重層的非決定?

« 王さまの耳はロバの耳 | メイン | 傷は現メンヲタの方が深いのかも »

2005年03月09日

■ 言説の裂け目

あややこと松浦亜弥の恋愛が話題になっている。

基本的に私は松浦亜弥にはさしたる関心というか愛着を持っているわけではないので、そのこと自体に感慨もないし、それだけにここでことさらに何かを触れるのもよくはないだろうと思ったのだが、ふと思ったことがあったのでちょっとだけ書くことにする。

意外だったのはこの一件にショックを受けているヲタがかなりいるらしい、ということだ。

松浦亜弥は、私が思うに、徹底して言説化可能なアイドルである。それは解釈対象たるべき松浦本人が、己の解釈に対するメタメッセージを常に送信し続け、ヲタたちがそのメッセージを反復することによって成し遂げられている。

それゆえに松浦亜弥は相対的に非言説的な部分、身体性とでも言おうか、に対する依存の低いアイドルだと思っていた。アイドルサイボーグとも評される彼女は、あくまでその表に出るパフォーマンスに価値があるのであって、彼女が私の部分で何をしようが、あまりヲタも関心を持たないのではないか、などと思っていたのだ。

それは例えばなっちこと安倍なつみとは好対照を成す。安倍なつみは、数多くの言説の重なりにも、依然としてその空白を残す。安倍なつみは、己の存在を明確なメッセージで発することが出来ていないし、それに対応してヲタたちはその空白部分にそれぞれの想いを読み込もうとする。安倍なつみはそうして、芸・パフォーマンスよりも、その茫漠たる「人間性」で勝負するアイドルとなる。必然、ヲタの思い入れも深くなる。そしてその思い入れの深さが、同等の「スキャンダル」に対して極端な二つの反応を引き起こした。一方で幻滅、転じて「アンチ」の醸成、他方でいかなることがあっても見捨てない強固なヲタ層の形成。結果的に安倍なつみは、そのときの危機を乗り切った。

松浦亜弥の今回の一件に対する反応は、安倍なつみのときと比較してずっとクールなものに終わるものと想像していた。最終的にどうなるかは神のみぞ知る、だが、今のところの反応はやや(私が想像していたよりは)大き目、といったところか。

あるいは、とちょっとひねくれたことを考える。確かに今回の松浦亜弥の恋愛報道は、*アイドルとして完璧ではない*。完璧なアイドルとは、そのような「私」の部分をまったく見せないことによって達成されるのであって、「私」を見せても人気に影響しないのではなくて、「私」をそもそもまったく見せないことこそが望まれる。そういうことからすると今回の報道は松浦亜弥にとって重大な「傷」であって、その傷をこそヲタたちは惜しんでいるのではないか。

私はいわゆる構造主義者あるいはエスノメソドロジストよりも、物質性・空白に拘泥したアルチュセールのほうに共感するので、あややよりもなっちだし、こんかいのあややの「傷」に関してはむしろ肯定的に見ている。

投稿者 althusser : 2005年03月09日 00:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL: