スクリーン」も2004-05年の安倍なつみの曲だよな、とは思う。「ヴァンサンク」以降、少なくともファンサイドの中で固まりつつある安倍なつみの歌、というのとは少しずれている。せっかくその路線が好評なのに、なぜいまさら?という感じは少し残る。

それというのも「微風」、こちらの曲があまりにもファンの求めているものに合致しているように思えるからだ。演歌とは無縁のまっすぐにのびのびとさらっとした歌い回し、明るいメロディー(長調?)、それが安倍なつみの等身大のかわいらしさを上手く引き立たせてくれている。

「さよならさえ言えぬまま」がベタベタ・ドロドロに悲しい失恋の曲なのに対して、「微風」はさわやかな情景の中に別れの心情をさらっと込めている。曲もそれに併せて明るい中にも切なさがこもる。そして安倍なつみの歌声も悲しさの中にも希望を込めた前向きなものとなっている。「ヴァンサンク」以降の路線を継承しつつ、「ヴァンサンク」の各曲や昨年のシングル「息を重ねましょう」とそのカップリング「小説の中の二人」がおのおのメジャーとマイナーの世界・色分けが比較的はっきりしていたのと比べて、それらが入れ混じった複雑な世界を実に見事に表現できている。今の安倍なつみの集大成、といってもいいぐらいの仕上がりだ。

たとえば、と妄想をたくましくする。ヴァンサンクの各曲と「息を重ねましょう」、「小説の中の二人」そしてこの「微風」をまとめてパッケージとして安倍なつみファンでもハロプロファンでもない人に数多く聞かせることができたら、2−3%ぐらいは「転ぶ」人が出てくるのではないか。女性の支持も一定得られそうな。それがかなわないにしても、この「微風」、ハロプロ関係以外のラジオとかでどんどん流せる機会があれば、ちょっとは食いつく人も出てくるのでは無かろうか。

なぜこの曲がシングルではなかったのか、という思いも出てこなくもないが、しかし逆にこの曲が「ベストアルバム」に収録されるということ、確かに「ベスト」に含まれるべき曲だ、と思う。


「ハロプロファン」のブログ主が多く参加する「ハロプロ楽曲大賞」では11月で締めるため、今年の分はこの曲は対象外と言うことだが、今年の曲は今年のうちにという単純ルールでお送りするオレ流「モーニング娘。(OG含む)と松浦亜弥、メロン記念日、前田有紀・平家みちよ」楽曲大賞では一気に大賞最有力候補曲に躍り出た。

一応有力曲一覧。

  • 安倍なつみ&矢島舞美「私の恋人なのに」(「16歳の恋なんて」カップリング)
  • モーニング娘。「リゾナントブルー」
  • 藤本美貴「遠い恋人」(「置き手紙」カップリング)
  • High King「甘い記憶」(「C/C(シンデレラコンプレックス」カップリング)
  • Hangry & Angry「Kill Me Kiss Me」
  • Hangry & Angry「Angelia」(「Kill Me Kiss Me」収録)
  • 安倍なつみ「さよならさえ言えぬまま」(「スクリーン」カップリング)
  • 安倍なつみ「微風」(「15色の似顔絵たち」収録)

なんかやたらカップリングが多いのですが。

2008年11月24日

■ モーニング+娘。

小ネタを一つ。

なっちこと安倍なつみが「恋するハニカミ」に登場。そのワンシーン。

安倍「娘。にいたときは丸6年で」。

久本「娘。っていうんだ」。

安倍「娘。です。モーニング娘。のこと、私たちは自分たちのこと娘。って」

おや?かつては自分たちでいうときは「モーニング」っていっていたような。そしてファンが「娘。」だと。現メンバーはどっちで言っていたっけ?

だんだんとファンサイドの用語に引きずられていっているのかな、と思ったり。

2008年11月22日

■ 「誰も守れない」

美貴帝こと藤本美貴が佐藤浩市主演のドラマに出演との情報。

これ私にとっては相当すごい話なんですけど。あまり話題になっていないっぽいけれど。

佐藤浩市ですよ、佐藤浩市。佐藤浩市とミキティが一緒にドラマに出るわけですよ。これはすごい。ドラマファンとしてはちょっと堪えられないシチュエーションです。このドラマだったら藤本美貴が出ていなくても100%見ますもん。そういうところに「うちのミキティ」が出てくる、なんて。なんだか勝手に気恥ずかしさすら感じてしまう。すごいすごい。

なにより高橋愛、新垣里沙がピンクレディー役で出演したドラマと違ってそういう企画もの臭が一切しないところで、ふつうに藤本美貴がそこにいる、というのがもうね、たまらないですよ。

いやあ、今年はいい一年だった(放送は来年だけれど)。

2008年11月20日

■ ストーカー的欲望をネタにするということ

トゥーランドットDVDが届いているが、しばらくは見る時間はとれなさそう。そのほかにも購入品記録がたまっているが、モチベーションも上がらない。

しばらくは結構暇だったのだが、あれこれいろいろ仕事が入ってきた。暇なときにやりだめる、ということが性格的にも、仕事の体制的にも難しい。うまくいかない。仕事のモチベーションもいまいち上がらない。

加えてこちらでもいろいろ宿題を残している。こちらは昨日は結構モチベーションも上がったのだが、なんだか突然いろいろめんどくさくなってきた。昨日の寝不足に突然の寒さで体力が消耗しているのかもしれない。

とりあえずこちらの宿題についてつらつら考えていること。

言説生産の責任についての二層構造。

一般的な言説生産者としての責任。「表現の自由」の重要性。言説批判は言説によって、内在的になされなければならない。しかし言説生産による影響が、言説外部にまで明確に及び、それが特定の人々に迷惑をかけ、あるいは毀傷する可能性を有しているならば、外在的な力も必要となる場合もあるだろう。ただしその行使は最大限慎重になされなければならない。

ファンたる立場における言説生産者としての責任。言及対象の「ファン」であると自認してなされる言説生産は上記一般的言説生産とは違った姿勢が求められるだろう。それはたとえば「ファン倫理」といってもいいかもしれない。この水準での批判は徹頭徹尾内在的なものでなければならない。

前のエントリの件は、私は元言説を当初一般的な言説生産の責任においてすら問題のあることだと判断した。しかしそれは誤読に基づくものだった。

その後改めて情報を読み直した結果、元言説はファンたる立場としての問題であったと認識を改めた。「私だったら絶対に書かない」。「私がアンテナを張っているサイトさんにこの手の記事があがったら私は即座にアンテナからはずす」。そういう問題のある言説だとはいまでも思っている。ただ情報自体の削除を求める類の反応をするのには明らかに飛躍があった。そしてその飛躍はあまりにも危険な飛躍であった。そのことは深く反省している。

そして改めてファンとしての立場において件の言説を考えてみる。

ハロプロメンバーの名字とその出身が一致した借家物件に関する情報をネットから探り当て、そこにファンサイトからリンクを張る。元情報はあくまで不動産情報としてのコンテキストで掲載されている情報である。それをファンサイトから貼るだけで、その情報の持つ意味は変質するだろう。メンバー本人の実家と何らかの関係のある情報なのではないか。そういう「期待」を抱くものが現れる可能性がある。そしてそこからさらに具体的な行動を起こすものが現れる可能性がある。そしてそれが何らかの迷惑行為につながる可能性がある。

ただその可能性はそれほど蓋然性の高いものだろうか。それはそうだとは思わない。だからこそ私は一般的な言説生産の立場としてなら、問題があるとはいえない、と判断した。

しかしその情報を見たものに「ストーカー」的な欲望を喚起させかねない情報を掲載する、それは「ファンの立場」からすれば何とも受け入れがたい。それが仮に純粋にネタとして昇華しうるようなものであったとしても、果たして「欲望」まで昇華してくれるだろうか。

まずは本当にその情報は純粋なネタだったのだろうか、という問題がある。そこが私には未だに判断できない。そしてその情報を見たものは同様にネタだとすぐに判断できたのだろうか。わからない。

それでは仮に本当にばかばかしいまでのネタであったとしたら、私の不快感は大幅に下がっただろうか。たとえばこんなネタ。安倍晋三氏が首相だったときに、ハロプロ関連の言説空間で「安倍の現住所判明!」という書き込みがなされたとしよう。そしてその中身を見てみると首相官邸の住所が書かれている。

馬鹿馬鹿しく、誰もがネタと判断できる内容である。確かに他愛なく、何の問題もない。むしろ意図としてはストーカー的欲望を持つものをからかっているのかもしれない。しかしそれでも私は少なからず不快に感じるだろうと思うのだ。

それはそういうネタが成立すること自体が読者である「私」たちに向かって、「君はストーカー的な情報に興味があるだろう」と呼びかけていることになるからだ。欲望は最初からあるとは限らない。むしろそうした呼びかけに応えることによって醸成されるものだといってもいい。いかに完全なネタであれ、そうした呼びかけを含み込んだ言説を私は笑えない。

「私」たちハロプロファンは傷を抱えているはずなのだ。ストーカーなるものの存在、そしてそこからの情報をネットで広めまくった言説生産者たち、そうした言説空間を維持し、その状況を止められなかった私たちすべて、その結果として私たちは一人のメンバーを失った。私はそのことは決して忘れない。

そしてそうであればこそ、「私」たちは具体的なストーカーの存在だけでなく、ストーカー情報を拡散させるような言説空間を拒絶しなければならない。しかし私はさらに、そうしたストーカー的欲望を軽々にネタとして扱うこと自体にももっと慎重であらねばならないと思うのだ。ストーカー的欲望はおそらく悲しいまでに「ファン」の心の中に潜んでしまっている。私たちはそれを本当にネタとして昇華できるのだろうか。少なくとも今現状では2chなどという場ではネタもすべて「マジヲタ」(本当にそのタレントを好きなファン)を「釣る」ための道具として使われているのが現状ではないのか。そうして不当なプライベートの暴露をおそれるファンの心性を逆なでにする効果しか現状もたらしてはいないのではないか。

私はストーカーをネタにしたギャグには笑えない。笑い飛ばすにはまだまだ私たちの抱えているものは多すぎる。

■ お詫び

もともとうちのサイトのアクセスログを見ていると、さるブックマークからのアクセスがありました。

そのブックマークサイトを見てみると、「!」と思う情報が載せられていたのです。そこでそのブックマーク先を他にブックマークしているサイトを見てみると、2chからの転載だけをしているサイトに行き当たりました。その時点で私はショックを受け、それ以上精査せずに(ストーカー情報らしきものを精査したくもなかったので)先のエントリをあげてしまいました。

しかしいったんあげてから少し頭を冷やして、情報を見てみると、どうやら本当に「ネタ」らしいと思われてきました。

実はちょうど本当のストーカー情報らしきものが「界隈」に出回っているようだ、というのを目にすることがあって、かなりナイーブになっていたのです。

ちょっと悪ふざけがすぎるよなあ、と思わなくもないのですが、完全に私の早とちりであり、当該サイト様には大変ご迷惑をおかけいたしました。深くお詫び申し上げます。

申し訳ございませんでした。


この件はまた改めていろいろ考えます。


うーん。正直本当はよくわからない。最初の驚きは完全に私の早とちりであって、それは「マジかネタか」の判断ができなかった私のリテラシーの問題。ちょっと2chあたりのことでまたナーバスになっていたとはいえ、あまりにもお粗末だった。

でも元の情報をもう少し慎重に見てみて、その情報をブックマークしている他のサイトなどから情報をさらにたぐってみると、やはり結構きわどい情報である可能性は高いある。悪気はないにせよ、そのあたりで結構きわどい行動をしているブログにも行き当たった。

アイドル本人の現住所に押しかけるのと違って、実家に行くのはあり、なのかなあ。私はそうは思わないんだけれど。そういう行動に結びつきかねない情報はいくらネットで見られる情報とはいっても、やたらとブックマークするのはどうなのだろう。情報自体は確かにネットで見られるといっても、それとアイドルとを結びつけるのはまた別の意味を付与していることになる。

元の情報がアイドルと関係があるのかどうかは私にはわからない。全く実は関係がないという確証が得られているのなら、まあネタとしていいと思う。けれどそうでないなら、可能性の段階でもやはり慎重に扱うべきことなのではないか、と思う。

うーん、でもやっぱりネタですませていいのかな。よくわからなくなってきた。好きなネタではないけれど。

■ 私の勘違いでした

下記記事は私の早とちりでした。本当に申し訳ございません。

別途記事をあげます。さしあたりお詫びまで。


うちのサイトのエントリをブックマークしているところがいわゆるストーカー情報を同時にブックマークしていた。

もう気が滅入るわ。

そういう情報がうようよしているみたいだから2chなんて本来見るものではないし、ましてや外部で宣伝するなんてとんでもない、といっているのだけれどもね。でもその手の情報を平然と自分のサイトのブックマークにするなんて、完全に「ファン」としてあり方を間違っている。いくらもともと決裂ししている相手でも、これだけは許せない。


トラックバックを送ろうと思ったが、うまくいかない。だれかかれと話ができる人、直接注意してください。お願いします。

2008年11月19日

■ みかん

裕ちゃんこと中澤裕子がSTBライブでモーニング娘。の昨年のシングル曲「みかん」を歌ったらしい。

モーニング娘。の曲はずっと歌い続けていく、自分がメンバーじゃなくなった後の曲も歌っていく、とか言っていたらしい。

さすが中澤裕子。モーニング娘。の精神そのものだ。

なっちこと安倍なつみはそもそも「みかん」という曲を知っているのだろうか、とか思ったり。

いや、まあさすがに知っているか。小春(久住小春)か、ガキさん(新垣里沙)あたりから情報は常に入っているだろうし、多分。

2008年11月15日

■ なっち新曲

Dohhhup より安倍なつみ新曲「スクリーン」

買え。

2008年11月07日

■ HANGRY & ANGRY

「モーニング娘。(OG含む)と松浦亜弥、メロン記念日、前田有紀・平家みちよを応援し、りんねのいた頃のカントリー娘。と太陽とシスコムーンを懐かしむファン」に関係あるのか無いのかが不明なユニットHANGRY & ANGRY がなにやら一気に動き出した模様。

日米同時リリースって。

ただインディーズ展開のためにいまいちCDの購入方法とかがよくわからないのですが。TUTAYAで販売するとか言う話だけれど、1万枚限定ものがうちの近所のTUTAYAに並ぶとも思えないし、ぐうたら人間には確実な入手方法とかがよくわからない。

いずれにしても全体的に停滞状況にあるようにも感じる「モーニング娘。(OG含む)と松浦亜弥、メロン記念日、前田有紀・平家みちよ・・・・」ってもうめんどくさいな、ハロプロね、の中ではひときわ勢いが感じられて、おもしろげな雰囲気、ちょっとうらやましい。

2008年11月03日

■ マジでハロプロファン辞める5ヶ月前

単に題名を言いたかっただけとちゃうんかい!というエントリ。

一応現行の「ハロプロ」は来年の3月まで継続ということで、ぎりぎりそれまでは旧来のハロプロファンとはいえるだろう、と。

ということで、いずれにせよ、もう終わりなので、最後の最後にハロプロソート111なるものをやってみようと思い立つ。これまでハロプロに在籍経験のある111人のメンバーを「推し順」に並べるというお遊び。

といってもそのスクリプトは使わず、自前で並べ替えをした。じっくり推敲をして。

全順位公表!と行きたいところだったが、下位順位はほとんど無意味(名前と顔が一致しないメンバーをずらっと下位に並べただけ)なので、上位だけ公表することにする。

順位名前新所属
1安倍なつみOG
2高橋愛娘。
3藤本美貴OG
3松浦亜弥あやや
3大谷雅恵メロン
6田中れいな娘。
6中澤裕子OG
8新垣里沙娘。
8亀井絵里娘。
8保田圭OG
8後藤真希 
12道重さゆみ娘。
12福田明日香 
12石川梨華OG
12吉澤ひとみOG
12加護亜依 
12りんね 
12前田有紀 
19柴田あゆみメロン
19斉藤瞳メロン
19村田めぐみメロン
19平家みちよ 
23久住小春娘。
23光井愛佳娘。
23ジュンジュン娘。
23リンリン娘。
23飯田圭織OG
23石黒彩 
23小湊美和 

今でこそ頑迷固陋な化石ハロプロファンという感じだが、2004年段階だったら、逆に相当ミーハー型なハロプロファンの順位かな。まあそれでもちらちらとアナクロな部分が顔を見せてはいるけれど。もっとも2004年段階ではこれとはまた順位は違っていましたが(って最大の違いは2004年段階では松浦亜弥が上位にはいないぐらいか)。

新FC体制では、私の上位5名をカバーしようと思うと4つのFCすべてに入らなければならないというひどい話になってしまう。まあFCには元々入っていないし、入る予定もないから、どうでもいいっちゃいいんですけどね。

さて、来年3月以降は「ハロプロ」ファンとはいえなくなる訳なので、じゃあどう自認しようか、と考える。

モーニング娘。(OG含む)と松浦亜弥、メロン記念日、前田有紀・平家みちよを応援し、りんねのいた頃のカントリー娘。と太陽とシスコムーンを懐かしむファン、といったところか。

長いよ。


ちなみに下位の一部。

72末永真己
72橋田三令
72中島早貴
72田中杏里
72秋山ゆりか

最下位72位は40人が同順。上に上げたのはその一部。

全員名前と顔が一致しないだけでなく、どのグループに所属しているのかも、今現在誰がハロプロメンバーで誰がそうでないのかさえわからない。

まあつべこべ言わず「ハロプロファン」から撤退しなさい、ってことですよね。

2008年11月02日

■ 大山鳴動して鼠一匹

ハロプロ年長組の「卒業」と大々的に打ちあげた割には、実質は単なるFCの分割、とファンサイドからすでに見きられていた、そのFCの分割のお知らせがFC会員に来た模様。

安倍なつみ単独FCができるか?というぐらいが懸案事項だったわけだが、これもおそらく大方の予想通り、単独FCではなく、モーニング娘。OGFCができることになった。

結局マスコミを巻き込んで一騒ぎ(といっても大して話題にもならなかったみたいだが)したわりには、やったことはFC会員費の実質値上げ、それだけ。分割した結果、全FC会員の総数は数字上増えて、重複を省いた実際の会員数は減少する、ということになるだろう。ファン数を増やそうとせず、ファン一人あたりの支払額をひたすら増やし続ける今の路線、行き詰まるのは自明の理だが、搾れるところまで搾り取ろうとでもしているのでしょう。「ハロプロ」ファンの方々、ご愁傷様です。

私はもう完全に「ハロプロ」ファンからは足を洗いますので、さようなら。

まあ、もともとFC会員ですらない私には最初からなんの関係もない話ではあるわけですけれどね。

2008年10月31日

■ ラジオ話二点

ラジオでの発言を巡る諸々。

道重さゆみ。ミュージカル「シンデレラ」で自らの台詞の少なさ、そのときのやるせなさを告白し、ラジオ中に泣き出してしまったが、その時のことをリスナーから触れられ、再度そのときの心境を告白。

「(そのときの収録時までは)心のよりどころがなくて、すごく寂しかった」

って、おいおい、大丈夫かよ。

私は単に過去を思い出して、感極まったのだと思っていたが、違うじゃねえか。ラジオで泣き出すそのときまで現在進行形で、ずっとその時の自らの不遇をくすぶらせていたってことだよね。なんだかなあ。

前の放送の時には「結果的には大成功で良かった!」みたいなことを言っていたけれど、それはどっちかというと建前で、最終日を迎えて、次の仕事が始まっても、いろいろ抱え込んでいた、ということを伺わせるわけで、ちょっときついなあ、と思う。

そりゃ、初期メンバーだって「なんでなっちばっかりがメインなの?」という不満、鬱屈を抱えてきたことは随所に伺えたわけで、それこそがモーニング娘。の伝統とはいえるけれど、問題なのは不満を持つことじゃなくて、その不満をどういう方向のエネルギーとして編成していくか、だと思う。初期メンは「なにくそ」と思い、何かあれば我こそは、と爪を研いでいたように見えるわけだけれど、道重さゆみはただただ自分の中にため込んでいってしまっているだけのように感じられてしまう。ラジオでしゃべってすっきりした、っていうのは何ら状況を変化させてはいないわけで、ひたすら自分の心の中に閉じたところで話が終わってしまっている。矢口真里から「現メンはライバル心が足りない」とか言われるのも宜なるかな、ともいえるわけだ。

まあ今回のケースでは、メンバー相手に発散することができなかった(他メンバーはおのおのなりに与えられた役所に納得して前向きに取り組んでいたように見えるので)というのが一番痛かったのだろうなと思うのだけれど、ちょっと不安になる状況ではある。

たとえばメンバー内でのコミュニケーションにやや問題があるようにも思える。友達感覚で仲がいいというのは伺えるけれど、それ以上に何か不足している部分があるのではないか、とか。

さらにはスタッフサイドのケアが不十分なのが問題なのではないかとも思えるし、そもそもプロデュース側が「モーニング娘。」としてのあり方、進むべき方向性(「ヴィジョン」って奴?)についてきちんと説明できていないのではないか、とも思える。今ここで「シンデレラ」をやるグループとしての意義、「モーニング娘。」として一つの舞台を作り上げるということの意義、そしてそれに関わるメンバーおのおのに期待される積極的な意味、それが「頭ではわかる」レベルでしか行き届いていないように感じる。そういうグループとしての目標感を持たせられていない、というのはプロデュース側として端的に失敗だと思う。

ということで、悪いのはすべて事務所にしておけば、万事OK、八方丸く収まりますな。

田中れいな。イベントの時、一回目では自分の名前が入ったTシャツを着ていたファンが、同じ日の二回目のイベントでは後輩の光井愛佳のTシャツを着ていたりするのを見るとショックだ、とか。

いやはや、がめついねえ。現状モーニング娘。人気No.1なんだから、それぐらいいいじゃん、というのは野暮で、それを「ショック」というところがれいなのれいなたるところ。それにしても「もう自分はピークを過ぎている」とか「15歳とか若い子の方がいいんだろう」とか寂しいこと言ってくれるねえ。まあ負けん気が強いから、ちょっとでもそういう動きが見えると悔しくなるのかもしれないけれど、ファン全体からしてれいなからみっつぃ〜に「推し替え」した人ってかなり少数だと思うんだけれど。

つ〜か、同じ日の一回目と二回目でTシャツを着替えるって、それは「推し替え」をしたって話じゃないじゃん。そんな一日で応援対象を変えたりはしないよ。単に両方のファンで、両方に「仁義を切った」ってだけの話だと思うんだけれど、二人を同時に応援してます、ってのもれいな的にはいかんのか。

それって嫉妬?れいなに嫉妬されるとはうらやましい奴だ>Tシャツを着替えた人。

2008年10月30日

■ 小人なリーダー

高橋愛を巡る諸々続き。

  • 5期メンバーの中で一番年長なのに、一番幼くてむちゃくちゃする。
  • 同じ五期の小川麻琴が愛ちゃんの誕生日におめでとうメールを送るのが一日遅れたら、「ずっと待ってたんだよー」とぶーたれていた。
  • 番組で久住小春から「カミカミ星人」と四股名(大相撲ネタの時)をつけられて、「はい、噛みます、噛みます」とつぶやいて、半ば本気で凹んでいた。

ってどこまでナイーブなんだ。

まあいわゆる一つの小人(お子様)だな。

つーか、前のエントリと併せて、ほとんど赤ん坊みたいだ。心は子どもなのに体は・・・、ってなんかエロいな。いや、そうじゃなくて、普段はメンバーからいろいろフォローされつつ、肝心の芸の部分ではメンバーをガンガン引っ張る。年下・後輩から面倒を見られる、というのも一つの人徳ということで。

そういえばなっちこと安倍なつみも年下後輩の矢口真里に「お姉さんにはいつもお世話してます」(妹の麻美ちゃんに対して)とか言われてたな。まあ安倍さんは最後までリーダーとかやらなかったけれど。

ついでにおまけ。

  • イベントに来た客に向けての挨拶。「今日は忙しい中、運んでくださって」。メンバー「足を!」。「あ、足か」。

2008年10月29日

■ 大人な小娘。

「現場」がないと更新しない、というのも何なので、思いつくままに更新してみる。

最近のラジオ他での高橋愛を巡る発言諸々。

  • 食事に行くと食べきれないほど注文をする。デザート全種類、とか無茶な注文も。で、自分はあまり食べない。もったいないから他のメンバーでがんばって食べる。
  • 靴とか何足あるかわからない。一回も履いたことのない靴もかなりある。洋服もほしいものはついついいっぱい買い込んでしまう。一回も着たこと無いからあげる〜といって服をくれることもある。
  • そんなにおしゃべりじゃないけれど、しゃべり出すと全部しゃべらないと気が済まない。ブランドの話とか、相手が興味ないのはわかっているけれど、とにかく聞いてくれるだけでいい。
  • プレゼントにもらったパジャマを着て、ダンスレッスンに来た。「家からずっと着ていきました」。
  • 道重さゆみの真剣な悩み話をラジオで告白されて、「あ〜、そうだったんだぁ」。
  • 自分がいやなことがあるとすぐ泣く。

自分の欲望に忠実、我慢を知らない。

普段は無口なくせに、得意分野の話になるとやたら饒舌。

周りが見えない。

なんというか大人(たいじん)だな。

2008年10月23日

■ 私、頑張る!

大学での話。

授業後、学生がふらっとやってきて、ぼそっと言う。「先生、モー娘。好きなん?」

「え、好きやけど、それが何か?」

「先生、渋いねえ」。

「え、渋いの?ミーハーじゃなくて?」

「いやー、渋いっすわ。頑張って」

だーかーらー、なんでミーハーじゃないんだ。何で渋いんだ。

なんか微妙に斜陽を感じた一瞬。

つーか、ナニ励まされているんだ?>オレ。

2008年10月22日

■ 未購入品

昨日はずっと外出していながら、アホなことにかかずらってしまって、ちょっと足を伸ばせば買いに行けたモーニング娘。「ペッパー警部」PVを買いそびれてしまった。しまったなあ。今日思い出して、近所のCDショップに行ってみたが全く影も形もなかった。ああ、いつ買えるかなあ。

しょうがないので?なっちこと安倍なつみが表紙になっている写真週刊誌Flashだけ購入。先週のサンデー毎日と立て続けに雑誌の表紙。本当だったら新曲のプロモーションを兼ねているつもりだったのだろうか。雑誌の表紙になっても新曲のプロモーションになんてならない気もするけれど。

月曜日の松浦亜弥STBライブのレポートをまだあげていなかった。ざっくりは書いてあるのだけれど、うーん、どうしようか、ちょっと考え中。すんなり絶賛、という感じでもなかったもので。

■ グロ言説

なぜか「高橋愛」にとりつかれてしまった人のパラノイア的妄想にかかずらされてしまった。だいたい発端となったエントリがかかれたのってもう一週間前のことじゃねーか。本来ならすっかり沈静化していてしるべきことを、いちいち自分が扇動して高橋愛まで無理矢理絡めて、話題を引っ張って、あげく「みんながものすごく敏感になっているときにだ。(道重さゆみがラジオで)わざわざその名前(高橋愛)を出すとは」ってもうね。どんな妄想の世界に生きているんだ(まあ2chにどっぷりつかって生きているという最低最悪の人種ですな)。「みんな」って誰だよって話だよ。

本来うちのサイトポリシー「2chおよびそのエピゴーネンサイトは封じ込めるべし」に照らしてリンクは張らないつもりだったのだけれど(関わりたくない人だし)、引きづり出されてしまったので、今回だけはリンクを張っておくことにした。

というわけで先日のエントリ「不愉快な話」の言及対象も同じサイトです。まあ両方見ている人が多いだろうし、そういう人向けに起こしたエントリなので、そういう「ヲタ論争」みたいなのには全く興味がない人には黙殺していただきたい感じです。私は誰ファンが誰ファンをたたいているとかそういう図式を編成・表象する言説が大嫌いですし、そんなものはそれこそ2chに封じ込めておくべき見苦しき言説だと思っています。そんな見苦しい言説を生産した当該サイト主を私は軽蔑していますし、それに結果的に荷担した己の不明を恥じ入るばかりです。


私は前から書いているように2chにはものを書いてはならない、と思っている。見てはいますよ。最低最悪の人種の生産する言説を観察するためにね。まあその中には速報という意味では有益な情報も結構あったりして、結果的には重宝している部分もあるけれど、2chがなくなればその手の情報は別のファンサイトなりなんなりに行くだけの話であって、2chは無くなるべき場所である、という私の主張を揺るがすものではない。ましてそんな2ch的思考、言説を2ch以外の場所でもがなる奴は断固許さないし、はっきり心の底から軽蔑する。

2chには書き込むな。あの腐りきった言説空間を維持することは有害である。改めて主張する。


続きを読む "グロ言説"

2008年10月21日

■ 道重ぞうさん

私がこれまでブログ界隈で見た中でも相当いっちゃってる発言がドンドンあふれてくるんだけれど、例えば・・・。

本質

>高橋推しという部分に拘泥する姿勢

>妙なフィルター


高橋推し云々を抜きにして、公平に言って、道重さゆみを誹謗中傷したことそれ自体についてはどう考えているのですか?

自分から「高橋推し云々」で話をこじらせておいて、なんで勝手に「抜きに」して話を進められるんだ?手前の尻ぐらい手前で拭けよ。「公平」も何も自分の主張を一方的に反復しているだけだし。彼にもし同伴者がいるのなら、誰か何か言ってやれよ、と思う。この人物のやっていることによって結果として「道重発言」問題が反復され、「陰惨な構図」が反復されていっているわけだよ。

少し話を変える。

一般論として、私が普段から思っていることなんだけれど、「論争」とか「議論」なんてものは当事者間の落としどころとかはいらない。言いっぱなしでいいんだよ。異なる立場で異なることを言っている人は各々の背景やら論理やらを背負ってそういうことを言っているわけで、まっとうな論争であればあるほど、一方が一方的に「なるほど!」と思うことなんてない。

重要なのは読者だ。といっても読者が「勝者」を決めるとかそういうことではない。ただ読者は各々の主張を読んで、各々自分で考え、ときに言説構築の一端を担う。それこそが論争の持つ言説効果だ。AとBという意見が対立しているときに、Aを一方的に正しいと思う人もいれば、Bを一方的に正しいと思う人もいるだろう、さらにはAが正しいと思っていたけれど、Bの主張を読んで、考えを少し(あるいは全面的に)変える人も出てくるかもしれない。そういう様々な反応全体が論争のもたらす効果なのだ。

という前振りでそもそもの発端となったハッチマン氏の「道重造反」なるエントリに突っ込みを入れてみる。あまりに非生産的となったこの件に関する言説(ほとんど一人が悪いのだが)を少しまともなものに修正しておきたいと思ったからである。

今から私のやることはいわば「後出しじゃんけん」である。ただ私はハッチマン氏を論難したいわけではなく、ただ少しものの見方をずらしてみたいのだ。

もともとの道重発言とは、今年の夏にモーニング娘。主演で行われたミュージカル「シンデレラ」において自らに割り振られた役割(台詞がほとんどない。特に同期二人とくらべて)に納得がいかず、その間の一期間、少しふてくされる態度を家族に対してとったことがあった、と述べたものである。

さしあたり論点は2点ある。自らの役所を不服としてふてくされるような考えを持ったことの是非、そしてそれをラジオで告白したときの語り・表現の是非である。

前者についてはそれほど問題ではないように思う。いいわけがない、ということだ。不服に思う暇があったら、少しでも追いつき、追い越せるように努力せよ。しかしそうはならなかった。それはある意味仕方がない(そこまで聖人君主なんて世の中にはなかなかいない)。ただ後からでもそれを反省し、今後の糧とすることだ。そしてこの結論は私の結論でもなく、一般論でもなく、道重さゆみ自身の結論であった。ただそのことがはっきりしたのはこの発言がネットで取りざたされた後で放送されたラジオ番組で、再度この件に道重さゆみ自身が触れたときである。

それではそれ以前はどう理解されていたのか。つまり先に二つの論点のうちの後者、最初ラジオでそのことを告白したときの語りがどう表現されていたか、が問題となった。件のエントリにかかわらず、この発言を肯定的に受け取らなかった人の解釈ではおそらく道重さゆみは不本意な役所しかもらえないという現状をどこかしら他責的に考えているのではないか、という疑いをもたれたことにあったのだろう。自分はそのとき不幸な状況にあった、そういう感情が先走っているように解釈されてしまったことがあったように思う。

それは端的に解釈の過ちであったかも知れず、あるいは表現のつたなさであったかもしれず、あるいは道重さゆみ自身の心の中にそういう部分があったからかもしれない。それは私にはわからない。

ただ問題はそれでもって道重さゆみは努力を怠り、「辛い部分に目を瞑って」いたのか、という点にある。

それは一般論として一ファン・一観客にわかることではない。ただプロの世界であるならば、結果として表れてこない努力は無と見なされるのも、厳しいことであるが、ある意味やむを得ないことだ。だから道重さゆみのパフォーマンスを見て努力を怠っているかのごとく批評されても、それは一定甘受せざるを得ないと私は思う。

ただ、それでも私は待ってほしかったのだ。確かに現在でも絶対的なパフォーマンススキルは高橋愛や新垣里沙、亀井絵里、田中れいなには劣ると思う。でも「努力」という点で見るならば、パフォーマンスで見るにしても重要なのはその成長だ。そして春ツアーと比較して、夏ミュージカルを経て今行われている秋ツアーの道重さゆみは、私は確かに成長しているように思った。その実際にパフォーマンスを見た印象によって、私は道重さゆみが不平ばかり言って、「辛い部分に目を瞑って」いたということはなかったと言いたい。

見たからそういえる、というのはある意味ずるいことだ。でもファンであるならば、何かしらの形でミュージカルを経た後のパフォーマンスを見てから、評価しても良かったのではないかと私は思う。それが私のハッチマン氏に対する「批判」である。

後、道重さゆみの「今後」について。この件から派生していろいろな人がいろいろなことを言っていて、何となく大勢は才能のない歌・踊りに拘泥せずに、別のところで勝負しろ、という話になっているように見えるけれど、私個人としては断固反対。ドンキホーテといわれようが、断固歌・踊りで高橋愛に立ち向かう。それこそがアイドルパフォーマンスグループモーニング娘。に在籍しているメンバーの誇りであり、価値だと私は思う。そうやって必死に「本業」に取り組んでいるメンバーなればこそ、「おバカ」発言も笑えるのだし、お笑い芸人には遠く及ばないちょっとだけ気の利いた「レス」でも評価してもらえるはずなのだ。そういう意味では道重さゆみが役の少なさを明確に悔しがって見せたその姿勢は私はもっと評価して良いと思っている。

■ 不愉快な話

道重さゆみラジオ発言をめぐる「内ゲバ」に興味のないファンはスルーしてください。私も興味はありませんし、関わりたくもありませんが、無理矢理火の粉を散らしているバカがいるので、それだけは振り払っておく。巻き込まれたくはないので、出来れば流していただければ幸い。

どこぞで党派的な物言いで特定メンバーファンを落としめている卑怯者がいるようだ。みずから特定メンバーファン同士のいざこざを「陰惨で、不幸な構図」と表現しておきながら、それを自ら反復する。

こんな人物に好意的なレスをするひとにこそ「日本的なあまりに日本的な光景であり、私には、そのような空気は淀んでいるし、息が詰まると感じられるのだ」といって差し上げたいです。

他者に党派的なレッテルを貼るのには熱心なくせに、己の党派性を全く自覚しない。自分はいつも公正中立だという根拠のない思いこみで、「正論」なるものが実在し、それを自分は言っていると思っている。だからさるメンバーが苦境のときのそれを精一杯かばったファンに「正論」をはいて追いつめることもできる。正しいか間違っているかといえば間違っているけれども、それでもそれをかばわざるを得ない立場ってものが人にはある。そういう言説の社会性、立場性ということがこの人物には根本的にわかっていない。そのくせ、他人の発言にはいちいち誰それのファンというレッテル貼りはするわけですよ。

だいたい人のことをしつこくごちゃごちゃ言いつのるけれど、他者の都合は一切考慮しようとしないのな。手前のサイトであれこれ言及するのはかってですよ。しかし人のサイトのコメント欄で、元エントリより長文のコメントを書きまくれば、いい加減にしろ、手前の意見は手前のサイトで書け、というのは当たり前じゃん。

まあいうだけ無駄だと思うけれど、あまりにあほな火の粉を「高橋愛」に振りかけようとしているので、そうやってメンバーを人質にとってまで自分の意見をがなろうとする卑怯者の所行は放置しておくのも何なので、一応書いておく。

だいたい道重さゆみの発言を聞けば、それに対して「ちょっとな」と思う人がいるのは当たり前じゃん。そういう突っ込み所満載の発言だよ。そうしてメディアで自らした発言に対して、「このようにいっているように聞こえる」と批評されるのはある程度仕方ないことじゃん。そんなのいちいち誹謗中傷だとかいわないし、ましてや刑法の条文なんて持ち出して脅迫的な言説を振りまく話でもない。刑法レベルの話だと本気で思っているのなら事務所にでも伝えて、告訴してもらうように取りはからえよ。刑法が出てくるレベルの話ならそこまでしなければ逆におかしいじゃん。だいたい誹謗中傷とかいうのなら「頭おかしい」といったさんまだって誹謗中傷していることになるじゃん。「頭おかしい」が中傷でない根拠はあるのかね。それこそ文脈・コンテキストだというなら、元発言主のコンテキストを少しは読み取ろうとしたらどうか。その人の発言背景にある様々な要素から「高橋愛ファン」という要素だけを恣意的に取り出し、それを持ってレッテルを一方的に貼り、その立場で行った中傷だと決めつけているだけじゃん。道重さゆみ発言に違和感を感じるか否かなんて、高橋愛ファンであるかどうかなんてそれこそなんの関係もない。なのに高橋愛ファンであることこそがコンテキストだと言い張るのならそれこそ「他メン(とそのヲタ)は・・・愛ちゃんを批判・誹謗中傷し、高橋ヲタ側は反撃として他メン(とそのヲタ)を攻撃し返すという、なんとも情けなく、陰惨で、不幸な構図」を自ら現出させているわけだ。その自覚はあるのかね。


コンテキスト理解とは己の立場性と他者の立場性を理解した上で、他者の立場の論理を理解することだ。一方レッテル貼りは他者の立場を切り捨て、それを攻撃材料とすることだ。この人物はそればかりを繰り返す。

レッテル貼りをされ、それを「推しメン」のイメージ操作に用いられれば、それは推しメンを人質に取られているようなもので、発言をする気もなくなるわな。そうしてそのファンをひとくくりのイメージで固定化することで、この人物の発言は間接的にであってもそうしたファンを擁する「愛ちゃんを批判・誹謗中傷」しているわけですよ。それこそいくら「周到に断り書きを入れ」ようともね。

つーか、私筋金入りのなっち推しのつもりだったのに。高橋愛なんて「高橋愛ごときにはまってしまった」と思っているのに。

2008年10月20日

■ やせ細る

本来(今でもそうだと思っていたけれど)「ハロープロジェクト」というのはファンクラブの名前。

だとしたら今回の発表でもまずしなければならない話はそのファンクラブをどうするか、それが既存の「卒業」決定メンバー目当てのファンクラブ会員に対する最低限の義理というものだろう。でもそれをしない。来月の会報まで待て、と放置する。そしてにぎにぎしい、しかし実態のない「発表」だけはやる。そういう事務所なんですよ。

この事務所のやった悪行の最大の一つと私が思っていることに、後藤真希はロプロ「卒業」発表されるその直前の後藤真希ソロコンサート会場でファンクラブ会員入会受付をやっていた、ということ。後藤真希目当てのファンを加入させておいて、その日に「バイバイ」。よく集団訴訟とかにならなかったものだと感心する。ほとんど詐欺の世界でしょ。そういうことを平然とやってのけるのがアップフロントという会社ですよ。

もっとも私はFC会員ではないから、本当は何の関係もない話ではある。コンサートチケットも一般販売でとっているし、ファンクラブがどうなろうと何の関係もない。そういえば今年の藤本美貴のソロコンサートはFCではチケットは受け付けてなくて、全員一般販売枠でチケットをとらされていたんじゃなかったっけ。ハロプロから「卒業」したメンバーのチケットは今後そういう扱いにでもするのでしょうか。それはそれで私は全然困らないな。

事務所はファンの移動はほぼ完了して、ハロプロ年少組だけでやっていけるとでも思ったんだろうけれど、本当にそんな単純計算でいいのかなあ、と思ったりもする。こういうことをすると、一般の会社組織と同様に、全体のモチベーション低下を招くと思うんだけどな。「卒業」組ファンの離脱だけではすまないFC会員の減少がきっと今後起こる。まあこれまでもそういうことを続けてきたのもこの事務所だし、今後もこのままどんどんと沈んでいけばいいと思うの。

モーニング娘。はもともとアイドル好きじゃない人がはまるアイドルだっていわれていたのに、今やアイドルイナゴだけがお客ですっていっているんだから、だったらもうAKB48とかアイドリングだとか何だとか、その辺と差別化要因なんて全くありませんしね。

2008年10月17日

■ ウザちゃんピース

なんだか道重さゆみがモーニング娘。主演ミュージカル「シンデレラ」で自らに割り振られた役所(台詞がほとんどなし)を巡って、辛く感じた時期があったという話を半泣きでして、それを巡って論争が起きているらしい。しかもなぜかそれが高橋愛批判にまで発展しているという。

いやあ、おもしろいわ。娘。界隈言説は。当該発言を何度聞いても(名古屋のラジオ番組をどうして聞けるの?なんで?)、少なくとも高橋愛には何の関係もない話だわな。まあ、道重さゆみが鬱状態になったのも、ハロモニ@がなくなったのも、娘。最新シングルがカバーなのも、阪神タイガースが優勝を逃したのも、株が下落しているのも、地球が丸いのも全部高橋愛が悪いわけですね。よくわかります。

で、当該発言を聞いてお前はどう思ったかって?「ウザッ」と思いましたよ。半泣きになりながら、仕事の辛かった話を回想する女の子ってウザいよね。それを言うなら、「イヤなことがあるとすぐ泣く」高橋愛ってもっとウザいよね。さらに自分のソロコンサートで「みんななっちこと好きだねぇ!」って叫ぶ安倍なつみは最高にウザいよね。

ウザい娘。、大好き。だっておっさんだもん(はぁと)。

2008年10月12日

■ 確かにミラクル(死語)

名古屋の情報番組にモーニング娘。の新垣里沙と久住小春が出演。

ねえ、なんで名古屋の番組なのに京都在住の人間が内容語ろうとしているの?

いや、昨日はほら、なっちコンで名古屋行っていたから、ワンセグで見たのさあ。

料理の話題の時に、「お料理とかしますか」と振られた久住小春「小春はしないですねえ。しないですけどぉ、できると思います」。

すかさず司会から「若者らしい根拠のない自信でございます」と突っ込まれる。

小春、強えぇ。

■ 新曲-Angelic補足1

安倍なつみ新曲初披露。

昼夜2回聴いただけなので、まだ明確な感想は語れない。

ただその新曲の楽譜が昨日(ツアー開始前日!)に今回のバンドメンバーに届いた、ということで、また安倍さん自身も必死で歌詞を覚えた、とか言っていたので、もともとの発売予定日15日発売にはとうてい間に合わない制作ペースであったようだ。

楽曲の差し替えでもあったのか、などいろいろ想像はできるけれど、曲を聴いた限り、普通の良曲(今回のツアー全体の雰囲気とも良くあったちょいロック調のアダルトな雰囲気のポップス)で、妙な政治が働いたという印象はなかった。松浦亜弥の「きずな」とかモーニング娘。の「ペッパー警部」とか、妙な横槍めいたものが入ったように感じられることが多かっただけに、普通の制作の遅れ、ないしよりよい曲への差し替えと言うことなら、まあよかったのだと思う。

2008年10月10日

■ すっきりさわやか

モーニング娘。ペッパー警部発売イベントは落選。ま、そんなものでしょ。

おかげさまで?邪心なく安倍なつみコンサート関内昼公演に参加できます。

あ、負け惜しみじゃないですよ?

■ 「アイドル」の限界

明日なっちこと安倍なつみコンサートツアー初日。

これまでとはバンマスも変わって、さらにまた新しい音作りをしているよし。これまでのアコなちも好きだったけれど、2回連続だったし、同じ音作りをしているアコ美貴にも行ったので、確かにそろそろちょっとは変わった方がいいかなと思っていたところ。久々の曲も入るということで(「空Life goes on」かな)、さてさて何が出るかな。

完全なる初日公演に参加するのは今回が初めて。アコ美貴もツアー初日だったけれど、これは下敷きとなるライブがすでにあって、基本的にそのライブを踏襲したセットリストになっていた。今回のコンサートは全く予測不可、どんなセットリストになるかも全く想像もつかない。

そんななっちツアーだが、今回そのバンマスを務める和田晴彦さんがご自身のブログバンマスのぼやきで今回のコンサートのことについて触れている。「初対面だった安倍さんは、思った以上に自らのやりたいことへの明解なビジョンを持っている人で、それを臆せずにこちらに伝えてようとしていました」。

一方、モーニング娘。高橋愛。ラジオで、今ツアーの最終リハーサルの出来が良くなかったということで「先生」からすごく怒られ、悔しくて皆で泣いたとか言っていた。それ自体は悪くないエピソードだし、まだ年少のメンバーを含むアイドルグループなんだからそれ以上どうこう言うことでもないのだけれど、高橋愛だけのことを考えると、安倍なつみとの立場の差みたいなのが感じられて、少し寂しい。

自らのビジョンを持って、コンサートのあり方そのものに主体的に関わる安倍なつみ。スタッフサイドの理想を再現することを求められ、その出来不出来によって「怒られる」モーニング娘。高橋愛。不出来なものは修正されなければならない、ただその際「激論を皆で交わした」とかそういう話ならもっと良かった。一方向的に見える「怒られた」というスタッフとの関係性を物語るこのエピソードからは、「ああまだまだ(ネガティブな意味での)アイドルなんだな」と感じさせられてしまった。

高橋愛にも早くモーニング娘。を卒業して、ソロでの活動をしてほしい、との思いが湧き出てくる。

■ ロマンス

ちょっと古い話だけれど、思い出したので。

モーニング娘。「ペッパー警部」のカップリングが岩崎宏美の「ロマンス」。この曲の歌い出しが「あなたお願いよ。席を立たないで」。

ラジオで高橋愛が、このフレーズで学校の教室をイメージしていた、とかいっていて、皆からつっこまれていた。

そのつっこみを聞いて初めて私も知りましたよ。あ、これ学校の教室の話じゃないのね。n十年来ずっと私は学校の教室を思い浮かべてましたよ。

2008年10月08日

■ ね〜ぇ?

ハロプロ・アップフロントへの不満をぐだぐだ書き連ねたが、安倍なつみの事務所移籍はともかくとして、たとえばハロプロから撤退した場合の見通しはいかが、ということで、ちょっといろいろ考えてみた。

実際安倍さんのファンの中にはハロプロ・アップフロントへの不満、そして安倍さんのコンサートに来るいわゆるハロプロファン(ハロプロDD) への不満を強く持っている人が少なからずいる。ならば、そこから撤退した場合の見通しを想像してみる、というのもあるいは必要なことなのかもしれないと思う。

まずいわゆるハロプロファンを「排除」した安倍なつみのコンサートなるものを想定してみよう。

安倍さんの(私を含む)一部のファンが不満を感じるのは、「騒ぎたい」客の存在であることが多い。実際、なっちコンにはそういう客が相対的に多いのだ。となるとそういう客を仮に「排除」した場合、コンサート観客数はそれだけ大きく減少することになる。

実際、これは感覚的な話だが、なっちコンへの参加者には安倍なつみファンではなく、いわゆるハロプロファンの割合が相対的に多い。ベリキューを主として応援している人たちのブログをいろいろみていると、結構なっちコンに参加していたりする。中澤裕子はいうまでもなく、松浦亜弥・藤本美貴と比べても、安倍なつみコンサートにはそうしたファンがなんだかんだ参加してくれているのだ。一方、松浦亜弥はいわゆるハロプロファンとは少し違うファンを多くつかんでいる。だから仮に松浦亜弥コンサートからいわゆるハロプロファンがいなくなった際の動員数の減少率に比べて、安倍なつみコンサートにおける減少率は高かろうと思われる。

それは結局安倍なつみが「アイドル」たることをより強く残している結果ともいえるし、またその結果として現在の動員を維持できているともいえる。そうした要素を捨て、いわゆるハロプロファンを排除した場合、安倍なつみは現在のコンサート規模はとうてい維持できないだろう。それでもなお、安倍なつみファンのため(だけ)のコンサートを実現すべきか。それを指向すべきか。これは難しい問題だ。

そして同じ意味で、ちまたでいわれている「エルダークラブ」組のハロプロからの撤退がなされた場合、その影響を一番大きく受けるのはおそらく安倍なつみであろうと私には思えるのだ。そこが松浦亜弥ファンほど単純に安倍なつみのハロプロからの撤退をのぞみきれないところなのである。安倍なつみはハロプロの「護送船団方式」の恩恵を相対的によく受けている存在だと思える。

もう少し別の側面から考えてみよう。

アップフロント・ハロプロ所属であることの特徴を、それとは別の所属アーティストとの比較でみてみよう。

ここで比較対象として取り上げるのは鈴木亜美と島谷ひとみである。

この二人を取り上げたのは、私がそれとなくその活動を知らないわけではない、ということ、そしてその大枠での位置づけが松浦亜弥・安倍なつみと近いといえること、からである。

細かい話は抜きにして、ものすごくざっくりいえば、この4人のたとえばシングルCD売り上げはほぼ同等である。初動4000枚から10000枚、すごく幅があるようにも見えるが、大枠では同じぐらいである(と言い切る。実際には松浦亜弥・安倍なつみの方が他二人よりは多く売り上げているが、抽選イベントがついたりなど不純要素が多いため、大枠では同じと言い切った)。「一般」人からみて、この4人のタレントイメージの高低はよくわからないが、おおざっぱに言うと同ランクであると言い切っても大過はないと思う。

それを前提にしてこの4人の2008年の活動(予定)をざっくりまとめてみた。

単独ライブ単独ライブ公演数シングルアルバムミュージカルミュージカル公演数
松浦亜弥221 10 130
安倍なつみ22020159
鈴木亜美2321116
島谷ひとみ2421 353

いかがだろうか。

いずれも純然たる「歌手」活動だけでは不足しており、ミュージカルに活動の幅を広げている。アップフロントは舞台指向が強いといわれるが、Avexもミュージカルは十分フォローしている。逆にAvexといえどもそれほどテレビ露出に積極的な訳でもないだろう。むしろハロプロ系バラドルがバラエティ番組に多数出演している現状を見れば、バラエティはアップフロントの方が強いともいえる。

さしあたりアップフロント・Avexを問わず「歌手」指向の強い人で、それ単独では成り立たない場合、テレビ出演をねらってのバラエティ路線を選ばず、ミュージカルへ出演する、というのはとてもスタンダードなあり方だ、と思える。ハロプロファンの中には自分の「推しメン」がテレビ露出よりもミュージカル・舞台活動を主とすることをアップフロントの体質の責任にして、それを否定する人もまま見られるが、テレビか舞台かの選択の好みはさておき、その選択結果を持ってアップフロントを非難するのは当たらないように思う。

それよりもアップフロントの特徴がよく現れているのはライブ数とアルバム数の比較においてである。

一瞥、アップフロント・ハロプロ所属の二人のオリジナル曲の発表数の少なさが目につく。ちなみに鈴木亜美、島谷ひとみともたまたま今年アルバムをリリースしたのではなく、毎年継続的にアルバムのリリースを行っている。アップフロント・ハロプロの楽曲制作・提供力の弱さは明らかに気になる。

一方、それ以上に目につくのが、ライブの公演数の差である。これは圧倒的だ。さらにいうと動員数も比較にならない。公演数以上の開きが出るだろう。

まとめる。毎年新しい曲をより多く聴けるのは鈴木亜美・島谷ひとみである。一方より多くライブに参加できるのは松浦亜弥・安倍なつみである。CDはいわゆる「在宅」でも買える、在宅ファンには鈴木亜美・島谷ひとみの方が優しい。現場派にはハロプロの二人の活動のほうが圧倒的にうれしいだろう。

ちなみに私はやむなく現場派に転向しただけであって、本来は在宅派なので、じつはちょっとつらい。

さらにどうでもいい話だが、どちらがより「儲かっている」か。これは憶測でしかないが、多分ハロプロの二人の方が「稼いで」いる。CDをちょっと多くリリースしたところで、このクラスでは大して儲けは出ない。それよりも現場で「グッズ」を売りつけた方が多分ずっと儲けが出る。ライブチケットだってアップフロントの方が割高だ。動員数の差も圧倒的。

さあ、アップフロント・ハロプロにうんざりして、ハロプロからの撤退・さらには他事務所(後藤真希に続けばAvexだ!)移籍を熱望している(制限用法)あやや・なっちファンの皆様、鈴木亜美・島谷ひとみのような活動をお望みですか?それとも現在の活動の方をお望みですか?ね〜ぇ、どっち?

2008年10月06日

■ 太陽とシスコムーン

久々に太陽とシスコムーンの曲を聴きたくなって、愛ちゅんでしばし聴く。

あはは。こりゃすげーや。曲も込み入っているし、歌唱には全く隙がないし、ハロプロださい、なんてきいたことをいっている連中に聴かせてやりたいわ。これはハロプロ楽曲の一つの理想型だったのだなあ、と今更ながらに思う。

太陽とシスコムーン(途中からは改名してT&Cボンバー)が解散したのは、メンバーの成り立ち(所属事務所がバラバラの「寄せ集め」)からして仕方がなかったのだろうけれど、もったいない。それ以降、このレベルに達している楽曲・グループは現れていないんじゃないか。

近年特にワンダフルハーツ界隈で「最高」を連発するエントリが多くみられるけれど、「最高」の安売りはいたずらに理想を下げているだけじゃないか、とかよけいなことを思ったり。歌に「頂点はない」と言った高橋愛のファンならそういう気持ちもあるいは共有してもらえるだろうか。

モーニング娘。ファミリー、ではなくて、ハロプロというくくりに多少なりともこだわりがあるのは、たとえばこのユニットがモーニング娘。ファンからも敬意を持ってみられていた、という記憶が残っているからだ。もしかするとその記憶もねつ造されたものなのかもしれないけれど。

2008年10月05日

■ 歳末大売り出し

先日話題にしたハロプロ総決算セール?のベストアルバム。当然のことながら私の予想はあまり当たらなかった。

  • 安倍なつみ
  • 中澤裕子
  • メロン記念日
  • カントリー娘。
  • タンポポ+プッチモニ
  • 太陽とシスコムーン
  • シャッフルユニット
  • スペシャルユニット

だと。

予想は結構外しているけれど、結果として私の予想通り「私の中のハロプロ」がざっくり入っていて、それらを一山いくらで売られるような気がして正直不快。

それでも買うものは買わなければしょうがないので、とりあえず現段階での購入予定を決める。

安倍なつみ。これは当然かな。

中澤裕子。収録曲を見て決める。中澤さんの曲はシングル曲はほとんど持っていると思うのだけれど、抜けがあるかも知れず、またアルバム曲のこれという曲が収録されるかも知れない。

メロン記念日はスルー。たぶん全曲持っている(はず)。未収録曲があってもその一曲のために3000円強は払えない感じ。

カントリー娘。もスルー。りんね在籍中の曲はあらかた持っているはずだし、それ以降はほとんど興味がない。

タンポポ+プッチモニもスルー。5期加入以前のシングル曲はあらかた持っているはずで、それ以降の両ユニットにはほとんど興味がない。

太陽とシスコムーン。たぶん購入する。配信で数曲購入したのだけれど、CDで買っておいても良かろう。このユニットの曲はすべて高水準、歌唱も文句なし、これを聴くと今のハロプロの一部ユニットなんておままごとの世界だとしか思えなくなる、ある種危険、取扱注意。ちなみにこのユニットには最初から既婚者がいた。既婚者がアイドルグループにいるのはおかしいから出て行け、などと今のハロプロファンと称する一部の者が曰う、そんな風景の変化。

シャッフルユニット、スペシャルユニット、スルー。主要なものはすべて持っているはずだし、今更金だして買うほどのものでもあるまい。

それにしてもこの一山いくらの総決算セール(でも安売りはしてくれない)、いったいアップフロント様は何をなさろうとしているのかがさっぱり見えない。アップフロント様が何か積極的に動かれると大概ファンが傷つくというのが通例なので、大変に困ったことだ。

とりあえずは見守るしかないのだが、私がハロプロを完全に見限ることになった場合、せめてその原因、その心境についてはネットの僻地にでも記述を残す。これまでも多くのファンの踏みにじられた思いはあったが、その大半は正史のなかに塗り込められてしまった。

「スキャンダル」を罪とし、「処女性」をより多く持った純粋培養アイドルこそが「正しい」アイドルであると主張し、2007年からの「スキャンダル」でモーニング娘。は一層のファン離れを招き、より正しいアイドルに主役の座を明け渡したのだと喧伝する、そんな言説を「正史」にしてはならない。

2008年10月01日

■ 現在過去未来

秋の予定をあれこれ入れていく中で、ちょっと考えたのが武道館で開催されるシャ乱Q結成20周年記念プロジェクト 。参加ゲストの中に中澤裕子、安倍なつみといったモーニング娘。卒業メンバーとモーニング娘。現メンバーの名前がある。なかなか卒業メンバーと現メンバーがそろうこともなくなった今日、これはこれでそれなりに貴重ではないかとも思ったりする。

でもやはり申し込まなかった。

本来武道館を使って、娘。メンバーを集合させるのはモーニング娘。10周年記念でやるべきことだと私には思えるからだ。それをまともにやらずに実質スルーしておいて、シャ乱Q20周年でそれをやるなんて。20周年といってもずっと活動を継続していたわけでもない。そんなイベントにシャ乱Qだけでは武道館は埋められないからとハロプロメンバーを糾合する。娘。イベントだったら多分それだけで武道館は埋められたと思う。

未来あるべき娘。よりも自分のバンドの方が大事なのだな、というのは当たり前(「親心」的にはそれほど当たり前の話ではないだろうにと思うが、きっと娘。は娘でもなんでもないんでしょう)のことながら、正直あまり好意的な気分にはなれなかった。

同じ東京まで行くのならむしろこっち、「みちよ 11th Anniversary Acoustic Live 」だろうか、と思う。11thというのがやや中途半端だが、シャ乱Q結成20周年よりも私にはよほど感慨深い。

ただこの開催日は11月30日、娘。ツアー最終大阪公演の日じゃないか。あ〜、無理無理。ただ11年目にして平家みちよとモーニング娘。のライブがバッティングするなんてそれはそれで何ともいえない気持ちになるのだ。

それにしてもこの秋はいろいろ妙なところで「かぶる」ことがおおい。加護亜依東京イベントの日が娘。名古屋公演日、これはまあよくある程度のバッティングだが。

あと先週、モーニング娘。新曲「ペッパー警部」発売週だったが、実は同日に鈴木亜美の新曲も発売されていた。かつてASAYANで「対決」をさせられた両者。そのときは鈴木亜美の「圧勝」だった。アルバムからの先行カットという位置づけだったモーニング娘。の「ふるさと」は売り上げ的にはふるわず(ということに番組的にされた)、路線変更、「ラブマシーン」のヒットへとつながる。

今回の「対決」(誰も注目していないし、「対決」などとも誰も思ってもいないが、一応)は、どうでもいいけれど、モーニング娘。の「圧勝」。もちろんモーニング娘。はメンバーも完全に入れ替わっているわけで、「リベンジ」もへったくれもないわけだが。


今更ながらに気づいたわけだが、11月30日はモーニング娘。メジャーデビューが決定した記念の日だったか。去年ファンクラブでイベントをやっていたな。

果たして現モーニング娘。のツアー最終日である同日にメンバーはこのことにふれるだろうか。

2008年09月29日

■ 鬼が笑う話II

今日(もう昨日だ)のラジオ公開録音でなっちこと安倍なつみが来年の仕事について話をしたらしい。

2006年白蛇伝、2007年連続ドラマ、2008年トゥーランドットと例年外向けの仕事が続いているので、来年も、と思ってきたが、どうやらそうなりそうで、大変に喜ばしい。ファン向けのコンサートとか新曲発売ももちろん大切だし、その質が年々上がっているのもありがたいことだが、それだけでは残念ながら量的には縮小モードに入ってしまう。

ただ少し気になるのはその内容。レポートする人によって微妙に表現がぶれる。

  • 来年新たに決まっている仕事がある。
  • 来年は仕事の上で新しいことにチャレンジする。

どちらでもいい話なのだが、前者ならこれまでもやってきたジャンルだけれども、新しい仕事が入った、ということになり、またミュージカルか何かに出るのかな、と想像される。一方後者ならこれまでやってきたこととは少し毛色が違う仕事ではないかと想像される。ただその場合、いったい何?となるわけだ。歌、ドラマ、舞台、一通りやってきた安倍さんにとってまだやっていないジャンルの仕事って何?

映画?考えられなくはないけれど、うーん。バラエティ?別にこれまでやってなかったわけでもないし、そんなに「チャレンジ」と言うほどの話でもないだろう。何か番組の司会?これも一応ハロモニの司会やってたこともあったしなあ。ということで、結論、わからん。

まあ、無難?に新しいミュージカル、というのがファンにとっても、安倍さんのキャリアにとってもいい話のような。

いずれにしても、安倍なつみの活動自体についてはこうして制作サイドからの評価をつないで仕事が入っていけば、ハロプロ・アップフロントの意向・思惑(「処女性」で商売したい?)に惑わされずにすむ可能性が高いので、それはのぞむべき方向というべきだろう。藤本美貴、松浦亜弥ほか、基本的にエルダークラブはすべてそのモードに入っているので、そのまままとめて「ハロプロ」から撤退していくのも悪くはないのか。

問題はベリキューにリソースを取られているのか何なのか、エルダー組(となぜかモーニング娘。)のCDリリースが極端に減らされていること。ハロプロから撤退すればそこも改善されるのなら、それこそ大歓迎なのだけれども。


だって売れてないからCDも出ないんでしょ?と口さがない人はいうかもしれないけれど、鈴木亜美なんてどれだけシングル出しているか(2007年5枚!今年もすでに2枚目リリース。アルバムも二年連続リリース)。売れ行き?語るに及ばず、ってAvexって意外といい会社だったのか。なんか拝金主義、ちょっとでも売れないと切り捨て、というイメージがあったけれど、そうでもないのだな。ハロプロ・アップフロントの方がよほどひどいな。ベリキューだって(Avex所属歌手と比べるまでもなく)全く売れているわけでもないのに、そっちばかりに曲を出させるなんて。

今年の異常ともいえるベリキュー偏重のCDリリースにはほとほと嫌気がさしているし、ハロプロ・アップフロントへの不信感も募りまくっているわけで、ハロプロ・アップフロントからの離脱、そしてAvexへの移籍を願う人が多かった後藤真希ファンの慧眼には頭を垂れるしかない(苦笑)。

2008年09月28日

■ ベストアルバム

なっちこと安倍なつみ、ベストアルバム12月10日発売。

なんで新曲発売直後のこの時期に?と思ったけれど、とりあえず12月3日発売の新曲は収録されていない模様。安心する。

そして収録曲の中になんとあの曲が。「鳴りやまないタンバリン」。多くは語りますまい。ようやく私の中で一区切りがつくだろうか。

なぜこの時期に?という疑問については、どうやら安倍さんだけでなく、他7タイトルが同時期に出るらしい。なぜこの時期?という問いかけは安倍なつみの活動に対してではなく、ハロプロ全体に対して向けられることになった。

まずは他の7タイトルの割り振り。趣旨からして、これまでにベストアルバムが出ていても、改めて出す、ということもあり得るだろう。ただし今更後藤真希をアップフロントから出す、ということはできるのか、やるだろうか。一応やらないだろうとして除外すると、

  • 松浦亜弥
  • 中澤裕子
  • メロン記念日
  • カントリー娘。
  • タンポポ
  • プッチモニ
  • ミニモニ。

モーニング娘。はいくら何でもベストを出したところだし、ここで他のハロプロと十把一絡げでだすものでもあるまい、と除外。というより何となく娘。にベリキューをあわせた「ワンダフルハーツ」組の話ではない気がする。美勇伝もベストは最近出したばかりなのでここでは除外かな。前田有紀は、どうなんでしょ。

上記予想通りだとすると、いろいろハロプロ年長組「エルダークラブ」の一区切り、という感じがありありとして、まあいっか、という気持ちと今のハロプロのあり方に対する疎外感と、両方の気持ちがない交ぜになってくる。

正直ハロプロというくくりに対してはそれなりに心を決めた部分もある。ベリキューエッグもそれなりの年齢になったら(私が「推し」出したのはたとえば高橋愛18-19歳の時、松浦亜弥19-20歳の時、など)、とも思わないでもなかったけれど、その必要もなさそうだ。


あろう事か藤本美貴を素で忘れていた。となると

  • 松浦亜弥
  • 中澤裕子
  • 藤本美貴
  • メロン記念日

が確定か。そうなるとあと3グループ。

可能性1
やっぱりワンダ3組(モーニング娘。、Berryz工房、℃-ute)。
可能性2
懐かしのモーニング娘。派生グループ(ミニモニ。、プッチモニ、タンポポ)
可能性3
エルダー総決算(前田有紀、音楽ガッタス、美勇伝)
可能性4
変則娘。メンバーベスト(石川梨華(タンポポ、カントリー娘。含む)、吉澤ひとみ(プッチモニ、音楽ガッタス含む)、飯田圭織(旧タンポポ含む))

さあ、どれだ!

2008年09月25日

■ キモヲタたちよ

いい話を書いた後で、ちょっと現場にいた*熱心な*ファン(モーヲタ)たちへ苦言を。

べつに亀井絵里・光井愛佳二人が歌っている「春 ビューティフル エブリディ」が流れたら大いに盛り上がって「ヲタ芸」するぐらいはまあ、わざわざごちゃごちゃは言いませんよ。でも特に背の高いおっさん、兄ちゃんたちよ、明らかに背の低い女の子たちが自分のすぐ後ろで必死で娘。たちを見ようとしていたら、場所をちょっとばかし譲ろうとかおもわんかね?譲るとまでは行かなくてもちょっと横に詰めるだけでもその子たちの視界が広がるのが明らかに分かるところでも、岩のように動かない。もうアホかと。あまりにあまりだからちょっと合図を送ったけれど基本無視。頭の中かち割って脳みその状態みてみたいわ。

私はどんどん譲ってずるずる後退したけれど、でも私より背の低い子たちが前に来たって、物理的距離がほんの1、2メートル離れるだけで、視界は大して変わらなかったぞ。そりゃそうでしょ。それに仮に私の視界がそれによって多少遮られたって、そんなことよりも学校帰りの女の子たちが娘。の姿を見て喜んでくれたらそのほうが嬉しいじゃん。それがファン心理ってものじゃないのかなあ。

モーヲタが「世間的」に結構馬鹿にされていて、それが服装だとかそういうところでされるのは何だかな、と思うこともあるけれど、本当はそういう見かけの問題じゃなくて、他者(同じ仲間でない、「一般人」)に対してのちょっとした配慮も出来ない輩のそうした精神のあり方が馬鹿にされる遠因となっているんじゃないか。だって背の低い女の子が必死にのぞき込むようにしている前で微動だにしないおっさんの姿、やっぱり普通に「キモ」かったもの。

■ モーニング娘。が滋賀にやってきた

モーニング娘。(亀井絵里&光井愛佳) 9/25FM滋賀公開生放送、握手会イベントのお知らせ

ということでみっつぃと亀ちゃんが滋賀までくる、と。平日に滋賀って。でもちょうど私は滋賀でお仕事。15:00握手券尽きCD販売開始時間、16:00ラジオ公開生放送時間は完全に仕事中だが、握手会開始19:00には十分に行ける。そのときまでCDが残っているかどうかは不明だけれど。平日の滋賀で300人て多いのか少ないのか、見当もつかない。まあ握手会自体はどうでもいいけれど、生亀生みっつぃはちょっとみたいかも。

2008年09月24日

■ 希望への道

モーニング娘。がカバーする「ペッパー警部」だが、ファン界隈で多く語られているほど作品制作の部分においては「手抜き」だとは私は思っていない。確かにアレンジには私が期待した斬新さはなかったけれど、これはこれで聞いたときに「あり」だなと思ったわけで、ただそれを言語化する力は私にはない。というので力のある人に任せる。

鉄よりつよいもの。「ピリッと効いてる」

鉄よりつよいもの。「甘い甘いロマンスなの」

なるほどなあ、と私は思った。確かに曲のはじまりは明らかにオリジナルを彷彿させる古くさい感じなのに、いつの間にか娘。の曲として何の違和感も感じない。不思議だな、と思っていたのだが、このサイトさんの解説を読んでとても納得がいった。こういう分析をして、こういう文章を書ける人がまだハロプロ、娘。界隈にいるということはとても大きなことだ。

作品の仕上がりとしてはファンがモチベーションを下げ、購入をためらうようなものでは全くないはず、と私は思っているのだが、私の想像以上に「カバー」ということへの拒絶反応は強かったようだ。正直ちょっと狭量だな、と思う。

ただそれでもそういうあり得べき拒絶反応を和らげ、ファンのモチベーションをあげていく「説明」を事務所が全く出来なかったことがやはり問題なのだと思う。そして「この後」へ向けての信頼も全く得られていない。「今年はオリジナルシングルは一枚しかでないのか」。「このままカバー曲を連発していくのではないか」。そういう娘。ファンの不満・不安を払拭するストーリーを全く見せられていない。

今後少なくとも以下の3つのことをやらなければ、娘。ファンの多くが抱えた不安・不満を払拭するのは難しかろうと思う。

  • 今年中にもう一枚オリジナルシングルをリリースすること。
  • 年末年始にかけて、カバー曲をひっさげて歌謡曲番組への出演を積極的に行い、カバーシングル・アルバムを出した意義を示すこと。
  • 来年春ツアーまでにオリジナルアルバムをリリースすること。

そしてこの不安・不満が最後まで払拭されないと、本当にこのまま「戻ってこない」人たちが多数出てくるという確かな実感が私にはある。

■ 私の中のハロプロがなくなっていく

自分でも何に腹を立てているのか分からなくなってきたので、一度整理する。

今年私が購入した曲一覧。

  • 安倍なつみ&矢島舞美 16歳の恋なんて
  • 安倍なつみ&矢島舞美 私の恋人なのに
  • メロン記念日 カリスマ・綺麗(昨年発売のミニアルバムからのシングルカット)
  • メロン記念日 オンナザカリ
  • モーニング娘。 リゾナントブルー
  • モーニング娘。 その場面でびびっちゃいけないじゃん!
  • 藤本美貴 置き手紙
  • 藤本美貴 遠い恋人
  • 松浦亜弥 きづな(さるマイナーグループのカバー)
  • 松浦亜弥 ひとり(2006年アルバム曲の異版)
  • HighKing C/C
  • HighKing 記憶の迷路
  • モーニング娘。 ペッパー警部(カバー)
  • モーニング娘。 ロマンス(カバー)

今後の購入予定CD。

  • モーニング娘。 カバーアルバム(曲数不明)
  • 安倍なつみ 新曲(詳細不明)
  • 安倍なつみ ベストアルバム

例年ハロプロサイト界隈では「ハロプロ楽曲大賞」というものが行われている。私は投票はしたことがないのだけれど、結果などは閲覧している。最近は特に知らない曲が多くて疎外感を感じることも多いのだけれども、それでも昨年でいえば70曲ぐらいは購入曲があったりして、それなりに当事者意識は持ってみられていたわけだ。しかし今年はここまでで、そしておそらくこのまま年末まで、いったい何曲新しい曲が私のハロプロ曲コレクションに増えるというのだ?去年の70曲と比べて、いったい今年は何なのだ。

去年に比べて私が購入対象メンバーを意識的に減らしたわけではない。後藤真希がいないけれど、それはハロプロ内外にかかわらず曲をリリースしていないからだ。GAMはうやむやになってしまっている。モーニング娘。誕生10年記念隊はまあ仕方がなかろう。中澤裕子、前田有紀は今年はいまだリリースなし。

美勇伝を購入していないのは正直ごめんなさい。音楽ガッタスもしかり。確かにこの2ユニットの曲がないのは私の怠慢だとは思う。それでもハロプロに貢献してきたメジャーどころは(この2ユニットを除き)それなりに押さえているつもりなのだ。それでこの曲数。購入(予定)曲自体が少ない。その中でオリジナル曲の占める少なさ。

ベリキュー界隈・きらりんレボリューション?界隈を合わせればハロプロ楽曲はそれほど減っていないのかも知れない(分からない)。しかし私が見てきたハロプロを支えたグループ・メンバーの曲の減りようはどう考えても尋常ではない。ハロプロの柱だったはずのモーニング娘。を含めて、ここまでその存在感をなくしてしまっている。そしてこれがハロプロなのだという。

私にはこの状況を受け入れるのはとても難しい。

■ 何かがおかしい

どんどんいろいろなニュースが入る。仕事がはかどらない。

安倍なつみコンプリートベスト12月10日発売。

コンプリートベストってこの中に12月3日発売の最新シングルも含まれるのかい?

というか、そんなものを出すよりもオリジナルアルバムを出せよ、と。

モーニング娘。も結局秋のライブがあのような内容になったのはひとえにオリジナルアルバムが出ていないことに尽きる。考えてみれば、昨年最新アルバム曲をやり尽くして、今年シングル全集をやってしまったら、今回新たにやることがない、そうなればあのような内容にする以外にはない。

要するに問題は、いまハロプロ・アップフロントには極端に曲を作るパワーがなくなっているのではないか、と感じられてしまうことだ。モーニング娘。はオリジナルアルバムを1年半余りだしていない(し、今後半年近くは出せる見込みがあるようにも見えない)。安倍なつみもミニアルバムを昨年春に出したきり。松浦亜弥だって今年はカバー曲しか出さない(見通し)。メロン記念日も昨年発表のミニアルバムからのシングルカット。何かハロプロ・アップフロント全体(あるいはモーニング娘。+エルダ限定なのかもしれないが)でおかしなことになっているように感じられてならない。

もちろん安倍なつみがCDをリリースするという話なのだから、それ自体は否定すべき話ではない。というより、本来は歓迎・喝采すべき話なのだと思う。またモーニング娘。コンサートに関しても、普通に楽しみにすべき話であったのかもしれないとも思う。「へえ、どんなカバー曲をどんな風に娘。たちは表現してくれるのだろう」。「未発表曲!どんな曲があるのだろう。いい曲があればいいな」。

でもどうしても歓迎しがたいものが残ってしまうのは、単に私の気分の問題なのか、そういう雰囲気を醸し出す環境が客観的に存在しているのか。ずぶずぶの当事者の私にはそれが見えない。

2008年09月23日

■ ショック療法

なんだか「ペッパー警部」の売れ行きなんてどうでも良くなってきた。モーニング娘。の今後の活動?高橋愛ちゃんのドラマが楽しみ(はーと)。愛ちゃんきゃわわだしぃ、それでいいんじゃね?

■ コミュニケーション技術講座

「いい知らせが一つと悪い知らせが二つあるんだけれど、どっちを先に聞きたい?」

「うーん、怖いなあ。交互に聞くとするか」

「じゃ、悪い知らせから。『ペッパー警部』の売れ行きがあまり芳しくないかもしれない」

「うーむ。そうか。ファン向けじゃなくて一般向けの曲だったのに、発売前にテレビ出演とかなかったしなあ。ファンもここは支えてやらなければいけないと思ったんだが。まあ年末に向けて何か仕掛けていって、長期的に意味が出てくればいいんじゃない?」(はぁはぁ、何とか持ちこたえたぞ)

「じゃ、次いい知らせ。高橋愛に連続ドラマの主演が決まったんだよ」

「お、すげーじゃん。これはかなりいいニュースだ。いろいろ妄想も広がるなあ。一気に元気になれた気がするよ」

「それは良かった。じゃ、最後に悪い知らせ。秋のモーニング娘。コンサートの内容なんだけれど(かくかくしかじか)」

「・・・・・・」(ショックのあまり倒れる)

円滑なコミュニケーションのためのヒント

マイナスの内容を相手に伝えるときにはプラスの内容を前後に挟むようにしましょう。

「マイナスの内容の方が数が多いときにはどうすればいいんですか?」

■ 鬼が笑う話

絶対に誰かが他で書いていると思うけれども「元気で明るく健康だけが取り柄の女子高生」って、これハロプロメンバーでキャスティングしろといわれたらまずはやじまんこと℃-uteの矢島舞美をあてるよなあ、と。矢島さんなら演技力となそんなものは無関係にキャラの整合性だけで説得力が出ただろう。そしてそうなれば、彼女のアクのないさっぱりとしたかわいさ・美人ぷりでハロプロなんてださいと思っているか、全く関心のない男子中高生の心を鷲づかみに出来ただろうに。もったいないことをしているような気もする。

高橋愛はもともとそういうキャラじゃないから、きちんと演技が出来ないと結構見ていていたたまれないものになるだろう。高橋愛がキャラの整合性だけで出来る役所といえば、それこそシンデレラ、「いじめられていてそれに気づいて自分を不幸な子だと思っているのにどこか切実さがない妄想力だけが取り柄の女の子」とかだろう。

となれば、演技力が問題なのだが、舞台・ミュージカルの演技はともかく、ドラマの演技って愛ちゃん、出来たっけ?舞台とドラマでは求められるものがまたずいぶんと違うはずなので。

思い出すのはテレビ東京の24時間時代物のドラマ、あれって「演技」と言っていいレベルではなかったように記憶している。最近ではピンクレディーの役として出たが、あれも最初から演技なんぞ期待されていなかったはずだし、実際演技なんてしていなかった。大丈夫かいな。演出家にはがんがんだめ出ししてもらって、アイドルの顔出しドラマです、みたいなレベルのものにはならないようにすることを願う。愛ちゃん自身はそれほどドラマ系の仕事への願望とか思い入れとかなさそうではあるけれど、出るからには半端なものにはしてほしくない。

しかしハロプロはドラマが弱いといわれていたけれど、この機会にあらためてこれまでハロプロメンバーが出たドラマを振り返ってみると、なんだかんだ結構出ていたりするものだ。安倍なつみは連続ドラマ主演1本、ヒロイン(脇)役3本?、単発多数、後藤真希も連続ドラマは大河ドラマを含め3本ほどかな、他単発主演が2本?、矢口真里が昼ドラ主演と脇1本、保田圭も単発数本、中澤裕子ゴクセンを含む連続ドラマ2本?、単発も数本、加護亜依はシリーズものの連続ドラマにレギュラーで出ていたし、吉澤ひとみもNHKの連続もの、石川梨華も出演経験あり、松浦亜弥連続主演1本他単発数本、いまはちょろちょろAKB48がドラマに出ていて、それに比べてハロプロはなんて言説も目にするけれど、振り返れば結構なものだ。ただAKB48は所属グループの色が薄いので(少なくとも関西にいると全く存在感がない)、それなりに「女優」としてみることが出来るのだけれど、ハロプロは元の集団の色が濃すぎて、どうにも普通の「女優」としてはみられにくい、とは言えるような気がする。所詮ハロプロというアイドル集団の顔見せ、という。

高橋愛には是非普通の「若手女優」の一人としてみられるぐらいの演技をしてほしいのだ。

■ コスプレとか

仕事が進まなくて鬱々とした日々を送っています。

ペッパー警部はAmazonに発注しただけで、当然まだ送ってきません。初回A版(DVD付き)と初回B版(ミニ写真集付き)。CDをくじ件にするのは好みじゃないので、イベント当選目的での大量買いはしません。ただこのシングルがこけるとモーニング娘。の活動全般にさらに支障を来しそうなので、少しでも多く売れてほしい、という気持ちはある。仕事が一段落したら、通常版を一枚でも購入したりするだろうか。

せっかくの発売イベントはなっちこと安倍なつみソロコンサートと完全に日程がかぶっている。イベント初回なら終了後、なちコン昼公演に頑張れば間に合うのかな。ちょっと調べてみて、間に合いそうなら応募するだけはしてみよう。無理そうなら当然なちコン優先。

そうそうそうそう、そういうことでなんとかなちコン横浜関内公演昼夜、大阪公演昼夜無事チケット入手。といってもまだコンビニにおいたままなので、引き取りに行かなければ。これで名古屋公演を合わせて3会場6公演を押さえる。最終中野にも行けば全公演制覇となるけれどもさすがに二回も東京へ行くのはつらい。横浜関内よりは最終中野の方に行きたかったけれど、松浦亜弥STBライブと合わせ技での東京行きだから仕方がない。

そうそうそうそう、なんと愛ちゃんこと高橋愛ドラマ主演決定とか。ちなみに前のリンクは愛ちゃんがあまりに可愛く映っているのでつい張ってしまった。

で、肝心のドラマなんだけれど、「元気で明るく健康だけが取り柄の女子高生・可奈(高橋愛)」だと。えーと、私の記憶が確かならば、愛ちゃんは22歳なんですけれど。「女子高生」って、それってなんかのプレイですか。

2008年09月14日

■ 映像批評、よ

言葉で「モーニング娘。」を表現することに積極的な意味・意義を感じてきたので、これまでは画像も使わなかったのだが、公式動画サイトdohhhupがモーニング娘。新曲「ペッパー警部」のPVをブログに貼って販促せよとせっついているようなので(拡大解釈)、協力してみた。もちろん文化を享受したものは一定その対価を支払うべきなので、このPVを見た人は全員もれなくモーニング娘。「ペッパー警部」CDを100枚以上購入するように。

もっとも最近は社会学でも映像を用いた学会報告なども増えているので、あまり「言葉」に拘泥するのもアナクロなのかもしれない。

それにしても映像というのは強力なもので、これを貼ってしまってはそれ以上言葉で何を語ればよいのかという感じになってしまう。己の批評力、言語力の弱さを思い知らされる。残酷なものだ。だからこれまでそれを避けてきたのかもしれない。それでも最低限の批評的言辞を弄することとしよう。

とりあえず映像を見れば一目瞭然、私が期待したアレンジの斬新さというものはない。

でもこれはこれで成立しているように感じる。ふつうにモーニング娘。の曲になっている。元曲を知らなければ、モーニング娘。のここ最近の曲を立て続けに聴いた後、これを聴いてもそれほど違和感もなかろうと思う。妙に衒うこともなく、ふつうにモーニング娘。として歌い、踊っているだけなので、後はそのパフォーマンスを堪能すればよい。それ以上に特に付け加える必要もなかろう。

一点注目点をあげるなら、終盤の間奏でのダンスシーン、高橋愛ちゃんがミニスカートで蹴り上げる振りをするので、、、。

我ながら格調高い批評となった。

■ 実験

モーニング娘。ニューシングル「ペッパー警部」よ。

2008年09月08日

■ 多面展開

第一報を聞いたときには情報を読み飛ばしていたのだけれど、同時に阿久悠関連のカバーアルバムも出るのね。そのアルバムの中で高橋愛が五木ひろしとデュエットを歌う、と。最初に聞いたときには、それは単にいろいろな往年の歌い手が登場する阿久悠記念アルバムに高橋愛が一曲関わるだけの話かと思っていた。しかしそうではなくてカバーアルバムを出すのはモーニング娘。でその一曲に五木ひろしが絡んでくる、と。ふーん。

単にピンクレディーのカバーをしましたというだけでなく、アルバムも含めて阿久悠関連で一気に話題を展開していこう、というのはそれはそれで攻めの姿勢だとは感じる。結構面白い話じゃん。

あとは「ペッパー警部」のアレンジだなあ。モーニング娘。の前回のカバー曲「ひょっこりひょうたん島」はもう少し笑っちゃえるようなものを期待していて、案外平凡だったので少し残念だった。今回こそは「え?これがピンクレディーの曲?」と言うぐらいアグレッシブに、そして今のモーニング娘。のかっこよさを見せつけるようなものにしてもらいたい。こぢんまりとまとめてしまって「劣化コピー」などと思われるのだけは勘弁。

■ ペッパー警部、よ

「ペッパー警部」ね。

一般人への訴求って話をしていたら、そう来ましたか、という感じ。まあそれほどずれてはいないな。「ファン」の方がごちゃごちゃ文句を言うかもしれないけれど、一般向けにはそれなりにインパクトはあるでしょう。

とりあえずファン界隈の反応に注目。

私はそれなりに発売を楽しみにしているし、新曲タイトル発表が遅れた理由も前向きなものだったと一応納得できたので、とりあえず良いニュースだったと思っている。

2008年09月06日

■ セカンドモーニング

モーニング娘。ハワイFCツアー。

ライブのソロコーナーで道重さゆみが歌ったのは「せんこう花火」だったらしい。

春ツアーでは「ふるさと」。

道重さんってここまで初期モー娘。ファンなっち派な人だったのか?


