重層的非決定?

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2009年01月05日

■ 幸せって何だっけ

トラックバックをいただいた内容についてのお返事。アンジェラスさん「勝ち組〜負け組とか〜」

どうも話がかみ合っていないのか、すれ違っている感じです。例えばPaboと音楽ガッタス、私は両ユニットのファンでは特にありませんので、あまり両ユニットの置かれた状況についてはよく知らないのですが、アンジェラスさんの言い分を読むと、Paboは「勝ち組」、音楽ガッタスは「負け組」と言っているように読めます。そういう言葉を使う使わないは別として、この両ユニットにそりゃ「違い」はあるでしょうが、アンジェラスさんのエントリを読むと両ユニットに価値的な「差」があるように読めます。それを自明のものとされても、私はよく分からないのです。知名度も確かに重要でしょうが、その一点を持って「この両者の違いって、一体何なのでしょうか」と言われても、私は困ってしまいます。それはまるで例えば「プロ野球」と「カーリング」と、知名度に違いはあるけれども、「この両者の違いって、一体何なのでしょうか」と問われたような戸惑いです。カーリングファンに向かって、君たちの応援している競技は知名度が低い、カーリング協会(そんなのがあるかどうかは知りませんが)はアピールが不十分だ!と煽っているようなもので、そんな煽りをされてもカーリングファンからすれば不愉快になるだけじゃないですか。私はPaboと音楽ガッタス、どちらからがより価値があるとも思いませんし、さらに言えばどちらかがより*ユニットとして*幸せであるとも思いません。アンジェラスさんは多くの人に知られていることが*ユニットとしての*幸せの必要条件だ、という前提でお話しされているように思いますが、それが私には分からないのです。知られているに超したことはありません、しかしそれこそが重要だ、知名度が不足しているのは不幸なことなのだ、といわれると、少なくとも私はカチンときます。

私にはどこかしらアンジェラスさんは論理を転倒されているように読めてしまいます。知名度があるものが価値があるのではなく、価値があると思うものを少しでも知らしめたいと思う、私はそう思います。たぶんアンジェラスさんも同じことをおっしゃっているのだと思います。だからたぶん私の誤読だとは思うのですが、音楽ガッタスとPaboのくだりは特にそのように読めてしまいました。アンジェラスさんの表現があまりに「中身」を省いて、知名度に力点を置かれているからです。

もし論理の転倒が私の誤読であるならば(当然そうであるはずだと思っています)、「ファンの皆さんが個人サイトやブログ等を通じて、アーティストの活動を世間に向かって発信する事は出来ると思います」というくだりについては100%賛同いたします。

しかしそれならより一層私たちのなすべきことはメディア露出の少なさを嘆くことではないはずです。メディア露出が少ないことを世間に向かって発信することが「アーティストの活動を世間に向かって発信する事」ではないですよね。某ファンサイトでモーニング娘。のテレビ露出の減少をしつこく嘆いた方がいましたが、そういうネガティブな発信をしつこく続けることは「アーティストの活動を世間に向かって発信する事」とはどう考えても整合しません。私の印象ではそうしたネガティブな発言の反動として一部の事務所万歳論者が台頭したようにも見えます。そしてどちらがましかと言われれば、私はまだしも後者のほうだとさえ思っています。

例えば「マクガフィン」というユニットがあるとしましょう。そのユニットは久しくテレビ出演をしていません。さてファンサイトが二つあります。一つはマクガフィンがテレビに出ないことを嘆き、事務所の無能を言いつのっているサイト、一つはテレビ出演など気にせず、マクガフィンの行っているライブのレポートを載せ、そのライブのすばらしさを謳い上げているサイト、どっちがマクガフィンの*ために*なっているサイトでしょうか。

