重層的非決定?

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2006年04月05日

■ 安倍なつみと高橋愛I

密かにマカーになりながら、未だにWindowsを手放せない主因たるGyaoのハロプロアワー。最新分は司会がなっちこと安倍なつみでゲストが裕ちゃんこと中澤裕子。これはまた最高の組み合わせがきたものだ。

話の内容は新メンバー(もちろん保田圭、矢口真里、市井紗耶香のことだ。なんだか「先の戦争」が応仁の乱を指す京都人みたいだ)加入時のことから今の活動について、結婚についての考え方など二人のファンにとってはたまらない内容。なんとなく「かわいい系」というキャラからして結婚願望が強くかつ結婚後は仕事を辞めると言ってもおかしくはない安倍さんが全く違う志向を持っていたことを再認する。彼女にとって世間一般的な「女の幸せ」などよりもはるかに歌を通じた「表現者」でいることが重要なのだ。へらへらかわいいキャラをやっているようで、そこの想いの強さ、それが安倍なつみの魅力を支えている。

それにしても安倍さん、相手によって態度が変わり過ぎ。画面から隠しようも無いほど、安倍さんにとっての好感度が

中澤裕子>里田まい>高橋愛

であることがにじみ出ている。中澤さんのことが好きで、一緒にいるのが楽しくて仕方が無い、というのはよいとして、里田さんと高橋さんとの「差」はちょっと気になる。高橋さんゲストの回は安倍さんを「子ども」かつ田舎者扱いした高橋さんが「失礼」だということになっているようだが、例えば亀井さんが同じことを言ったら安倍さんの返し方はまた全く違ってただろうというのが容易に想像できる訳で、本来ネタとして受け流すか、盛り上げるかするべきところで大まじめに「あなた失礼ね〜」などと反応してどうする、と。高橋さんも同じ先輩メンバーと言っても例えば中澤さん相手のときとは明らかに違った感じでどこかしら緊張しているのが伺える(ちなみに彼女は緊張すると少し発声やら発言やらが子どもっぽくなる)。私個人としては、ハロプロメンバーの関係を見るのは殺伐とした部分も含めて面白いので、これはこれで楽しいのだが、それにしてもこの二人の関係の微妙さは不思議だ。

おそらく二人は似すぎているのだ。歌というものへの想いの深さもそうだし、他人からはマイペースと見られるなどといった性格的な部分も似ている。しかも本人たちの主観では、おそらく二人とも全然マイペースなんかではなくて、いろいろなことに気を使いすぎているぐらいに気を使っている、というところも。

ちなみに番組では安倍さんは高橋さんから「マイペースですよね」と向けられて、それを断固拒絶していたが、逆に安倍さんからの「マイペース」という評価を受け入れているかに見える高橋さんだって、人からの評価をとりあえず受け入れる、というところで既に十分に相手に気を使った結果なのであって、高橋さんのマイペースではない部分が出たところなのだ。

確かに二人とも「マイペース」と見られる属性を備えている。表面的にはどうあれ、本質的な部分で己を曲げることは絶対にない、そうした頑固さが根底にある。人の話を聞かない、と二人とも評されるが、おそらく聴いていないというよりは聴いたところでその説を取り入れるか否かはあくまで己の判断次第だ、ということだ。ただ違うとすれば、安倍さんはその己の信念を自覚的に運用しているのに対して、高橋さんは自分自身の中にそうした頑固なまでの信念が根付いていることにいささか無自覚である、ということだろう。

安倍さんはバラエティなどで「一人ではしゃいで一番楽しんでいる」と評されたりする。しかしそれは安倍さんのプロとしての信念の賜物だ。バラエティでは自分自身が楽しむ、それこそがバラエティの出演者の仕事だ、安倍さんはおそらくそのように意識していて、一人でもはしゃぎ、楽しむ。それはプロとしての姿勢を見せたものであって、マイペースさではない、と安倍さんは認識している(のだろう)。

一方高橋さんは己のプロ意識を自身で運用するには至っていない。本来持っている高いプロ意識を運用できない、というのは要するにプロ意識のポータビリティが低い、ということだ。安倍さんが自分が関わるあらゆる分野で己のプロ意識を出そうとできる(結果が伴っているかどうかは無関係)のに対して、高橋さんは出す場面と出さない場面を持つことになる。それは「餅は餅屋」的姿勢につながる。結果安倍さんのように自分が関わる限りはすべてにおいて全力投球をするのも状況に「気を使った」結果ならば、高橋さんのように自分が苦手な分野では自分は表に出ず、他の人に譲ろう、とする態度もまた状況に「気を使った」結果なのだ。そして二人とも確かに状況に気を使いながら、己の信念を貫く。

安倍なつみと高橋愛。二人は明らかに「噛み合ない」。しかしそれは二人の、現れ方は違えど本質的には同質の、プロ意識のぶつかり合いの結果なのであろう。これはとてもスリリングなぶつかり合いだ。

投稿者 althusser : 2006年04月05日 00:00

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