この二曲ともモーニング娘。のセカンドアルバム「セカンドモーニング」収録曲(「ふるさと」はその直前のシングル曲)で、しかもどちらも安倍なつみがメインパートをすべて歌っている。

2008年09月04日

■ わが道II

注釈として後から追記したのであまり読まれていないだろう部分に私としてはもっとじっくり考えたい論点が出てきた。

アイドル言説空間について。

この空間においては「処女性」がしばしば「問題」として投下され、それを巡って言説が構築される。アイドルは処女性を維持していなければならない、という「ファン」と、そのようなことを求められるアイドルなんてださいと拒否する「一般層」との対立。重要なのはアイドル言説とは「アイドルの処女性」をプラスの価値として語る言説と同じではない、ということだ。そうではなくて、そうした主張をめぐる対抗言説を含めた言説総体がアイドル言説を構築する。

ここで出す「例」はあくまでこの問題を考える事例として提示するものであって、登場人物を今更ながらに批判し、糾弾することを目的とするものではないことを付言しておく。

矢口真里である。彼女が「恋愛」を理由にモーニング娘。を「脱退」して3年たった今でも彼女はその経緯を語る。

モーニング娘。は恋愛をしてはならないグループである。しかし自分は恋愛をしたかった、だから辞めるしかなかった。

彼女の論理では、ここにはモーニング娘。を貶める意味合いは一切ないのだろう。自ら責任を取って辞めた、その公式発表を崩さずに語っているからだ。

しかしこれは言説においてはモーニング娘。を著しく毀傷してしまっているのだ。

矢口はこうした発言で二つのことを同時に語っている。

  1. モーニング娘。は恋愛が許されないグループとして維持されている。
  2. 女性として恋愛をするのは自然である。

この二つの語りは一つの論理的帰結を導く。

  • モーニング娘。は人間の自然な感情を抑圧する存在である。

まして矢口はこれを涙混じりに語るのだ。

もし矢口がこうした発言を行うに際して、公然とモーニング娘。の非人間性を告発し、モーニング娘。は現代の女工哀史だなどと主張するのであれば、私はある次元で評価し、場合によってはその告発に連なってもよかろうとも思う。しかし矢口にはその意識はあるまい。単に環境と自分の(場合によっては「わがままな」と付け加えてもよいとさえ思っているだろう)思いとのズレが招いた自身の悲劇を語っているだけだ。だから彼女は元モーニング娘。として24時間テレビで現メンバーと一緒に登場して歌を歌うことも、現メンバーに「ライバル心が足りない」などと純然たる先輩の立場において苦言を呈することも出来たのだ。

私はそれをとても好意的には受け止められないし、「ずるい」とも思うが、今語りたいのはそういうことではない。

ここで問題なのは、モーニング娘。と(リアルな)恋愛とを同時に語る語りは、モーニング娘。を、処女性をめぐるアイドル言説空間に投入し、モーニング娘。をべたべたなアイドルに堕してしまう効果をもたらしてしまうということだ。そしてそれはモーニング娘。の「一般」的な価値を毀傷してしまう。

この言説からモーニング娘。を救うには二つの道がある。一つは矢口がやらなかった「告発」を行い、モーニング娘。を恋愛可能なグループに修正すること。もうひとつはモーニング娘。とリアルな恋愛との言説上の接合を拒絶すること。

第一の道はモーニング娘。をいったん地の底に突き落とさなければならない。

モーニング娘。各メンバーはずっと「非人間的」な扱いをさせられ続けてきた。しかしその縛りは不当であった。今日から君たちは晴れて自由である、万歳。

矢口が、あるいはその他メンバーが、自らの存在をかけてこの闘争を行う、というのであれば、私はそれを支持しよう。しかしそうでない限り私はこの道を選ぶ気にはとうていならない。

私は一ファンとして、第二の道を選ぶ。モーニング娘。脱退の経緯を他人事のようにかわす藤本美貴や恋愛関連のつっこみをカマトトぶってスルーする高橋愛が(おそらく反射的に)選んだこの道を私も進む。

■ わが道

モーニング娘。は一つの文化(サブカルチャーではなく)である。少なくともかつてはそうであったし、今でもそうであれかしと思っている。

文化は、理想的には、「他者」を排除せず、むしろ糾合することで一般性を指向していく。その価値観が流通する場・空間を拡大していこうとする。

別の力学も存在する。専門化・尖鋭化を進め、場を閉ざし、その場でのみ通用する言語を駆使し、「他者」を排除していく。

モーニング娘。、ハロプロを巡る言説状況はいつからか、徐々に、しかし着実に、後者に進みつつある。実際に読まれる読まれない以前に、「他者」に読まれることを意識してかかれているハロプロファンテキストがどのぐらいの割合があるか。ハロプロファンにしかわからないタームを多用し、「きゃわ」「ハァーン」などといった同等の価値を共有するもの同士のみを対象とした「レポート」が溢れる。そしてライブは常に「最高!」。内輪の価値の再認のみがここでは求められているのだ。

ライブレポートには出演者が客の「出席確認」をしているかのごとき記述が散見される。いつも最前に陣取る「おまいつ」(お前いつもいるな)の客を出演メンバーが認識して、特別の反応をする、というのだ。実態は知らない。しかしそのような記述の存在自体が、ハロプロライブの閉鎖性を構築してしまう。一方で一般客(FC会員でない客)がふつうに購入できる座席は「糞席」と呼ばれ、いかに安くオークションで入手できたかの自慢話?が語られる。

CDには握手会イベントが求められる。そこではさらにメンバーから認識されていることを確認しようと画策される。そのためには何よりもまず、イベントに行けなくてはならない。イベントは抽選だ。30枚40枚CDを購入する様も「レポート」される。

ここに立ち上がっている言説が先日の「べたべたなアイドル」を構築する言説である。そしてこうした活動もモーニング娘。を支える一つのやり方であることは否定しない。ただ私はそれとは違う道を模索する。モーニング娘。をべたべたなアイドル言説から切り離す。その道を模索している。

2008年09月02日

■ 夢物語

Avexの「ハロコン」、a-nationなるライブに後藤真希登場。

Avexファンは自分が応援している「アーティスト」以外には冷たい、などという不安もささやかれたが、思いの外好意的に受け止められているようだ。

「ゴマキってこんなに歌うまかったんだあ、意外」。

なんかこういう評価って今年何度か聞いたような。安倍なつみトゥーランドット、藤本美貴舞台・イベント、モーニング娘。シンデレラ。「外部」の一般人から漏れる「意外」との感想。

ついでにファンも「意外」とちゃんとしている、という評価もへばりついてきたりする。そう、なんだかんだ「一般人」を無視して傍若無人に振る舞う連中って割合的にはそれほど多い訳ではない。場に応じて臨機応変な応援ができる、という評価も数多くみられる。

ベリキューにだってこういうチャンスはあった*1が、ファンの振るまいがそれをつぶした。

それにしても「モー娘。」「ハロプロ」って何だって思われているのだ?

見直していただけるのはありがたいことなのだが、いかんせん見直していただけるのは「現場」にいたごく一部の人のみ。こういうときにアップフロントの戦略の下手さが感じられてしまう。特に昨年ハロプロ10周年記念イベント関連、新聞一面広告なんて出す金があったら他にやれることがあっただろう、と。10年なんて無関係な「ワンダ」組だけで「ハロコン」をやる時間と金があるなら、他にやるべきコンサートがあっただろう。ファンクラブ会員向けにハロ10なんて内輪イベントやる人員があれば、もっと「一般人」に訴求できるイベントができただろう。

先日夢を見た。

安倍なつみがタイのイベント、ジャパンフェスタに呼ばれてミニライブを行った。政情不安定な中、万を超える人々が集まり、大変盛況だったという。

安倍なつみがソロで「ラブマシーン」を歌う。会場大盛り上がり、必死で写真を撮りながら(このあたりタイはルーズなものらしい)、一緒に歌い、踊る。

安倍なつみ最新シングル「息を重ねましょう」を歌う。会場も一緒になって合唱。日本でも知っている人なんてほとんどいない歌なのに。ハロプロすげー。

目が覚める。

また夢を見る。

もし10年記念で日本でも一般人を巻き込んだ、このようなイベントを開催できていたら。モーニング娘。現メンバーともとメンバーを集められるだけ集めて、可能な限り広い会場で無料イベント。最前付近は子連れなどを中心とした「ファミリー席」でも設定しておく。

歌うは「一般人」が期待する曲「ラブマシーン」「恋愛レボリューション21」「ピース」。そして現娘。卒メンおのおのの最新曲。懐かしの曲で盛り上げて、現在の曲で高いスキル・パフォーマンスを見せつける。「無料」ならばタイと同等、あるいはそれ以上の盛り上がりも期待できるのではあるまいか。モー娘。結集となればメディアも大々的に取り上げるだろう。

10周年はもう去った。後藤真希ももうハロプロを去った。それでも今からでもそんなイベントができたら。

夢のまた夢、だな。


*1蒲公英さんのブックマークより、「過去形で語られるのは辛いなあ」とのご指摘。確かにこれは表現がまずかったかもしれない。

ここで言いたかったことは具体的に神宮の花火大会の日のことであって、もしその日、ファンがもっとうまく応援できており、ベリキューのパフォーマンスをその場にいた多くの客に見せることができていたら、もしかするとそれは上記モーニング娘。関連事例と並ぶ結果となっていたかもしれない。しかし私の知る限りそれはかなわなかった。過去形なのは、つまり具体的に発生した一つの事例についてのことだから。

もちろん安倍なつみも藤本美貴も後藤真希もそして現モーニング娘。も今後も引き続き同様の「再評価」を受けるチャンスはあるだろうし、それをものにしていかなければならないと私は思っているわけで、それと同様にベリキューにだって今後チャンスはあるだろうし、それはものにしていくべきだろう。

2008年09月01日

■ アナクロソツメンヲタはかく語りき

モーニング娘。は死んだ。モーニング娘。は死んだままだ。そして我々がモーニング娘。を殺したのだ。

長年続いた日曜昼の「ハロモニ」が終了、平日夜帯番組枠にモーニング娘。、ベリキュー、真野なんちゃらちゃんのハロプロ若手アイドル班の「ワンダ」組が集結。「よろしくセンセイ」こと「よろセン!」がスタートとか。誰が「センセイ」役なの?とか真野なんちゃらちゃんって誰?というのはさておき、肝心のモーニング娘。の行き先が見えない。

モーニング娘。卒業メンバーおよび前田有紀、松浦亜弥、里田まいら「エルダー」組は各々知名度やらスキルやらキャラやらを生かして適材適所の多面展開、これはまあ、分かる。

ベリキューら「若手」は若さやら新鮮さやら可愛らしさやらを生かして、「ふれあい」を中心としたB級アイドル展開、これも(私は好きではないが)、まあ、分かる。

しかし知名度・スキルともエルダーにさして引けを取るとも思えない(こともないか)モーニング娘。は、ベリキューらと同じ「ワンダ」に組み込まれ、B級アイドル化を自ら進める一方で、B級アイドルとしてはベリキューに見劣りするような状況に追い込まれていって、どんどんその価値を目減りさせていっているかのように感じられてならない。

いったい何故こうなってしまったのか、その決定的契機は何か、などと考えていたりするわけだ。

さかのぼればいくらでもさかのぼれる。辻加護の卒業、安倍なつみの卒業、後藤真希の卒業、中澤裕子の卒業、いや4期メンバーの加入、いや後藤真希の加入。それでも現在のモーニング娘。のB級アイドル路線を決定づけたと私に思えてならないのは、これまたずいぶんと古い話だが、やはり矢口真里の「脱退」だったろう。

モーニング娘。が恋愛禁止だというのは実は発足当初からである。「うたばん」で石黒彩が「アイドルは純粋でしょう」とにやりと微笑んでいったごとく、モーニング娘。は恋愛禁止であった。

ただしそれは、たとえは悪いが、水商売の女性に「彼氏は今いない」のとほぼ同程度の意味合いであったと思っている。

24歳の水商売経験者の元OL、19歳で鼻ピアスをしてバンド活動を行っていた女子短大生がいるグループで、平然と「アイドルは純粋」と言い切るその厚顔さこそが、モーニング娘。をして小泉今日子の「何てったってアイドル」を凌ぐメタアイドルたらしめるものであった。歌詞という言葉の上にとどまらず、そのキャラクター全体をそこに投下して見せたのだ。

ただしそれは事務所の明示的な戦略というわけではない。あくまで「受け手」の解釈の次元においてである。そして事務所の方針自体は、実は終始一貫したものであったと思う。モーニング娘。発足から、今に至るまで。ベリキューを含めて。

私の見る限り事務所の恋愛に対する対応は「アイドルグループにいる限り、恋愛は認めない」、「恋愛が発覚したら、別れろ」の一点張りである。「処分」が状況によってバラバラだといわれることがあるが、おそらく明示的な「処分」を事務所から行ってはいないように思う。とにかく是が非でも「別れろ」。それをメンバーが受け入れれば、明示的な処分はなし(歌のパートを一時的に減らすとかその程度のことはやっているかも知れない)、受け入れない以上は自分からグループを脱退するしかなくなる。この方針でこれまでの各メンバーの恋愛スキャンダルの結果はすべて説明できる。

私はこの事務所の方針を支持してはいないので、そこから生み出された結果において、当該メンバーを否定的に見ることはしない。その上で続ける。

メンバーが「別れる」に応じているうちは、「スキャンダル」は内々で処理される。明示的な処分が出ることはなく、しかも恋愛はしていない、という建前は維持され、モーニング娘。の言説上のメタアイドル性は守られる。もちろん「本当」は実質強制的に「別れ」させている時点で実はメタでも何でもないベタアイドルにすぎなかったわけだが。

この危ういバランスが打ち破られ、モーニング娘。が言説上においても単なるベタアイドルにすぎないと見なされるようになった契機を、「恋愛」を貫いたが故に「脱退」することになった矢口真里にみる。事務所の対応は変わっていなくても、みる側からの印象は全く別のものとなる。「恋愛すると辞めさせられるんだ」、「ネタだと思っていたのに、本気で処女性なんて守ろうとしているんだ」。そしてベタアイドルファンたちの「歓喜」の声。「モーニング娘。はアイドルだ!」。アイドルでありながら恋愛を貫くという矢口真里の「叛乱」が、モーニング娘。のアイドル化を推し進めたのはなんとも皮肉なことであった。

矢口真里「脱退」後のハロプロ合同コンサートでは、モーニング娘。は「純粋培養」グループベリキューとともに「ワンダ」組として、「エルダー」組に組み入れられた主要モーニング娘。卒業組とは切り離される。

かくしてモーニング娘。は名実ともにべたべたなアイドルとなった。藤本美貴の脱退はその反復にすぎない。ただしその反復こそがだめ押しになったわけだが。

改めてこのだめ押しはいかにも痛かった。おまけにその直前には藤本美貴と並んで「べたべたアイドル」路線にそぐっていなかった吉澤ひとみが「卒業」していった。もはやモーニング娘。をしてメタアイドルたらしめる要素は何も残ってはいなかった。

メタアイドルモーニング娘。はかくして死んだ。


世の中、***な人って本当にいるんだなあ、ということを再認した(苦笑)。別に読者がこのエントリをどう解釈してもいいけれど、その勝手な解釈で他の読者をミスリードするのは何だな。まあ、この人自体はどうでもいいけれど。

それでもこの文章を読んで、現在のモーニング娘。のパフォーマンスを否定しているものだ!と解釈する人がいるとは想定の範囲外だよ。

一応まっとうな理解力を持った読者であっても、あほな誤読に引きづられないとも限らず(多分その危険性は薄いと思うけれど)、それは迷惑なので、そういう(まっとうな理解力を持った)読者のために補足しておくと、上の文章は、「処女性」なる妖怪に振り回される類の(限定用法)「アイドル」の秩序において、モーニング娘。がその超越的地位を失墜した、といっているのであって、モーニング娘。のパフォーマンスについての否定的評価など一切していない(よね)。むしろ(そう直接言っているわけではないが)そのパフォーマンスが正当な価値を持って評価されがたい言説空間の中にモーニング娘。がおかれてしまっていることを問題にしているのだ。

「アイドル」と言えば「処女性」が掛け金として投入されてしまうこのアイドル言説空間(アイドルは処女性を維持していなければならない、という「ファン」と、そのようなことを求められるアイドルなんてださいと拒否する「一般層」との対立が発生する空間)において、かつてのモーニング娘。はなお特権的な位置(松田聖子において処女性が問題にならないのと同等の)をもてていたのが、今はそうではなくなってしまったその現状を指摘しているわけだ。この言説空間ではこの対立はパフォーマンス評価の前に生成されてしまうために、パフォーマンスの善し悪しがそもそも問題とされない。「モー娘。ださい」、「所詮モー娘。」といった支配言説はまさにこのアイドル言説空間の中で立ち上がってしまっている。

かつてのモーニング娘。はこのアイドル言説空間の中においてなお、「国民的」と冠せられるだけの地位を保持できていた(それを持って「メタアイドル」と呼んでいるのだ)が、今はその立場を失ってしまった、それを持ってメタアイドル(としての)モーニング娘。の死と言っているわけ。

となれば次なる戦略はアイドル言説空間自体の組み替え以外にないと私は考えているわけで、しかしその戦略については本エントリは何も述べていない。ただ今の事務所は(ある意味状況的には「仕方がない」かもしれないけれど)、このアイドル言説空間にどっぷりつかっており、その空間にモーニング娘。を押し込めようとしている。そして「我々」ファンもまたその網に絡め取られてしまっているのは確かだろう。「我々が」殺したのだ、というのはつまりそういうことだ。

件の解釈者を相手にしたくないのは、そもそもこのエントリがこのブログ全体でどういう位置づけで、どういうコンテキストでここにおかれているのかを一切読み取ろうとせず、言葉の上っ面だけをなめて文意をねじ曲げてくるから。よほどレトリカルな文章を読解する力がないのか、相手の趣旨を読み取る気が最初からないのか、どちらかなのだろう。このエントリだって冒頭の文章はあえて扇情的なレトリックを借用して、かかれていることぐらいはふつう読み取れるだろう。そうであれば、このサイトのこれまでのスタンスと併せて、このレトリックをここで用いて何を言わんとしているかを読み取ろうとするのが「解釈」というものだ。それができないなら、「このエントリはわからん」ですませればそれでよいのに、あほなつっこみをするからあほだ、というしかないのだ。

ということでそのサイトから訪問された方、一つよろしく(苦笑)。

もっともベリキューファンの方から、ベリキューを「処女性」に振り回される類のアイドルにおとしめるな、といわれると、その批判は甘んじて受け止めなければならないけれど。モーニング娘。はベリキューと一体とされることで、このアイドル言説空間からどんどん抜け出せなくなる、つまりベリキューは(モーニング娘。とは違い)最初からこのアイドル空間を補完する存在でしかない、と現状私が思っていることは確かなので。

2008年08月14日

■ 道産子頑張るよ

松山千春新曲PVに安倍なつみが登場

松山千春さんと安倍なつみの絡みについてはもういいよね。

もういい、というのは否定的な意味ではなくて、いちいち「すごい」とか「やった」とかいうような関係ではない、ということ。郷土愛と歌への思いとその深さに関して、松山さんは安倍さんのことを完全に認めていると感じるし、これからも何やかやと絡んでいくのはないか。

一つだけ、あまり政治方面にまでは絡ませて欲しくはないかな。鈴木宗男に関して今は否定的な思いはないけれど、それ以前に「対立」「葛藤」がベースにある政治の世界に「なっち」はふさわしくない。

2008年08月08日

■ テレビ視聴

「現場派」に転向すると、テレビ経由での受容が薄くなる。

よみうりテレビの「阿久悠物語」なるドラマに高橋愛と新垣里沙が出てピンクレディーを演じていたとか、NHKの阿久悠特集に松浦亜弥が出て、ミニ司会と歌披露をやったが、豪快に歌詞間違いをしたとか、藤本美貴がバラエティで私物のプラダ携帯を披露していただとか、加護亜依が複数のバラエティに登場だとか、ちょっと前だったら、すべて一本のエントリになるネタをことごとくスルー。妄想力が減退している。

ちなみに愛ガキのピンクレディー、大柄で伸びやかな肢体が魅力だったピンクレディーをチビの二人がやるものだから全く雰囲気がでない。年齢的にはデビュー時のピンクレディーよりもいまの愛ガキのほうが上なのに、全くそうは見えず、「子どもが背伸びして演じている」と見えたのはちょっといかがなものかと思う。この二人をもっと大人びて大きく見せることだって可能だったはずだ。もっと無難にはピンクレディー役は藤本美貴と松浦亜弥を起用することだが、それはいってはならないのだろう。

松浦亜弥の歌詞間違いはまあいいや。作詞家特集の番組で歌詞間違いというのもあややならではだろう。何というか初々しさとかは全くなくて、たとえば共演の石野真子とかよりも堂々としていて、「大人(たいじん)」の風格。ついでに今日(8月7日)の朝日新聞の夕刊に松浦亜弥がオリンピック関連インタビューで写真付きの記事になっていたが、こちらもアイドルらしさのかけらもなし。

それに比べると美貴帝こと藤本美貴は堂々としているのに可愛らしい。恋愛がらみのことをつっこまれても、セクハラ親父のつっこみを交わすベテランOLのごとくさらりと上品にかわす。アイドル恋愛否定派も肯定派も「恋愛」を特別に重要な「問題」であるかのごとくに語るのが気に入らない私にとって、藤本美貴の態度はとても好感を持てる。ちなみに私はアイドル恋愛肯定派ではありません。黙殺派。妄想のじゃまになる話は脳内消去。

加護ちゃん、「ぶっちゃけすぎ」だとかなんだとかで「不評」なのだそうな。そうかなあ。昔からの加護ちゃんそのものだったけれど。傍若無人に振る舞っているように見えて、結構いろいろ気を遣っている。自分が期待されている役割(やんちゃな小娘)を必死に演じている。

2008年07月22日

■ PowerMac G5

iPhoneはともかく、iPodとかMacとかはハロプロメンバーのユーザが多い。

なっちこと安倍なつみはたしか初期iMac(ボンダイブルーかその後の5色展開か)の頃からのユーザだし、今でもMacユーザだったはず。当然Ipodも使っているはず。そして愛ちゃんこと高橋愛はなんとPowerMac G5ユーザ。

G5ってあのごついタワー型の奴でしょ?で、何に使っているかというと、「音楽を聴いています」、ってG5じゃなくてもいいじゃないか。

安倍さんがMacというと、女性タレントならまあ、オシャレっぽいMacだよな、という感じで流せるのに、愛ちゃんになるといちいちオタクっぽくなるあたりが素敵。

■ iPhoneを買わない一つの理由

二つ前のエントリはこのタイトルで書けば良かった。

1. ポケットモーニングに加入できない

以上。

2008年07月21日

■ 妄想の中

8月24日、なっちこと安倍なつみとケメ子こと保田圭のディナーショーが大阪で開催される同日に岡山で行われる美貴帝こと藤本美貴のライブ、チケットは既に入手済み。これで当日は午前中に岡山に行って、午後のライブ鑑賞、終了後新幹線で大阪に戻って、ディナーショーで食事とライブを楽しむ、という優雅なのだかなんなのか分からない予定となった。ディナーには少し遅れるかも知れないけれど、完全に食いっぱぐれるということはないでしょう。

8月10日、加護ちゃんこと加護亜依の復帰イベントは前に書いたようにどうあがいても無理。9日美貴帝、10日なっち、11日モーニング娘。には勝てない。というか、10日、よりによってなっち誕生日ライブの日にぶつけてくるか、と。

加護ちゃんファンクラブサイトのプロフィール欄に趣味と特技が書いてある。趣味は料理と世界遺産を見ること。特技は泳ぐこと。偶然だけれども良くできている。なっちこと安倍なつみも特技は「泳げます」。料理と世界遺産を見るのが大好き。私にとって、加護ちゃんの中に安倍さんがいるように感じられてしまうわけだ。

世界遺産といえば、その安倍なつみ、先日あった広島ライブの翌日、原爆ドームを見に行ったとか。去年私が勧めたことが実現。お前は関係ないだろうって。野暮なことはいいなさんな。

2008年07月20日

■ 文化闘争に敗北す

暑さにかまけている間にもどんどん日が過ぎていく。いつの間にか小中学校は夏休みだ。

何の脈絡もないが、何となく携帯電話の機種を変更した。今話題のiPhoneではない。もちろんそれにはやんごとなき事情がある。ソフトバンクが嫌いだとか、回線維持費用が高すぎるだとか、メールに即時性を持たせにくいだとか、そんなことは些細なことだ。もっともっと致命的な問題があった。

これまで使ってきた端末は63ヶ月使用したのだとか。仕事がらみで携帯を買わざるを得なくなり、0円端末をもらってきたら、契約したauが回線方式を変えて、古いのはもうおしまいだというので、また無料で当時それなりに新しい「カメラ付き」携帯をもらった。しかしカメラはどうでも良い。ケータイサイトが一応は見られた、これが結果的に重要だった。絵文字も多少は使えた。

私はネット文化においては旧人類に属する。初めて「ネット」(正確には少し違うが)に触れたのは大型計算機だった。パソコンとかUnixワークステーションですらない。ケータイこそが「ネット」だという人とは二世代ぐらいギャップがある。

当然ケータイ文化はなじまない。もともと電話が嫌いなのだ。だから電話はよほどの用事でなければかけないし、かかってきても出ない。ケータイサイトなんていう半端なサイトは見ない。ケータイメールも使わない。すべてPC+b-moblieですませる。

iPhoneは「次世代携帯」とか煽っているが、違うだろうと思う。むしろ私のごとき旧世代人のためのものだと思った。PC覇権主義。

では私のケータイは何に使っていたのか、というと、電波時計だった。時間あわせをしなくてもいい。それに月3000円高の基本料金を黙々と払ってきた。ローレックスより安い、と言い聞かせながら。

さすがにそれはないだろうと思って、昨年あたりから少しケータイ文化に歩み寄ってみた。絵文字メールも受け取るようになった。しかし我が貧弱なる端末、絵文字が所々表示できない。結構悲しい。ケータイサイトも見るようになった。しかし表現力が乏しくて結構悲しい状態だった。それでもケータイ文化の一端に触れたとは思った。

その世代ギャップをさらに乗り越えんとして、新しく購入した端末は日立製のW53Hというもの。ワンセグが映り、LISMOとかいう音楽機能が使えるとか、他よく分からない。単にその端末のカラーバリエーションのユーロパープルというのを店頭で見かけて、惚れ込んで買った。去年のモデルなので格安4200円。生まれて初めてケータイ端末に金を払う。

絵文字メールがきちんと見られる。ケータイサイトも全機能がきちんと閲覧できる。ワンセグも見てみたけれど、大したことはない。LISMOには興味がない。音楽は専用機で聴く。動画も同じく。

iPhoneではね、駄目なんですよ。絵文字メールは読めないし、ケータイサイトが見られない。それでは意味がない。

メールを送ってくれるのはもちろん小春ですよ。小春。ケータイサイトではなっちのデコメールを見られました。愛ちゃんとれいなの待ち受け画像をダウンロードしました。鮮明。

iPhoneじゃ駄目なんですよ。

2008年06月22日

■ 応援と批評と

一時「閉鎖」については「閉鎖」について を参照あれ。

あらためて本サイトのあり方についても考えてみた。本サイトはファンサイトと批評サイトの両側面を持ったものとして運営している、と再認識。そしてこれはなかなかに難しい。ファンサイトとは言及対象を徹底的に肯定することにその本義がある。一方批評サイトとは時に言及対象を否定する。本質的に両立し得ないものだ。

本来ファンサイトに一本化するのが正しいのだと思う。ただ私にとっての「モーニング娘。」とはすぐれて批評性を持ったものとして存在しており、そうしたものとして様々な言説が生み出される中で支持を獲得してきたものであった。単に「きゃわ」「萌え〜」といった感性的・没理性的な言葉によってしかかたり得ない凡百のアイドルとは異質のものなのだ。そのモーニング娘。から批評性を奪い去ったとき、そこに果たして文化的なおもしろみが残っているのか。

それでは「モーニング娘。の持つ批評性とは何か」、が問題となるわけだが、それについては考えもまとまらないし、そもそもここに書ききれる内容ではない。さしあたり備忘録として、自分へのヒントとして、「大きな物語」のパロディ的反復、とだけ書き留めておこう。もちろん「大きな物語」とは擬制的なものであって、その具体的内容は受け手によって様々なものである。それでもそれはある形式において「大きな物語」なのだ。

2008年06月14日

■ 価値は現場で生み出されているんだ

今日は一日まったりと過ごせることもあって、たまっていたものを少しだけ消化。

あややこと松浦亜弥コンサート会場販売、DVDマガジン。

60分の時間でいろいろなコースの中からダーツで選んだ一つを体験できるという企画。コースの中にはセレブ体験コースとか綺麗になれるコースとかがあって、松浦さんはセレブ体験コースにご執心。しかしダーツで選ばれたのは「未来が見られる」とかいうコース。何のことはない、占い師にいろいろ見てもらうという企画。

松浦さん、基本的に占いは信じない、という大変真っ当な考えの持ち主、見るからに乗り気ではない。その時点でほぼこの企画は失敗というべきだろう。おまけに(基本的に占い師というのはそういうものなのかも知れないが)出てくる占い師がことごとくうさんくさく、偽善的な発声でしゃべるし、しゃべる内容もこれまた聞いてきて気分が悪くなる偽善的な押しつけがましさ。さらに極めつけは二番目に登場した占い師、何故か「客」である松浦さんに対してため口、もちろん松浦さんは丁寧語で対応しているのに対して、上から目線でしゃべる。それが押しつけがましさを倍増させて、見ていて気分が悪くなってきた。

というのでそこで気分が切れてしまって、実質そこで視聴終了。あとは何か面白そうなシーンでもあるかと早送りしてみてみたけれど、ずっとうんざりするような占い師とのやりとりが延々と続きそうだったので、そのまま早送りして視聴完了。2500円無駄にした。これならまだ大量のスクラッチ宝くじを松浦さんが延々とコインで削り続けるシーンを見ていた方がずっと面白かったよ。

あ〜、これでまたコンサートグッズを買う意欲が大きく減退。もう少しましな企画を用意してくれ。

自称リーダーこと田中れいな率いるHigh King「シンデレラ/コンプレックス」とそのカップリング「記憶の迷路」を聞く。聞き込むと最初聞いた印象と比べると段々と好感度があがっていく。最初聞いたときには「きずな」よりはましか、ぐらいの印象だったが、聞き込むうちにこれはこれでアリだな、と思えてきた。特にカップリングの「記憶の迷路」は最近のハロプロ曲としては平均的な好感度。

歌声としては、高橋愛と田中れいなの声がいいのは当然として、初めてきちんと聞いたBerryz工房の清水佐紀の声が悪くなかった。というか、どの部分を清水さんが歌っているのかがすぐには分からないぐらい違和感がない。ビジュアル的には良くも悪くもインパクトのある彼女だが、声は上手く曲の中にとけ込む、それは私の中では大いに好感度を引き上げる。

℃-uteの矢島舞美さんは既に聞き慣れた声、ああ、矢島さんだな、と思う。すごくいいとは思わないけれど、それほど違和感をかき立てるわけでもない。一方歌の巧拙以前に発声の時点で違和感がありまくりなのが、エッグから参加の前田優香さん。まあまだ13歳とかそんなのらしいから仕方がない。振り返れば13歳当時の後藤真希も全然だった。私はメンバー好感度に占める声質の重要度はかなり高くて、歌声が好きになれないメンバーを「推す」のはよほどいろいろな条件が整わないと難しいので、彼女も当面「推す」事はないだろう。それでも後藤真希のように歌声が化けることもあるし、それ以外の部分で好感度があがることもないとはいえない。

それにしてもハロプロ楽曲、上半期は不調だった。モーニング娘。シングル「リゾナントブルー」と藤本美貴シングルのカップリング曲「遠い恋人」が1,2位を占める。後は「特に悪くなないけれど・・・」という感じで、2008年の曲、として記憶に残したいと思える曲がほとんどない。

新曲が一切ないままコンサートツアーに突入する安倍なつみに象徴されるごとく、既存曲を直接ライブで聴く、ということに楽しみを見いだすしかないのか。

■ ソースに本心を連ねる

小川麻琴、2年間の留学を経て、芸能界復帰。TOEICで700点オーバーとか。TOEICのことをよく知らないので、どの程度高得点なのかピンと来ないが、芸能活動をネタにAO入試で半端な大学・学部にはいるよりはよほど真っ当な努力を要求されることは確か。人気アイドルグループの活動を一線で担う事に比べれば「屁」みたいなものであっても、それなりにその努力は評価してもよいように思う。

そのアイドルグループの活動を一線で担ってきた愛ちゃんこと高橋愛、ガキさんこと新垣里沙と並んでの会見の模様がdohhhupサイトで公開。

愛ちゃんが小川さんの背中を突っつくシーンがある。さも愛しそうに。「いきなり卒業して外国にいってしまうから、寂しかったんだよお」、そう言っているかのごとく、ちょっと拗ねたような表情で小川さんを突っつく。久々に最愛の人に再会したとき、人はこんな顔をするのだろうか。「同期のきずな」なんてものを超越した想いを感じさせられる。なんて「愛」に満ちた娘。なのだ。

私からすれば小川さんは一種「敵前逃亡」をしたわけだが(もっともその「敵前逃亡」を私は著しく否定的に思っているというわけではない)、しかしそれでも愛ちゃんやガキさんにとってはこの2年の間もずっと一緒に「戦ってきた」戦友であったのだと認めるしかない映像であった。

■ 高尚なる趣味人

研修の教材ネタにモーニング娘。メンバーの名前を使いまくったら、あろう事か私のことを「モー娘。ファン」であると誤解して、受講者が聞いてくる。「モー娘。のメンバーで誰が好きなんですか」。

「誰だと思う?」「さあ、モー娘。メンバーって誰がいるか知らんから分かりません」。

<font size=最大>だったら聞くなよ。</font>

2008年05月25日

■ 出来る娘。

忘れちゃいけない。なっちこと安倍なつみ出演の「トゥーランドット」、無事閉幕したようで。

安倍さんも終始好調、高評価をキープしたよし。「確変」したかのごとき言説も多々見られるが、前にも書いたとおり、私にとっては十分想定の範囲内、なっちは出来る娘。

ひと月後に始まる夏ツアー、新アルバムも新シングルも一切ない中、どういうライブにしてくるのか、トゥーランドットで得た財産がどのような形で生かされるのか、そして秋以降の安倍なつみの活動展開はいかに、まだまだ目が離せない。

■ 例えば

ブログの更新もする気がしないほど仕事に追われているばかりでなく、たちの悪い風邪にやられて苦しんでいた。今の風邪は喉に来る。しゃべるのが仕事の一つなのでかなり辛い。おまけに受講者の前で咳き込んでいては、聞いている方も風邪を移されはしまいかと気になるだろう。困ったことだ。2週間ぐらい苦しんでようやく快方に向かう。

そうした鬱憤を晴らすネタとしてハロプロを使う。

大学。例によって教材用データにモーニング娘。(元)メンバーの名字を使う。男子学生が小さな声で叫ぶ。「おっ、これモー娘。やん」。「これはわからへんわ」。いや、数年前は皆すぐ気づいてくれてたのよ。こんなところで「モー娘。」の凋落を思い知る。

某社の新人研修。同じく教材ネタに仕込む。Javaのポリモーフィズムネタで犬が「ワン」、猫が「にゃー」と鳴くかわりにCDプレイヤーは「東京で一人暮らしたら」、mp3プレイヤーは「AH-去年と この夏は 違うわ あなたがいる」と奏で、カセットテーププレイヤーは「古いカセットテープ 巻き戻して聞いた」と奏でるというもの。これまた一人の受講者が気づいたらしい。「モー娘。ファン」らしい。ただこのうち一曲は何の曲かは分からなかった、とか。

うーん、まだ甘いなあ。最後の曲はだね、モーニング娘。がレコード大賞新人賞を取った「抱いてHOLD ON ME!」のカップリングの「例えば」、古き良き80年代アイドルポップを思い起こさせるどこかしら懐かしい曲調で多くのファンを魅了した楽曲で、って、そんな講釈興味ないですか、そうですか。

2008年04月13日

■ 流行の先端を行く

大学での初授業。受講者は入り立てのほやほや、ぴかぴかの一年生。情報処理実習ということで軽くGoogle先生の使い方を教える。

有名人の名前をうろ覚えでも、Google先生に聞けば正しい漢字を教えてくれる、ということで、徳川義信と検索しても、徳川慶喜ではないかと教えてくれる、という例に続いて、阿部なつみ、加護愛で検索をかけても正しい漢字を教えてくれることを示す。

「古っ」、と最前に座っていた女子学生の声。

すまん。おじさんが悪かった。そうかもね。確かにちょっと「古」かったかもしれない。

どうせなら「菅谷里沙子」とか「岡井千里」とかを例に出せば、「先生、さすがぁ、ナウいじゃん!」とモテモテになれたかも知れないと思うとちょっと惜しいことをした、と反省する。

2008年04月07日

■ ビスケットを食らうか、食らわぬか、それが疑問

藤本美貴、後藤真希に続いて・・・。

でも今回はそれまでのように諸手を挙げて大歓迎、とは行かない、ような気がする。

なんか「バック」にいる人がきな臭く感じられて仕方がない。梨元ってなんやねん、とか。アップフロントが絡んでいるのなら、基本的に歓迎できるのだけれども、どうもそうではなさそうで、そうなると、いろいろ下らぬ思惑のある「大人」たちがなんやかやと加護ちゃんを「食い物」にしていくような妄想に駆られてしまう。前から書いているように私はアップフロントという会社を本質的には信用しているし、加護ちゃんにも復帰を目指すのなら、アップフロントとの関係改善から行ってほしかった。端から無理だったのかもしれないけれど。でも無理でもそこから何とかするのが本当じゃないか。

それでもほかならぬ加護ちゃんだ、なにやらネット上でファンクラブを立ち上げるというので、「お布施」気分で入会しようかと思ってサイト「ビスケットクラブ」を見てみる。月300円とか。高くはない。でも内容的には・・・。加護ちゃんによる悩み相談って。なんだかなあ。加護ちゃん悩み相談なら聞いてあげたいけれど。プライベートショットお披露目って。なんだかなあ。加護ちゃんのプライベートなんて今更知りたくないねん。加護ちゃんの芸を応援したい、っちゅうねん。

それでもほかならぬ加護ちゃんだ。入会してみるか、と思って入会案内を見ると・・・。Yahoo会員になれ、だって。Yahooはだいぶん前に退会しているんだよな。Yahooという会社に対するある不信感から退会したので、今更再入会したくない。これはある種ポリシーに関わる話なので、簡単には変えられない。困った。加護ちゃんにはお布施したいけれど、Yahooには近づきたくない。ハムレットの心境だ。

■ トゥーランドットか、HAKANAか、それが問題ではない

なっちこと安倍なつみの出演するトゥーランドットの評価もひとしきり出てきた。開幕当初、想像以上に安倍さんに対する評価が高かったときには、その評価がどこまで持続するものやら、と却ってやきもきもしたが、その後もずっと安定して高評価を得ているようだ。元モー娘。の安倍なつみが出ているというのでそこについては期待していなかったといっている人が、実際に舞台を見て、出演者の中で一番良い演技をしていた、と評価を翻していたり、今後の成長が楽しみで、本田美奈子.みたいになれるのではないかと期待してくれていたり、非ハロプロファンの書くブログなどを読むのも楽しい。ハロプロ界隈ではもう20代後半だし、ハロプロ全体で世代交代が進んでいる状況、後は落ちていくだけ、すっかりロートル扱いだが、外の世界に出ればまだまだ若手、「今後」への積極的な期待感が寄せられる。ああ、10年見続けてきて良かった、と思うとき。

安倍さん自身も内面的に充実しているようで、舞台の宣伝がらみで出てきたテレビ映像の安倍さんがこれまた絶好調、2004年ハロモニ。の司会をしていた頃を思い出させる勢いがある。苦手な男性イメージについて「髪がちょっと自然なウェッティ?みたいだったり」とか、苦手なデートについての説明で、ワイングラスを手に持って「ふっ、星がきれいだね、とかやられると、はーい、中止ぃみたいになっちゃう」とか、独特のなっち語を駆使してしゃべるそのときの表情もまた、実に生き生きと自信に満ちている。

安倍さんの高評価は役に恵まれた、というところもあるが、それだけではない。稽古中にどんどんチャレンジして、自分の意見を言ったりして、キャラクター作りにも貢献しているようで、「おいしい」役所もまた、安倍さん自身が作り上げたものとも言える。

そんなこんなで、なっちファンとしてはあまりに良い舞台なので、すでにチケットを押さえてある大阪公演だけでなく、オリジナルの東京赤坂公演も見たくなってきて、それなら藤本美貴の復活舞台HAKANAと一緒に見に行こうか、などと思ってプレイガイドを見てみると、私がいける土日は全て売り切れ、そもそもHAKANAとトゥーランドット、二つの舞台を一日で物理的に見ることが出来るのかどうなのか、HAKANAの公演時間も知らず、東京の地理にも不案内、もともと無理な妄想だったのだと思って諦めることにした。

2008年03月28日

■ トゥーランドット

大阪で見られる舞台をわざわざ東京まで見に行ったりはしない。

あ〜でもしくじったかな〜。気力・体力・財力には不安があったが、時間的には問題なかったんだよなあ。なっちこと安倍なつみ、一世一代の晴れ舞台だったんだもんなあ。

初日ということで芸能人も大量に来ていたらしい。大竹しのぶが普通にロビーにいた、とか。ハロプロメンバーも来ていたらしい。顔を上げたら高橋愛の顔があった、とか。

別に観客の芸能人を見たい訳じゃないけれど(愛ちゃんは見たい)、なんというか、舞台としての意味の大きさとかが感じられてしまうわけで、そういうのも含めて「晴れ舞台」だったなあ、と。

安倍さんの登場シーンもものすごく多かったらしい。歌ではかなり目立って良かったらしい。いろいろ安倍さんにとって至高の舞台だったらしい。

とりあえず脳内で祝杯。

ちょっと泣ける。

2008年03月27日

■ ハロモニ@SNS

ハロモニ@SNS王国、密かに入国希望抽選会に応募していたら、完全に忘れていた頃に入国案内が届く。

SNSってmixiも全然使っていないし、微妙だけれど、一応モーニング娘。メンバーの書き込みとかが読めるようだしぃ、応募するのはただだしぃ、みたいなノリで応募してみた。

とりあえず重い。まあ、一斉に入国してきた「国民」たちがアクセスしまくっているのだろう。

mixiよりはよほど面白い。そりゃそうだ。娘。メンバーの書き込みが読めるのだから、それだけで結構楽しめる。というかそれだけか。携帯サイト「ポケットモーニング」よりもPCで閲覧できるだけでもありがたいともいえる。高橋愛ちゃんがポケットモーニングよりはたくさんの文字を書き込んでいるだけでもありがたいともいえる。

全娘。(OG含む)のコミュニティに参加登録終了。ざっくり全コミュニティを巡回してみて、何となくみっつぃこと光井愛佳に対する好感度があがった。みっつぃってなんていい娘。なんだ。

こんな内容の日記はハロモニ@SNSの日記には上げられない。たぶん「検閲」で落とされるだろう。といってSNS的なれ合い文章は私には書けそうもない。ということで当分(というかたぶんずっと)このままROMりつづけるのだろう。

mixiも招待してくれた昔仕事上のつきあいのあった人(今は全く連絡も取っていない)だけが「マイミク」で、それ以降何もやっていないが、ハロモニ@SNSのほうも招待してくれたあかチン国王以外に「マイフレンド」の当てがない。

我が心の友、あかチン国王陛下!

2008年03月26日

■ 復活

去年は去年で何という一年だったのかと思ったが、今年は今年で何という一年なのだ。

藤本美貴に続いて・・・。

とりあえず「ステーション」聞いて寝ます。

2008年03月19日

■ 歌ドキッ!ラスト

仕事にかまけている間にもハロプロは動く。

ということで、これまた今更ながらの話題だが、ハロプロメンバーが懐かしの名曲を歌う「歌ドキッ!」、最終フェーズ。Featuringされるのはハロプロ年少組ワンダフルハーツメンバーの星、高橋愛。

歌った曲は国武万里「ポケベルが鳴らなくて」、五輪真弓「恋人よ」、松任谷由実「春よ、来い」。

「ポケベル」はこの曲が主題歌だった同名のドラマを見ていたことを懐かしく思い出す。緒方拳と裕木奈江のラブストーリーとか。曲自体は淡々としたいわゆる日本のポップス。ゆったり伸び伸び歌えばいいので、高橋愛にとっては完全にストライクゾーンだろう。非の打ち所なく歌い上げる。

「恋人よ」。これは子どもの頃にさんざん間接鑑賞させられ、本家の歌唱が完全に頭に染みついている。本家はもともと超絶的に歌の上手い人、おまけに相当歌い込んでいるはずなので、一発勝負に近い弱冠21歳の高橋愛のかなう相手ではない、はずなのだが、少なくとも私の頭の中の本家の歌唱は高橋愛の歌唱に上書きされてしまいました。それぐらいにはまっている。考えてみればこの手の暗めに朗々と歌うのは高橋愛の得意領域ではあったんだな。

「春よ、来い」。この曲はもともとあまり好きではない。なんというか君が代とかそんな曲を聴いている気分になる。古き良き日本の美しさを歌います、さあ者ども感動せよ、というようなメタメッセージが聞こえてくるのだ。その曲を高橋愛が歌う。あり、だな。完全にありだ。古き良きモーニング娘。のエース高橋愛は美しい。納得だ。抜群の説得力だ。

というので高橋愛がソロで歌った三曲、すべて最高だったわけだが、続けて聞くとちょっと曲のバリエーションがなかったようにも思う。高橋愛のストライクゾーンをねらった、ともいえるが、高橋愛の魅力の一つである声の多彩さ、え、この娘。こんな声も出るの?というモーニング娘。曲でしばしば感じられる感動を今シリーズでは味わえなかったのが少し残念だったかな。

いずれにせよ、高橋愛の歌に酔いしれられる、番組の締めくくりとしてふさわしいシリーズだったのだが、エンディング曲がなり出すと興ざめしてしまうのは困ったものだ。何回も繰り返し見返しているのだが、エンディング曲がなる寸前で停止ボタン。この曲も昔のヒット曲のカバーなのだが、元曲が可哀想。申し訳ないけれど、私の耳の許容範囲を超えている。エンディング曲にももう少しましな歌い手を用意してくれ。

2008年03月09日

■ 反省ザル

松浦亜弥の新曲について、まだ聞いてもいないのに否定的なことを書いてしまった。

ついかっとなって(嘘)書いてしまった、今は反省している。

いきなり否定からはいることなかったよなあ。いいたいことは「笑顔」を歌っている松浦亜弥はとてもストイックに歌を歌う人なんだなという印象が表に出ていて、そういうのはアヤカ(漢字知らない)とかそういうのと同質で、それはそれで好きな人はいるのだろうけれども、私が知っている松浦亜弥はもっとずっと面白くて可愛らしい人なんだよと、歌がうまいといっても求道者的な方向ではなくて、もっと洒脱な魅力を持った歌い手なんだよ、とそういうことだったのだけれど、だったらそう書けってはなしなんだよな。

後は松浦亜弥とはあまり関係ない話で、ストレートに高尚なことを表現すれば、高尚なメッセージが伝わるかというとそれは違うだろうという芸術を解さないくせに芸術論っぽいことを書いてみたくなったとか、そもそもあの歌が「押しつけがましい」のは歌詞の問題ではなくて、松浦亜弥の声域にも全く合っていない高音多用のメロディーにこそ現れているのだ、というような音楽論ぽいことも書いてみたくなったとか、「文部省選定映画『僕はまけない』」の元ネタを分かる人はいるだろうか、とかそういう様々に不純な思惑があって、余計な更新をしてしまった。

今は反省している。

2008年03月08日

■ 「きずな」初披露

次から次へと新曲の披露が続く。

松浦亜弥の新曲「きずな」が初披露されたらしい。ただしスペシャルオリンピックス会場でサプライズゲストとして登場して披露した、ということで、ファン界隈での感想はまだ語られていない。どんな曲かは不明。

という段階で感想も何もないのだが、それでも感想を一つ。正直微妙。

昨年の「笑顔」に続いて今年が「きずな」って大体想像が付いてしまう。楽曲的にはどうだかは分からないけれど、趣旨的には同質のメッセージソングってことだろう。好きじゃないんだな、このメッセージソングって奴が。

まだ聞いてもいない「きずな」はとりあえずペンディングだが、「笑顔」について言えば、正直この曲、ハロプロでこれまでに私が聴いた曲の中で間違いなく(私の好みでの)ワースト5に入る曲。歌っているのが松浦亜弥でなければ、まず買わない(ちょっと嘘。安倍なつみでも高橋愛ソロでも買う)。なんというか、文科省選定曲みたいな曲で、要するに説教くさくて聞いていて愉快でない。大体メッセージを伝えるにしても、ストレートすぎて「音楽」という表現方法を選択する価値を感じないのだ。「音楽」とかのいわゆる「芸術」ってメッセージを迂回的・間接的に伝えるのがミソであって、ストレートにメッセージを伝えたいのなら体験談とかそんなのでいいだろう。映画だって文部省選定映画「僕はまけない」とかそんな映画、別に見たくないでしょ、という。

松浦亜弥の魅力だって消し飛んでいる。ちょっと人を食ったような、常に余裕綽々なところが彼女の魅力なのに、くそ真面目に、しかも音域的にもいっぱいいっぱいで声を張って歌っている松浦亜弥なんて少しも魅力的じゃない(その意味ではこの曲を歌うのがいつも無意味にくそ真面目でいっぱいいっぱいの高橋愛だったらもう少しマシかも知れない)。秋コンサートのDVDだってこの曲は常に早送り。ファンの間では好みの分かれる初期曲も最新アルバム曲もどちらも私はとてもいいと思っているのだが、この曲だけはなし。

まあ「きずな」の方はまだ聞いてもいないし、他ならぬ松浦亜弥の新曲だからCDは買うんだけれども、今後も「笑顔」系の曲が続くようだと早晩脱落するかも。

■ 「リゾナントブルー」初聞き

モーニング娘。新曲「リゾナントブルー」を心耳で聞いた。

すでに言われているように、モーニング娘。昨年度の名曲「笑顔Yesヌード」を彷彿させるものがある。その曲の頃と比べ、吉澤ひとみと藤本美貴がいなくなって、声的にずいぶんと幅が狭くなり、つらい状況が続いているものと思っていたが、驚いた。いろいろな声が効果的に混ざり合い、結構いい感じに仕上がっている。「笑顔Yesヌード」よりもさらに声に幅があるようにすら感じられる。綺麗にまとまっている「笑顔Yesヌード」と比べて、計算ずくの不協和音が飛び交う感じ。個人的には本曲の方がさらに好み。

楽曲の完成度も高いし、(生歌で聞くとどうだかはわからないが)歌唱にも隙がない。この曲をこのクォリティで歌えるアイドル歌手集団はそうはいないぞ、というモーニング娘。の原点を思い起こさせる。少なくとも同じハロプロ内の℃-uteでもBerryz工房でも駄目で、モーニング娘。でなければならないという必然性。ハロプロのマザーシップは依然としてモーニング娘。でなければならないし、現にそうであると高らかに謳う。これを買わずして「ハロプロファン」を名乗るなかれ、と。

2008年03月07日

■ 「リゾナント ブルー」初披露

最近のハロプロ界隈でどうにも気にくわないというか、「なんだかなあ」と思っていたことがなんだったのかを思い出した。CD売上げ論議(それ自体あまり好きではないが)をする際、かつては曲の善し悪しでもって、議論がなされていた。途中で、誰がメインパートをとっているかの議論が主流となった。それも気にくわなかったのだが、今は、どんな特典、握手会イベントなど、が付いているかが焦点となっている。くだらない。実にくだらない。まだ誰がメインパートかという議論の方が、曲の内容にも関わる話なだけにマシというものだ。

モーニング娘。の新曲、ラジオで初披露されたらしく、かなり評判がよい。メインパートはこれまでどおり高橋愛・田中れいな体制?そしてイベント付き。さあ、どういう方向で話が進むことやら、と思っていたが、意外と曲の良さに購買意欲が促進されているようだ。腐ってもハロプロ。

■ 「置き手紙」初聞き

美貴帝こと藤本美貴の新曲「置き手紙」、ハロプロ公式の動画サイトDohhh Up!で公開中。

想像していた以上に「演歌」で少し笑った。今の前田有紀はド演歌だけれども、初期前田有紀よりはこちらの方が演歌だな。

聞いた限り、まだちょっと歌い込みが足りない感じ。人前での初披露ということで緊張していたのもあるのかな。好き嫌いは別にして、堀内孝雄と比べられてしまうとちょっとつらい。声は曲によく合っているし、歌い込んでいけばかなり良くなるだろう。

「干されている」間、「不安や心配もあったが、今できることはボイストレーニングだと思ってやってきた」らしい。こういう凛とした意志を見せられる人を応援したいものです。

2008年03月01日

■ 愚痴っぽく、だらだらと

全然更新していないな。

何も購入していないし。今は高橋愛、亀井絵里、道重さゆみ、田中れいなで舞台をやっているが、チケットもとれなかったし、仮に今からチケットがとれたとしてもわざわざ新幹線で東京まで行くほどの感じでもなさそうだし、スルー。℃-uteがCDとか出しているはずだが、このグループはまああと5年やっていたら認めてやる(松山千春風に)という感じ。ファンも事務所もメンバーもそれだけのスパンでものを考えられている気がしないので。特にファンだな。ローティーンの女の子の手を握ることに最大の価値を見いだしているような人が満ちているとしか思えないあのファンシーンにはあまり関わりたくはない。もともとのハロプロ(というかモーニング娘。)ファンの中にもその手の一般的な(非メジャー系)アイドルファンも当然多数入っていることは分かっていたが、それが完全に主流となると、ちょっともういいかな、という気になる。当初からずっとあった流れとはいえ、それでも逆バネは根強く働いていて、なんだかんだ中澤裕子とか前田有紀とかが大事にされてきたものだったが、もうそういう空気もずいぶんと希薄になってしまった。

CDのイベントくじ券化も、メンバーにあこがれるローティーンの子たち(男女問わず)がメンバーとふれあう機会を持てるという方向で行くのならいい主旨だと思うが、実情全くそうはなっていない。一部ファンが大量にCDを買い占めて、金にあかせてイベント参加権を押さえ込んでしまう。ライトなファンにはまずチャンスはない。そうして閉ざされたおっさんファンばかりが集まるイベントばかりやって、そういうおっさんの複数枚買いでCD売上げを確保して、しかもそういうおっさんはメンバーが高校生になったらもっと若いメンバーのファンに移っていくという。メンバーだって、沢田研二じゃないが、「いつも同じおっさんたちの前で歌い、同じおっさんたちと握手する身にもなってほしい」んじゃないか。そんなこんなのファンシーンに、全くユートピアを見ることが出来ないのだ。

なんだか愚痴の方向が「道徳的・検閲的フェミニズム」っぽくなってしまった。そういう方向でしかものが見られなくなっているという(私の)状況がもはや末期的なのだと思う。

春はまあ、モーニング娘。春ツアー大阪公演は押さえてみるつもり。安倍なつみのトゥーランドットは大阪公演を一公演だけチケット確保済み。値段も高いので一公演で終わりだろう。あとは松浦亜弥の春ツアーも大阪公演に行く方向で。藤本美貴の舞台は東京でしかないので、日程・お金などの関係で未定。焦らずともその気になったところでチケットは押さえられるだろう。春の予定はその程度。

2008年02月22日

■ そういう問題だ

今日はさる会議に出席していた。カリキュラム編成についての意見交換。

会議中に携帯が鳴る。普段携帯が鳴ることがないもので、電源を切るのを忘れていた。もっとも音量を極端に下げているので、廻りに気づく人はいなかった。何かと思うとどうやらメールが着信したらしい。ちらっと目を落としてメールの発信元を確認だけして、すぐに会議に加わる。話が佳境に入ってきていた。ちょっと声を大きくする。「いや、そもそも・・・」。

まあ、良くありがちな光景だ。

ただ携帯を最初に開いたときの画面が愛ちゃんで、メールの送り主が小春であったことを除けば。

うーむ、やはり愛ちゃんと小春というのはちょっとアレだったか。せめて待ち受け画面のほうは愛ちゃんじゃなくて、なっちかあややか美貴帝かマサオにしておかないと、エルダーとワンダのバランスが悪い。

2008年02月21日

■ HAKANA

藤本美貴が今度は舞台初主演とか。

また唐突な話で、4月中旬の舞台を今頃発表なんて。チケットどうやって買うんだ?

舞台で関西から東京まで行く、というのはちょっと辛い感じなのだが、この舞台はちょっと良さそうな感じ。一昨年の「リボンの騎士」のへケティ役も良かったし。

というので、見に行く気満々なのだが、チケットどうするの?ということと、4月は日程的にかなりタイトなので、行くとしたら土日しかなく、それも東京往復となるとかなりきついなあ、という。

それはともかく、仕事関係者・プロからの評価を得て、仕事をつないでいけるようになれば、はかないアイドル人気にすがらなくても良いわけで、こちらも気分良く応援が出来るというものだ。

正直今のハロプロの「主流」の売り出し方とかファン界隈の動きを見ていると、あ〜やっぱり「アイドル業界」は私にはなじめないわぁ、という感じだったのだ。

ま、私の携帯待ち受け画面はアイドルヲタク丸出しなんだけれどもね。

■ ケイタイ待ち受け画面

長年もっているだけだった携帯をようやく使い出した。いったいいくら使いもしない携帯に基本料金を払い続けたことだろう。端末も61ヶ月も使い続けている。支払総額こそ少ないが、何も使わず、何もやらずにせっせと料金を払い続けているのだから、完全に通信会社のカモだ。

先月、ちょっと思うところがあってハロプロの公式携帯サイト、ポケットモーニングに登録、それを機にこれまで貯まっていたポイントでバッテリーも購入。体勢は整った。さあ、人並みに使うぞ。

ハロプロメンバーの携帯待ち受け画面がダウンロードできるという。早速ダウンロードして待ち受け画面を変更する。高橋愛ちゃんのバレンタイン用の写真。これまではカレンダーだった。良く日付を忘れるので、重宝していた。今は愛ちゃんの写真。役に立たない。おまけに人には見せられない。

まあ、また待ち受け画面はすぐに変えるとは思うんだけれどもね。

なにせ安倍なつみと高橋愛と松浦亜弥と大谷雅恵と田中れいなと藤本美貴と亀井絵里の待ち受け画面をがんがんダウンロードしておいたもので、いろいろ試さなくては・・・。

2008年02月19日

■ アコなちDVD

2007年秋アコなちコンの感想文をまだ書いていなかった。

とはいうものの、直接見たときにライブの感想は書いていて、DVDを見たからといってとりわけ何かが変わるわけでもない。とくにDVD収録公演を生で見たのは今回が初めてで、要するに現場で見たものがDVDに収録されているわけで、余計に生の感想を追認するしかない。そしてそれはそれで結構楽しい。ああ、そんなこといっていたな、とか、ああ、ここ聞きそびれてた、とか。

DVD収録公演ではMCをお行儀良く整えていて面白味に欠けることがあるという話もあって、娘。コンサートではそういうことが良くあるらしいが、安倍さんのライブに関してはそれは全く当てはまらない。緊張していることもネタにして、話を膨らます。自由。

収録されていたのは定番の夜公演ではなくて、昼公演。これも良かった。スペシャルシークレットゲストが誰かを初めて明かす場面が記録されている。いろいろな意味で新鮮な反応がそのまま記録されている。「サックスプレイヤー保田圭!」。

もう一人のゲスト、ギタリストの徳武さんとのMCの時に徳武さんの名前を大きく噛む。観客の「え〜」に対して「うるさ〜い、噛むの!なっちは噛むの!そういうもんだと思っといて」。これこれ、これをもう一度聞きたかった。あややの「退場!」も見てみたいものだ。

DVDの映像も良く取れている。安倍さんばかりを追うのではなく、きちんとバンドメンバーを映しているのがいい。バンドメンバーも裏方ではなく、同じ出演者としてみんなでステージを作っている、という感じがいい。余計な音響も使わず、すべてステージにいる人だけで音を作っていっているというステージ構成もいい。コーラスも全部バンドメンバーで行っていて、CDのオリジナルとはずいぶん違ったアレンジになっていて、時には音が足りないと思えるところもあるのだけれども、それも含めて「手作り」感が出ている。あえて制約がある中で、どうその曲を表現するか、というのをじっくり見る楽しみもあり。こうした様々な要素が、アイドル安倍なつみを見に行っている、というよりも安倍なつみも参加している音楽会に行って、音を楽しむ、という感覚を持たせる。

こういう音の楽しみ方というのは、何となく70年代的な感覚があるように思う。文化的威信としての音楽でもなく、消費対象としての音楽でもなく、純粋に娯楽としての音楽。実際このコンサートで舞台のイニシアティブをいろいろ握っていると思えるメンバーのキーボード岩崎さんとか、ギターの徳武さんとか完全に70年代に音楽シーンにいた人なわけで。

ちなみにあややこと松浦亜弥のライブに来ているバンドメンバーはノリ的には90年代。音楽にファッション性みたいなものが入っている感じといおうか。年代的にも松浦さんから見て、お兄さん、お姉さんぐらい(一部「お父さん」の人もいるが)で、松浦さんがメンバー紹介する際もニックネームで呼んだりするあたりも90年代風。

安倍さんは年下のAsamiちゃんを除いては紹介時にはフルネーム+さん付けで、基本的にニックネームなどでは呼ばない。2007年春のヴァンサンクコンサートではベースの六川正彦さんのことを「ニックネーム、マー坊!」と紹介していたけれど、それはおそらく徳武さんがそう呼んでいるのをおもしろがったということだろう。それも六川さんがマーボ豆腐好きだからニックネームがマー坊になったのだという珍解釈付きで。

■ あんたなんてもう大嫌い

しばらく仕事にかかりきりだった。まだしばらくこのまま。

それではハロプロもご無沙汰かというと、仕事をしながらサブマシンにずっとライブDVDを流していたりする。松浦亜弥、安倍なつみ、モーニング娘。の2007年秋コンサート3本が立て続けに発売されたもので、それらをとっかえひっかえ流し続けている。たまになっちの2007年春ヴァンサンクコンサートだとか、あやや2006年秋進化ノ季節コンサートも入ってきたり。もちろん仕事をしながらだから基本的に映像は見ていない、単に音だけ。

所々にMCが入るのがラジオか何かを聞いているような感じになって、これが結構具合がいい。曲によっては思わず聞き入ったりとか、たまに映像に目をやったりとか。作業効率に対する影響は不明。

その傍ら、藤本美貴復帰シングルの話を思い出して、にやけていたりする。「路線変更」に微妙な思いを抱いているファンもいるようだが、いまさら「ブギートレイン」歌われてもね。それにもともとハロプロはいわゆる「J-POP」のアンチテーゼとして出発した意味もあって、微妙に「演歌」が入っていたりするので、それほど違和感のある話ではない。堀内孝雄との競作ということなので、中村美津子との競作ではないので、小節を回すとかそんなド演歌になるわけもなく、「歌ドキ」で藤本さんが披露した「いい日旅立ち」みたいな仕上がりになるのではないかと。あるいは藤本さんがカバーしたモーニング娘。初期曲の「ウソつきあんた」だってJ-POPというよりは演歌のほうが近いしね。

そんなこんなで結構今はいい感じでハロプロを見られている。当面発売されるCD、DVDはすべてスルーの方向なのでお金もかからない。「汚物」がなにやら書いているらしいが、雑誌の仮面をかぶっていても汚物は汚物なので、こちらもスルー。汚いものは直視せず、スルー、これ基本。もちろん当事者からすれば汚物なればこそ余計に傷つくかも知れないけれど、そこはメンバーなりスタッフなりが支えてくれることを信じているので、一ファンが気をもんでどうになるものでもない。


追記。

今回の件で事務所が彼女に「制裁」をしないでほしいとか何とかを云々する記述をあちこちで見るけれど、ちょっと感覚が違うのではないかと思う。そうではなくて、事務所は彼女の精神的なケアをきちんとするべきだし、それをこそファンとして願うべき話ではないのか。

2008年02月14日

■ ニュース速報

藤本美貴、ソロ復帰、シングル発売。

2008年02月07日

■ はたち

お誕生日おめでとう。

普段はハロプロメンバーの誕生日にいちいち言及して、お祝いしたりはあまりしないけれど、今日は一言だけ、おめでとう。

安倍さんは「おたおめ」メール、同報一括送信したりはしていないだろうな。


今日は安倍なつみさんの縁深かりし加護亜依さんと℃-uteの矢島舞美さんの誕生日。

2008年02月03日

■ おじぎ30℃

2月27日、たまたま仕事で横浜にいる。ちょうどその日仕事終了。

17:35京浜急行新逗子発に乗れば、18:30に新宿に着ける。問題は17:35に駅に着けるか、結構厳しい。それでもせっかくの機会だから、チャレンジだけはしてみるか。

というので新宿シアターアプルで上演される高橋愛ほか出演の「おじぎ30℃」のチケット取りにチャレンジしてみたわけで、といっても、もともとこの劇、わざわざそのために新幹線で東京まで行くほどの意義は感じない程度のものだし、仕事が終わってから必死に時間気にしながら会場に駆けつけるのもしんどいし、チケットが取れてしまったらそれはそれで面倒だな、などと思っていたわけで、それで発売初日の発売開始時間にはPC前に張り付いて、ぴあ・eプラス・cnプレイガイドのサイトを開いておいて、って、必死だな。

取れませんでした。ま、もともとこの劇、そんなに必死になるほどの・・・。うーん、実は操作ミスをして、ちょっと時間ロスしてしまったんだよな、それがなければ取れていたような気が・・・。

必死だな。

2008年01月31日

■ ベストフォトジェニックアーティスト

Yahoo!ミュージックアワード ベストフォトジェニックアーティスト

こんな賞があるなんて初めて知った。そしてそこにはやや唐突な印象ながら後藤真希がエントリーされている。というわけで投票してみた。

ついでに現段階での投票結果を見てみる。後藤真希得票率30%で一位、二位につけるのはERIKAでこの二人が抜けている。

活動が出来ていないアーティストのファンは必死、ということか。

2008年01月30日

■ 美勇伝

美勇伝解散。

昨年一年間で美勇伝名義のものに支払った金額、200円。

美勇伝に対する思い出、priceless。

何も言う資格はないけれど、有象無象のシャッフルユニットではない、恒常的ユニットの解散に軽く目眩がする。

■ ちなみに私は三又する甲斐性はありません

光陰矢のごとし、体調不良で鬱々としている間にいろいろな話題が過ぎ去る。

なっちこと安倍なつみがオリエンタルラジオ司会のオビラジなる番組の「恋愛シミュレーション」に出演。様々な恋愛に関するシチュエーションを想定して、それについてトークを行うという趣旨のコーナー。

これが実に中々面白い。

「間違えて彼氏のAVを再生しちゃったら?」

●´ー`)かんがえられない。駄目です。もうないわぁ〜になりますね。もう全然駄目です。だってなっちとつきあっている訳じゃないですか。なっちが彼女じゃないですか。いるのに、違う女の子の裸を見るっていうことが駄目なんですよ。

オリラジ)男でAV見ない人はいないですよ。

●´ー`)いますって。やだやだやだやだ。気持ちが悪い。

オリラジ)グラビア写真集とかだったら?

●´ー`)いやです。やーだ、やだやだ。そしたらなっちの写真集を渡します。

オリラジ)自分のだったらいいんですか。

●´ー`)だってなっちだもん。だってなっちだもん。

オリラジ)逆に特に誰のだったら嫌ですか。彼氏が見てて。

●´ー`)ああ、まっつぅ。

オリラジ)え、まっつう?

●´ー`)松浦亜弥。

この「ブリっ子」(死語)ぶり、ウザ過ぎです。そして自分大好き。おまけに松浦亜弥のことを話題に出すのはいいが「まっつぅ」って他人に通じるわけがない独自愛称を使うし。これこそが本来の「なっち、天使」なのだ。「無意識のうちに相手の目線で話している」(Barks)というより、周囲はさておき、何より自分大好きっぷりが天使の天使たるゆえんなのだ。

ちなみに私は松浦亜弥の写真集はもっていません。

次。

「コンパは浮気じゃないよね?」と彼氏に言われたら?」

●´ー`)それないわぁ〜。

オリラジ)浮気のラインとかありますか。

●´ー`)ああ、もう浮気する人は全然駄目で、ラインとかないです。

オリラジ)どっから浮気?

●´ー`)もうなんですか、そのどっから浮気とか、よくあるけど、もうそういうのがあり得ない。

オリラジ)手をつないだらとか。

●´ー`)絶対駄目です。

オリラジ)手をつないだら駄目?

●´ー`)駄目。

オリラジ)女の子と電話していたら?

●´ー`)電話はすごいしているときに私がいたらじっと見てます。

この「じっと見てます」の振りをしているときの表情がこれまたとてもウザ可愛い。乾いた笑顔で本当に「じっと見て」いる。もう逃げ出したくなるぐらいに可愛い。

ちなみに私は浮気はしません、たぶん。

さらにかつて三又を賭けられた経験があったから浮気に対しては敏感だという話から、それが何故発覚したのかの説明。

●´ー`)Faxを見ちゃったんです。Faxがなんか「昨日、肉じゃが私が作ったのをおいしく食べてくれてありがとう(はあと)」みたいなもうそういう長文ががぁーってあったんです。ああっ、って思って。「昨日」って事は昨日じゃないですか。何をしているんだぁとおもって。もう最悪でした。

これって二叉が分かったって話で三叉発覚の説明には足りないような。というか、この話をいろいろ突っ込んで考えていくとドツボにはまりそうなので、この辺で。

2008年01月25日

■ 愛する人はあややだけ

非購入品記録。

「松浦亜弥コンサートツアー2007秋〜ダブル レインボウ〜」DVD。

いや、買ったんだよ。Amazonには昨年から注文を入れていて、22日には発送されたはずなのにまだ届かない。

私のあややDVD、どこ行ったんだよ〜。

2008年01月23日

■ なちみ天使

ついにその実態が暴かれるときが来た。

数々の疑惑があるハロプロメンバーの中でも(石川梨華がナニをしないとか)、最大の疑惑がついに暴かれようとしている。

Barks 安倍なつみ “なっちは天使” 認める!? (前編) 「見える人には羽根が見えちゃう」

この記事はさらに安倍なつみの「一人称」問題にも鋭く切り込む。

Barks 安倍なつみ “なっちは天使” 認める!? (後編) ─── 天使性の本質

同じ目線で話をしようとしているために、一人称が、相手が自分を呼ぶ呼称になってしまうのではないか。相手が “安倍さん” と呼ぶなら、安倍も自分のことを “安倍さんは…” と返し、“なっち” と呼ぶなら “なっちは…” と返す。もしも “なちみ” と呼ばれるなら “なちみは…” と返すことだろう。

そうか!すると安倍さんに普通に一人称を使ってもらいたい場合の対策も見えた!

矢口「おいら、おいら日曜日に圭ちゃんたちと飲みに行くけど来ない?」

安倍「おいら、行く」

わけ分からん。

■ 小春メール

小春こと久住小春ちゃんからメールが来た!

これって意外と結構嬉しいものだな。

単にハロプロ公式携帯サイト「ポケットモーニング」に登録しただけなんですけどね。なっちこと安倍なつみが登録していると言っていたので、私も入ってみようかな、と。これでお仲間。

中身もちらちら(パケット代がもったいないので)見てみたけれど、それほどたいした内容はない。それでもお金を払うからには少しは見るだろうから、これまでほとんど時計代わりにしか鳴っていなかった携帯も少しは携帯らしく使えるようになるかな。

2008年01月16日

■ 私の恋人なのに

忘れちゃいけない。

なっちこと安倍なつみとやじまん?こと矢島舞美のデュエットソング「16歳の恋なんて」、本日発売。私も今日、日中に買いに行くつもり。

そしてこの二人のライブトークがYahoo!でやっていたので、そちらもリアルタイムで見た。 

ネットで行われた企画、「16歳の恋なんて」と「私の恋人なのに」のどちらを「A面」にするか、という投票に安倍さん自身が投票したとか。それで「A面」曲を選んだ投票者に対する特典としてついてくるPVのクレジットに自分の名前が載るサービスを受けるつもりだった、のだろうか。よーわからん。

ただそれで安倍さんが選んだのは、結果的に「落選」となりカップリングとして収録されることになった「私の恋人なのに」のほうだとか。いやぁ、私と趣味が合う。「16歳の恋なんて」を選んだ有象無象のファンよりも私の心の方が安倍さんにずっと近い、とか。

ま、私は携帯を使うのが面倒で、投票しなかったんだけれどね。え?それじゃあ、全然駄目だって?あーあ。

■ 終わっていく

いったい私は何を言いたいのだろう。

きっかけは単にデータがそこにあって、ちょっといじってみたくなった、というだけだったのだが、段々とデータを笠に着て「イイタイコト」を押しだそうとしているようだ。そうなのだ、私にはたぶんすごく言いたいことがあるのだ。

それはとどのつまりはハロプロの現状に対する不満に他ならない。私の中のハロプロが終わっていく、そういう気分。それは仕方がないと一方ではあきらめつつ、もう少し抵抗していたい、そんな気持ち。

やはり問題の焦点は「モーニング娘。」なのだと思う。今でも人気は一番ではあるだろうが、逆にファンの間の不満度なるものを測定したらこれまたモーニング娘。が圧倒的に一位になるのではないか。もっと何とかならないものか。唯一のレギュラー番組「ハロモニ」、ちょっとひどくないか?CDの売り上げ、いくら何でも極端に下がりすぎではないか?もうちょっとテレビに出て歌う機会が持てないものか。だいたい今のモーニング娘。のパフォーマンスってちょっと低くはないか。そもそもコンサートとかのステージで個別の客にこび売ってんじゃねえ!

