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2009年04月24日
■ 美女呆談
超へたれ体質なもので、人並みに仕事をしているときにはここを更新する気力、体力がなかったりする。
それでもそれなりに妄想的には生きているわけで、公式携帯サイトポケモーのQ&Aコーナーで「春に行きたい観光名所はどこですか?」という問に愛ちゃんこと高橋愛が「足羽山」と答えているのを見て、そういえば福井公演のついでに足羽山観光をしたというレポートをあげている人はほとんどいなかったな、私は足羽山に行って、そのレポートも書いたぞ、やっぱり愛ちゃんは私のものだ、とかそんなくだらないことを考えたりもする。
そういえば大ハロプロ(旧エルダー含む)の新番組「美女放談」初回・二回目に高橋愛が登場して細川護煕夫人と対談をしていたことについて、感想文を書こうとも思っていたのだった。初回を見たときは、これはいい番組だ!と思って、いっぱい褒めまくろうと思っていたのだが、ちょっと機会を逃して、二回目を見たら細川さんのしゃべりの内容に腹が立って、すっかりそういう気がなくなった。それで逆に批判記事でもあげようかと思ったが、それはそれで結構エネルギーがいるので放置して今に至る。ざっくりものすごく教条的に言うと細川さんというひとは徹底的に「ブルジョワ」的視点でしかものをしゃべれないひとなんだなあ、と。特に彼女が熱心にかかわっているはずの障害者についての語りの粗雑さにはあきれてしまった。
かれらはとっても純粋で嘘ついたりひとをだましたりすると言うことは絶対しない人なの。とっても誠実なの。優しいの。あるがままなの。飾らないの。
こういうイノセントであるがゆえのユートピア的な理想像をかぶせるのもステロタイプの押しつけ以外の何者でもない。そしてこういう思考でもって障害者差別を乗り越えたと考えるおめでたさはそれこそ半端な道徳教育を受けた小学生あたりが作文で書けそうな内容ではないか。こういう思考を悪しき意味で抽象的思考(=70年代的左翼用語でブルジョワ的思考)というのだ。実際彼女はスペシャルオリンピックスなどでもっと深く色々かかわっていると言っているのだ。小学生レベルの道徳を説教がましく開陳している暇があったら、もっと実際に自分がかかわった具体的な個人の生き様を語ったらどうか。
高橋愛はかつて身体障害者のバスケットボールチームとテレビ番組で競演した際、出演者の中でただ一人、車いすに乗る練習を黙々としていたというエピソードがある。それこそが具体的な態度というものだ。そんな高橋愛に細川夫人が説教をたれているのを見ていると、なんだかとても滑稽で馬鹿馬鹿しくなってきた。
細川夫人の思考の抽象性は「若者の自殺」を語る際にも遺憾なく発揮される。若くして命を自ら立つ人の存在を「信じられない」とばっさり切ったあとで、命の大切さを説く。一人の人間の25代前の先祖の数は3355万人、それだけ多くにひとの命をいただいて今自分たちは生きているのだ、それで命の大切さを思い知れ、だと。
これこそ抽象的思考の最たるものではないか。ただの数学でしかない。それにこの数学は正しくない。その数学を続ければ、人類誕生の時の人類の数はどれだけの人数になるのだ。生命の受け継ぎはこんな単純なねずみ算では計算できない(単純な生物学のレベルで)。馬鹿馬鹿しい詐術的な言辞を労するなと言いたい。
こんなのだったら、まだなっちこと安倍なつみのメルヘン話、恐竜時代から続いたきずなだなんだという話のほうがよほどまともだ。
3000万人だかのご先祖様の重みだなんだというのが駄目なのは、この話はコンテキストを変えれば180度逆の結論を導き出すことも出来てしまうからだ。先祖代々受け継がれた大切なものを守るために自爆テロに駆り立てられる、そういう社会だって存在しうるし、おそらく存在しているのだ。大切なのは25代前だとか、そんな顔も見たことのないご先祖様ではなくて、まさに今私たちが、かれらが生きている環境そのものに他ならない。
まあ愛ちゃんは馬鹿のつくほど正直でナイーブな乙女だから、こんな抽象論から来るお説教に感動して涙なんか流しちゃったりするわけで、それはそれでいい娘だなあ、と思ったりはするわけだけれども。それでも、本来全然関係のないところに話を飛ばしてしまうのだけれども、冷徹にグロテスクな形で「現実」を切り出そうとしたブレヒトの舞台に出演する安倍なつみと、こんなブルジョワおばさんのお説教に付き合わされる高橋愛とを無意味に比較したくなったりしてしまったわけだ。もっとも安倍さんだって「オーラの泉」とか出て喜んでいたわけで、本来はどちらがどうという話でもないのだけれども。それでも(これも悪しき権威主義なんだけれども)ブレヒト劇に出ている、というだけで、なっちはいい立ち位置にいるなあ、と思ってしまうし、愛ちゃんにも近い将来そういう舞台(広義の)に立って欲しいものだとも思うのだ。
そういえば愛ちゃんは最近特に「今後の夢」みたいな話を語るようになってきた。ブロードウェイの舞台に立ちたい、そのために留学したい、みたいな話。確かにアップフロントのしょうもない人脈作りに付き合わされるぐらいだったら、アメリカに行って勉強に励んだ方がずっといい、とも思うのだけれども、ファン的にはアメリカなんぞに行かれたらそれこそほとんど消息不明になってしまうわけで、それはそれであまりにも寂しい話だと思ったり。やっぱり安倍なつみぐらいに国内で上質な舞台に出て、ファン向けにツアーをやる、というぐらいがほどよく嬉しいな、とか、まあ我ながらなんとわがままな願いを持っているのかと呆れてしまった。
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