実際テレビ出演など久しくしていなくても、固定ファンがしっかりついて、愛されている音楽グループなんてたくさんあるじゃないですか。そのグループのファンサイトに行って、たとえば「羞恥心」は知名度があって、紅白も出場したぞ、いったいこの差は何だ、といって何になるのでしょう。私がそのファンサイトの管理人だったら、そんなバカはアクセス禁止にしてやりたいぐらいですよ。

私たちがなすべきことはメディア露出の多寡について云々することではなくて、自分が受容した作品の価値を積極的に発信することでしょう。テレビを通じて、あるいは現場で直接、我々が見聞きした作品の価値を発信すること、それが「アーティストの活動を世間に向かって発信する」ことに他なりませんよね。

音楽ガッタスに戻りますが、アンジェラスさんの記述を読むと、Paboと比べて音楽ガッタスは*不幸な*ユニットに読めてしまいます。どちらも知らない人がアンジェラスさんの記述を読んで、どちらのユニットを今後見聞きしたいと思うでしょうか。私たちはやはり*幸福な*ものに触れたい、音楽なのだから多幸感溢れるユニット・グループの音楽をこそ聴きたいと思うのではないですか(その作品自体は悲恋をテーマにしたバラードであっても、です)。たとえ「ごく限られたファンにしかその存在を知られていな」くても、そのファンに本当に愛されているユニットなのなら、それはそれで私はユニットとして幸せだと思います。そしてそのユニットのすばらしさをブログなどを通じて謳い上げることによって、さらにそれに触れる人が出れば、それはさらに素晴らしいことです。

ちなみに私はアンジェラスさんからすればハロプロ信者に属する人間だからかも知れませんが(苦笑)、Paboと音楽ガッタス、どっちがユニットとして*幸せ*だと思うかと問われれば、音楽ガッタスのほうだと答えるかもしれません。ついているファン一人一人の思い入れが音楽ガッタスのほうが遙かに強いように私には見えるからです。これは単にネット上でのファンブログのレポートを見ただけの印象なので間違っているかも知れませんが。こうした私の価値観は小説でも、映画でも同じことです。史上空前の観客動員をした映画と、マニア受けした小品、前者のほうが良いに決まっているという価値観を私は持っていないのです。


追記。

件のエントリが私にはまさに「勝ち組・負け組」言説の反復に見えるんだけれども(加護ちゃんの発言もその一つ)、そして私の「敵」はそういう言説だと言っている訳なんだけど、そんなに分かりにくい話なのかな、と思ったり。

まあ「言説」という概念がテクニカルタームなので、そこに頼って、説明を省きすぎたのかな。でも「言説」の説明って難しいんだもん。ま、反省。

投稿者 althusser : 2009年01月05日 00:18

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コメント

改めまして、こんばんは。
う〜む、私としては正直言って何処の部分にテーマを絞って、はたのさんとお話させていただければ良いのか、分かりかねます。
元々は加護さんの発言に触れられていた部分を読ませていただいた時に、現場を中心に活動をしているアーティストにとってテレビの仕事はあくまでプロモーションのツールに過ぎないのであって、むしろ現場中心で活動している人よりもテレビ中心で活動している人の方が下に見られているようにも感じましたので、コメントをさせていただいたんです。
私は、はたのさんが触れておられる固定ファンの存在について、ハロプロの世界に限っては果たしてどのくらい存在しているのか疑問を感じてますし、また現状においてはあまりにも売り手側が彼らの財力に頼り過ぎているようにも感じてます。
そこの部分についても、またPaboと音楽ガッタスとの違いについても、私なりに言いたい事は有りますが、まずは はたのさんの方でテーマを絞っていただけないでしょうか?
一体何処からお話させていただければ良いのか、分かりません。

>ちなみに私はアンジェラスさんからすればハロプロ信者に属する人間だからかも知れませんが(苦笑)

これは他所さんにも伝えた事がありますが、本物の山崎のイヌに接してみれば、そんな心配など一切なさらなくて済むかと思いますよ。

あと一つだけ。
最近何気に疑問に感じていた事なんですけど、こちら側の世界の皆さんって、実際に書いてある事をそのまま読むよりも、「この人が書いている事は、こう読める」と言った具合に、実際に書いてある事の裏を読むのが慣例になってるんですか?