だからといってメンバー批判をしたいのではない。そうではなくて、問題はモーニング娘。のおかれた環境そのものだ。個人的に圧倒的に気に入らないのが、ハロプロコンサートの枠組み。卒業メンバーをエルダ、現メンバーをワンダに分ける、このわけ方がいけない。ワンダでは年長グループ、ステージの心構えを教えられるメンバーがステージにいないのではないか。ファンだってほぼ中心はベリキュー好きのいわゆる「萌え」期待の「アイドルファン」だ。そりゃ「萌え」で競うしかない。

「萌え」系のアイドルはベリキューでいいじゃない。何故モーニング娘。までそっちに引きずられなければならないのか。今やベリキューは横浜アリーナとかそんなどでかい会場でコンサートを開けるまでになったらしいのだから、それはそっちでやってくれればいい。もういい加減モーニング娘。はこちらに「返して」はもらえないものなのだろうか。せめて10周年を謳う今年、最後に現メンと卒メンとを合わせて何かをやってもらえないだろうか。せめてそれで気分良く10年を締めさせてもらえないものだろうか。

別にプロデューサー気取りで評論したいわけではないから、これこれすればモーニング娘。は再浮上する!とかそういうことを思っているわけでは全くなくて、単に一ファンとして一番見たくなかった終わり方をしているのを見続けるのが辛いと、たまには愚痴の一つも言ってみたくなったというだけのことなのだが。

2008年01月15日

■ モーニング娘。のファンはどこへ行ったのか

ハロプロ楽曲大賞の「推しメン部門」の結果を分析するよ、シリーズ番外編の2。

前書きー飛ばしてもOK

本編では全投票数に占める各メンバーへの投票の割合ベースで計算をしていたが、これはハロプロ全体のファンの減少はとりあえず見ない、というやり方。これを実際の投票数(実数)ベースで同じ事をやると、モーニング娘。やそのOGの衰退はもっと顕著になるし、Berryz工房はむしろ減少傾向にあるし、℃-uteの勢いももっと少なめに出る。そっちの方がハロプロの現状を正しく示しているとはいえるけれど、そうしなかったのは都合の悪いことには目をそらしたかったから、ではなくて、2004年から2005年にかけては投票数が大幅に上昇していたから。もちろん2005年にハロプロが隆盛を迎えたかというとそんなことはなくて、単に企画への参加者が様々な理由から(有り体に言えば企画の知名度が上がったとかそんなこと)増えた、というだけのことであり、そのため2004年からの動向を見る上では非常に見づらいデータとなってしまっていた。その影響を排除するために実数ではなくて割合ベースで結果を出したということ。

でも今いったように実数ベースの方がハロプロの実情がよく分かる意味もある。その場合少しもったいないけれど2004年のデータは捨て去って、2005年から3年分のデータを用いると良いだろう。つまり2005年の投票者数が企画としての頂点と見なして、そこからの減少は投票者のハロプロへの興味が損なわれたからだ、と見なすことにする。いったん投票すれば、後はハロプロへの興味が一定レベルで持続していればその次も投票するだろうという考え方。

これでデータを出し直しても、先に述べたようにそれほど何かが代わるわけではないが、割合ベースでは見づらかった結果が出てきたので、それだけ紹介。

本編ではモーニング娘。OGからファンが離れることがBerryz工房・℃-uteへの支持上昇に繋がったのだ、と述べた。ただその際、元のOGメンバーファンが応援対象(「推し」)を変えたのか、それともハロプロファン自体を辞めて相対的にBerryz工房・℃-uteの支持率が上がったのかが見えてこなかった。そこを少し見やすくしようという試み。

つまりここでやろうとしているのは「モーニング娘。のファンはどこへ行ったのか」を可視化しようということである。

用いるのは2005年から2007年にかけての得票数の推移。2005年12月投票分から2006年12月投票分にかけての得票数の増減を「2006年」の増減、同じく2006年12月投票分から2007年12月投票分にかけての得票数の増減を「2007年」の増減とする。そしてそれをグループごとに集計したものが下表である。

グループ2006年2007年2006年-2007年
a.非娘。エルダー・ソニン-17-29-46
b.娘。OG(除W)-139-100-239
c.W-74-29-103
d.継続在籍メンバー10-60-50
e.7,8期メンバー23-617
f.Berryz工房-21-16-37
g.℃-ute503686
h.エッグ・キャナァーリ142337
投票数減分-154-181-335

この表を見るだけでも結構興味深いところがある。Berryz工房は(今回のデータの始まりである)2005年を頂点としてファンは減少し続けている。ファン数を実数ベースでのばしているのは℃-uteとその後の世代(ハロプロエッグとキャナァーリ倶楽部)、および2005年以降の娘。加入メンバー群である(Berryz工房も含めてこれらを「新世代」とここでは呼ぶ)。

またメンバーが二人のダブルユー(W)がその活動を停止して以降、劇的にファンを減らしていることも見て取れる。その他の娘。OGも2006年にファンを劇的に減らし、娘。現メンバーである「継続在籍メンバー」も2007年には大いに苦戦した。そして2007年は投票数自体も大きく減っている。

ちょっと長めの補足説明ー飛ばしてもOK

少し補足しておくと、Berryz工房・℃-uteとも「卒業」メンバーはそのまま数に入れている。今回の目的が娘。ファンの動きなので、ベリキュー内でのファンの移動は便宜上なかったことにしたいからだ。また一番下の「投票数減分」が要するにハロプロファンを辞めた人の人数と見なすことになる。

ここで2005年12月時点でのモーニング娘。とそのOG、およびそれ以外のエルダークラブ(美勇伝を含む)メンバー(a,b,c,d)をここでの「旧世代」と見なすことにしよう。この「旧世代」のファンが2年たってどのように動いたのかを可視化しようとしているわけだ。この旧世代の2005年時点のファンの総数は891人である。同じメンバーの2007年12月時点でのファンの総数は453人になっている。半数近くに減ってしまったわけだが、この減った分がどう動いたのか、一つのモデルを立てよう。

もちろんファンを辞めてしまったものがいる一方で、新たにファンとなった、あるいはこれまでもファンであったが2006年分から投票を行ったファンもいるだろう。まずそのプラスマイナスは相殺する。同じく「旧世代」のファンから「新世代」(e,f,g,h)へ「推し」を変えたファンもいる一方で、逆に新世代から旧世代に「推し」を変えるファンもいるだろう。そのプラスマイナスも相殺する。これらはデータ上からは見えてこないからである。

また「新世代」でありながらファンを減らしているBerryz工房については、その減少分(37名)はすべてファンを辞めてしまったものと見なす。本当は℃-uteやそのほかへ「推し」を変えた人も多く含まれるはずであるが、ここでは「旧世代」の動向を見たいので、このような処理をする。この処理をした影響については後述する。

このような処理を行った結果、2005年12月段階での旧世代(表中のa,b,c,d)のファンがその後2年でどう動いたのかをモデル化したグラフが下図である。

旧世代の動きの円グラフ「そのまま51%、推し替え16%、ファン卒33%」

2年間「旧世代ファン」にとどまったものが51%、旧世代のメンバーから新世代のメンバーに「推し」を変えたもの16%、そしてハロプロファンであることを辞めてしまったもの33%となる。

ちなみに先にBerryz工房のファンの動きについて施した処理により、「推し」を変えたファンの比率が高めに出ている。つまり旧世代から新世代への「推し替え」は多めに見積もっても16%にとどまるということだ。

さらに先に述べたように新たに「新世代」メンバーのファンとしてハロプロファンになった投票者は、ハロプロファンを辞めてしまった「旧世代」メンバーファンと相殺され、上のグラフ上では「推し替え」をしたファンとして表現されている。つまりこの16%というのはかなり膨らました数字なのである。それでもこの程度なのだ。

もし事務所がモーニング娘。(現メン・卒メン)のファンを「新世代」メンバーのファンへ移行させようと動いているのだとして、そのもくろみはうまくいっているのだろうか。単にファン離れを招いているだけ、という気がしないでもない。もちろん放っておいても「旧世代」メンバーのファンは離れていくのだから、少しでも「新世代」に引き継げただけまし、なのかもしれないが。個人的には「旧世代」をもり立てていってもらいたいが、旧世代ファンのポテンシャルはまだまだ眠っているものと思うが、ハロプロファンを辞めた、辞めそうな人を呼び戻せるような策もありだと思うが、それはまあ、「旧世代」ファンの戯れ言ということで。

2008年01月13日

■ 語りの場

ハロプロ楽曲大賞の「推しメン部門」の結果を分析するよ、シリーズ番外編。

mixiなるソーシャルネットワークサービスが流行っている。授業中にもこっそりmixiをやっている者がいて、迷惑千万なるサービスである。私もさる仕事関係の人に後学のためと誘われて入会してアカウントだけはもっている。しかしその後何もやっていないのでmixi上のお友達「マイミク」はいまだに一人しかいない。その人とも今はおつきあいがないので、いつその関係を切られても文句は言えない。

と、どうでも良い話だが、そのmixiには同好会のようなものがあって、「コミュニティ」と呼ばれている。ハロプロ関連のコミュニティも数多くある。こうしたタレント関連コミュニティの在籍者数をざっくり紹介すると以下の感じ(日々変化するものなので、定数ではない)。

  • スザンヌ 8119
  • 鈴木亜美 3616
  • 島谷ひとみ 3303
  • 松浦亜弥 3162
  • 安倍なつみ 1760

この圧倒的な「差」を見て、我らハロプロファンは慨嘆する。「嗚呼、我がハロプロの貧弱なること!」。ハロプロとは所詮「地下アイドル」に過ぎない、とまで言う。「一流」のタレントとの圧倒的な差を見よ。スザンヌなどというヘキサゴンでちょっと人気を博した「お馬鹿タレント」との差、そしてかつてのライバル、そして一時は完全に圧倒していたはずの鈴木亜美にまで完敗、島谷ひとみにも及ばない、これがハロプロの力なのだ。

それは違うのだ。およそデータを見るときには、目の前にあるデータは数あるデータの数一つであることを忘れてはいけない。ハロプロ大賞「推しメン」部門データを見るときにもそうだ。単にこのデータだけを見て、「誰は誰よりも人気がある」という結論を導き出すのは危険だ。それはこのデータにはこの企画に参加し、投票を行ったファンの傾向、「偏り」があるからだ。

そしてmixiにももちろん偏りはある。いやむしろ偏りはハロプロの方にあるというべきかもしれない。なんと言ってもハロプロは、その発展においてネット言説の力を大いに借りている。ハロプロの発展はネットの広まりとともにあったのだ。ネットに一般ユーザが参画しだしたただ中にモーニング娘。はデビューした。ネットニュースに代わって「掲示板」がネットでの情報交換の主流になったとき、モーニング娘。関連の掲示板も数多く立ち上がった。そしてYahooでの掲示板サービスでもモーニング娘。は特に大きな場所をもうけられ、大量の投稿がなされた。2chにおいてもモーニング娘。関連「板」は他のタレントとは一線を画した場を設けられている。「テキストサイト」も流行った。そして今はブログ。モーニング娘。、ハロプロは常にネットで語る場所を多大なまでに持ち続けていたのだ。

既に語りの場はそこにある。そういう状況の中で、それより遙かに閉鎖的なmixiという場でさらに語りの場を広げるモチベーションは高くはならない。もちろんmixiの持つ特性、プライベートに仲間内だけで話をする、という使われ方はしているのかもしれない。しかし「コミュニティ」という一般的な場を今更ハロプロファンは必要とはしていないのではないか。

実際ハロプロ関連のコミュニティを覗いてみた。閑散としている。他のタレントと比較して、ではない。そうではなくて、ファンサイトの掲示板と比較して、である。情報は集中する。人の集まらないところにわざわざ情報を書き込もうとはしない。mixiのコミュニティという場は、交流の場としてハロプロファンは選択しなかったのだ。

一方ハロプロファンが「選択した」場の一つであるブログシステム「はてな」の場合を見てみよう。雑ぱくなデータだが、「はてな」にはキーワードの「言及数」をグラフ化する仕掛けがある。それを用いて「安倍なつみ」と「スザンヌ」を比較したグラフを作成してみた。

「はてな」における「安倍なつみ」と「スザンヌ」言及数の比較グラフ

これは一例だが、ハロプロファンとたとえばスザンヌファンとが選択した語りの場の違いが浮かび上がってこよう。

ということで、たとえばこんなところでもいちいちハロプロファンは卑屈になる事なかれ。mixiコミュニティの参加者が少ないのはハロプロファンが他のタレントと比べるとファンの絶対数が少ないため、ではない。他に語りの場を既に持っていて、また多くの言及がネットを普通に検索すれば出てくるために、わざわざmixiに交流の場を求める必要がなかっただけなのだ。一方ネットでの言及が少ないタレントのファンは、少しでも語りの場を求めて、いろいろな場を探し続ける。実際かつてちょっと興味を持って島谷ひとみのファンサイトをネットで探したが、質・量とも圧倒的に不足していた。不足だと思えばあちこち探し回る。mixiにも人は集まる。集まっても大して言及があるわけでもない。「数打ちゃ当たる」場の一つとしてmixiコミュニティも残されているだけだ。

そしてハロプロファンはmixiコミュニティを必要としなかった。ただそれだけのことだ。

■ 原理主義者宣言

ハロプロ楽曲大賞の「推しメン部門」の結果を分析するよ、シリーズ。

最後に締めようと思ったのだが、締めにふさわしい内容が思いつかない。さしあたり、モーニング娘。現メンファンと卒メンが合わされば、まだまだベリキュー連合を圧倒しているのは確かだということだけは再度確認しておこう。

娘。連合とベリキュー連合の支持率推移。2007年娘。56.7%ベリキュー31.6%

とにかくモーニング娘。ファンにはペシミストが多すぎる。ネット言説においてモーニング娘。ファンの勢いが減じているのはデータからも明らかだ。しかしモーニング娘。連合(現メン+卒メン)から去ったのはハロプロの骨である「歌」に対して今後が期待しづらい状況にあるメンバーのファンがその大半を占める。歌を歌う、その本義を全うできれば、まだまだファンはついてくる。昨年末の現メンと卒メントでタッグを組んだ日本テレビの「ベストヒットアーティスト」でのパフォーマンスの好評ぶり、まだまだモーニング娘。には余力がある。ただ現メンバーと卒業メンバーがハロプロコンサートなどでも分断されており、モーニング娘。連合としての力を出す場面があまりに少ない。

「いつまでの卒メンの知名度に頼ってふがいない」、「卒メンが現メンバーの邪魔をしている」などと不毛なことを言い合うものではない。そうして両者の持つポテンシャルを削り合ってなんになるというのか。真の10周年の今年こそ、モーニング娘。連合の力を示すときだ。

ということで、やや無責任に煽っておこう。「ネットのモー娘。ファンよ、団結せよ」。

2008年01月08日

■ 境界

ハロプロ楽曲大賞の「推しメン部門」の結果を分析するよ、シリーズ。

モーニング娘。威信失墜の「戦犯」として現モーニング娘。のふがいなさを論う論調がネットで散見される。しかしほとんどメンバーが共通している2006年時のモーニング娘。はまだまだ十分に評価されていたはずだし、それが一転の今の評価、少し性急すぎるのではないか、というのが前エントリーの趣旨。確かに2007年のモーニング娘。はネット世論上苦戦した。それは本データにも表れている。そうであればこそ、「ふがいない」で片付けるのではなく、現娘。の持つポテンシャルの高さを思い起こし、もう一押し支えてみてはいかがだろう。今ネット世論を中心に「モーニング娘。はもう駄目だ」という雰囲気が醸し出されているがそれに関して、現娘。に主たる問題があるというわけではないのではないか。卒業メンバーも合わせたモーニング娘。関連メンバー全体の支持の低下がそうした雰囲気を作り出しているのだ。

もう少しモーニング娘。威信失墜についてみてみる。先にモーニング娘。在籍メンバーではなく、主として卒業メンバーへの支持低下がモーニング娘。の威信低下には大きい影響を及ぼしているのではないかと指摘した。それを少し掘り下げてみる。

モーニング娘。の支持推移3パターンのグラフ

上のグラフはモーニング娘。に2004年段階で在籍していたか、OGとしてハロプロに残っていたメンバー18人(久住小春、光井愛佳、ジュンジュン、リンリンは含まない)を3つのグループに分け、各々のグループの支持率の推移を示したものである。一目、「a 」群に属するグループの支持離れがモーニング娘。全体(現役OG連合)の支持離れを招いていることが見て取れる。

「c」群は既に見たように2004年から2007年12月段階までずっとモーニング娘。に在籍している「継続在籍メンバー」(高橋愛、新垣里沙、亀井絵里、道重さゆみ、田中れいな)である。そして「a」、「b」は各々OGメンバーの集合である。「a」群のメンバーは2004年段階では全ハロプロ支持の半数近く(46.6%)の支持を集めていたが、その後リニアに支持を減らし、2007年12月期には17.6%にまで支持を下げている。この支持低下分は大凡ベリキューの支持増加分に相当している。一方「b」群のメンバーはグループ全体としては2004年段階の支持を守っている。

結果的にベリキューに支持を流すことになった(ファンが直接その群のメンバーからベリキューに応援対象を変えたとは限らない。たとえばハロプロファン自体を辞め、相対的にベリキューの支持率を押し上げることもあるだろう)「a」群とはどのようなメンバーなのだろうか。

種明かしをすると、「a」群と「b」群の分割はきわめて恣意的、操作的に行っている。2004年から2007年までの支持の減少率が50%を超えたメンバー8名を「a」群とし、残り5名を「b」群とおいただけである。つまり「a」群だけが支持を大幅に減らしているというのは当たり前なのだ。

ところがこうして操作的に作られた「a」群と「b」群の境界が結構明確なのだ。「モーニング娘。を「卒業」し、2004年から2007年12月までハロプロに在籍し続け、2008年1月のハロプロ合同コンサートに出演するメンバー」、すなわち事務所の引いた路線をそれなりにつつがなく歩んでいるメンバーが「b」群のメンバーであり、そうではないメンバー、すなわちモーニング娘。を「脱退」したか、ハロプロを「卒業」したか、妊娠・結婚、その他の理由でハロプロ合同コンサートを欠席しているメンバーが「a」群のメンバーである。

具体的に整理しよう。

  • 「a」群・・・飯田圭織、矢口真里、後藤真希、辻希美、加護亜依、小川麻琴、紺野あさ美、藤本美貴
  • 「b」群・・・中澤裕子、安倍なつみ、保田圭、石川梨華、吉澤ひとみ

※紺野あさ美だけは少しこじつけっぽくはなるが、彼女もハロプロをいったん「卒業」はしている。

支持離れが起きた理由は簡単ではない。確かに「事」が起こって支持を下げたメンバーもいる。しかし「事」が起こる前に大きく支持を減らしているメンバーもいる。したがってたとえば「ハロプロファンはスキャンダルに対して狭量である」と結論づけるのは早計であろう。ただ少なくともハロプロという集団のメイン活動であるとされる歌手活動(CDリリースというよりはライブへの出演)に対して負の要素があると支持を維持するのは難しいとはいえるかもしれない。

2008年01月07日

■ 最高のモーニング娘。

ハロプロ楽曲大賞の「推しメン部門」の結果を分析するよ、シリーズ。

卒業者を出すことで所属メンバー支持の総和としてのモーニング娘。支持率が低下するのはある意味当然だが、所属メンバーあたりの支持率平均としてデータを見ると、少し違った側面も見えてくる。

グループとしてのメンバーごとの支持率平均が高いというのはそのグループの「質」に関わる。メンバー一人一人のポテンシャルの高さが見えてくる。

モーニング娘。所属メンバー支持率平均の推移 2004年3.97% 2005年3.53% 2006年4.12% 2007年2.44%

2004年からの「卒業ラッシュ」以降、メンバー数が減ることでモーニング娘。としての支持率は下り続けたが、メンバーあたりの平均支持率は逆に2006年に最高になっている。メンバーが大幅に入れ替わった2007年はいきなり大きく下げ、一気にベリキューに追いつかれてしまった。

2006年娘。の支持の高さは別のデータでも裏付けられる。モーニング娘。の年ごとの所属メンバーの2007年時点での支持率の平均を比較した。

モーニング娘。各年在籍者の2007年支持率平均 2000年2.66% 2001年2.93% 2002年2.90% 2003年3.23% 2004年3.30% 2005年3.39% 2006年3.57% 2007年2.44%

2007年現在において、平均支持率が一番高いメンバー構成は2006年12月時点のモーニング娘。メンバーなのである。つまり2006年娘。はその当時においても、2007年12月段階においても、メンバーあたりの支持が高いことが分かる。既に見たように2004年から2007年にかけてずっとモーニング娘。に在籍している「継続在籍メンバー」支持率が2006年に最高になっていることと併せて、2006年12月期モーニング娘。の「質」の高さが覗えよう。

2004年からモーニング娘。所属メンバーの合計支持率は減り続けてきたけれど、2006年12月期「歩いてる」のモーニング娘。はメンバー一人あたりの支持率の高さという、その「質」において確かに輝いていた。「黄金期」とはまた違った輝きを私たちはそのモーニング娘。に見ていたのだ。

だからといって今のモーニング娘。を、新メンバーを否定するのは性急に過ぎる。中心メンバーが2人卒業・脱退し、新メンバーが3人加入するといういわば大手術をやってしまったのだ。それは今のモーニング娘。の体力からすれば過酷であったのは確かだ。それでもモーニング娘。はそうした変化を経て続いてきたし、私たちはそれをずっと見守ってきたはずだ。

たまの浮気は許すけど、純情見せてよね

2008年01月06日

■ 支持を奪われた者たち

ハロプロ楽曲大賞の「推しメン部門」の結果を分析するよ、シリーズ。

ベリキューはモーニング娘。からの支持を奪って、大きく支持を伸ばしているのだが、支持を奪われたモーニング娘。とは「どの」モーニング娘。なのであろうか。

ネット界隈では「今の」モーニング娘。の「力」のなさが取りざたされている。確かにモーニング娘。の支持率はじりじり下がり続けている。しかし今のモーニング娘。のメンバーの支持が下がっているといえるのか?

モーニング娘。は、改めて言うまでもないことだが、メンバーが入れ替わるグループである。モーニング娘。の支持は年々下げているが、それは卒業・脱退メンバーへの支持がモーニング娘。の支持から省かれた結果ではないのか。ずっとモーニング娘。に在籍し続けているメンバーの支持動向はどうなっているのか。

2004年から現在までずっとモーニング娘。に所属しているメンバーは高橋愛、新垣里沙、亀井絵里、道重さゆみ、田中れいなの5人である。この5人を「継続在籍メンバー」と呼ぼう。この「継続在籍メンバー」の支持率の総和の推移をベリキュー支持の推移と合わせてみてみよう。

Berryz工房 2004年8.31% 2005年14.62% 2006年14.78% 2007年15.93%
℃-ute 2004年0.98% 2005年3.27% 2006年9.08% 2007年15.67%
モーニング娘。継続在籍メンバー 2004年14.43% 2005年17.08% 2006年20.91% 2007年18.02%

2007年に支持を下げているが、それまでの3年間は支持を伸ばしているのである。モーニング娘。のことをその器にのっていることで自身が沈んでしまう「泥舟」などといわれるが、少なくとも2006年までは在籍メンバーの支持は下がっていない。それではモーニング娘。総体(現役メンバー+OGメンバー)としての支持の低下は何故起こっているのか。その答えは既に見えている。

2004年12月段階でモーニング娘。に在籍したメンバーの内、その後も在籍し続けているメンバーの支持率を前述の通り「継続在籍メンバー支持率」、 2005年以降に卒業したメンバーの支持率を「卒業メンバー支持率」、2004年12月段階でモーニング娘。を既に卒業していたメンバーを「OGメンバー支持率」として、その支持率の平均の推移をグラフ化したものが下図である。

継続在籍平均 2004年2.89% 2005年3.42%2006年4.18% 2007年3.60%
卒業平均 2004年4.75%	2005年4 .31% 2006年3.82%2007年3.08%
OG平均 2004年5.11%	2005年 4.22% 2006年2.55%2007年2.20%

継続在籍メンバーの支持が(2006年までは)伸びている一方で、OGメンバーそして卒業メンバーの支持は大きく下がっている。前述の通り「卒業メンバー」が出ることがモーニング娘。の支持の低下を招いている一方、モーニング娘。から卒業するとその後そのメンバーの支持も大きく低下する。これによりモーニング娘。関係メンバー(現役メンバー、卒業メンバー、OGメンバー)全体の支持は大きく下がることになる。

現状ではモーニング娘。の「卒業システム」がモーニング娘。の威信の低下を招いているともいえるだろう。そしてモーニング娘。に在籍していることは人気の維持には重要であることも覗える#1

以上のことをまとめておく。

  • ベリキューに支持を奪われたのは、主にモーニング娘。OGおよび2005年以降の卒業メンバーである。
  • モーニング娘。のグループとしての人気維持・上昇効果は2006年段階まではあった。

ただ継続在籍メンバーの支持も2007年には下がっているところから、2008年はこのメンバーにとって正念場となる。このままずるずる行ってしまうと本当に「モーニング娘。」は終わってしまうかもしれない。


#1 これとは別の見方も可能である。「既に人気の面で限界が来ているメンバーを卒業させている」場合でも同様の現象が起こる。この見方についてはさしあたり留保。

2008年01月05日

■ ベリキューの勢い

ハロプロ楽曲大賞の「推しメン部門」の結果を分析するよ、シリーズ。

モーニング娘。から支持を奪い取ったベリキュー連合の内訳。


Berryz工房 2004年8.31% 2005年14.62% 2006年14.78% 2007年15.93%
℃-ute 2004年0.98% 2005年3.27% 2006年9.08% 2007年15.67%

2007年レコード大賞で最優秀新人賞を獲得した℃-uteの勢いめざましく、一気にBerryz工房に追いついた。ちなみにBerryz工房は2004年にファーストシングルを出している。

私はベリキューあたりの動向はよくは知らないが、(元)娘。ファンの間ではBerryz工房より℃-uteのほうが人気があるとかないとか。Berryz工房と℃-uteは元々同じオーディションに合格したメンバーでありながら、メジャーデビューが遅れた℃-uteのほうが、元々落選者を集めた「負け組」モーニング娘。と親和性が高いのだという講釈を聞いたことがある。

ちなみに℃-uteはなっちこと安倍なつみとの親和性も高い。℃-uteのデビューは安倍なつみ・保田圭が出演した「ふれあいコンサート」であったこと、テレビ東京の番組ハロモニで共演していること、℃-uteのメンバー(リーダーらしい)矢島舞美が安倍なつみとデュエットソングをまもなくリリースする、など。

私はというと、最近は℃-uteばかりがいい目を見ている気がしないでもないので、逆の判官贔屓でBerryz工房のほうに何となく肩入れしていたりする。メンバーが何人かも知らないけれど。

■ 低下するモーニング娘。の威信

ハロプロ楽曲大賞の「推しメン部門」の結果を分析するよ、シリーズ。

ハロプロ内でのモーニング娘。の威信低下が叫ばれるわけだが、それはどの程度のものなのかをデータで確認。

モーニング娘。在籍メンバーの支持率(メンバー別得票数/有効回答数)を合算したもの。

モーニング娘。支持率2004年47.7% 2005年35.3% 2006年33.0% 2007年21.9%

4年間で半分以下になっている。もはやモーニング娘。はかつてのような絶対的な存在、ハロプロの中心ではないのだな、ということを実感する。

一応補足しておくと、この支持率はメンバーごとの支持率を合算した数値のため、卒業・脱退者が出ればその卒業メンバーの支持率はモーニング娘。の支持率からは省かれることになる。

ということで、グループ単位の支持率ではなくて、個人単位の支持率を合算しただけのデータだから、卒業・脱退者が出ればそれだけグループとしての支持率は維持しづらいのはある意味当然。ただ問題は卒業メンバーのかわりに入ってきたメンバーが中々その「穴」を埋められていないというところ。これもある意味仕方はないが。

もう一つデータ。

モーニング娘。在籍メンバーと卒業メンバーの支持率を合算したモーニング娘。関係メンバー支持率。卒業メンバーもモーニング娘。ブランドを担っているわけで、卒業メンバーが人気を維持していれば、それはそれでモーニング娘。の威信は保たれるかもしれない。

モーニング娘。関係メンバー支持率2004年78.4% 2005年73.8% 2006年66.4% 2007年56.7%

こちらも8割近かったのが2007年12月段階では6割を切ってしまっている。まあ2004年段階のモーニング娘。が強すぎるともいえるが。2007年ではまだ5割は超えているが、このラインを切るといよいよハロプロ内での威信は失墜するかもしれない。

ではモーニング娘。に代わって支持を拡大させているのは?というのは言わずもがなではあるが、一応データで示しておこう。

「モーニング娘。」2004年47.68% 2005年35.33% 2006年32.95% 2007年21.93%
ベリキュー2004年8.68%	2005年17.53% 2006年 21.86% 2007年31.59%
娘。+ベリキュー2004年 56.36% 2005年 52.86% 2006年54.80% 2007年53.52%

2008年ハロコン枠組みでの「ワンダ」組の支持が4年間ほぼ横ばい。モーニング娘。の支持減分をベリキュー(Berryz工房と℃-ute)で綺麗に補えているという。そして2007年末にはベリキュー連合がモーニング娘。を凌いでしまった。

このハロプロ楽曲大賞の主たる投票者層であるブログ開設者がこういう状況であるのだから、少なくともネットで見ているとベリキューの勢いは嫌でも感じさせられるわけだ。

ただそれでもモーニング娘。連合(現メン+卒メン)との比較では、まだモーニング娘。連合の方が圧倒的に支持はあるのだが、いかんせん現メンファンと卒メンファンが結構いがみ合っていたりするから、中々「モーニング娘。最高!」みたいな雰囲気にはならない。Berryz工房ファンと℃-uteファンの仲がいいかどうかは良くは分からないけれど。

■ 推しメンの多様化-ハロプロ楽曲大賞データより

ハロプロ楽曲大賞の「推しメン部門」の結果を分析するよ、シリーズ。

近年ハロプロの市場全体が縮小傾向にある一方で、ファンの志向は多様化しているように見える。

かつてはモーニング娘。がハロプロの絶対的中心であり、かつその中の中心=「エース」の地位も明確にあった。ハロプロを語る際の焦点がある程度見えていた。ところが近年はモーニング娘。のあと世代のグループ(Berryz工房や℃-ute)といったグループがハロプロファンの間での支持を拡大し、モーニング娘。の絶対性が薄れ、ハロプロの「中心」が見えづらくなってきている。

ということで、メンバー別支持率上位10位までのメンバーの占有率の2004年から2007年までの推移を見てみよう。

2004年段階では6割を超えていたが、年々低下をし、2007年においては5割を割り込んでいる。それだけ支持がばらけていると言うこと。

また支持率上位メンバー10人の中に占めるモーニング娘。関係メンバー(現役メンバー、卒業メンバー)の人数も2004年9人、2005,2006年10人、2007年7人となっている。

それでもまだモーニング娘。関係メンバーが上位10人中7人を占めているんだから、まだまだモーニング娘。の威信は高いともいえる。

■ ハロコン組分け試案

毎年年末に開催されているハロプロ楽曲大賞の結果が公開されている。ハロプロ楽曲大賞とは当該年度ハロプロというくくりで発表された楽曲のなかでもっともよいと思う曲に投票し、ハロプロファン内での楽曲の順位を定めようとする企画である。ハロプロファンを対象としたネット投票企画では継続性もあり、規模、および不正投票に対する対応もしっかりしているなどの点で信頼性も高く、もっとも著名な企画の一つである。

この企画に2004年より「推しメン」部門が登場した。これは参加者の属性の傾向を見ようという趣旨で行われているものであり、ハロプロファン内での人気メンバーを決めようという趣旨のものではない。従って「誰は誰より人気がある」とかそういうメンバーごとの人気度の序列をつけるには適さない。それでもハロプロファン内でのメンバー別人気、支持度の動向を知る上ではなかなか興味深いデータとなっている。

ということで、このデータを使っていろいろ分析してみた。いろいろ結構面白い結果も出てきたが、とりあえず目先のことということで、既に始まっているハロプロコンサート、エルダークラブとワンダフルハーツの組分けに関してまとめてみた。

2005年正月ハロコンの「紅組」「白組」#1の分け方、2006年以降の「ワンダ」「エルダ」の分け方、そしてモーニング娘。メンバーとそのOGによる「娘。組」とそれ以外の「その他」の分け方で各年の組分けを行い、楽曲大賞前年12月実施分の推しメン部門メンバー別投票数を組ごとに集計したものの比率を算出した。

今にして思えば「赤」「白」の分け方は結構バランスが取れていた。エルダとワンダは相当辛い。2005年次だったらとんでもない分け方だった娘。と非娘。は今年実施分で言えば最適。

本当に娘。と非娘。でやればいいのに。いかがです、事務所さん?


#1 赤白の分け方は以下の通り。

「白組」中澤裕子、後藤真希、 ダブルユー、 Berryz工房、 稲葉貴子、 保田圭、 ココナッツ娘。前田有紀

「紅組」モーニング娘。松浦亜弥、メロン記念日、美勇伝、カントリー娘。℃-ute

2007年12月31日

■ ニュース速報

紅白歌合戦にハロープロジェクト10周年記念紅白スペシャル隊なるユニットが登場するということで、重度のハロプロファンであるはたのがテレビで確認したところ、見覚えのない人たちが全く耳にしたことのない歌を歌っていた模様。

っていうか「LALALA幸せの歌」って何よ。マジで聞いたことないんですけど。


上記スペシャル隊より長山洋子の方がいい、と腹の底から思った私がベリキュー(Berryz工房と℃u-te)より前田有紀の方がいいと心底思っているというのは、まあ、整合性は取れているな。

というか、私も年齢だな。

2007年12月25日

■ クリスマス

とりあえず年内の仕事終了。あとはまったり年末年始休み。極楽極楽。ぼちぼち一年の振り返りでもやろうかなどと思っている。

世間ではクリスマスだ何だと浮かれているが、いろいろな意味でそんな年齢でもない。数年前はもう少し妄想的にもなれたが、今は悪い意味で落ち着いてしまった。だいたい「アイドル」のファンをやっていながら、疑似恋愛の対象としていない、という時点で「終わっている」と思う。

ハロプロファンの中にはクリスマス周辺はディナーショー廻りで忙しい人も多いようだ。フルコースを二日連続で食べるとか。さらには昼夜フルコースだとか。中々強者たちである。私にはそのような腹も金もない。

2007年12月16日

■ お事務所さま

missing ☆ pieceさんが紹介されていて知ったページ。minitsBar の徳武弘文さんのインタビュー

ギタリストとしては、ハロー・プロジェクトの安部(ママ)なつみちゃんのバックをやっていて、今度のディナーショーは何本かやりますよ。昔一緒にやって来た仲間がいろんな処に散らばっていて、それぞれいろんな仕事をやるようになって来て、その中でも音楽的にモノを考える人もいるワケですよ。打ち込みじゃなくて” 生”をやらせたいって、真っ先に相談を受けたから、”じゃ、やりましょうよ”って。アレンジは、いきなりアコースティックに修正って出来ないので、少しずつ生演奏でやっていますね。そのうち全部、生楽器でバックをやるようになると思いますよ。彼女達も、先を考えると音楽的な方向に行きそうなんですよね。僕らも成長して、そこまで見れるようになったのかな。昔だったら、お断りしてましたよね(笑)。

まず思ったのはハロー・プロジェクトの安倍なつみちゃんはなんて恵まれているのだろう、ということ。その世界では名の通ったギタリストをバックバンドに迎えてライブをやれている。なんだか不思議な気さえする。

次にその徳武さんの話の中身。「音楽的にモノを考える人もいるワケですよ。打ち込みじゃなくて” 生”をやらせたいって、真っ先に相談を受けた」、「そのうち全部、生楽器でバックをやるようになると思いますよ」、「彼女達も、先を考えると音楽的な方向に行きそう」。

これまたなんと恵まれた環境にいることよ。「音楽」にきちんと向き合おうとしている人たちが周りにいるということ、10年目を迎えようとする「アイドル」出身者にはなかなか得られない環境だろう。CDのアレンジについてもあれこれいわれるけれども、事務所も現状をよしと思っているわけではないことも伺える。そしてハロプロメンバーを「歌手」としてしっかり育てていこうとしている意志も見える。「唄うこと」を人一倍大切に想い、その想いを守り続ける安倍なつみにとってこれ以上ない環境というべきだろう。

とどのつまり、良い事務所に所属しているのだ。恋愛ごとほか「不祥事」対応の「世間」に対するうろたえぶり、おもねりぶりだとか、大切な告知文があまりに素っ気なかったりだとか、自民党の麻生太郎と親しくそこにタレントを巻き込むだとか、CDジャケット作成のセンスだとか、まあいろいろ気に入らないところはあるのだが、しかし一番大事なところはしっかり押さえているのではないか。後藤真希の件についても、ブログ削除のやり方(1)はあまりに稚拙だと思う、それでも今少し待ってみたらどうか。

ファンとして事務所への不満は不満としても、「糞事務所」だとか、事務所を変わってほしいだとか、そんな風には私は思ったことがない。まあ否応なくだか、悪役、嫌われ役を事務所が引き受けているところもあるだろうし、ネットあたりで「糞事務所」呼ばわりされるぐらいは鷹揚に受け止めているのだとは思うが、あまり悪口言い続けていると、そのうち拗ねてしまうかもしれない。くわばらくわばら。


1. ハロプロ卒業宣言後、一度も更新されていなかった「後藤真希オフィシャルブログ」が突然サイトごと削除され、その告知も外部のサイトでひっそり、ほとんど何の説明もない状態でなされた。そのサイトはハロプロを出て行って、今後の活動の情報を得られないファンにとって、心のよりどころであった。サイトを仮に閉鎖するにしても、そのサイト上で告知を行うのがネットユーザの常識だ。事務所のやり方はあまりに稚拙、というよりむしろ後藤真希への愛を感じさせないものであった。それでもたとえば、弟さんの一件があって、事務所が後藤さんをハロプロから追い出したのだ、という見方は私は当たっていないと思っている、事務所を悪者にする話ではないように思えるのだ。

2007年12月15日

■ OTONA no NAMIDA

「松浦亜弥コンサートツアー2006春〜OTONA no NAMIDA〜」の映像をGyaoで見ている。そう、私が松浦亜弥のコンサートDVDを買ったのはその後の秋のツアー「進化ノ季節…」からなのだった。「進化ノ季節…」は生演奏をバックに、華やかに落ち着いた世界を作り出していた。このライブDVDを見て、「naked songs」以来高まっていた私の松浦亜弥熱はさらに高まった。しかしながらこちらのDVDに関しては、「進化ノ季節・・・」と同じ年のツアーだし、それほど代わり映えもしないだろうなどと横着を決め込んで今まで見ていなかった。

「進化ノ季節…」では管楽器が前面に出てライブの雰囲気を作っていたが、こちらの方はストリングスが大きく映える。春と秋でこのように雰囲気を変えてきていたとは。

そして曲。松浦亜弥の曲はシングルは「砂を噛むように… NAMIDA」、アルバムは「×3」(しかもこれは中古だ)から買い出した私にとって、シングル曲はともかく、初期のアルバム曲はほとんど知らない。今度も初めて聴く曲が何曲もあったが、どれも良い曲だった。特にアンコールで歌われた「笑顔に涙〜THANK YOU! DEAR MY FRIENDS〜」はとても明るい曲なのに泣ける。卒業シーズンにでも聞けば、我が貧弱なる卒業シーズンの想い出を引き立ててくれそうだ。じっくり聴かせたい曲では客に着席を促し、しっとり歌い、一方はじける曲は思い切りはじけ、しっかり「ロック」する。その切り替えも見事で、変化がありつつ、しっかりと松浦亜弥の賑やかに落ち着いた世界を作り出す。

「春」と「秋」、一年で少し変化を付けながら、一本筋の通った世界を作り出した松浦亜弥のコンサート。ああ、2006年の松浦亜弥の活動はなんと充実していたことか、と今更ながら思う。

正直、このライブDVDを発売時に買わなくて良かった、と思う。買っていればたぶん私は嫉妬していたと思う。2005年にこのツアーと同じカントリー娘。をゲストに迎えたツアーを行った安倍なつみの「24カラット」、そしてこのツアーと同時期に同じく生演奏を一部に取り入れた安倍なつみの「乙女チックバンク」と比較して。安倍なつみのこの二つのコンサート、私は微妙に物足りなさを感じていた。当時のレポート(「24カラット」レポ「乙女チックバンク」レポ)を読んでみてもそのあたりがにじみ出ている。安倍なつみの世界が五分咲き程度にしか感じられなかった。それと比べてこのライブの咲き誇りよう。

安倍なつみの2007年のライブ活動に心の底から満足できた今なればこそ、松浦亜弥の2006年のライブDVDを心の底から楽しめる。狭量だなと思いつつ、今更ながらこのDVD購入の算段をはじめる。

2007年12月11日

■ ベストアーティスト2007

全然期待していなかったけれど、良いものを見られた。

ジャニーズファンが多数を占めると見える会場、お笑いが途中に出てきて、会場内微妙な空気。そしてすっかり「落ち目」扱いされているモーニング娘。。それがあんなに盛り上がるとは。「昔の曲」頼りだったのは確かだけれど、それでもあそこまで空気をもり立てられたのはさすが。

やっぱり圧倒的だな、中澤裕子。


なっちこと安倍なつみもどっしり安定していたし、今日は高橋愛の歌も良かった。現メンとOGとが見事に融合していた。よかった。よかった。

2007年12月10日

■ 雪に埋もれた亀を叩く

久々にハロモニ@の感想でも。

任天堂にゲーム機Wiiの健康ソフトWiiFitを用いた「バランス美人」対決。その最下位決定戦に進出したのが運動音痴の道重さゆみと適当キャラが定着した亀井絵里。バランススノボーというゲームで対戦。意外にも道重さんが結構真っ当にボードを操り、ゴールするのに対して、亀ちゃんぐだぐだ、あっさり敗北。大喜びする道重さんに対して、亀ちゃん、「これ種目が悪かったよ」と悪あがき。「得意不得意があるじゃない」。

すかさず道重さゆみ、「私ね、すごい不得意なのコレ」。

■ 鬼が笑う

今年の締めを行う前にもう来年のことが続々出てきているわけで。ハロプロコンサートもそうだけれど、あとは安倍なつみ一世一代の大舞台「トゥーランドット」。piaの特別先行とかなんかがあったので、大阪公演を申し込み。当選。ゴールデンウィークのことなのでまだまだ先だけれど、楽しみ。去年は「リボンの騎士」、「白蛇伝」とミュージカルを見て、今年は全く見に行かなかったので、久々。このミュージカルのおかげで安倍さんの春のコンサートは確実にないことになったけれど、こういう大舞台に出る、というのはそれはそれでとても嬉しいこと。配役では4番手ということなので安倍さんだけを見に行く、という気持ちで行くとよろしくないだろうけれど、「白蛇伝」だって安倍さんにかかわらず結構楽しめたから大丈夫でしょう。己の文化資本が増殖して困ってしまう。

さらにもう一点、安倍なつみと℃-uteの矢島舞美ちゃんのデュエットソング発売の知らせ。デュエットというとおっさんと姉ちゃんが歌うものと想像してしまったが、調べてみるとそんな定義はどこにもなかった。パフィーとかWとデュオと呼んでいた(はず)ので何となく同性の二人組はそう呼ぶものと思っていた。安倍さんと矢島さんのは「デュエット」なのね。

候補曲2曲から表題曲を一曲選ぶという企画付き。同じような企画は安倍さんの妹さんの安倍麻美ちゃんでもやっていたよな、と思って調べてみると、そちらはなんと15万票もの応募があったらしい。今回の企画は8千弱。

私は投票はしていません。携帯使うのが面倒だったので。この企画自体は大いに期待している。「何故この二人?」というのは確かにあるけれど、それも含めて何か新しいことをやろうという意気を感じるし、そういうのは基本大歓迎。

とりあえず現段階での矢島ちゃんに対する印象あるいは知っていること。「習字を習っていたんだろうな」。何かの企画ものでハロプロメンバー自筆の扇子を売っていて、矢島さんのはずいぶんとしっかりした字だったという。ちなみに安倍さんのはあまり上手いとは言えなかった。ついでに松浦さんのはなんか妙に味のある字だったと記憶している。

2007年12月09日

■ FNS歌謡祭

たまにはテレビを見た感想でも。FNS歌謡祭。

モーニング娘。+OG+松浦亜弥+Berryz工房か℃u-teか両方か(よく分からない)がまとめて出演。合計24人だったらしい。その状況を見て、共演の郷ひろみさんが「お互いの名前覚えてないんじゃない」と突っ込んでいた。高橋愛ちゃんが「覚えてます」とはっきり断言していたけれど、中澤姉さんはどうなんでしょう?だいぶん前のハロモニではほとんど覚えていないことがあったが、さすがにもう覚えたか。意外と安倍さんあたりも怪しかったりして。

2007年12月01日

■ 三年一日のごとく

以下の記述は特に安倍なつみさんのファンにとっては不愉快な内容を含むかもしれません。それでも私には常に「ともにある」問題としてあえて記述します。ご留意ください。


11月30日、そして12月1日、この月の変わり目、この日がくると私はそわそわした感じを抱く。10年前の話ではない。3年前の話だ。私は3年間、この感覚を持ち続けてきた。強く意識するのはたとえば今日など特定の日だが、しかしほぼ日常的に私はこの感覚を感じ続けている。

その感情はいくつかの部分に分かれている。

一つには彼女は3年前のあの騒動について「今」何を思うか、ということだ。彼女の、柔らかで、暖かい笑顔の中に、堅固にして確固たる信念を感じさせる表情、私は時折それを「発見」する。あの日以来、私にとって「アイドル」でしかなかった、「アイドル」として、しかもたとえば松浦亜弥と比べるとやや日和った「アイドル」として、その存在のある種の「中途半端さ」を評価していた彼女のことを、実は全くそうではなくて、突き抜けた人なのだと評価を代えた。つんく♂が彼女を評していう「笑顔が怖い」の「怖」さがわかったという。そしてあらためて思う。彼女は何を思い、歌を歌うのか。

そしてあのとき、「正義」を振りかざした言説、その生産者たちのことを思う。ほとんどの者がもはや自分が書き散らした言葉など振り返りもしないであろう、その者たちの今の心を思う。単に外部の規範に照らして、「悪いことは悪い」とだけ反復していれば良かったその安直さからは何も言葉を生産することの痛みも覚悟も必要なかっただろう。今仮に何か問われても安全だ。また外部の規範を参照し、「間違ったことは言わなかった」とだけ振り返ればよい。そうして今もなお変わらず言説の垂れ流しを続けていることだろう。


そう、あるサイトでは鈴木宗男とそれを支持した松山千春を例に出し、「犯罪者」鈴木宗男をかばった松山千春もまた愚かしい「三文芝居」役者であるかのごとき評価を下し、それを例にして「彼女」の問題を論じていたが、果たして今もなお鈴木宗男を一貫して支持し続けている松山千春は「世間一般から容認されることは決して」ない存在であると言えるのだろうか。評価はいろいろあっても、「いろいろ」な評価をされてしかるべき存在だと「世間」も見なしているのではないだろうか。「世間」とはそのようなものだ。己がすがった「世間」とはそのようにいい加減なものだ、ということにその書き手はたぶん気づくことはないのだろう。


最後に、そのような言説に屈し、頭を垂れ続けた己のことを思う。「彼女」を人質に取られ、己の思うことを書けば、それは「逆に彼女のためにならないぞ」と脅され、その脅しに屈した。「悪いことは悪いと認めることこそが彼女への配慮だ」。その脅しに屈した己の卑屈さこそが、この3年の間、ずっと私の心をざわつかせてきたものの正体だ。

今は更新を止めてしまい、その内容も表からはアクセスできなくなってしまったあるサイトさんの抵抗を思う。私はその抵抗に連なることが出来なかった。問題は彼女に周囲にあったのではなかった。正義を笠に着たバッシング・いじめ言説と、それを直近に見ている「私」との間に問題はあった。私は今もその問題を抱え続けている。

2007年11月30日

■ 十年愛

私は「愛の種」の頃のモーニング娘。を知らないので、ファン歴は10年ではない。モーニングコーヒーの発売の頃は既に知っていたと思うので9年数ヶ月だ。というので毎年11月30日という日にも反応したことはなかったのだが、しかしイベントのレポートを読むとやはり感慨深いものがある。

当時(といっても9年数ヶ月前)、モーニング娘。がメディアに出るのはテレビ東京以外は珍しく、その他のメディアで取り上げられると、その当時既に出来つつあったネット上のファンサイトで大いに盛り上がり、情報交換をしていたりしたものだった。(少なくともネットに接続している)ファンは皆、一つの情報を共有し、「推しメンバー」間の諍いはあっても、やはり一つのものを応援していた、というのは過去の美化か。私はひたすらネットで情報を知り、テレビなどを見るだけの完全在宅派、CDも買わず、テレビの歌披露だけを見ていた故にカップリング曲もろくに知らない「不良」ファンだったけれど、それでも確かにモーニング娘。を応援していた。

10年、それほど長くこのグループが、そのメンバーがずっとこの世界にいるとは想像すらしていなかった。当時のメンバー全員がモーニング娘。「後」、この世界のどこかに居場所を見つけられることを願ってはいたが、それでも「10年」とは想定していなかった。

ファンクラブ限定イベントと言うことで、少し疎外された感じもあったが、改めてこの9年数ヶ月を思うと思いはつきない。

十年ありがとう。

■ 10年一日のごとく

今日11月30日はナゴヤ球場で「愛の種」5万枚を売り切り、モーニング娘。メジャーデビューが決定した日ということで、その10周年ということで、イベントが行われる。行われる、といってもファンクラブ限定イベントなので私には無縁だが。別にいいけれど、ちょっと内向きだな。

私はメジャーデビュー曲「モーニングコーヒー」からしか知らないので、「愛の種」にはリアルな想い出はないのだが、逆にリアルな想い出のあるファンは今どのくらい残っているのだろう、と思ったり。ファンクラブ会員でなくても「愛の種」CDを持っている人を対象にイベントをやったら、懐かしく戻ってくる人もいたかもしれない、とか。そっちの方が話題にはなったろう。

この栄えある記念日前に発売された現モーニング娘。の新曲の売上がとてもよろしくないものであった、ということでファン界隈がまたぞろもめている。「戦犯」探し。OGメンバーの「不祥事」の責任だなどと八つ当たりするものもいれば、リーダー高橋愛がどうのというものもいる。OGメンバーファンと現メンバーファン、そして現メンバーファン同士の醜い諍い。卒業メンバー、現役メンバー、双方のファンにとってはいたたまれない。

2007年11月10日

■ エグゼクティブパス

ハロープロジェクトのファンクラブに関するある新サービスがファンの間で波紋を呼んでいる。もっとも私はファンクラブ会員ですらないので、完全な部外者、正直どうでも良いのだが、議論を読んでいて少し興味がわいた。いったい何故これほどまでに波紋を呼んでしまったのか。

新サービスの名は「エグゼクティブパス」。クレジットカード発行を条件とするSP会員限定サービス。募集人数300人。お値段は一年間で6万3千円。

それでどんなサービスが受けられるかというと、1年に1回コンサートでの特別席ご招待、それとは別にコンサートバックヤードご招待、好きなメンバーとの2shot写真を進呈、その他諸々。

問題となっているのはまず値段。6万3千円が高すぎる、いや逆に安すぎる、という意見も出たりする。高すぎる、というのは要するに「お金持ち」しかそのサービスが受けられない、けしからん、というもの。「エグゼクティブ」パスという名称がまた格差感を煽ったのかもしれない。一方安すぎる、というのは募集人員との絡みで、応募はしたいが、抽選漏れが多発するだろうことを懸念する立場。この値段でこのサービスなら是非受けたいが、抽選漏れするのは我慢ならん、と。

このようにまとめると、実にくだらない、自分勝手な批判だ、という印象になってしまうが、そうとも言い切れない。「高すぎる」という意見はたとえば特別席だとかバックヤード招待だとかは本来小学生ファンこそが受けられて良いサービスだ、という主張にも繋がる。確かにそういうサービスだったら、ずいぶん感じの良いサービスに聞こえたろう。しかし実体は小学生はおろか、(クレジットカード会員を前提としているため)学生ファンをも排除したものになってしまった。それはおかしい、というもの。一方「安すぎる」というのは批判としては確かにたいしたものではない、どちらかというと「高すぎる」という批判を揶揄する意味合いが大きいという気もする。抽選は何だってあるのだから。ただ感覚的には私も「安い」とは思ってしまう。6万3千円で上記サービスが受けられるから金払えと言われたら財布のひもをゆるめそうな感じ。私も相当金銭感覚を狂わされているな、反省。

しかし真に問題になっているのはそういうことではないのだろう。「コンサートバックヤードご招待」、これがいけなかった。コンサートの舞台裏に招待されて、好きなメンバーと(たぶん)握手をして、2shot写真を撮ってもらえる。「エグゼクティブパス」所有者だけが。

ちょっと考えるとこの批判も的外れなように思える。それまでもFCでは海外ファンクラブツアーを開催し、そこでは握手も2shot写真もやってきた。ファンクラブ向けディナーショーも同じだ。もちろん高額のお金を払ったファンに対するサービスだ。そしてそれは特段には批判の対象とはならなかった。今回のサービスのそれと同じようなものではないか。お金を払ってサービスを受けられる、何が問題なのか。

しかしやはり海外ツアーなどとは違うのだと思う。問題はサービス対象が、一般ファンも参加する普通のコンサートにおけるものだ、ということだ。海外ツアーなどはいわば隔離された空間におけるサービスだ。それに関わるファンと関わらないファンは完全に分離されている。お金を払ったファンに対してその空間は作られ、そしてそれに見合ったサービスを受ける。参加しないものはその空間とは基本的には無関係だ。

一方、今回のサービスはそうではない。コンサートは、座席の差はあれども、参加者みなが一つの空間を共有し、それぞれの思い(妄想を含む)を持つ場だ。コンサートが終わる。会場をあとにしながら、一仕事終わったメンバーの「今」を思いやるファンも多かろう。そしてメンバー同士、スタッフも交えて「お疲れ様」などと挨拶をしている姿を想像しながら、心の中で「お疲れ様」と声をかけるファンもいるだろう。会場ではメンバーと一緒に踊り、唄い、そしてコンサートが終われば、心の中でメンバーに対して労をねぎらう、そうしてメンバーと一体感を持つ、そういう楽しみ方をするファンは少なくないだろう。

今回のサービスはその「一体感」を破壊してしまうのだ。コンサートが終わる。自分は会場をあとにする、しかしあとには「エグゼクティブパス」をもったファンが残り、メンバーと歓談をしている(かもしれない)。この疎外感、それはメンバーとの(妄想の中の)幸せな一体感を切り裂くものだ。もしこのサービス対象が「小学生限定」だったら、楽しい妄想を持ち続けることも出来たろうが。

メンバーとの「一体感」に価値を見いだしてコンサートに行くファンからすれば、今回の新サービスが許容しがたいものになる、というのは無理からぬことだと私には思える。実際この一件を聴いてFC会員を辞めるという者、さらにはハロプロを応援するモチベーション自体が下がったという者がブログ界隈を見ていてもかなり目につく。公正に見てもやはり事務所はしくじったのだと思う。

事務所は何を間違ったのか。ファンの妄想力の重要性を軽視したことだ。

■ ちょっといい話

安倍なつみコンサートツアー「アコースティックなっち」名古屋公演で「ご当地ソング」として唄われたのが岡村孝子さん「夢をあきらめないで」。

その岡村さんについて昔聴いたちょっといいエピソード。雑誌のインタビュー記事にて。

インタビュアー「岡村さん、今凝っているものは何ですか?」

岡村さん「肩、かな?」

2007年11月09日

■ イベなち

なっちこと安倍なつみ新曲「息を重ねましょう」発売イベント、大阪会場昼の部に当選。まあこのあと、「本番」のコンサート「アコースティックなっち」終盤4回に参加するので、それほど必死でもなかったが、当選できて良かった。この手の無料イベントに参加するのは2005年モーニング娘。「色っぽい じれったい」発売イベント以来、2年ぶりか。

恒例のモーニング娘。新曲発売イベントは当然として、今年行われた松浦亜弥新アルバム「ダブルレインボウ」発売記念イベントでも握手会が行われたようで、今回のイベントでも握手会が行われる、というのを期待する声がちらほら。私は個人的には握手はいいや。他の人が握手している時間がもったいない。それよりも予定時間いっぱい歌を聴くか、しゃべりを聴いている方がありがたい。それになんというか、「生身の安倍なつみ」を感じたいとはあまり思わない。私は安倍なつみの声を中心として作り出される空気感が好きなのだ。

ただまあ、しゃべって、歌唄うだけでは「アコなち」との差別化が難しいか。

■ 勝手にしやがれ

今は不愉快なことしか書けそうもない。

2ch全体の傾向か、それともモーニング娘。関連掲示板だけの傾向か、書き込み数が激減し、それに伴って中傷書き込みも大幅に減っている。それだけにファンサイトと称する大手サイト掲示板のひどさが目に余る。はっきり言って2ch以下だ。運営サイドに言いたいことは山ほどあるが、メールをしたためる気力がない。前にその運営サイドの一人に別件でメールを送ったが、見事に黙殺されたしね。指摘だけはこっそり受け入れて、しかしメールに対しては何の返答も無し。正直もうあそこをファンサイトと見なすのもいやになった。ファンサイトと名乗りながら2ch以下の言説空間しか作れていないことをもう少し真剣に考えてほしかったのだが。

テレビ東京系で放送されているハロプロ系の音楽番組「歌ドキ!」で矢口真里さんが特集されていて、これまでの登場回数が保田圭さんと並んで2位だと紹介されていた。そして1位だったのは後藤真希さん。後藤さんはこれ以上出演回数を増やすことが出来るのだろうか。

私はこの番組での後藤さんが特に好きだった。登場回数も多ければ、歌っている歌も私好みのものが多かった。安全地帯「じれったい」、沢田研二「勝手にしやがれ」、中森明菜「DESIER」、杏里「CAT'S EYE」、山口百恵「横須賀ストーリー」など曲も懐かしければ、それを歌う後藤さんの歌唱力も素晴らしかった。またこの手の真っ当な「歌謡曲」をうたう後藤さんが見られることを願う。Avexへの移籍を望むファンもいるそうだが、この手の歌謡曲は今の所属事務所、そしてつんく♂の強いところ。私は今の事務所で活動を続けることを望んでいる。

その「歌ドキ!」で少し前に大谷雅恵がソロで「つぐない」をうたっていたのを改めて見た。さすがだった。くさくさした気分が少し和らいだ。

2007年10月28日

■ 卒業

明日からはまたしばらくネットにアクセスできなくなるというときに。

後藤真希、ハロプロ卒業とか。

いろいろ予兆のようなものはあったけれど、一時休養するとかそういうことになるかとは思ったけれど。「活動の方向性の違い」か。単にご家族のことだけではない、いろいろなことがあったのかもしれない。それならそれで後藤さんが納得のいく活動をしていくための決断というのなら、それはそれで前向きに受け止めよう。

ただ本来だったらもっと事前に発表して、冬のハロコンできちんと卒業式も出来たはずだが、それもかなわない。

それでもご家族のことは悪くいうまい。弟さんのことで「他のハロプロメンバーに迷惑がかかる」のが卒業の一つの理由らしいが、後藤さんの側からすれば、ご家族を守るために今回の決断をしたのだというような気が何となくしている。ハロプロに所属したままでは守りがたい事情が何かあったというか。よくは分からないけれど。いずれにしても後藤さんにとってはかけがえのない家族なのだから、悪し様には言うまい。

今年の秋のコンサート、松浦亜弥さん、モーニング娘。を優先して今回はスキップしてしまった。一度はいっておこうと思っていたのに。今日のツアーファイナル、明日からの仕事がなければ駆けつけたい思いもあったのだけれど。世の中、上手くいかないものだ。

2007年10月23日

■ おら街中さ帰りてぇだ

しばらくはネットもできない山の中での隔離仕事。なっちこと安倍なつみのニューシングルは現地へ行く途中で買うと思うが、CDを聞ける環境ではないので、実際に聞くのは金曜日の夜。ついでに来週も月曜から水曜まで同じ場所で隔離仕事なので、安倍なつみコンサート「アコースティックなっち」大阪、名古屋公演にも参加できず。もちろんネットにつながらない以上、状況把握もできない。

テレビもねえ、ネットもねえ、CDもDVDもなんにもねえ。

自然に囲まれた健康的な生活。80年90年代初頭の気持ちを思い出せる、とても文化的な生活。地球環境にも優しいエコな生活。

2007年10月09日

■ リスク管理

究極のリスク管理法は車を運転しないことだ。

ま、単に私の生活信条であるだけなので、一般化して主張できる性質のものではないのだけれど。ちなみにどうでも良いが私は生涯喫煙と車の運転はしないことに決めている。飲酒はしますが、何か?

また買った車がいきなりRVって。「らしくない」という感想も見たけれど、私は逆に「らしいな」とは思いました。そういうのにあこがれる人ですよ、何となく。人から天然だ、頼りない、といわれるのに納得できなくて、彼女の理想の自己イメージは逆にしっかりしていて、かっこよくて、自立していて。車は単に便利だから、という以上の思い入れがあったという気がする。自己実現の一環。それ自体はとてもいじらしいことなのだけれど。

でも彼女にとっての一番大事な自己実現とはステージに立つこと。運転なんてものはそれとは比較にもなるまい。それはファンの思い入れの押しつけとかではないと思う。彼女がそのことにこれまでの人生を賭けてきたこと、それは彼女のこれまでの発言を見聞きすれば明らかだ。

それを脅かしかねないリスクを少なからず伴う「車の運転」なんてものはやっぱりやめておいた方がいいんじゃないか。

車で出かけたいときは妹さんに運転してもらえばいいじゃん、ってそれは違う。

■ 金欠

夏のハロープロジェクトコンサートのDVD。二枚組か。

二枚目だけで千円とかで売ってくれないかな。

2007年10月08日

■ 戦線離脱

普段は何にせよこういうことがあるとネットでの言説を観察して、それに対する己の言説的立場を決めるのだけれど。今回は無理です。卑怯だけれど安倍さんファンサイトのみを閲覧します。現実逃避。

ずるいけれど、ま、所詮は一ファンだし。

■ なにやってんだ

安倍なつみ、人身事故。

なにやってんだか。免許取ったばかりというのと、車どんなのを買おうか、悩んでいる、というのは聴いていたけれど、結局車買ってそうそうに事故かよ。

幸いあいては軽傷ということらしいけれども。

今更いうのも反則だが、免許なんて取ったら駄目だって。そんなにあちこち気を回せる性格も生活もしていないのに、何で免許取ろうと思ったのか。そこから根本的に間違っている。

なにやってんだか。

2007年10月01日

■ 空気が読めない

冬のハロプロコンサート、藤本美貴「都合により」欠席。公式サイトには本当にそうとしか説明されていないのだ。でも何が何だか分からないかというとそうではなく、ハロプロファンのおそらくほとんど全員がその「都合」という奴を理解できてしまう。

いや、本当には何も分からないのだ。事務所がファンの恋愛アレルギーに配慮したものか、事務所と藤本美貴の間にファンの意向とは無関係の軋轢があったのか、藤本美貴本人の意向があったのか。

ファンサイトの掲示板あたりではいつものごとく恋愛反対派とやらが「規範」を振りかざす。しかしそれがファンの一般的な傾向では断じてない。藤本美貴の人気は根強い。件の記事が出た後のGAMコンサートでも藤本美貴への声援は少なくなかった。藤本美貴に「裏切られた」などと思っている藤本美貴ファンは実はそう多くはあるまい。ただ恋愛などいかにもしなさそうなメンバーを探してそれを応援対象とする一部のファンが「伝染」などというような妄想を振りまいて非難しているのが目につくぐらいだ。

そんなことは普通にネットやら「現場」やらでファンの雰囲気を読んでいれば容易に理解できることだ。ファンの恋愛アレルギー、そんなものは大して力はない。そして事務所だってそのぐらいのことは分かっているだろう。

なのに藤本美貴を「干す」ということがファンの間でも、それに賛同・共感などしていない者たちの間でもいわば当たり前の決定として了解されてしまう。そして事務所はその当たり前の決定を下す。この空気はいったい何なのか。

事は事務所を非難して済むことではないように思う。そしてまたハロプロファンの恋愛アレルギーに原因を期すことも出来ない。ファンの思いとも事務所の利害ともずれた決定が当たり前のように流通していくこの空気。それ何なのかはよく分からない。

■ 恋をしちゃいました

アイドルに恋をしたっていいと思う。「疑似恋愛」なんて言葉もあったりするが、疑似ではなくて、本当に恋をしてしまってもよいと思う。恋をすれば、独占欲のようなものも持つだろう。相手の異性との関係に嫉妬もするだろう。そして恋愛話が表に出れば、振られたと思うだろう。

振られれば泣けばいい。それが客観的に惨めだろうと、「俺の青春を返せ」とでもわめけばいい。もっと見苦しく「俺が費やしたn万円を返せ」と言ってもいいと思う。どうせ振られた側は惨めなものだ。

そして本当に振られた者はそうして見苦しき姿をさらすか、あるいは格好をつけて、相手の幸せを願う、とか何とか言ってやせ我慢するものだ。そして多くのものは別の恋を探す。あるいはアイドルを「アーティスト」として応援している者に連なる。

あるアイドルの恋愛発覚を大仰に非難している者の多くは、実際にはそのアイドルに恋している者ではない。誰か別のアイドルに恋をしていて、そしてその恋がいつか確実に終わるという当たり前の予感におののいて、そのおそれから目を背けたくて、おそれを予感させた事象をもっともらしく非難しているだけだ。「僕が好きな某ちゃんに悪影響が出る」。

振られるのは誰しもいやなものだ。だから自分が恋をするアイドルの異性関係が無きことを願うのは当然だ。しかしそうした願いを正当化して「規範」を振りかざすのはあまりにも見苦しい。

クラブの女性に恋をして、その女性に恋人がいることが分かって、店に強硬にクレームをつける客がいたら、その客は店から出入り禁止を食らうのではないか。そうはならずともあまりにも無粋な言い分として誰にも相手にされるまい。まして同じ店の別の女性の恋愛が発覚して、「僕の某ちゃんに伝染するから、そいつを辞めさせろ」などといったら正気を疑われるだろう。

疑似恋愛対象となりがちなアイドルに恋が発覚すれば、人気面で打撃を受ける、それはある意味仕方のないことだ。だから事務所としては何とか対策を立てようとするところもあるだろう。それもある意味仕方のないことだ。しかしそれはファンが、正当な権利として要求するようなものなのか。「振られたくない」はいい。しかし「俺を振るな」は「疑似」であれ、恋としてはいかがなものか。

■ 冬ハロプロコンサート

想像してみよう。

中澤裕子、安倍なつみ、保田圭、矢口真里、後藤真希、石川梨華、吉澤ひとみ、藤本美貴、松浦亜弥、メロン記念日、前田有紀がそろったコンサートを(前田有紀は不要だとか言うな)。

なにやら仕事が入ったらしい後藤さんは仕方ないとして、いったい藤本美貴が何をしたというんだ?

2007年08月13日

■ 欠番

月曜日は二期、五期、金曜日は一期、三期、五期、七期を堪能する贅沢な一週間。

四期、六期がない。

2007年07月30日

■ 踊るアイドル曲

昨年に引き続きMUSIC FAIR21でハロプロ集合。去年は女性アイドル特集、今年は「踊る!アイドル曲集」。

去年は去年で相当楽しかったのだが、今年はなんか去年以上に楽しかったように思う。今年は男性アイドルの曲が混じっていて、正直それは少し微妙かな、と思い、やっぱり女性アイドル曲限定の方がよかったな、と思うのだが、なのに視聴後の感想は今年の方が上だ。

懐かしのアイドルというところでは定番のキャンディーズ、去年は後浦なつみ(後藤真希、松浦亜弥、安倍なつみ)で「春一番」、今年は同じメンバーで「暑中お見舞い申し上げます」。去年は衣装がバラバラだったが、今年はきちんとキャンディーズっぽい衣装でそろえる。今この三人でこのぶりぶりアイドル路線で曲出しても、結構いけるのではないかと思うできばえ。ただあのころはランちゃん派だとかスーちゃん派だとかで他愛ない争いがあったように記憶しているが、今はネットで読むに耐えない罵詈雑言を浴びせあう、ネットで人は言葉を発する機会を大幅に得たが、言葉そのものは失ってしまった。この三人の姿を見て、なぜ憎しみをぶつけ合うような言葉が生み出されてしまうのか。

閑話休題、そのキャンディーズについてのトークにおいて、安倍さん、「キャンディーズさんが三人だということを正直知らなくて、二人ぐらいかなと思って」。松浦さん、失笑。最初映像を見たとき、「え、安倍さん知らないのか」とだけ思ったが、ふと「さて去年はどうしてたっけ」と確認してみた。もちろん上で書いたように去年も安倍さんを含む3人でキャンディーズの曲歌ってました。そりゃ、松浦さんもあきれるほかない。

石川梨華、吉澤ひとみ、高橋愛の三人でシブガキ隊「NAI・NAI16」。髪切った愛ちゃんが小学生に見える。

途中、スクールメイツが登場、懐かしい。と思ったらBerryz工房ですか。少しくらいはメインで歌わせてあげたらよいのに、と思った。一応クレジットに名前はあるのに、スクールメイツ扱いは少しかわいそう。

松田聖子「天国のキッス」。道重さゆみ、松浦亜弥、安倍なつみ、光井愛佳の4人が並んで歌う。松浦さんがすごく大人に見える。安倍さんはまりすぎ。

イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」。ヨシオに吉澤ひとみ、ワルオに松浦亜弥、フツオに安倍なつみ。非常にうまくはまっている。吉澤さんは元々バラエティ好きなのは織り込み済みだが、それにもまして松浦さんが抜群の対応力。二人で殴り合う振り付けを実に器用に演じる。安倍さんが平凡で少しブリっ子の入っているフツオをこれまた淡々と演じる。この3人でコントをやればとてもはまりそうだ。

Winkの「愛が止まらない」。Winkというとなぜか「淋しい熱帯魚」がまず浮かぶのだが、調べてみるとシングル売り上げはこちらの方が上らしい。改めて聞くとこちらの方がWinkらしいのではないか、という気がする。振り付けも二人がバラバラで、メロディ、リズムが何ともつかみ所がなく、不思議な雰囲気を漂わせる。この曲と比べると「淋しい熱帯魚」の方は少し日和った感じがする。

改めて去年の映像と見比べてみて、去年よりもさらに今年の方がよく感じたのがなぜだったのかを考えてみる。比較的あっさり答えが見つかる。

安倍さんが今年の方が可愛かった。

2007年07月29日

■ 投票行った、外食はしていない

本来誕生10年を記念してモーニング娘。OGを含めて、メンバー勢ぞろいで行われるはずだったハロプロコンサート。それがあろうことかわざわざOGをはずして行うという。10年目の人がいない10年記念。Berryzとか℃-uteとか、メンバーもファンも別に10年なんてことに思い入れないよね。

代わりにモーニング娘。誕生10年記念隊コンサートを実施するということだが、ぜんぜん「代わり」になっていない。10年をどう祝うつもりなのか、と思っていたら、突然の知らせ。

ハロプロコンサートで最終の埼玉公演でのみ、スペシャルゲストとして娘。OGが出演するという。中途半端。それでも中澤裕子から吉澤ひとみ、石川梨華まで揃う、というのは最近ほとんどないこと、興味が出る。しかしその知らせを聞いたのが月曜日だかで東京出張中。仕事が終わるのは土曜日。行くとしてもコンサート最終の日曜日、当日券なんて入手できるのか、そのために余計に一泊しなければならず、選挙にもいけない。

そんなこんなで参加せずに、自宅に戻って、ネットでセットリストを確認する。「ザ☆ピ〜ス!」と「 Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜」を歌ったという。中澤さんがいるときの曲をやらないとは。せめて「恋愛レボリューション21」ぐらいはOGでやって欲しいのだけれど。

正直、無理していかなくてよかった、などと思ったりする。真の10年記念祭はいつ、どのような形で行うのだろう。

2007年07月22日

■ 男の子好み

高橋愛さんがなぜか念願だったらしいショートカットにしたと思えば、なっちこと安倍なつみさんも久々のショート。

大分前のハロモニで安倍さんと高橋さんの顔相が似ていて、おまけに髪形まで似ているので二人はぶつかる、なんていう顔相占いをやっていて、どっちかが髪形を変えればよいとか言っていた。そのときは二人ともロングだった。そしてどちらも髪型を変えずに今まで来て、高橋さんがようやくショートにしたと思ったら安倍さんまでもが。相変わらず相性は悪いままなのか。

高橋さんはショートにすると同時にパーマをかけて、それが少なくともファンサイドには不評だったが、程なくストレートに戻す。一方安倍さんはショートで黒髪。どちらも「男の子」好みの髪型。ファン心理をようやくつかんだか。

その安倍さんのショートヘアを最初に見られたのが、テレビ東京のバラエティ番組「ミリオン家族」。応募者の自宅へいき、かくれんぼをして最後まで見つからなければ応募者に100万円がもらえる、という趣旨の番組(らしい)。安倍さんは「鬼」の立場で隠れた応募者の家族を探す役どころ。

この安倍さんが驚くほど可愛い。もう25(もうすぐ26だ)だし、本人も「おとなっち」を強調するし、逆にいわゆる「ロリコン」的アイドルファンの嗜好とはずれていくのかな、と思っていたが、いやはや、まだまだ「アイドル」やれますよ、安倍さん。

■ 先輩振り

アロハロ!2モーニング娘。DVD。

これがなんとも面白い。本来だったらテレビで放送してくれたらただで見られて、それぐらいでいい内容だが、今はこの手のバラエティものでモーニング娘。をテレビでは扱ってくれないので、3990円の支払いもやむなし。

メンバーが2人一組になってハワイオアフ島の方々に放り出されたところから、目的地に向かって旅をする、という企画。リーダー吉澤ひとみと「パシリ」新垣里沙、同期コンビ道重さゆみと田中れいな、ヘタレ先輩亀井絵里と能天気久住小春、責任感は人一倍あるが頼りない高橋愛に新人光井愛佳。そして目的地からいろいろ指示を出すのが抽選で選ばれた藤本美貴。

この組み合わせが絶妙。

大雑把だが自信満々の吉澤さんに対して、あれこれ気が回る新垣さんが振り回される。吉澤ひとみのリーダーとしてのスキルを見たり。いい加減なようでいてポイントはしっかり抑えている。やっていることはかなり無茶だが、無事帰り着くことに関してはまったく不安を抱かせない。

この企画の醍醐味はバスをいろいろ乗り継ぐところにあるのだが、吉澤さん、最初からタクシーで移動する気満々。藤本さんからそれは辞めろと新垣さんに指示が行き、新垣さんが懸命にいさめる。これで懲りたかと思いきや、最後の長距離移動にバスを使わずタクシーに乗り込む。おきて破り。お金が足りなくなり、最後は途中でタクシーを降りて後は目的地まで歩く。途中、ルールどおりにバスを乗り継ぎ、最後のわずかな距離を指定どおりタクシーに乗った高橋・光井組に抜かされ、吉澤さんがぼやく。「タクシーずるいよ」。いや、ずるいのあなただから。

同期コンビの道重、田中ペア。まじめでしっかりものの道重さんが気まぐれでわがままな田中さんをなだめすかして引っ張る。コース的に一番大変なコースだったため、帰り着くのが一番遅かった、とか、遅くなったために途中からタクシーを飛ばして帰らざるを得なくなった、とかそれは仕方がない。それで最後お金が足りなくなって、高橋・光井組からお金を借りた、というものやむをえない。しかしだよ、150ドルの資金から視聴者へのお土産代として99ドル使う、ってのは少し無理があるんじゃないの。残りの金で昼食、おやつ、バス・タクシー代払おうとすれば、そりゃ足りなくもなるでしょう。でもそんなことは一切気にせず、視聴者プレゼントにお金を割く、というのは視聴者思い、というべきか。

いい加減なのに気が小さい亀井さん、目的地までの資料も適当に流し見て、「大丈夫だよね」。その一方で、「小春ちゃん心配」、と後輩に責任をおっかぶせる。「頼れる人が一緒に行くかなと思ってたら小春ちゃんだった」ってそりゃひどい。もう中堅なのだから。道中でもしょっちゅうパニック気味になり、藤本さんになだめられる。久住さんは久住さんでバス乗り場に張ってあったバスの音声ガイダンス用の電話番号に電話して、録音済みの音声が流れる電話先に向かって叫ぶ。

「バスカモーン」

こちらは度胸満点というかなんと言うか。それに対してすかさず亀井さん「ウソつけ!」、唯一先輩らしさを見せた場面。

吉澤さん卒業が迫り、その後はモーニング娘。最古参、かつサブリーダー就任が決まっていた(実際にはすぐにリーダーになってしまったが)高橋さん、二人でひとつのアイスを食べたり、と無駄遣いせず、最後まできっちりお金を残し、ルールどおりに移動して、一番最初に目的地に到着。途中やや早い目にバスを降りてしまうなどのミスもあった(*1)が、何とか英語を駆使して後輩光井さんを引っ張る。

とそのあたりはなかなかの先輩振りなのだが、いまだにコミュニケーションは苦手なようで。新人光井さんに対して人見知り。出発点まで移動中の自動車中、光井さんと二人並んで後部座席に座っているが、光井さんのほうは見ずにだまって前方の車窓をつまらなそうに見ている。光井さんは何とかコミュニケーションをするチャンスをつかもうと、高橋さんと同じポーズをとりながら、高橋さんの様子を伺う。そして何とか勇気を振り絞って高橋さんに話しかける。

「今日はいっぱいしゃべれたらいいですね」。

「何を?」

いや、それってひどくないですか、高橋さん。

-----------------------------------

*1 DVD上では高橋・光井組は乗るバスを間違えたというテロップが出ているが、どうもそうではないようだ。編集するときに、映像を適当に見て間違ってテロップをつけたのか、あえて面白くするためにそのような編集をしたのかは不明。

2007年07月13日

■ 侮りがたし

大学の授業最終日。

これまでこちらが提示した課題を学生さんに解答してもらいながら進めていた。課題にはダミーの人名を使うことがある。そのときには当然「中澤、飯田、安倍、保田、矢口・・・」。「村田、大谷、斉藤、柴田」も入れておく。

最終日、最後に学生さんに課題を作成してもらった。そのひとつ、「裕子、なつみ、圭、希、真里、愛、ひとみ、彩、純」。

「希」が惜しいよな、などと思いながら見ていると最後に「純」。はて、「純」て誰?Berryz工房や℃-uteにもそんな名前のメンバーはいなかったような。

所詮「希」なのだから、と侮っていたのかもしれない。最後は適当に書いたのだろうと思った。

後でふと気づく。もしかしてモーニング娘。8期メンバーの「ジュンジュン」の本名?調べてみたら果たしてそうだった。カタカナでばかり見ていたから気づかなかった、というのはせめてもの言い訳、己の不明を恥じる。

2007年07月04日

■ アコースティックなっち

春にツアーをやったので、秋はないものと思っていたなっちこと安倍なつみのコンサート。趣向を変えて、小さな会場で、「アコースティック」なライブをやるとの情報が。

小さい会場ということでチケット取るのが大変かな、と思って日程を見てみたら、大阪公演日はまともに仕事で無理。次に行きやすい名古屋も同じく無理。行くとしたら広島か最終の福岡か。しかしどちらも日帰りはつらそうな日程。どうせ泊りがけでいくのなら福岡のほうがよさそうなのだが、最終日の上に会場が小さいので、チケットの入手は難しそう。となると広島狙いしかないのか。

中学校のときの修学旅行以来の広島か。ついでといっては何だが、原爆ドームぐらい見に行くのかなあ。まあ、一般販売の情報が出てから考えることにしよう。

■ 購入品

モーニング娘。ライブDVDなど買うべきものがたまってきている。が、値引きに惹かれて一式をAmazonで頼んでしまって、しかも手間を惜しんで来週発売分と一括して注文したので、しばらくは届かない。

ということで購入したのはモーニング娘。誕生十年記念隊コンサート大阪公演チケットのみ。

8月に出る新曲あわせてシングル二枚しか出していないのに、何をうたうのだろう、そもそもなちかお(安倍なつみ・飯田圭織)、なちごま(安倍なつみ・後藤真希)はいいとして、そのあたりと新垣里沙、久住小春との接点が弱い。モーニング娘。のどの時代の曲を歌ったところで、そこに「共通の思い出」がない。断絶した両者をつなぐものがない。メンバー選別の際の「穴」が大きく感じる。

どうせ誕生10年を言祝ぐのであれば、夏のハロプロコンサートをモーニング娘。現役メンバーと卒業メンバーをそろえたものにすればよいのに、などと思ったりもする。そうすればおのおのの「私の中のモーニング娘。」を見られて、10年記念としてたとえようもない祭典になったろうに、と思う。

そうはいってもなっちこと安倍なつみいわく「すごいセットリスト」らしいから、期待しておくこととしよう。

■ 年代

長い長い仕事が終わった。某会社の新人研修の講師。

例題にハロプロメンバーの名前を使いまくったら、完全に「ヲタバレ」した。最後に受講者から色紙をもらった。「おニャン子クラブのほうが好きだ」と書いた受講者がいた。

君は何歳だ?

