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2008年06月22日
■ 応援と批評と
一時「閉鎖」については「閉鎖」について を参照あれ。
あらためて本サイトのあり方についても考えてみた。本サイトはファンサイトと批評サイトの両側面を持ったものとして運営している、と再認識。そしてこれはなかなかに難しい。ファンサイトとは言及対象を徹底的に肯定することにその本義がある。一方批評サイトとは時に言及対象を否定する。本質的に両立し得ないものだ。
本来ファンサイトに一本化するのが正しいのだと思う。ただ私にとっての「モーニング娘。」とはすぐれて批評性を持ったものとして存在しており、そうしたものとして様々な言説が生み出される中で支持を獲得してきたものであった。単に「きゃわ」「萌え〜」といった感性的・没理性的な言葉によってしかかたり得ない凡百のアイドルとは異質のものなのだ。そのモーニング娘。から批評性を奪い去ったとき、そこに果たして文化的なおもしろみが残っているのか。
それでは「モーニング娘。の持つ批評性とは何か」、が問題となるわけだが、それについては考えもまとまらないし、そもそもここに書ききれる内容ではない。さしあたり備忘録として、自分へのヒントとして、「大きな物語」のパロディ的反復、とだけ書き留めておこう。もちろん「大きな物語」とは擬制的なものであって、その具体的内容は受け手によって様々なものである。それでもそれはある形式において「大きな物語」なのだ。
投稿者 althusser : 2008年06月22日 23:22
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