重層的非決定?

« 企業による言論封殺 | メイン | 幽霊言説 »

2006年12月24日

■ 凍る心

安倍なつみファンとして一番許し難いと感じたことを今更ながらに思い出してしまった。そう、加護ちゃんのファンとしても同じだ。物事の正しさを法律の上っ面の条文をなめただけで判断できると信じる言説。2年前にさる安倍さんファンサイト(今は小川さんファンサイト、なんて浮気性なのだ)へ寄せられた一つの、冷たい書き込み、私はそれをどこかで忘れてはいなかった。そしてそれが今まざまざと思い出さされる。

問題は二年前の恨み辛みなどではない。そのような言説がさも「良識」を気取る言説として今なお反復されている、ということも今更だ。ただ、私が勝手に抱いた勝手な期待、それが真に勝手なものでしかなかったことを思い知らされ、打ちひしがれる。

何も変わりはしなかった。


しかし法律を盾に何かをいうのなら、せめて法律の条文ぐらいきちんと確認すればよいのに。下のエントリと刑法230条はどう読んでも繋がらない。233条なら分かるのだけれど。

さらにいえば、230条と233条とでは適用の際に問われるべき慎重さにかなり差があるはずだ。一つ法律論にしたところでそういうきわめて慎重に考えなければならないことが山積みなのに、そうした事柄をすべて捨象して、やれ著作権だ、やれ名誉毀損だと上っ面の法律を振りかざす。いったい何なのだろう?

投稿者 althusser : 2006年12月24日 23:41

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

コメント