2007年06月24日

■ チケット代25,000円、高橋愛のぐだぐだぶり鑑賞Priceless

恒例となるか、夏のディナーショー、と期待していたら、あらら、今回はなっちこと安倍なつみじゃないのね。

ややテンション低めに、つらつらと出演者を見ていたら、愛ちゃんこと高橋愛の名が。というので、早速申し込んでしまった。二期(保田圭・矢口真里)と高橋愛の「ミックス」ディナーショー。いまいちよく分からない組み合わせ。二期は二期の絆ってものがあるし、ファンにも二期には二期なりの想い出がある。その中には高橋愛はいない。一方高橋愛目当ての立場から見れば、「二分の一」ならともかく「三分の一」は薄まりすぎだろう、と。どっちの立場から見ても少しずつ不満が残りそうな組み合わせだ。

ただまあじゃあ高橋愛がピンでディナーショーを仕切れるか、というとあまりそういう気もしなくて、同い年?の松浦亜弥が仕切れているのだから、本来はそれぐらいは出来て当たり前なのだし、やや過保護という気もしないでもないが、事務所的には「保護者」が必要ということなのだろう。それで果たして誰が「保護者」としてふさわしいか、というと、これが誠に失礼な話ながら、「二期」なのだな。

いずれにせよ、二期には二期で歌うべき歌があるし、高橋愛は高橋愛で歌うべき歌がある。しかし三人で歌うべき歌が浮かばない。3人でなにを歌うのか、その組み合わせの妙やいかん、そして今や娘。リーダーとなった高橋愛が先輩相手にしっかりしたところを見せられるのか、結構見所の多いディナーショーである。

■ 夏雲あがれ

もう早くも半分すぎてしまったが、なっちこと安倍なつみ出演のNHK時代劇「夏雲あがれ」、感想。

なんて初々しいんだ。ドラマ出演もそれなりに数はこなしているというのに、なに、この新人アイドルのような初々しさは。

ドラマとしては、まあ、なっちが出ていますな、と、最初はそんな感じだったが、「関屋の帯」が話に絡み出してからは俄然おもしろくなってきた。

2007年06月21日

■ 「救世主」とか

そんなことが言われてなけりゃスルーしたんだけれどね。

大学生になることなんかよりも、アイドル・歌手でい続けることのほうがずっと貴重にして崇高なのだということ、とりあえず言いたいことはそれだけだ。

2007年06月02日

■ わかっていること

一方的に辞めたわけでも、逆に辞めさせられたわけでもなくて、双方の思惑の落としどころとしてこういう結果になったはずで、そうであるならば一方的に藤本さんをどうこう言えるものではない。それはわかっている。

彼女が娘。に残って、リーダー職を全うする、と決断すれば、それは可能だっただろう。もちろんそれにはさまざまな犠牲が伴っただろうし、その中にはおよそ非人間的なもの(報道された人と「別れる」)も含まれていたと思うから、それを受け入れるべきだった、などとは到底いえない。それはわかっている。

「モーニング娘。としての約束を破る」だなんてかっこいいだけの言葉を残して辞めてしまう、というのはどうにも残念でならない。いいわけもかっこいい言葉も発せず、ただただ針の筵に座らされようとも敢然と舞台に立つ、そういう人をこそ、私は応援したかった。

私自身は針の筵に座らされるぐらいなら辞めてやるなどという、そういう人間だ。今もそう。ある仕事を続けるか、辞めるか、迷っている。そんな状態だから人のことをとやかく言える筋合いではない。それはわかっている。

でもそうであればこそ、私がモーニング娘。の中に見てきた「約束」とは「自分自身へのケジメ」なんてそれこそ軽くて仕方のない言葉で辞めてしまうようなものであって欲しくはなかった。

藤本美貴が高橋愛と出演しているラジオ番組「ヤンタン」での藤本美貴は、一見へらへらしているようでも、その実、いっぱいいっぱいで、それでもきっちり仕事をこなし、自分のことでいっぱいいっぱいなのに相変わらず高橋愛を気遣う彼女の態度は、番組最後に明石屋さんまさんに「よくがんばった」といわれていたように、立派な態度だったと私は思った。彼女が公式コメントで残した言葉はとても軽く感じるけれど、発表がこの時期にまでずれ込んだことからしても彼女は彼女なりに悩みぬいたのだと思う。決して軽い決断ではない。それはわかっている。

ヤンタンを聞いて、東京で行われたGAMコンでの彼女の様子をネットで読んで、彼女はモーニング娘。をやめないだろうと私が勝手に見積もったとき、私の中での彼女の「推し」度は最高に高まった。GAMコンにおいて、6:4で松浦亜弥乗りだった気持ちが9:1で藤本美貴乗りになるほどにまで、この期に及んでぐだぐだなコメントしかできない愛すべき高橋愛を一瞬しのぐほどにまで、高まった。その気持ちの落としどころがわからない。私が勝手に期待して、勝手に落胆しているだけだ。それはわかっている。

2007年06月01日

■ 勝手に期待して勝手に裏切られたと思う

がっかり。

ちょっとだけ、たぶんちょっとだけ、藤本さんにがっかり来てしまった。

日曜日はGAMコンか。。。

2007年05月25日

■ 黒でも白と言い張るべきこともある

いわゆる「推し」度の低いメンバーならスルーするところだけれど、大好きなメンバーのことだから、あえて触れておく。

美貴帝こと藤本美貴、「熱愛」発覚。

この「熱愛」とかいう言語感覚が腐っているとしか思えないような言葉、どうにかならないものか、といつも思うのだが、それはよいとして。

事務所は黙殺の方向のようだ。Good job。断固黙殺あるいは何か言うにしても、「仲の良い友達の1人」で貫き通せ。マンションでは「Wii」でもやっていたとでも言い通すべし。

この点では私は藤本美貴も信頼している。くだらない泣き言だかのろけ話だかをしゃべるような人ではない。完全にそしらぬ顔を貫き通せばよい。せいぜい、松浦さんの時のように、遠回しにファンに「ご心配をおかけしました」とだけ言っておく。それで十分だ。

私は基本的にはプライベートでは何をしても良い、と思っているが、しかし一方で「公」的には恋愛話などをして欲しくない、とも思っている。一つにはそのようなプライベートを売り物にするような安いタレントであって欲しくない、というのがある。私が応援している人たちはプロの集団なのだ。

もう一つは、一応彼女たちは「アイドル」である以上は「公然の秘密」という領域は大切にして良い、と思うからだ。梨華ちゃんこと石川梨華はトイレで「大」などしないし、なっちこと安倍なつみの背中には羽が生えているし、まっつぅこと松浦亜弥はまだ20歳だし、モーニング娘。メンバーには恋人などいない。「そんはなずはない」などと言うのは野暮というものだ。嘘を本当として信じてみせる、そこに宿るユートピアというものもきっとあると思う。

2007年05月13日

■ 福か、災いか

とりあえず「残念」というしかない。

もちろんまっつぅこと松浦亜弥ニューシングル発売中止の件だ。

「中止」というのが「延期」の別名なのか、真に中止なのかもよくわからない。いずれにせよ、一度延期になったシングルが今度は中止というのはあまりよい話ではない。

作曲・作詞段階で何らかのトラブルでもあったか。もうすぐ発売のGAMのアルバムの目玉の一つとして、シングル発売予定を取りやめて、こっちに収録したとか、そういうせこい話なのだろうか。そうだとすれば、藤本さんのソロ曲も収録されるということか。それならそれほど悪い話ではないのかもしれない。とりあえず松浦さん本人の問題ではないものと思っている。GAMコンサートが中止とかそういう話は出てきていない。

今日はGAMコンサートのチケットを入手した。予約していたのは昼だけだったが、夜もファミリー席が取れたので、勢いで買ってしまった。昼・夜の参加。一日まっつつと美貴帝のデートを見物するぞ、と浮かれていたら、このニュース。最終的にはよき知らせにならんことを。

2007年05月10日

■ 恋愛ソングではなく

取るものもとりあえずなっちこと安倍なつみ新曲、Too far awayを聴いている。

コンサートで聴いたので、初聴ではないのだが、改めてCDで聴くとまた少し違って聞こえる。

しっとり、落ち着いた、語りかけるような歌いまわし。最近の安倍さんの歌い方。

元曲は男性視点で書かれた詩を女性視点に作詞しなおしてのカバー。そしてカップリングとしてオリジナルバージョンも収録されている。

安倍さんが歌う、ということで「女のこころ」なんてべたべたな副題の付いた女性視点バージョンが表題曲なのだが、正直、オリジナルバージョンのほうが断然よい。

もしもあなたの手が胸に届いたら

私・・・星の降る中で

君を風に変えて空に飾りたい

僕は星になって君を守りたい

スケール感が違いすぎる。今の安倍さんの歌い方にあっているのはオリジナルバージョンのスケール感だ。また「僕」という男性の一人称で女性が歌うことで曲の中の「性」性が薄れ、恋愛を超えた普遍的な「愛」をうたう曲になる。「僕」は目の前の歌い手ではなくなり、神の視点に立つ者になる。前にも書いたとおり、そういう普遍性・一般性のある曲のほうが安倍なつみにはあっていると思う。

2007年05月09日

■ テキーラ、シャンパン、梅酒

時間が取れないので、話題がどんどん古くなっていく。

MusiGという音楽?番組にモーニング娘。年長組、吉澤ひとみ(もう卒業してしまったではないか!)、藤本美貴、高橋愛の三人が出演。屋台でおしゃべりをするという設定。出演者はアルコールを片手に話を進める。

モーニング娘。至上最高にかっこよかった大リーダー吉澤ひとみはテキーラを注文。漢だ。

大人の女、藤本美貴はシャンパン。うーむ、おしゃれ。惚れてしまいそう。もともと好きだけど。

ここで一番若い高橋愛、どなん60度、とか頼めば、もう絶対に惚れ抜くところだったのだが、「うめしゅで、ソーダ割で」。

もうどうせなら「ホットミルク」ぐらい頼んで笑わして欲しかった。中途半端。

2007年05月01日

■ 原点

モーニング娘。シングル売り上げ総枚数、ピンクレディーを抜いて、女性グループ歴代一位。

なんとなく「今頃かよ」という気がしないでもないが、何はともあれ、めでたいこと。

その輝かしいシングル曲「悲しみトワイライト」、前曲「笑顔YESヌード」に引き続いてマイナー調の曲なのだが、同じマイナー調の曲でも、なんとも対照的な仕上がりとなっている。「笑顔」は非常に洗練された仕上がり。なんというか、凝ったつくり。音楽には詳しくはないので、ジャンルはわからないが、何か横文字のジャンル名が付くのだろう。一方の「悲しみ」のほうはダサダサ。典型的なアイドル歌謡。同じ人が作曲したとは到底思えない。

もちろん私が好きなのは後者だ。ダサダサのアイドル歌謡をダサ可愛い娘。たちがかっこよげに歌う。モーニング娘。の原点だ。

2007年04月27日

■ ダンシングたいせー

今日、初めて「歌ドキッ」を心眼でなく肉眼で見た。

テレビ大阪でも放送を始めたというのは知っていたが、自宅ではテレビ大阪がまともに映らなくなったので(おそらく「地デジ」のせいだ)、なかなか見られなかった。今仕事で大阪のホテルに泊まっていて、何気に番組表をみたらちょうど始まる時間だったので、見た。

東京で放送されているのと同じ回のものを放送しているとは思っていなかった。半年以上前とかにテレビ東京で放送されたものを使いまわしているのだと思っていた。そうか、東京人と同じ回のものを大阪でも見られるのか。ハロプロ後進国の大阪にしては上出来だ。

今日は辻ちゃんこと辻希美さんが、「ダンシングヒーロー」を歌っていた。辻ちゃんを見るのはなんだか久々の気がして、思っていた以上に大人で、すこし驚いた。あいかわらず共演のたいせーが邪魔だった。

2007年04月14日

■ ユートピアハロプロ主義

余裕の持てない精神状態なればこそ、ユートピアを求める。家族のように親密で、利害を超えた結びつきがありながら、家族のごとき血縁イデオロギーに毒されておらず、それゆえに家族のごとき閉鎖性をもたない集団。市民社会と家族の止揚という昔からあるユートピア願望の一部をモーニング娘。、ハロプロは満たしてくれる。さまざまな揺らぎがあっても、そこから巣立っていくものたちが出てきてもなお、モーニング娘。、ハロプロには回帰する核があって、ユートピアのきらめきの一端を垣間見させてくれる。

いろいろあって、特にこの半年、いろいろあって、それでもなお、ハロプロにユートピアを求め続ける。

2007年04月03日

■ 捨てる神あれば拾う神あリ

スポーツ報知ウェブサイトより

つんく♂が加護に「応援していきたい」

「復帰に向けて頑張ってきたのに残念」と語り「芸能界復帰はともかく、プロデューサーとしての親心から、大きな意味で応援していきたい」と話した。

うん。良くぞ言った。見直した。えらい。感動した。

ほんま、頼みます。

2007年03月30日

■ 冒涜

エルダークラブ、ワンダフルハーツ、全部集合した「〜集結!10th Anniversary〜」。こちらも時間の関係上、厳選して見る。

エルダークラブで見たのと同じ曲、メロン記念日「お願い魅惑のターゲット」。あんたよっぽど好きなのね。そりゃそうだ、久々のメロン記念日の新曲、これが神の舞い降りた曲と来た。

ところがこの曲に闖入者がいた。お子様たちが周りで踊る。申し訳ないが、邪魔なのだ。この曲、この時間はメロン記念日をこそ見る時間なのだ。神の到来を祝福すべき時間なのであって、それ以外の要素は単にノイズでしかない。

フィギュアスケートで金メダルを取った安藤美姫のエキシビションでの演技中に、テレビではバックで歌う絢香がたびたび大写しになった。スケート大会の放送で、主役の金メダリストの記念の演技を映さず、脇役であるべき歌手を大写しにする。ノイズだ。そのときに感じた腹立ちと似た腹立ち。舞台にはおよそ譲ってはならない絶対的主役がいる瞬間がある。その絶対性の前には演出者といえども謙虚でなければならない。神の宿る舞台を冒涜してはならない。

まあ、だからといってBerryz工房&℃-uteのサイトを荒らそうだなんて思わないわけだが。

2007年03月28日

■ なごり雪

一点どうしても言っておかなければならないことができた。

加護サイト閉鎖ファンも見放す

元モーニング娘。の加護亜依(19)が謹慎中の喫煙行為を認め、所属事務所から契約解除された問題が波紋を広げている。一夜明けた27日、加護の大手ファンサイト「AI am…」が今月末の閉鎖を決定。「一連の件は自業自得」などと見放されており、ファン離れが急速に進んでいる。

nikkan sports.comより。

「「自業自得」などと見放されて」いるだと?そういうサイトもあるだろう。しかし、たとえば私が「やむをえない」と書いたのは「自業自得」という言葉とは何の関係もない。私が見たサイトの中にも今回の事務所の決定を「やむをえない」と受け止めているところはあった。しかしおそらくその多くは私と同じく、「自業自得」などという意味でそういっているのではないだろう。ここははっきりさせておかなければならない。

大体一般論として人に「自業自得」などという言葉を投げかけるのは卑しい心性だ。己の行為の結果を一番真摯に受け止めざるを得ないのはその本人であるのが明白な状況で、第三者がしたり顔で「自業自得」などという。言いたいことは「ざまあ見ろ」ということだろう。そういう卑しい自分の心性を隠して、「自業自得」などという言葉を並べる。

「自業自得」という言葉で納得せよと命じている対象はまさにその結果をいやおうなしに受け止めざるを得ない当事者だ。一方「やむをえない」という言葉で納得させようとしているのはほかならぬ私自身だ。

この一件を聞いたとき、事務所は彼女との契約を解消するだろう、とすぐに思った。それをどう受け止めるべきか。酷薄だ、彼女を守れない事務所を許すな、というような主張も心には浮かんだ。でもそれは私の思いとは違うと思った。私は事務所の決定を受け入れざるを得ないだろう、と思った。「悪の枢軸」に事務所を入れようとは思わなかった。事務所は事務所なりに彼女のことを真剣に考えていた、私にはそう思えた。そして事務所は怒りに任せて彼女を切り捨てたのではなく、まさに泣いて馬謖を切る思いで今回の決定を下したのだろうとも。

私は彼女の行為を不誠実だなどと思わなければ、また軽率だったとも思っていない。もっと彼女にとっては切実で必然的なものであったように思えた。そしてまたその切実さの由来を彼女自身も実はわかっていないのではないか、とも思う。もちろん私にもわからない。ただ私(たち)の前で歌うことよりも大切だと思えることがそのときの彼女にはあったのだろう。それは単に一時の気の迷いだろうか。確かに具体的な行為自体はそうだと言ってやりたい。でも「歌いたい」と願いつつ、それをご破算にしかねない行為をあえて行う(ちなみにここでは喫煙の話はしていない。禁煙を成功させるのはとても難しいことだ、たぶん)というその矛盾の中に、*それ*を埋めることを希いつつ、永遠に埋まらない、彼女の中にある「空白」としか言いようのないものが現れているのではないか。

ともあれ、またしても私(たち)は振られたのだ。これまでの「卒業」と同じく、私(たち)が振られたのだ。振られたものは「やむをえない」。ただ私(たち)を振って巣立っていくはずの彼女の未来が見えない。それが悲しい。

2007年03月27日

■ 自己嫌悪

こんなときに僕はどうして、「悪い奴」を探して、そいつに怒りをぶつけることしかできないのだろう。どうして彼女のことを思い出して、それを記憶にとどめようとしないのだろう。

「ま亜依ろいろと。。」 さよなら大好きな人。を読んで僕は自分がいやになった。

2007年03月26日

■ ありがとう、さようなら

私は古くは福ちゃんこと福田明日香さんや、最近ではカントリー娘。のあさみさんやみうなさんを見送ったのと同じ思いで彼女のことを見送らなければならない。これまでの活動への感謝の気持ちと、ありうべきだったこれからの舞台の上での活躍への惜別の思いと、そして今後の彼女の将来への祈念と。

「週刊現代」。少しばかりの反体制を気取るこの雑誌が、その実、十代の女の子の尻をストーカーまがいに追いかけ、その子の将来を絶って、恬として恥じない糞雑誌であることを再認した。大げさでなく、私はこの雑誌、およびその編集長加藤晴之のことは生涯許さないだろう。

一緒にいたという30代後半の男性。私と同年代じゃないか。あまり相手のことは悪し様には言いたくはない。実際私が応援してやまないメンバーの「スクープねた」相手の俳優のことを私は否定的に表現したこともなければ、否定的な感情をもったこともない。ドラマに頻繁に出ていたときには、ごく普通に楽しんでみていたぐらいだ。でも彼奴のことは許せない。タバコが原因で謹慎中の、そしていよいよ復帰に向けて動き出さんとする、とても大切な時期にあった未成年の女性タレントを温泉まで連れまわし、その車中ですぱすぱタバコを吸って、挙句写真に撮られ、その子のタレントとしての将来を絶ったこの破廉恥な奴のことを私は絶対に許せない。私がものを書く限り絶対に文字にはするまいと心に決めている二文字が頭の中をめぐる。サ行で始まり、ナ行で終わる二文字。その二文字が、ぐるぐる、ぐるぐる、頭の中を何度も駆け巡る。

それでも、この知らせを知ったとき、私は彼女の引退はやむをえない、と思った。報じられている行為一つ一つは取るに足らないくだらないことだ。しかし、今この時期に、そうした行為を積み重ねてしまう、それはどう考えてみても、彼女の舞台への思いを疑わせしめるには十分だった。舞台に立ちたいという思いを見せられない人を、一ファンとしてどう応援して行けというのか。

あるいはこんなことも考えた。もしかすると、彼女は本当にもう辞めたがっているのではないのか。もし続けたいと願いつつ、かの行為を行ったのだとすれば、それは私にはほとんど自壊行為にしか見えない。そしてあるいはそうかもしれないとも思う。しかしそれは想像するにはあまりにも痛ましいことだった。そうではなくて、彼女は端的にもう辞めてしまいたいと思っているのではないか。

本当のところは私にはわからない。わかりようもない。ただ、いずれにしても、彼女に「舞台に立て」と願うことはもはや無理だと、私は思った。

だから私はこの知らせを聞いて、私なりに消化したとき、この件に対して私が書くべきこととして最初に浮かんだのは本当に短い言葉だけだった。でもその言葉の前にもう少し言葉を足しておこう。

今までありがとう。楽しかったよ。

そして最初に浮かんだのは次の言葉。

バイバイ、加護ちゃん。

2007年03月25日

■ 歌手

松山千春さんが中心となって開催した夕張市民を励ますためのコンサートに安倍なつみも出演。ほかには細川たかしさん、大橋純子さん。

なんか安倍さんだけが年齢はなれている。ちょっと妙な組み合わせというか、安倍さんだけが浮いている感じだが、普段から「道産子」を誇りにしていることが、松山千春さんの耳に止まったか。

こういうところに名前を連ねる、というのが歌手冥利に尽きるというか、きちんと歌手をやっている、という感じがして、ファンとしてもうれしい限り。

プライベートでは何をやっていてもいい。ただ舞台に立つということ、それを大事に思う心さえ見えれば、それで応援して行ける。

ギョウカイヘッドロック

2007年03月24日

■ 通常更新

後藤真希さんと矢口真里さんがNHKの歌番組に登場。

後藤さんが「プレイバックPart2」を歌う。テレビ東京の歌ドキッでも歌っているし、もう定番という感じだが、ひとつ、たしかかつてNHKでは「真っ赤なポルシェ」の「ポルシェ」が商品名だから使えず、「真っ赤な車」と歌っていたという話があったと思って、確認してみたら、普通に「ポルシェ」と歌っていた。

それだけ。

2007年03月14日

■ とりとめもなく

今気になっているけれど、気力なくたいした感想が書けないこと。

松浦亜弥、藤本美貴のユニット、GAMで全国ツアー。

このユニット、松浦さん・藤本さんともに好きだし、このユニット自体もいいとは思うのだが、それでも1 + 1 < 1になっている感じがする。松浦さん単独コンサートなら是非行きたかったのだけれど、GAMとなると少し意味が違ってくるという。昨冬発売の松浦さんのアルバムNaked Songsを中心とした25歳の大人なライブを期待していた向きにはやや拍子抜け。「松浦亜弥」は歌手だけれど、GAMはアイドルなのだ。

松浦さんのあごの調子がよろしくない、ということでの事務所の配慮、とも言えるし、それはそれで結構だが、松浦亜弥にアイドルを続けさせたい事務所の陰謀、とかくだらない妄想をしてしまったりもする。

蛇足ながら、松浦亜弥に藤本美貴を足したら価値が下がる、とかそういうことではない。美貴様、美貴帝大好き。

なっちこと安倍なつみ、NHKの時代劇に出演決定。毎年こうして幅広い表現の場が与えられ続けている、それがとてもうれしい。

モーニング娘。「笑顔YESヌード」のカップリング曲「サヨナラのかわりに」。ジャケットもこちらの曲にふさわしいものだったし、春の卒業シーズンにとてもあった、N十年前の自分の卒業式の思い出さされる懐かしい曲調だし、娘。たちは可愛いし、こっちを表題曲にすれば良かったのに、などと思ったりもする。

去年ハロモニの1コーナー、なっちこと安倍なつみが司会を務めた「キュートのキュートに芸能界を学びましょう」に出演した長山洋子が「初ロマンス」だって。彼女の大ファンのアメリカ人社長が番組での競演をきっかけにプロポーズしたとか何とか。って、このニュースに深い感慨を持つ人は今や演歌ファンしかいないのか。

2007年02月15日

■ バレンタイン

昨日はバレンタインデーと言うことでハロプロメンバーからのバレンタイングッズが届いているようだ。

もちろんファンクラブ会員向けの商品と言うことで、会員ならざる私は無関係なのだが、チョコレートに同梱されている写真があちこちにアップされているのを見る。メッセージ付き。

なっちこと安倍なつみ、「あなたに・・・・あげちゃーう」。

美貴帝こと藤本美貴、「好き・・・かも」。

愛ちゃんこと高橋愛、「I like you」。

「かも」とか「like」とか。特に「like」ってなんやねん。

2007年02月05日

■ 時間が解決すること

矢口こと矢口真里さんが一月のハロプロコンサートで歌手復帰したことについて、随所で違和感が語られている。私もそれよりも前に同様の趣旨のことを書いたことがある。矢口さんを巡る状況には、本来ならずっと矢口さんを好意的に見てきた人も含めて、何とも言えない「違和感」としか言い様のないものが渦巻いている。

もういいではないか、とさしあたり言ってみたくなる。しかし違和感は消えない。なにが「もう」だ。時間がたったら、それですむ、というのなら最初から批判するな、という主張も見る。確かに言いたいことは分かる。時間の問題なのか。

しかしやはり時間の問題なのではないか、と思うのだ。

違和感を主張する者が求めているのは「けじめ」なのだろう。いつかどこかで何かしらのけじめをつけてほしい。いわゆる「アンチ」としてではなく、違和感を表明する者たちの主張は畢竟そこにある(ように思われる)。しかしその「けじめ」が今後なされることはたぶん難しいだろう。なぜなら、このことは終わってしまった事柄だからだ。今更どんなけじめのつけようがあるというのだろう。モーニング娘。を脱退したときに事務所を通して、そしてテレビカメラを通して、彼女は既に報告をすませた。それで終わったのだ。今更時計の針を巻き戻して、今更何を改めて言うことがあろうか。

残念と言うしかないのは、彼女、あるいは事務所の思う「けじめ」と、違和感を表明する多くのファンの思う「けじめ」とがずれてしまっていたことだ。しかし時計の針は進んでしまった。

もはや改めて形式的なけじめがつけられることはない、と想定したとき、それでもなおそのけじめを求め続けることは何を意味するか。それは永久的に矢口真里に対して違和感を持ち続ける、ということだ。確かにボタンを掛け違えたのかもしれない、しかし矢口さんの行動は、永久的に違和感を感じ続けられなければならないほどのことであったのか。

「けじめ」とはおそらく、かつて矢口さんのある行動・発言を批判した時の私の言葉を使えば「傷を共有」すると言うことだ。誰かが何か過ちを犯したとする。それにより別の誰かが傷つけられたとする。その傷つけられた者の傷を傷つけた者が共有すること、そこに加害者の「けじめ」が成立し、傷つけられた者の「許し」の契機が生じる。矢口さんを巡る一件も、矢口さんが加害者だとか、誰かが被害者だとか、そういうのではなしに、それでもモーニング娘。を巡る「傷」をモーニング娘。現役メンバーとファンと、そして矢口さんとが共有しなければならない、それを違和感を語る私たちは望んでいるのではないか。

傷を共有する儀式は失敗した。そして矢口さんは長くファン一般の前で歌えない場面を持たされ続けた。その積み重ね、まさに2年にわたる時間の中に、私たちと矢口さんとは形式ではない、実質的な傷の共有を行ってきたのではなかったか。時間は、傷の存在とその深さを具体的に指し示してくれている。

どのみち儀式が再演されることはおそらくないことが容易に想像される以上(実際問題再演するにしてもどのようなやり方があるというのか)、ボールは私たちの手の中にあって、私たちがどこかでけじめをつけるしかない。

■ 結局私はエゴイスト

松山千春は立派だと思う。そこに思いも覚悟もあるから。鈴木宗男氏は私は必ずしも評価しないが、それを応援する松山千春の行動には敬意を表したい。

国政選ならまだしも(それはそれで非常にリスキーだが)、地方選にその地域に縁もゆかりもないタレントを選挙に動員するっていうのはなんだかね。タレント本人は何も考えていないんじゃないか、と思われてしまうだけで、よろしくない。稚拙であっても自分なりに信念を持っての行動と感じられれば、極右でも極左でも、よしんばそれがタレント生命を絶つことになったとしても、その行動そのものには敬意を表するんだけれどね。

まあ、信頼している人が応援している候補者なら、自分も応援しようと思う、というのはあり得べき心性だし、少しでも力になれれば、とか何とか思ったとすれば、それはそれでいじらしい話ではあるし、と今回はまあいいけれど、といいつつ、それでも心の奥底では結構ひどいことを思っていたりする。

今回は、まあ言ってしまえば、どうでもいいです(我ながら結構ひどい)。なっちこと安倍なつみや愛ちゃんこと高橋愛をこんな使い方すれば、今度こそ許さんからな。

2007年01月22日

■ 永遠の25歳

いつものことながら仕事の流量の調節がうまくいかず、時間がとれない。一日10時間睡眠が守れない。

そんな状況でも買って貴重な睡眠時間を削って観てしまった。まっつぅこと松浦亜弥のコンサートDVD、「進化ノ季節」。

去年発売のアルバムNaked Songsをいたく気に入ってしまい、今年のエルダークラブコンサートでもこのアルバムからの曲を堪能し、このアルバム中心のコンサートを今年やるのなら見に行きたいな、と思いつつ、このアルバム発売前のライブDVDとはいかがなものだろうと思いながら、ここ最近の松浦亜弥熱に冒されて、くそ忙しいのに手を出してしまった。

感想。とりあえずもう寝たいので短めに。

さすがの貫禄。唄にも余裕がありつつ、チャレンジングな姿勢を失っていない。客を呑みつつ、サービスを忘れない。かつての自分のアイドル時代の曲もしっかり今の松浦亜弥の表現で聴かせる。名盤Naked Songsへと繋がるステージだったということか。

なっちこと安倍なつみの、どこまでもおとめちっくなステージとは対照的に、25歳の女性の、成熟した大人のステージだ。

2007年01月09日

■ 妄想の中

復活タンポポコンサート。ゲスト安倍なつみ。

タンポポの名曲「たんぽぽ」を歌うところのMC。

飯田圭織「さあ、ここからなっちにも加わってもらって、『たんぽぽ』を一緒に歌います」。

安倍なつみ登場。

矢口真里「今から『たんぽぽ』歌うんだけれど、なっち、歌える?」

安倍「えー、歌えるさあ」

飯田「なっち、CD聴いてくれたんだ」

なんてシーンがあったら、泣く。


蛇足な補足説明。

初期モーニング娘。時代、「うたばん」の「モーニング娘。の懺悔」というコーナーで、タンポポのCDを聴いていない、という懺悔をしたメンバーがいた。その懺悔をしたのが誰かを巡って真っ先に疑われた安倍さんが、司会からタンポポのCDの曲から好きな曲を挙げろといわれて、挙げたのが「たんぽぽ」。しかしあまりにも自信なさげにおずおずと名前を挙げたために、「犯人」が安倍さんであることがばれた。そのとき飯田さんのかなり本気で拗ね、怒っている顔が画面いっぱいに映し出された。

「うたばん」名場面の一つ。

2007年01月08日

■ タンポポ

ハロプロコンサートで矢口真里さんが久々に「歌手」として舞台に立ち、保田圭さんと「ウソつきあんた」を歌った件だが、どうせなら何で飯田圭織さんと二人で「タンポポ」をやらなかったのだろう、とふと思った。まあ、タンポポよりも保田圭さんとの「2期」の絆を大切にした、ということか。それはそれで確かによいことだ。

どうせならもう勢いで、初期タンポポ限定復活コンサートとかやればいいのに、と思う。まあ、そんな「懐かしのアイドル」、懐メロみたいなことをやるにはまだまだ若すぎるのか。でも10周年記念の一環としてだったら、ありという気もする。

ゲストに安倍なつみを呼んでくれたら私も行きます(この安倍ヲタが〜)。

2007年01月07日

■ 見ないで語るエルダーコン

ハロプロコンサート、エルダークラブ公演のセットリストを見る。

ざっと目を通したときの印象は、去年と比べるといまいちかな、というものだった。去年は普段は絶対見られない組み合わせで、普段はあまり目立つチャンスのないメンバー(ex.大谷雅恵)がおいしいパートをもらっていたりして、かなり良かった。それと比べると今年のは、かつてのごく普通のハロコン(からモーニング娘。を省いたもの)だった。各メンバーにソロ曲があって、それを並べるのが中心。

なんだか後退したように一瞬思ったが、そうか、今年はこの形式でできる久々にして最後のチャンスだったのか、と思い直す。カントリー娘。が久々の新曲、そしてメンバー二人の卒業。

回顧ファンとして目を引くのが、「ウソつきあんた」「未来の扉」の二曲を1,2期メンバーが歌ったというところ。ほう、と思いつつ、少し違和感が残る。はて、この二曲って1期メンバーだけだった頃のアルバム「ファーストタイム」収録曲じゃなかったっけ。1,2期メンで歌うのなら、当然「セカンドモーニング」からじゃないの?私の勘違いでした。「ファーストタイム」にも2期メンは参加しています。なつみるくさん、ご指摘ありがとうございました(コメント欄参照)。保田圭さん、矢口真里さんの2期コンビが歌うのは「乙女の心理学」ってこれは保田さんと市井ちゃん(市井紗耶香)の曲か。で、1,2期メン全員で歌うは「NIGHT OF TOKYO CITY」だったら、本当に泣けるのに。まあ、安倍(なつみ)さんが「矢口と一緒に歌えてうれしかった」とか何とかいったらしいから、もう何でもいいんですけどね。

なっちこと安倍なつみは冒頭でセカンドアルバムから二曲。元気の良いの曲とゆったりした曲、二つの顔を見せるというのは悪くない。でもこの二曲は個人的にはソロコンとかで聴けばいいし、他のメンバーのファンからすればなじみのない曲だろうし、ちょっと微妙な選曲だったかも。ここは一発「チェインギャング」ぐらいをかましてほしいところ。最新シングル「甘い果実」は当然の選曲。

松浦亜弥、「メロディーズ」「dearest.」「オシャレ!」、この選曲やよし。安倍さんと違って、個人的にソロコンサートとか行ったことないし、一度は是非じっくり聞いてみたいところ。さらに行く気が高まる。でもそれより松浦さんのソロコンに行きたくなってきた。「2年前の私では考えつかない」。

そしてそして、極めつけが「三角関係」。オリジナルメンバー(含大谷雅恵)でこの曲を歌うとは。言葉が続かない、ただ、見ろ、と。

2007年01月05日

■ 新人事

モーニング娘。より現リーダー吉澤ひとみ卒業とのニュース。

他の4期メンバーと違い、卒業後のユニット構想などは明確になっていないが、立ち位置、キャラもはっきりしているので、フットサルでの実績を元に、幅広い活躍の場が用意されることだろう。ついでに娘。1−4期メンバーが全員卒業したわけだから、恋愛レボリューション21やらザ☆ピ〜ス!が卒業メンバーだけで完全に無傷で行えるようになる。実に素晴らしいことだ。こちらにも(勝手に)期待することとしよう。

残されたモーニング娘。のほうだが、一時は「泥船」呼ばわりもされたものだが、今やすっかり「本体」としての存在感を取り戻している。

その娘。の新人事も併せて発表された。新リーダー藤本美貴、新サブリーダー高橋愛。

リーダー藤本美貴についてはサブリーダーからの持ち上がりということで、完全に既定路線。娘。メンバーとしても芸能歴からしても5期よりも後輩になるが、4期加入時のオーディション受験者であり、かつ最年長ということで、「格」としては4.5期扱い、ということなのだろう。それも前回サブリーダー就任時よりわかっていたこと。実際、それだけの風格は十二分にある。中澤裕子型のリーダーシップを発揮できるものと思う。

サブリーダー高橋愛もこれまでのリーダー、サブリーダーの人選を見れば、ほぼ既定路線。「期」順(藤本を4.5期と見て)、そして同期でリーダー・サブリーダーの独占はしない、卒業を控えたメンバーは選外、同期なら年齢順。きれいに法則ができている。とにかく「格」重視の事務所、この手のことでは全くサプライズは起こさない。

高橋愛にサブリーダー(そして来るべき日にはリーダー就任も考えられる、「卒業」順にも寄るが)というのは大丈夫だろうか、などと不安視する向きもあるようだが、むしろここはしっかり努めてほしい。彼女は本質的に「アイドル」志向が弱い。そうであるだけに将来的には指導者的な立ち位置も期待される方向に進むのではないか(逆に先天的「アイドル」安倍なつみは指導者なんて立場には金輪際立たない)。さればこそ、今モーニング娘。でサブリーダー、リーダーを務めることは彼女にとって大切な経験となるだろう。

■ エルダークラブ公演に思う

ハロプロコンサートエルダークラブ公演が始まった。といっても私は行っていないのだが。13日大阪公演には行ってみてもいいかなあ、などとも思うが、値段も高いし、当日券がある保証もないし、今のところ未定。エルダーコンにはモーニング娘。「本体」がいないのは残念だが、エルダークラブにはメンバー全員に一定の思い入れがある。去年のはDVDで鑑賞しただけだが、全くといって良いほど無駄がなかった。

娘。原理主義者の私はかつてはハロコンでは松浦亜弥さんがなあ・・・などと思っていたこともあった。同様に後浦なつみコンサートでも同じようなことを思っていた。

今は違う。すっかり転向した。エルダーコンもいいが、今なら後浦なつみコンでも腹の底から楽しめる。エルダーコンはやはり人数が多すぎて、いまいち焦点が絞れないところがある。後浦なつみコンを生演奏をつけてやれば、なんだかんだ各メンバーのファンは喜ぶのではないか。かつては各々のファン層の志向が違っていた三人だが、今は接近しているように思う。後藤さんのファンは少し違うものももっているとも思うが、いずれも「歌」への思いが強い。

ソロコン、ハロコンとは別に後浦なつみコンも継続的に行う。他のコンサートのような踊り、パフォーマンスよりも、とにかく「歌」に焦点を絞る。基本着席して聴くスタイルにする。いいねえ。ついでにこっそりと大谷雅恵も紛れ込ませる。素晴らしい。さらにゲストとして高橋愛も呼ぶ、おお、最高だ、って書いていてだんだんむなしくなってきた。

2006年12月31日

■ 私的ハロプロ大賞結果発表

大晦日恒例の?特別企画「私的ハロプロ大賞」は大賞選考過程を時系列順に並べたAwardページからまとめて読めます。

■ MVPそして

先ほどの混乱も収まり、場内が静けさを取り戻した頃合いを見計らって、MCがおずおずと前に出る。

いよいよ、本大賞も大詰めを迎えました。これまでの賞はすべて「作品」に対する賞でしたが、本賞は今年一番活躍した「人」に対して与えられる、大変栄誉ある賞です。

最終選考に残ったのは次のお二人、安倍なつみさんと高橋愛さんです。

何だ、単に審査員の「推しメン」を並べただけか、という落胆のため息が場内を包む。

審査員席から審査委員長がずかずか舞台中央に進んで、一喝する。

静粛に、静粛に!なっちは冬には「友情と魔法のトランプ」に主演、夏には「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」でゲスト出演、秋には「白蛇伝」で座長を務めるという、3つの舞台で大活躍をした。また愛ちゃんはモーニング娘。史上最高傑作とされる「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」において一ヶ月の長丁場、見事に主演をつとめた。この二人の今年の活躍、2006年のMVPとしていったい何の不足があるのか。何が不満というのか。

場内、静まる。

審査委員長がそのまま舞台に残り、MCを無視して続ける。

なっちと愛ちゃん、いずれをMVPとするか、議論はつきることがなかったが、最後にはやはり今年この賞を与えずしていつ与えるのか、との声が勝り、「宝塚」への長年の思いを見事に実らせ、「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」の主演を見事につとめた高橋愛をMVPと決定しました!

まばらな拍手。少しずつ拍手が増える。

拍手が増えていく様を満足げに眺めながら、審査委員長がさらに続ける。

いよいよ本大賞の発表も最後となりました。最後の賞は「2007年の活躍に期待するで賞」であります!

「なんだ?その1980年代的ネーミングは!」「絶滅しただじゃれかよ」「センスねーぞ」と数々のヤジが飛ぶ。

静粛に、静粛に!

場内、静まらないまま、審査委員長が続ける。

「2007年の活躍に期待するで賞」を受賞したのは、Wの加護亜依です。

一斉に拍手。口笛が飛ぶ。バラバラと立ち上がり、最後には全員一致してスタンディングオベーション。

(本イベントの入場者数、1名−主催者発表より)

■ ベストパフォーマンス賞

いよいよノミネート作品発表の過程で、本企画のなかでもっとも権威のある賞と決まった「ベストパフォーマンス賞」の発表。

ハロプロの各曲をアコースティックな演奏をバックにハロプロメンバーが歌っていくという好企画のGyao、ハロプロアワー。ハロプロメンバーの意外な組み合わせにより、あまり日の当たらないメンバーにも見せ場を作ったハロプロコンサート2006冬エルダー組ライブDVD。歌手安倍なつみの魅力を引き出した安倍なつみライブDVD2作品。アイドル松浦亜弥の曲を歌手松浦亜弥として歌い上げた、いわば松浦亜弥の現人アイドルから脱する「人間宣言」としての2作品はNaked Songs DVDから。過去の名曲をハロプロメンバーがアコースティックに歌い上げる歌ドキ。最後に歌い手の緊張感から来る魅力が引き出されている「声(新垣里沙 Ver.)」がモーニング娘。コンサートツアー2006DVD二作品の中から唯一エントリー。

多彩な作品群の中から審査員一人の大激論の末、決選投票に残ったのは以下の作品。

  • ふるさと / Gyao / 安倍なつみ&高橋愛
  • Memory青春の光(ハロプロアワーVersion) / Gyao / 後藤真希&松浦亜弥
  • 春の歌 / Hello! Project 2006 Winter Elder Club / 保田圭、松浦亜弥、大谷雅恵、前田有紀
  • 夢の中 / 安倍なつみコンサートツアー2006春〜おとめちっくBank〜 / 安倍なつみ・飯田圭織
  • 私はピアノ / 歌ドキ / 安倍なつみ
  • 勝手にしやがれ/ 歌ドキ / 後藤真希
  • CHA-CHA-CHA / 歌ドキ / 高橋愛
  • フレンズ / 歌ドキ / 中澤裕子

選に漏れた作品の中からいくつかをピックアップしてコメント。

「セーラー服と機関銃 / 歌ドキ / 高橋愛」、CHA-CHA-CHAよりタイムリーな選曲であり、(CHA-CHA-CHAでは邪魔で仕方がなかった)たいせーが画面上にうろちょろしないという強みもあったのだが、この曲を高橋愛が歌うと、そのライバルは長澤まさみでも薬師丸ひろ子でもなく、来生たかおになってしまう。そうなると残念ながら楽曲の新たな魅力を引き出すというのにはいささかハードルが高くなってしまった。

「待つわ / 歌ドキ / 中澤裕子・前田有紀」、二人の異なる個性がぶつかり合い、どうなるかと期待させられたが、残念ながら両者の良さを少しずつ打ち消し逢っている印象を持った。前田有紀の透明感溢れるきれいな声と中澤裕子の少しハスキーで個性的な声とがこの曲に関してはいまいち調和しない。さらにいえば前田有紀の圧倒的な歌唱力と、中澤裕子の気迫溢れる存在感もあまり調和していない。結果1+1 = 0.8ぐらいになってしまったかな、と。もちろん両者のポテンシャルが元々高いので0.8でもすばらしい仕上がりになってはいるのだが。

最終選考に残った曲についての寸評。

「ふるさと」。安倍なつみが歌い継いできた曲だが、高橋愛と合わせることで、本来「ソロ」の独白曲だったものが見事に曲中で対話が行われ、この曲に対する深みを増した。この曲に限らず、ソロで歌うときの安倍なつみにはまだ「かわいさ」が残るが、この曲を始め、デュオで歌うときの安倍なつみはじっくり語りかけるような優しさに満ちた歌い方に変わる。これがすばらしい。

「Memory 青春の光」。元々は多人数で歌うコーラスの美しい曲を二人で見事に表現し切れている。後藤真希と松浦亜弥という二人の歌手のポテンシャルの高さが現れ、つやのある後藤真希の声とハスキーな松浦亜弥の声という声質の異なる二人の調和もすばらしい。

「春の歌」。保田圭、松浦亜弥、大谷雅恵、前田有紀というハロプロ内の実力派が競演する一連の曲の中から、僅差でこの曲を選抜。4人とも上手い、隙なく上手い。

「夢の中」。かつてのモーニング娘。のライバル二人のデュオ。定番はかつて安倍なつみメイン曲だった「モーニングコーヒー」だが、あえて飯田圭織メインのこの曲を選んだその選曲よし。楽曲よく、歌唱よく、さらにモーニング娘。の歴史の重みを感じさせられるという贅沢きわまりない逸品。

「私はピアノ」。松浦亜弥の声はドライな魅力であり、後藤真希の声はウェットな魅力がある、と評するとき、安倍なつみにはウェットな歌唱とドライな歌唱、二つの歌唱をもっているといえる。そしてこの曲に関してはそのハイブリッドな魅力がよく出ている。さびの盛り上がる部分では甘く艶のある声で歌い上げ、それ以外の部分はやや低めのドライな声で。その調和がすばらしく、抑圧された激しい感情を歌い上げたこの曲を見事に表現し切れている。

「勝手にしやがれ」。男の歌を女性歌手が歌うととてもかっこよいことがある。そのかっこよさが遺憾なく発揮されている。そしてさらにまたかっこいいだけでなく、これがまた問答無用に可愛いのだ。何でこんなに可愛いのだ、というぐらいに可愛い。かっこよくて可愛い、このバランスの中に後藤真希本来の「エロ」さがにじみ出てくる。今のシングル曲のなんちゃってセクシー路線なんて邪道だ!と叫びたくなる、後藤真希本来の魅力に溢れた作品。

「CHA-CHA-CHA」。高橋愛は可愛い。その絶対性をただただ感じ取るべき作品。その絶対性を感じ取るためには余計なノイズがあってはならないのだ。そのために高橋愛の癖のない歌唱力が効いてくる。高橋愛の歌のうまさなど空気のようなものでよいのだ。当たり前のように上手い。そして絶対的に可愛い。しかしたいせーというノイズだけはいかにも余計だった。残念。

「フレンズ」。この曲をハロプロメンバーで歌うとしたら、この人しかいない、という中澤裕子。その出会いの必然性。感情が先走り、やや不安定な歌唱、少しハスキーで個性的な声、気っぷの良さ・勢い、中澤裕子の個性が遺憾なく発揮されている。

最終選考に残ったこの8作品の中からベストパフォーマンス賞に選ばれるのは果たして・・・。

MCがゆっくり前に進み出る。

(封印された封筒を手に)結果はこの中に既に書かれています。

(はさみを取り出し、ゆっくりと開封する)

(もったいぶった声で)発表します。

2006年ハロプロ大賞ベストパフォーマンス賞に輝いたのは・・・。

(結果を記した紙に目を落とす)

(驚いたような、少し拍子抜けしたような、微妙な表情)

なんと、最終選考に残った8作品同順、同時受賞です!

(場内、どよめき。「なにが「ベスト」だ!という怒号)

おや?審査委員長からのメッセージが書かれています。「35作品の中から8作品まで絞り込んだんだ。十分だろ。そもそも最初のエントリー作品が多すぎるんだよ。もう疲れたよ、勘弁してくれよ。ということで、本賞は「ベストパフォーマンス賞」あらため「グッドパフォーマンス賞」と名称を変更する。それなら文句ないだろ」、だそうです。

「開き直るな」などといった怒号から逃げるようにMC、舞台から下がる。騒然とした雰囲気の中、暗転。

■ 最優秀楽曲賞

当初本企画のメインのつもりでスタートしながら、途中でメインの座を次の「ベストパフォーマンス賞」に譲ったという本企画準メインの最優秀楽曲賞。ちなみに本賞は「楽曲」賞と銘打ちながら、純粋に楽曲を評価するのではなくて、歌い手の歌唱力、曲と歌い手との相性、曲および歌詞に対する審査員の好みという要素を盛り込んだ不透明な選考基準により審査されるという大変に名誉ある賞となっている。

選考過程がよく見えないままに突然決選投票には以下の三曲が進んだ。

  • ハピネス / 砂を噛むように・・・NAMIDA / 松浦亜弥
  • dearest. / Naked Songs / 松浦亜弥
  • 初めて唇を重ねた夜 / Naked Songs / 松浦亜弥

場内騒然。この片寄りはなんだ?審査委員が松浦亜弥推しに転んだのか?

騒然とする場内を余所に厳かに最優秀作品が発表される。

「三者同点一位とする」。

なんなのだ?このいい加減で不透明きわまりない結末は?

怒号飛び交う中、次の賞「ベストパフォーマンス賞」の発表に移る。

■ ベストミュージカル賞

ベストミュージカル賞発表の前に本来ならベストライブ賞を発表する予定だったのですが、「いちいち優劣なんてつけたくないわ!」という今更ながらの、本企画の根底を揺るがす暴言を審査員が吐き捨て、出て行ってしまったため、本賞の発表は不可能となりました。深くお詫び申し上げます。

さて、ベストミュージカル賞の発表に移ります。この賞は「現場」自体の印象とともに、ミュージカルとしての作品を併せて評価するというこれまたファジーな選考基準によりベストミュージカル賞が決定されるという大変価値のある賞です。

選考過程。

リボンの騎士、2公演(松浦亜弥出演回と安倍なつみ出演回)では、前者が私がとれたチケットの席がよかった、私が見た初めての公演であった、などの作品性とはあまり関係のない要因により、後者を得票数で上回り、決選投票へ進む。

決選投票は白蛇伝とリボンの騎士というミュージカル二作品の評価を巡って争われた。その中でもミュージカルとしての作品性、本作品のハロプロ外に対する意味づけ・その効果、出演者への私の思い入れ、私が座った座席位置、という異質の基準を総合的に評価を進める。

ミュージカルとしての作品性。わかりやすさではリボンの騎士、話の深さでは白蛇伝。リボンの騎士の主役、サファイアのやや安直な位置づけ(自ら運命を切り開かず、結局男フランツ頼り)と比較して、安定した統治を行わんとする神と混乱の中にも自由を求める人間の対立という安易に結論の出せない深いテーマをあつかった白蛇伝、とその限りでは白蛇伝に軍配が上がるのだが、出てくる登場人物の総合的な魅力では(藤本美貴演じるへケティをはじめ)リボンの騎士の方が上回っており、両者譲らず互角の戦い。

ハロプロ外部への効果。出演者をハロプロ内でほぼ固めたが、話題性が高く、またその作品としての質も高く、ハロプロ内にとどまらない評価を得た(と期待する)リボンの騎士に対して、元々企画段階からハロプロ外部のものとして進められ、その座長に安倍なつみが抜擢され、ハロプロ外のファンの目にも多く触れた白蛇伝。こちらも両者譲らない。

出演者。高橋愛が主演、その他ハロプロメンバーが多数出演したリボンの騎士、何よりも安倍なつみが主演をつとめた白蛇伝。甲乙つけがたし。

私が座った座席位置、リボンの騎士の方が良席であった。

ということで、私が座った座席の差という一番本質から外れた理由により、栄えあるベストミュージカル賞は「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」松浦亜弥出演公演(8月14日昼公演)に決定。

■ 最優秀ライブDVD賞

最優秀ライブDVD賞の発表。

まずDVDの発売は2006年であっても、公演が2005年に行われたものについては、2006年の賞としてはいまいちピンと来ないという今更の理由により選外へ。それなら最初からノミネートするなよという内野の声は無視する。

有力と見られたモーニング娘。二作品だが、2005年のモーニング娘。の二作品、石川梨華卒業コンサートを収録した「第六感ヒット満開!」の卒業コンらしい緊張感と高橋愛、新垣里沙がソロステージをつとめるという今後へのチャレンジングな姿勢が溢れた作品、そして同年夏秋コンサート「バリバリ教室」における、「ラストキッス」を始め過去のモーニング娘。曲を現メンバーでオリジナル以上の仕上がりで歌い上げたやはりそのチャレンジングな作品と比較して、それを上回るものが感じられなかった。「惰性」は言い過ぎにしても、娘。新曲と定番曲にソロステージを組み合わせれば、一丁上がりというパターンができあがってしまっているようで、2005年の二作品で感じたときめきを感じることができなかった。

「Hello! Project 2006 Winter Elder Club」は、メンバーの組み合わせと歌った楽曲の相性の良さにより、楽曲の持つ新たな一面を引き出すことが多く、本企画のメインとなるパフォーマンス賞候補曲を四曲も輩出するなど、非常に評価が高かった。

「安倍なつみコンサートツアー2006春〜おとめちっくBank〜」については出演者自らがナレーションをつとめるという「オーディオコメンタリー」が楽しく、かつ飯田圭織をゲストに迎えた公演の良さも含めて、高い評価を得た。

「安倍なつみアコースティックライブ」については、ファン待望のアコースティックライブ収録という強みと、本編の時間の短さという弱みとで意見が割れるかと思われたが、特典映像の「ドキュメント」部が、歌手安倍なつみの姿勢をよく映し出すすばらしいものであり、こちらも譲らず高評価を得た。

決選投票の結果、一人の表現者を浮きだたせるという「ドキュメント」が審査員の琴線に触れ、最優秀作品には「安倍なつみアコースティックライブ」が選出された。

■ 最優秀アルバム賞

最優秀アルバム賞。

まずは選考過程から。

「冬冬モーニング娘。ミニ! 」と「FRUITY KILLER TUNE」 についてはおのおのミニアルバム、ベストアルバムということが影響して、選外へ。 

「レインボーセブン」はモーニング娘。の持つバラエティ豊かな魅力がよく引き出されており、安倍なつみ「2nd〜染みわたる想い〜」はアルバムとしてのまとまった世界観への評価が高く、松浦亜弥「Naked Songs」はジャケットなど全体的に荒削りな作りが気にはなったが、収録曲一曲一曲の質が高く、といずれも譲らない。

審査は最終投票にまでもつれ込み、わずか一票差という僅差の大激戦の末、

「2nd〜染みわたる想い〜」(獲得得票数1票)

に大決定。

■ 最優秀PV賞

最優秀PV賞の発表に移ります。

本賞は(私が見た中で)もっともよいと思ったPVに与えられるというその名以上の説明を要しない、大変シンプルで権威のある賞です。

以下、選考過程。

まず安倍なつみの3作品の内、「ストレス」がもっともストーリー性があり、その作品性に対する評価が高く、最終投票入り。後藤真希「ガラスのパンプス」についてはその「エロ」表現を巡って、審査員の脳内で大激論が戦わされたが、煩悩が勝ち、最終投票入り決定。「わ〜、くっついている」という安直な感動で購入を決めたGAM「メロディーズ」も存外作品性に対する評価が高く、良質な「エロ」を表現できているとして最終投票入り。

以上、コミカルな作品性とエロな作品性を巡っての戦いとなったが、結局最優秀作品に選ばれたのは・・・

モーニング娘。「歩いてる」。獲得得票数1票。

選考理由。「だって、娘。たちが可愛かったんだもん」。

■ 再発見賞

いよいよ各賞の最優秀作品の発表に移ります。

「審査会場にいる某さん、審査会場の様子はいかがでしょうか」、「はい、審査は(今年初めて作った企画だけれど)例年以上に白熱した議論が審査員各員(一人だけだけれど)の間で交わされています。まもなく審査結果をお届けできる予定です」、「お待ちしております」

それでは各賞最優秀作品の発表の前にまずは特別賞として、再チャレンジもとい再発見賞の発表を行います。この賞はiTunesが1000曲近くある過去に発表されたハロプロ楽曲の中からシャッフルしてきた曲をたまたま聴いて、なんとなく(私が)「おっ」と思った曲に与えられるという、大変権威のある賞です。それでは発表します。

2006年度再発見賞は・・・。

2004年発売、W「ロボキッス」のカップリング曲「SEXY SNOW」です。表題曲の「ロボキッス」から一転して、大人っぽくも勢いのある曲調に加護亜依、辻希美二人のハーモニーが美しく絡んで、雪のような純白の恋愛の世界を作り出す傑作です。

ぱちぱちぱち。

■ パフォーマンス賞

次が本企画最大の俺様ルールでお送りするパフォーマンス賞。

本賞の定義は以下に示すノミネート作品より事後的になされる、という。要するに本賞の定義を言語化することができなかった、という一見いい加減な賞でありながら、その実本企画の中で一番権威のある賞だったのだ!(と今決めた)。

  • ふるさと / Gyao / 安倍なつみ&高橋愛
  • 涙の星(ハロプロアワーVersion) / Gyao / 後藤真希
  • Memory青春の光(ハロプロアワーVersion) / Gyao / 後藤真希&松浦亜弥
  • MI DA RA摩天楼(ハロプロアワーVersion) / Gyao / 斉藤瞳&大谷雅恵&村田めぐみ
  • カラスの女房 / Gyao / 中澤裕子
  • ウソつきあんた / Gyao / 中澤裕子・安倍なつみ
  • ハピネス(ハロプロアワーVersion) / Gyao /松浦亜弥
  • 香水(ハロプロアワーVersion) / Gyao / 松浦亜弥&安倍なつみ
  • 情熱行き未来船 / Hello! Project 2006 Winter Elder Club / 飯田圭織、安倍なつみ、柴田あゆみ、村田めぐみ、あさみ、みうな
  • 大阪 恋の歌 / Hello! Project 2006 Winter Elder Club /保田圭、松浦亜弥、大谷雅恵、前田有紀
  • チャンス of LOVE / Hello! Project 2006 Winter Elder Club / 保田圭、松浦亜弥、大谷雅恵、前田有紀
  • 春の歌 / Hello! Project 2006 Winter Elder Club / 保田圭、松浦亜弥、大谷雅恵、前田有紀
  • 夢ならば(Accoustic Live Version) / 安倍なつみアコースティックライブ / 安倍なつみ
  • 22歳の私(Accoustic Live Version) / 安倍なつみアコースティックライブ / 安倍なつみ
  • 夢の中 / 安倍なつみコンサートツアー2006春〜おとめちっくBank〜 / 安倍なつみ・飯田圭織
  • 空 LIFE GOSE ON / 安倍なつみコンサートツアー2006春〜おとめちっくBank〜 / 安倍なつみ
  • 私はピアノ / 歌ドキ / 安倍なつみ
  • 勝手にしやがれ/ 歌ドキ / 後藤真希
  • DISIER / 歌ドキ / 後藤真希
  • Love is Over / 歌ドキ / 後藤真希
  • セーラー服と機関銃 / 歌ドキ / 高橋愛
  • CHA-CHA-CHA / 歌ドキ / 高橋愛
  • フレンズ / 歌ドキ / 中澤裕子
  • ワインレッドの心 / 歌ドキ / 中澤裕子
  • 待つわ / 歌ドキ / 中澤裕子・前田有紀
  • My Revolution / 歌ドキ / 前田有紀
  • 神田川 / 歌ドキ / 松浦亜弥
  • UFO / 歌ドキ / メロン記念日
  • ウェディングベル / 歌ドキ / メロン記念日
  • キッスは目にして / 歌ドキ / カントリー娘。
  • 愛人 / 歌ドキ / 保田圭
  • 異邦人 / 歌ドキ / 保田圭
  • 声(新垣里沙 Ver.) / モーニング娘。コンサートツアー2006秋 踊れ!モーニングカレー / 新垣里沙・高橋愛
  • 100回のKISS / Naked Songs DVD / 松浦亜弥
  • ドッキドキ!LOVEメール / Naked Songs DVD / 松浦亜弥

一応基準は楽曲の魅力を引きだたせる表現力、楽曲のオリジナルとは異なった一面を見せる意外性、そして私のオリジナル曲に対する思い入れの強さ、というこれまた問答無用に曖昧なもの。

■ ライブDVD賞他

ライブDVD賞の候補作品。

  • モーニング娘。コンサートツアー2006春 レインボーセブン
  • モーニング娘。コンサートツアー2006秋 踊れ!モーニングカレー
  • Hello! Project 2006 Winter Elder Club
  • メロン記念日コンサートツアー2005冬
  • 安倍なつみコンサートツアー2005秋〜24カラット〜
  • 安倍なつみコンサートツアー2006春〜おとめちっくBank〜
  • 安倍なつみアコースティックライブ
  • 後藤真希コンサートツアー2005秋〜はたち〜

私が購入したものすべてをエントリー。

そのまま続いてライブ賞。

  • 安倍なつみ コンサートツアー2006春〜おとめちっくBank〜
  • 安倍なつみ ディナーショー SUMMER DREAM 2006 〜忘れられない夏になる〜
  • 安倍なつみ クリスマスディナーショー2006〜あなたと奏でる夢ひととき〜.

私が行った分全部。すべて安倍なつみがらみなだけに、選考には困難が予想される。

引き続きミュージカル賞。

  • リボンの騎士 ザ・ミュージカル 松浦亜弥出演回
  • リボンの騎士 ザ・ミュージカル 安倍なつみ出演回
  • ミュージカル白蛇伝

これも私が行った分全部。数は少ないが、ハイレベルの争い。

■ PV賞ノミネート作品

PV賞ノミネート作品。

  • 歩いてる / モーニング娘。
  • SEXY BOY〜そよ風に寄り添って〜 / モーニング娘。
  • 甘すぎた果実 / 安倍なつみ
  • ストレス /安倍なつみ
  • スイートホリック(Edit ver.) / 安倍なつみ
  • メロディーズ / GAM
  • ガラスのパンプス / 後藤真希

数年前まではPVも結構楽しみにして集めていたのだけれど(特にDVDでPVが発売されるようになるまではPVを見る機会自体が非常に貴重だった。「モーニングコーヒー」のPVを通しで見られたのはCDの発売からどのぐらいあとだっただろうか)、今は正直惰性で買っているところがある。買ったけれど封を開けていなくて、昨日あわてて開封したものがあったり。

モーニング娘。と安倍なつみ、GAMの分のPVはすべてそろえているが、後藤真希のはこの曲だけ、松浦亜弥さんのはプッチベスト7DVDで初視聴。そもそも視聴したPVの数自体が少ない。さらにメロン記念日、カントリー娘。、高橋愛の分はここでいうPVとはやや性質が異なると考えて選考対象外。ということで、ノミネート作品の数も少ない。

■ アルバム賞

引き続きアルバム賞のノミネート作品発表。

  • レインボーセブン /モーニング娘。
  • 冬冬モーニング娘。ミニ! / モーニング娘。
  • 2nd〜染みわたる想い〜 / 安倍なつみ
  • Naked Songs /松浦亜弥
  • FRUITY KILLER TUNE / メロン記念日

これは数が少ないので、私が今年購入した全アルバムをエントリー。

後藤真希は今年はアルバムは出していない(よね?)し、だいたい買うべきものは買っているんじゃないかな。

ただ数は少なくとも、質は高い。どれが選ばれるか、予断を許さない。

■ 楽曲賞ノミネート作品

日本レコード大賞が早々に決まったようで。といっても私は「有頂天ホテル」を見ていたので、結果は新聞社サイトで見たわけですが。氷川きよし「一剣」。聴いたことない。。。

というわけで(?)、こちらは着々と進行中の「私的ハロプロ大賞」、楽曲賞のノミネート曲の発表。私の今年の振り返りようのメモも代わりだから、絞り込みもそこそこにだらだら並べる。

ちなみにノミネート対象を今年発売の曲に限定したので、昨年末発売の曲はすべて対象外にしている。

  • SEXY BOY〜そよ風に寄り添って〜 / モーニング娘。
  • Ambitious!野心的でいいじゃん / モーニング娘。
  • わたしがついてる。 / モーニング娘。
  • 歩いてる / モーニング娘。
  • さよなら See You Again アディオス Bye Bye チャッチャ! / モーニング娘。
  • レインボーピンク / 重ピンク、こはっピンク
  • 雪/愛×あなた≧好き / 高橋愛 with MC GAKI
  • コタツの歌〜jyuken story〜 / 吉澤ひとみ、新垣里沙、亀井絵里
  • お願い魅惑のターゲット / メロン記念日
  • メロディーズ / GAM
  • 蜃気楼ロマンス / GAM
  • うらら / 中澤裕子
  • やんなっちゃう / 安倍なつみ
  • 甘すぎた果実 / 安倍なつみ
  • I'm in Love / 安倍なつみ
  • F.O. / 安倍なつみ
  • 学生時代 /安倍なつみ
  • きっと彼氏ができる方法 / 後藤真希
  • LOVE缶コーヒー / 後藤真希
  • ALL OF US / 後藤真希
  • ハピネス / 松浦亜弥
  • dearest / 松浦亜弥
  • 初めて唇を重ねた夜 / 松浦亜弥
  • ひとり / 松浦亜弥
  • Rock My Body / 松浦亜弥
  • オシャレ! / 松浦亜弥
  • 夢から醒めて / 高橋愛

並べてみて、結構微妙な選曲だな、と自分ながらに思ったり。私は結構いいと思っているのに、あまり界隈で評判がよくないと、ここではポイントが高くなったり、とか例によっての天の邪鬼ぶりが影響しているかも。

モーニング娘。については、とりあえずシングル曲は並べておいて、少し微妙目なアルバム曲が並ぶ。「コタツの歌」なんて褒められているのを読んだことがないのだが、私はあの暗さが結構好み。

メロン記念日久々の新曲「お願い魅惑のターゲット」は当然のエントリー。

GAMは第一弾シングルの表題曲「Thanks!」だけを外す。この曲を聴いたときは1 + 1 =0.8にするユニットだなと正直思ったが、あとの2曲は1 + 1 = 2とはいかなくても、1 + 1 > 1 にはなっている。

中澤裕子久々のシングル「うらら」。買いに行ったときにはそこの店では売り切れていて、以後買いそびれていた。プッチベストで再会して、あ、やっぱりその後でも買いに行くべきだったと反省。

安倍なつみシングル曲についてはカップリング曲が中心。アルバム曲はどれも甲乙つけがたく、微妙な差で絞り込む。

後藤真希もカップリング曲。「路線変更」が話題だが、後藤さんの魅力が出ているのは透明感のある声で情感豊かに歌う曲だと思い、それがよく出ている従来路線のカップリング曲を選別。

松浦亜弥はシングル曲は一曲しか出せていないが、そのカップリング「ハピネス」が佳曲。その後に出たアルバムNaked Songsにも良曲が詰まっていた。絞りきれず、やや多い目のエントリー。

高橋愛初ソロ曲「夢から醒めて」は当然エントリー。

前田有紀「お前の涙を俺にくれ」はいくら何でも「ド演歌」すぎ。昨年の「西新宿で逢ったひと」のような曲だったらよかったのだが。

ミュージカルがらみの曲はやはり単独で聴くものでもないという気がして、すべてランク外。

というわけで、出そろったノミネート作品、さあ、この中から栄えある最優秀楽曲賞に選ばれるのはどの曲か!!!。

ここでいったんコマーシャル。

2006年12月28日

■ 年の暮れ

ようやく昨日で今年の仕事はおしまい。あとはまったりと今年を振り返ろうかということで、私的ハロプロ大賞でも開催しようかなどと考える。年末いろいろばたついていて、あちこちのサイトで行われていたその手の大賞ものはことごとく参加しなかったので、ひっそりと自分一人で今年でも振り返ろうか、と。

でもまだ買ったけれど封も開いていないものが結構あって、それを一通り見てから、と思い、今日からまったりその辺の消化から始めようと思っていた。ところが昨日このサイトを置いているサーバがさる理由で突然落ちてしまって、その後始末に追われる。何とかデータは無事だったのだが、いろいろダメージが残っているようだったので、サーバを入れ替える。こちらのサイトを動かしているMovableTypeの移行に想像以上に時間を取られる。

とりあえず修復は終わったが、今使っているサーバをこのままサーバとして給し続けるかどうかは未定、場合によってはまたシステムの入れ替えが発生するのか。

とりあえず今動いているサーバはサーバにしておくのがもったいない高性能なものなので、前のシステムよりもコメント投稿などは軽いはず。というか、前のは重すぎ。MovableTypeを動かせるようなスペックのコンピュータではない、というのはわかっていて使い続けていた。

というわけで、とりあえずサーバ交換のご報告。

ついでに「私的ハロプロ大賞」は今のところ

  • (私が聴いた中で)ベストソング
  • (私が買った中で)ベストアルバム
  • (私が買った中で)ベストPV
  • (私が買った中で)ベストライブDVD
  • (テレビおよびGyaoなどで私が見た中で)ベスト歌唱
  • (私が行った中での)ベストコンサートorディナーショー
  • (私が見た中での)ベストミュージカル
  • (私が今年)再発見した曲
  • (私が思う今年の)MVP
  • (私が期待する)来年活躍してほしい人

の各賞で構成されるという俺様ルールで開催する予定。ノミネート対象はそれとなく頭の中にあるが、選考を進めながら随時追加する可能性があるというこれまた俺様ルール。

2006年12月26日

■ 過ぎ去りし日の

困ったことが起こった。私の頭に染みついて離れないことがある。どうやら昨日の更新からのようだ。

ある歌のフレーズが私の頭の中を駆けめぐるのだ。仕事の思考のじゃまになるぐらいに。

メリピン メリピン クリスマス

メリピン メリピン クリスマ〜ス

2006年12月24日

■ 凍る心

安倍なつみファンとして一番許し難いと感じたことを今更ながらに思い出してしまった。そう、加護ちゃんのファンとしても同じだ。物事の正しさを法律の上っ面の条文をなめただけで判断できると信じる言説。2年前にさる安倍さんファンサイト(今は小川さんファンサイト、なんて浮気性なのだ)へ寄せられた一つの、冷たい書き込み、私はそれをどこかで忘れてはいなかった。そしてそれが今まざまざと思い出さされる。

問題は二年前の恨み辛みなどではない。そのような言説がさも「良識」を気取る言説として今なお反復されている、ということも今更だ。ただ、私が勝手に抱いた勝手な期待、それが真に勝手なものでしかなかったことを思い知らされ、打ちひしがれる。

何も変わりはしなかった。


しかし法律を盾に何かをいうのなら、せめて法律の条文ぐらいきちんと確認すればよいのに。下のエントリと刑法230条はどう読んでも繋がらない。233条なら分かるのだけれど。

さらにいえば、230条と233条とでは適用の際に問われるべき慎重さにかなり差があるはずだ。一つ法律論にしたところでそういうきわめて慎重に考えなければならないことが山積みなのに、そうした事柄をすべて捨象して、やれ著作権だ、やれ名誉毀損だと上っ面の法律を振りかざす。いったい何なのだろう?

