重層的非決定?

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2008年03月01日

■ 愚痴っぽく、だらだらと

全然更新していないな。

何も購入していないし。今は高橋愛、亀井絵里、道重さゆみ、田中れいなで舞台をやっているが、チケットもとれなかったし、仮に今からチケットがとれたとしてもわざわざ新幹線で東京まで行くほどの感じでもなさそうだし、スルー。℃-uteがCDとか出しているはずだが、このグループはまああと5年やっていたら認めてやる(松山千春風に)という感じ。ファンも事務所もメンバーもそれだけのスパンでものを考えられている気がしないので。特にファンだな。ローティーンの女の子の手を握ることに最大の価値を見いだしているような人が満ちているとしか思えないあのファンシーンにはあまり関わりたくはない。もともとのハロプロ(というかモーニング娘。)ファンの中にもその手の一般的な(非メジャー系)アイドルファンも当然多数入っていることは分かっていたが、それが完全に主流となると、ちょっともういいかな、という気になる。当初からずっとあった流れとはいえ、それでも逆バネは根強く働いていて、なんだかんだ中澤裕子とか前田有紀とかが大事にされてきたものだったが、もうそういう空気もずいぶんと希薄になってしまった。

CDのイベントくじ券化も、メンバーにあこがれるローティーンの子たち(男女問わず)がメンバーとふれあう機会を持てるという方向で行くのならいい主旨だと思うが、実情全くそうはなっていない。一部ファンが大量にCDを買い占めて、金にあかせてイベント参加権を押さえ込んでしまう。ライトなファンにはまずチャンスはない。そうして閉ざされたおっさんファンばかりが集まるイベントばかりやって、そういうおっさんの複数枚買いでCD売上げを確保して、しかもそういうおっさんはメンバーが高校生になったらもっと若いメンバーのファンに移っていくという。メンバーだって、沢田研二じゃないが、「いつも同じおっさんたちの前で歌い、同じおっさんたちと握手する身にもなってほしい」んじゃないか。そんなこんなのファンシーンに、全くユートピアを見ることが出来ないのだ。

なんだか愚痴の方向が「道徳的・検閲的フェミニズム」っぽくなってしまった。そういう方向でしかものが見られなくなっているという(私の)状況がもはや末期的なのだと思う。

春はまあ、モーニング娘。春ツアー大阪公演は押さえてみるつもり。安倍なつみのトゥーランドットは大阪公演を一公演だけチケット確保済み。値段も高いので一公演で終わりだろう。あとは松浦亜弥の春ツアーも大阪公演に行く方向で。藤本美貴の舞台は東京でしかないので、日程・お金などの関係で未定。焦らずともその気になったところでチケットは押さえられるだろう。春の予定はその程度。

投稿者 althusser : 2008年03月01日 01:15

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