投稿者 アンジェラス : 2009年01月05日 02:07

> 何処の部分にテーマを絞って、はたのさんとお話させていただければ良いのか、分かりかねます。

全く同感です(苦笑)。ということであとは両者のサイトを読んでいる読者さんの中で、何かを考える素材としていただければいいかな、と思います。

> 「この人が書いている事は、こう読める」と言った具合に、実際に書いてある事の裏を読むのが慣例になってるんですか?

これはお互い様だと思いますよ。例えば私は「固定ファン層」がどれくらいいるなんて一言も言っていませんよね。仮に固定ファンが10人でも(商業的には成り立たないでしょうが)、私の話はさして変わらないと思いますので。

投稿者 はたの : 2009年01月05日 02:11

消化不良気味ではありますが、了解しました。

あと余計な話かも知れませんが、固定ファン(と言われている人たち)の数って、結構重要な点だと思いますよ。
固定ファンが充分商業ベースに乗っている事と、その固定ファンが半永久的に支援(出資)してくれると言う事が、事務所信者が主張している事の大前提であるだけでなく、他の幾らかの人たちにとっても心の拠り所になってるみたいなので。

投稿者 アンジェラス : 2009年01月05日 02:50

あと、幾つか補足しておきます。

>もし論理の転倒が私の誤読であるならば(当然そうであるはずだと思っています

誤読だと言っておきます。
これをはっきり言っておかないと、他人から「誤読では無いと私が認めた」と思われて、後々横槍を入れられても鬱陶しいので。(笑)

それと、あなた御自身も「知られているに超したことはありません」と仰ってるじゃありませんか?
でも私は「知名度が不足しているのは不幸なことなのだ」とは言ってませんよね?
誰しも知らない事は評価出来ないのだし、知ってもらえたら新たにファンを掴む可能性が有るかも知れないけど、知ってもらわなければその機会だって無いでしょ?

今回やりとりさせていただいた事の元ですけど、テレビに出演する事(テレビ主体に仕事する事と言った方が良いですね)って、そんなに悪い事なんですか?
これはね、あなたが「自分は現場を中心に活動されてるアーティストを応援している」っていう話だけであったら、私だってそれが あなたの考え方なんだと理解し尊重して、別に何も言うつもりも無かったんですよ。
だけどね、あなたは加護さんに対して、御自身が応援されてるアーティストに対してお持ちになられている価値観のみで評価された時に、ある面で彼女のアーティストとしての姿勢を否定されていたから、私は一言申し上げたのです。

私は、あなたが仰っている事は「現場で活動している人の方が、テレビ等のメディアで活動している人よりも上なんだ」と言っているのと変わらないと思いますよ。
それこそ「勝ち組・負け組」言説を利用している某大手掲示板の一部の住人さんたちや、三流ゴシップメディアの連中と変わらないじゃないですか?
私は別にテレビで活動している人たちの方が上だとも思ってません。
人それぞれに、活動の舞台もそれぞれ有るんですよ。
(別に私自身はあまりテレビなんぞ見ていないのに、何でテレビの事で力説してんだろ? よく分かんないです(苦笑))

あなたのお考えは尊重させていただきますが、あなたが仰っていた「いまのファン界隈言説は「テレビ出演」をするものが「勝ち組」なのか、「現場で稼ぐ」のがよいことなのか、という二元論で終始しているように思います。」という部分は、やはり私には実態とは違っているとしか思えません。

>史上空前の観客動員をした映画と、マニア受けした小品、前者のほうが良いに決まっているという価値観を私は持っていないのです。

元映画ファンだった私だって、そんなもん持ってませんよ。
やっぱり、最も好きな映画が『ベン・ハー』だから、誤解されてしまうのかな?(泣)