2006年12月14日

■ 誕生10年記念日までの物語

「モーニング娘。誕生10年記念隊 」

またよくわからないものを結成したものだ。最初企画を聴いたときは、微妙な気持ちと、それとは別の、いろいろ勝手な想像をふくらませて無理矢理期待する気持ちとがない交ぜになった妙な状態だった。そして当初メンバーが発表されたときは、かなりがっかり来た。期待したところのほとんどの事柄が実現されなかった。

勝手な期待は期待として、もっともがっかり来たのはそのメンバー構成。1期より飯田圭織、安倍なつみ、3期より後藤真希、7期より久住小春。偶数期が抜けているのは今後への期待をつなぐものとして好意的にも受け止められたが、奇数は奇数でもこの「抜け」は何なのだ?この「5」の抜けは、私が見てきたモーニング娘。の歴史をある種冒涜するもののようにさえ感じられた。

モーニング娘。は「愛の種」の手売りから始まり、後藤真希の加入と「ラブマシーン」により、「国民的アイドルグループ」に成長し、いま「きらりん某」久住小春を迎えて脈々と続いている。。。

なんなのだ?この中抜けの物語は。こんな形で物語の一部を抑圧し、埋葬するのは耐えられない。私はこの企画は支持できない。

しかし程なくして正式発表が入る。5期から新垣里沙。

心の底から安心する。次に来たるべく偶数ユニットへの期待もつながり、本ユニットに不参加のメンバーも含めた「全員」で10周年を言祝げるように思えた。

■ 恒例行事

そうこういっている間に、モーニング娘。新メンバーが決まっているとか。

私はオーディションなるものには一貫して興味を持ってこなかったので(まだ素人の女の子をあれこれ批評するのは趣味ではない)、今回もオーディションは全く見ず、結果だけを知る。

なんだかモーニング娘。の古き良き伝統が残っているような、そんな安心感を覚えた。独り立ちはまだ遠い少女の不安な門出、しかしその先にはユートピアの光が揺らめく。他の候補者との比較はできないけれど(まともに見ていないので)、モーニング娘。の物語を紡ぎ続けるに足るよい新メンバーが入ったのではないか。

2006年11月28日

■ 見るべきものを見ず

貧乏暇なし、いろいろあっていろいろ思うことあって、いろいろ買いたいものもあるのに、全然時間がとれない。

カントリー娘。あさみ、みうな、卒業。里田まいさんが最近ソロで頑張っているな、と思ったら、こういうことだったのか。一人になってしまうことがあらかじめわかっていて、それでバラエティの仕事を割り振った、と。何となく合点がいく。

里田さん、「外」では、かなりの天然キャラで受けているようなのだが、この人、ハロプロ内では矢口真里さんと並んで(保田圭さんの次ぐらいに)とても常識のあるまともな人、で通っているんですが。あの程度であれほど騒がれるのなら、みうなが出ていたらどんなだっただろう、と惜しまれる。ハロプロの秘密兵器、みうながその本領を見せないまま卒業してしまうのを惜しむ。

二人とも、ハロプロにいてよかった、とそう心の底から思ってくれていることを希う。

買い物。ハロプロアワー、松浦亜弥新アルバム、そして待望のリボンの騎士DVD、と購入を決めているものが続々発売されているのに、買って鑑賞する余裕が全くない。まだ先日見た安倍なつみ主演ミュージカル「白蛇伝」も私の中で未消化なのに。

2006年11月12日

■ 二つの物語

安倍なつみがモーニング娘。において紡いでいた物語は「成長」の物語であった。「ソロ」としては今一歩という5人を集めて、将来のソロ化を目指して活動する、という制作側が用意した物語に、少なくとも安倍なつみは見事に即応していた。ソロ化の意味づけは次第に変わり、ただの出発点ではなく、一つの到達点を示す「卒業」に変わったが、しかし本筋は何ら変更される必要はなかった。仲間とともにあって、ともに生活し、時に諍いもし、そうしたプロセスを繰り返しつつ、次第に独り立ちしていく。つまりこの物語は「私」が絶対的にして安定的な、まさに自分がその一部であり、かつ逆に自分にとっての一部である共同体から次第に巣立っていく、まさに典型的な「成長」の物語だったのだ。

一方高橋愛がモーニング娘。で紡いでいる物語はそうではない。高橋愛(やその他のいわゆる「新メンバー」)にとってモーニング娘。は最初疎遠なものとして現れる。それは既に自分の外部に存在しており、「私」の参入を拒んでいる。従ってまずもって必要なのは、こうした疎外状況の解消の物語なのである。そして高橋愛にとって、この物語がとりわけ長く続いた。

途上はたしかにはらはらさせられるものであった。それでも最後にはハッピーエンドになる、それがモーニング娘。の持つユートピア性なのである。安倍なつみはもはやモーニング娘。を必要とはしていない(というには本当はまだ少し不安なところがあって、それもまた一興なのだが)。そして高橋愛ももはやモーニング娘。を畏れてはいない(というには本当はまだ少し不安なところがあって、それもまた一興なのだが)。

「物語は終わった」(神の声で)。でもまた別の物語が紡がれるであろう。

2006年11月08日

■ 復活

本日無事帰宅。ネットワークも復旧。

ルータがやられていると、遠隔操作もできない。でもサーバのハードディスクがやられているよりはずっとましだけれど。冷や汗が出た。

今日はなっちこと安倍なつみのミュージカル初日。東京に行っていたので、ついでに寄って行きたかったが、開始時間に間に合わなかったのと、帰りの新幹線の時間が不安、18日ないし23日当たりに自腹で東京に行って日帰りで見に行くことにしよう。

CDも重要なのが二つ、件のミュージカル「白蛇伝~WhiteLovers~」ソングセレクション とモーニング娘。新曲「歩いてる」、発売日だったのだけれど、財布に金を入れ忘れて、新幹線のチケットと晩ご飯の弁当を買った後の所持金676円、これではCDは買えない。結局愛ちゃんこと高橋愛のグラビアが出ていたFLASH誌を購入。

「プリッとしなやか、ハタチの色香 サファイアの輝き」。なんのこっちゃ

2006年11月02日

■ 蛇口を閉めろ

「ハロプロキッズ」の中で私が顔と名前が一致する数少ないメンバーの一人である村上愛さんが*既に*彼女が所属していたグループ℃-uteを脱退していた、との知らせ。

公式には学業専念ということだけれども、既にネットではあるプライベート写真が流出したのがきっかけだと語られている。こういう曖昧な言い方だけだと、事情をよく知らない人が変に誤解するといけないので、もう少し具体的に書くと、プライベートで男性と二人で歩いている写真を「ストーカー」とその界隈で呼ばれている輩に取られてそれがネットにあげられたということ。

この件について、事務所への批判をいくつか読んだのだけれど、どうなのだろう。「ストーカー」やら、そいつがばらまいた写真でまたぞろ蠅みたいに汚物に群がり騒いだ連中が悪いのは当然として、はたしてこんなことで事務所が彼女を辞めさせたのだろうか。いくら何でもそこまでの事務所だとは私には思えない。むしろ本人の気持ちが切れてしまって、自ら辞めてしまった、という方が納得感がある。

14歳、それなりにプロとしての気持ちは持っていたとしても、自分のささやかなプライベートを盗写されたあげく、それを公開されて、それについてあることないこと、勝手なことを書かれる、そんなのに耐えられるのが普通だとは思わない。また耐えるべきだとも思わない。私が親なら、一も二もなく辞めさせる。そして事務所もそれを認める程度には「良心的」だったのだと思いたい。今までのいろいろな経緯を見ていても、私はその程度にはアップフロントという会社を信じている。

どう考えても最悪なのは写真をさらした輩であり、そしてそれに乗ってバカみたいに騒ぎ立てた蠅どもだ。一人の馬鹿が傷を捏造し、それに傍観者気取りの蠅どもが群がりよる。何度同じ光景を見せられればよいのか。

もう止めにしよう、いい加減そういう空気をつくっていかないと、「精神」が腐っていく。小さなことからでいい、何かを変えていかなければならないのだと思う。

ここを見ているハロプロファンの人に言いたい。もう2ch「狼」に何かを書き込むのは止めにしないか。メディアは手段でしかない、と言われたりもするが、そうではない。メディアのあり方は確実に「精神」を変容させる。そして今の2chというメディアの存在は人々の精神を少しずつ腐らせている。mixi個人情報流出事件、そしてハロプロ界隈で起きた今回の件、一人一人のおもしろ半分の、気楽な書き込みが、特定の人のかけがえのない人生を変えてしまう、そのことの恐ろしさに気づかずにものを言えてしまうシステムが匿名掲示板なのだとしたら、せめてその暴力性に気づいた者はそれにNoを突きつけなければならない。

2006年10月11日

■ 「私はピアノ」

なんだかあまり話題になっていないような気がするのだが、テレビ東京深夜番組「歌 ドキッ!」。ハロプロメンバーが昔懐かしの曲を歌うという新旧アイドルファンにはたまらない番組。

なっちこと安倍なつみが登場。一回目「わたしの青い鳥」、2回目「私はピアノ」を歌う。

「わたしの青い鳥」。曲自体は当時それほど好きな曲でもなかったけれど、安倍さんには結構合っている。「クック クック」、うん、可愛いじゃん。まったりさわやかな曲、佳曲に思えてきた。

そして「私はピアノ」。高田みずえさんが歌っていた頃から結構好きだった曲。今調べたら桑田佳祐さんの作品で、元々はサザンオールスターズで原由子さんボーカルで歌っていた曲だとか。なるほどなるほど、確かにそんな曲だ。

これがまた何とも安倍さんに合っている。しっとり、ゆったりとした曲。もう何回もリピートを繰り返して見ている。アコースティックライブの代わりだ。

■ お父様になりたい

ラジオの公開録音でなっちこと安倍なつみの恋愛話を聴く。

新曲は7歳年下の男性との恋愛を歌ったものだけれど、実体験では4歳年下の男性を好きになったことがあって、でも何となく終わってしまった、とか。思わず年齢の計算をする。まさか16歳の少年に恋するとかそんな話ではないよな。となると安倍さんがソロデビューをした頃でも相手は18歳、つい最近の話でも相手は21歳、なるほど。何がなるほどかはわからないけれど。

なんというか、あー、なっちも大人になったんだな、というか。まだベタなアイドルをやっている、という意識があればそんな話はしないだろうし、普通に恋もして、いろいろあって、よいことです。そういういろいろあって、歌に思いがこもってくるのではないかと思うのだ。子どもでも歌うまい人はうまいのだけれど、個人的にはあまり心に響かない。子ども(アイドル歌手)が好きな人を否定はしないけれど、私はある程度大人の方がいい。

そういえば高橋愛も18になってぐらいからだしな、私が真剣に応援しだしたのは。それでもまだ歌という点では「上手いけれど・・・」という感じだし。愛ちゃんも恋をしろ、いや、それはまだ早いな。

私は何様だ。

■ 金は払うから

明日(もう今日か)はなっちこと安倍なつみ新曲購入者特典くじ当選者招待アコースティックライブ開催日か。

私は当たらなかったし、たぶん当たってもいけそうもなかったので、後日DVDでも発売されない限りは無関係。

ということで、東京往復+α分のお金で購入した安倍なつみクリスマスディナーショーのチケット到着。ホテルオークラ神戸、12月18日開催分。何故か夏の時より2000円も値段が上がっているのは「クリスマス」代ということか。いいよ、少しくらい高くったって。少人数で着席したまままったり見られるライブ、理想的じゃないか。初期モーニング娘。時代、ライブのチケットなんて簡単にとれなかった頃(といっていまでも結構早くに売り切れていたりするのだが)、将来人気の勢いが落ち着いて地方の小規模な会場でも当日券で入れるようになれば行きたいな、などと考えていたことを思い出す。その「将来」が2-3年ですまなかったとか、そもそもそうなる前に安倍なつみがモーニング娘。からいなくなるとか、その頃は想像もしなかったことだが。

そのときの思いとはいろいろずれて、普通のライブではなく28000円なんていうゴージャスなディナーショーになってしまったけれど、結果としての思いは叶えられているのかもしれないとも思ったりする。ただ惜しむらくはディナーショーはライブ時間が短く、コストパフォーマンスがかなり悪い、ということだ。いつも思うのだが、食事は牛丼でも何でもいいから10分程度で終わらせて、ショータイムをその分増やしてほしいものだ。お金は払うから。

2006年10月08日

■ 甘すぎた果実

日々の生活に追われているうちに祭りは終わりぬ。

安倍なつみ新曲「甘すぎた果実」、発売日前日の火曜日に東京某所で入手。いわゆる「くじ」つき、ということで、当たっても日程的に当選特典のライブには参加できないのだが、一応お祭りには参加できた気になる。結果は「はずれ」。別に「くじ」を買ったわけではないので、「はい、残念でした」、これはこれで結構楽しめた。

本来の商品たる曲、聴けない。出張中で持ち歩いているPCにはROMドライブがついていない。お預けを食らった犬のような気持ちになる。

水曜日の夜に帰宅。翌日の仕事の準備に追われながら、表題曲とカップリング曲を聴く。「甘すぎた果実」の方はテレビで放送済みのため、すでに知った曲だったが、カップリング「やんなっちゃう」は初聴。カップリングとして佳曲。なんとなくモーニング娘。「ふるさと」のカップリング曲「忘れらんない」を思い出す。ただ佳曲は佳曲だけれど、こぢんまりとした曲なので「空 Life Goes On」のような定番曲にはならないだろう。そうなるとこの曲を直接聞けるのはくじに当たった人は確実として、後は28000円のゴージャスなディナーショー参加者にチャンスがあるか、というぐらいなのか。

ついでといっては何だが、そのゴージャスなディナーショー、神戸の回に申し込み。神戸に19時って仕事終わりによれる時間ではない。休みを取って一日神戸見物としゃれ込むか。

2006年10月03日

■ 今日の運勢

はずれ

2006年09月27日

■ 当て外れ

中澤裕子、久々の新曲「うらら」。

つい最近までずっと「うちら」だと思っていた。大阪の女である「私」の恋を歌った歌。二人は一緒であるということを再認したくて自分と相手のことを「うちら」とまとめて呼ぶいじらしさ。しかしそれは実は彼の気持ちが離れていることを予感していることの裏返しである、というとても切ない曲を勝手に想像していた。全然違うじゃん。

握手会。大阪ディスクピアにて開催、おお、仕事先の近所ではないか、仕事途中に抜け出せば参加できるな、と考えていたら、場所違い、大阪は大阪でも阪急梅田ではなくて、日本橋だった。

それはそれとして梅田ディスクピアに買いに行ったら、売り切れだった。 

■ 醜いもの

たとえばSMAPのメンバーが警察沙汰を起こしたことを考えよう。そのことでもって、そのメンバー以外のメンバーのファンたちがそのことを論い、そのメンバーのファンを貶め、そのメンバーがメディアに出ればいちいち何のかんのとくだらないことを言ったりしているのだろうか。

たとえばジャニーズの若いメンバーが飲酒をしたことを考えよう。そのことでもって、ジャニーズの別のグループのファンがジャニーズのイメージを壊しただとか何だとか言って彼やそのファンに突っかかったりするのだろうか。

普段はあれこれ言っているかもしれない、それでもそのメンバーやそのファンが本当に苦境に立っているときなれば、せめて口をつぐむぐらいのことはするのではないのか。ただ何も言わず、黙る、その程度のことぐらいはするのではないだろうか。

「嫉妬」。漢字には「おんな」偏がつくが、男の嫉妬の方が遙かに醜い。それを実感させられたここ数年であった。

2006年09月26日

■ モー娘。遠くなりにけり

なんだかいろいろ疲れた。

ファンであることをするのに疲れたというのか。

2chという言説の破落戸の集い場についてここで何を言ってもむなしいだけだ。そして2chモーニング娘。関連掲示板のもつ属性は2chの属性と言うべきであって、モーニング娘。ファンの属性とは切り離すべきだ、と言い聞かせては見る。しかし2chのもっとも卑しき部分をモーニング娘。ファンと称する連中が支えているのではないか、という思いもまた消しがたい。

その場その場の感情、暇つぶし程度の思いで、人のリアルな生活に干渉し、貶めることを厭わぬ者たち。自分たちが騒ぎ立てた結果起こったであろう事柄のその後のことなど話題にすらならない。また別な獲物を求めて徘徊する。そんな下劣な連中を生み出すのがモーニング娘。なのか。

周りにどんな連中が跋扈しようと、私の心の中にユートピアが宿ればそれでよい。そうは思えども、今ハロプロを巡る環境それ自体が、私にとってさして愉快ではない。

なっちこと安倍なつみの新曲のPVが発売中止になったという。なんのこっちゃ。頭が痛くなる。

モーニング娘。八期メンバー募集中。今更増員に賛成も反対もないが、興味を持つのも難しい。

電車のつり広告で「細川護煕・加藤静允」という漢字が書いてあるのを見た。一瞬反応してしまう自分がむなしい。

先日、大阪某所でFC限定のハロプロエルダークラブコンサートのDVDを見かけ、一万円も出して買ってしまった。値段はともかく、内容はとてもすばらしかった。何度も何度もリピートした。DVDを繰り返し見るのも久々だ。追っかけていたのは大谷雅恵だ。

モーニング娘。が遠くなっていく。

2006年09月22日

■ 絶望

普段自分たちが特定のメンバーやそのファンを誹謗中傷しまくっているくせに、ちょっと自分の情報を出した場所でモーニング娘。を批判する者がいたら、ここぞとばかりその「弱み」(匿名の者と比べると自分の情報を出した者はこの手のくだらないケチつけには弱いよな)につけ込んで、一斉に謝罪しろだなんだと騒ぎ立てる。

もうモーヲタには絶望した。

モーヲタであったことを心より恥じる。

2006年09月14日

■ 甘すぎたファンサービス

なっちこと安倍なつみ、新曲「甘すぎた果実」、 発売間近。

作詞はこれまで「恋の花」、「スイートホリック」を手かげたBULGEさん。作曲迫茂樹さん、というのはどこかで聞いたような、と思ってわがiTunesを検索したら、島谷ひとみさんの「市場へ行こう」の作曲者だった。ちょっと異国情緒のあるおもしろい曲だった。私は結構好きだった曲。

題名もカバー曲「ストレス」はともかく、ここ2曲ばかり甘めの曲が続いたので、ここで一発「甘すぎ」の曲が来るというのもよいのではないかと。「甘すぎ」というのは「苦い」ということだから。ちょっと激し目のほろ苦い曲になると期待。

この曲には安倍なつみアコースティックライブ参加券が「くじ」方式で入っている、ということで波紋を呼んでいる。複数枚購入を煽る作戦。まあ、それぐらいはよい。

場所は東京のみ、それもまあやむを得ない。

日時は平日19:00から、え、地方人は来るな、と。

「※当日は、会場定員を超えた場合、入場をお断りする場合がありますのでご了承下さい。」。へ?たとえばわざわざ京都から新幹線で現場行っても、入れないことがあるの?これはひどい。

たしかにこの当たりくじ方式では当選者数のコントロールは難しいから、予想を超える入場希望者が出る可能性はある。そうなれば安全対策上、この処置もやむを得ない、それは理解できる。

たとえば新幹線代などの交通費をかけて、また終了時間の関係上、場合によっては宿を押さえてきたファンに、定員オーバーだから帰れ、ということになるのか。言う側の論理としてそれはやむを得ないことだということは理解できても、言われた側からすれば、それはとても理不尽な仕打ちだ。文句を言ってみても入れないものは入れない。すごすご引き下がるしかない。しかし心の中では確実に割り切れないものが残る。いくら心の中で安倍なつみ本人が悪いわけではない、と言い聞かせてみても、どこかにぬぐいようもない傷が残る。

そのようなファンの思いを踏みにじる可能性のある(また場合によってはそうせざるを得ない)イベントなど行うべきではないのだ。安倍なつみにそのようなイベントを行わせてはならないのだ。


私は、というと、「くじ」を引くのが4日か場合によっては5日、イベント日が翌週11日、間一週間しかない、それで東京に行って、翌日の仕事に間に合うように夜行バスで帰るなりなんなりの算段をつけて、というのはとても難しいことだ。複数枚買いして「当たり」を引こうという努力をするのは難しい。一枚買って当たった場合どうするか、はこれまたとても難しい判断を迫られる。

■ ありがとう、松浦美貴です

松浦亜弥と藤本美貴のスペシャルユニットGAMのシングル「Thanks!」、入手。

松浦亜弥主演の映画「スケバン刑事」のイベント参加券が当たる抽選券が入っていたので、何となく応募画面に進んで後一歩手前で踏みとどまる。「行く?のかなあ」。

当たったらやっぱり行かなければならない気がするし、大阪には藤本美貴さんは来ないみたいだし、松浦さんにせよ美勇伝にせよ、見たくなくはないのだけれど(<<否定の連続>>(とAtokが曰う)、何となくここでは運を使いたくない気もして、とりあえず応募見送り。

■ はたち

高橋愛ちゃん、二十歳の誕生日、おめでとうございます。

今度お酒を飲みに行きましょう。

言うのはただだろ、言うのは。

2006年09月05日

■ 歌がうまくて、オーラがない

もうずいぶん前の話にはなるのだけれど、「ハロモニ。」に長山洋子さんが出てきて、なっちこと安倍なつみさんと絡んでいた。

我がiTunesには長山洋子さんの曲が16曲ばかり入っている。演歌ではなくて、アイドル時代の曲。洋曲のカバー「ヴィーナス」が有名だが、デビューから2曲目、桑田佳祐作曲の「シャボン」が知る人ぞ知る名曲。

長山洋子といえば、歌がうまく(後に演歌に転向してやっていけているのだから)、しかしたとえば同時期の荻野目洋子さんと比べて特徴が少なく、地味でオーラにかけた。アイドルとして大ブレイクすることはなかった。

そのあたりの「スキルはあるのに、いまいち」感が私は好きだったのだが、いやはや人の好みというのは20年たっても変わらないものだ。

愛ちゃん・・・

2006年08月18日

■ 僕たち女の子

仕事でずっとテレビなどを見られなかったので、その分を取り戻している。

ワイドショーではリボンの騎士がらみの話題を取り上げている。その中の高橋愛、安倍なつみ出演分より。 男性インタビュアーの持って行ったぬいぐるみ(うち一つはインタビュアーがモデルとなっているらしい?)をプレゼントされて、どこに飾るか、という問いに対する回答。

高橋愛「ベッドの横に」

安倍なつみ「トイレとかかな」

さすがに安倍さん、お手本通りのぼけ。一方の高橋さん、文字だけを起こすととても女の子っぽい感じなのだが、例によってこの回答をした後にいつもの「うひゃひゃ」笑い。男性に対する女の子の「ベッドの横」という言葉のもつ威力を見通しているのか、何も考えていないのか、判断ができない。手強いぞ、高橋愛。

つづいて高橋愛も安倍なつみも男性役を演じるという話から。

高橋「生まれ変わったら男になりたいですね。女はいやです」

インタビュアー「何でそう思ったんですか」

高橋「もう女はいいかなって」

インタビュアー「はやっ。おいくつでしたっけ」

高橋「今、19歳です」

19にして「もう女はいい」と言う高橋さん、どんな人生を送っているのだ。

安倍「生まれ変わったら女にまたなりたいんです」

インタビュアー「(女であることの)いいところはどんなところですか」

安倍「ワンピースとか着れる」

高橋「確かに着れる」

高橋さんが例によって何とも微妙なつっこみを入れているのだが、それはともかく安倍さんは永遠の女の子なのだ。

2006年08月10日

■ 夏イベント

今日はなっちこと安倍なつみさんの誕生日&リボンの騎士出演日か。だいぶん前から安倍さんファンがそわそわしているのを見ていて、何となくこの日は休日だと思っていたが、普通に平日だった。休みを取るために調整などをしている皆様、お疲れ様です。

さらに一昨日には「ともえちゃんフォークジャンボリー」なるイベントに安倍さんが登場する、というのでそちらもまたリボンの騎士以上に気になる安倍さんファンにとっての一大イベント。お盆を休まず、そのあたりにまとめて休みを取る、という人もいるのだろう。

私は休みならいつでもとれるけれど(その代わりというわけでもないが、お盆はしっかりお仕事)、東京にまで行って、滞在するほどのお金も気力もない。東京までの往復費用26000円弱、ふむ、こっちのほうがよかったか。しかしやはり東京までの往復時間5時間、この暑さの中、外出すること自体がおっくうなので、非常に敷居が高くなる。

イベントの内容は気になるけれど、話を聞けばうらやましくなる、というので、イベント報告がなされているブログや掲示板を片目で読んだりしている。

というので上記二つのイベントはスルーしたのだけれど、とりあえずリボンの騎士は8月14日には見に行くことにした。ちょうど仕事で東京に行くので、そのついでに。安倍さんは出ないけれど。と、調べてみたら松浦亜弥さんの出演日か。

安倍さんと主演の高橋愛ちゃんの絡みは非常に見たかったのだけれど、仕方がない。この公演は愛ちゃんの晴れ舞台をこそ見るべきものだ、ということで納得している。というより、非常に楽しみ。愛ちゃん愛ちゃん。

東京にまでは行けなくても、関西に来るときぐらいは、ということで東京往復とほぼ同額のイベント、ディナーショーのチケットがようやく届いた。8月28日は仕事で大阪にいるので、18時30分で抜け出せばちょうど間に合うはず。

他会場のレポートを読むと、食事はフルコースで値段だけのことはある内容らしいのだが、人を詰め込みすぎて、全然余裕がないらしい。養鶏場でフルコースを食べさせられるような感じなのだろうか、なんとも「貧しい」気がする。それだったら食事は洋食屋のハンバーグでもいいから、もっとゆったりできる席を用意してくれ、などと思ったり。というか、飯はいいから「フォークジャンボリー」で歌ったような曲も入れてちょっと長めの公演をしてくれた方がうれしいかも。26000円払ってゆったり2時間安倍さんの歌としゃべりを聞く、贅沢な話ではないか。

2006年07月25日

■ 転校していくあの娘。

紺野あさ美および小川麻琴のモーニング娘。「卒業式」が先日7月23日行われた。

何か書こうとも思った。でも何もかけなかった。そもそも小川さんはまだ8月までモーニング娘。に居るのであって、お別れの言葉なんて書けやしない。でもそれだけではない。

「卒業おめでとう」。なんだか白々しい。何故だろうか。それをずっと考えていた。

公式には二人は「卒業」したのだし、それに異論はない。しかし私の中では、「卒業」という言葉に込められる印象とは違ったものとして映っているようだ。それはどういうものか。

私にとって「卒業」とは、たとえば古くは中澤裕子の、最近では石川梨華のものがそれにぴったりくると感じられるものである。やるだけのことはやり、こちらも見るべきものは見た。後は新天地での活躍を期待しよう。 紺野さん、小川さんに関しては、見るべきものはすべて見たという感覚もなければ、新天地での活躍を応援しようにも情報も(おそらく)ほとんどなく、どうにもならない。

また別のパターンを思い出す。古くは市井紗耶香の、新しいところでは矢口真里のケース。事務所の扱いは若干違ったが、私にとっては両者とも、いわば「自主退学」になぞらえられるべきものとしてイメージされていた。私は「卒業」と対比して「退学」を貶めんとしてこういっているのではない。ただ「途中」の段階で、「本人」の強い意志により、それを中断してしまった、しかしそこに見えるその意志の強さに私(たち)はただ見守るしかなかった。その意志の強さを感じられたが故に、それを選択した彼女たちの将来にも彼女たちなりの希望を見ることができた。私は途中でやめてしまった彼女たちを惜しみもするけれど、辞めたこと自体はしっかり受け止めることはできた。

紺野さん、小川さんには、そのような何かを強引に断ち切らんとするような断固たる意志を感じることはなかった。彼女たちはモーニング娘。であることに何ら違和感を感じさせることはついぞなかった。ずっとこのままで居ることの方がずっと自然なのに、なのに突然いなくなる、と聞かされる。

この感覚はいわば「転校」なのだ、と思う。

先生がホームルームか何かの時間に突然言う。「紺野さんと小川さんは、引っ越しのため、二学期から新しい学校に転校します。紺野さんとは一学期の終業式が最後です、小川さんは夏休みの行事には参加します」。 別れの時には実感はない。また今度、などと手を振って、おやそれは違うと頭で理解する。二学期になると彼女たちは居ない、そんな寂しさ。

今日、紺野さん、小川さんの最後のモーニング娘。単独コンサートのDVDを見た。エンディングで各メンバーが書いたメッセージが流れていく。「また一緒に盛り上がりましょうね」、「またライブに遊びに来てね」、「またみなさんに会える日まで頑張ります」、「愛してるぜ!!またライブで」。そして最後に二人。

小川麻琴「みんなの笑顔 忘れないよ ありがとう」。

紺野あさ美「みなさんと生でふれあえる、ライブってホントいいなぁと感じました。幸せ者です。みんなありがとう」。

初めて「最後」を実感して、ちょっとだけ泣いた。

2006年07月21日

■ 26000円

17inch液晶モニタ、25610円

iPod nano 4GB、27800円

MS Office Standardアカデミックパッケージ、23940円。

東京大阪を新幹線で往復、26480円。

んー、26000円って、結構いい値だな。

■ 周回遅れのMUSIC FAIR21

どうにも体力的に限界がきていて、仕事もはかどらなければ、それ以外のこともはかどらない。涼しい日が数日続いて、その間に昼寝をしまくって、ようやく体力が回復してきた。

というので周回遅れの今更ながらの神番組MUSIC FAIR21の感想文。

といっても今更ながら過ぎるので、ごくあっさりと。

まずは懺悔。

菊池桃子「卒業-GRADUATION-」(モーニング娘。)のメインとして高橋愛を希望だとぉ、馬鹿じゃないか、誰がどう考えても紺野あさ美と小川麻琴メインに決まっているではないか、そんなことは宇宙の摂理だ。寝ぼけているではすまされない大失態。

あと残念だった点。

「センチメンタル・ジャーニー」(安倍、辻 with 松本伊代)。

違うじゃん。松本伊代with安倍、辻だったじゃないか。なちののを期待させておいて、それはないぜ。でも伊代(漢字が全然出てこないのでコピペの連続、Atok、駄目じゃん)さん、歌うまくなっているような。デビュー時はもう少し何だったように思っていたのだが。

何だかなあ、と思ったところ。

定番おにゃんこクラブ、「セーラー服を脱がさないで」、亀井絵里さんのパート「エッチをしたいけど」。んなもん亀ちゃんに歌わすな。というか秋元康、何を考えてんだ、馬鹿だなあ、と改めて思ったりする。

惜しいなと思うこと。

娘。たちの歌唱力を持ってすればオリジナルを凌駕し得た曲が結構あったと思うのだが、やはりソロの曲を複数人で歌ってしまうと何となく中途半端な感じになってしまった。

結論としてはLoveマシーン、最高、ということで。

2006年07月16日

■ 違うわ アホか

一ヶ月前以上の話題。ハロモニ。6月18日放送分、「シングル30枚突破記念、モーニング娘。タイムスリップスペシャル」。

モーニング娘。デビュー時に最年少メンバーである久住小春はまだ5歳だったという話題から、その当時の久住ちゃんの写真を司会の石川梨華さんが紹介する。その写真が張ってあるパネルの残り半分には白いシールが張ってある。

石川「皆さん、ちょっと気づいてください。こっち、なんかありません?これちょっと見たくありません、皆さん」

娘。たち「見たーい」

石川「見たいですよね。その当時の中澤さんの写真です」

その当時のいわゆるアー写(アーティスト写真)とおぼしき、そういえば私も見覚えのある、明らかにカメラを意識した、しかも当時中澤裕子はまだ素人だったため、何とも硬い表情の写真が登場する。写真のお題は「モーニング娘。デビュー当時の中澤裕子ちゃん」。

石川さんの隣にいた中澤さん、大きくのけぞり、口を押さえて苦笑。

石川「これ、中澤さんが一番大好きという写真ですね?」

次にテロップに拾われた文字は

中澤「違うわ アホか。中澤裕子ちゃんってほんで」

一同爆笑。

という流れなのだが、もちろん安倍なつみさんのファンは聞き逃してはいけない。石川さんと中澤さんの発言の間に、安倍さんが一言挟んでいるのだ。というので、もう一度再現。

石川「これ、中澤さんが一番大好きという写真ですね?」

安倍「ほんと?裕ちゃん」

中澤「違うわ アホか。って中澤裕子ちゃんってほんで」

中澤さん、苦笑しながら安倍さんの方を睨んでみせている。

これぞなちゆゆ。

2006年07月13日

■ 孤高というほど強くもないが

もう古い話題になってしまっているけれどGyaoのハロプロアワー。司会松浦亜弥、ゲスト安倍なつみ。

安倍さんと松浦さんの「仲」というのが時に話題になるのだが、はたして本人たちも意識していたようで、まずはその話題から話を始める。

松浦「ぶっちゃけ、多分、これを見ている人たちは不思議なツーショットだな、と思っていると思うんですよ」

安倍「ほお」

松浦「こいつら仲いいのかな、とか、絶対思っていると思うんですよ。思いません?」

安倍「あは、そうだね」

松浦「私たちがこんな風に会話を出来るようになったのは、後浦なつみからですよね」

松浦「安倍さんってなんかすごく壁を感じてたんですよ」

安倍「私、自分がそういうのを出しているのかもしれないけど、あまりこう、初めての人とかも、こうはなせないと言うか、ものすごくこう、なんだろな、時間がかかる」

松浦「うんうん」

安倍「時間がかかるし、なかなか心を開かない、みたいなところがすごくあるから」

一般的な安倍なつみのイメージ(そんなのがきちんとあるかどうかはよくわからない)からすると、少し意外な一面と言うべきなのかもしれない。歴代モーニング娘。のなかでも愛想の良さでは上位にランクしそうな安倍なつみだ。上での述べられているような「人見知り」人間とは一見見えない。

しかし安倍なつみに関する数々のエピソードを知る者からすれば、これは「常識」だ。新メンバー(もちろん保田圭、市井紗耶香、矢口真里のことだ)加入時には「怖い」と言って他メンバーの陰に隠れたり、新メンバー加入後の新曲をファンの前で告知するイベントのときには、加入したばかりの矢口さんの陰に隠れたり、娘。メンバー同士の夕食会に出ていなかったり、田中れいなにお弁当を一人で食べている後ろ姿を見られて「ああ」と思われたり、はやい話、そういう人なのだ。

2006年07月05日

■ アイドルグラフィティ

7月15日放送のMUSIC FAIR21にモーニング娘。ほかハロプロメンバーが出演して、懐かしのアイドルソングを歌うらしい。

その曲目一覧

  1. なんてったってアイドル(全員)
  2. 春一番(松浦、後藤、安倍)
  3. わたしの彼は左きき(吉澤、久住/辻、紺野)
  4. 恋する夏の日(辻、紺野/吉澤、久住)
  5. 夏の扉(石川、高橋、亀井、道重)
  6. 少女A(藤本、田中)
  7. かけめぐる青春(飯田、保田)
  8. プレイバックPart2(小川、新垣/飯田、保田)
  9. かけめぐる青春(飯田、保田、小川、新垣)
  10. Yeah! めっちゃホリディ(松浦/飯田、保田、小川、新垣)
  11. かけめぐる青春(飯田、保田、松浦、小川、新垣)
  12. ウォンテッド(全員)
  13. セーラー服を脱がさないで(モーニング娘。)
  14. センチメンタル・ジャーニー(安倍、辻 with 松本伊代)
  15. なんてったってアイドル(松浦、石川、藤本)
  16. 夏のお嬢さん(道重、久住 with 榊原郁恵)
  17. 卒業-GRADUATION-(モーニング娘。)
  18. ツイてるね ノッてるね(後藤、安倍、辻)
  19. 大スキ!(吉澤、高橋、田中)
  20. 淋しい熱帯魚(後藤、保田、安倍、辻、飯田、石川)
  21. LOVEマシーン(全員)

曲が結構だぶっていて、また30分という時間の中で曲数が多すぎることから、かなり一曲あたりの尺は短く、相当めまぐるしく曲が入れ替わる構成になるものと予想される。だからこのラインアップを見て、期待するほどの内容ではない気はするけれど、それでもこれは楽しみ。

とりあえず特に期待する曲としては「春一番」。後浦なつみがそのままキャンディーズになる。すばらしい。

「少女A」。歌うはハロプロ突っ張りキャラの藤本美貴と田中れいな。よく考えられた人選。

「センチメンタル・ジャーニー」。安倍なつみと辻希美、この二人がデュオで歌うのを見るのは初めてかも。ここは安倍さんにはぜひきゃぴきゃぴモードでお願い。

「なんてったってアイドル」。松浦亜弥、石川梨華、藤本美貴。ぜひここは石川さん中心で。あまりうまく歌われてもかえって雰囲気が出ない。

「夏のお嬢さん」。久住小春と道重さゆみの「ピンク」コンビ。

「卒業-GRADUATION-」。最初SPEEDの曲かと思ってしまった。ここは高橋さんが中心で歌ってほしいな。彼女の灰汁のない伸びやかな歌声がこの曲には合うと思う。

欲を言えばこのラインアップで2時間番組でやってほしいなあ。この手の番組をやると往年のアイドルファンがこぞって見るし、そうなれば「結構モー娘。歌うまいな」と再認していただけること間違いない。

■ 積極的な楽観主義

安倍なつみの秋の予定の概要を知った。

どうやらコンサートツアーの予定はなく、ミュージカルが中心になるらしい。

私個人の楽しみという点では、多いに残念。ミュージカルとなれば東京でしか行われないだろう。関西のファンにとっては大いにつらいところだ。さらにミュージカルというのが、私個人の志向からして、とてもつまらない。歌とフリートークの方が断然楽しい。

ただ、詳細はよくわからないのだけれども、これまで彼女が経験してきたミュージカルと比較して、相対的に「外向き」の企画のようで、そういう方向性自体は大いに期待したいところ。ドラマ出演、CM、カバー曲のリリース、そして今度のミュージカル、ハロプロ内の活動とはひと味違うこうした活動の方向性は、「表現をする」ということにどん欲なまでの意欲を見せる安倍さんにとっては、とても重要かつ順調なステップを踏んでいるように感じられる。なんだかんだ信用してよい事務所に所属しているのだと、今更ながら思う。

加護亜依さんの記事が写真週刊誌にでた。賛否、いろいろあるようだ。私は未だその記事は見ていないので、中身自体の論評は出来ない。ただ安倍さんのときも同様の記事がでて、それは確かな痕跡として、ぼんやりとした希望を見いだせるものであったことを思い起こす。おそらく今回も「隠し撮り」というものではないような気がする。事務所は事務所なりにいろいろ慎重に考えて事を運んでいるのだ、とここは楽観的に考えたい。

2006年07月03日

■ ハロプロサイト管理人バトン

実生活で「ヒッキー」をやっているとネットまでそうなってしまうもので、これまでこういう企画ものに参加したことがなかったのですが、逝的人間さんにお名前を出していただいたということで、折角ということと移転記念ということで参加させていただきます。

ハロプロサイト管理人バトン

●あなたのサイト(ブログ)名を教えてください
「重層的非決定?」。
もともと「政治・思想・哲学」と「モーニング娘。」を同時に語る、ということを掲げた「重層的非決定」というサイトを運営していて、それの分派という形で「モーニング娘。、ハロプロ」関連の内容を独立させたものがここになります。本来「同時」が肝なのに、分割させてしまったのでは本来の意味が失われているような、ということで「?」がついています。
●あなたのハンドルネームを教えてください
何でも「ハンドルネーム」というのは誤用らしいです。「ハンドル」だけでよいらしい。
などというのはどうでもよくて「はたの」です。
●あなたのサイトはどのメンバー(ユニット)がメインですか?
なっちこと安倍なつみ。オリメン原理主義安倍派、と言ったところでしょうか。そうはいいながら、結構日和っていて高橋愛ちゃんとか大谷雅恵さんとか、モーニング娘。全般とか話題に出します。原理主義者でありながらトロツキストでもあるのです。
●開設日はいつですか?
ここの場所ということでは昨日。「はてな」の分も含めれば2004年10月26日。さらに元々の「重層的非決定」にまでさかのぼれば2000年3月31日。長いようでいて、モーニング娘。の歴史よりも短い。
●開設したキッカケは何ですか?
もともとhtml手打ちでFTPしていたのだけれど、それが面倒になってきたので、「はてな」のブログシステムを使うために、別サイトとして立ち上げたのが始め。楽に更新できるということで、完全なヒトリゴトサイトのつもりがキーワードシステムとやらのおかげでハロプロ関連のアクセスが増えてきたので、趣旨を変更して今に至る。
●サイトを通して自分の推しメンバーの知ってもらいたい部分は何ですか?
変なところ。もちろん愛すべき「変さ」ということで。安倍なつみ、高橋愛、大谷雅恵、みなそれぞれにかなり「変」で、そこが愛らしい。
●現在のサイトの目標は何ですか?
真っ当なファンサイトとしてカテゴライズされること(今は屁理屈こね回し系テキストサイト、という位置づけのような気が、自己分析ではしている)。
●サイトを運営する上で困ったことや悩み事がありますか?
時間が取れない。またヒッキーなので話題が少ない。
●リンク(相互リンク)の基準は何ですか
一応人にお勧めできる、ということは意識しています。個人的には面白い、と思っても、メインコンテンツがテレビなどのキャプチャーが中心というサイトさんは一応リンク対象から外す、とか。そういうことをするのが悪い、と言いたい訳ではなくて、ただそういうのは個人で楽しむべきもので「お薦め」というのとは少し違う気がするので。
●日記を書くとき何か意識していること(気を遣っていること)はありますか?
ハロプロメンバーに関して、ネガティブなことは書かない。
基本的に「言説」やら「状況」に対しては批判的な姿勢を捨てるのがよいとは思っていないし、実際批判的なことも書くけれど、「人」にはポジティブに、ということは普段から意識はしている。そうはいっても意識していることと出来ることは別。どうしてもネガティブに見てしまい、それを表現してしまうことは普段の生活ではしょっちゅうある。せめて好きで応援している人およびその周りにいる人にたいしては最後までポジティブな姿勢を貫き、「ユートピア」の可能性を垣間みたい、と思っている。
●自分がよく見るオススメハロプロのサイトを三つ挙げてください(リンクと説明付きで)
あえて3つにしぼるのも何なので、アンテナを見てください。説明文がない?ごめんなさい。
●バトンを渡すサイトを五つお願いします(リンク付きで)
拾い物なので、自分で処分します。

2006年06月30日

■ 安倍なつみの進む道

もうそろそろここでの更新は打ち切る予定なのだけれど、とりあえず旬の話題はしておかないと。

ということで、ようやく買ってきました。安倍なつみ「ストレス」。もう「はまぞう」とかはてなの事業に協力する気はないので、文字だけのご紹介。

PVがいろいろ評判のようですが、未見。DVD発売を楽しみに待ちますが、やはりこの曲のラディカルさは映像込みの方が映える気がして、折角の企画ものなのだから、勢いでPV付きで発売したらよかったのに、と思う。PVが後で発売されても、CDの宣伝にはなりはしない。少し惜しい気がする。

基本的にはもう売り上げ云々を気にする感じでもないのだろうとは思っている。一般論として「アイドル」としての旬はとっくにすぎている。後は「表現者」としてどういう方向に進んでいくか、それはどの「アイドル」も一様に選択してきた道だ。結果的に松田聖子や小泉今日子のようにずっと「アイドル」としての道を突き進む人もいるけれど、それも結果としてそうなったというだけのことだろう。そしてさしあたり「アイドル」としてCDを売ってきた限り、「アイドル」としての限界はCD売り上げにも直結するのも詮無きことだ。安倍さんの場合、特にいろいろあって、いろいろな要素が絡んで、「方向性」というのはなかなか見えてこない(矢口さんの場合はわりとすんなり「バラドル」という90年代前半の脱「アイドル」化の道をうまくなぞれている)。

先日適当にブログをぱらぱら見ていたら、「ハロプロ」ファンではないいわゆる「一般人」が偶然娘。DOKYU!の絵流田4丁目の安倍さんの演技を見かけた際の感想を書いていて、その演技力に感心して「コメディエンヌ」になれ、と書いていた。例えばそういうのも含めた、独特の表現の世界を彼女は作りうる、とそう思えるから、ファンとしてはもうしばらく、じっくりお付き合いをするよりあるまい。

■ 卒業ソング

今回は忘れずに買ってきましたよ。「Ambitous!野心的でいいじゃん」、DVD。危うく忘れるところだったけれど。

PVのメイキング、最後のところで紺野あさ美さんと他のメンバーが抱き合っているシーンを見ていると、これまでなんだかんだ抽象的にしかとらえられていなかった(ライブに行った人はまた違うだろうけれど、メディアを通してしか見ていないとなかなか実感がわかない)「卒業」がようやくリアルに感じられてしまって、切なくなった。

この曲のファンサイドの評価の体勢はよくわからないのだけれど、おちゃらけた感じの曲なのに、どこかしら物悲しい響きがあって、卒業ソングとしてなかなかの出来ではないか、と思ったりする。

■ パチンコ

松浦亜弥さんがパチンコのキャラクターになる、ということで、某大手ファンサイトの掲示板でも紛糾している。そんなにパチンコ嫌いな人が多かったんだ。娯楽の一種としてしっかり根付いているものと思っていたけれど、嫌悪感を丸出しにする人が結構いることに何となく驚く。

私はと言うと、タバコとパチンコには一生関わらないように生きることにしているので、要するに全然好意的ではないのだけれど、それでもパチンコを批判するのにいちいち北朝鮮の名を出さずにいられない人っていうのは何なのかな、と思う。松浦亜弥というハロプロの至宝がパチンコの宣伝をする、というのに対する批判をする、というのは共感できなくないけれど、北朝鮮批判をやりたいのなら松浦亜弥の件とは別にやれよ、と思うし、松浦亜弥のイメージ戦略にもの申したいのであれば、パチンコというものの持つ文化的表象それ自体を論じなくては意味がない。北朝鮮の名を出せばとりあえず対象を貶められる、という思考はあまりにもさもしい。娘。ファンサイトの掲示板でいちいち排外主義を煽らないでほしいよなあ。

2006年06月24日

■ エロティック

とりあえず後藤真希「ガラスのパンプス」DVDは入手。んー、「エロティック」というにはやっぱりまだ表情が幼すぎるな。あとN年待て、という感じでしょうか。といっても4年待っても全然「エロス」を表現できない人もいますので、待っても無駄かもしれませんが。

2006年06月20日

■ 教訓

後藤真希「ガラスのパンプス」初回版を買いそびれた教訓を生かして、今日はやるべき仕事を放り出して、買いにいきました。

例によって梅田ディスクピア。午前中に行ったので在庫は十分ありましたが、それでもそれほど余裕はなかったかも。とりあえず付録のDVD、ライブ映像はいずれライブDVDとしてキチンと全部収録されるはずなので、そちらを待ってもよいのだけれど、「スペシャルコメント」というのがいい。特にその3部、五期メンバーだけのおしゃべり、これだけでもうお腹いっぱい。屈託なく「卒業」の話をする彼女たちを見ていて、ようやく「腑に落ちた」気がする。

曲自体はまだじっくり聴いていない。そもそも「ガラスのパンプス」およびそのカップリング自体きちんと聞けていない。さっさと仕事のめどを付けろ、と。

とりあえずは儀式ということで「ガラスのパンプス」も含めて、iTunesに入れて、まずは満足、したところでふと思い出す。

そういえば「ガラスのパンプス」PVのDVDって今日発売じゃなかったっけ?あれ、買ってないや。完全に忘れてた。

2006年06月19日

■ チャンス大

どうでもいい話なのですが、日本テレビ一万人調査恋人にしたいタレントランキングなるくだらない番組の、くだらない結果をなぜか確認してしまったのですが、まあ安倍なつみさんとか高橋愛さんは倍率1万を超えているようなのでどうでもよいとして、倍率1000以下の大谷雅恵さんにはなんだかとてつもなくチャンスがあるように思ってしまった私はおかしいのでしょうか。

■ ハロモニ。

ハロモニ。三チーム対抗でクイズ。

なっちチーム。

亀井絵里、辻希美、安倍なつみ、高橋愛、田中れいな。

なんか神が宿っているようなチームなのですが。

ついでに何となく安倍さんが向かって右ばかり見ているような気がしたのは気のせいでしょうか。

■ えせファン

あれ一つじゃなかったのか。。。

唐突だけれど、私は競走馬の中ではマヤノトップガンというのは結構好きなのだ。

そのキーワードの編集履歴を見ていて、がっくり来た。トップガンをいじっている最中に、あのくだらないキーワード群を登録したり、それを削除しようとしたファンに罵声を浴びせていた訳だ。。。

まだいっぱい残ってますな。idは削除しているから、言うまいと思ったけれど、あまりにひどすぎる。

■ 愛あらば

本当はいけないのだけれど、某所でゴニョゴニョした音源から

今回のこの乙女チックバンクツアーは本当にいつもよりも思い入れがちょっと違ってなんかちょっと、言っちゃだめかもしれないんだけど、でも、本当に結構がんばらなくちゃな、って自分でいっぱい自分自身の心の鞭を打って、負けないようにがんばらなくちゃって思ったときがいっぱいあって、でもいつも会場に来ると支えてくれたスタッフさんだったり、いつも自分が考えている以上というか、想像している以上の声援をくれて、そしてライブが終わったら、なっち最高なっち最高って、みんなの笑顔を見ていたら、なっちはいつもああ負けてられないなと思って、これからもっともっと歌でいっぱい表現して愛を伝えなきゃなって、毎回思って、また明日からも新たな気持ちでがんばれる。本当に今回の乙女チックバンクツアーは最高なツアーでした。本当にスタッフさんそして今回のツアーに足を運んでくれたたくさんのファンの皆さん、目に見えないところでいっぱいなっちを支えてくれたたくさんの人、本当にたくさんたくさんの人に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

2006年06月12日

■ ごまパワー

はっきり言ってなめてました。ごまパワーを。

後藤真希のシングル「ガラスのパンプス」、どこにも売ってません。

まず間違いないだろうと思っていた梅田17番街ディスクピアにも影も形もなし。初回版の入手はもはや不可能のようだ。

関西のファンが東京で行われるシークレットライブのためにそこまで買い集めるかね?いくら無料で参加できると言っても、東京までの交通費が馬鹿にならないのに。

まあ、どうせその日は仕事があるので東京まで行けるはずもないし、あきらめるとしよう。

■ なちピンク

私は赤系の色が好きだ。さらにいえばピンクも好きだ。ピンクと言ってもメタリックな感じのものとか少しくすんだ感じのものが好きなのだが、何にせよピンクも結構好きなのだ。携帯もピンクだし、iPod miniもピンクだ。

しかし女性の好みでいうと好きな色は「白」とか「黒」とか「紫」とかいう女性の方だ。「ピンクぅ」とかいうのは、道重さゆみを知って以降結構好きにはなったのだが、それは道重さゆみにだけ許された特権だ。

と書いて、あわててネットで検索する。

安倍なつみ、好きな色「白」。これは検索しなくても知ってました。

高橋愛、好きな色「ピンク、黒、茶、白、グレー」。何だこのむちゃくちゃな組み合わせは。

大谷雅恵、好きな色「黄色」。ふむ。何も言うまい。

という訳でむちゃくちゃな人を一人のぞいて、まあそれなりにいい感じなのだが、それはさておき。

一昨日のコンサート、安倍なつみは、それこそ「これぞアイドル」と言う「ぶりぶり」(死語)のピンクの「フリフリ」(死語)のドレスを着て歌っていた。もうすぐ25になろうという人がその衣装、でも誰も違和感を感じなかった(嘘、私は結構感じてました)。少なくとも本人は何の違和感も感じさせずに、堂々とピンクの「フリフリ」のドレスを着こなす。「ぶりぶり」のアイドルが好きかどうかなど問題ではないのだ。それを平然と、何のメタメッセージも送らず(例えば同じく平然とそういう衣装を着こなす力を持っている松浦亜弥は、しかし「私アイドルやっています」というメタメッセージを送ってくるものだ)、それが当たり前のものとしてやってしまえる力、それが安倍なつみの力なのである。

2006年06月11日

■ 安穏な激しさ

高野ヒロシさんが安倍なつみのアルバム「2nd ~染みわたる想い~」への感想として

私がこのアルバムから受け取った印象を非常に大まかに幾つかの言葉で表わすならば「女性」「安穏」「諦観」みたいなものでした

と書かれているのを読んで、なるほどと納得した。かつて小倉千加子さんが山口百恵の後期の作品を評して伝統的日本女性へ回帰してしまったというようなことを言っていたことがあるが、それとも通じるものがある。穏やかなメロディーに過去を振り返り、懐かしむ歌詞の世界。

そして考えてみれば「安倍なつみ」においてはある意味、それは一貫してそうであったと言うべきではないのかとも思う。彼女のソロ色が強い初期の作品「ふるさと」、モーニング娘。セカンドアルバム収録曲「せんこう花火」、つんくが彼女に与えた世界は当初からそういうものであった、と私には思われる。そうした意味で私は彼女の娘。時代の(実質)ソロ曲を楽曲として評価してこなかった。

考えが変わったのはいつぐらいだろう。いつしか、私にとって重要なのは表現された世界そのものではなくて、安倍なつみの、何かを表現しようとするその意思、姿勢である、と感じるようになった。楽曲それ自体は「「女性」「安穏」「諦観」みたいなもの」なのだが、そしてそれが確かに安倍なつみによって表現されているのだが、表現されたものではなくて、表現する意思のレベルにおいてはそこに収まらない激しさのようなものが私には感じられたのである。「安穏」な世界を作り上げる激しさ。それをアルバムにおいても、そして今回のコンサートにも感じた。

2年前のコンサートの自由にして「ぐだぐだ」な世界は安倍なつみの持つ独特の世界である。そしてまた今回のコンサートのように作るべきものをきっちり作り上げるその「強さ」もまた安倍なつみの持つ世界である。

2006年06月10日

■ またもや不戦敗

同じハロプロなのだから、会場に売っているだろうと思っていた後藤真希新曲のCD、売っていなかった。ということで、当然のことながら、買えなかった。帰りはCD屋に寄る暇がなかった。

どうせ30日は仕事だから当たっても行けそうもないのだけれど。

2006年06月08日

■ 不戦敗

一仕事終わってそれなりに時間があるはずなのだが、そうなればそうなったでヒッキーに逆戻り。

火曜日、水曜日は引きこもっていたので、今日仕事帰りに買いに行った。

ガラスのパンプス

ガラスのパンプス

売ってなかったよ。まあ、覚悟はしていたけれど。明日もっと大きなCDショップに買いにいくか、あるいは土曜日、なちコン会場で買うか。売っているよね、同じハロプロだし。

■ 店じまい?

さる理由ではてなを退会、ないしここの更新は停止する可能性あり。

さるキーワードではてなに問い合わせをしているが、その回答次第では上記行動をとるより無い。

2006年05月31日

■ 発見の物語

多くの時間を取られていた仕事がようやく終わって、通常業務に戻る。昨年も同じ状況だったので、そのときの更新状況などを確認したくなって、一年前の記事をざっくり眺めた。

久住小春ちゃんがミラクルだなんだといって加入したのがこの頃だったのか。一年が経ち、確かに彼女は十分メンバーとしてなじんでいる。彼女一人を見れば、確実に成長しているはずだ。活躍の場も広げているようだ。しかし娘。全体において彼女の存在によって何かが劇的に変わったという印象は無い。娘。において変わったものがあるとすればそれはいなくなった者、いなくなる者たちの<存在>だ。

個人の成長が娘。の成長とは物語として結びつかなくなったのはいつからだろう。福田明日香が卒業した後、後藤真希の加入により、娘。は確実に変わった。石黒彩、市井紗耶香が卒業してもなお、4期の加入、成長とともに娘。もまた成長を続けた。しかしいつからか、娘。は「卒業」という引き算によってその変化を印づけられるようになっていた。そしてその引き算により生まれた空白を、いつの間にやらそこにいた「新メンバー」が主力メンバーとなって、その空白を埋めている。個別の成長の過程は確かに見ているのだが、それがどうにも娘。の成長の物語とつながらない。

一年前の己の記述に、高橋愛にはまりそうだ、などというのを見つけた。高橋愛のことは加入当初より確かに見てきた。私なりに注目もしてきたし、その成長ぶりも、テレビというメディアを通してでしかないが、ほぼつぶさに思い出すことができる。それなのに、今更ながら高橋愛を発見する。いつもおどおどしていた高橋愛が娘。の大黒柱をつとめている。彼女はいつの間にか、自信たっぷりに、毅然と娘。の中心にいた。私はそこにはもはや成長物語の痕跡を読み取ることができず、あたかも突然現れたかのごときその存在をそのときに「発見」したのだった。

今の娘。においては、「成長」の物語に感じられた、自分もその中にいる当事者であるかのごとき錯覚をする余地は大きく失われた。しかし「発見」には新鮮な驚きを伴う。今の主力メンバーである5期加入から5年近く経つが、なおまだ新鮮さを感じることができているのだ。

「引き算」にもそのような効用があるのだ、いなくなった者の後を埋めんと新たに光を当てられる者の「発見」という効果をもたらしうるのだ、という当たり前のことを改めて気づかされたのが昨年のこの時期だった。そうして、安倍なつみ卒業からの一連の「卒業ラッシュ」を、卒業メンバー視点からだけではなく、娘。視点から見て、プラスであったのだと理解したのだ。成長物語としては既に飽和状態であった2003年の娘。の状況からして、この転換には積極的な意味があったのだと。

今回の卒業は、これまでと違い、芸能界からしばらく姿を消す、という意味において、卒業メンバーファン視点からすれば積極的な意味を見いだすのは難しい。卒業メンバー個人にいかに積極的な想いがあったとしても、それを見守るファンは所詮メディアを通じての付き合いにすぎない。メディアから姿を消すことはどう考えてみても「別れ」を意味するより無い。

それでも今回の卒業が、娘。ファン視点からして、何か新たな発見を見いだす契機になりうるのだろうか。安倍なつみ卒業に始まる一連の卒業ラッシュを経て出来上がった今の10人体制を、娘。の一つの完成形だと思っていた私に更なる発見がもたらされるのだろうか。もしそれがなければ、今度こそ、娘。はただの斜陽だと認識してしまうことになるだろう。まだまだ「発見」の余地は残っているはずだ、と期待だか未練だかをたっぷり持って、今しばらく娘。を見守ることにしよう。

2006年05月18日

■ 電話待っています

なっちこと安倍なつみのコンサートのMCの内容を地上に舞い降りた天使さんのところで読む。imacとipodとネットにつなげるものを買ったが、そのネットにつなげるものなるものがwindows用でムキーとなったというお話。

そのネットにつなげるものなるものって何なのだ?iMacってイーサネットは当然標準で装備しているし、今時イーサネットが使えたら大概はネットにつなげないのだろうか?windows専用ルータなんてものも聞いたことないし。うーむ、よく分からない。

ということでせっかくパソコンを買ったのにネットにつなげない、というのはとてももったいないので、私が出張サポートします。もちろん無料で。出張費もサービス。ネットにつなげるものなるもののマック対応版の部品代もサービス。全部込みで0円。どうだ。

ということで連絡待ってます。

2006年05月09日

■ 一日二GABA

別に「格上げ」したとかそんなのではなく。

ゴールデンウィーク中、自宅に引きこもって外出せず、全くGABAを消費しなかったので、それを取り戻すべく。

滞在中のホテル近くのコンビニで仕事帰りに二本買って帰る。一本は仕事後の疲れを癒すために。もう一本は翌朝出かけ前に。仕事先近くのコンビニには売っていないので、昼食時には飲めない。

正直、珈琲飲料自体に飽きが来ているのだが、それでも売っていればGABAを買う。買えば飲む。飲めばまた飽きが来る。本来全然循環していないのだが、サイクルは止まらない。

昼に買えないのが実は救いなのかも。

2006年05月04日

■ 青空の10人

前のエントリでやや迂回戦略でこの言葉に言及したが、思っていたよりこの言葉に対する批判も多かったりして、もう少しこの言葉に対する私のスタンスを書いておこうと思う。

基本的にこの言葉の存在に対する否定的な主張があるわけでは無いです。この言葉でいやされたり、前向きになれたりした人がいる、と言うのならこの言葉には価値があったのだと私は思う。はてなのキーワードに登録すること自体に批判的であったり、また登録された結果として紛糾した部分があったようだが、はてなのキーワードにおいては基本的にこの言葉を肯定的に使いたい人たちが運用すればよいものだと思うし、批判的な主張も併記すべきだ、というたぐいの話だとは思わない。登録が急ぎ過ぎだ、という議論もあるようだけれど、今「青空の10人」という言葉を気に入り、それを日記で使用している人たちが大勢いる状況において、それを捕捉してまとめて読みたい、という要望に応えるためには、現時点でのキーワード登録は十分妥当だと私は思う。

「黄金の9人」という言葉には先のエントリで書いたように私はあまり肯定的には見ていません。それはその頃の私たちの記憶を狭める方向で書き換えを促してしまう力を持っているように感じるからです。黄金の9人として「ザ☆ピ〜ス!」を歌ったメンバーの名前を連ねられるとそこには中澤裕子の名がない。しかし(狭義の)黄金期のモーニング娘。に本当に中澤裕子はいなかったのか。「不在」という形でその当時の私たち(そしてメンバー)の記憶の中にはしっかり「いた」のではなかったか。そういうことごとを捨象してしまう言葉であるが故に私は「黄金の9人」という言葉は評価できません。

「青空の10人」は、今、このモーニング娘。を指す言葉であるだけに、こうした言及範囲の切り捨てを伴うものではない。先のことは分かりませんが、先のことは先のこと。8期が加入したとき、この言葉が有害になる危険性を指摘する文章も見かけたが、それは今後の運用の問題。今この言葉に価値を感じ、今の文脈で運用することを妨げるものではない。

ただ私がこの言葉を好んで使うかと言うと、正直あんまりしっくりは来ないです。今、このモーニング娘。は今、このモーニング娘。でよいのであって、そこにことさらに名称を付けるというのが私にはピンと来ない。名称は外部から(すなわち*その時期*の後から)もう少し長いスパンに対してつけられた方が私はしっくり来るのです。名称を付けるというのはそこに時期的な区切りを見いだすということ、私は「レインボー7」をひとまとまりのものとして聞いているので、その収録曲の中で線を引かれても全然ピンとは来ないのです。「青空がいつまでも続くような未来であれ!」は今、このモーニング娘。の象徴となる曲だが、「大阪 恋の歌」はメンバーが違うからなんだとかいわれても、全然ピンと来ない。

もう一つ、これは完全に私の好みの問題でしょうが、「青空の10人」という「青空」という言葉の清々しさ、清廉さが何となくモーニング娘。を指す言葉としてピンと来ない。私にとってモーニング娘。とはもっと猥雑なものであるべきだ。その意味で「黄金」と言ういかがわしいネーミングはとてもらしかった。確かに「黄金」と呼ばれた頃に比べると今の娘。たちは「清廉」かもしれない、とは思う。それでもその中にある猥雑さのようなものを私は求めている(のでしょう)。

結局のところ、私にとって「青空」とは「清く正しく美しい」アイドル像を象徴するもののように思えて、それをネタとして消化するうちはともかく、それを真に求める風潮にはある種の危険性を感じる私には全く合わない言葉のようです。とりわけ今のハロプロファン界隈ではこうした「清く正しく美しい」ことを求める言説が溢れかえっているように感じられるだけに、私はこの言葉の存在を肯定した上で、言語使用のセンスの次元でNoと言いたいのです。

2006年05月03日

■ 時代名称

せっかく盛り上がっているところに水を差すかもしれない。

青空の10人というのが盛り上がっている。対比されているのは黄金の9人だという。

はて?黄金の9人という言い方がそれほどメジャーだったっけ?「黄金期」だとか「黄金時代」だとか、あるいはその時期を崇拝するファンを「黄金厨」だとかいうのはよく知っているが、「黄金の9人」という言い方はそれほど耳慣れなかったので、はて?と思った訳だ。

確かに黄金期というのは「ザ☆ピ〜ス!」を歌っていたときの衣装やそのときのメンバーの輝いた雰囲気から名付けられたものだ。そして「ザ☆ピ〜ス!」を歌っていたのは確かに9人だ。しかし「黄金期」はその当時流通していた名称ではなかったはず。

その前の曲「恋愛レボリューション21」で中澤裕子が卒業をし、ファンの混乱の後、しばらく時期をおいてリリースされた「ザ☆ピ〜ス!」は売り上げ的には前曲を大きく下回った。それはリーダー中澤裕子を喪失したという結果であったかもしれず、少しずつモーニング娘。自体が飽きられてき始めていた兆候だったのかもしれない。いずれにせよ、「ザ☆ピ〜ス!」自体の正否の評価は、その当時は定まってはいなかった。

その後「Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜」、「そうだ!We’re ALIVE」が少しずつ売り上げを下げつつも、楽曲的にまとまりを持ったものだと評価が固まりだし(とりわけ「Do it!Now」との対比において)、三部作の第一作として「ザ☆ピ〜ス!」の評価も固まったように記憶している。そうして「Do it!Now」で後藤真希が卒業をし、少しずつ「国民的アイドルグループ」としての地位が揺らいでいく中、過去を懐かしみ、称揚する風潮が出てくる中で「黄金期」という呼び名が出てきたのではなかったか(初出を知っている人がいれば教えてほしい)。

そこで指示されている「黄金期」とは狭義には確かに「ザ☆ピ〜ス!」の衣装の色に象徴されたネーミングであるように、それを歌っていた9人時代のことを指している。しかしそのネーミングで多くのものが懐かしみ、称揚したのはそれだけではなかったように思う。むしろ「LOVEマシーン」の大ヒットの後、4期の加入を経て一層メンバーがバラエティに富んだ活躍をし、「国民的アイドルグループ」としての地位を維持し続けた時期全体を緩やかに指したものであったように思うのだ。さらに少し意地の悪いまとめ方をすれば、中澤裕子卒業後、次第に売り上げを低下させ続けるモーニング娘。の凋落期の始まりを「黄金」と言う華やかなネーミングを冠することで最大限の抵抗を行った、という見方もできる。つまり「黄金期」とはモーニング娘。のある安定した時期を指したネーミングではなく、その表現自体がきわめて揺らぎを持ったものであったのだ。

そうした幅を含んだ表現であった「黄金期」を「黄金の9人」と限定し、それを称揚することはどこかしらに歴史を狭め、モーニング娘。に関わるものたちの記憶をその方向で書き換えてしまうものであるように思われてならない。

2006年05月02日

■ もちろんこれは妄想だ

音楽評論家能地祐子さんのブログLess Than Zero?で紺野あさ美さんと小川麻琴さんの卒業が話題として取り上げられている。

モーニング娘。としての自分は、今、どれだけきちんと役割を果たせているのだろうか?昨年の『モーニング娘。×つんく♂2』でのインタビューで会った時、偶然にもふたりとも同じような悩みを語っていた。もっともっと頑張らないといけないと思い、どんなふうに頑張っていったらよいのかを模索しているような、そういう季節に差しかかっているんだなぁという印象を受けた。

特に小川さんの「語学留学」という理由付けが評判が悪く、「卒業」を選ぶ理由として弱い、とされている。いかにも語学留学とモーニング娘。の活動を天秤にかけて語学留学を選択した、というのはしっくりこない。そうではなく、モーニング娘。としての自身の活動のあり方に対する悩みが先にあったとすれば、両者を対等に天秤にかける必要は無い。彼女の心の中には圧倒的に「モーニング娘。」があったのだ、彼女にとって「モーニング娘。」だけが問題であって、その問題に答える結果として「語学留学」が出てきたのだ。

モーニング娘。への想いが薄いから、海外留学という別の道を選んだのだ、私はその解釈にはどうにも納得ができない。好きだから一緒にいる、好きじゃなくなったから別れる、それで割り切れるものではないはずだ。

彼女たちにとってモーニング娘。とは仲間のいる共同体という側面と、ライバルと常に争う競争社会という側面を備えたものであっただろう。競争社会なれば好きだから一緒にいる、という単純なものではなくなる。一方でそうして常に競争を意識し続けるのはあまりに過酷であるが故に、例えば「5期」という同期の絆を軸にした共同体的側面が押し出されることもある。しかし、ここからは完全に私の妄想だが、その「5期」という場が、ガキさんこと新垣里沙さんほどには二人にとって共同体的なものではなかったとしたら。高橋愛という存在が、同期の仲間であるだけでなく、常に目標とするべき対象になっていたとしたら。「5期」という仲間の中にいてなお、彼女たちは自分の「役割」を常に考えてしまうことになっていたのではなかったか。

二人はモーニング娘。が大好きで、その中でセンターポジションを占める高橋愛が輝いて見えたが故に、そのまばゆい場所から一歩距離を置きたくなったのではないだろうか。

もちろんこれは妄想だ。しかし妄想ついでにもう一つ断言しておこう。

「もし生まれ変わっても再びモーニング娘。になりたい」。

紺野あさ美さんと小川麻琴さん、二人とも間違いなく「Yes」と答えるはずだ。私の妄想だが、間違いない。

2006年05月01日

■ 未来行きの切符

私たちは己の納得のできない物事に遭遇したとき、往々にして自身にとって受け入れ可能な物語をねつ造して、その物語を通じて事態を受け入れようとする。それは「私」の精神の安寧を保つためにはある種仕方の無いことだ。しかし、その物語がその事態に関わるその他の当事者の貶めを伴う可能性があるとすれば、私たちはその物語の採択にはことのほか注意を払わなければならない。

私たちは「振られた」のだ。そのことは容易には受け入れたくはないだろう。私たちとともに紡いできた世界を離れ、それとは全く別の世界に夢を見いだす、それは彼女たちを「応援」してきたものたちにはある種堪え難いものを含む。するとその事態を受け入れたくないものは物語をねつ造する。彼女たちが私たちを「振った」のではない、もっと別の力が彼女と私たちを引き裂いたのだ。

この物語は、振られた私たちに取って都合の良い、美しい悲劇だ。彼女たちの「心」は今も私たちとともにある。しかしその幸せな世界を何者かが破壊してしまった。

私はそのような物語を抱き続けても、それはそれでよいと思う。それが己の心の安寧に必要なものであって、それで誰も貶められないのであれば。いや、貶められているのが事務所である、というのなら、そのぐらいの悪者役は事務所は引き受けてもよかろう、とさえ思う。

しかし多くの場合、上記物語で真に貶められているのは事務所ではない。事務所がこの「卒業」劇を主導したとするとき、卒業させられた二人はいわば「リストラ」されたのだという物語を伴う。そしてその物語こそ、新たな夢を求めて次のステージへ進もうとする二人を最大限に貶めていることになるのだ。

「リストラ」、「戦力外通告」、そうしたことを今回の「卒業」劇の中ににおわせることが、モーニング娘。として私たちを楽しませてくれた二人と、そしてその二人に真に想いを載せた者をどれほど踏みにじるものであるか、それを考えてみるがよい。実際にそのような事態を疑うに足る十分な根拠があって、それを訴えるだけの覚悟があるのなら、それを主張するのもよかろう。それはあるいは二人の葬られた無念を明るみに出す作業につながるかもしれない。しかし今「リストラ」をにおわせているものは、真にそのような「無念」の存在を感じているのか。その可能性をにおわせることが、二人の想いとつながることがあると真に思っているのか。単に振られた自分の納得のいかなさを解消すべく、「リストラされた」という不名誉を逆に彼女たちに押し付けているだけではないのか。

私たちは振られたのだ。振られたものは未練がましく追いすがるものよかろう。きっぱり彼女たちの新たな夢を応援するのもよかろう。別の誰かに乗り換えるのもよかろう。しかし振った相手をことさらに貶める振る舞いだけは恥ずべき行為だ。

そもそも、事務所が彼女たちを喜んで手放した訳無いじゃないか。今のモーニング娘。は、5期加入時から数多くの「卒業」を経て、手塩をかけて作り上げたモーニング娘。のいわば完成品だ。一連の卒業ラッシュの後、ぱったりと変化することをやめ、メンバーのキャラが薄いなどといわれながらも、グループとしてのまとまりのよさを最大限に発揮した完成品だったのだ。初代5人の頃からつんくは10人体制を理想としてきた。それを見事に実現しているのが今のモーニング娘。なのだ。二人の卒業を認めることは事務所にとっても断腸の思いだったろう。しかしこの事務所の「去る者は追わず」の方針は前々から一貫している。今回もその流儀に沿って、無理に引き止めることはしなかったのだろう*1

くだらない物語を紡いでいる暇があれば、5期がその存在感を発揮し始めた頃の曲、Do it! Nowでも聞いて、新たな夢を追いかけようとする二人の門出を祝おうではないか。

*1:そして私はその事務所の方針を基本的に支持している。

2006年04月24日

■ 買えない

非常にどうでもよい話かも知れませんが、

GABAが近所のコンビニで売っていません。というか売り切れました。量と値段のバランスからして割高だし、そんなに売れるものでもない気がするけれど。入荷量が少なかったのだろうか。それとも私が飲み過ぎ?まさか、ね。

一日一GABAが出来なくなるかも。

■ 微妙だよ

なっちこと安倍なつみコンサートで安倍さんとゲストの飯田圭織さんとの絡みが「微妙」だというレポートを読む。そしてファンの反応も。

その「微妙」さが何となく理解できてしまうのはなんたることか。

2006年04月23日

■ 一日一GABA

題名の通り。

毎日飲みたい、と思うほどの味ではないが、毎日飲むのが苦痛という味でもない。300ml(かな?)で150円というのは少し高めだが、ありがたいアミノ酸が入っていると信じればそれはそれなり。

といっても一日三本飲んだときには少し飽きが来そうになった。今は一日一本程度に抑えている。

2006年04月05日

■ 安倍なつみと高橋愛I

密かにマカーになりながら、未だにWindowsを手放せない主因たるGyaoのハロプロアワー。最新分は司会がなっちこと安倍なつみでゲストが裕ちゃんこと中澤裕子。これはまた最高の組み合わせがきたものだ。

話の内容は新メンバー(もちろん保田圭、矢口真里、市井紗耶香のことだ。なんだか「先の戦争」が応仁の乱を指す京都人みたいだ)加入時のことから今の活動について、結婚についての考え方など二人のファンにとってはたまらない内容。なんとなく「かわいい系」というキャラからして結婚願望が強くかつ結婚後は仕事を辞めると言ってもおかしくはない安倍さんが全く違う志向を持っていたことを再認する。彼女にとって世間一般的な「女の幸せ」などよりもはるかに歌を通じた「表現者」でいることが重要なのだ。へらへらかわいいキャラをやっているようで、そこの想いの強さ、それが安倍なつみの魅力を支えている。

それにしても安倍さん、相手によって態度が変わり過ぎ。画面から隠しようも無いほど、安倍さんにとっての好感度が

中澤裕子>里田まい>高橋愛

であることがにじみ出ている。中澤さんのことが好きで、一緒にいるのが楽しくて仕方が無い、というのはよいとして、里田さんと高橋さんとの「差」はちょっと気になる。高橋さんゲストの回は安倍さんを「子ども」かつ田舎者扱いした高橋さんが「失礼」だということになっているようだが、例えば亀井さんが同じことを言ったら安倍さんの返し方はまた全く違ってただろうというのが容易に想像できる訳で、本来ネタとして受け流すか、盛り上げるかするべきところで大まじめに「あなた失礼ね〜」などと反応してどうする、と。高橋さんも同じ先輩メンバーと言っても例えば中澤さん相手のときとは明らかに違った感じでどこかしら緊張しているのが伺える(ちなみに彼女は緊張すると少し発声やら発言やらが子どもっぽくなる)。私個人としては、ハロプロメンバーの関係を見るのは殺伐とした部分も含めて面白いので、これはこれで楽しいのだが、それにしてもこの二人の関係の微妙さは不思議だ。

おそらく二人は似すぎているのだ。歌というものへの想いの深さもそうだし、他人からはマイペースと見られるなどといった性格的な部分も似ている。しかも本人たちの主観では、おそらく二人とも全然マイペースなんかではなくて、いろいろなことに気を使いすぎているぐらいに気を使っている、というところも。

ちなみに番組では安倍さんは高橋さんから「マイペースですよね」と向けられて、それを断固拒絶していたが、逆に安倍さんからの「マイペース」という評価を受け入れているかに見える高橋さんだって、人からの評価をとりあえず受け入れる、というところで既に十分に相手に気を使った結果なのであって、高橋さんのマイペースではない部分が出たところなのだ。

確かに二人とも「マイペース」と見られる属性を備えている。表面的にはどうあれ、本質的な部分で己を曲げることは絶対にない、そうした頑固さが根底にある。人の話を聞かない、と二人とも評されるが、おそらく聴いていないというよりは聴いたところでその説を取り入れるか否かはあくまで己の判断次第だ、ということだ。ただ違うとすれば、安倍さんはその己の信念を自覚的に運用しているのに対して、高橋さんは自分自身の中にそうした頑固なまでの信念が根付いていることにいささか無自覚である、ということだろう。

安倍さんはバラエティなどで「一人ではしゃいで一番楽しんでいる」と評されたりする。しかしそれは安倍さんのプロとしての信念の賜物だ。バラエティでは自分自身が楽しむ、それこそがバラエティの出演者の仕事だ、安倍さんはおそらくそのように意識していて、一人でもはしゃぎ、楽しむ。それはプロとしての姿勢を見せたものであって、マイペースさではない、と安倍さんは認識している(のだろう)。

一方高橋さんは己のプロ意識を自身で運用するには至っていない。本来持っている高いプロ意識を運用できない、というのは要するにプロ意識のポータビリティが低い、ということだ。安倍さんが自分が関わるあらゆる分野で己のプロ意識を出そうとできる(結果が伴っているかどうかは無関係)のに対して、高橋さんは出す場面と出さない場面を持つことになる。それは「餅は餅屋」的姿勢につながる。結果安倍さんのように自分が関わる限りはすべてにおいて全力投球をするのも状況に「気を使った」結果ならば、高橋さんのように自分が苦手な分野では自分は表に出ず、他の人に譲ろう、とする態度もまた状況に「気を使った」結果なのだ。そして二人とも確かに状況に気を使いながら、己の信念を貫く。

安倍なつみと高橋愛。二人は明らかに「噛み合ない」。しかしそれは二人の、現れ方は違えど本質的には同質の、プロ意識のぶつかり合いの結果なのであろう。これはとてもスリリングなぶつかり合いだ。

■ 安倍なつみと高橋愛II

後はどうでもいい「萌え」話。

安倍さんは「女の子」だ。それに対して高橋さんは、前にも書いたことがあるが、「男の子」なのだ。

安倍さんは、どうでもいいことも含めて全部しゃべろうとするなど、お父さんに甘える女の子。高橋さんは自分に興味のあることしか見ないし、話さない男の子。

どちらも「大人の女性」とは違った指向性を持っている(本人の指向性も、ファンの指向性も含めて)。「女/男性」性に対する「中性」性。ちなみに男っぽい魅力を持った女性は同時に女性的魅力を持っているものだ。逆に「中性」性とはその両者の欠如を示している。二人とも充満ではなく、欠如を魅力の支えにおいているところは同じだ。そしてまた欠如は言葉を引き寄せる。二人のファンがハロプロファンの間でも「語りたがり」が多いというのもむべなるかな。

■ Sprechchor

加護ちゃんこと加護亜依は「女の子」だ。ちなみに辻ちゃんこと辻希美は「男の子」なのだが、それはさておき。

煙草を吸った加護ちゃんを「意外だ」と人はいう。あんなに子どもっぽい加護ちゃんが煙草を吸うなんて、と訳知り顔にそういう。加護亜依を巡る認識に本質的な断絶が生まれたかのごとく述べる。そしてこれまでの活動はできないだろうなどという論評を嬉しそうにしてみせる。他者の不幸も含めて事態を大仰に扱いたい卑しむべきお祭り好きの所業だ。

確かに「世間」は「意外」だというかもしれない。加護ちゃんが何歳かも知らないような「世間」は。しかし「意外だ」などという文章をわざわざものす御仁は「世間」ではない。

実際、意外だ、彼女にかけられていた魔法が解けてしまった、などと大仰に彼女にむけられる視線の断絶を(表面的には悲劇として、私からすればさもうれしそうに)述べたブログサイトがあったが、その書き手は「ハロプロファン」であった。

別に私は彼女が煙草を吸っているだろうと思っていた、という訳ではない。そういう意味では「意外」ではあったかもしれない。しかし問題はそこからだ。吸っていたということが明らかになってしまった状況において、それで彼女を見る見方が変わってしまうものか、ということだ。

「女の子」なら背伸びもしてみせるだろう。そのことの善悪はどうあれ、そうした心性それ自体は「可愛い」ものだし、加護亜依という人間を見る目をかえなければならないほどのものでもあるまい。

表面的な一瞬一瞬の判断しかしない「世間」は意外だというだろう。それ自体はなんら不思議なことではない。しかし一瞬一瞬の判断しかしない世間なれば、その「意外」さもまた瞬時のものでしかない。瞬時のものの見方に認識の断絶など無関係である。

そして認識の一貫性を保持しうる立場にいるハロプロファンなれば、加護ちゃんが前も今も変わらず、好奇心いっぱいの、いたずら好きで、少し寂しがりやの甘えん坊で、笑顔が可愛く、歌が大好きな女の子であることを知っているはずなのだ。

2006年03月28日

■ 聖徳太子ならざる

まったくアップフロントは何を考えているんだ。いくら合わせ買いがあるといっても、こんなに固められたらお金もつらければ時間だってつらい。

ということで

2nd ~染みわたる想い~

2nd ~染みわたる想い~

買ってきたべさ。

も買ってきたんやよ〜。

アロハロ!2 後藤真希 DVD

アロハロ!2 後藤真希 DVD

は買わなかったぽ。

あ〜、アロハロは基本的にはあまり・・・。新曲は買うんで。

も買わなかったで〜す。ちょっと悩んだけれど。また来週当たりひょっこり買うかもしれないけれど、あまりDVDって見る時間的余裕がないし。

ジリリ キテル

ジリリ キテル

どんな曲かも知りません。ごめんなさい。

とりあえずなっちこと安倍なつみの二年ぶりのアルバム「2nd〜染みわたる想い」。

とにかくアルバムとしてもまとまりがすばらしい。安倍なつみのかわいらしさとさわやかさが全編にあふれている。やや継ぎ接ぎだった「一人ぼっち」から一転、全体を通して聴けるアルバム。一曲一曲の印象は少し薄くなるが、全曲を通して聴いて、すっきり心の中に曲が染みわたってくる。ハロプロ系のアルバムは割と「モーニングセット」的多彩さを持つものが多い中、アルバム全体で春の訪れを感じさせるさわやかな世界を作り出せている。最後の台詞だけの曲?も、アルバムの最後の締めとしては決まっている。

欲をいえばこのアルバムと同時発売で安倍なつみのある種の激しさを押し出したアルバムがあれば、安倍なつみの表現者としての可能性が見られて面白かったのに、と思う。「チェインギャング」と「ふるさと」をあれほど声の表情を変えて歌い分けるその可能性を。

モーニング娘。「SEXY BOY〜そよ風に寄り添って〜」のシングルV。

今更改めて思うことでもないが、モーニング娘。っていいよなあ、と思う。

愛ちゃんこと高橋愛とれいなこと田中れいなが並んで踊っているシーンが結構あるのだが、大人っぽくちょっとけだるそうに踊る高橋さんとちょっとオーバーアクション気味にがんばって踊る田中さんの対比が面白かったり、ちょっとアホっぽい振り付けをそう見られることを織り込み済みでちょっとはじらいの表情を浮かべながらやんわりと流すように踊るミキティこと藤本美貴をみて、つくづくいい女だなあ、と思ったり、ガキさんこと新垣里沙が、分かってはいたが、ちょっと驚くぐらいにきれいになっていたり、メイキング映像を含め、「モーニング娘。」をめいいっぱい再認できた。

とりあえず今日買ってきた2作品いずれも聴き続け、見続けるに足るすばらしい作品であった。

しかしだよ、安倍さんのアルバムを聴きながら、モーニング娘。のシングルVを見ることはできないのだよ。

まったくアップフロントは何を考えているんだ。

■ 「とくばん」への注釈

ちょっと古い話題だが、まだ引きづられたりしている話題なので、「うたばん」について。

問題となったのは現モーニング娘。と元モーニング娘。が一堂に会してトータライザーでいろいろな質問に答える、という企画。その中で「生まれ変わってもまたモーニング娘。になりたい」という質問があった。それに対して元モーニング娘。は8人中7人が「またモーニング娘。になりたい」と回答した。それでも1人がそうは回答しなかったということで「え〜」と大ブーイングが起きるほどだった(ちなみにその1人は中澤さん、今度は結婚したい、という落ち)。それに対して現モーニング娘。は10人中3人しか「またモーニング娘。になりたい」と回答しなかったばかりか、それに対してありうべき「突っ込み」が司会からなされなかった(あるいはそれが放送されなかった)。それが「問題」になっているのだ。現モーニング娘。にはモーニング娘。愛がないのか?

もうあちこちで明らかにされていることだけれど、知らない人は知らないと思うので、ここで改めて書くと、あの放送は切り貼りをやりまくって一貫した(と見える)シーンを作り出しているので、放送されたワンシーンを切り取って何かを解釈するのはとても危険だ。はっきりしていることは現モーニング娘。と元モーニング娘。は同じ時間に同じスタジオにはいなかったのであって、両者バラバラに収録したものを一つのシーンとして描き出したものにすぎない。従って例えば元メンバーの回答に対する現メンバーの反応などというのは実在しない。それがあたかもあったかのごとくそれとは無関係な文脈でなされた反応を切り貼りしたものがあの放送なのだ。つまり8人中1人が「生まれ変わったらもうモーニング娘。にはなりたいとは思わない」という「驚くべき」回答をしたというのに対する現メンバーの反応として比較的「らしい」(とスタッフが判断した)シーンが挟み込まれたにすぎず、そのシーンにたまたまトータライザーの「3」という数字も映ってしまった、というだけのことだ。だからあの「3」という回答結果がどのような質問であったかは全く分からない。もちろん「生まれ変わってもまたモーニング娘。になりたい」という質問であったかもしれない、しかしそうではなかったかもしれない、それを判断する材料は視聴者である私たちは持っていない。確率的にいえば、切り貼り編集をした結果の一シーンがたまたま同じ質問に対する反応だった、という方が圧倒的に低い、と私は判断するが、でも分からないものは分からない。

ということで、あの一シーンからモーニング娘。の現メンバーと元メンバーの「差」を論じるのは無理だし、無効だ。

2006年03月25日

■ ジェンダー横断的な

モーニング娘。主演のミュージカル、「リボンの騎士」。

ミュージカルというのは基本的に苦手なんだけれど、今回のは筋書きを読む限り結構面白そうかも。

姫として生まれながら政治的な思惑で王子として育てられた主人公サファイア。しかし隣の国の王子に恋をしてしまい、男としての立場と己の感情との狭間に苦しむ、という設定。これだけでそれなりに物語としては筋が通っていると思うのだけれど、生まれる前の「天上界」において男と女の魂の両方が注入されていた、というおまけ付き。この設定の冗長さがすてき。

この主人公サファイアを演じるのが愛ちゃんこと高橋愛。歌、踊りの力は定評があり、おまけに宝塚ファン、これだけでもこのミュージカルの主人公として適役だというのに、男と女両方の魂を持っているという設定、愛ちゃんを「オタク系」男の子とラベリングしている私にとって、これほどの適役はない、って王子とオタクじゃちょっと違うか。

2006年03月13日

■ プリズンガール

しばらく忙しくてネットで情報収集を怠っていたが、本当ですか?なっちこと安倍なつみが2時間ドラマ出演とか。しかも囚人役とか?!

アルバム、シングル発売と同時期に一気にそんなうれしいことがあるとは。今までのフラストレーションを一気に解消するように活躍の場が再び広がっているのがうれしい。しかもこれぞ「新境地」の役柄。歌はそれほど新境地開かなくても、もうある程度路線をしぼってもいい気がするけれど、ドラマはどんどん幅を広げてほしいと思っていたところ。

私自身が停滞しきっているので、いろいろあってもそれでも着実に前進している人を応援するのは楽しい。前にも書いた通り、「ふるさと」という定番曲の歌唱さえも驚くほど進歩している。たんにへらへらかわいいだけの娘。ではないのだ。今更だけれど。

放送日は4月18日(火)か。私むちゃくちゃ忙しいときやん。多分録画してみることになるだろうな。録画ミスだけはしないように。。。

2006年03月09日

■ 「知る」ということ

私が加護亜依について読みたかったのは、そして出来るならば私が書きたかったのはこんな文章だ。

aiaisar

単にリンクを貼るだけでは申し訳ない、何か紹介文を足そうと思うが何も出てこない。

2006年03月05日

■ ふるさと

Gyaoで放送中のハロプロアワーで安倍なつみと高橋愛が歌った「ふるさと」を聞いて、まだまだ語り足りないものを感じている。正直自分でも驚いた。安倍なつみと高橋愛のセッション、もちろん期待するものはとても大きかった。しかしその期待をはるかに上回る「ふるさと」を聞けた。単に私の安倍なつみと高橋愛への思い入れを足しただけでは足りないものがある。それは何なのだろう。

これまた正直に白状すると、私は「ふるさと」という曲をこれまで、他の安倍ファンと比べて、それほど評価してこなかった。同時期の安倍実質ソロ曲でいえば「せんこう花火」の方が好きだったし、同時期の娘。のシングル曲としては「Memory 青春の光」とか「真夏の光線」の方が好きだった。安倍卒業後のソロの曲としても「ひとりぼっち」「空 LIFE GOES ON」の方が好きだった。

「ふるさと」が娘。のコンサートで復活し、それを高橋愛と新垣里沙が歌ったとき、ちょっとした諍いが起こった。「安倍なつみの」「ふるさと」を他のメンバーが歌う、ということに対する安倍ファンの拒絶反応が諍いを招いたのだ*1。しかしそのときも私は冷めていた。「ふるさと」よりも何よりも高橋愛のソロが聴ける、ということに私は関心を持ったし、さらにいえばその曲は「ふるさと」ではない別の曲の方がもっとよかったのに、とさえ思った(たとえば「Memory 青春の光」)。

はたしてDVDになった高橋愛の「ふるさと」を私はいそいそと聞いたのだが、しかしそれは私の期待に見合うものではなかった。高橋愛のソロ、というのに私は多大な期待をしてしまっていたのだろう、想像していたよりも声の伸びがなく、期待していた堂々たる高橋愛の歌声が聞かれなかった。そしてそれは高橋愛への落胆ではなく、「ふるさと」という曲の「いまいちつまらない曲」という私の評価を再認することに繋がった(そして期待していた高橋愛の最高のパフォーマンスはその後、タンポポの「ラストキッス」によって実現された)。

そしてGyaoの放送。二人で「ふるさと」を歌ったらしい、というのは知っていた。安倍さんは冒頭で「たからもの」を歌うのだから、最後に歌うのは高橋さんサイドの曲の方が面白かったのに、と思った(例えば「大阪 恋の歌」)。それでも私にとって最高の歌い手二人の共演、期待は十分に高かった。

出だしを歌うのは高橋愛。やや不安定な立ち上がり。前に聞いたときとほぼ同じ印象。「ちょっと緊張しているのかな」。それを受けて安倍なつみ。じっくりと語りかけるような、とても落ち着いた歌い様。求めていたものを得られた気がして、とても安心する。

さらにそれを受けて再び高橋愛。落ち着きを取り戻して、透明感のある歌声が響く。そしてその透明感のある声が、都会で一生懸命日々の生活を送る不安感をとても上手く表現できている。歌の世界としての不安感。まさに「ふるさと」という曲が描き出そうとしている世界。1999年の安倍なつみが表現しようとしていた世界、それを高橋愛は見事に表現していた。

そしてこの高橋のパートを受けた安倍なつみの歌を聴いて、私は「ふるさと」という曲が名曲なのだと遅ればせながらに感じた。安倍なつみソロの「ふるさと」を何回も聞き、高橋愛ソロの「ふるさと」を何回も聞いたときには分からなかった「ふるさと」のすばらしさが、この二人のセッションで初めて理解できた。そして高橋愛を通じて、安倍なつみの歌手としての力を再認した。

安倍なつみの描く「ふるさと」の世界は、歌詞の世界の、高橋の歌う世界の、1999年の安倍なつみが歌った世界の「ふるさと」とは別のものだ。安倍なつみは東京にいるのではなくて、「ふるさと」にいるのだ。安倍なつみは都会から遠く離れた「ふるさと」にいて、東京にいる娘を想って歌っているのだ。安倍なつみの歌う「ふるさと」はすべてを受け止める絶対的安心の世界だ。

私がこれまで聞いて、私がこれまで理解していた「ふるさと」の世界は一方向のものだった。しかし二人の歌う「ふるさと」は遠い空間を挟んで、コミュニケーションが成立している。二人の歌う世界は同じものではない。なのに最後、二人の声が重なるところは見事に一つの世界に重なる。安倍なつみと高橋愛の「ふるさと」は母と娘の二人の歌だったのだ。

6年以上の月日を経て、私の中の「ふるさと」の奏でる世界は完結した。不安と安心の対立は止揚された。もちろん娘は母の元に返るのではない。一人力強く東京で生きていくのだろう。

*1:私はそういうこだわりは持たないが、しかしそういう感情自体は普通にあり得べき感情であって、それをいちいち捉えて安倍さんとそのファンを中傷した輩のことは私は未だに許していない

2006年03月03日

■ 安倍なつみと高橋愛1

Gyaoで始まったハロプロアワー、第一回は司会がなっちこと安倍なつみ、ゲストが愛ちゃんこと高橋愛、ということで、私にとっては紙のような包装、もとい神のような放送。

冒頭

(●´ー`)ねえ元気だった?

川*’ー’)元気でした。安倍さん元気ですかぁ?

(●´ー`)元気だよ。

川*’ー’)ああ、よかったです。

(●´ー`)よかったね。

高橋愛写真集「19」を見ながら

(●´ー`)いやあ、大人だなって安倍さん思って

川*’ー’)はい

(●´ー`)でも大人になって来ているんだな、っておもったよ。

川*’ー’)安倍さんの写真集も見ました。

(●´ー`)なに?いつの?

川*’ー’)最近の奴ですかね。

(●´ー`)ハワイの?

川*’ー’)安倍さんはなんかいつも可愛いという感じですよね。

(●´ー`)いやぁ、それはないよ。

川*’ー’)なんか、大人って感じではないですね。

(●´ー`)おやおや?ちょっと待てよ。ちょっと待って愛ちゃん、ちょっと待って。

川*’ー’)はい。

(●´ー`)なになになになに?

川*’ー’)あの、可愛いって感じ。

(●´ー`)あ、なるほどね。

川*’ー’)ぎゃはははは。面白い、安倍さん。

我が道を行くもの同士のトークは愛ちゃんの押し切り。

■ 安倍なつみと高橋愛2

同じくハロプロアワーで「ふるさと」を二人で歌う。

この曲はちょっとフォークソングっぽいところがあって、発声とか音程とかよりも気持ち、勢いで押し切った方がよく聞こえる曲。高橋さんは歌っているんだけれど、安倍さんは語っているという感じで、そういう意味での説得力を安倍さんの方により強く感じた。

と、はじめの部分を聞いて、安倍さんのパート部によりしっくり来るものを感じた感性を言語化してみたが、しかし繰り返し聞くうちに二人の比較のようなものはどうでもよくなってきた。気持ちを乗せて歌う安倍なつみ、透明感溢れる声で歌い上げる高橋愛、どっちも素晴らしい。そして最後、二人の声が重なり合うところ、この放送にはやはり神が宿っていたのだと感じた。

■ 発見

へえ〜、千ちゃんとなっちとは声が似ているんだね。

2006年03月02日

■ チーム力

モーニング娘。新曲「SEXY BOY〜そよ風に寄り添って〜」があちこちで試聴できるようになってきた。PVの一部を見ることも出来る。

曲自体は娘。本流の曲という感じで、アホっぽさとかっこよさと可愛らしさ、どれを狙っているのか解釈に悩む、という路線。そしてその解釈がメンバーによって違っているような感じで、PVで見せる表情にばらつきがあってそこが面白い。紺野さんこと紺野あさ美は可愛く、れいなこと田中れいなはかっこよく、ミキティこと藤本美貴はアホっぽく。愛ちゃんこと高橋愛はかっこよく歌おうとしているように感じられるけれど、何となくアホっぽかったり。

このバラバラな感じ、これぞモーニング娘。だ。

■ 曲中曲

今更の話題だが、モーニング娘。アルバム「レインボー7」収録の「レインボーピンク」について。

この曲の面白いところは、台詞と歌との関係である。台詞のある曲というのは数多い。しかしそのほとんどの曲においては、あくまで歌の作り出す世界がまずあって、台詞は歌の一部、あるいは補足として存在している。しかしこの曲はその関係が逆転している。歌はこの曲の「曲中曲」として存在しているにすぎず、この曲の世界を構成しているのは台詞なのである。

■ 2nd〜染みわたる想い

なっちこと安倍なつみのアルバムの曲名が発表。

タンバリンはなしか。なかなか「傷」は癒えない。でも逆説的にいえばそうした埋葬されてしまった傷の痕跡があるからこそ、彼女の刻む物語に惹かれ続けるのだ、とも言えるか。いささか負け惜しみがすぎるが。

発表された曲自体、もちろんまだ聴いていない曲が多数あるので、曲名だけで判断するわけだが、非常に物語性の強いもののように感じる。「なんちゃらバージョン」なんてのがない、というのがとにかくありがたい。

■ 青春時代

なっちこと安倍なつみの新アルバム「2nd〜染みわたる想い」収録曲の中で、現段階、題名を聞いた時点での期待度No.1は「学生時代」。

何となく題名を聞く限りフォークっぽい雰囲気。安倍さんはアイドル歌謡もいいが、フォークソングとかロックとかそういう「気持ち」で歌う歌の方がもっといい。というわけで、勝手に期待。

そしてジャケット写真も公開されている。2nd〜染みわたる想い〜

え〜と、これは何かの拷問ですか?30代半ばの半ヒッキーが買っていいような物じゃないですよね。このような写真は是非、パッケージの中に封入して、外はもっと簡素なものにしてください、ってエロ本じゃあるまいし。

2006年02月25日

■ 誕生日

厳密には日付が変わっているけれど、はてな上ではまだいけるな。

マサオこと大谷雅恵さん、お誕生日おめでとうございます。

( `_´)>歳をとるのは悲しいことではありません。

2006年02月24日

■ 私は私、あなたはあなた

パソコンテレビ GyaO [ギャオ] 無料動画  |音楽 ハロプロアワー|でハロプロ新番組。初回はなっちこと安倍なつみが司会で愛ちゃんこと高橋愛がゲストとのこと。安倍さんと高橋さんの絡みというのは久々。かつてハロモニ。のコーナーでも(顔相的に)相性が悪いことにされた二人、人の話を聞かないことで知られる二人がどんな絡みを見せるか、とても楽しみ。

■ 鳴り止まないタンバリン

もうかなりで遅れた話題だが、なっちこと安倍なつみのセカンドアルバムがまもなく発売。まだ収録曲は未発表。

とにもかくにも「鳴り止まないタンバリン」をよろしく。この曲を聴くまでは絶対に終われないものが私には残っている。

■ 私信だかなんだか

それはべつとして...さん

ユーモアではない辭書的な解説を以てその原因を解説しなければならないとしたら

ユーモアでいいのではないでしょうか。辞書にユーモアがあってはいけないという法はないと思いますよ。

個人的には「紺野さん」という呼び方には紺野あさ美さんのモーニング娘。メンバー随一の「普通っぽさ」(アイドルっぽさの逆の意味での)が反映されているような気がしています。いわゆる「クラスにいるちょっと可愛いあこがれの女の子」を呼ぶのに近いノリというのでしょうか。

私は「なっち」とか「加護ちゃん」とか「てってけてー」とか普通ではない(ちょっと変な)人の「推し度」が高いので、見当はずれかも知れません。

■ よい知らせ

辻ちゃんこと辻希美さんがフットサルの大会に登場、マスコミの取材に応じて、加護ちゃんこと加護亜依さんのことも言及していたようだ。

時期は不明だが、それでも必ず戻ってくる、という確証を得られた、気がする。

2006年02月21日

■ 八つ当たり

「くだらない」あの一件が頭から離れず、一日中それに関連したことを考えている。

果たしてその一件について「語らない」ことが正しいことなのか。それもわからない。今どんどん彼女の存在が消し去られようとしている。本当に彼女は帰ってくるのか。その確証を事務所が伝えてこない限り、むしろ私たちは彼女のことを語り続けなければならないのではないか。そんなことを思ったりする。

彼女のいないハロプロがこれほど空疎なものだとは思わなかった。ましてや、いない理由があまりにバランスを欠いた理不尽とも思える処置によって、だ。なんでみんな彼女のいないハロプロのことをこんなに楽しそうに語れるのだろう、そんな八つ当たりのような(というか、八つ当たりそのものの)心情になる。

それでも去年は同様の状況で「愛の第6感」を買わなかったのに、今年は「レインボー7」を買って、聞き込んでいる。矛盾している。

2006年02月17日

■ 「良識」が支配する社会

加護ちゃんこと加護亜依さんの「謹慎」が長期になることが事実上確定。

ご存じの通り『加護亜依』は現在謹慎中であり、大変残念でありますが、4月8日(土)から始まります「ハロ☆プロ パーティ〜!2006 〜後藤真希 キャプテン公演〜」に出演出来ません。

Hello! Project -Official Site-

ブログを見ていてもハロプロファン以外の反応の大半は「へぇ〜、あの加護ちゃんが」ぐらいなものだった。一部ファンと称するものたちがファンサイト掲示板でごちゃごちゃ言っているのが一番目についたぐらいで、おおかたの反応は緩やかなものだった。それでもこの結果だ。個別具体的な声ではなく、もっと漠然とした「制度」の力。「私ではない誰か」が許さない、そんな「声なき声」の「良識」が彼女を許さなかったのだろう。

彼女は直接は誰も傷つけていないのに、彼女を許さない誰かが亡霊のごとく社会を覆う。

2006年02月15日

■ 前書き

私が彼女のことを好きでなければ、もっと冷静に、的確に今ここに生起している言説を読み解けるだろう。しかし私が彼女のことを好きでなければ、それをしようとは思わなかっただろう。

■ 「監視」欲望

かつてのアイドルファンはもっと厳しくて、煙草を吸ったなんてことが分かったらファンが激減した、だからアイドルたちは律することが出来ていた、今のファンは甘い、だからアイドルたちは乱れている、という主張を読む。

本当に今のアイドルたちの方がより乱れているのか、この手の「昔は良かった」言説は一応眉唾物だと思っておいた方がよいのだが、それはさておき。

もし事実として昔のアイドルファンの方が厳しかったとして、その方がよいのだろうか。アイドルは何々であれ、という思い入れをプライベートな身体にまで込めて、そうしたまなざしで見続ける、ちょっと恋愛でも何でもスキャンダルがあれば致命傷、それがよい状況なのだろうか。

アイドルはプライベートでも見られることを意識せよ、大金をもらっている代償だ、などと曰う。なんと卑しき物言いなことか。他のアイドルは知らないが、加護亜依が、モーニング娘。のメンバーたちがそれなりのお金をもらっている(のだろう、知らないが)のは彼女の歌に、踊りに、そのパフォーマンスに価値があるからだ。プロとして立っているステージにお金を払って観たいと思うものたちがいて、それで彼女たちはお金を稼いでいるのだ。

「プライベートでも見られることを意識せよ」、それは疑似恋愛にせよ、本当の恋愛にせよ、恋愛相手に監視カメラでも付けて監視したいという「私」の欲望ではないのか。そしてそんな監視を甘んじて受けよ、というのはこの世界の彼女たちを収容する監獄にしようということだ。私は特定のものだけであっても、そのような監視(される)社会を良き社会だとは思わない。

今やアイドルたちの恋愛についてはかなり寛容な状況になってきている。恋愛をスキャンダルとして責め立てることを、今の社会はよしとしない。アイドルへの「監視」欲望は明らかにゆるんでいる。

それを面白からず思い、己の理想をアイドルに押しつけ続けたいものたちの後退戦が「喫煙」なのだろう。そしてかれらは己の欲望を押し隠し、ただひたすら秩序の守護者として、そして非行者に対する教育者として、語りを生産し続けるのだ。

■ 「教育」欲望

彼女をなぜかくも「偉そうに」叩く人がいるのか。それは煙草を吸ったからだ。なぜ煙草を吸うと(健康に良くないとかそんな話じゃなく、あたかも邪悪なことをしたかのごとく)叩かれなければならないのか。それは煙草を吸うことが「非行」だからだ。

「非行」問題とは畢竟秩序問題である。非行とは秩序の境界を脅かす行為であり、秩序を挑発する行為であると認識される。逆に言えば非行をただすことが「良き秩序」を守ることになるのだ。

非行者とは秩序を乱し、秩序からはずれたものであって、逆にそれを秩序の元に戻すことによって秩序は秩序たり得る。逆説的に非行者は秩序を維持する効果を持つ。その効果こそが「教育」である。

未成年の喫煙は非行の代表的なものとされる。それは「非行-教育」に必要な形式をすべて備えているからだ。

  • (健康という)本人にとって良くないことである。
  • (健康という)身体に関わる問題である。
  • (大人にだけ許されていることをするという意味において)大人/子どもの境界の侵犯である。

彼女を叩くものたちは、彼女のために、そして社会のために、彼女を叩く。いや、叩いているのではなく、子どもである彼女と、それに同調する餓鬼どもを「教育」しようとしているのだ。

■ 後書き

語らないことがファンとして最善の選択肢であろうことは分かっている。しかし一方で私は彼女を「正しい」立場から叩く言説を放置する気にはどうしてもなれないのだ。この言説は、彼女だけではなく、ともすれば社会全体を飲み込み、ただただ正義を標榜して非寛容を貫く状況を生み出しかねない。私はその言説が生起する今ここにおいて、その言説に与しないメッセージを残さなければならない。

2006年02月14日

■ 虎の威を借る

この問題を語り続けるのは止めようという主張もあると思う。それはそれで正しい。ただ私は「前の」安倍なつみの問題の時も結局2ヶ月書き続けたし、今度も書き続けることになるだろうと思う。これはいい悪いの問題ではない。私は個人の感情において、この問題がなかったかのごとく、ハロプロの話題をする気にはとうていなれない、ということだ。

ネットの語りは安倍さんの時に比べればずいぶんとおとなしいものだ。なんだかんだ言って「一般人」の反応はまるで違う。基本は「たかが煙草」というのがある。バッシングをしているのは「ファン」と称するものたちと、そして一部のパラノイアだけだ。この手合いは何かことがあれば、それに対して己の正義をひけらかすことで己の精神の安定を図ろうとする。例えば「加護亜依」のキーワードを、普段ハロプロの話題に触れたこともないくせにこのときだけ編集に手を出す輩などはその典型だ。「正しい」「公正」なことをしていると自分では思いこんでいるようだ。歪んでいる。

私が一番いらだっているのは、今回は事務所とその周辺の対応だ。

例えばハロモニ。単にテロップで「この放送は何時何時に収録されたものです」で良いではないか。他の局の番組はそうしていた。また安倍さんの時もその程度の対応であった。なのに今回は大幅な編集で加護さんの部分をカットする。

例えば「処分」。安倍さんの時は「2ヶ月活動自粛」だった。今回は「無期限謹慎」。

なにやら、ネットでの言説とは違い、事務所的には「盗作」よりも「未成年喫煙」の方が罪が重いらしい。

私の感覚では「盗作」が2ヶ月なら「未成年喫煙」など3日で十分だ。私は安倍さんのことが明るみに出たときには「くだらない」とは書かなかった。決まったばかりの紅白出場を辞退すべきだ、と書いた。加護さんの時の第一印象は「くだらない」。私の価値感ではそれだけの差がある。2ヶ月を超える謹慎を加護さんが強いられるとしたら、それはとてつもなくバランスを欠いた処置だ、と私には思える。

法律論をかざす気はないが、しかし両者に関わる法律の趣旨とてこの感覚を支持している。未成年者禁煙法には当事者たる未成年を罰する意味合いは全くない。今回の一件で多方面に迷惑がかかっているのは「法に触れた」ためであって、問題となった行為自体に直接の原因があるわけではない。問題となった行為(喫煙)自体は、喫煙をした本人のためにならないということで保護責任を負う人たちから叱られればすむことであって、部外者にやいのやいの責められるたぐいのものではない。その行為自体で誰かの権利を侵害したりしたわけではないのだ。

私は安倍さんのしたことは、彼女が「表現者」でいる限り、忘れないと思う。彼女が「チェインギャング」を歌えば、その歌詞の中に彼女のその行為の意味を思い出す。私はその行為を織り込んだ上で、彼女を見る。その行為は、彼女の表現者としての人格の中に織り込まれている。

加護さんのしたことなど、加護さんが再び私たちの前に出てきたときに、一言「ごめんなさい」と言えば(別に謝って欲しいわけではないが、儀礼的にその程度のことは言ってもよいのは確かだ)、その瞬間に忘れていいことだ。背負い続ける価値など全くない。

一応言っておくと私は喫煙に甘いつもりは全くない。私自身生まれてこの方煙草を吸ったことはない。また未成年者相手の仕事をする人が喫煙をするのは「けしからん」とさえ思っている。職員室で喫煙をする教師がもしいるとしたら、教師失格だと思う。家で吸うにしても、煙草のにおいを学校に持ち込むのも「けしからん」。

ハロプロでも同じだ。未成年者をメンバーとして抱える「プロジェクト」だ。成年メンバーも、スタッフも、未成年メンバーの前で煙草を吸うなどとんでもないことだ。もしそんなことをしているメンバーやスタッフがいるのであれば、即刻止めて(辞めてとまでは言わない)もらいたい、そう思う。

しかし煙草の害というのは徹底して実利的な問題だ。彼女の表現者としての価値を損なう必要など本来全くないことだ。「イメージが云々」というのはプライベートな恋愛を暴き立てて「イメージが云々」と曰うストーカー的視線と同レベルのものにすぎない。恋愛と違って未成年者の喫煙は確かに「よくない」ことだ。その一点の妥当性を持って、己のストーカー的視線までも正当化しようとする。今や恋愛では「アイドル」に対する己の願望の押しつけがおおっぴらには出来なくなったものたちの足掻きの場が「法に守られた」喫煙という場なのだ。

■ 悪いのは誰だ?

日曜日の昼の番組「あっこにおまかせ」で未成年者の喫煙問題なんてのを扱っていて、そこで今回の喫煙問題で「悪いのは誰か」に関するアンケートを「ハロショ」に来たファン相手にやった結果を発表していた。

回答者22人中15人が隠し撮りを掲載した写真週刊誌が悪いと回答し、加護さん本人が悪いと答えたのは3人だけだというような結果を見せ、「ハロプロファンはアホやねえ」と言いたいような流れの番組になっていた。

某掲示板ではアンケートを実際に受けた人が書き込みをしていて、実際にされた質問は「加護ちゃん」とは答えにくくなるような誘導がなれていた、という報告があった。そして怒りの一言、

自分らに都合いい番組を作るために誘導尋問とかクズだよこいつら

加護が1番悪いことなんて俺らが1番わかってるっつーの

「誘導尋問」自体もさもありなんと思わせるし、そもそも適当に集めた22人程度のアンケートで円グラフまで作って提示するのも相当に痛い。「当事者」は何も分かっていない、外から見ている我々は冷静だ、などというスタンスをマスコミが取るのは今に始まったことではもちろんないが、その実やっていることはでたらめ、人に説教を垂れる資格などありはしない。かれらはたぶん「当事者」の吐き捨てた「加護が1番悪いことなんて俺らが1番わかってるっつーの」という言葉の意味など永遠に理解できないだろう。

だいたい「誰が一番悪いか」などという問自体が愚問なのだ。関係者全員各々全く立場も違えば、「事態」に対する関与の方向も違う。そもそも「悪い」って何が何に対して「悪い」のか。そんなことも不明確にして「悪」の量を問うてみてもなんの意味もない。

回答の中に一人「中澤裕子」と答えたものがいた。それを見て「理解できない」という感想がファンサイト掲示板に上がったが、質問自体の無効性を浮きだたせる見事な回答だと思う。「一般人」にはあるいは理解しがたいところがあり得ても、ファンならこの回答のしゃれっ気が理解できてしかるべきだと思うのだが。

これで理解されないなら、もっとわかりやすい回答をするべきだったのかも知れない。それならどう答えれば良かったのだろう、と考えて私ならこう答えよう。

「あびる優」。

■ 株なら大損

いろいろ買ってきた。

といっても買ったのは昨日だから、娘。のアルバムじゃなくて、

×3

×3

シャンパンの恋

シャンパンの恋

x3だけ中古。メロン記念日のは新品を買うのは今更感が漂うけれど、ほんと今更だな。

まっつーことあややのCDを買うのは実はこれが初めて。ファンからはあまり評判が高くない「砂をかむように NAMIDA」だけれど、私は結構気に入ってしまって、松浦亜弥の歌うバラードっていいなと思って「The Last Night」を聞きたくなって、アルバムも買ってきたという。今までテレビとかで流れているのしか聞いたことがなかったもので、結構な勢いで聞き込んでいる。

松浦さんのことは他のハロプロメンバーにある「ダメダメ」感みたいなのがなくて、あまり愛着みたいなのはわかなかったのだけれど、声がいい。

ちなみに私がCDを買い出すのはほとんど落ち目になる人なので、松浦さん、ご愁傷様でした。

■ 無題

まあ、なんですよ。自分でも冷静ぶったことを書いているけれど、悲しくて不安で仕方がないわけですよ。安倍さんの時は、安倍さんのしてしまったことも悲しかったし、それに伴う結果(2ヶ月の活動自粛、シングル発売中止)も悲しかったし、バッシングするものたちの言説を読むのも悲しかった。今回の件では加護さんのしてしまったことは「馬鹿だな」とは思うけれど、別に悲しくはない。後の部分の悲しさは同じ。最初の悲しさがないだけ、落ち着いている、振りが出来る。

加護ちゃんのことは夢に見るほどに好きなんだから。さして面白いとも思えない筋書きのドラマをわざわざ見るほどに好きなんだから。安倍さんとの絡みを思い出すだけで長時間幸せに耽っていられるほどに好きなんだから。

「無期限」というのが堪らない。単に決まっていないだけだ、とは思っている。4月の「ハロ☆プロ パーティー」には復帰するだろうとは信じている。でもわずかではあっても別の可能性がちらついて、仮にそんなことになったら、どうしてやろうかなどと考えたりする。

能動的なことは何も出来そうもない。ただハロプロという枠組み自体への愛着は急速に薄れることは確かだ。加護ちゃんのいなくなったハロプロはもはや欠陥品でしかない、私にとっては。

2006年02月11日

■ 言説効果

仕事が全然はかどりません。頭の中が「くだらない」話でいっぱいで。

つらつら飽きもせずにネットで言説を追っているのだけれど、そういうのを見ていると根本的に違う二つの言説があって、両者は簡単には交わらないのだな、と感じる。二つの言説とはファンサイドとそれ以外、ではない。もっと一般的な次元でのお話だ。語る対象をそれが置かれた文脈の中で語ろうとする言説と、文脈から切り離されたいわば冷凍保存状態の対象として取り出して語ろうとする言説。

未成年の女性アイドルが喫煙しました。この事象をそのまま取り出して何かを語れば並ぶ発言など限られる。

  • 未成年の喫煙は法律違反だ。
  • アイドルはイメージを壊したら駄目だ。
  • タレントが悪いことをしたら、一般人とは比較にならないぐらいいろんなところに迷惑がかかる。

そんなこと何も「この事例」で語らなくても、抽象的アイドルAで語れる話じゃないか。そんなことを語りたくて具体的な事件を「待って」いたのか?

そんな一般論とか一般常識とやらを自分のブログでわざわざ語る人というのはよほど人に説教でも垂れたいだけなのだろう。

で?だから?厳しい処分も受け入れろ?引退もやむなし?

そんな一般論で他人の人生が翻弄されるのを見たいわけだ。卑しい話だ。

そうですよ、彼女のしたことは法律に反していますよ、アイドルとしては明らかにやっちゃ駄目なことですよ、そしていろんな人に迷惑をかけていますよ、そしてそんなことは今彼女も、そしてそこに関わる人たちも、そして彼女のファンたちも、みんな分かっていて、そのことを噛みしめていますよ。それ以上にかれら(そして私たち)に何を知らしめたいのか?

具体的な状況は、もうこの瞬間に動いていて、そしてあなた(そして私)が発言をなした瞬間にもまた何かが動くのだ。そういう言説をあなたも私も形作っているのだ。そして彼女はもうすでに無期限の謹慎という罰を受け、CDの発売中止という結論も出され、多くの関係者に迷惑をかけまくり、多くのファンを失望させ、そしてそのことを否応なしに思い知らされているわけだ。その状況の中で、何をどう動かしたいのか。己の発言にどういう力を込めさせたいのか。あるいは己の発言がどういう力に荷担することになるのか。それを何も考えないではき出される言葉とは何なのだ。

今現実に彼女が置かれている状況において、さらに一般論としての彼女の行為の否定性を語ることの言説効果を想像できない程度にしか状況把握が出来ず、あるいは想像力が働かないのなら、その話題には触れるべきではないのだ。

■ 存在を否定する力

何かの存在を否定しようという力は、とてつもなく恐ろしい力だと私は思う。確かに彼女の否定的側面は語れるだろう。青少年の喫煙を防止するのにマイナスだとか何とか。あるいはハロプロ全体のイメージに関わるとか何とか。しかしそんなことが、彼女の存在の否定にまでつながるようなことか?青少年への影響を軽視しているのではない。しかしそれは彼女の存在を否定しなければ救えないことなのか?何かの存在を否定しなくても十分守れる手段があるのであれば(そして一般的に言ってあるに決まっている)、そのものの存在をことさらに否定するべきではない。

何かの存在を否定するということは、否定されるものの抹殺のみならず、それに思いを寄せ、それに関わるものたちのこころを踏みにじる。存在するが故に邪魔なことがあっても、その存在するものを無視するのは簡単だ。しかし存在を抹殺されたものには救いの道はないのだ。

常識」や「正論」は時として何かの存在を否定しようとする。常識を盾に何かを主張するのも良いが、しかしこのことは常に意識しておいたほうがよい。

2006年02月09日

■ くだらない2

「くだらない」ことをなぜわざわざ文字にしたのか?それはその「くだらない」ことを取り巻く状況がくだらないことをくだらないこととしてはすませない方向で動くであろうことが容易に想像できるからだ。その想像には十分な根拠がある。

そうであるならば、せめて一ファンとしてくだらないことはくだらないのだと言葉に残そう、それしか私に出来ることはない。

■ だまされた

うたばん、あややこと松浦亜弥が出るものと思ってずっとテレビを付けていたのに、結局最後まででなかった。まったく。

■ くだらない

くだらない写真と記事が週刊誌に出るようだ。

未成年者の喫煙禁止法は、未成年者の保護という意味を持つものだから、喫煙をした未成年者はその煙草およびその器具は没収され、未成年と知りながら煙草を販売したものおよび喫煙現場にいた成年者が処罰の対象となる。

未成年で喫煙をしたものの振る舞いそれ自体はもちろん教育的見地から責められてしかるべきだが、それ以上に何かしら「邪悪なこと」をしたとかそういう意味づけをするべきではない。関係者の間で「馬鹿、何をやっているんだ」、「ごめんなさい」、それですませて良い問題だ。

それですませるべき問題だ。

2006年02月07日

■ 大変なこと

ゴマキ言うな!こと後藤真希さんが急性腸炎とか。

急性腸炎ってなんだ、と思ってちょっと調べてみたら、結局原因不明のよく分からない腹痛の多くはそのように名付けるとかそんな曖昧なものらしい。要するに「急性腸炎」という病名には情報量がほとんどなく、症状が重いか、軽いか、どの程度で直るものなのか、とかそんなこともこの病名からではなんの手がかりも得られない。

なっちこと安倍なつみさんがラジオでちょっとだけこのことを触れていたけれど、まあ人の病気のことをべらべらしゃべるわけもないが、それでも結構あっさりした感じだったので、ゆっくり休養すればそれほど心配することもないのだろうと思うことにする。とりあえずは主演ドラマ「指」を楽しみにしよう。

それよりも心配かも知れないのが、平家みちよさん。事務所の社長が夜逃げしたとかそんな話で、かなり大変な状況らしい。「結局は自分一人」だなんて哀しいことを言う。それでも前向きにすすんでいく、ということなので、皆さんよろしく(何をだ?)。

2006年02月02日

■ 大ニュース

しばらくネットにつないでいない間に世界を揺るがすニュースがネットに駆けめぐっている。

大ニュース

この知らせにより、闇に包まれた世界に光明が差した。

2006年01月22日

■ 疎外

今更ながらの泣き言だが、ハロプロ界隈がどんどんと閉鎖的になってきていて、非ファンクラブ会員、そして非関東圏在住者にはどんどん疎遠なものになってきている。

某所でなっちこと安倍なつみのカジュアルディナーショーの内容を読む。「なごり雪」とか工藤静香の「抱いてくれたらいのに」を歌ったと知る。特に「なごり雪」は良かったろうなあ、と思うが、しかしそれを実際に体験することは出来ない。せめてそういうのを映像にしてネット配信とかしてくれれば、まだそこに参加したファンたちとの共有体験ができ、思いも持続しようものなのに、単に文字で読んでも、正直疎外感しか持てない。

昨日もまた夢を見た。今度は高橋愛と加護亜依の愛亜依コンビだった。テレビの画面を通してではなくて、直接見られた。知り合いとかそういう夢のような設定ではなくて、駅かどこかで見かけて、遠慮がちにじろじろ見ていたら、愛ちゃんが目で反応してくれて、「うぁ〜」と舞い上がっている、とかそういう馬鹿みたいな夢。

現実の生活の妄想に嫌気が差して、メディアを通した具体的存在のなかにユートピアを見ようとしていたのに、いつの間にかそれも妄想の世界に行ってしまった。

2006年01月20日

■ 夢的妄想

正月にだらけていたツケが来て、やるべきことが一気に押し寄せる。おまけにライブドア関連のニュースが面白くて、そっちに気が取られる。ますますもって仕事がはかどらず、現実逃避にライブドア関連ニュースに逃げ込む、という悪循環。

気がつけば一週間以上もの間、全く更新をしていない。後藤さんのDVDも買っていない。かろうじてハロモニ。だけは見た。サイトの巡回もほとんど出来ていない。

そうしてハロプロ関係から遠ざかっていた昨日、夢の中になっちこと安倍なつみと愛ちゃんこと高橋愛が出てきた。そうはいっても直接の知り合いとかそういう夢のような夢ではなくて、単にテレビの画面を通じて出てきたという変にリアルな夢だったのだけれど、夢の中のテレビの画面を通じて、といういささかまどろっこしい形ではあれど、「いい加減に思い出してよ」と会いに来てくれたような妄想に駆られて、なんとなく妙な気分になった。

2006年01月10日

■ 神の宿る放送

半周遅れの話題だが、今週日曜放送分のハロモニ。「正月太り解消!!スポーツSP」。

元・現娘。が3チームに分かれてスポーツをするという企画。第一弾は我らがなっちこと安倍なつみ率いる運痴組(なのか?)。メンバーは加護亜依、高橋愛、道重さゆみ、田中れいな。まあ、どこをどう見てもへたれ組だな。やる種目は「雪合戦」と「雪そりクイズ」。相手は新日本プロレスの選手。

ネットでの評判は微妙なようだが、いやはや私にとっては神のような放送でした。これほどの内容の放送、一年に一度あるかないかぐらいなのに、なんで評判が芳しくないのだろう。

基本的には安倍さんの独壇場。久々に、これぞ安倍なつみ、というのを見た。にこにこしながら微妙に毒を含ませた笑顔に突っ込み。そしてその場にいることが楽しくて仕方がない、という「きゃぴきゃぴ」した雰囲気。モーニング娘。に在籍していた頃のあの安倍なつみだ。

特にクイズ。いち早く一人正解し、ご褒美のごちそう食事権を獲得するや、クイズ出題者の脇に構えて、いろいろ混ぜっ返す。それでも仲間のハロメンが回答者の時にはちょっとわざとらし目のジェスチャー込みのヒントを出すなど後輩思いの面も。このコーナー中ずっとなっちワールドを作り上げてしまう。

その安倍さんについて行けていたのが加護さん。前にピンでクイズ番組に出ているのを見たときには、ずいぶんおしとやかになってきたな、と感じたが、今回はすっかり昔のキャラに逆戻り。すっかり安倍さんの「妹分」をつとめていた。

田中さんはいつもあんな感じでしょう。皆が騒いでいるときにでも、その中に入ろうとして「いや、駄目だ」と引いてしまう自分がいる、と自己分析をする田中さんだけのことはある。いつもどおり、とても「らしい」田中さんを見られた。

逆に安倍さんとの相性が悪いというのか、ちょっと調子がおかしかったのが高橋さん。安倍さんのテンションの高さにつられるのか、妙にハイテンションで、時折声が裏返る。なんだかちょっと無理気味にがんばってしまっている感じ。いつもの「バラエティではやる気のない」高橋愛でいいのに。中澤さん相手の時はそうでもないのに、なぜか安倍さんと一緒の時はペースを乱すような気がする。

相変わらず生真面目なのが道重さん。クイズの敗者復活戦の時に、目隠しをした回答者の加護さんに道重さんが熱いチーズフォンデュを口に入れる場面があったのだが、そこでもやけどをしないようにとても丁寧に「ふーふー」してから口に運んでいた。まるで自分の赤ちゃんに初めて少し熱いものを食べさせようとする母親のような丁寧さだった。そのほかの場面でも、先輩である安倍さんに対してさりげないのだけれどもきちんとリスペクトしている様子が随所で伝わってくる。なんていい娘。なのだ。

今回の放送での最高のシーンは雪合戦の罰ゲームでの「絶叫チュービング」、絶叫ものに弱い安倍さんが最初の「犠牲者」で例によってきゃーきゃーテンパって帰ってきたときに他のメンバーが「お帰り」などといいながら駆け寄るシーン。か弱き先輩を温かく迎える後輩。これぞユートピアだ。

2006年01月08日

■ メリークリスマス

なっちこと安倍なつみが結構活躍する場面がありそうなハロモニ。関西圏では12月放送分のクリスマススペシャルが飛ぶ分、これまでの一週遅れが解消され、東京圏と同じ日に見られるという噂を信じ、朝の6時からの放送を前日に録画準備する。

朝10時過ぎに起床後、いそいそと見る。ほう、ハロモニ。劇場から始まるのか。保田ばあちゃんが出てきたぞ。切符を通さずに改札を通ろうとして止められる、相変わらずワンパターンだな。

ん?なになに?「クリスマスの歌祭り」?前回の続きでそんな話を引っ張るのか?

って、これ東京で昨年12月放送された奴やん。正月明けてクリスマススペシャルなんて放送するなよ。。。

■ ハロコン2

ハロコンのセットリストをエルダークラブとワンダフルハーツ、両方確認。娘。に関しては現メンバー、卒業メンバー両方好きな私にとって、両方とも等価なものに感じるかな、と思ってみてみたが、全然そうではなかった。自分でも驚くほどワンダフルハーツには関心が持てない。娘。が歌っているところはもちろんいいと思うのだが、これまた当然のことに「定番」曲が並ぶので、意外性も何もない。それだったら娘。単独コンサートのほうがずっと楽しめそうだ。私にとってこのコンサートの価値を強いて言えばモーニング娘。とダブルユーが同時に見られることぐらいか。

それに対してエルダークラブは素晴らしい。後浦なつみの3人が中心となって、3グループに分かれて次々歌っていくのだが、安倍なつみ登場部以外のところも含めて、私にとって無駄なところが全くない。これほど「無駄」のないハロコンというのも(私にとっては)珍しい。

今の私の「推し度」が高い安倍なつみと後藤真希のいる組を楽しめそうなのは当然として、相対的に推し度の低い(あくまで相対的に、ね)松浦さんの組に私の裏推しの(なんで「裏」なのだ?)大谷雅恵さんと前田有紀さんがいるのが大きい。というわけで3グループ、どれも全部最高に楽しめそうなのだ。

と想像ばかりでも仕方なし、某所で音源をどうこうして聞く。いやはや、音だけなのに全然飽きなかった。唯一知らなかった曲、後藤さんの「DANCE DANCE DANCE」という曲がとても気に入った。「サヨナラのLOVE SONG」のカップリングとのこと、表題曲はアルバム収録で持っているが、この曲目当てに買うことにしよう。

2006年01月04日

■ 今にきっと

鬱状態の私は寂しく「週刊ポスト」を買いに行く。「後藤真希 決意のセクシー」だって。

私にとって断然ハロプロエロス担当の後藤さん、他のハロメンには全然期待しない「セクシー」も後藤さんとなると俄然期待も高まる。

んー、まだ表情がちょっと硬いな。歌を歌っているときの方がいい表情をする。新曲に期待。

■ ハロコン

ハロコンエルダークラブのセットリストを見た訳なのですが、ゲッ、めちゃめちゃいいやん。

なんと言っても中盤、密かに推している(なんで密かなのだ?)大谷雅恵さんが「歌の上手い組」(今私がメンバーを見て命名、我ながらセンスのある命名だ)に入って大活躍しているのだ。

このDVD、確か一般販売はされなかったような。。。

あとココナッツ娘。の名曲「情熱行き 未来船」をなちかおが歌うだぁ?頭がくらくらする。

見たい見たい見たい。

2006年01月01日

■ 最高だ

録画しそびれた紅白をなぜかじっくり見返す。

昨日、現娘。の印象が薄かったと書いたが、見返した印象はまた違った。赤い派手な衣装で、チームワークもよく、とても良いパフォーマンスであった。いや、もともと娘。たちのパフォーマンスが悪いなんて全然思っていたわけではなくて、例えばカメラ割り、元娘。と現娘。が入れ替わる最大の見せ場が客席からの思いっきり引きの映像。シックな衣装の元娘。から華やかな衣装の現娘。への鮮やかな転換、それが見せ場じゃなかったのか。

パフォーマンス自体は元娘。、現娘。おのおの「らしさ」を発揮した。元娘。たちは個性豊かに。飯田さんの「ディアー」は全く昔と変わらない。中澤さんの「みだら」も元のまま。もちろんメンバーはオリジナルではないのだが、それでも1999年のあのころがしっかりよみがえってきた。

現娘。は一転チームワークよく、とてもシンプルで綺麗なラブマを聞かせてもらった。圧巻は最後に両娘。が合同で歌うところ。左右に分かれて安倍さん、田中さん、続いて後藤さん、高橋さんが出てくるところは感涙ものだった。そして全員入り乱れてのエンディング。

やっぱ、最高じゃないか。

■ 一年の計は元旦にあり

あけましておめでとうございます。

ということでGAOで「おめでとうコメントが続々」という企画をやっていて、そこにハロプロメンバーもずらっと並んでいる。左からモーニング娘。、安倍なつみ、後藤真希、松浦亜弥、美勇伝 、Berryz工房。まあここはDDとしては左から順番に見ていくものだろうな。

モーニング娘。画面が小さすぎて誰が誰だか判別するのでいっぱいいっぱいだな。

安倍なつみ。さすがなっち、こんなコメントでもしっかりなっちワールドを作ってくる。

後藤真希。今度のシングルは爽やか路線らしい。エロ路線じゃないのか。残念。

松浦亜弥。あ、今年二十歳か。

美勇伝。ほう、ミュージカルやるのね。といってもなっちのミュージカルもスルーしたぐらいミュージカルってのはよく分からん。

ほしのあき。まだグラビアを続けるのか。

なんか予定とは違うような。。。

2005年12月31日

■ 終わり悪ければ

紅白。

松浦亜弥「気がつけば」からDEF.DIVA「好きすぎて」の流れはともかく、「盛り上がって」がないじゃないか。メロン記念日が出るとかまことしやかに言われていたのに、いきなりLOVEマシーンじゃん。

とそれもまあいいとして、現在の娘。の曲を全く入れないというのは本当だったのね。「気がつけば好きすぎて♪色っぽい♪LOVEマシーン」にしてくれよ。結構字面だけ観てもいい感じじゃん。

とそれもまあいいとして、卒業メンバーといってもLOVEマシーンの頃のメンバーとはやはり違うのでしかるべきパートのところに来ると市井紗耶香さんや石黒彩さんの顔がちらついて仕方がなかった。やはり今そろえられる卒業メンバーで歌うべき曲は「恋愛レボリューション21」だな、と再認。

とそれもまあいいとして、結局現メンバーの見せ場が少なすぎ。ほとんど印象に残らなかった。なんだかおまけ扱い。だからやっぱり今の娘。の曲も入れてくれよ。

とそれもまあいいとして、もう一度じっくり見直そうとしたら、オンボロPCめ、システムエラーを起こして録画されていなかった。

それは断然良くない。

2005年12月25日

■ スッペシャルクリスマス

ハロモニ。クリスマススペシャルということで娘。OGもほぼ総出演。

ハロモニ。劇場は愛ちゃん、紺ちゃん、ガキさん、重さん、れいな、小春が幼稚園児役で登場。クリスマスソングを合唱する。

なんというか、神々しいほど可愛い。単に並んで歌を歌っているだけなので、それ以外のキャラで出ている他のメンバーの方が一人一人としては目立っているのだが、この6人が並んで歌う姿は集団として美しい。もっとハロモニ。ではみんなで歌を歌うコーナーを作ってください。お願い、サンタさん(あ、もう行っちゃった)。

幼稚園児の小春が出てきて、その祖母の保田ばあちゃんが出てきたので、「嫁」のなっちが出てくるかとドキドキしながら待っていたのに結局出てこなかった。

柳沢慎吾さんを迎えてのトークコーナー。放送時間の関係上か、一つ一つの話題がぶつ切りにされてしまっていて、ほとんどしゃべっていない人が多数いて、つまらない。せっかく現娘。とOGが対抗戦という形で座っているのに、何の意味もなかった。こんなだったら現娘。だけでやった方が、全員にしゃべる機会が割り振れて良かったとさえ思う。

しかし改めて現娘。とOGとが並んで座っていると、いまや「チーム」としては現娘。が圧勝だな、と思ってしまう。普通に並んでしゃべっているだけなのに、現娘。には見ていてまとまりがある。OGは何となくバラバラ。

少し紅白が不安になってきた。

2005年12月24日

■ クリスマスプレゼント

いっぱい候補がいたのですが、今日は結局加護ちゃんと過ごしました。

いやあ、加護ちゃん、びっくりするほど大人びてきた。いまなら普通に(疑似)恋愛の対象に出来そうだ。しないけれど。

実は私はハロプロで一番好きなカップリングはなち加護なんですよね。四期が加入して早々にあったハワイ特番以降ずっと。

ということで、前にも書いたことなんですが、ダブルユーに安倍なつみ(元モーニング娘。)を是非実現してください。お願いします、サンタさん。

2005年12月23日

■ クリスマスイブイブ

あ、今日は亀ちゃんこと亀井絵里の誕生日だったのか。天皇誕生日と同じ日だったとは。

というか、アメリカンな私にとって12月23日といえばクリスマスイブの前日というのをまず頭に浮かべるのであって、子どもの頃とかクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントを一緒くたに渡されて「そんなの損だぁ」などと騒いでいたのかな、というような想像を、今の天皇の顔を思い浮かべながら、したりしたのだが、そしてそれはあまりにミスマッチな想像で可笑しかったのだが、それが亀ちゃんの顔に変わればとてもよくマッチしていて何となく安心する。

え〜と、何が言いたいのかというと亀ちゃん、お誕生日おめでとうということで。

2005年12月20日

■ ただの愚痴

あー、「伊東家の食卓」になっちが出ているのを見過ごした〜。出るの分かっていて見過ごすからなあ。

愛ちゅんもといiTunesが結構挙動不審で、曲の管理情報がちょっとしたタイミングで吹っ飛ぶ。それを修復していたら、19時から始まる番組を見そびれた。20時過ぎに思い出してあわててみたのだけれど、もう後の祭り。

どっかでごにょごにょ出来るかなあ。。。

■ ハロモニ。

最近のハロモニ。が特になちヲタの間では不評のようで。たしかに新しい情報コーナー、せっかくなっちこと安倍なつみがレギュラーなのに、中澤の裕ちゃん((c)安倍なつみ)が司会をやっていた頃よりもおもしろくない。それは確かだ。

しかし先日の放送は良かったけれどなあ。なんといってもコントコーナーでのなっち&梨華ちゃんのチルチルミチルが良かった。あの手の、ちょっとわざとらしく、ちょっとうざい系のキャラをやらせたらこの二人の右に出るものはない。なっちはわざとらしさが多い目、梨華ちゃんはうざさ多い目。それを見る私は幸せてんこ盛り。

話は変わって、先日放送された「朝まではロプロやねん」のクイズコーナーで「アンデスメロン」の語源が出題されていた。愛ちゃん、れいな、重さん、亀ちゃん誰も答えられない。もちろん正解は「アンデス山脈でとれました」に決まっているのに。

コラ、君たち、「うろおぼえゼミナール」見てないな。廊下に立ってなさい。

2005年12月18日

■ バリバリ教室

「モーニング娘。コンサートツアー2005夏秋 バリバリ教室」のDVD鑑賞。

特に楽しみにしていたのが「ラストキッス」と「Memory 青春の光」。ええ、どうせ私は回顧厨ですよ。かつては歌手グループとして、きちんとコーラスも出来るすばらしいグループだったのに、いつからか「Memory 青春の光」がコンサートで披露されることもなくなり、一級のパフォーマンスグループではあっても、歌手グループではなくなってきた、などと嘆いてみせるアナクロニスト、反動主義者ですよ。

某ファンサイト掲示板では今の娘。の歌唱力が足りなくて、無惨だったなどと書かれており、不安で残念な思いと「いや、愛ちゃんとかれいなとかがいてそんなはずはない」という思いと「いや、やっぱりそんなものか」という思いが混ざる。

急く気持ちを抑え、とりあえず最初からしっかり観る。

「色っぽい じれったい」。これはまあ、今の娘。の曲だしな。

「LOVEマシーン」。味付けはオリジナルとはずいぶんと違うけれど、これはこれでよくまとまった良いパフォーマンスだよな。

「ラヴ&ピィ〜ス!HEROがやって来たっ。」、「恋は発想 Do The Hustle!」。このあたりも今の娘。の曲だし、きちんと魅せてくれているよな。「恋は発想」はずいぶんと酷評されていたけれど、結構いいじゃん。

「恋愛レボリューション21」。これも悪くはないんだけれど、まとまりが良すぎるというか、あっさりまとまっていて、おもしろみはオリジナルの方があるかな。「この星は〜、美しい〜」のなちゴマは小川さんと田中さんがやっているのね。単なる歌のパートの一部になっちゃっているな。まあ、仕方ないけれど。

「恋の始発列車」。いいねえ、この曲は。まあ比較的歌いやすそうな曲だから、歌唱力がどうとかいう感じでもないかな。途中客に歌わせるところがあったが、「今」の娘。ファンの中にはこの曲知らない人が多数いても不思議でも何でもないのだが。

などと一曲一曲感想を書くのも飽きてきたので、肝心の「ラストキッス」。いいじゃないか。一番と二番とでパート割が変わっていて、(たぶん)難しい石黒彩さんのパートを愛ちゃん(とさびの繰り返しの部分ではれいな)が担当している二番の方が数段良かった。亀ちゃんも結構歌えてはいると思うんだけれど、やっぱね。オリジナルが歌っているライブDVDを引っ張り出してきて、聞き比べたけれど、少なくとも二番の出来に関しては全く遜色なかった。

「Memory 青春の光」も難しいと言われるコーラスもきちんと出来ている、気がする。上手いじゃないか。ライブでこれだけ歌えていて、何か問題ありますか?

いったい誰だ?今の娘。ではハモれる人がいないし、かつての娘。の曲は歌えないだの、全体的に歌唱力が落ちているだの、実際ライブで披露された昔の曲は無惨だったの、いい加減なことを言っていた奴は。謝れ。娘。たちに謝れ。土下座して謝れ。丸坊主にして謝れ。絶対に謝れ。

よっすぃ〜とミキティと愛ちゃんと麻琴とガキさんとこんこんとれいなと亀ちゃんと重さんと小春のことだからこんなに言うんだぞ!

2005年12月15日

■ 生産性向上

仕事が予定より早く終わった。楽だったというのではなく、単に私が思っていた予定より締め切りが一日早くなって、昨日ほとんど徹夜して、今日は授業の合間にまで作業して、何とか締め切りに間に合わせた。疲れた。でも金曜日はフリーになった。娘。のDVD買いに行けるぞ。買ったら、たぶん、見る余裕があるぞ。

とりあえず前祝い?ということでミキティこと藤本美貴の写真が掲載されているFLASH誌を購入。3件ほど回ってようやく発見。

「20歳の色香」だって。「20歳の成熟白水着」だって。ドキドキ。

うわっ。さすがにミキティ、エロ・・・・くない。

うーむ。やっぱ胸が、、、ってそんな即物的な話をしているのではなくて。

というわけで、最近エロティシズムについてつらつら考えたりしているわけだ。後藤真希は何故エロいのか。それに対して藤本美貴は何故エロくないのか。安倍なつみは、高橋愛は、松浦亜弥は、などと思考が進むわけだ。

なんて生産的なのだ、私の思考は。

2005年12月09日

■ キラキラした瞬間

水曜日のFNS歌謡祭、帰宅したのが21時ぐらいだったので、リアルタイムでは見られなかった。あとでDEF.DIVA登場部分だけを見た。なっちこと安倍なつみの隣にaikoさんがいて、アイコンタクト取ったりしていた。

ユートピアがそこに宿っているように見えた。

■ 最高の歌手グループ

紅白歌合戦、新旧娘。メンバー入り乱れて「LOVEマシーン」を披露するのだとか。

それだったらDEF.DIVAとかいらなかったのに、とか思ったり。

いや、それよりも現在のモーニング娘。が薄くなるなあ、と現娘。ファンとしては思ったり。

でもやっぱり現であれ、元であれ、みんな好きなので、とりあえず楽しみ、ということで。いや、「とりあえず」なんかじゃない。最高に楽しみだ。

2005年12月07日

■ マジレス

なっちこと安倍なつみ、ハロモニ。に登場。

「マジックレストラン」略して「マジレス」。手品師が手品をネタに出題する問題に答えられたものがおいしい食事をすることが出来る、というコーナー。

今回の手品師は小泉首相を模した出で立ちで手品を披露する。最初のクイズは、二枚のトランプを振ったらトランプの間から何が出てくるか。最初に500円硬貨を出して見せ、さあ、その次に出てくるのは何?

回答者のほぼ全員がお金関係だろうと「一万円札」などと答える。なっちこと安倍なつみ、「え、お金?」などといいながら、回答として出したものは「みかん」。

その回答を横からのぞき込んだ愛ちゃんこと高橋愛、なんだか「可愛そうな子」を見るような目で見て微妙な笑顔。

安倍さん、高橋さんに馬鹿にされているよ。

ん?よく見返すと田中れいなさんも「安倍さん、みかん」、と笑い飛ばしているし、久住小春さんも「みかん?」とあきれた声を出しているし、藤本美貴さんも「(そんなところにみかんなんか)隠れないですよね」と突っ込んでいるし、というかみんなあきれ気味にざわざわしているよ。

なっち、天使。

2005年12月04日

■ ドラマ「たからもの」視聴ランク

パソコンテレビ GyaO [ギャオ] 無料動画

"THE BEST" RANKING

視聴ランキング(2005/12/01)

でなっちこと安倍なつみ主演の「たからもの」

  • 総合 2位
  • MEN 2位
  • WOMEN 1位

なかなか順位が出てこないのでやきもきしたが、思いの外の好ランク。女性部門一位がちょっと意外というか、嬉しい。看護学校でブーイングを喰らったばかりだしな。

2005年12月02日

■ 理想的な授業実践記録

看護学校の授業最終日。

重層的非決定? - トマトはトマト(回覧文)で書いたネタを授業で取り上げる。

トマトにねえいくら肥料やったってさ〜 

メロンにはならねんだなあ

トマトとねメロンをねいくら比べたって 

しょうがねんだなあ

トマトよりメロンのほうが高級だ なんて思っているのは

人間だけだねそれもね欲のふかい人間だけだな

トマトもね メロンもね当事者同士は

比べも競走もしてねんだな トマトはトマトのいのちを

精一杯に生きているだけ メロンはメロンのいのちを 

いのちいっぱいに 生きているだけ


トマトはピーマンにはなれない

トマトは茄子になんかなれっこない

トマトはトマト

赤くて丸くて光ってる

トマトはトマトらしくあればいい

時々レタスに憧れたりもするけれど

トマトはトマトなんだもん


最初、詩の作者は誰かを伏せて、読み上げる。どちらの詩が好きかを聞く。

後ろの詩の方が好きだと応えるものが圧倒的多数。解説は重層的非決定? - トマトはトマト(回覧文)でしたのと同じ趣旨で行う。皆さんが後ろの詩の方が好きだと言ったのは、その詩が書かれた時代性からして、非常に納得のいく結果である、と。

前にも歌詞を題材にしたことがあったので、学生「先生、歌詞とか好きやなあ」と突っ込まれる。「好きですよ。基本的に文化はベタなのが好みでね」とか何とか応えると「浜崎あゆみとか?」と来た。「まあ、浜崎あゆみは高尚すぎるなあ」。「じゃあ、椎名林檎?」。「ああ、椎名林檎の方が好きかなあ」。

そんな雑談を挟んで、最後に詩の作者を想像してもらう。前の詩の作者「相田みつを」は意外とすんなり回答がでた。後ろの詩の作者はいろいろな案が飛び交う。「俵万智」「松任谷由実」などなど。

授業終了寸前。「実は安倍なつみなんですよ」と種明かし。学生一斉に「エー」とブーイング。何か問題でもありましたか?

最後っ屁に「実は私モーニング娘。が一番好きで」。「最後にそう来るか」とまた学生のブーイングの声を残して授業終了。

完璧な締めだ。

2005年12月01日

■ 大丈夫、きっと大丈夫

JBOOK:商品詳細:

前田有紀さんのシングルが発売延期。延期となったまま、全然発売されないCDがあるから、ちょっと不安。

発売されたらオレも買うから皆も買え。いいよ、前田さんの歌声は。

■ 紅白

紅白出場歌手決定。

ということでDEF.DIVA初出場。松浦亜弥&DEF.DIVAとか、松浦亜弥はDEF.DIVAではないのかい?という突っ込みはこの際ご愛敬、とりあえずは良かった、と言うことで。

どうせなら2枠分使ってハロプロオールスターズでスペシャルメドレーとかそういう方がよいと思うのだが、他の事務所もそんな感じで適当に合わさって、みんなでわいわいとかそういうお祭り感覚のほうが盛り上がるのではないか、とか。

モーニング娘。ももちろん出場、だがはたして「LOVEマシーン」を歌う、のだろうか。ここは是非今年の新曲でよろしく。

2005年11月30日

■ 大切なもの

一年前の出来事はしっかり胸の中に納めている。いろいろな意味で。

私の中では全然風化なんてしていないし、風化させるつもりもない。と言って、別にバッシングに荷担した者への恨みつらみとかそういう次元で風化させないと言っているのではない。安倍さんの行為と、それを受け止めた私(たち)の想いと、そこには風化させてはならない大切なものがきっと含まれている。

■ 大切なこと

千ちゃんの唄う「たからもの」、書店などで娘。の曲以上によく聞くな、と思っていたら、実際有線のランクは結構なものだったそうだ。

CDの売り上げにはなかなかつながらないというのはあるにせよ、歌なんてものは多くの人の耳に届いてなんぼ、というのが本当のところ。ハロプロヲタでネットを普段からやっている「我々」からすれば、いささか白々しく、しかも売り上げ一点からすれば迂遠なプロモーションかも知れない。しかしこのやり方によって、少しでも多くの人の心の片隅にこの歌が残ることが出来るのであれば、私はそれが一番大切なことであろうと思う。

2005年11月29日

■ たからもの〜逃した魚は大きいぞ!

千ちゃんの唄う「たからもの」買ってきたべさ。何でなまっているんだべか?

大阪梅田の「ディスクピア」というハロプロ系を結構置いている店で買ったのだけれど、ハロプロコーナーには置いていなくて、新譜コーナーにだけ置いてあった。しかも入荷枚数少なそうで、私が買ったときはすでに残り少なく、他に用事を済ませてから改めて戻ってみたら完全に売り切れていた。仕事帰りに買いに行った人は変えなかったかも知れない。

たからもの

たからもの

感想文は改めて書くべさ。

ついでといっては何だけれど、遅ればせながら「直感2〜逃した魚は大きいぞ!〜」のDVDも買ってきたやよ〜。

珍しくClose-up Ver.のほうが気に入ったかな。

2005年11月27日

■ たからもの

ハロモニ。エリック亀造コーナーの最終回(本当?)。なっちこと安倍なつみがゲストに登場。今週水曜日発売、千の歌う「たからもの」への応援として。

何でも安倍なつみさんが主演したネット配信ドラマの主題歌として「たからもの」が使われた縁で、曲の宣伝に安倍さんが登場するのだとか。そういえば今日も近所の本屋で流れていた。訥々と優しい歌声。千って顔は知らないけれど、ハートフルで温かい歌い手なのだろうなと想像する。そんな歌の宣伝に安倍さんが協力する、うむ、イメージにぴったりだ。

■ 今日のハロモニ

ハロモニ。のコーナー「どすこい!後藤部屋」。

後藤真希さんがでているのは嬉しいのだが、衣装がつまらない。相撲取りの着ぐるみを着られても、なんというか、つまらない。メンバーが体力系ゲームをやるという企画自体は悪くないので、場面設定を変えて、衣装の変更を。

新コーナー、「ターン鳥チキン」。田中れいなと久住小春が回文の一部を聞いて残りを当てる、というコーナー。

「確かにカニ***」。

田中さん、あっさり回答。

「確かにカニ貸した」。

久住ちゃんと手を取り合って大喜び、ってこれってバトルって言ってなかったっけ?久住ちゃん、あんたは喜んでいたらあかんのとちゃうの?

次、「相談とは***」。

またも田中さんが回答。

「相談とはとんだ嘘」。

またも久住ちゃんと手を取り合って大喜び、ってこれってバトルって言ってなかったっけ?久住ちゃん、あんたは喜んでいたらあかんのとちゃうの?

ちなみに私は画面で文字を見ているのに、全然応えられなかった。田中さん、頭の回転はやそうだな。久住ちゃん、何も言うまい。

2005年11月25日

■ 愛ちゅん

更新期間が空いている間にもいろいろな動きがあった。

なっちこと安倍なつみのディナーショー一般受付、11月19日。午後3時頃に気づいてサイトにアクセスしてみたが、当然のごとく売り切れ。まあ売れ残って空席祭りだなんだなどといわれるぐらいなら是非行きたかったが、きちんと完売して席が埋まるのならそれでよい。ちょっと負け惜しみが入っているか。

ハロプロ音楽大賞とか何とかの投票が行われたらしい。それに触れる記事はたくさん見たが、投票の仕方などぱっと見に分からず、鬱状態だったので調べる気力なく見送り。一応我が愛ちゅんもといiTunesの再生回数上位リストを掲げておこう。

  1. 恋の花(安倍なつみ)
  2. 愛ひとひら(安倍なつみ)
  3. どっちが綺麗ですか(カントリー娘。)
  4. 雪だより(カントリー娘。)
  5. 二人の北海道(カントリー娘。)

うーむ、われながら妙な順位だ。

ついでながら我が愛ちゅんもといiTunes収録局数、

後藤真希>安倍麻美>安倍なつみ

なのだな。まあ、圧倒的一位はモーニング娘。なんだけれど。

2005年11月17日

■ 小ネタ2

まっつぅこと松浦亜弥がサッカーの試合で君が代を独唱したとか。

ふむ。うらやましくないもん。君が代って歌、嫌いだし。

誰が歌っても良くならないよ、あの歌は。天皇主義者としてはあの歌詞は好きなんだけれどもね、メロディーとリズムがね、21世紀の日本で聴く歌じゃない。

■ 小ネタ1

某所で見かけた愛ちゃんこと高橋愛の自己紹介。

2001年に加入して、もう5年?5年、6年経ちますねえ。

えーと、今何年ですっけ。

2005年11月15日

■ 芸術の秋

モーニング娘。シングル購入特典の「等身大ポスター」は応募しません。さすがに自宅にそんなものを送りつけられても困る。ということで高橋愛ファンの方、競争率が少し下がりましたよ。ほんの少しだけれど。

パソコンテレビ GyaO [ギャオ] 無料動画  |音楽|で今年の10月に開催されたイベント「熱っちぃ地球を冷ますんだっ。」の映像を放送中。政治宣伝の具に使われている印象も持ちつつ、「世界大温暖化劇」、ライブ、会場案内、クイズ、コントなどを満喫する。

「世界大温暖化劇」、高校生、中学生役で出ていた高橋愛と田中れいなのスカートの丈が短くて変な意味でそっちが気になって内容が頭に入ってこなかった。とりわけ、何も意識していなさそうな高橋さんに対して、ちらりズムの精神を遺憾なく発揮する田中さんには正直参りました。ついでに先生役の藤本美貴のスカート丈まで短いのは「私の好みを知り尽くしているな」。

コントはなっち&矢口の組み合わせを見たかったけれど、放送されたのはごっつぁん&まっつぅ。安倍さんはクイズ回答者として出ていたから、まあいいか。

しかし後藤真希と松浦亜弥の組み合わせはとても良かった。しゃきしゃき、しっかり者の松浦さんとおっとり、マイペースの後藤さんの組み合わせは絶妙。

2005年11月14日

■ 生真面目なぶりっこ

娘。に関してどんどんいわゆる「DD」気質になってきている。「ミラクル」などという禍々しい称号を賜ったがためにやや色眼鏡で見てしまっていた久住小春ちゃんが今やとても可愛いと思う。きっかけはハロモニ。でなっちこと安倍なつみと親子役での絡みを見たことだが、一旦そうなれば、ハロモニ。などでの何気ない所作の一つ一つがいちいち可愛らしい。

そしてまた、いまさらながら「キテ」いるのが重さんこと道重さゆみ。いまさらかよ、と自分でも突っ込みを入れたくなるが、私は音楽を解さないくせに娘。メンバーへの関心は歌から入るところがあって(高橋愛、藤本美貴、田中れいな、我ながらわかりやすい)、どうひいき目に見ても「音痴」な道重さんへの関心は遅れ気味となってしまっていた。もちろん安倍なつみ原理主義者としては、関心を持てない娘。メンバーがいるのは教義に反する。なっちが愛した娘。に在籍するものはすべて愛さなければならないのである。

少し前からすでに、とりわけ「音楽戦士」などでの堂々たる態度には目を引くものはあった。また「大阪恋の歌」のスタジオライブなどでテレビカメラにわずかな時間抜かれる道重さんの「美しさ」には目を奪われるものもあった。そうした「種」が一気に開花するきっかけとなったのは少し前のハロモニ。で藤本美貴が「幸せな結婚をしそうなメンバー」第三位に道重さんを選んだ際に述べた「ぶりぶりしてますけれども、ぶりぶりが好きな方はいいと思うんですけども、でも意外としっかりしてたりとか、やっぱり結婚するということはしっかりした面もないとやってけないぞ、ということですよ」という評を聞いたことである。

とても合点が行った。なるほど、この娘。は「ぶりぶり」しては見せているけれども、実はとてもしっかりしているのだ。これまでいまいちつかみ切れていなかった道重さゆみという人物像が一気に確かなものとなった。

一旦そう思ってやはりハロモニ。の「エリック亀蔵」のコーナーでの中澤裕子さんとの絡みを見てみると、そうした側面がとてもよく出ている。ふざけてみせているようでも、とても生真面目に中澤さんの相手をしている。中澤さんもそういう道重さんの一面をしっかり分かっていて、道重さんを見る目がとてもやさしい。

というので、本当に今更ながらだが、道重さゆみ熱が上昇中なのである。

2005年11月12日

■ アロハロ

アロハロ ! 安倍なつみ DVD

アロハロ ! 安倍なつみ DVD

安倍なつみ、スゲー、というのが最初の感想。何が凄いって、コンサートでも、コンサート会場で販売しているパンフレット代わりのDVDマガジンでも、「水着」が売りの一つである「アロハロ」でも、全部見事に「なっち」の世界ができあがっているのだ。

いつもながらにしゃべっている内容はファンタジックと言うか、抽象的で、とりとめないのだが、それだけに何の夾雑物もない「生」の安倍なつみの「こころ」に触れているような気にさせられる。安倍なつみの「凄さ」というのは、そのナイーブさでもって周囲を巻き込んだ世界を構築してしまえるところにある。

山とかあるけど、空はつながっていて、日本までつながってて、日本は雨だったり夜だったり、時間差はあるけど、何か不思議ですよね、でもなっち、日本人なのにハワイにいる、みたいな。なんでしょうね。何か不思議な感覚があるけど、気持ちがいいです。

なっちの感覚はよく分かりませんけど、でもなっち可愛いです、みたいな。

2005年11月06日

■ 空洞

なっちこと安倍なつみ、今年の関東圏の最終コンサート。会場が新宿からすぐ、というので、仕事で新宿から京王線に乗るついでに会場に寄ってみたが、当日券はすでに売り切れ、とのこと。すごすごと引き上げ、大手量販店でパソコンを見て時間をつぶし、そのまま宿泊先のホテルに行く。

ホテルでネットにつないでみると、なんと夜の部の件は私が行った時間帯だったら入手できた様子。もっときちんと問い合わせれば良かったと臍を噛むも後の祭り。

それでも昼夜当日券は売り切れたということで、それならば良かったと思うことにする。また後日、券はあったが席が悪かったので行かなかったなどという人を見かければ、頭にくるだろうな、と思いつつ。

晩ご飯はホテル近くのこぢんまりとしたとしたイタリア料理屋。本田美奈子さんを偲び、かつなちコンに入れなかった憂さ晴らしにアルコールを喰らいたかったが、明日のことも考えワイン一杯ですます。なんだか心にぽっかり穴が開いた気持ち。

なちコンの代わりと言ったら何だが、ホテルそばの中古CD屋で後藤真希2003年コンサートDVDを入手。安倍なつみとはまったく種類の違うとてもパワフルでエロティックなステージと、歌い終わった後の何ともかわいらしい笑顔を堪能する。少し心の隙間がふさがれた気がする。

2005年11月04日

■ 週末計画

なっちこと安倍なつみ主演の「たからもの」、なんというか、きちんとみようという思いが強すぎて、まだみられていない。観たからといって減るものじゃなし、何を惜しんでいるのか、自分でもよく分からない。明日にでもゆっくり観ることにしよう。

「アロハロ」未入手。何となく「水着ねえ」などとしらけたことを言ってみせるが、高橋愛の写真集を勇んで買ったことを思えば、何を粋がっているのか、というところだ。それでも「安倍なつみはそういうモードじゃないしなあ」(じゃあ、高橋愛はどういうモードなのだ)などと言ってみせたりするのだが、なんと「空 LIFE GOES ON」をアカペラで歌っているシーンが収録されている、というのを聞いて、俄然買う気になる。それで仕事の合間にTSUTAYAに寄ったが、見事に売り切れていた。きちんと売っていた痕跡はあったので、何となく安心する。

6日は翌日からの仕事の関係上、東京に行く。なちコン関東地方の最終日。当日券なんか出そうにもないが、仮に出ていたら行ってみようかと思う。駄目なら例によって秋葉原で時間をつぶそう。うむ、我ながら完璧な計画だ。

2005年11月01日

■ 直感

モーニング娘。の新曲「直感2〜逃した魚は大きいぞ!〜」、ハロモニ。でテレビ初披露。

アルバムからのシングルカットというのが新曲を買う楽しみを半減させる、というので、それほど期待しているわけでもなかったが、テレビ披露を観るといかにもモーニング娘。らしくて悪くない。元のアルバム「第六感」自体にはもっと好きな曲が収録されているが、シングルとして出すということでは、この曲が一番ふさわしい、とは思う。

と、それはそれとして、サブタイトルが変更された時点で(元曲は「直感〜時として恋は〜」)想像の範囲内ではあったのだが、歌詞のレベルではずいぶんと曲の世界が変わっていることに驚いた。この曲は元曲のサブタイトルどおり、女性の「性的欲望」をテーマにしたものだが、シングル版はずいぶんとオブラートが分厚くなって元曲を知らなければ、「誤読」の余地が大きくなっている。元曲だって現在の日本のポップスの水準から行けば十分無難な作りになっていたのに、さらにオブラートを重ねるとは。

さらにまた逆説的なことだが、オブラートに包んだ結果、それに内包されたメッセージはより即物的なものになっている。もちろん「誤読」してもメッセージは正しく伝わる。イデオロギー装置振る舞いの観察用教材としては上々の出来だ。

■ 「それではお聴きください、チェインギャング」

なっちこと安倍なつみが夏、フジテレビのイベントで歌った「チェインギャング」の映像をごにょごにょして観る。

技術的に上手いとか下手とか、そんなものは超越している。歌詞にも結構いろいろ意味を読み取れるが、しかしそれすら超越している。歌い手の表情や振りにも歌い手の気持ちが表れていて、それは凛とした表情と気持ちの表れた振りなのだが、しかしそれすら二次的なものにすぎない。

重要なのは圧倒的に声である。余裕のある声ではない。器用にテクニックを披露しているわけでも全くない。むしろ振り絞るような、ところによってはやや苦しげにさえ聞こえる歌い方だ。しかしその歌声にこそ、歌い手の気持ちが宿っている。この、「声質」などというものとも無関係のこの声こそが安倍なつみを歌手たらしめているものであって、この声を聞きたくて、私は安倍なつみの歌を聴くのだ。

私は最後列でしか安倍なつみのコンサートに参加したことはないが、それでも十分満足できている。表情など見えなくても、声は十分会場中に響き渡るのだ*1

*1:もっともバックの音響が悪くて、声のじゃまをしていることが多々あるのは何ともいただけない

2005年10月27日

■ 歳月

およそ無茶な仕事を抱えていて、いらいらする。

それでもHey!Hey!Hey!とうたばんはしっかり観る。まもなく一年、何とも言えない感慨がこみ上げる。松浦さん、後藤さん、石川さん、みなに、なんだかよくわからないが、お礼を言いたい気持ち。

安倍なつみがお世話になっております。

ん?やはりどう考えても変だな。でもそんな気持ち。

いろいろあったけれど、なっち、がんばっているよね、と道行く人に確認したい、そんな気持ち。

■ なちコンへの願い

一部で話題になっているコンサートのマナーを巡る話。発端はここ。

10.25.一夜限りの残念パーティ〜! 

別にその場に居合わせたわけでもない、ましてやご本人がその後謝罪されている中、今更どうこう言うことはない。ただ、ふと、これをなちコンでやられたら、と想像してしまった。

特に、開演されているのに、わざと集団で遅刻して、行進して入場、という下り。寒気がした。そういうのでなくても、開演後にごそごそ入場されるのがいやで仕方がないのが、それはお互い様と言い聞かせている。それをわざと遅刻して、こそこそどころか、集団で行進して見せて、それをステージ上の演者に見せつける。ちょっと度が過ぎるとか、やった方の主観はそうでも、おそらくなちコンでそういう場に居合わせたら、大げさでなく、生涯恨むと思う。

いまだなちコンでそれに似た話すら聞いたことはない。しかし徴候がないでもない。ハロプロ全体にチケットがあまり気味でずいぶん安い、あるいは無料で入場してくるものが結構いる。私が行ったときも、大声で「この席千円だった」とか何とか言い散らしている馬鹿がいた(安くで買うのはかまわないが、そんなのを周りに聞こえよがしに言えば、正価を払っているものからすればいい気がしないことぐらい想像できないのか)。そうなれば「安倍なつみ」のステージを見に来たのではなくて、単に騒ぎたいだけのものがどんどん入場してくるようになるかも知れない。今までの安倍なつみのステージを見に来たものたちとは根本的に心性が違うものたちが多く会場を埋めれば、コンサートの雰囲気などまったく変わってしまうかも知れない。

しかしまた、それとは違った、少しある意味きわどい想像もする。もし遅れて入場行進をして席に着く馬鹿がいたとして、ステージ上の安倍なつみは、少しでも好意的な反応をするだろうか。本音不愉快、でもプロとしてそしらぬ顔をして、自らのステージをつとめるのではないか。ステージを作るのはこの私だ、そういうプロ根性を安倍なつみにはひしひしと感じる。へらへらMCをやっているようでも、絶対的に空間を支配する力、私は安倍なつみにそれだけの力を感じている。

なぜ加護さんはあのような不埒な観客に、好意的とも受け取られかねない反応を返してしまったのだろうか。そしてなぜその場にいた観客たちの一部は、そのようなステージを評価したのだろうか。ハロプロパーティなるステージは、観客、演者にとって、いったい何の場であったのだろうか。

他のハロプロコンサートはさしあたり気にするまい。なちコンだけは、安倍なつみのステージを鑑賞する場であり続けることを願ってやまない。

2005年10月23日

■ 電車男系

東京では先週放送分のハロモニ。メンバーで幸せな結婚をすると藤本美貴が思っているのは誰かを嘘発見器から確認するというコーナー。そこで藤本が第二位に選んだのが、高橋愛。なぜ高橋なのかについて藤本が語る。

「これはですねえ、ちょっと申し訳ないんですけど、どうしようもないじゃないですか、高橋愛という、あのー生き物は。私の中ではどうしようもないな、っていう、こうなんかこうだから男の人はそこをかわいらしいなあと思って、尽くしてもらうタイプ」。

それを受けて司会の石川さん、「守ってもらう、ということですね」。

ガキさんに次いで高橋さんと親しい藤本さんの高橋愛感はちょっとおもしろい。確かに「男の人」に「かわいらしい」と思ってもらえるタイプというごく一般的な説明が主軸になっているのだが、そうした理解から、しかし微妙にずれた説明が紛れ込み、藤本さんの説明を攪乱している。それが表に出たのが「尽くしてもらう」という言葉。そのぶれを石川さんは素早く補正し、「守ってもらう」と言い換える。

しかし藤本さんの「真意」はおそらくもとの「尽くしてもらう」という言葉の方に出ているのだ。少し一般的な形で整理しよう。

  1. AがBに尽くす。
  2. AがBを守る。

このとき、1のAは「女性」を想像させ、2のAは「男性」を想像させる。このジェンダー規範に従えば、高橋愛という女性アイドル(しかもモーニング娘。においてリーダーの吉澤ひとみやサブリーダーの藤本美貴が一般的に「男性的」と称されるのに比較して高橋は「女性的」なポジショニングにある)は「尽くされる」のではなくて、「守られ」なければならない。それが石川さんが藤本発言を修正した理由だ。そのもとで高橋は、一般的な理解に従った女性的なポジショニングをするものとして安定する。

しかし藤本さんの実感はそうではなかった。藤本さんが最初に選んだワーディングに従えば、高橋は「尽くされる」存在なのであって、それは「駄目男」のポジションだ。そしてそうした駄目っぷりを「どうしようもない生き物」といいながら温かく見守る藤本さんは「母性本能」に満ちた女性の目で高橋さんを見ていることになる。

藤本−男性的、高橋−女性的というある種の見方とは裏腹に、藤本−高橋二者の間では各々の担っているジェンダーはむしろ逆、「どうしようもない」オタク系少年の高橋をおもしろがりながら見守るしっかり姉さんの藤本、という図式なのではあるまいか。

■ 最高のチームだ

好きすぎて バカみたい

好きすぎて バカみたい

金曜日に入手。

カップリングがなくて、表題曲のリミックスだけなので、つまらない。表題曲はテレビ他でさんざん聴いたので、今更感動もない。CDで聞けば音がよい、というだけの耳とか設備があればよいのだが、私はどのみち聞くのはノートPCプラス安物のイヤホン、ついでにCDを挿入するといきなり愛ちゅんもといiTunesが立ち上がって、リッピングしてしまう設定にしているので、CD音源で曲を聴くことがそもそもない。CD買っても、どうせ聞くのは圧縮音源だ。

ということで、CDを買ったのはほとんど義理なのだが、このユニット自体は悪くない。去年の後浦なつみに新たに石川梨華が加わることで微妙に人間関係に影響があったりして、それが楽しい。

後浦なつみでは、なんだかんだ「後輩」の松浦さんを意識している安倍さんと、それを正面から受け止める松浦さんが微妙な空気を発しているところに、その手の人間関係に無頓着なくせに、二人の間に距離があることをなにげにうれしがっている後藤真希、というまとまる要素ゼロで、それはそれでとてもスリリングでおもしろかったのだが、石川さんが加わることで空気が変わる。

石川さん、後浦なつみの微妙な空気感には基本的に耐えられない繊細さと責任感の持ち主なのだろう、やや無理気味に「普段の石川梨華」を演じて見せて、道化役を務め、場を和ませようとする。そうした空気をこれまた微妙に読んで反応する安倍なつみ、少しゆるんだ空気に気をよくする松浦亜弥、そして何も感じない後藤真希、という絶妙のコンビネーション。

2005年10月18日

■ ガキさんが泣いた日

ガキさんこと新垣里沙さんが誕生日を迎え、娘。コンサートでファンが盛大に声援を送ったという。感激のあまり、ガキさん涙をこぼしたというレポートを読む。

そのレポートを読んだのが仕事帰りの電車の中。不覚にも私も泣きそうになった。ガキさん一人に向けられた大声援。参加もしていない私が言うことではないが、娘。ファンとして背負ってきた重荷を下ろした気持ちだった。

2001年加入当初の頃を嫌でも思い出す。それはおぞましくも不思議な状況であった。まだ5期4人の加入が決まったばかり、まだ私などは新メンバーの個性やら何やらをつかむ前に始まったバッシング。2chとか(そのころあったかどうかも記憶にない)Yahoo掲示板とか、そういう吹きだまりのようなところはさしあたりどうでも良い、大手のファンサイトの掲示板でもバッシングが公然となされ、それが管理サイドで黙認されるような状況。そうして「現場」、コンサート会場でもそうした空気が明確に出たと聞く。

一般にハロプロファンは、ネットではバッシングばかりをしているものたちだ、とイメージされることもあるかも知れないが、少なくとも「現場」はそういうことはなかった。実際お金を払って会場まで見に行くものたちだ。ネットで、口先で、ファンだなんだと言っているものとは意味が違う。しかしそうした現場でも新垣さんに対する否定的な空気が流れる、それはまさに「異常」と言うしかなかった。

私は、早い段階からガキさん(とは当時は言わなかったが)贔屓だった。もちろん安倍ヲタなればこそだ。なんと言っても新メンバー4人で、あこがれの人を皆が「後藤さん」と応える中で、「安倍さん」と言ってくれた人だ。可愛いに決まっているではないか。

さらによく言うことを聞けば、新垣さん、普通に娘。ファンで、コンサートにも行き、安倍さんのグッズなんかを買って、「なっち〜」と声援を送っていたという。そうして娘。にひたすら一途にあこがれ、オーディションを受け、念願の娘。入りを果たした。後藤真希の再来ならぬ保田圭の再来だ。自分がスターになりたいのではなくて、少しでも娘。に近づきたい、娘。を支えられるものなら支えたい、例え「一推し」にしなくても、娘。ファンなら皆が娘。自身を、ひいては自分の推し面を支えてくれることに感謝しなければならない存在ではないか。

私は柄にもなく、某大手ファンサイトの管理人に、バッシング書き込みを放置したことを抗議し、今後の善処を求めるメールを出したぐらいだ(管理人の一人である加護「右翼」として知られる人から丁寧な返事をいただき、私の知る限り状況は改善された。その管理人氏は彼なりにいろいろ運営には悩んでいたわけで、決して黙認していたわけではなかったということもわかった)。

いつからだろう、ガキさんの「娘。愛」は娘。ファンなら皆が知るところとなった。しかしその前に我ら娘。ファンがガキさんにした仕打ちのひどさは簡単に返済できるものではなかったはずだ。

ファンの声援に、ガキさんが感激し、涙をこぼした日。借金は完済できたのかも知れない。

2005年10月16日

■ 福井弁講座

高橋愛による福井弁講座の最終回。

すきぶずき。まあ、あの五分五分、みたいな。ああ、まあすきぶずきあるわのー、とか。いやー、言う気がするんだけどな、こっちでも」

なんか少し説明おかしくないか。もしかして「好き好き」という意味か?