投稿者 アンジェラス : 2009年01月05日 17:42

そもそも勝ち負けをファン側がしていることがナンセンスに感じます。メンバーたち本人側の価値観の代理戦争気取り程度な次元の話になってしまうのでは?
テレビにでなくても立派に評価される歌手はたくさんおりますし、里田や矢口のようにテレビに出る機会が多いとしても、歌手として出れないのならば負け、と思うメンバーだっているでしょうし、タレントとして活躍したいのであればそのメンバーとしては勝ち、でしょうし。
そのあたりの心象を慮ることがないのであれば、双方の議論、さしたる興味も持てないというのが感想です。

投稿者 はっちまん。 : 2009年01月06日 01:18

たぶん双方が「ナンセンス」だと思うと言っているのだと思いますよ>はっちまん。さん(お名前に。がつくとは今日初めて気づきました)。
 「テレビにでなくても立派に評価される歌手はたくさんおりますし、里田や矢口のようにテレビに出る機会が多いとしても、歌手として出れないのならば負け、と思うメンバーだっているでしょうし、タレントとして活躍したいのであればそのメンバーとしては勝ち、でしょうし。」
というはっちまん。さんのおっしゃるとおりで、アンジェラスさんも私も同じ気持ちだと思います。
 一言だけ言っておくと、リンク先のアンジェラスさんのエントリ、ミスケンさんからもつっこみがはいていたでしょ?それであとで説明されて真意が分かるようにはなっていますが、元記事を読んでも「紅白に出ているから勝ち組だ」と言っているようにしか読めませんよ、ということです。それが「勝ち組」言説の怖いところなのですよ。思ってもみない主張に解釈される。そしてその解釈は書き手からすれば誤読ではあっても、実際そのように読めてしまうのです。そういう個別語りを生産してしまう語り全体の構造がここで言う「言説」です。実際「Pabo」と「音楽ガッタス」を比べた後半の下りを読み返してみてください。見事なまでに一方を「勝ち組」と言ってしまっていますよ。 そして私にとっての問題(「敵」)はこの言説本体なのです。
 私もどうやらミイラ取りがミイラになっているわけですが、同じ誤読されるのなら、私は自分が価値のあると思う人の価値を評価する方向で誤読される方がまだしもですから、テレビ出演を軽く見ていると誤読(誤読ですよ?)されても致し方ないかなと は思います。言説構造全体をそれこそはっちまん。さんのおっしゃるように「ナンセンス」としなければならないはずですが、まあ価値観を転倒させただけでも上等か、という感じです。
 いずれにしても言葉のやり取りの上では、双方が誤読に誤読を重ねているだけですから、もう議論は打ち切ろう、と申し上げているのです。

投稿者 はたの : 2009年01月06日 03:56

はたのさん、はっちまん。さん(私もお名前に。がついている事に今日初めて気づきました)、コメントレスありがとうございました。

>私もミイラ取りがミイラになっているわけですが

私も同じ思いです。

投稿者 アンジェラス : 2009年01月06日 23:48

アンジェラスさん
 このたびはいろいろ失礼な対応になり、申し訳ありませんでした。
 でも今後も思うところがあれば遠慮なく突っ込んでいただければ、ありがたく思います。
 よろしくお願いいたします。

投稿者 はたの : 2009年01月07日 00:07

ガッタスはツアーをできるけどパボじゃ羞恥心がいなければ無理だとも言えますね。
なぜならパボには本当の意味でのファンがほとんどいないから。
ハロプロの成功の秘訣は熱心なファンを獲得してきたことにつきるのだと思います。

投稿者 bibi : 2009年01月07日 16:05

失礼ですね。
パボにだって、ファンは沢山いますから。
パボをバカにしないで下さい。
人気だって、ぜーんぜん劣ろえてないですよ。
ブログ、タレントスケジュールのアクセスランキングは、女性タレントの中ではトップですから。

投稿者 ナッツ : 2009年03月01日 14:10