「あと、のー、はまあ、無難ですよね」。

「無難」って。「説明しなくても意味がわかる」といいたいんでしょ?少し言葉の使い方が変じゃないか?

「あと、もつけねー。もつけねー、とか。これはすごい盛り上がったんですけど、二人で。ああ、もつけねーとか言うがの、とか言って。これは、かわいそう、とか、ああ、もつけねーのー、とかなんか、なんて言うんだろ、そんな重い言葉じゃないんやけど、ああ、もつけねーのーとかいう感じ。伝わったかな、そんな感じです」。

言葉数の割に情報量が。

ということで、まあ、何とか、規定回数無事終了。

お疲れ様。

2005年10月14日

■ つるつるいっぱい

高橋愛ゴト。もろもろの事情で(単にリアルタイムで見られない地域在住のため)常に少しずつ遅れた更新。

スタッフの努力が完全に実を結んでいる。故郷の友達に電話させて、視聴者向け福井弁講座のネタ収集。

なるほど、友達同士の会話を聞いていると、見事ななまり。テレビに出ているときは方言が「全然出ませんねー」と少しなまりながらいっていたのもうなずける。

「おちゅきんしねま、とか言うが、普通に。で、それ以外あまりないやろ。あんまなくないか。うっそお」。

「じゃみじゃみは通じんなあ」。

「つるつるいっぱいかあ、それは言うやろ、普通に」。

「え、言わんのかあ?」。

・・・

「ああ、言うのお、言うのお」。

・・・

と、かなりきつい福井弁で会話が進行。

いよいよ視聴者に向けて、福井弁講座。

「つるつるいっぱい。これは(福井以外の人も)言うよなあ。でも一応書いときました。つるつるいっぱい」。

・・・

「これ説明せなわからんもんな。これ、つるつるいっぱいはまあ(お茶が7割ぐらい入っているコップを持ち上げて、乾杯するような仕草をして)、つるつるいっぱい、ていう」。

え?で、「つるつるいっぱい」って結局何なんですか*1

*1:ググればすぐにわかりました。高橋さんの説明、適当すぎ

2005年10月13日

■ 努力の成果

高橋愛の一人語り四回目。

早口言葉やらなにやら指令に応えたり、お母さんと電話したり、ガキさんから電話がかかってきたり、高橋さん、じゃなくて、スタッフ、がんばっているな。

そういえば前の今や伝説となった高橋愛の「二人ゴト」、何かひどいことになっていたっけ、と思いだして、改めて見返す。

最初は勢いよくお母さんの話をしたりして、結構しゃべっているのだが、途中で話題が尽きたようで、挙動不審に陥る。

突然「よし、絵を描こう」。

黙々と自画像を描く。書き終わってまた時間をもてあます。

「バーレッスンしよ」。

クラシックバレー?の動きをソファー越しに行う。

「見えないかな。いいや」。

黙々と踊る。本当に見えない。

「やめた」。

「どうしよう、何しよっかなあ」。

台所に消える。

「なんもなかった」。

しばし沈黙。

「お水いただきます」。

飲む。

「旨い」。

自画像を描くのに使ったクレヨンの箱を見る。

「クレヨンだって」。

沈黙。

「発声しよっかな、どうしよう。やめたー。今日声でないから」。

沈黙。

場面切り替わってなぜかテレビカメラの前で本を読んでいるシーン。

沈黙。

どうやらスタッフが業を煮やしたらしく、亀井絵里が乱入。

ただ者ではない。

■ 千は千だよ

サイト巡りをしていると、宇喜多千が安倍なつみと「確定」したという記述を見かける。ちょっと驚き、少し落胆する。ファンがあれこれ推理はしても、公式にはあくまで「宇喜多千は宇喜多千だ」と言い張って欲しい、そう思っていた。

名目が違えばあくまで別人格。しかしイコールだと公式に認めてしまえば、人格は統合される。私は安倍なつみとは別の宇喜多千を見たいのだ。

ある意味閉塞状況のハロプロ、そして一年前のことを多少なりとも抱えざるを得ない安倍なつみ。そうであればこそ、ここは「攻めて」ほしい。「安倍なつみ」は温存して、「宇喜多千」で攻める。有利な戦いではないか。安倍なつみには失うものがあるが、宇喜多千には失うものは何もない。ただひたすら攻めるのみ。そうして「世界」を望もう*1

改めていろいろ情報を調べてみると、単に「実質確定」と言っているだけであって、公式に認められた、とかそういうことではないようだ。ほっとする。

*1:変に誤解する人間がいないとも限らないので注釈。「世界」とは別に全米進出とかそういうアホなことを言っているのではない、念のため

2005年10月12日

■ 愛ゴト

いろいろ精神的にしんどくて、なかなか更新する余裕もないが、娘DOKYU!の高橋愛の発言をテキスト化するだけで十分ネタになる。もちろんそんなテキストは全国1億2千万人の娘。ヲタが書くだろう故、飽和状態ではあるのだが。

と言うことで、オチは後回しにして、高橋愛、その発言のある種のつたなさからして、高橋さんに好意的な人ですら「頭はちょっと弱い」というような発言をするのを見かけることがある。確かにそう思いたくなる部分があるのはわかる。しかし私は実際にはそう思ったことはない。彼女は頭が悪いんじゃない。ただちょっと性格的に変わっているだけなんだ、ってこれはフォローになっているのか?

昨日の高橋愛ゴト。早口言葉の続き。

「シカもカモシカもシカだが、しかしアシカは確かにシカではない」。

「そりゃそうだな。・・・そりゃそうだ」。

「キツツキ木突き中、きつく木にぶつ・・・え?キツツキ・・・、キツツキ木突き中、キツ、きつく木に頭突きキし、キツツキ気絶し、木突き続けられず」。

「『つ』ばっかだな。・・・こーんなのわからんよー」。

皮肉でも何でもなく、そこはかとない知性を感じないか?

2005年10月11日

■ 高橋ゴト

昨日の続き。高橋愛さんに変わって二回目。

部屋に仕込んであったプードルをひたすら愛でる。ほとんどぬいぐるみ扱い。視聴者不在。時々思い出したようにプードルの顔をカメラに向けるが、いや、別にプードルの顔なんて見たくないし。

新垣さんの時とうってかわって、数秒間なにも音がしない時間が入る。そして口を開けば「可愛い、これ」。放送一回あたりの情報量の差たるや凄いものがある。

こうなることをガキさん予想していたか、「早口言葉をやれ」との指令を残す。早速挑戦するが、「青巻紙、赤巻紙、黄巻紙」。見事に言えない。「駄目だこれ、言えん、駄目」と言ってさっさと次に移る。

「ブタがブタをぶったら、ぶたれたブタがぶったブタをぶったので、ぶったブタとぶたれたブタがぶったおれた」。

「これ、意味がわからん」。

いや、わかるし。もう一度じっくり読み返す。ようやく意味が頭に入ってきたよう。そこで一言。

「ブタばっかだな」。

2005年10月09日

■ オタク少女

モーヲタ界隈が文化祭とやらでにぎわっているこの週末、関西から横浜まで行く気力・財力なく、だらだら家で過ごす。

関西では放送されていない「娘DOKYU!」を例によってごにょごにょしてみる。ちょっと前に放送されていた「ひとりごと」リターンズみたいな内容。娘。メンバーが部屋で一人でいろいろしゃべっているのをだらだら放送する、という娘。生態マニアにはたまらない一品。

初回登場はガキさんこと新垣理沙。相変わらず娘。愛に満ちたしゃべり。とくに「五期」への愛情たるや見上げたものだ。もちろん視聴者へのサービス精神も忘れず、いろいろ話題をかんがえながら、一生懸命しゃべっている様子がいじらしい。ただところどころの喋りが少しおばさんっぽかったりして、なんとなく可笑しかった。

それに対して、その後を引き継いだ高橋愛。君はその、オタクやろ?テレビカメラの前で、いきなり一人でゲームにいそしむ。その後もひたすら自分の世界に没入。規定回数、間が持つのか、かなり心配。

2005年10月07日

■ 「たからもの」

ちょっとここのサイトに関して、運営方針など検討中。どういうスタンスでものを書くか、ということなど。

というので、準備が整うまで更新を少し休止しようと思っていたのだけれど、この件だけは少し。「音楽」カテゴリーを作らなかったので、何となくこのカテゴリーで。

期待の新人歌手宇喜多千が歌う「たからもの」。

訥々と歌っていて、歌唱力を誇示するとかそういうノリでは全然ないのだけれど、楽曲、歌詞、そこに表現されているものをとても大切に歌っている、そんな歌唱。こういう歌のうまさというのがあったのだ、ということに今更ながら気づかされる。とても素朴な曲で、のりがいいとかそういうのでは全くないが、何回繰り返しても飽きない。

たとえて言えば、誰の歌い方に近いかな。といってもハロプロしか聴かないから、例えの幅が狭いな。ちょっと元カントリー娘。のりんねを思い出した。りんねの歌、好きだったな。

というわけで、今(といってもここ十年来か?)はやりのJ-Popとか言うのとはずいぶん違うノリの曲だが、声も楽器の一つというのとは対極を行く、歌い手の息づかいが聞こえてくるような気持ちのこもった歌。

全然白々しくない更新だ、我ながら。

2005年10月04日

■ 組み合わせ

冬のハロコンの日程などが明らかになる。昨年に引き続き、メンバーを二つに割って実施するらしい。早い話、モーニング娘。のいる側といない側。昨年もそうだったが、やはりモーニング娘。がいない側に対して「客席が埋まるのか?」という疑問が呈される。なんだかんだ言って、ハロプロ内でのモーニング娘。の存在は図抜けている。逆にモーニング娘。のいない側の主力であろう安倍なつみ、後藤真希、松浦亜弥のうち、前者二人はソロツアーを行ったばかり、モーニング娘。ファンに比べ、相対的に単独コンサートへの思い入れの強い二人のファン、確かに求心力は低いかも知れない。

モーニング娘。のいる側の司会に矢口真里。いない側の司会をやればよいのに、との声ちらほら。私もそのように思う。安倍なつみと絡むのはかまわないが、モーニング娘。とは絡んで欲しくない、そんな気持ち。

先日「空飛ぶグータン」という番組で久々に矢口を見た。飽きもせず、娘。脱退のあたりの話をしていた。既知の話ばかりだったが、前にも思ったことだが「何かこの人、この話を武勇伝を語る口調でしゃべるな」と思った。「とっても悩んだ」自分を認めて欲しい、そんな気持ちがにじみ出てくる。

自己の正当性を誰かに認めさせたいという潜在的な想いが溢れてくるのか。「恋愛をしていた自分はなにか悪いことをしていたのか?」。そのような納得の出来ない想いが傷として、矢口の心の中に居座り続けているのか。そう深読みでもしないことには彼女の語り口調は理解できない。そしてそのように理解してしまえば、彼女への不快感は消え、ただ痛ましさのみを感じる。

モーニング娘。にとって矢口真里は「傷」となった。逆に矢口真里にとってモーニング娘。が「傷」となっているのであれば、この両者をつきあわせるのは悪趣味としか思えない。

■ 高垣なつみ

なちコンでガキさんこと新垣里沙さんのことが話題に出たらしい。亀ちゃんこと亀井絵里と映っている写真を安倍さんに送ってきたとか。なちガキ。久々に聞く取り合わせ。

ガキさんといえば、高橋愛と仲がよいことでファンの間では知られている。安倍なつみと高橋愛、何となく直接の絡みが少なそうで疎遠な感じの二人の間にいる新垣里沙。私にとっては最高の立ち位置だ。

2005年09月27日

■ 期待

大阪コンサート中になっち、テレビ出演2件。

ハロモニ。いつかラジオで話していた久住小春さんとの共演。久住さんのことが可愛くて仕方がない、という表情。もう、モーニング娘。のミラクルエース決定。久住小春以外に誰がミラクルエースを務められるんだっての。

「島田紳助が芸能界の厳しさ教えます!芸能人だって恋愛したいスペシャル」。アンタッチャブルの山崎さんというお笑い芸人が安倍なつみに番組上で「告白」するというコーナー。安倍ヲタ内で賛否両論みたいだけれど、いい扱いだったと思うけどなあ。

およそ1年ぶりの大阪国際会議場でのコンサート、DEF.DIVA、そして久々の一般向けテレビ番組での露出、そこにユートピア的徴候を読むのはいささか楽観的すぎるのか。

2005年09月24日

■ りんね。。。

明日はカントリー娘。がゲストということで、カントリー娘。の曲の予習。

  • 初めてのハッピーバースディ!
  • 雪景色
  • 恋人は心の応援団
  • 北海道シャララ
  • 女の子の取り調べタイム
  • 恋がすてきな季節
  • 二人の北海道
  • 片思いはホットミルク
  • 雪だより
  • どっちが綺麗ですか
  • ああ恋しくて

何か間違っていますか?

2005年09月19日

■ 懐メロ

先日ハロモニ。の「ラストフレーズ歌っちゃダメダメ」を話題にした際、「真夏の光線」は現メンバーは歌えないだろう、などとふざけたことを言ったが、すっかり忘れていました。今年の夏のハロコンで現メンバーで「真夏の光線」、披露していたんでしたね。

で、例によってごにょごにょして、NHK BS hiで放送されたものを見ました。

・・・・

ちゃんと歌えているし。

ただ中澤さんたちの名誉のために言っておくと、言及したハロモニ。でまともに歌えなかったというのは、自分たちが練習してきたのとは違うパートをいきなり歌わされるというのが結構難しいと言うことで、とくに「真夏の光線」はパート割りが結構こっているところがあるので、あの手のゲームでは難しい、ということです。

何はともあれ、こういう懐かしい曲がコンサートで披露される、というのは、守旧派ファンにとってはありがたいこと。今行われている安倍なつみコンサートでも、守旧派ファンなら懐かしくて涙が出てきそうなあの名曲がセットリストに入っているとか。25日大阪、行きたいなあ。チケットないけど。当日券出ないのかな?ヒッキーかつファンクラブ未入会なので、前売り券の入手の仕方がよくわからない。

ついでに勢いで、同じハロコンでの卒業メンバーによる「LOVEマシーン」も見た。あまりオリジナル感を感じなかった。石黒、市井のいないラブマなんて。

2005年09月16日

■ iPod yayo

常に一週間近く遅れで番組を見聞きしている田舎ものです。こんにちは。

いや、AMラジオ、しかも関西の放送局のは本来楽勝リアルタイムで聞けるはずだな。ラジオなるものを持っていないだけだ。

というわけで先週のヤンタンを今更ながら聞く。そこでiPodが話題になっていた。高橋愛がiPodを誕生日プレゼントとして明石家さんまさんからもらうことになっていて、それはもう用意してあるらしいのだが、でもつい先日iPodの新型が発売されて驚いた、とかそういう話。

さんま「iPodよりもすごい奴が出てるから、さっきも話したように、それをどうすんねんという話で」

高橋「それが欲しいです」

・・・

さんま「まさか新製品が出ると思わへんかった」

高橋「確かに私もニュース見てびっくりしました」

さんま「あんなん、ずるいよなあ。次から次へ新製品って。iPodも去年やっけ」

・・・

高橋「シャッフルも最近だし」

さんま「それでまたあんな新しい商品になるんやったら、早めにその新しい商品出せという話よなあ」

高橋「すっごい薄いんですよね、あれ」

出てすぐのiPodの新商品の情報をしっかりチェックしている愛ちゃん。というか、結構詳しい。

というわけで、愛ちゃんもほしがるiPod nano、いいなあ。

■ 昔は良かった

昨日も触れたハロモニ。「ラストフレーズ歌っちゃダメダメ」、道重さんが歌う番になって「抱いてHold on me!」のイントロが流れたとき、一瞬きょとんとしていた。途中でどうにか思い出したようで、彼女なりにがんばって歌っていたのだが、あれが「抱いてHold on me!」ではなくて、「真夏の光線」だったら、という悪魔のように意地の悪い考えが頭をよぎった。道重さんは果たして対応できたのだろうか。呆然と見送るだけに終わったのではないか。次の亀井さんも首をひねってワンフレーズだけかろうじて叫んで、早々に逃げ出す。

そしてそれを見た意地の悪い旧ヲタは言うのだ。卒メンはそんな無様なまねは見せなかった。ああ、私が愛したモーニング娘。も落ちぶれたものだ。

ん?なんかこんなこと、はるか昔書いた記憶があるぞ。昔サイトにあげた文章を検索する。

重層的非決定

この曲(「真夏の光線」)が先週のハロモニ。で、メンバーがワンフレーズずつを歌うゲームに登場し、小川、飯田、中澤、石川、矢口、加護と歌っていったが、まともに歌えたのが、飯田だけだった。小川が全く歌えないのを見たときには、「新メンバーなさけねえ」と思ったが、中澤、矢口が歌えないのでは仕方がない。その点飯田はやはりさすがで、当時自分が歌うことのなかったメインパートをきちんとこなしていた。

改めてビデオを見返すと、中澤さん、順番が回る前から首をひねり、いざ回ってくると主旋律をまともに追えずに苦笑して早々にリタイア、矢口さんも回ってきたフレーズの「窓を開けて」をほとんどまともに歌わず逃亡。

モーニング娘。不変なり。

2005年09月15日

■ 思考メモ3

最近安倍なつみと高橋愛、おのおのの「すごさ」というものについてつらつら考えている。安倍なつみに関してはいずれ書きたい。キーワードは「みんな」だ。ただし安倍ヲタ向けではない。むしろ不快感を催しかねないテキストになるかもしれない。

高橋愛。なんだかある意味で娘。という枠を突き抜けてしまっているように思うことがある。特定の一分野とはいえ、その分野においてこれほど突出したメンバーが出てしまう、というのは娘。においてこれまでなかったことではないか、という気さえする。安倍・後藤全盛期においても、歌・踊り・バラエティどれをとっても、「いや、私の方が」という気概がメンバー内に溢れているように感じられた。今高橋にそれだけの対抗心を持っているメンバーはいるのだろうか。高橋が自覚しているかどうかはさておき、皆に一目置かせてしまうオーラが漂っているように感じられる。バラエティ・トークももはや「苦手」なのではなく、やらなくていい特別な存在であるかのごとく。

リアルでは見られないので例によってごにょごにょして「娘DOKYU!」なる番組を一週間近く遅れて見ているのだが、最近の久住特集を見ていて、改めてそう思ったりする。歌、踊りに関して、彼女は娘。全体のリーダー的存在になっているように見える。もちろん悪い経験ではない。しかし現役プレーヤーである彼女にとって、指導者としての経験よりもっと経験したいものがあるのではないか。娘。という枠を捨てることは全くないが、何かその外へ出た活動の道筋がどこかにつけられないものか。

■ 思考メモ2

最近考えているのが、主義としてのDD、ということ。しばしばハロプロ界隈で言うところの「右翼」、ある特定のメンバーを強く応援する志向、とDD、ハロプロメンバーを幅広く応援する志向、とは対立するものとされている。DDという言葉に含まれる意味があまりに幅広く、明確な概念規定が確立されているわけではないため、整理は難しいが、この「右翼」とDDは果たして対立しなければならない概念なのか?むしろ逆に「右翼」であればこそ、DDであろうとするという態度も十分あり得るのではないか。

私の愛する某(ハロプロメンバー)の仲間であるハロープロジェクトのメンバーは、すべて私が愛する対象である。

この主義としてのDDはしかし実際にはなかなか貫くのは難しい。ともすれば己の一方的な理想の押しつけに終始し、応援するという名目の下、ただ腐すだけに終わることが散見されるからである。しかしそれは単に己の敗北を意味するだけのことであり、真にDDを貫ければ、それこそが「右翼」を超えた「原理主義」的態度というものではないか。

2005年09月14日

■ 誕生日

いつの間にか愛ちゃんこと高橋愛ちゃんの誕生日が過ぎていたわけで、完全に乗り遅れている訳なのだが、一応言及はしておかないと。

最近見た愛ちゃんはハロモニ。の「ラストフレーズ歌っちゃダメダメ」という歌がらみのコーナーで、こういう歌がらみのになるととたんに余裕たっぷり、とても格好いい姿が見られる。完全にお遊びのコーナーなのに、いちいちかっこよくて、上手い。歌詞に英語が混じると、その部分はかなりきちんとした発音になるのもさすが。まだ10代とは思えないオーラに溢れている。

優等生だけれど、何かちょっとおどついた感じで、何にも自信なげにはにかんでいて可愛かった高橋愛はそこにはなく、ちょっと言葉は悪いが、なにやら女王然とした高橋愛がいる。それでも今でもトークになると時々かつての高橋愛が戻ってくるところもご愛敬。

2005年09月04日

■ 座布団2枚持って行って

新ユニット、DEF.DIVA、略してDD。

DDしか応援できないユニット、とか?

たぶん既出ネタだと思うけれど、思いついちゃったんだもん。

■ 妄想ユニット

このユニット、安倍なつみじゃなくて藤本美貴の方が良かったとか、年齢が一人離れているだとか、安倍さん救済だとか、いろいろ言っているやつらがいて、そんなこと言われるぐらいだったら、「ごまっとうに石川梨華」でも「後浦梨華」でもやれば良かったのに、と啖呵の一つも切りたくなる。だいたい事務所もわかっていない。ヲタ同士の相性というものをもう少し考えてくれ、と。

「後浦梨華」で丸く収まるんだったら、それはそれで行って、どうしても安倍さんもユニットに入れたければそれこそ「ダブルユーに安倍なつみ」をやってほしい。このユニットなら、たぶん、安倍ヲタの脱落はほとんどない。ダブルユーヲタの脱落率は知らない。

2005年09月02日

■ 博愛主義者

せっかくの新曲、なかなかテレビ披露の機会がないが、どっかの有料放送で及川奈央さんが司会する番組でゲスト出演したと言うことで、ごにょごにょして見る。

及川奈央さん、ググればけっこう何な画像とかいっぱい出てくるのだが、この番組ではとても上品そうないい感じの人だった。同い年ということで、それなりにノリよく、楽しげに盛り上がってはいるようなのだが、何となく話がかみ合わない。もちろん例によって、安倍さんがちょっと変なのだけれど。及川さんやそっちのファンの人にどう思われたかはよくわからないけれど、「らしい」安倍さんが堪能できて、私は満足しました。というわけで及川奈央さん推し決定。

ついでにラジオネタ。安倍さん、久住小春さんと仲良くなった、とうれしそうに報告していた。確かにああいうまっすぐでひねりのない娘。、いかにも安倍さんがかわいがりそうだ。というわけで久住小春さん推し決定。

■ 太陽神戸三井住友銀行

なんて書いていたら、嘘か誠か、「後浦なつみに石川梨華(美勇伝)」みたいなユニットが誕生するとかいう噂が。どうせなら「後加護のつみに中石圭織」みたいな感じのユニットでいいのにとか思ったり。さて、このユニット、何人組でしょう?

2005年08月29日

■ 私は・・・ヲタです。

なっちの「現状」を思うと胸が痛かったり、愛ちゃんとの握手の感覚が、たぶん記憶の捏造なのだが、未だ掌に残っていたり、「義経」に出る真希ちゃんがとても愛おしく思ったり、「こちら本池上署」の加護ちゃんが可愛すぎたまらなかったり、そういうことをきちんと表現することの方が、もっともらしい評論家的姿勢でものを語ることよりずっと価値があるはずなのだ。もちろんそんなこと改めて言うことでもないのだけれど。

私は2chのモーニング娘。掲示板(通称「狼」)やら、ニュース速報板やらの言説状況には絶望しつつも、社会に絶望していないのは、握手会会場にせよ、モーヲタ系ブログ(ブログ一般ではないことに注意)にせよ、何らかの形で己の「顔」をさらしてものを言ったり行動したりする人たちに絶望感を覚えることが全くないからだ。

2005年08月17日

■ 合コン

なっちふれあいコンサート終了。私は行かず、ひたすらネットで様子を知るのみでしたが、ネットの報告を読むとなにやらとても胸が熱くなる。いつも暑いものがこみ上げるのは保田圭ちゃんに関するレポートを読んだときだ。

保田さんだって元モーニング娘。で加入時には「ミラクル圭ちゃん」と呼ばれたトップアイドルなのに、しっかりなっちを支える裏方に徹してくれている。抽選で握手会があるのだが、そのときもヲタがなっちの方にふらふら行かないようにしっかりガード役を担っているという。ふつうあり得ないでしょ?そうした役割を平然と、レポートによるとともすれば嬉々として担ってくれる圭ちゃん、なちヲタとしていくら感謝してもしたりないぐらいだ。

次一緒にやるときには是非圭ちゃん&なっち合同コンサートにしてほしい。大概の合同コンは話を聞くからにうんざりする気がするが、これだけは断然支持。

2005年08月10日

■ 10年間の冬眠

安倍なつみさん、誕生日おめでとうございます。

これで約二週間の間は同い年ですね。二週間後には私の方が一つ年上になっちゃうけれど。

2005年08月09日

■ 感謝のついでに

仕事で東京の研修所に缶詰。

せっかく関東圏にいるのに、保田圭・安倍なつみが参加したというフォークソングイベントには顔を出しようもない。前々から安倍さんには好意的なHey^3のプロデューサーである菊池さんが仕切っているとあって、かなりよいイベントだったらしい。何より安倍ヲタ伝説の曲、ブルーハーツのチェインギャングが披露されたとあっては無念もいっそうつのる。

しかし私個人の無念はそれとして、そのようなイベントに招待され、多くのヲタならぬ一般人の声援の元、安倍さん本人とファンにとって代え難き思い出の曲を披露する機会をもてたことを、ネットで情報を聞いただけの他人事とは思えないほどうれしく、ありがたく思った。

菊池さんほか、見学者も含め本イベントに関わった人一人一人に、私のような部外者が言うのも何だが、次の安倍さんの新曲を購入してもらいたいぐらいだ。

2005年08月05日

■ エース

関西圏ハロプロ特集の最後を閉めたのは「本体」モーニング娘。より高橋愛、小川麻琴、田中れいなの三人。

クイズ場面では、関西芸人もとい歌手の円広志の「仕込み」に易々と答えて笑いをとる我らが愛ちゃん。「かわいい顔して何いってんねん」。頼もしきかな。

番組一コーナー、金魚すくい対決。金魚すくい名人という人が出てきて、高橋さん、円さんと一分間に何匹すくえるか、という対決。

名人と円さんが快調に金魚をすくっていく中で、高橋さん、水面に浮いている弱った金魚をこつこつすくっていく。おまけに最初入れ物に水を入れずに金魚を入れていくものだから、愛ちゃん「かわいそ、かわいそ」。だから水を入れなさいって。

「弱っているものをねらえ」というのは確かに一つのセオリーかもしれない。しかしほかの二人分の「成果」が17匹とかの元気な金魚だったのに対して、高橋さんの「成果」として見るからに死にそうな金魚が五匹、ひれをけいれんさせているのが映ったのを見ると愛ちゃんファンでもちょっと引く。円さんからも「おまえ、馬鹿か」と突っ込まれていた。

うん、さすがに我らがエース、圧倒的だ。

■ 恋の花

関西圏のテレビにハロプロ関連の出演多数。しかしそのときに限ってこっちは東京出張。事前に情報を得ておらず、録画もしていない。というので安倍なつみさん、新曲紹介を含む放送をみすみす見過ごす。ごにょごにょして一部のみ視聴。

こういう曲もバリエーションの一つとしてあってもいい。こういうのばかりだと少し飽きるかもしれないが、今まで安倍さん(というかはロプロ)にはない、言われているように島谷ひとみさんあたりが歌っていそうな曲。考えてみれば、今まで安倍さんの曲はマンネリ化せずにつねに「新境地」を開き続けてきた気がする。よきことかな。

ついでに後浦なつみDVDの安倍さんソロ部分も視聴。安倍さんは物自体ではなく、大きな物語に支えられている人だ、ということを再認。基本的に私はこっちの人ですよ。

2005年07月27日

■ 初恋妄想

ナチヲタ界隈ではほとんど話題にならず、現役モーヲタが必死になって走り回っている今日この頃、皆様いかがお過ごしですか。

モーニング娘。新曲「色っぽい じれったい」。握手抽選券付きということで、複数枚数確保に走る人多数。とりあえず私は一枚買おうと思って二件回ったがどちらも影も形もなかった。売り切れとかそういう表示もなく、ただものがない。入荷数少なすぎ。

握手は、まあ、申し込むかどうかさえ不明。とりあえず申し込んで、抽選待ち、とも思ったが、当たったらやはり行かなくてはいけないような気がするのでちょっと慎重に考える。生愛ちゃんは見てみたい。でも握手はねえ。多人数の握手会だから、スタッフもぴりぴりしているだろう、向こうからすればこっちはストーカー予備軍みたいなものだろうから、客扱いどころか人間扱いしてもらえないんじゃないか、なんて思ったりもする。

そんなこんなですっかり高橋愛にはまっている今日この頃ではあるが、「うろ覚えゼミナール」なんかでなっちを見ると、何となくほっとする。「お、なっち、久しぶり」みたいな。逆に高橋愛は全然ほっとさせてくれない。何が出るかな、玉手箱。全然正体がつかめず、見ていてはらはらさせられる。かつてはなっちにはらはらさせられたものだが、今やすっかり幼なじみの心境だ。

■ 身内妄想

安倍なつみより高橋愛の方にどきどきする、といっても一押しが変わったとかそういうことではない。なんと言っても、悪口をかかれてカッとくるのは断然なっち。高橋さんへの悪口は、冷静にスルーできる。安倍さんへの悪口は、たぶん親の悪口を言われるよりむかつく。要するにすっかり身内なんだな、うん。

2005年07月21日

■ キーワード

とりあえず落ち着いたようなので、やや節足ながらそろりと問題提起をさせていただきたいと思います。とは言え、このサイトは安倍系サイトとしてきわめて弱小、横のつながりも薄いので、なかなか問題提起が行き渡ることも難しいかとは思いますが、急ぐこともないので、ゆるりと。

いきなりラディカルなことを言って、反発を買うのは必死ですが、実は私は「なっち」というキーワードも独立したキーワードとしてはなくなってもやむをえない、と考えていたりします。いまだ誤爆も見られ、またこうした愛称をキーワードとして登録してしまったところから際限ない登録を許容する下地が出来てしまったようにも思えるのです。

なっちがいいのなら、さゆも良いだろう、ののだって。。。

確かに「なっち」は本名の安倍なつみよりもあるいは知られていたりします。そういう意味では登録は当然のようにも思えます。しかしやはりなっちだけが特別でよい、というのは納得できない人が出てくるのもやむをえないところでもあります。そしてまた困ったことになっちほど安定した愛称は松浦亜弥の「あやや」ぐらいしか見当たらず、一人につき複数のキーワード登録がなされかねない状態を招くのです。また悪いことに愛称の多くは小文字数のひらがななので、一番避けるべき「誤爆」の温床となるという。

とはいえいまさらなっちが削除されることはないでしょうから、ひとつの極論として受け取っていただければ結構です。

さて、現実的なキーワードの整理について。

まずはカッコつき「なっち」。

これが括弧無しのなっちと重複して登録されています。かつて括弧無しのなっちが誤爆の危険性から登録できなかったころの名残です。いまは括弧無しのなっちがあるのですから不要だと思います。いかがでしょうか?

今回問題となった「おけいさんと安倍なつみ」。

これも正式名称があればやはり不要なのではないか、というのが私の考えです。というのもこのキーワードへのやはり言及は明らかに少なく、このキーワードの存在自体がどうにも記録的な意味合いが主であろうと思うのです。となれば正式名称があれば十分そのようは足せるのではないか、将来の可能性としての略称への言及の捕捉、というのがどれほどの意義を持つのか、いまいち私にはつかめないのです。

キーワード登録資源が有限であるとしたとき(当然有限ではありますが、システムによっては限界は事実上無視できるものなのかもしれません。そこがはっきりしないので誤爆の危険性のないキーワードを無際限に登録することの可否がいまいち私には判断できません)、やはり優先順位というものをつけなくてはならず、そうした場合にこのキーワードの優先順位はどうにも高くはないように思えるのです。実際「カントリー娘。に石川梨華」というキーワードは登録されていません。それに比して「おけいさんと安倍なつみ」だけが登録される、というのはややバランスを欠く気がします。

とりあえず今のところはこれだけです。「なちかお」なども本来はこちらで考えてもよいと思いますが、すでにフレームの中に入ってしまっているようですので、手出ししづらいところです。なんにせよ外部のオブザーバーのような立場の人に勝手なことをさせないためにも、本来のユーザがある程度はキーワードにも意識を持っておいたほうがよい、と今回の件を踏まえてあらためて思ったところです。

本件について少しでも思いのある方はコメント欄でもトラックバックでも遠慮なくご意見くだされば幸いです。

2005年07月05日

■ 彼女たちの進む道

ハロモニで新人久住さんがPV撮影で苦戦するのを見て高橋愛

なんか、私もこうだったなと思いながら見てたんですけど・・・

ちゃんとできるわけがないんですよ、初めてで。

でも、そこから頑張るのは久住なので、ちょっと頑張ってもらいたいです。

ちょっと前のハロモニでエレジーズの紹介時に

石川 > しゃべらなければ(エレガントなのに)

柴田 > しゃべらなければって。。。

高橋 > しゃべりますけど。。。

なんて微妙なぼけをかましていた人と同一人物とは思えない堂々たる語りっぷり。なるほどこの人は歌・踊りに関しては「プロ」なのだ、と改めて認識する。バラエティなどでボケをかます高橋さんに恋人がいることがわかると「萌え」度は減じる気がするが、この「プロ」の高橋さんに恋人がいるとかいないとかはまったく関係がない。アイドルではない活動の道が彼女に開かれんことを。

といっても「アイドル」を否定したいわけではない。単に高橋の志向するものは「アイドル」とはずれているなと感じるだけだ。

安倍なつみはずっとアイドルとしてやっていくのだと思う。彼女が一からやり直すといったとき、「みんなの前で歌いたい」といった。その思いが、秋の全国ツアーでもってほぼ完全な形で実現する。ファンとともに空気を作っていく場。そうした場が、昨年よりも多くの機会をもてたのだから、彼女はきちんと前進しているのだと思う。

矢口さんは、一から、どの方向に進んで行きたいのだろう。アイドルであることを裏切ったと表明して出直しを誓った矢口さんは、「バラドル」なんて本当にやりたいことなのだろうか。矢口さんには選択権はなかったのかもしれない。でもせめてファンは、二期タンポポ解体時のようなメッセージを発してもよいのではないか。テレビに出まくる矢口さんをひたすら肯定するだけのテキストにはなんとなく違和感を感じるのだ。

2005年07月02日

■ 独り言

蔑称をレッテルとして使い続ける奴なんてそいつの精神の荒廃を感じるだけのことで、それ以上でもそれ以下でもないと思うんだけれどね。まあ、そういう精神の荒廃した奴に「推さ」れる娘。メンバーのほうがよほど可哀想。確実にイメージを悪くしているわけで。まあ、安倍ヲタも同じことであるのだけれど。

って、矢口批判みたいなことを書いた後で説得力ないか。

2005年07月01日

■ 墓に入る

これまで書きかけて、結局きちんと触れずに逃げてきた話題。

なかなか整理がつかなかった。書くべきか、書かざるべきか。それもわからなかった。「感情」でしかないことならば書くまい、しかしそこに論理があるのであれば、書こう。

感情としては、なんとも割り切れぬ思いが残り続けた。矢口の、モーニング娘。を辞めた後の振る舞いに、だ。

その割り切れなさを表現することが、単に感情、ともすればアンチ感情、の撒き散らしに過ぎないのであれば、そんなのはそれこそチラシの裏にでも書いておけ、ということになる。私は私の作る言説空間を己の卑しき感情の肥溜めにするつもりはない。

いろいろな状況に対する感情を反復してみた。矢口が「22歳の私」をイベントで歌ったと聴いて、「よかった」と思った。来るハロコンで矢口が司会を務めるという。「何で?」と思った。矢口がテレビ番組にでまくっている。「何だ?」と思う。矢口が、安倍なつみのコンサートのゲストに出演するとしたら。「いいんじゃないか」。

今の矢口に対する感情をきちんと整理することは簡単ではない。ただやはりどうしても「それは違うんじゃないか」という感情がそれなりにまとまった論理として表現しうるのではないか、と思えてきた。

「矢口はこの一件でモーニング娘。(もちろん矢口もメンバーであった)の負った傷をともに引き受けようとしていない」。

私の矢口に対するいささか否定的なメッセージはこれである。以下、補足。

  • 「傷」の責任として矢口を名指したいわけではない。ゆえにもちろん矢口がこの一件で謝罪をすべきであったなどと言いたいわけでも一切ない。
  • 「ともに」の対象はあいまいだが、主に「モーニング娘。」の看板をさしているものと思っている。

一番きちんと説明しなければならないのは「引き受けようとしていない」、という言葉であろう。「引き受ける」とはどういうことか、それはやや長い説明を要する。

そもそも今回の「悲劇」(大げさに思えるかもしれないが、モーニング娘。の正史を書くとすればどうあってもリーダーの突然の脱退は否定的にしか書きようがない)の本質的な原因は、(アイドル)タレントのプライベートへの、「付き合っている人は本当にいないのか」という問いに代表されるストーカー的視線にある。一方で私は擁護したいのは、(モーニング娘。のごとき)アイドル集団にたいして、「特定の付き合っている人の存在などあって欲しくない」という感情である。それに私が共感するしないとは別に、アイドル文化の多くはそういう感情に支えられてきたことは確かなのである。

落しどころは明確にある。タレントとは表現者なのだから、要はプライベートな恋愛話など表現しなければよいのである。そしてこの「表現をしない」という行為は(アイドル)タレントに限らず、社会一般において十分尊重されるべきものであるはずだ。特に親しくもない相手に己の恋愛話をぶちまけることのほうがよほどおかしいのだ。

今回のことに限らず、いわゆる「スキャンダル」というのはこうしたいわば当たり前の社会的ルールを、タレントに向けられる一部のストーカー的欲望に応える形で暴力的に破壊したものに他ならない。それは端的に不当な行為なのだ。

矢口はその限りでは完全に「被害者」であった。彼女は傷を負い、モーニング娘。も傷を負った。もともとが不当な「暴露」に発したことであるのだから、それは徹底的に否定的な経験として表象されてしかるべきだった。そして実際、「周り」はそう表象しようとしていたのだ。

ナインティナインが「絡みづらい」と漏らし、島田紳介が矢口の自らの暴露話に「何を言い出すねん」と驚いて見せるとき、彼らは当たり前の社会規範に則って、矢口の経験を否定的なものとして受け止めようとしていたのだ。

矢口の一生懸命なのはわかる。否定的なままではバラエティ番組としてプラスにならない。何とかポジティブに捉え返そう。しかしそれはあまりに自分本位だ。傷を負ったのが矢口ひとりならばそれもかまわない(私はいささか「はしたない」と思うが、それだけだ)。しかし少なくとも写真を撮られたときには矢口はモーニング娘。の看板を背負ったリーダーだったのだ。

自分が原因の一端となって負った傷が生々しいうちに、自分だけさっさとそれを話しのネタにしてしまう。自分の失敗で組織に迷惑をかけて、職を辞し、別の職場でそのミスを肯定的にネタにする。ちょっと違うんじゃないか。

「リーダーとしての自分を裏切っていた」と矢口は言った。そう反省するのであれば、少なくとも最後ぐらいはリーダーとしての落し前はつけるべきではないのか。それは自らの受けた傷を傷として受け止め、その傷を負わせた暴力に抵抗あるいは少なくとも組しないことである。しかし矢口は「裏切っていた」と振り返った舌の根も乾かぬうちに「裏切り」を肯定し、リーダーであったことなど自身にはなかったものとして振舞っているのである。

私は矢口真里という人間そのものは嫌いではない。しかしモーニング娘。のリーダーとしての振る舞いを、少なくともこの一連の流れの中で見ることは出来なかった。3代目リーダー矢口真里という存在は、本人がそう望んでいるとしか受け取りようがないごとく、埋葬されるべき歴史になった。

2005年06月25日

■ ディナーショー

カジュアルディナーショー夏休み特別企画が決定!!

チケット料金:¥14,000(税込・ファンクラブ特別価格)

場所:広尾ラ・クロシェット

安倍なつみ

矢口真里・大谷雅恵(メロン記念日)

後藤真希

また東京限定かよ。というかファンクラブ限定かよ。

なんかハロプロ全体がどんどん閉鎖的な集団になっていっている気がする。小金を稼ぐことに必死だな、という。

飯田さんのときにこの企画を聞いたときは、ああ、悪くない企画だな、と思ったし、安倍さんもいつかやれたら良いよね、と思ったけれど、こうも立て続けにやられると、「適材適所」とかそういう感じがまったくなくて、少しでも小金儲けが出来るネタがあれば、そこに群がるような浅ましい感じがしてしまう。安倍さんはまだいいですよ、ああ見えても飯田さんと同い年だから。後藤さんって、まだ10代じゃん。ファンクラブイベントとしてももっと全然別の企画を立てなさいよ。手抜きというか、やる気がないというか。

とぐちぐちいいながらも、ええ、行きたいですよ。ファンクラブ会員だったら絶対申し込んでますね。会員じゃないから申し込まないけれど。なっちのはもちろん、ごっつぁんのも行きたい。断然行きたい。

と何気にスルーし掛けて、その間、「大谷雅恵」!マサオ来たー。うゎあー。行きたい。ソロで何歌うんだろ。というか、下手したら圧倒的アウェイの空間になるよね。はてな回ってみてもマサオへの言及は明らかに少ないし。

全国のマサオヲタよ、終結せよ!と言っても、全然終結しないんだろうなあ。はぁ。

追記

「終結」したらいかんよね。「集結」しなきゃ。

こういうのにも深層心理が出ている、とか。

2005年06月22日

■ ネットでヒッキー

私は半ヒッキーではなく、真性のヒッキーになりつつあるのか?

今日は6日ぶりに外出した。自分でも信じられなくて、カレンダーを見返すが確かだ。

仕事関係の郵便物を出した後、近所のCD屋にシャッフルユニットの新曲を買いにいく。初回版にはミニ写真集がつくらしく、そのなかの高橋愛と田中れいなが向き合っている写真をネットで見て、たまらず買いに走ったわけだ。

なかった。結構ここでハロプロ関係買っているのに、と思いつつ、仕方なく少し足を伸ばして駅前のCD屋まで行く。そこにもない。さらにスーパーのCD売り場を覗いてみる。ない。

田舎なもので、情報が行き渡っていないのだろうか。セクシーオトナジャン・エレジーズ・プリプリピンクなんて名前のアーティストは知りません、ぽっと出の新人ですか、そんなもの仕入れません、とか。ひどい。それともハロプロと知りつつ、そんなものはもう仕入れません?もっとひどい。

ふてくされて、高橋愛の写真集の先行カットが出ている写真週刊誌FLASHを購入。あまりのかわいさに頭をやられて、さまざまな思考が停止する。「A」の打ち切りについてとかいろいろ書くことがあったのに。

それにしても実生活ではヒッキーなので、せめてネットでぐらいアクティブになろうと思わないでもないのだが、どうもこのサイトにはヒッキー臭が漂っているようだ。いきなり何を。いや、なんとなく。

2005年06月21日

■ ロリコン文化とか

矢口さんのこととか、「A」という番組のこととか、いろいろ思うことはあるのだが、いずれも書くからにはそれなりにきちんと書くべきことと思うので、今はスルー。とりあえず矢口さん、ファンクラブのイベントで「22歳の私」を歌ったとのこと。良くぞこの曲を選んでくれました。さしあたりそのことをうれしく思う。

ということで、軽いネタだけ。

シャッフルユニット。仕事が終わっていないので、それまでは我慢。未入手。

ハロモニで各ユニットとモーニング娘。メンバーとの対抗戦を見る。

セクシーオトナジャンの中学生二人、びっくりするほど大人っぽい。前からわかってはいたが、これを好きだという人は、語の正確な意味はさておき、日本アイドル文化での語法においては、「ロリコン」ではない。日本アイドル文化における「ロリコン」とは「子どもっぽい雰囲気」の女性に対して萌える態度を一般的には言うはずなので。例文。

「日本アイドル界のロリコン志向では背が高く、スタイルがよくて美人の飯田圭織より、背が低く幼児体型で、かわいらしい感じの安倍なつみが受ける」

ある意味そうした「ロリコン」文化とは対極で、逆に語の正確な意味では本来のロリコンというべきなのかもしれないが、普通に大人っぽいのだけれど、年齢を聞くと実は中学生だ、というのが彼女たち。セクシー対決なんてやっていたが、高校生の亀井絵里よりずっと彼女たちのほうが大人っぽく、対決でも亀井敗北。亀井に限らずモーニング娘。は加入するとどんどんガキっぽくなる、という現象が見られる。一方ハロプロキッズの子達はほとんどの子が、実年齢よりは大人っぽい。さすがにうまく出来ている。モーニング娘。とキッズのファンのすみわけはメンバーの年齢ですみわけされている、といわれることが多いが、そうではなく、「ロリコン」のあり方の違いでなされている、というべきだろう。

高橋愛と田中れいなが所属するエレジーズの対決は高級食材を見分けられるかで勝負を競うもの。ふかひれ、キャビア、トリュフを本物の高級品と模造品とを食べ比べて本物を当てる。

視聴者たる私はもちろん見かけでしか判断できないが、映像だけでも全部わかったぞ。コピー食品はいずれも形が整いすぎたり、色がはっきりしすぎていたりして、いかにもコピー食品丸出しだろうに、当てに出たエレジーズのメンバー、悉くはずす。いいもの食ってねえな、おい。

それにしてもプリプリピンクもあわせたこのユニット、全部あわせてひとつのユニットとして活動してはどうか。今のモーニング娘。の主力とかつてのモーニング娘。を支えた重鎮との究極のコラボレーション。意外とバランスがよいのではないか。

その間暇になる、主力が抜けたモーニング娘。もユニットを作る。なちごまをあわせて、かつてのモーニング娘。の主力と現モーニング娘。のこれまた極上のコラボレーションユニット。二つのユニットが競ってシングルを発売すれば、結構話題になるとか。妄想乙。

高橋愛の写真集の一部が写真週刊誌に出た。ネットでその写真を見たが、もちろん可愛らしくてとてもよいのだが、でもこの娘、なんか笑顔がさびしげだな、とあらためて思う。

この娘。なんだか気になる娘♪

2005年06月16日

■ ミラクルな笑い

「ミラクル圭ちゃん」とそれへの笑いについて。

ちょっと考えかけている「シニカル」と「アイロニカル」についての素材として使えるような気がした。ただし現段階では私の感覚的な使い分けについての整理にとどまり、アカデミズムの議論を反映させたものではない。

例えば、2chあたりで「ミラクル」が連呼されているのは、少なくとも表面的にはシニカルな言説に見える。「ミラクル」を連呼するものたちは、その結末・未来をあらかじめ想定しており、その予測される無残な結末から省みて、今の「ミラクル」というレッテルを笑う。既に状況把握を済ませた立場に自らは立って、その状況の渦中にいるものを笑っているわけだ。そこで笑うものは状況へのコミットはせず、単に観客の立場で高みに立つ。さらに言えば、高みに立つという立場を確保することにおいてのみ状況にコミットしているのだ。つまりこれは高みに立つということ自体を目的とした笑いなのである。この構造は典型的にシニシズムである。すなわち

・差異化そのものが自己目的化した循環的な差異化システム

・自らを観客の立場においた見世物小屋的空間

・状況にコミットしないという否定によってのみ成り立つ立場性

私はこの手のシニシズムを嫌悪してきた。

一方保田圭の寸劇中でのせりふ「ミラクル圭ちゃん」とそれへの笑いはそれとは違った構造にあるように私には思えるのだ。

一見この笑いは保田圭が己を「ミラクル」成り得なかったものとして自らを卑下することによる笑いのように見える。その場合観客の笑いは保田圭への笑いということになり、「見世物小屋」の構造をなす。

しかしおそらくそうではなかっただろう。観客の笑いは保田圭*を*笑ったのではない。保田圭*とともに*笑ったのである。

何を笑ったのか。もちろん「ミラクル」というラベリングを、である。ならばそれは2chの笑いと同じものか?

保田圭は「ミラクル」ではなかった。地味に加入し、当時のファンから厄介者扱いされ、楽曲のパートも目立たないパートはもらえなかった。彼女はずっとそういう立場にいながら、ずっと娘。の楽曲を目立たないところで支え続けてきた。それやこれやのここで書き連ねればきりがない彼女の娘。への貢献をファンは見続けてきた。

そうして今モーニング娘。を応援しているものの多くはそうした各メンバーが紡いできた物語を含めて、応援しているのだ。その思いは保田圭が卒業した後のモーニング娘。にもおそらく受け継がれている。「安倍なつみ」という卒業メンバーを見に来た観客の中にもいまだモーニング娘。に愛着を持つものも多かろう。「ミラクル」という安直なラベリングはそうしたものたちの思いを踏みにじるところが多少なりともあったのだ。

だから笑うのだ。その笑いは差異化のための笑いではない。踏みにじられそうな思いを回復するための笑いだ。笑うために立場を捏造したのではない。立場を守るために笑うのだ。

その笑いはもちろん爆笑ではない。嘲笑でもない。どこかしら自嘲的な色彩も帯びたアイロニカルな笑いである。

■ コンサートではない

昨日の更新は前から考えていたことを、仕事が進まないイライラの中で書いたものだったけれど、どうやら昨日のテーマはあちこちで議論になっているようで。その議論に分け入るように読まれてしまったりするのかな?

私は単に、今やっているのは安倍なつみコンサートじゃなくて、安倍なつみが出ている環境保護イベントなんで、それはそれでいいけれど、コンサートもやれや、「あなた色プレミアム」以来どんだけ日にちがあいているねん、われ、という愚痴を書いただけなんで。

内容が明らかになる前から「コンサート」とは認めがたいものがいっぱいでしたしね。値段も安すぎるし、大体東京近辺でしかやらないってだけで論外。安倍なつみのコンサートは全国区でなければならないの。最低限東京・大阪・名古屋の3大都市ははずしてもらいたくはない。

そんなこんなで、最初から「安倍なつみコンサート」としてはカウントしたくなかったし、内容聞いて「そりゃそうだよね。あれはやっぱりイベントなんだよね。コンサートは別にやるんだよね」と言い聞かせたくもなる、というのが正直なところ。

というわけで秋にはセカンドアルバム引っさげて全国ツアーがある、ということでひとつよろしく。

2005年06月15日

■ ラベリング

ふれあいコンを映像で見られることはないだろうということで、某所で音源を拾って聞きました。

その中で笑ったところ。寸劇の中で保田圭ばあちゃんが「わしもモーニング娘。に加入したころにはミラクル圭ちゃんと呼ばれたものだ」とか何とかいっていたところ。「ミラクル」って卒メンを含むメンバー、スタッフにネタとして流通しているんだな、と。

こうした「押し付けの」レッテルをネタにする、というのはネタにする本人はその意識がなくとも、どこかしらアイロニカルな含意を持つ。「ミラクル」という言葉の持つ空疎さを際立たせてしまうのだ。それは2chあたりで「ミラクル」が反復されているのとほぼ同じ効果を持ってしまう。

ミラクルというレッテルによい感情を持たない当方としては、喝采したいところだが、自分に貼られたレッテルがそういう「ネタ」にされてしまっている久住さんには正直同情する。レッテルといっても、もちろんそれを背負わされた当事者にとっては人格の一部となってしまうわけで、そうした「重み」を、レッテルを貼りかつそれをネタにした事実上同一の主体(いずれもハロープロジェクトの運営サイドなのだから、同一人物ではなくても主体としては重なる)は理解しているのだろうか、などと思ったりする。

■ ふれあいこん

なっちこと安倍なつみの「ふれあいコンサート」。

関西では行われていないので、交通費までは払えない、ということで不参加なのに、内容だけは気になるので、ネットをチェックしまくる。

DVDになることを期待したかったが、2月の「レビュー」がファンクラブ向けのみということからして、ファンクラブ会員ならざる私が、今回のコンサートの内容を映像で見る機会は完全にないことがはっきりしてしまった。

というわけでネットの評が頼りなわけですが。ずいぶんと評判、悪いようで。

以下の文は見にいかない奴の僻みごととして聴いていただければ結構。

実を言うとセットリストを見たとき、私はほっとしました。内容が薄くて。

これで昨年のコンサート並みの充実度だったら、私は逆に悲しかった。だって3800円でしょう。昨年の6800円にくらべて3000円も安い。私は内容云々の前に、その3000円の値下げが悲しかった。それって安倍なつみの市場価値が下がったってことかよ、って。ええ、賢い消費者じゃありませんよ。そもそも参加しないのだから、消費者じゃないし。こういうところで値段が下がってうれしい、とは思えないんだな。安倍なつみに関して、価格破壊なんてしてもらいたくない。作り手の誇りとして、そういうダンピングはしてはならない、と思うのです。

安いのなら安いだけの理由が欲しい。まともなコンサートをこの値段ではやって欲しくない。

結局環境省のイベントでしょ?だったら安くてもしょうがない。たぶん適正価格なのでしょう。安倍なつみコンサートの価値を下げられたわけじゃない、参加した人には申し訳ないけれど、私にはそっちのほうが重要なのです。

もちろんきちんと6800円取る、本当のツアーをやって欲しかった、というのは私も同じ。ただ先に3800円という金額を知らされて、なんのこっちゃと思ったという経緯からすると、これはこれで内心ほっとしたというところです。

さらにいえば、こういう「お堅い」仕事が回ってきた、というのは昨年末の件からして、いいことじゃないか、という思いもある。犯罪だなんだと、ネットの腐れ「言論人」どもだけじゃなくて、某テレビ局までそういう言い方をしていたりしたが、NHKとかお役所とか、まともな「大人」は全然そんなこと気にしてないじゃん、なんて子どもじみたことを考える。

それから℃-uteとかいうユニット売り出しになっちを利用するな、という批判について。その言い分もわかるけれど、多分そういうつもりはないんじゃないかと思う。もしそういう気があれば、きちんと曲つきでデビューさせるでしょう。ここはつんくさんの言うとおりなのだと思いますよ。

環境を考えるイベントということで、「生徒役」の子どもが必要だ。ちょうどハロプロキッズというのがいるじゃないか。じゃあその中からBerryz工房をのぞいたメンバーを使えばちょうどいいじゃないか。じゃあついでだから呼び名をつけようか。そんなノリでしょう。

もちろんこの機会に名前を売りたいな、ぐらいの野心はあると思いますがね。でもそれは後付だと思うし、まずは安倍なつみありきの企画だと思うから、私はそれほど否定的な感情は持たない。

まあ、初日のしょっぱなに安倍なつみ抜きで「ぴりり」を持ってきたセンスは疑いますがね。そんなもん、会場「ドン引き」になるのは当然じゃないか。誰も幸せにならない。馬鹿だなあ、と。

本当にむかつくのはBerryz工房は単独コンをやるくせに、なっちもWも後藤真希もメロン記念日も(まともな)単独コンの予定がまだない、ということのほうです。つくづくどこ向いて仕事しているんだ?と思う。Berryz工房が松浦亜弥に化けたり、ミラクル久住が後藤真希に化けたりはしませんぜ。もっと旧来の顧客を大事にしろ、といいたいです。

2005年06月10日

■ 二度あることは

今日は暑い中を30分以上歩いて疲れたので、頭のいる話は先送り。明日出来ることは今日するな。

昨日に引き続き、ちょっといやな話をやや感情的に書く。

安倍なつみというキーワードが編集されている。より正確に言えば、なにやら編集されて、元に戻っている。編集した人物と元に戻した人物は同一人物だ。

何をしたかったのかはよくわからないが、元に戻したのをとりあえず最低限のエクスキューズとして受け取っておく。しかしそいつが一度やろうとしたことは私は忘れない。痕跡はシステム上残り続けるわけだしな。

何ヲタが、とは言うまい、とこらえるが、こうもこういうことが続くといい加減堪忍袋の首絞めちゃうぞ。

2005年06月09日

■ 愛の量を教えて!

今日はいろいろ本を買い込んだりしてきたのだけれど、とっても憂鬱な明日の仕事のこととかあるので、頭を使う方面の更新はせずに、楽しい方面の更新だけ。

って、全然楽しくない話題なんですが。

たとえ話ですが。

デートをするときに、仲のいいお友達を連れてきてくれれば、それなりに歓迎です。こっちも旧知の相手だったらそれはもう大概は大歓迎です。

でも近所のガキを連れてこられると正直、ビミュー。

おまけにそのガキの連れ添いに関していやなうわさが満載と来たら。。。

といっても私は現場に居合わせるわけではないので、よほどいやな話が流れてこない限りはそれ以上どうこうは言いませんが。

ああ。一応原理主義者としては全てのハロメンに愛を注ぐべしという規範はあるのですが、こっちは神ならぬしがないフリーターですので、愛の絶対量が足りません。

2005年06月08日

■ 「内ゲバ」に敗北す

2000年春の武道館ライブ映像を改めて見返す。

その中の一曲「おもいで」。昨年のなっちコンで圭ちゃんこと保田圭がソロで歌っていた曲。「セカンドモーニング」に収録されていてもおかしくない初期モーニング娘。の色を残していることもあって、なんとなく懐かしく、何度も見返す。

この曲を含んだアルバム「3rd LOVE〜〜 パラダイス」はいろいろ不純な気持ちがあって買わなかった。もったいないことをした。もっと虚心に「モーニング娘。」を楽しめればよかった。

2005年06月07日

■ ライブ空間の歴史性

知っている人も多いと思うが、

パソコンテレビ GyaO [ギャオ]無料動画

でモーニング娘。のライブ映像が無料で見られる。発売されているDVDを配信しているものだと思うが、未入手のものなのでありがたい。

現在配信されているのは1999年春の福田明日香卒業コンサートと2000年春の市井紗耶香卒業コンサート。わずか一年の間を経たメンバーの入れ替わりとライブそのものの雰囲気の変化。1999年の時にはまだこのグループがどうなるのか、先が見えない不安さがにじみ出ていて、それだけに無限の可能性をも感じさせられる。「脱退」という非常事態に挑むメンバーの悲壮感が漂い、緊張感あふれる中の凛とした雰囲気。薄暗い景色の中に明るい日差しをを求める祈りの空間。その宗教的ともいうべき雰囲気からすると2000年のコンサートはずっと牧歌的で明るいユートピアだ。現在のモーニング娘。あるいはつんく本来の構想たる「お得なモーニングセット」的なものへ回帰する途上ともいえようか。

それでもあくまで「途上」というのは、いい悪いは別にして、加入して2年たつ6期メンバーの安定振りに比べての同じく加入して2年間での市井紗耶香の変貌振り、そして脱退、その落差に表象されている。

それからさらに5年もの時間が流れ、今のモーニング娘。を「保守的」なヲタは競争や緊張感がない、と批判する。しかし好みはどうあれ、そのようなものは今取り戻しうるものでも取り戻すべきものでもあるまい。確かに私は1999年のライブをこそ最高にすばらしいものだと思った。同じ卒業コンサートでも、安倍なつみ卒業コンサートの映像よりも断然惹かれるものを感じた。「卒業」という事態の持つ重みがまったく別物なのだ。1999年のコンサートでは、私(たち)が卒業という言葉で想起するカタルシスを存分に味わうことが出来る。しかし安倍なつみ卒業コンサートではそれは多くの部分形骸化されており、制度的なものとして飼いならされてしまっている。

しかし歴史はあくまで歴史だ。私(たち)は1999年の映像の中に、今のモーニング娘。に宿るユートピアを見なくてはならないし、逆に今のモーニング娘。の安定感の中に初期娘。に漂う不安感、亀裂の痕跡を読み込まなければならないのだ。

■ ライブ批評

後浦なつみコンなどを踏まえて、なっちこと安倍なつみのパフォーマンスがほかの二人と比べてどうなのよ、というのが話題になったりしているようだ。

私は現場には行っていないので、それ自体について何も論評は出来ないのだが、しかしテレビなどで見る限り、というエクスキューズをつけて思うこと。

前にも書いた気がするが、もし仮に3人のパフォーマンスを各要素に分解し、各々を評価する、という評価手法をとったら、多分安倍さんの評価は低くなるのではないか、という気はしないでもない。音域は狭いだろうし、声量はどうなのだろう。踊りはダイナミックさという点ではいささか頼りないかもしれない。

でも、一応ジャンルとしては「芸術」に属する評価に、そんな科学主義・機能主義的な評価方法というのが、そもそも正しいのか、ということだ。一般論として「芸術」への評価というのはそうした機能の分解に還元されざるもの、「アウラ(オーラ)」と呼ぶしかないものを含みこんでなされるべきものに他ならない。もちろんそれは言語化困難な代物だ。しかし、だからこそ、芸術批評というのが意味を持つのだ。

言語化困難なものを言語化していくこと。たとえば安倍さんの醸し出す「空気」を言語化して伝えること。それが「批評」のなすべき仕事なのだ。

2005年06月05日

■ ハロプロ日記

また長く更新していない間にいろいろなことがある。

久々のシャッフルユニット。なっちはもうこの企画からは卒業、ということで無関係、中澤さん、飯田さん、保田さんが「プリプリピンク」なんていうユニットに参加するんだから安倍さんが参加してくれてもいいか、というのもあるが、あまり参加して欲しいとも思わないかも。

ハロモニ新コーナー「うろおぼえゼミナール」の3教授、安倍さん、加護さん、後藤さんの3人のユニットなら見てみたいが、そこに辻さんが加わっても良いが、実現の可能性のない妄想を続けても仕方がない。

それより高橋、田中が参加する「エレジーズ」を楽しみにしよう。藤本さんのいる「セクシーオトナジャン」は中学生に挟まれる藤本さんというのがなんとなく痛々しい感じなので、期待薄。

ハロモニの新コーナー「うろ覚えゼミナール」はかなりツボな人選なのだが、企画もゆるゆるでいい感じなのだが、3教授が答える課題が難しすぎるのが難点。もう少しやさしい課題に答えさせたほうが、アホさが際立って面白いのに、というのは残酷か。

これをはずしちゃナチヲタ失格の写真集「Fu」。いまだ購入していません。写真集って下手したら10分ぐらいで見終わってしまうので、あまり気乗りがしない。写真というのは即物的というか、安倍さんの売りだと私が思っている「空気」感が薄いというか、そんな気がする。

安倍なつみ写真集「Fu (ふう)」

安倍なつみ写真集「Fu (ふう)」

2005年05月22日

■ 高橋愛孝

これまでなっち原理主義者であることは公言してきたが、二押しというものは強く意識しないようにしてきた。しかし今なぜか突然高橋愛への思い入れが湧き出てきてしまって、初めて「なっちのいない」モーニング娘。関連の物を購入したばかりか、それ以前の曲のPV集まで購入し、高橋愛に視点を定めて、見返している。ハロモニもかつてはなっちが出ない回は早送りしまくりで5分とかからず見終わったものだが、今はしっかり見るようになった。大阪なので一週遅れだけれど。

やはりどうにも似ているのだ。存在の不安定さ、というべきものが。なっちは中長期的に顔の変動が激しかった。特に1999年から一年間の不安定さはファンならずともはらはらさせられるものがあったように思う。高橋愛も構造的には同じなのだが、そのサイクルがずっと短い。一瞬一瞬の表情の作りが安定しない。それも藤本美貴のように「素を出しているとき」と「カメラを意識しているとき」という落差ではない。何が素で何が意識したときの表情なのか、その境目すらコントロールできていない。

世界の中心に「私」がおらず、「私」は私に閉じてしか存在しておらず、世界の中ではどこまでも虚空を漂う存在なのだ。

安倍なつみはその「私」を世界に定立させようとあがき続けているように思える。一方高橋愛にはある種の諦念が感じられる。「私」を世界に位置づけさせることなど所詮無理なのだ。そうした放棄の姿勢が、彼女の絶対的な言葉不足につながっている。だから彼女のコミュニケーションの「失敗」は彼女が空気を読めないからではなくて、仮に読んだとしてもそれでもってコミュニケーションが成立すると彼女自身が信じていない、ということに起因するように私には思えるのだ。

■ ヲタばれ

非常勤先。例によってExcelを用いた情報処理実習。ダミーの資料にモーニング娘。卒メン+メロン記念日のメンバーの名前を拝借。ついでに身長と血液型のデータも拝借。

今年もまた気づいた学生がいた。「あ、これモー娘。やん」とやや大きい目の声、すぐに声を落としてひそひそ。

「最初斉藤とか知らんのがいるからわからんかった」「斉藤って誰?」「新メンバーと違う?」「ああ、なるほど」「身長とかはほんまもんなんやろか?」「まさか?」「いや、あってると思うで」「こんなに身長低いの?」「そんなもんやったと思う」。

おい、君たち、授業中に何をひそひそ話しているねん、などと野暮な突っ込みはせず、そ知らぬ顔で授業を続ける。ちなみにひそひそ話の主は女子学生。男子学生はモー娘。なんて忘れているのか、それとも「ヲタばれ」しないように慎重に振舞っているのか?

2005年05月05日

■ (エース)不在ということ

なっちこと安倍なつみは、ここ最近のハロモニやら、アウェーの番組出演やらを見ていて、精神的にも完全復活を確信。一般のイメージはちょっと傷ついたと思うが、それは仕方がない。傷ついた、といっても笑い話の範囲内だとも思えるし。

そして私個人は、なぜか突然高橋愛への注目度が急上昇中。加入当初から注目はしていたのだが、「大阪 恋の歌」での頑張りを見て、陥落。オリメンの飯田さんが抜けて、物語としては完全に終わっていたモーニング娘。から抜け出せないことを確信。

茶番ではあっても、この娘はモーニング娘。の物語を反復し続けているのだ。いろいろな才能を持ちながら、「一番」になれないもどかしさ。何かが足りない。その足りないものとは、例えば「オーラ」と称される絶対的な何物か。その絶対的な何物かが欠落しているがゆえに、そこに何をあてがってもその存在感は不安定なものにとどまる。例えば観客がそれを見て、絶対的なものを感じれば、そこにそれ以上の言葉は要らない。「ミラクル」だのなんだのと言葉を足すことさえ小賢しい。

一方、絶対的なものが欠落していれば、観客もまたその不安定さを埋めようとする。己の見たものの「意味」を再認しようとする。売り上げを見て一喜一憂するのも再認の儀式だ。しかしそれ以上に言葉・文字で残し、また他人の言葉を読むことで再認しようとするものだ。だからこそ、彼女たちの周辺には言説が群がり寄る。

中でも安倍ヲタと高橋ヲタは明らかに言葉が多い。多すぎる。ネットで嫌われる2大ヲタというのもむべなるかな。後藤ヲタ、松浦ヲタとくらべてかれらは不安が多いのだ。

というわけで、しばらくは高橋愛言説生産の一端を担うことにする。要は愛ちゃん萌え的文章をものす、ということだが。

2005年05月03日

■ 高橋愛・考

いまやハロプロ系のトークがある数少ない音楽番組「音楽戦士」に娘。登場。先輩・後輩チームに分かれてのトーク。藤本さんが先輩チーム入り。6期とか言ってはいるけれど、実際は4期格、といったところか。それにしても先輩チームのうち矢口・石川二人抜け、今のオーバー20歳の「先輩チーム」はリーダー吉澤と藤本の二人だけ。いつの間にやら高橋が3番目の年長者になっている。そりゃ、もっとしっかりせな。

トークでは娘。内での自分の「担当」は、という問。「お笑い担当」と答えた小川と「キュート担当」と答えた道重だけが合格。新垣の「横浜担当」は説明がなければわからないが、説明がぶっ飛んでいて、「担当」話自体がぶっ飛ぶ。藤本涙を流して大笑い。ガキさんの天然ぶり、ここに極まる。

紺野の「のろま担当」ってそれは「担当」でもなんでもないだろう。もう一工夫必要。

亀井の「かわいがられ担当」も亀井らしいが、それも「担当」するものではなかろう。ちなみに司会陣からの「誰にかわいがられているの?」との問いに「藤本さんとか」。藤本「へ?かわいがってんの?」。相変わらずミキティ、反応よし。

田中の「担当なし」は、そういうしらけた答えをするのが田中っちの「担当」だとは言えるので、まずまずだが、高橋さん、あなたが「担当なし」と答えるのは駄目だよ。田中っちの回答にはポリシーを感じるが、あなたの回答は単に消極的なだけに見える。ここはひとつ「セクシー担当」ぐらいイケシャーシャーと言わなければ駄目なのだが、そこが高橋の性格的にも、ポジション的にもつらいところで、自分を落としきれないし、周りも落とさせてくれない。あそこで高橋が「セクシー担当」と書いて、「アホか、どこがやねん」と突っ込めるのは明石家さんまさんぐらいだろう。そのあたりの中途半端さが、娘。内での位置としての安倍なつみと通じるものを感じたりする。エースにはもっと分かりやすいメッセージが必要なのであって、安倍・高橋がエースになりきれないのはそのあたりだろう。

■ 雑な二人

一週遅れのハロモニの、さらに数日遅れの話題。

顔による相性判断とかいうコーナーで、なっちこと安倍なつみと愛ちゃんこと高橋愛の相性が最悪、という診断が出る。別にその診断内容自体はそれほど信用はしないが、しかし安倍さんと高橋さんの相性が悪い、というのはそんな気がするぞ。どっちも空気読まないし。人の話、聴かないし。

それで相性悪い者同士で二人羽織でざるそばを食べたらどうなるか、という実験をする。対するは相性良いもの同士の飯田・道重ペア。きちんと細かく指示を出す飯田さんに対して、「キャー、怖い」「ぎゃー、垂れる!」とわめくだけの安倍さん。そりゃ相性とか以前の問題でしょう。高橋さんは高橋さんで、「こぼさずきれいに食べる」というのが採点基準だって言っているのに、一回に大量のそばを箸に挟んで、安倍さんの口に押し込もうとする。こりゃだめだ。

2005年05月02日

■ 武道館デビューとか

アイドルとは確かに所詮虚像であるのは確かだが、しかしその虚像も、観客が貼り付ける「振り」をするのが最低限のお約束だと思う。もちろんそうした虚像をこしらえたくなるような演出はあるだろう。しかし観客がほとんど何もイメージを持つ前に「ミラクル」だ、「ゴマキの再来だ」なんだと製作サイドから言われてもそんなものを受け入れるわけには行きません。

なんかですね、古い話で恐縮ですが、横浜銀蠅の妹とか言う触れ込みで武道館デビューした岩井小百合さんとか、そんなのを思い出してしまうのですよ。岩井さん、デビュー後10数年ぶりかにテレビ東京の何かで見て、ああ、この人もとてもきれいで品のいい人なんだな、と、そのときの禍々しい宣伝のせいで見ようもなかった印象をはじめて持てたりした。確かにあの宣伝がなければ、私は岩井小百合さんなんて人を知ることもなかったのかもしれない、しかしあの宣伝のせいで、私は岩井小百合さんという人を私の「目」で見ることが出来なかった。

モーニング娘。はいまでこそそういうことを思う人もいないのかもしれないが、当初は観客が各々ストーリーを読み込んで、各々思い入れを持つ、そういう物語幻想に支えられてきたアイドルだったわけで、それには儀式もあればプロセスも必要なのに、そういうものを全て断ち切って、一方的に作り手がミラクルだ何だと言ってイメージを押し付けてこられても、少なくとも私はそれをまずは拒絶するしかないわけです。

もっと見せ方として、観客にイメージを想起させるような宣伝メッセージはなかったものか。プロデューサーのつんく氏の言葉の貧困さが恨めしい。

2005年04月30日

■ 遅ればせながらII

矢口さんの件について、いろいろ不安と楽観と、ない交ぜになった状態がしばらく続いたが、「うたばん」でのコメント出演を見て、安心。ハロプロにも残るんじゃないでしょうか。だったら卒メン組みとしてまた改めて絡みも見られるだろう、私はそれで満足です。

■ ようやく今の話題

娘。の新曲、「大阪 恋の歌」、テレビ披露を見る。思っていたよりもずっと良い。愛ちゃんこと高橋愛がメインで歌っているのが、ミニモニ解散以来、愛歌不足ぎみだった私にはとても耳に心地よい。なっち卒業以来はじめて娘。シングルを買ってしまうかもしれない。

2005年04月14日

■ ポジティブ

ヤグチこと矢口真里がモーニング娘。卒業、というか脱退との報道。

なんか明日の写真週刊誌に「スキャンダル」が出る、とかでその影響らしい。

意味がわからなかった。なちヲタだからあえて言うが、同様の「スキャンダル」はなっちこと安倍なつみにだってあったし、ほかもいろいろあっただろう。なのになぜ今回だけ?

でも一寸考えてみると、結局これは「懲罰」的な意味のものではないんだろうな、とある意味合点がいった。あくまで矢口さんが申し入れたという事務所の言い分は、多分そのとおりなのだと思う。矢口さんが何を考えたのか、正確に知る余地もないが、別にやめる必要もないものをあえてやめるといったのは、彼女の想いがあったからなのだろうし、それでソロとして自分の道を進む、というのは、きっかけはどうあれ、それ自体はよしとしなければならない、と思う。

モーニング娘。側から見ても、辻加護が卒業して、石川さんも卒業したのに、ヤグチ三だけが残っている、というのもいろいろ妙な感じもあるわけで。吉澤リーダーの下にゴロッキーズが頑張るモーニング娘。というのもそれはそれですっきりしている気がする。もちろん卒メンヲタとしてはほぼ完璧な「黄金期」が再現できるわけで(よっすぃーすまぬ)、実現性はどうあれ、妄想レベルではとても楽しみだ。

■ 自称強運の持ち主

Hello! Project -Official Site-がアクセスするたびに表示されるメンバーが変わるらしい、ということでヲタたちみなリロードにいそしむ。「らしい」というのは私は一発目でなっちだったので、もったいなくて、ずっとブラウザも終了ささずにそのままおいているから、ほかの場合を知らないからだ。

ネットで見ると20数回目でようやくなっちになったとかいう声もあったりして、なんだか私はとても運がよいのではないか、などと悦に入ったりしているわけだ。

2005年04月12日

■ ずっと少女のままで人を傷つける

一週間遅れでハロモニを見る。

大阪では本来の放送がなく、今後はずっと一週間遅れになるとのこと。どの道これまでもリアルタイムではほとんど見ていないのだから、どうでもよいようだが、やはり慢性的に一週遅れになるのは痛い。テレビ露出が減ったハロプロとりわけなっちこと安倍なつみの姿を拝める貴重な機会、なんとも痛い。

というわけで(というつなぎは今回についてはおかしいが)、一週遅れのハロモニ。バスツアー。こういう企画はやはり楽しい。久々になっちの「活躍」が目に付く。なちヲタ界隈での評判も上々のよう。

しかし、とこの期に及んでネガティブなことを書く。なんか目の辺りに変な力が入っているような気がするのだ。邪気がないというか、周りのことなんかなーんも考えていません、というような、とりあえず自分が目立てばOKというような、今で言えば亀ちゃんこと亀井絵里のような目が「まだ」見られない。逆に「もう」ある意味大人になっちゃったのだろうか、とも思ったりする。

と思っていたら、今週分のハロモニの映像のキャプチャーを某所で見る。静止画像なのでよくはわからないが、「本来の」なっちに戻っているように感じた。当てにならんな、我ながら。というかなっち、亀ちゃんとばかり絡みすぎ。前から絡む相手に斑はあったが、これはこれで心配。

2005年03月13日

■ 傷は現メンヲタの方が深いのかも

過去の曲を別のメンバーが歌い継ぐ、ということに関してはおのおの想いがあるようだ。私は歓迎する。曲は歌い継がれてナンボ、と思っているので。とくにオリメンヲタは「モーニングコーヒー」をほかのメンバーに歌われるのを嫌うことが多いようだが、私は全然かまわない。もうあの曲は安倍さんや飯田さんが歌うよりも加護ちゃん辻ちゃんとか、ゴロッキーズが歌ったほうが「らしい」だろうし、きっといいと思う。

ただ去年だっけ、ラブマシーンを娘。現メンバーで歌っていたのをテレビで見たが、あれはちょっとつらかった。あまりに歌も下手だし、パフォーマンス全体が貧相で。いや、卒メンヲタとしては別にいいのですよ。やっぱ昔の娘。のほうがいいじゃん、って思えばいいのだから。でも現メンバーも応援している身としては、あんなのを見せられるとつらい。昔のメンバーのほうが歌唱力あった、とは別に思わないけれど、団体としてのパフォーマンススキルはかなり差があるな、と正直そう思った。

過去の曲を別の人が歌うといううのは、リスクは過去その曲を歌っていた人にはなくて、今歌う人につくものなのだ。

■ ヲタ論争

一人一人の発言はその一人一人の責任の下でなされているのであって、その発言への批判もその発言に対して真摯に行え。当たり前のことだ。ある安倍ヲタの発言が気に入らないからといって、その話とは直接は何の関係もない「古傷」を持ち出して安倍ヲタ全体を中傷する奴がいるが、そいつは前にも何か揉め事を起こして、サイトを閉鎖していて、その原因となる書き込みをきれいに消して、リセットして復活。お気楽なものだな。もしまたややこしくなったら同じことを繰り返せばよいのだからな。まともにかかわるだけ無駄なことは確かだが、あまりに最低な奴を野放しにしておくほどこっちも度量が広くはない。

当たり前の話だが、そいつがものを書く資格のないどうしようもない奴だというだけのことであって、そいつが何ヲタか、なんてことは関係がない。そしてまた当たり前の話だが、そいつと同じハロメンを押している人にもすばらしい書き手がいることも私は知っている。

「某ヲタ」というのは自称として用いるのはよいが、他者批判に用いるのにはあまりにも危険なカテゴライズだ。以って他山の石としよう。

2005年03月09日

■ 言説の裂け目

あややこと松浦亜弥の恋愛が話題になっている。

基本的に私は松浦亜弥にはさしたる関心というか愛着を持っているわけではないので、そのこと自体に感慨もないし、それだけにここでことさらに何かを触れるのもよくはないだろうと思ったのだが、ふと思ったことがあったのでちょっとだけ書くことにする。

意外だったのはこの一件にショックを受けているヲタがかなりいるらしい、ということだ。

松浦亜弥は、私が思うに、徹底して言説化可能なアイドルである。それは解釈対象たるべき松浦本人が、己の解釈に対するメタメッセージを常に送信し続け、ヲタたちがそのメッセージを反復することによって成し遂げられている。

それゆえに松浦亜弥は相対的に非言説的な部分、身体性とでも言おうか、に対する依存の低いアイドルだと思っていた。アイドルサイボーグとも評される彼女は、あくまでその表に出るパフォーマンスに価値があるのであって、彼女が私の部分で何をしようが、あまりヲタも関心を持たないのではないか、などと思っていたのだ。

それは例えばなっちこと安倍なつみとは好対照を成す。安倍なつみは、数多くの言説の重なりにも、依然としてその空白を残す。安倍なつみは、己の存在を明確なメッセージで発することが出来ていないし、それに対応してヲタたちはその空白部分にそれぞれの想いを読み込もうとする。安倍なつみはそうして、芸・パフォーマンスよりも、その茫漠たる「人間性」で勝負するアイドルとなる。必然、ヲタの思い入れも深くなる。そしてその思い入れの深さが、同等の「スキャンダル」に対して極端な二つの反応を引き起こした。一方で幻滅、転じて「アンチ」の醸成、他方でいかなることがあっても見捨てない強固なヲタ層の形成。結果的に安倍なつみは、そのときの危機を乗り切った。

松浦亜弥の今回の一件に対する反応は、安倍なつみのときと比較してずっとクールなものに終わるものと想像していた。最終的にどうなるかは神のみぞ知る、だが、今のところの反応はやや(私が想像していたよりは)大き目、といったところか。

あるいは、とちょっとひねくれたことを考える。確かに今回の松浦亜弥の恋愛報道は、*アイドルとして完璧ではない*。完璧なアイドルとは、そのような「私」の部分をまったく見せないことによって達成されるのであって、「私」を見せても人気に影響しないのではなくて、「私」をそもそもまったく見せないことこそが望まれる。そういうことからすると今回の報道は松浦亜弥にとって重大な「傷」であって、その傷をこそヲタたちは惜しんでいるのではないか。

私はいわゆる構造主義者あるいはエスノメソドロジストよりも、物質性・空白に拘泥したアルチュセールのほうに共感するので、あややよりもなっちだし、こんかいのあややの「傷」に関してはむしろ肯定的に見ている。

2005年03月06日

■ 微かな影

結局ハロモニを見てしまった。

なっちこと安倍なつみ、復活。エンタも見られない、青年館にも行かなかった私にとって真の「復活」。これまでネットで情報を見る限り、すっかり通常通り、元気でよかった、などと聞き、そんなものか、と思っていたが、どうなんでしょう。

本当にいつも通りだったのだろうか。なんとなくいっぱいいっぱいなようにも見える。笑顔とかしぐさとか、そういう他愛ないことの一つ一つに「頑張っているな」というのを感じてしまう。あの一件、そして2ヶ月の活動休止に、当然のことながら彼女は無傷ではなかった。そのように感じた。

そのことを、しかし肯定的に受け止めようと思う。無邪気さは少し消えた気がするけれど、その分少し大人になったのかもしれない。そんな彼女をまた応援していこうと改めて思う。

2005年02月21日

■ 温故知新

初期娘。との関連で、なっちレビューで「ウソつきあんた」が披露されたらしい。「ウソつきあんた」といえば、ASAYANでのデビュー曲争奪戦で、なっちこと安倍なつみが完全に蚊帳の外だった曲。当時安倍さんは「モーニングコーヒー」にほれ込んでいて、「ウソつきあんた」は放置していた。そのとき「ウソつきあんた」を狙っていたのが若干13歳の福田明日香。結局この曲のメインヴォーカルは福田と最年長中澤裕子が獲得したと記憶している。安倍さんの感性にはまったくはまらなかった曲。

時は流れ、藤本美貴がカヴァーしたのを聴く。オリジナルの、やや不安定なヴォーカルに比べて、しっかり声が出ており、かつ曲にあわせたやや投げやりな雰囲気までよく出せている。上手い。ネットでこの曲を(不法に)聴き、私は藤本のファーストアルバムを買いに走ったぐらいだ。

そして今。完全にこの曲から遠ざかっていた安倍なつみが歌う。ライブで披露されたものだから上手下手は問うまい。藤本バージョンはともかく、オリジナルバージョンよりは曲の世界を表現できているように感じた。

いや、なっちも大人になったなあ、ということで。

■ 室蘭姉妹

今回のレビューは安倍なつみ、メロン記念日合同ということで、安倍なつみ・大谷雅恵の室蘭コンビの共演を非常に楽しみにしていたのだが、なかなか両者の絡み情報が入ってこない。まあ、天使とヒッキーじゃあなかなか絡みづらいか、と諦めかけていたら、ある日、二人で室蘭話で盛り上がり、ほかの3人を呆れさせた、とか言う情報を聞く。

やっときたよ。別にその映像が見られることもないだろうけれど、とりあえず話として聴いただけで、うれしくて仕方がない。

2005年02月17日

■ 空気売ります。プライス最高38万円

安倍なつみさんのレビューが終わる。私はもちろん東京まで出るだけの気力・体力・財力なく見送り。ネットでの情報集めに終始する。

レビュー参加者の中で、レビューの質自体に疑問を投げる声を聞く。いわく「楽しいのは楽しいが、果たして作品としての質はどうなのか?」という疑問である。

それは正直、とてもよく理解できるのだ。私も一度だけなちコンには参加したことがあるが、同じようなことを感じた。楽しいか楽しくないか、と聞かれたら、圧倒的に楽しい。いろいろ物足りなかったり、ぐだぐだだなと思ったり、なっち噛みまくっているよ、と思ったりしたが、それもこれもすべて「楽しさ」を後押しするという奇妙な状態だったが、しかし改めてこれを「安倍なつみを送り手とするショーとして批評せよ」といわれたら、辛口の採点をせざるを得ない、と思った。

この場合、評価方法は、安倍なつみのパフォーマンス、歌・しゃべり・煽り・踊り、そういったものを個別に採点して合計する、というようなイメージである。それだと、私は見ていないので断言は出来ないが、ネットでの表を読む限り、あるいはテレビでのパフォーマンスを見る限り、ハロプロ内で言っても、後藤真希や松浦亜弥のほうが上なのはほぼ確かであろう。

それではなちコンの評価をそれで決してよいか、というとやはりそれは違うように思う。現に参加者の多くはとても満足しているではないか。パフォーマンス不足を指摘する同じ文の中で、あえてそれでも「楽しかった」と言う文言がことさらに付け加えられるテキストの山。後藤コンや松浦コンでは、体調不良などでパフォーマンス不足が指摘されると、多くの場合、「次回は体調を整えてがんばってほしい」というような激励が多く見られるのとは対照的だ。そしてショーの本質を演者のパフォーマンスに求めるとすれば、正常なのは後藤・松浦コンでの反応だ。

要するになちコンは、売りものが違うのだ。安倍なつみの歌や踊りといったパフォーマンスを売っているのではなくて、「なっちがいる空間・その空気」が売り物なのだ。だから安倍が体調不良などで声が出ていなければ、「なっち大丈夫かな?」と心配する、それも売り物のひとつなのだ。

そんなのは邪道だ、という人はまじめな人だと思うが、やや視野が狭い。文化の本質論からして、歌にせよ、踊りにせよ、究極的にはそれらも別の何物かの代替、ありていに言えば「エロス」の代償に過ぎず、なちコンとそのレベルでは同じである。そしていずれも文化としては同じく王道である。

2005年02月13日

■ ハロモニ

ハロもにも淡々と復帰するだろうけれど、またもタブーを作っちゃった感じだしな。変にプライド高いところがあるからな。これを逆の契機にして、一皮剥ける、というのを期待しないでもないのだが、難しいだろう。誰かがうまく突っ込めるとよいのだが。

たとえばハロモニ復帰初日に中澤さんが安倍さん登場時にいきなり「お勤めご苦労様でした!!!」とか言えば、中澤さんを神と崇めます。

■ 通常営業

コンサート(レビュー)といい、テレビといい、案外あっさりした復帰だったようで。

あまりあっさりしていて、引きずらずに済んだのはよかったのはよかったのだが、結局あれは何だったのだろうとむなしくもなる。

今だからあえて言うが、やはり安倍なつみさんには何かを学んでほしかった。災い転じて福となす。この件は0にはならないのだから、マイナスもあれば得るものもあった、というのでないとただただ無駄な2ヶ月と一曲(発売中止になった幻の新曲)だった、ということになる。

2ヶ月間、反省のために普通のOL並みにお茶汲みをして社会勉強をしていたのだという。何がお茶汲みだ、と思う。「女性」タレントだからお茶汲みが「普通」だとさ。世間の、働いている女性の代表的な仕事がお茶汲みだとでも言いたいのか?教育とは現実に即しつつも一定の理念を提示するものだと思っていたが、ただ悪しき現実のみをなぞらせる。そんな教育からいったい彼女が何を学べるというのか。

散々書いてきたが、彼女の「罪」は言葉に対する安直な姿勢にある。彼女自身は、会見で「言葉たち」など擬人化するほどに愛着を持っているその言葉に対する姿勢が問われたのだ。だったら、発表するしないは別にしても、今回の一件を自らきちんと文章でまとめる、そしてその手助けをする人をつけてやる、など創作とは何かをきちんと知らしめる、それ以外に「反省」などというものはないだろうに。

■ 矢口の時代

どこでも触れられているので、いまさらだが、一応お約束ということで。

カウントダウンCDスペシャル恋人にしたいアーティストランキング、ハロプロ内一位、矢口真里さん、おめでとうございます。早く卒業してこっちに来い、ってリーダーになったばかりか、無理だな。

2005年02月11日

■ 画竜点睛

コンサート部分、メロン記念日の出演は最後だけだったらしい。しかもメロンの曲はなし。ちょっと残念。どうせなら最後全員で歌う曲、「肉体は正直なEROS」にしてくれたら、って歌うわけないか。

■ 何にも言わずに・・・

在宅(現場に行かない引きこもり系ヲタ)なので、別に何がどうということはないが、なぜか珍しく朝早く目が覚めた。

昼過ぎからややそわそわしつつ、ネットで現場の声を拾いながら、声援を頭の中で聞く。

なぁぁっちぃ!なぁぁっちぃ!なぁぁっちぃ!

なっち最高!なっち最高!なっち最高!

2005年02月08日

■ 誤解か、否か

繰り返して見たくはなかったし、久々の仕事で忙しかったので、ネットだけで情報を知る。

Yahooアンケートなるものへの蛆虫どもの粘着はどうあれ、きちんと己のサイト(ブログ)でものをいっている人たちは、意見はどうあれ、それなりにひとつの見解として読むに耐えるものがほとんどだった。厳しい意見ももちろんあるが、それも当然ありうべき意見、ヲタとして(だけでもなく)多少突っ込んでみていると少し的外れと思うものもあるが、少なくとも今回の件からその人が受けた印象はそれ自体として理解できる。

そうしていろいろと情報を集める中で、改めて、今まではなるべく言うまいとしてきたが、事務所への怒りがこみ上げてくる。「引退勧告」を事務所がしたという。いったい何様のつもりだ。事務所は裁判官の立場ではない。安倍なつみと同じ立場だ。前にも書いたが本の裏書を見てみるがいい。編集責任者の名前に事務所の人間の名前が連なっているではないか。出版物の体外的な責任は編集者にももちろんある。くだらない連帯責任などではなくて、完全なる当事者責任が存在するのだ。安倍なつみが謝罪する必要があるのなら、編集責任者も謝罪が必要だ。安倍を断罪することで己の責任をぼやかそうというのなら、最低だ。

もう一点。新曲として予定されていた「鳴り止まないタンバリン」がお蔵入りするかもしれないという話。4月に新曲を出すが、それは「鳴り止まないタンバリン」とは別の曲だという。なぜだ。理解できない。安倍なつみは罪を犯したかもしれないが、曲には罪はなかろう。なぜこんなことで曲が葬られなければならないのか。

いずれもあまりに理不尽ゆえ、もしかしたら私が完全に誤解しているのかもしれない、とも思う。事務所は敢えて悪役を買って出て、安倍なつみへの同情を喚起したのではないか?とか「鳴り止まないタンバリン」はこんなごたごたの後ではなく、復帰第二段として堂々と発表するつもりなのではないか、とか。

2005年02月07日

■ 復帰会見

TBSのワイドショーで会見の模様をやっていたので、見た。録画しようか迷ったが、やめた。

見た感想。

安倍なつみは私が思っていたよりずっと強い子だった。

ほかのネット言説者、とりわけアンチ気質のあるものたちの反応などもはやどうでもよい。私は立派だったと感じた。それで十分だ。

どうでもよい、といいながら一言釘を刺しておく。ファンサイトでも「一生かけて償え」などと寝ぼけたことをいっているアホがいるが、お前のようなやつに「一生」などという言葉を使ってもらいたくない。安倍なつみのためではなくて、言葉のために、お願いだからやめてくれ。安倍なつみの罪は言葉を軽々に扱ったことだ。しかしそれを「糾弾」するものたちの言葉こそ、およそ耐え難いほど軽すぎる。

2005年02月06日

■ もういくつ寝ると

なっちこと安倍なつみが週明け(明日?)復帰会見を行うといううわさが流れ出した。

「いよいよ」「やっとか」という心境ではない。むしろ逆だ。「え?もう?」「もうちょっとゆっくり休んでいたらいいのに」。

待ち遠しさとは逆に、明日なんて日が来なければいいのに、とさえ思う。何度も書いているが、謝罪なんて意味ないし、意味ある謝罪なんて無理ですから。

「アホなことをしました」。「元作者および関係者の方には本当に申し訳ありません」。「仲間にも迷惑をかけました」。「ファンの人たちにはご心配いただきました」。

それだけだな。それ以上言うべきことは何もないはずだが、知性の欠落した「レポーター」と称する連中は「ネット情報」などというものを頼りに、くだらないことを言うだろう。そしてしたり顔でこういうのだ。

「そもそもなんでこんなことをしてしまったのか、その辺についてもう少し詳しくお話いただけると助かるんですが」。

「なぜ」。悪魔の問いだ。「うっかりした」。「魔が差した」。どんな回答をしても納得されないだろう。そもそも本人がわからないはずだからだ。

会見なんてものは「形式」なのだから、「なぜ」などという「内」に踏み込むことまで聞くものじゃない。結果報告が出来ればそれで十分だ。

それから会見開くのなら、もちろんハロプロメンバーなんて呼ばなくていいが、出版責任者は立ち会えよ。プロの小説家が剽窃をやっても、もっと出版社が表に出てくるものだ。まして今回は事務所からも「エグゼクティブディレクター」なんて肩書きのものまでつけて出しているのだから、頬かむりはないよね?

2005年02月05日

■ 長期休み明け

誤解している人がいるみたいなのであえて言っておくが、なっちこと安倍なつみの「自粛」はもう明けているんですからね。今は活動休止中。出てくるタイミングを計っているだけ。

もともと私は2月11日復帰でよし、と思っているので、いきなりアウェーでの記者会見をすることはなんて期待していない。まずはホームグラウンドからそろりと始動。それが安倍なつみさんの心情からして妥当でしょう。長く学校に行けなかった子どもが久々に登校するときと同じ。最初の一歩に勇気がいる。それをクリアできてしまえば、後はどうとでもなる。

というわけで、私はいかないので他人任せだが、レビュー参加者の方々、せいぜい励ましてやってください。

2005年02月02日

■ 意味不明

もう散々あちこちで突っ込まれているので、もういいですけれど、

「結論」が出ず、引き続き活動自粛

って、はっきり言って意味がわかりません。何の「結論」なんですか?もうあほらしくて何もものを言う気力もない。

事務所がアホなのか、その記事を書いた記者がアホなのかはわかりませんが。

まあ、なっちこと安倍なつみさんの気持ちの整理がまだついていない、ということなら、仕方がない。待ちましょう。

2005年02月01日

■ 新時代

飯田圭織の卒業を持ってモーニング娘。の前史が終わり、新たなハロプロの時代が到来する。

モーニング娘。はモーニング娘。で歩んでください。卒メンヲタとしては中澤裕子、飯田圭織、安倍なつみによるオリモニ。(オリジナルモーニング娘。)とか、安倍なつみ、後藤真希によるなちゴマとか、保田圭、辻希美、加護亜依を加えてゴルモニ。(黄金期モーニング娘。)とかそういう妄想ユニットに萌えることにします。

矢口、早くこっちに来い。

■ 歴史と断絶

それにしてもいまさらながら気に入らないのは、飯田さんと同時に石川梨華の卒業を発表したことだ。なんか飯田さんの卒業が「過渡期」的な感じになってしまうじゃん。ま、事実そうなんだし、というかモーニング娘。自体が常に現状を「過渡期」として止揚しつづける運動体に他ならないんだけれど、それでもそうした変化一つ一つに愛着と敬意をもっと持たせてもよいのではないか、と。変化とは絶えざるものでありながら、そこに後戻り不可能な断絶を設けることによって「発展」と表象されうるものなのだ。中澤裕子卒業のときのような高揚感をうることはもはや無理にしても(それも後戻り不可能な時代の話だ)、もっと「歴史」への敬意があってもよいのではないか。

■ 「君はなちヲタであるか?」「そうだ」

ハロプロ新時代の幕開けとともに「頭を使いたくもない」出来事で姿を消していた人が復活するはずなのですが、音沙汰ありません。まあいまさら急ぐこともないので、一番よい復帰をすればよいので、2月11日の復帰でよいと思いますが。

「プレイボーイ」誌でダウンタウンの松本人志、この一件を「頭を使いたくもない」、「何が問題なのかわからない」。被害者が許しているというのに何をごちゃごちゃいってんねん、という趣旨。普通はそれで終わりの話だよな。それでいまだ終わりにできないのはパラノイア的な執着に他ならない。もちろんヲタは執着するんですがね。

2005年01月27日

■ 右翼はいても保守主義者はいないらしい

うたばん。かおりこと飯田圭織最後の出演。なのにテレビ欄には「モーニング娘。」の「モ」の字もない。

モーニング娘。出演場面はこの番組定番のクイズ。それはそれで面白かったが、飯田さん卒業企画はないの?

それでとある大手娘。ファインサイトの掲示板を見に行く。さぞかしこのことで紛糾しているだろうと思いきや、後藤真希のアルバムに松浦亜弥がシングルリリースしたばかりの「渡良瀬橋」が収録されている、とかいう事でなにやら紛糾していた。そんなのどうでもいいだろう。オリメン最後の出演がこの扱いだよ?もっとこう、なんというか、「歴史」に対する敬意みたいなのが欠落していないか?

■ 世界革命へ

ハロプロ関係のファンサイトでは「推し順」を公開している人が多い。私はあまり順位付けを厳密にやるというのが好きではない(上位はともかく、下位までそれをやるのは下位に順位付けをしたメンバーに対する否定的表現に他ならない)ので、それをサイトで公表するとか以前に、己の中で順位をつけることも敢えてしないようにしてきた。

とはいっても今現在、なんとなく気になるメンバーを挙げておくぐらいのことはいいんじゃないか、そうでないと安倍なつみ「右翼」(ハロプロ界隈の用語で「DD」の対概念とされる。なぜか「左翼」という言葉は使われない)と思われるだけというのも癪に障る。もちろん私は「右翼」ではなくて単に原理主義者にほかならず、もっと言えば安倍なつみ「トロツキスト」なのだが、「革命家」が禁欲的でなければならない、というのも悪しきスターリニズム、ここは敢えて享楽的な側面も押し出すべきであろう(などと屁理屈をつけてしか「萌え」話ができない様を笑いたければ笑え)。以下、順不同(偶然に思いついた順)。

ミキティこと藤本美貴。加入当初は安倍さんの天敵ともうわさされる。私はそういう(他人の)揉め事が大好きなので、ソロのころより注目度大幅増。なんというか、「男の子」好みのさっぱりした雰囲気がよい。安倍さんが面白くもない話を一生懸命しゃべってくれるというイメージなのに対して、藤本さんはこっちの話をダル気に聞き、最後に「ふーん」と冷たくあしらう、というイメージ。オジさんもミキティに冷たくあしらわれてみたいです!

愛ちゃんこと高橋愛。安倍なつみをボケ方向に大幅拡張したバージョン。安倍さんが、本人的には空気を読んでいるつもり(で実はずれまくっている)のにたいして、高橋さんは「空気」なる概念を知らない感じ。周りをしばしば呆然とさせるが、本人はまったく気づかない。安倍さんとの相性は悪い。というか、安倍さんは高橋さんに冷たい。あのずれ振りが(自分は棚に上げて)気に入らないのだろう。

マサオこと大谷雅恵。私の中でハロプロ内で恋人にしたいNo1。友達がいなくて、家に引きこもっているのが好きで、愛想がなくて、笑顔が硬くて、髪型がいびつで、ある意味安倍さんとは対極的。ThinkPadT40も愛せるけれど、Let'snoteR3も愛せる、ということで。

続きはまた気が向いたときに。

2005年01月22日

■ THE マンパワー!!!

Mステーションでモーニング娘。の新曲を見る。

なかなかいいんじゃないですか。久々に「黄金期」の娘。を髣髴させる雰囲気で、メンバーおのおのに見せ場もあって、私は好きです。

ただ楽天という外部向けの応援歌としてはいまいちかな。そういうのはもうちょっとメロディーがキャッチーでこなれた感じのほうが、それらしかったかも。

ただこの曲名ってあまり「PC」じゃないよね?

2005年01月19日

■ 安倍なつみの言葉

いまさらながら蒸し返すのは安倍ヲタとして失格といわれればそうだと思う。しかし、私にとってあの一件は安倍なつみという人を捉え返す貴重な契機となった。私はだからあの問題に拘泥し続けるだろう。それは確かにやっていることはアンチと同じかもしれない。ただ私がアンチを軽蔑するのは、彼らがパラノイア気質の持ち主だからではない。そうではなくて、むしろ逆に、物事の表面しか見ずに、自らものを突き詰めて考えることを放棄している連中だから軽蔑の対象となるのだ。

私が安倍なつみという存在に惹かれ続けるのは、彼女の存在のある種の希薄さゆえだと思う。それは「弱々しい、だから守りたい」という類のものではない。そうではなくて、もっと言説的存在としての希薄さだ。その希薄さゆえに、たとえば松浦亜弥のように、存在から発するメッセージを持たず、逆に観客がさまざまなメッセージを存在から読み込もうとする。そしてその解釈に容易に染まる。まるでどんな色にでも染まりそうな、しかし染めても染めても常に色がつかないこの「純白」さ、どんな解釈も許しながら、しかし常にその本質を取り逃がす「神秘」性。

安倍なつみは己の言語を持たない。人の言葉の中に己を見出す。そうであればこそ、彼女の一人称はいまだ「なっち」なのだ。そして後輩メンが増えたころに「安倍さん」という一人称も加わる。一人称「なっち」から「安倍さん」への推移は彼女の成長ではない。周囲の呼び方の変化を反映したものに過ぎない。まるで幼児が手に取るものを一つ一つ口に含もうとするがごとく、安倍なつみは出会う言葉一つ一つを己の心と触れ合わす。言葉を持たないがゆえに言葉へのセンスが磨かれることもあるのだ。それは歌い手としてはむしろ望むべきことなのかもしれない。

少なくとも私はあの一件の前より、むしろ後のほうに、言葉の使い手としての安倍なつみに興味を持つようになった。思い返せばコンサートMCでのたどたどしい語りの中に見える彼女自身のもどかしさ、それは言葉を操ろうとするものが突き当たるもどかしさと同質のものだ。

2005年01月13日

■ なちコン

参加もしない「レビュー」とやらに気を揉むのもおかしな話だが、参加する人には、まあなんというか、せいぜい励ましてやってよ、っていう気分。

客が気を使うのも考えようによってはおかしな話ではあるのだが、一度だけ参加したなちコンを思い起こしてみても、なんとなくそういう双方向的な空間として成り立っているのだな、などと了解できてしまう。一方がパフォーマンスを見せ、他方が応援する、という双方向ではなくて、おしゃべりな女の子がいろいろだらだら、それでも一生懸命しゃべっているのを、面白くなくても「うんうん」と一生懸命耳を傾けてやる、という、それで二人は幸せ、というアホカップルのノリのような。

要するにあれだ、なちコンというのは、ショーを見に行っているわけではなくて、一種のデートなんだな。で、今日は仲のいいお友達連れてきましたぁ、え?二人のほうがよかったのに、ま、いっか、とか。客観的に見れば不気味な空間だが、そういうことだ。

あ、ちなみに私は「お友達」も大好きなんで、大歓迎ですよ。

2005年01月10日

■ 世間なるもの

何が気に入らないって、結局判断の根拠が「自分」じゃなくて「世間体」だということだ。「私」が安倍さんのやったことが気に入らない、復帰はまだ早い、というのであればチケットを払い戻せばよいことだ。それが一番の意思表示になるだろう。それは安倍さんにとっても事務所にとってもとても痛いことのはずで、でもそれは己のやったことに対する正当な反応だから、受け止めるよりない。

しかし今度の復帰公演を巡る議論はそうではない。ファンの出迎え方をマスコミ、世間は見ている、そうしてファンが歓迎ムード一色で出迎えると結果的に安倍さんのためにならない。そういう意見が散見される。

あなたはどうなのよ、と聞きたくなる。

テレビとかじゃなくて、安倍さん名義の公演の話ですよ?安倍さんを見たくてお金を払う人たちが集まる場ですよ?そんな場でのファンの出迎え方に世間とかマスコミとか、何の関係があるというのか。ファンが安倍さんを甘やかせているととられかねない、などとのたまう。ファンなんだから「甘い」に決まっている。それが「ファン」の定義みたいなものだ。

安倍さんより歌がうまい人は五万といます。安倍さん程度の歌唱力でCDを買う人がいるのは安倍さんの歌唱への向上を妨げ、スポイルしてしまいます。

少なくとも「世間」は安倍さんのCDなんて買うやつには共感していない。別に安倍さんに限らない。もちろんハロプロにも限らない。世間とファンとのほとんど定義レベルの当たり前のずれだ。

要するにある事象にコミットしていない人間集団のことを「世間」というのだから、早い話当事者性を持たないのが「世間」なのだから、そんなものに何かの判断をゆだねるのは端的に間違っている。物事を判断するのは「世間」ではなくて、あなただ。あなたが安倍さんをいまだ許せない、というのなら仕方がない。私はこの問題にそこまで悪しき物があるとは思っていないし、少なくとも「世間」が安倍さんを糾弾できる資格もありはしない、と思っているが、それはおのおのの判断だ。ただ私なら、仮にこの期に及んで安倍さんの行為が許せない、と感じる価値観を持っていれば、いまだにファンであるという自己認識も持たないだろうし、そういうスタンスにも立たないだろう。ファンとして、安倍さんを教え導く、ファンとはそれほどにまで「偉い」ものだとは思わないので。

■ 「抑圧」

遅ネタだけれど、安倍なつみさん復帰公演の概要がだんだん明らかになってきました。メロン記念日と競演?すばらしい。とても期待しています。なちヲタにして大谷雅恵推しとしてはこれ以上ない取り合わせじゃないですか。見に行かないけれど。

その復帰公演の初日の「迎え方」を巡って、ヲタ内で論争が起こっています。サイリュームの色を統一して、盛大に出迎えよう、という提案をした人たちがいて、それに対して、そういう盛大なのはまずいんじゃないか、という反論をする人たちがいる。

正直よくわからん。出迎え方にもっといいものがある、という議論なら、わかる。でも、そうじゃなくて、「悪いこと」をしたのだから盛大なのはよくない、というのがまったく理解できない。「悪いこと」に見合うことは紅白出場辞退をはじめ、ずっとやっているじゃない。で、ようやく復帰というときもまだ頭をたれろ、と。安倍さんもそのヲタも2ヶ月じゃ足らん、もっとずっと長い間頭をたれ続けろ、と。

別に安倍さん関係じゃなくても、そういう「非寛容さ」が「正しい」意見としてまかり通るのはとても気分が悪い。狭量な正しさはファシズムへの道、というのはいささか飛びすぎか。しかし小泉ほか政治屋をはじめ、マスコミ、ネットの名無しずれ、芸能レポーターまでもがそうした狭量な正しさを押し出す世の中、ファシズムにはいかねども、とても精神状況が貧困であるのは確かである。

モーニング娘。7期オーディション、結果は割りとどうでもよいが、その特番、ふざけるな、と思う。モーニング娘。の歴史を振り返るコーナーで、中澤さん、後藤さんがコメント出演して、安倍さんの出演がないのは別にいいですよ。でも過去の映像からも安倍さんの名前を削るというのはどういう了見か。平家さんとか福田さんとか市井さんとかは本人の希望とか権利関係とかでややこしい部分もあるだろうから、あまり大々的に取り上げづらい、というのは、まあわかりますよ。でも現在もハロプロに所属している安倍さんを「いなかった」ことにするのは酷い。「傷物」は埋葬してしまって、「正史」からは消し去りますか。そうやって歴史を書き換えて、体面作りですか。

で、「エース」にふさわしい人材がいました、新メンバー、安倍なつみです、とかだったら、、、、泣くな。

2005年01月01日

■ 隠し芸

なっちこと安倍なつみがテレビには出ないので、それ以外にテレビの正月特番には用は無し、近所の神社見物に出かけ、年賀状と今年の手帳を買い、早速今決まっている今年の予定を書き込むなど本来の正月らしい一日を過ごす。

それでも夜は後藤真希と松浦亜弥と加護亜依と辻希美と高橋愛と矢口真里と飯田圭織と大谷雅恵に免じて隠し芸を見ることにした。

東西の分け方の根拠が分かりません。

2004年12月31日

■ 紅白

なっちこと安倍なつみの出ない紅白なんて見る価値なし、と放置するつもりだったのだが、Wと藤本美貴と高橋愛と田中れいなと後藤真希と大谷雅恵に免じて見ることにした。

2004年12月29日

■ 太陽と果実

ALBUM入手のためにそういう類の書店に行ったので、ついでに一冊。

メロン記念日・太陽と果実

メロン記念日・太陽と果実

大谷雅恵さん推しとして。

えー、露出が多いほうがよい、という一元的価値観は持っておりませんが、それでも一目大谷さんの露出が有意に少ないんですが。

どうでも良いけど、同じ室蘭出身なのに安倍なつみさんと大谷雅恵さんの絡みをほとんど見かけないんですが。というか、大谷さんが誰かと絡んでいるところがほとんど見ないんですが。

■ ALBUM

いまさらながらだが、

ALBUM―1998‐2003

ALBUM―1998‐2003

入手。

「陽光」とほとんど同じ構成。作品としての出来は「陽光」には劣る。この差は出版社の力量の差か。ただし、「ALBUM」もこれはこれで、「陽光」のしっとりとした仕上がりに比して、ポップな仕上がりで悪くはない。

文章は相変わらず退屈。中澤裕子さんの「ずっと後ろから見てきた」と比較しても、同じタレント本とはいえ、文章自体は安倍なつみさんの2冊のエッセイのほうがかなり読みにくい。いずれも編集の手はかなり入っているものと推察するが、そもそもの語りのストーリー自体が安倍さんのはごちゃついているのだろう。一貫した流れで己の歩みを語る中澤さんに対して、その場その場の思いを一気呵成にしゃべり、それがだらだら反復される安倍さん。コンサートでのMCを髣髴させる。なるほどこれが「なっちワールド」なのかもしれない。

基本的に論理のない感性だけの人だから、表現手段として「詩」に飛びついたんだろうけれど、詩だって言葉だからなあ。確かに安倍さんには独特の世界があって、歌は後浦なつみで一番下手だろうが(しかし松浦さんはともかく、かつては同等だと思っていた後藤さんに負けているというのは後藤さんが上達したのか、安倍さんが下手になったのか)、コンサートが内輪受けしかしないものだろうが、写真集が概して不人気だろうが、それでも安倍さんにはきっと何かがあって、それは「陽光」のような作品を生み出させた「何か」なのだが、それを安倍さん自身が自ら見つけようとしてもがいている、というところか。

多分その「何か」は安倍さんの中にまとまったものとしては存在していなくて、ハロプロメンバーやらスタッフやらに囲まれて、助けられて、その中で光り輝く類のものなのだと思う。だからモーニング娘。卒業はやめておけとあれほど、言ってないけど。

2004年12月22日

■ 積年の

なっちこと安倍なつみの現状について「アサヒ芸能」とかいう週刊誌で記事になっているらしく、それによると安倍さんがハロプロメンバーへ謝罪メールを送ったが、それが一斉送信だったので、後藤真希さんが激怒、とかそんなの。あほらしい。いまどき安倍・後藤不仲説なんてはやんねーんだよ。今の流行はなち・かお関係だな。かおりこと飯田圭織さん本人と安倍さんとの仲は、まあむにゃむにゃというところだが、かおりヲタの安倍さんへの反応の厳しさには正直たじろいだ。アンチとかそういうのではなくて、純粋にかおりヲタとしての率直な反応。例えば、かおり卒コンに間違って安倍さんが出ようものなら、またもや「いいとこ」全部持っていかれる、絶対来るな、とかそういうの。長年積もり積もったものがあるようで、これまで安倍さんもそのヲタも随分能天気に無神経に振舞ってきたんだろうな、と改めて気づかされたりした。

2004年12月21日

■ FLASH

なっちこと安倍なつみ、今は事務所で社会勉強中だとか。

いまさらなんじゃ、と思いつつ、まあ、それなりに元気でいるようなのでよかった。

しかし真に「勉強」すべきなのは、あの程度の「盗作」を見過ごしたスタッフのはずなのだが、そっちもきちんとやっているんだろうな、とだけ言っておく。

2004年12月16日

■ 反省

あまりうだうだ書いていると本当にただの逆恨みにしか見えないな。反省。

いやなら見なければよい、と言うのはヲタがアンチに対して言う言葉、同じ事でアンチを見たくなければ見なければよいだけのことだ。それでも視線が引き寄せられるのは、視線を向ける私が病んでいる、と言うだけのことか。

■ アンチと言う人種

いまさらながらだが、そしてもう半分どうでもよいのだが、「アンチ」と呼ばれる人種、その精神の病み、いたたまれない。ただしその手の「病んだ」人たちと言うのはいつもどこにでもいるものだが、2chを代表とする言説の掃き溜めがそういった心性を助長し、「名無し」を隠れ蓑にすることで、他者ではなく、己自身を偽れてしまう。もちろん「アンチ」が憎悪し、さげすんでいるのは叩いている相手ではなく、己自身なのだが、そのことの見過ごしを「名無し」として書き連ねることで行う。書き捨てられた言葉は書かれたその瞬間から書き手にとって疎遠なものになる。己の書いた文字を見ても、それが己の映し鏡であることに気づかずに済むわけだ。

別に安倍なつみ問題だけの話をしているのではない。またハロプロヲタだけの話をしているわけでもない。ただ、ハロプロというメンバーたちの帰るべき場所のそのすぐそばで、こうした破廉恥な行為が積み重ねられている、というのはやはり同じヲタとしてとても悲しむべきことだ。

2004年12月10日

■ 写真集と文字

盗作とされる第一作、写真集「ナッチ」を発見。買おうかとも一瞬思ったが、この写真集はあまり好きではないので。持っていないのになぜ好き嫌いが分かるのだ?「著作権・肖像権侵害だらけだぜ、インターネット」。

同じ写真集なら先日入手の「出逢い」の方が数段上。ただたしかにただただ写真が並ぶだけより、写真に加えて安倍さん自筆の「何か」があったほうが「萌える」意味はある。某ラジオパーソナリティ(?)が写真集の中に詩などが書いてあるのは「オナニーの邪魔」と言ったとか読んだが(ちなみに安倍さん擁護の文脈らしい。いい人だ)、他の写真集はともかく安倍さんの写真集はそもそもそういうノリのものじゃないし。実際安倍さんの写真は他のグッズに比べると売り上げは相対的に低いらしい。早い話「使えない」という評価が定着している。

閑話休題。写真に自筆の「何か」を添えたほうが、安倍さんの写真集においては確かに作品性は上がるのだが、しかし下手なことを書いたら盗作だ何だとなる。大切なのは文字の中身(データ)ではなくて、自筆のビジュアルなんだから文字は安全なものを用意しておけ。どうせなら、全部おしゃれにアルファベットにするとか。

Wie deutsche Ideologen melden, hat Deutschland in den letzten Jahren eine Umwalzung ohnegleichen durchgemacht.

DIE DEUTSCHE IDEOLOGIE K.Marx, F. Engels

多分、安全。いかが?

■ 盗作発見

ははは。私はやりましたよ。安倍さんの「盗作」。まだ全然報道されていない「盗作」。

ハレのちアメのちぃー

スキィー

さあ、つんくよ、訴えるのだ!!!

2004年12月07日

■ 「陽光」についてIV

いよいよ「陽光」を見ていくことにしよう。まずは、といいながら、手元にあるのは今はこのテキストともうひとつの「詩」だけなのだが、さしあたり序文として書かれた「マエ」なる文章を見てみよう。

人に会うのが怖かった

目を見て話す事 出来なかった

自信がなかった 光が見えてる様で

見えてなくて 不安で 仕方なくて(イツモ心でいっぱいHelpヘルプって)

でも 皆んなに 愛されたい気持ち

は沢山−いつもあった。。。。

「陽光」

もしこの調子で、この本全体の文章が書かれていたら、私は3ページで読むことをやめるだろう。いや、もしこの文章が安倍なつみが書いたものではなく、どこぞの学生なりが書いたものだとしたら、5行で読むのを止める。

私がこの本全体の、活字になっている部分はほぼ全て編集という名のゴーストが書いたと断じたのはこの理由による。安倍さんはおそらく「文章」は書けない人なのだと思う。一貫したストーリー、まとまった論理でもって物を書くことはおそらくできまい。

そこで安倍さんが選んだ言語表現手段とは「詩」である。なるほど、「詩」ならば「てにをは」すらまともに付けられなくとも、感性に言葉を当てはまるだけで何とかなる、だろうか。それが本質的に大いなる錯誤なのだ。

ありがちの、しかし私には特に実感のない例を出す。「デッサン力のないものは抽象画を描けない」。同じことだ。文章、最低限の作文、がまともに描けない人間は詩など書けないはずなのだ。

その前提を欠いて書かれた「詩」などは、単にその場その場の雰囲気だけで選ばれたありきたりの表現の、無作法な反復にしかならない。これは安倍なつみについてだけ言っているのではない。およそ10代から20代前半の書く「ポエム」なるものは大方この手合いだ。それは言葉の持つ「論理」と格闘することをただ逃げ、単に自分にとっての快不快のみで場当たり的に言葉を当てはめていき、何事かを創作した気になっているだけなのだ。

だから例えば安倍さんがおそらく自力で書いたであろう詩はこのような仕上がりになる。

こんなサミシイヒトノ

まっくろ。

あなたに想いを・・・・

あなた 思う−

幸せで

笑っててほしい。

ゆるやかな流れ

涙 流して

言葉にならない

ため息

言葉の使い方もばらばら(想い・思う)。漢字、カタカナ、ひらがなの使い分けの根拠も見えない。句読点の使い方にも一貫性がない。何より「世界」が見えてこない。書き手は誰か、「あなた」は誰か、それを読者に見せてくれるものが何もない。全く具体性を書いた世界にただ言葉だけが漂っている。

言葉にはリズムがない。途切れ途切れに言葉が並んでいるだけだ。その言葉一つ一つは何かしら抽象的かつ美しげで、要するに「ポエム」に反復されがちなもので、その選択にも、使い方にもオリジナリティがない。

このような「ポエム」の創作過程はおそらくこうだ。つらつらと既存の言葉を眺める。その中で、今の心情になんとなくはまる言葉を選び出す。後はその言葉に「合う」とそのとき思った言葉をつないでいく。

ここには表現の一切に関して「所有」という概念が浮上してこない。何よりもその前に「私」が存在しているようで、実は存在していないのだ。「私」はひとつの世界を構成する一貫した存在としての「主体」ではなく、ただただ場当たり的にその場その場に感性を生起させるだけの存在に過ぎない。そのような存在が何かを「所有」することは出来ない。

だからこの手の「ポエム」作者はおそらく原始共産制の論理の中にいるのだ。誰が作った言葉でもいい、今の私の気持ちに合うものであれば、それは私の気持ちの表現物だ。重要なのは今の私の気持ちを表現してくれそうな言葉がそこにあることであって、その出自は問われない。

だから「盗作」したとされる詩も、「盗作」という言葉の中に人がイメージする他人の物の「借り物」のような後ろめたさも、疎遠さもなかったであろう。安倍さんのそのときの文脈上の感性にぴったり嵌った、ただそれだけのことであり、後ろめたさどころか主観的には完全に「自分のもの」でしかなかったであろう。確かに盗作以外の作品と、言葉の疎遠さという点では全く同じレベルなのであって、しかも上手くすれば言葉の使い方がより巧みなのだから(その原因は考えない)、より感性にぴったり来るというのは当然のことだ。

このような詩の「創作」過程は、おそらく素人作詞家たちの間では普通になされていることだと思う。女子高校生同士が自分たちの創作ノートを見せ合う、などというのはほとんどこのレベルだろう。要するに安倍さんのやっていた「作詞」とはそのレベルから一歩も出ていないのであり、最初から「作品」などではないのだ。

安倍さんは「著作権」を勉強しなおして、反省してほしい、とファンが訴える。もちろん正しい。しかしそれだけでは彼女は創作上の「禁止」事項を事後的に知っただけだ。それを今まで知らなかったことはもちろん恥じ入るべきだが、しかしそれとてもその反省は外在的なものにとどまる。もしファンとして安倍さんの今後の成長につながる反省を求めるのであれば、それではたりない。問われるべきは彼女の創作に向かう精神そのものなのである。

■ 小括

私は下記の文を、安倍なつみさんに突きつける心持で書いたわけでは全くない。ただ「盗作」という言葉の中にある邪気、そのようなものが安倍なつみの心の中に芽生えた瞬間はおそらくなかったであろうことを、従ってこのぐらいはいいだろうというような「その瞬間」を追求することはおそらく内在的な批評という面から言えば、的外れであろうということを言いたいだけだ。

私が思う安倍なつみの(積極的な)過ちは次の二点である。

  1. 言葉で何かを創作するそのときの構え
  2. 上記構えで生産されてしまった「作品」を公にしたこと

この2点の過ちの、いわば必然的な帰結として、「盗作」という対外的な「罪」を犯してしまったのだ。

繰り返しになるが、しかし、この主張を安倍さんに突きつけようとは思わない。むしろ逆に、良心的なヲタたちが「これを機会にしっかり反省して、一回り大きくなって」云々という主張を「やめておけ」といいたいぐらいだ。

今は周りの人たち、とりわけメンバーたちには理不尽なまでに「いい子、いい子」してあげてほしい。手術は体力の回復を待って行う。傷が癒えずして反省は出来ない。

■ 終わりに

私は下の文章を、なっちこと安倍なつみを変わらず応援し続けている愛すべきヲタたちに向けて書いたのではない。かれらは私の目指すべきものであって、何かものを述べる対象ではない。またなっちこと安倍なつみにむけて書いたものでもない。もちろん「アンチ」どもに向けて書いたものでもない。

今回の一件を最初に聞いたときに私の中にあった否定的な思い、それをきちんと意識化し、文章に残した。つまりこの文はそのときの私に向けて書いたものである。

これで今回の一件についての私の総括は終わった。後は、既に先に進んでいるヲタたちに追いつき、マターリ前向きになっち復活のときを待つべさ!

■ 批評へ

今日から東京出張。たぶん更新が鈍る。出張先に「陽光」を持っていきたくない。本が傷むから。

私はデータとしてではなく、「物」としてこの本を気に入ったので、「物」として大切に扱うつもり。

これからここでやろうとしていることは、安倍なつみクリティーク(批評・批判)に他ならない。大方の「無責任」な「盗作」問題への言及に対してのデモンストレーションとしての意味合いが強い。前にも書いたとおり、盗作問題とは本質的に文学批評に属する問題であり、そこに踏み込まずにやいのやいの言っているのは喫茶店の噂話レベルに過ぎない。そんなものを延々と「文字」で言い続けている輩の「程度」を疑う。

ネットで話題に出、それをマスコミが引き写し、それをネット素人「批評家」どもが反復する。そんな議論の深化も何もない言説の垂れ流しにはもううんざりだ。

■ 「陽光」についてV

どうも批評となると我を忘れて、ヲタにはありえないことを書いた気がする。

いや、言いたかったのは、中途半端な反省は無意味だということであって、最初から進む方向が違っていたのではないか、ということだ。そして安倍さんには別に進む道がある。前にも書いたとおり、この「陽光」はすばらしい作品である。そしてその要件としてまともな「詩」など最初から要らなかった。直筆の適当な「何か」、例えば落書きのようなもので十分だった。それであの作品は十分輝くことが出来た。安倍さんには存在するだけで作られる世界があるのであって、言葉を繰って新たな世界を構築する必要などそもそもなかった。

そうであればこそ、コンサートのMCが「ぐだぐだ」「かみかみ」でも、むしろそれをこそヲタは応援し、また満足してきたのだし、今度の件が発覚した後も多くのヲタが失望するどころかより熱心に応援しようとしているのだ。

■ 見過ごしのミステリー

この件で初めて「陽光」を読み、まずはヲタとして、忸怩たる想いにとらわれた。今まで安倍なつみの言語表現に興味を持ってこなかった。「陽光」も手に取ることさえしなかった。それが悔やまれてならない。ヲタとしてなぜもっと早くにこの本を手に取らなかったのか。

小室哲哉さん作詞のBody Feels Exit の盗用部分は、元曲が有名であるだけに、見れば気づきそうなものだ。なぜこれまでの読者たちの多くは気づかず、あるいは事務所・本人に何の警告も発さなかったのか。なぜこのような最悪の形で広まる前に、誰か何かをしてやれなかったのか。

そこに気づいていれば、安倍さんの言葉の使い方全体に対する危うさにも気づこう。私が見ていれば、もっと早い段階で、もっといい形で指摘しえたのではなかったか。そのような傲慢な妄想でもって私は悔恨する。

おいおい、頼りにならんぜ、安倍ヲタ。この件で胸を痛める安倍ヲタの多くが、しかしこの点に言及していないのが不思議だ。いや、責めているのではない。ただ不思議でならない。

2004年12月06日

■ 中休み2

一応事実関係については蒸し返すつもりはないのだが、また未入手の作品については特に論評は控えるけど、例えばラジオで発表したという最新の「トマト」まで盗作というのは言いすぎだと思う。「トマトはトマト」自体はありがちなレトリックだし、もちろん安倍さんが参考にしたのは間違いないが、それぐらいよくあることだ。肝心の詩の味わいは全く別物。詩中での「トマト」の位置づけが全く違う。盗作問題は、結局のところ、「批評」に属する。両詩の本質的な違いが分からない人間は詩を論じる資格がない。要するに「盗作」問題を論じる資格がない。だまっとれ。

もちろん例えば「陽光」の詩はそれ自体は完全にchibiさんの詩の盗作。それは確か。だから安倍さんが盗作をしていない、という気はない。

別にいまさらそんなところでかばう気もないが、また2chの馬鹿どもをまともに相手にする気もないが、マスコミは論じるのならもっと丁寧に問題を切り分けてくれ。

■ バカ・・・

自分でもたまにインターネットを見るんですけど、やっぱり「卒業反対」とか「何でハローで卒業なんだ」とか、いろんな意見がありました。

そういうリアルな反応っていうのも知りたかったから。

そんなもの、ネットなんかで知ろうとしなくても・・・・。

このページを安倍さんが読む確率は0だと思うけれど、まかり間違っても読まないように。。。ここに書いているのは安倍さんに直接向けた類のメッセージではないので。

■ 「陽光」についてIII

この問題を論じるには二つのレベルがあって、それを混同してはならない。

ひとつは、仮想的な裁判を想定した場合。もうひとつは表現者としての安倍なつみを批評する場合。この二つはきちんと分けて考える必要がある。

例えば「陽光」について、これは「安倍さん一人の責任とはいえないよなあ」というのは前者のレベルのはなしである。これはこれで重要で、その部分では私はほぼ全面的に安倍さんに同情する。それは多分安倍ヲタとしてではない。むしろ安倍ヲタであればこそ、後者のレベルで考えねばならないのであって、単に完全な傍観者としてみた場合、要するに表現者としての安倍なつみに何の関心も期待も持たない場合、私は前者のレベルだけで事態を総括するだろう。

実際、私は安倍ヲタといいながら、この件が起こるまである次元で、表現者安倍なつみにはほとんど敬意を表してこなかった。「陽光」をいまさらながら買いに走った、というのは買い忘れていたとかそういうことではない。この手の、言語の使い手としての安倍なつみには、正直何の関心もなかったのだ。安倍なつみが詩を書く、それが趣味というのにも、私は「冷笑」的でさえあった。私は、某ファンサイトに安倍なつみが書き込んだ文章を見ている。また、まさに著作権侵害の結果として、安倍なつみが書いたという本の文章も見ている。そこからして、「なっちが詩?そらあかんわ」、としか思っていなかった。

そうした視点から見たとき、今度の一件は出版社サイドの手落ちしか感じない。はっきり言って無能すぎる。

盗作に気づかなかった。それを、おそらくまともに仕事をしたこともないだろうネットヒッキーどもは当然だとのたまう。何千何万とある詩一つ一つを読めるわけがないから、盗作に気づかないのは当たり前だ。

気づきますよ。「プロ」ならね。オリジナルの詩を知らなくても分かる。全く氏素性知らない人間が持ってきた原稿なら、それは分からないかもしれない。しかし自分がある程度知っている、情報を持っている相手が持ってきた原稿なら、その人物の能力の限界ぐらい見積もりがつく。それから外れる語彙、表現があれば、「おや?」とは思う。そう思えば後はネットででも検索掛け捲れば小一時間もあれば大概は「割れる」。

後できちんと書くが、「マエ」(前書き)の安倍さん自筆の文章を読めば、安倍さんの文章力なんぞ簡単に見積もれる。それが上限どのぐらいの詩がかけるか、それぐらいの「鼻」も聞かない人間がこの本の編集をしていたのかと思うとその無能振りには正直呆れる。というか、その関係者、今頃恥ずかしくて仕方がないだろう。

実際、安倍さんの主観の世界においても、実際の作業の仕方においても、安倍さんは本の内容に関する責任を負う気もなければ、負う立場でもなかっただろう。「まあ、気楽にのびのび普段の安倍を出せばいいから」とか何とかいわれて、プライベート写真やら、詩の真似事やらを書いたノートやらをぶちまけたら、後はうまくやってくれる、安倍さんはそうとしか思っていなかったのではないか。そしてたぶん大方のタレント本なんてそういうものなのだ。惜しむらくは編集責任者に無能者が混じっていたことだが、そんなものの責任を「私」が負わされることはないだろう。

しかしそれは考えが甘かったのですよ、安倍さん。周りがどういったかは分からないけれど、「著者」として名前が載るということは写真集の被写体とか、音楽CDの歌い手とは全く意味が違っているのですよ。それが「言葉」でものを表現する怖さというものだ。その怖さを分かっていないのはもちろん安倍さんだけでなく、例えばネットで、知り合いだけに知らせているパスワード規制もかけずに適当なことを書きなぐっている「ネット言説生産者」ども(私を含む)もそうだ。ただ安倍さんがそういった有象無象のものたちよりちょっとだけ注目度が高かったというだけのことだ。しかしそれはそれ、結果的にであれ、あなたはとても厄介な書類にわけもわからず署名捺印をしてしまったのと同じ責任を負うことになる。それを「部外者」としての私は冷笑半ばで同情する。

事務所は二度と「創作的な活動」をさせない、といったが、その創作的な活動とやらが言葉をものす活動という意味なら、禁止されなくても安倍さんがまじめに考えれば、当分怖くて出来るはずもないのだ。

■ 中休み

大阪に仕事に行ったついでに「ALBUM」を探してみたが全くなかった。「ALBUM」自体発売されてそれなりに日がたっているから単に品切れかも知れず、あるいは撤去されてしまったのかもしれない。

仕方ないので、なんとなく手ぶらで帰るのも何だしと、中澤裕子さんの「ずっと後ろから見てきた」を購入。ざっくり読む。「なっち」への記述がわりと少ない。それはさておき。

文章部分の文体は「陽光」とほとんど同じ。このあたりは「ゴースト」というのか、編集というのか、プロのライターが、己を出さずに書いた典型的な文章。どちらも普通に読めて、内容はモーヲタとしてはそれなりに関心が持てて、取り立てて感動などはない。

ただ全体としての作品の出来の差には、やはり「他面ヲタ」が安倍なつみをやっかむのも無理はない、と感じざるを得ないものを感じる。裏書に連なる名前の人数が違う。本の体裁が違う。中澤さんのがありきたりの「タレント本」だとしたら、安倍さんのは「作品」になっている。もちろんその「作品性」をもたらしているもののひとつとして、問題の詩も含めた安倍さん手書きの詩が挙げられる。それも含めて、写真やら、紙の色まで素材の一つ一つが平凡で退屈な文章を飾っている。

安倍なつみが帰ってきても、この作品が本来の輝きを放つことはもう二度とない、そのことを一層惜しむ。

2004年12月05日

■ 毒

当サイトで公開している名称、画像などの著作権、肖像権の一切は、本人、各所属事務所、各所属団体など、それぞれに帰属します。

当サイトは、それらの公開物を、営利目的や、明確な肖像権・著作権侵害など、一切の悪意に基づいて使用している訳ではありませんので、念のために、ダウンロードされ難いようなhtmlコーディングを施しておりますが完璧ではありません。

その脆弱性を悪用して画像等を二次利用する事はしないでください。

また関係者の方々におかれましては、どうぞ御理解のほどこれらの画像等の使用をお目こぼし頂きたく思います。

しかし、公開物が、著作権、肖像権を侵害し、損益をこうむるという場合は、法的手段に出る前に、管理人****までご通告頂けますようお願いいたします。

こんな断り書きを書いている奴が安倍なつみの著作権侵害について云々するとは、天に唾をする行為だとどうして分からないのだろう。ネット言説の、この手の無責任さにはもう呆れてものも言えない。憂さ晴らしにしか読めないだろうが、しかし、あまりに破廉恥、こんな奴らと同じ空気を吸っているかと思うと反吐が出る。

■ 「陽光」についてI

何事かを批評せんとするもの、最低限その素材の現物を見てものを言え。

それは批評というものの最低限の約束事のはずだが、公共の電波を使っているテレビすらそのルールを守らない。確かに安倍なつみは創作上のルール違反を犯したが、テレビなどでの無責任批評どももその意味では同罪だ。

などと言いながら、実は私もその「もの」を持っていませんでした。というわけで、遅ればせながら問題となった作品のひとつ「陽光」を入手。

現物を見て改めて確認したこと。

  • 盗作したとされる詩は本質的に一個の作品としての体裁をなしていない。
  • 安倍なつみはそもそもこの本一冊の著作者としての資格に欠く。

だからといって、安倍なつみが「無罪」だといいたいわけではない。安倍さんは当然結果責任は負わねばならないし、またそれにいたる過程でも責任を負うべき点が明確にある。ただマスコミが無責任に垂れ流した「盗作」というイメージとはかなり意味合いが違うことも確かだ。さりとてゴーストライター責任論も全く見当はずれ。事実関係自体は事務所が報告したものと大きな違いはないものと思われる。

この本を直接手にとって、今度の一件を論じてみれば、問題の詩の作者が安倍なつみ本人であることが明らかである一方で、にもかかわらずその責任論はかなり議論に値するものであることが分かるだろう。それはこの本が、普通に安倍なつみが書いた文章によって成り立っているのではなく、数多くのデザイナー、写真家、プロデューサーが総合的に作り上げた作品に他ならないからだ。詩は安倍の提供したプライベート写真と同様、この作品の素材として彩られているものである。要するに安倍はこの作品に、無秩序な様々な素材をばら撒く役割を果たしたのであり、それを作品に仕立てたのはこの本の最後に上げられている20数名のスタッフに他ならない。その中でも特にこの作品には8名もの「プロデューサー」が名を連ねているのだ。

別に責任の押し付け合いをしたいわけではない。ただ安倍なつみは素材の提供者という程度の位置づけとして、その程度の覚悟でこの作品に関わっていたであろう、それが著者として名義人になっていたことに思いのズレがあった。

というわけで安倍なつみの責任、あるいは反省すべきことについて話を進めていくのだが、その前にこの作品自体の印象について簡単に述べておく。

一言で言ってとてもきれいな作品。この本が今後「盗作」ものというレッテルを貼られて消えていくのはとてももったいないと思う。多分安倍もこの作品の仕上がりにはとても満足したであろう。それがもはや彼女にとってトラウマの種にしかならないことを不憫に思う。

ただしこの作品をそのような良きものにしたのは、安倍の言葉ではない。安倍のタレントとしての存在と、そして先に上げた数多くのスタッフの力だ。だから、逆にこの作品の一部の安倍の言葉の中に「盗作」という傷が含まれていたとしても、この作品の価値にはほとんど影響しないように私には思われた。この作品は「読む」ためのものではなくて、「見る」ためのものなのだ。

くどいが、つくづくもったいない。本当にきれいな作品。

安倍なつみフォト&エッセイ 陽光(ひかり)

安倍なつみフォト&エッセイ 陽光(ひかり)

■ 「陽光」についてII

またわざわざなぜこんなことを書き始めたのか。それは多くのファンサイトなどでも言われている、「十分に反省して帰ってきてほしい」という主張が、それ自体もっともなものでありながら、現状安倍なつみに求めることが無理ではないかとの思いが強まったからだ。もちろん彼女は反省しようとしているだろう。でも結局のところその反省は上滑りのものにしかならないのではないか。胃の腑に落ちたものには今のままではならないだろう。

どういうことか。いささかよろしくない例を出す。シンナー中毒者が人を刺した。シンナー中毒から立ち直ったその人に人を刺したことへの反省を直ちに求めて意味があるか、ということだ。結果責任はもちろん問える。しかし内在的な反省は、まずはシンナー中毒に陥るところからしかなしえないだろう。

不謹慎な例であったと思う。ただ言いたいのは、結果責任がいかに重大であっても、真の反省はその人物のたどってきた論理を手繰るところからしかなしえない、ということだ。

例えば安倍なつみに「我はいかにして盗作者になりしか」なる文章を書かせたとしても、現状書くことは出来るまい。なぜなら彼女は「悪いこと」へ踏み出す瞬間を体験していないからだ。「このぐらいならいいだろう」という出来心のような瞬間さえ彼女には訪れなかったものと思う。

くどいが、だから彼女は悪くない、ということが言いたいのではない。彼女が反省に踏み出すにはもう一ステップ必要だし、現状そのステップに彼女が気づくことは難しい、ということが言いたいのだ。

その必要なステップとは何か。それを得る手がかりは「陽光」の中にある。「陽光」全体の作り、そしてその中の安倍の言葉から私の思う出発点を炙り出そう。

2004年12月04日

■ 「一人でお弁当を食べている安倍さんを見て、あ〜と思いました」(by田中)

明日のハロモニにも安倍なつみは出ない。先週のハロモニを録画し損ねたことをいまさらながらに悔いる。活動休止前の最後の晴れ姿はいつだったのか。大阪での最終コンサートになるのだろうか。行けばよかった。

コンサートの時には既にある程度の状況は分かっていたはずだ。ヲタたちの多くは知っていたのだから。それでも気丈にコンサートをこなしたと聞いている。なのになぜFNS歌謡祭に出演するつもりで会場入りして、その後の事務所の話し合いの後で会場を後にした時点で、報道されるような精神的な深手を負ってしまったのか。私が事務所に対してどうしても不信を持つのはその一点に尽きる。まな板の鯉の心境で、それなりに腹もくくってきたであろう安倍なつみがなぜあの時点で崩れなければならなかったのか。

普段はふわふわ、「きゃるきゃる」しているが、ここ一番の時には凛として振舞う安倍なつみ。「すぐに挫ける」などと言いながら、いざというときには毅然とする安倍なつみ。辻・加護と同レベルではしゃぎながら、時に他を寄せ付けぬ孤高さを見せる安倍なつみ。それなのになぜこの肝心なときに毅然と振舞えないのか。それが無念でならない。

■ 逆さなっち史 no.1

結局一番最近に見たのはうたばんのハロプロオールスターズでの出演か。メロン記念日の大谷雅恵さん、後藤真希さん、安倍なつみさんという私にとってかなりいい並びだったな。といってもこの三人の絡みはなかったけれど。というか、大谷さんが全然しゃべる機会なし。女ヒッキーではあの場で何かやるのは無理か。メロンでは全部斉藤さんに持っていかれたし。

あの時は中澤さんも加護さんもいなかった。不完全燃焼だ。

2004年12月03日

■ 例えばこんな御伽噺

あれやこれやと書いてきたけれど、結局言いたいことはただひとつ、「だって、可哀想じゃないか」。それだけ。

たとえ話をひとつ。それは私の中の心象風景だから、細かくそれとこの件とはここが違う、とかそういう突っ込み無用。

無邪気で、ちょっとお馬鹿な高校生の女の子がいました。その子は花が大好きでした。彼女の登下校道にきれいな花がたくさん咲いている原っぱがありました。彼女はいつもその花を見てはうきうきしていました。とてもきれいな花、とても可愛い花が咲いているのを見かけると、彼女は時々そっと一厘摘み取って、自分の部屋に飾っていました。

でもその原っぱは実はきちんと売りに出すために近所の農家の人が大切に守ってきたお花畑だったのです。その花を摘み取っていたことが分かって、学校中が大騒ぎになりました。誰かが彼女の通う学校にそのことを告げ、学校中に彼女のことを泥棒呼ばわりするビラがまかれたのです。

クラス中が彼女をなじりました。トイレには彼女の悪口を書いた落書きでいっぱいになりました。教室の黒板にも悪口。担任の先生はあわてて先方に謝罪に走り、彼女に自宅謹慎を言い渡しました。それでも彼女への非難はやみません。彼女がいつ復学できるか、分かりません。今は彼女の親しい友人たちが方々に謝罪に回っています。

担任の先生が、なんか頼んないんだよ。あるいは顔が見えない。仕事はしているみたいだけど、どっちを向いて仕事をしているのかが見えない。

彼女がしたことは、こんな公開集団いじめ(本当は別な言葉を思いついたが、それは却って傷深くする言葉だから変えた)に合わなければならないことなのだろうか。そして彼女の近しい人が彼女を守ろうとすることさえ躊躇し、あるいは非難されなければならないことなんだろうか。

私は、曲がりなりにも「盗用」とか「剽窃」とかに、一般以上にうるさいアカデミズムの世界に片足を突っ込んできた。それでも私はいまは目がにごっているのだろう。しかしそれに付けても世間の人々がこれほどまでに著作権とやらに敬意を表しているとは知らなかった、そんな皮肉のひとつも言いたくなる。

でもそんなことはどうでもいい。ただただ可哀想じゃないか。

■ 戯言

とにもかくにも復帰をまとう。応援メールを、ファンレターを出そう。そういう動きがある。ヲタとしてとても真っ当。前向きに、ポジティブに。

でもそれとはちょっと違った思いが頭をよぎる。FNS歌謡祭の目撃談を読み、あるいはニュースサイトの記事を読み、安倍さんの精神状況を想像するにつけ、「頑張って」という言葉を失う。もしかすると近しい人ほどそう思うのではないか、という気がする。昨日の中澤さんの様子を見て、そう感じたりする。

「もうしんどかったら辞めてもいいよ」

大丈夫。惨めに逃げたことになんかならない。たとえ映像や音声がなくなっても、「安倍なつみ」の名は歴史の記憶の中できっと語り継ぐから。それだけものをこれまで築いてきたんだから、もういやになったら、これ以上頑張らなくてもいいよ。

2004年12月02日

■ なっち問題

なんと言うか、納得が出来ないわけですよ。

何にか?その正体も判然としない。ただ、何か納得が出来ない。

多分、言説に、だと思う。ネットで満ち溢れている言説に。

イラクの3人の人質のときには政治的な煽動を読み、抵抗せねばならぬと誓った。最近の香田さんの時にはただただ怒りに吐き気をもよおした。

今は、怒りとかそういうのではなく、ただただ馬鹿馬鹿しく、悲しく、アホらしく、ウザい。

イラク問題から連なる一連の言説、これをひとまとめにしてネット「いじめ」言説と呼ぼう。ひとつ、言説分析の素材として、島田紳助さん関連の事例を簡単に取り上げよう。この事例においてもこの言説は這いよってきた。獲物を求めて這いよってきた。告発者であるマネージャがその餌食になるかに見えた瞬間があった。実際、それだけの動きはあった。それに対しては抵抗しようと思い、あの一文を書いた。書いたこと自体も、内容も妥当であったと今でも思っているし、なんら訂正、補筆の必要は感じない。しかしひとつ読み違えた点があった。島田紳助さんの記者会見自体を私は見てはおらず、その影響を計り間違えた。あの記者会見で言説の餌食は島田紳助さんに選ばれた。何故か。彼が不当ないい繕いをしたから?違う。彼が、激情のあまり泣いたからだ。「男」らしくなかったからだ。彼は弱みを見せた。だから餌食となった。あわてて補足するが、マネージャも餌食となり続けたのだから、マネージャ擁護自体になんら否定すべきものは無い。ただ島田紳助さんまでもが言説の餌食となった。

一連の言説を「いじめ」言説と呼ぶのは、獲物を常に求め、その餌食には誰が選ばれるかは全く偶発的な、ちょっとした言いがかり、ちょっとしたきっかけで決定される、という点だ。獲物に獲物としての属性があったのではない、獲物が必要だったから、獲物が用意されるのだ。自身が獲物になること、あるいは己が大切だと思う人が獲物になることを避けるためには別の獲物を用意するのが近道だ。そうしてこのいじめ言説の連鎖は途切れることなく続く。

文体を変える。

ぶっちゃけ、彼女の罪なんてどうでもいいわけよ。単に何かを叩きたいだけなんでしょ。むしゃくしゃした、相手は誰でもよかった、ってやつ?そういう人間の一番卑しい心性が言説として結実している。それだけのことだよ。

被害者の権利?事務所が走り回っているよ。その点で事務所批判をするつもりはない(微妙に言いたいことはあるが、今は言わない)。ちゃんと話し合いの機会を持てていると思える。実際、被害者として名前の挙がっているジュディマリのYUKIさんが「いいとも」に出ていて、安倍なつみさんから花束が届いていた。「被害者」なら断れる。大人気ないとかそんなんじゃなく、普通に断れる。というか、普通、ちょっとでも問題があればそんなの贈らない。なっち本人はその辺無神経なところがあるかもしれない、とか言えばそうもいえなくも無いけど、こんな時に事務所が管理しないわけもなく、要するに話がついていたってこと。まだ全員と決着がついた、なんて思わない。でもそもそもそんなこじれる話でもない。

もう「被害者」の話はやめる。さる「応援」サイトの掲示板で、「なっち頑張れ」という書き込みに必ず「被害者への気遣いも」なんて書く馬鹿がいるが、ほんと馬鹿じゃないのか、と思う。言説のバランスとはトータルでなされればよいのであって、今のこの状況、「被害者」が己の被害を訴えることを邪魔するものが何も無く、逆に安倍さんが何も弁解する余地を持たないこの状況で、何で安倍ヲタ一人一人の書き込みにバランスが必要なのか。それを言うなら、安倍さんをバッシングしている一つ一つの書き込みに、バランスの一欠片でもあるのか。どんな書き込みが満ちているか、書こうかと思ったが、さすがにそれこそアホらしいのでやめる。

ちょっとでも悪しきことをすれば、それに関しては弁解の余地が無ければ、絶対悪にされてしまう。「悪いことは悪い」でバッシングを行う己を正義の味方に仕立てる。そういうのをさもしいというのだ。

だからもうね、ここの中でバランスをとるの、止めた。もともとここは安倍キモヲタサイトだから、「なっち全然悪くない」つっても全然かまわないわけよ。もっとも別に「いい悪い」の話をしたいわけじゃないから、そんなことは言わないけれど。

というわけで、今後は安倍さんのことだけを書きます。この問題で社会正義なんて糞くらえです。この問題で語られまくっている言説総体が糞なんだから、正義なんてものは最初から生起しようが無い。

最後にひとつだけ、アンチとか、バッシングネタ探して安倍なつみのキーワードでこのサイトに着ちゃった人に。そんな人向けにこんな素敵なサイトのリンクをはってよいのか、と思うけど、リンクフリーということなんでお言葉に甘えて張らせていただく。

MMGP

ここの12月1日の日記を最後まで読んでください。これで満足ですか。あなたは、あなたが何故か叩きたくて仕方の無い23歳の女性を見事に叩きました。おめでとうございます。あなたの勝ちです。あなたは「勝つ」ことがとても重要な価値らしいので、とにもかくにも大勝利、おめでとうございます。

■ 蒸し返す

なんというか寝られないわけで、正直今日の仕事は辛かった。思考が常にあさっての方向に行く。常に何かを考えている状態。何かとてつもなく理不尽なものを抱えている気分。

「おしまい」といいながら、続ける。そんなに一貫した精神状態でもないし。

もうなるべく「アンチ」サイトは見ないようにして、少しでも好意的なことが書いてあるサイトだけを見るようにする。

で、その中で見かける主張で、私の考えとは違うなと思った点を書いておく。別に論争したいとかそういうんじゃなくて、ただ私の考えを整理しておきたいだけだ。

「安倍なつみさんにはサイトなどの厳しい意見も受け止めて糧としてほしい」

そんなこと私は1mmも思いません。ほとんどのサイトの糞言語など見るに値しません。糧ならYUKIさんとかaikoさんとか、あるいはさんまさんとか、機会があれば誰かが何かを言ってくれると信じています。それで十分です。

「今度の件は自分にとってもマイナスだけど、今までのプラスがあるから応援する」

そういう考えも理解できるけど、私はそうではない。私はプラスとマイナスを相殺は普段からしないので。プラスはプラス。何があっても1mmも減らない。マイナスはマイナス。その人のひとつの特性としては記録しておく。今回の一件でのマイナスは、行動の評価としては大マイナス。でも人間としての好き嫌いという点では何の影響もなし。別に安倍さんだから、ではなく、多分誰に対してもそうだと思います。だから「今回の一件があっても応援します」、ではなく、何の躊躇も断り書きもなく、ただ単に「これまでもこれからも応援します」。

精神状態が随分ナイーブになっていると自分でも感じる。昨日は「一番大切な人は誰ですか」今日は「ホットマン」でほろりと来た。前者はともかく後者は普段は全然そんなに評価していないのに。なんか嘘でも「人の温かさ」みたいな物語を欲している。

■ 新曲

気分の悪い話は下でおしまい。

もうね、このサイトは完全に安倍キモヲタサイトで突っ切ります。もとからそうだった気もするけど。

というわけで新曲「鳴り止まない タンバリン」。なんか楽曲提供がつんくさんじゃなくなるらしく、ちょっと心配かつ楽しみだったりするわけです。楽曲提供者のTAKUIという人、結構ロックな人らしい、と言ううわさも聞くので、微妙に期待。

2004年12月01日

■ 盗作云々

大々的にマスコミにも出たということで、これで隠蔽とかはないわけで、安倍なつみ本人も謝罪しているわけで、後は当事者間できちんと話し合うというだけのことで、盗られた側が、改めて納得できない、とかそういう話になればまた話は別だが、そうでない限りそれ以上何かをことさらに付け加えることもないだろう。

部外者が詳細を知ることもないだろうが、出来れば盗られた側の人たちに直接会って、謝って、うまく行けば了解とさらにうまく行けばちょっとしたアドバイスなんかもらえれば、それで随分よい方向に話が流れると思う。盗用した相手がaikoさんとか小室哲也さんとかYUKIさんとかなんだから、なんとなくたいして怒ってなくて、逆に励ましてくれそう、とか甘いかね?

例によって2chあたりでは正義面のものどもが馬鹿騒ぎ、確かに弁護のしようも無いが、いったい奴らはそれで何をしたいのかね。ことさらに騒ぐことでしか守られない正義がこの問題のどこにあるのか。事務所なりが隠蔽しようとしたのなら、騒ぐ価値は認めるけれど、全面謝罪で当事者間の話し合いに話が進んでいる今の状況で、何を正義面して騒ぐことがあるのか。

盗作といえば、社会学方面でもあったらしく、社会学の学術誌「ソシオロジ」からお知らせが来た。日本女子大学紀要掲載論文に「ソシオロジ」からの盗用があったとのこと。残念ながらといおうか、アカデミズムは芸能界よりこの点については厳格、盗用をした人はこの世界での将来は無い。

■ 終わらない

良識のある人はこの記事は読まないでください。

安倍なつみ、来年1月末まで活動自粛。

紅白辞退が妥当というだけでもヲタとしては厳しいことを言ったつもりだったが、それではすまなかったようで。年末まで活動自粛、年明けてシングル発売、飯田さん卒業コンで復帰、甘かった。あるいは盗作詩を披露したラジオ番組ヤンタンで、謝罪、さんまさんに叱りをこめたフォローをもらうとか。いろいろヲタ的によさげな妄想をしていただけに、想像以上の厳しい結果。FNS歌謡祭で中澤裕子さんが代わりに謝罪、というのもどうにも辛い。デビュー当時から散々世話をかけて、「あの子は手がかかった」と言わしめて、今になって最大の迷惑かよ。中澤さんに、ヲタとして、申し訳ないやら情けないやら。

ただ、正直この件が表に出る前は、やや惰性状態で、もう突然結婚、引退、でもそれはそれで祝福できるな、とか思っていたが、ここまで逆境になると、再度の復活までは見限れん、と意地にもなる。7年前から見てきた物語がこんな終わりでは納得できない。

2004年11月24日

■ 紅白出場

仕事先の人と食事。泡盛を飲む。でも明日のことを考えてかなり控えめ。

帰ってきてまず確認。なっち、紅白出場おめ。辞退してください。

ネットでなっち自作詩の、盗作(剽窃)疑惑が話題になっている。いや、疑惑じゃなくて、確定。言い訳の仕様も、かばいようもない剽窃。

ええ。ヲタはやめませんよ。でもやってしまったへの評価と、それでもヲタは続けることとにはさしあたりどうしようもない落差がある。ほんと、事務所、頼みますよ。もっときちんと教育受けさせろよ。何なら専属家庭教師やるよ、といいたいヲタ、5万といるぞ。もちろん本人が断然悪いことは承知で、それでも事務所、頼みますよ。

やってしまったことはもう取り返しがつかないんで、せめてそれなりの対応をしてほしい。年末まで謹慎。で、関係各所に謝罪行脚。それがタレント安倍なつみに結果的にプラスになるか、それともやはりマイナスでしかないか、そんなことは知らない。それでもそれぐらいさせなさい。

無知・無教養は責めない。別にペリーをビンラディンと間違えてもかまわない。でも自分が関わろうとする分野(作詞なら作詞)の世界の最低限の常識だけは、中身まではいい、少なくとも自分はそれに関して無知である、という自覚ぐらいは持ってほしい。

それでもともあれ、紅白出場おめ。

2004年11月21日

■ 安倍なつみ日記

久々TVでなっちを見る。「8時です!みんなのモンダイ」にゲスト出演。常識問題をゲストが回答するという趣旨の番組ということで、なっちのアホさを再認する場として大いに期待するが、私もわからない問題が多すぎて、役に立たなかった。葬式だの何だのの常識なんぞ糞食らえ。生まれてこの方葬式に出たこともなければ、今後も出る予定はない。そんなのをなっちが答えられなくても全然笑えない。そんなのよりも「ペリー」の写真を見せて「これは誰で何をした人でしょう」とかいうような質問をして、「誰:ビンラディン」「何をした:世界中を逃げ回っている」とかそういう笑いがほしかったのに。

2004年11月17日

■ 安倍コケル

2chの通称「狼」2chbbs..より。

ハロプロ恒例の「スポーツフェスティバル」のリレー競技でアンカーの安倍なつみが競技中に転倒して、2位から最下位になった、という状況を表現したもの。

妙に語呂がよく、しかもその光景がややデフォルメされた形で目に浮かぶ。同じようでも例えば「後藤コケル」ではこの味わいは出てこない。安倍さんの運動音痴ぶり、体型、性格などを踏まえた上でにじみ出てくる可笑しさ。なかなか名文句。

2004年11月04日

■ プッチ訂正

昨日、Hey!Hey!Hey!の新曲披露で道重さん意外と歌えていた、と書いたが、どうやらあれは「口パク」らしい。いや、別に「口パク」批判をしたいわけではなくて、ただ紺野さんより道重さんのほうがましだ、という印象を持ってあの文章を書いたので、その判断は紺野さんに対して公正さを欠く判断だったということで訂正。

かつてなっちがメインを張っていたころ、ずいぶん叩かれていたものだった。断然下手なのにメインなんて、と。でもあれだって、なっちだけが生歌だったことがあったと聞いている。口パクだからうまく聞こえるのはいいとして、それと比較して生歌であるがゆえに下手に聞こえてバッシングされたのでは可哀想だ。

というわけで、紺野さんも口パクにしてください。

2004年11月03日

■ 涙が止まらない放課後

本サイトは「モーニング娘。応援サイト」ではありません。

東京出張中のHEY!HEY!HEY!、娘。が出るとはインターネットTVガイドには出ていなかったので、録画し忘れたか、と思っていたら、なぜかしっかり録画してあった。というわけで始めて娘。の新曲涙が止まらない放課後を見る。

ちゃんと座りトークありで、なかなかの扱い。まずは安心。

肝心の曲。道重さん意外と歌えているやん、とかそういう次元じゃなくて、意外ととかそんな発見はいいから。歌っている面子の集め方がなんか「ココセ」みたいな曲だな、と。

「ココセ」、囲碁・将棋用語です。ググってみてください。

一応宣伝

涙が止まらない放課後

涙が止まらない放課後

私は買いませんけどね。前田有紀さんの西新宿で逢ったひとのほうがよほどいいです。

2004年11月01日

■ 夢の中

せっかく買ったなちソロコンDVD、まだ見ていない。

ホテルで缶詰の仕事、本腰入れてDVDなど見る気分ではない。ホテルでの仕事、優雅だと思ったこともあったが、間違い。優雅どころかとても非人間的な仕事だ。なちコンDVDは人間としてじっくり見たい。

ちなみにそのような非人間的な状態のとこに心を潤すオアシスととして演歌は悪くないことを知る。いまは前田有紀さんの「西新宿で逢ったひと」がとても心に沁みる。昨日の握手会が蘇る。なちソロコンとはまた違った、しかしこれはこれで夢のような時間が心に宿る。

2004年10月30日

■ ミュージックステーション

昨日のミュージックステーションにモーニング娘。が登場すると知らず、録画もせず、帰ってきて知ったときには既に終わっていた。

ネットで見る限り、かなりひどい扱いだったらしい。トークなし、松浦亜弥と抱き合わせ。おまけに新曲披露もかなりみすぼらしい出来だったとの感想も。

曲はまだ聴いていないのでさしあたりスルー。メインで歌っているメンバーも、藤本美貴さんはともかく、他に紺野あさ美さん、道重さゆみさん、石川梨華さんと聞けば、正直歌唱は期待すべくもない。が、それよりなによりちょっと前にHEY!HEY!HEY!で今のモーニング娘。が歌った「LOVEマシーン」のあまりの出来に驚いた衝撃がいまだに残っているから、ネットの評価がすんなり納得できてしまう。

ま、所詮卒メンヲタは黙ってろってことなんだけどね。

2004年10月28日

■ メロン記念日

キーワードにメロン記念日とか大谷雅恵とか書いておいて、全然その話題に触れないのは反則だった。いまいちここのシステムというか文化がわかっていなくて、失礼しました。

しかもメロン記念日、シングル発売日だったのにものの見事にスルーしていた。だって、なっちソロコンDVDに後浦なつみPVの発売日が重なっているところにメロン記念日新曲なんて集中しすぎ。正直お金も続かない。

というわけで買うかどうかさえ不明だけど、一応宣伝に協力。

シャンパンの恋

あれ?画像が出ない。

■ 2次元以下

いまだここのリンクシステムあるいはその文化については図りかねている。たとえば「困ったことになっちゃった」という文を書けば「なっち」がキーワードかされ、リンクが張られる。それを解除することはできるがちょっと面倒だ。ハロプロに何の関心もない人からすれば、単に手間でしかない、それでも「なっち」をキーワードとして置き続けることが許容されている。ハロプロというのはネットでは無視することができない文化だ、と言い張れるものなのかどうなのか。

ネットにおけるハロプロ文化といえば、メンバーごとにアスキーアート(AA)が作られていて、例えばなっちこと安倍なつみは

(●´ー`)

となっている。

ハロプロネット文化に浸っていると、他人事として改めて考えてみれば奇妙なことだが、このAA、 (●´ー`)に十分に萌えられる。このAAがタレント安倍なつみを想起させる、だけではなく、このAA自体に愛着を感じ、あたかも独立した感情を持った存在であるかのごとく、独立した人格を持った存在として、そのAAに対して「萌えられる」のだ。

よく「ヲタク」は2次元のアニメの主人公に恋愛をする、などと揶揄されるが、AAに萌えられてしまうこの文化をどう評したらいいのだろう。

(●´ー`)そんなに萌えられたら、なっち照れるべさ

2004年10月27日

■ 売ってない

安倍なつみファーストコンサートDVD、ついでに発売日を失念していた後浦なつみPV、仕事帰りに寄り道して買いに行きました。近所のツタヤ。

後浦なつみDVDは一枚だけありましたが、肝心要のなっちコンDVDが置いていない。売り切れたのか、入荷しなかったのかはともかく、一枚も店頭にない。あわせて買うつもりだったので、後浦なつみ*1DVDも買わず。せっかくこのためにタンス貯金を下ろしてきたのに。

結局週末買いになりそう。

*1:省略したいが「後浦」では肝心要の「なつみ」が消える。ま、NUNでよいのだが

■ 笑っていいとも

明日の「笑っていいとも」に後浦なつみ出演との情報が。忘れないように録画しなくては。

■ はい、まさしく私です

ヘキサゴンにモーニング娘。の藤本美貴、吉澤ひとみ、紺野あさ美が登場。

司会の紳助がひたすら藤本美貴をいじる。いわく「オヤジ殺し」「怖い女」。藤本もそういわれながら、臆せずやり返す。そのやり取りの間中、紳助とてもうれしそう。他の二人に対するときとは全然テンションが違う。他の共演者のおっさん連中もまんざらではない様子で、ニヤニヤ。

オヤジは結局ああいうのが好きなんだろうな。

2004年10月26日

■ なっちDVD

安倍なつみファーストコンサートツアー 2004~あなた色~

今日発売であること、すっかり忘れてた。

明日買おう。午後5時を回ると外出しない主義なので。