重層的非決定?

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2005年10月27日

■ なちコンへの願い

一部で話題になっているコンサートのマナーを巡る話。発端はここ。

10.25.一夜限りの残念パーティ〜! 

別にその場に居合わせたわけでもない、ましてやご本人がその後謝罪されている中、今更どうこう言うことはない。ただ、ふと、これをなちコンでやられたら、と想像してしまった。

特に、開演されているのに、わざと集団で遅刻して、行進して入場、という下り。寒気がした。そういうのでなくても、開演後にごそごそ入場されるのがいやで仕方がないのが、それはお互い様と言い聞かせている。それをわざと遅刻して、こそこそどころか、集団で行進して見せて、それをステージ上の演者に見せつける。ちょっと度が過ぎるとか、やった方の主観はそうでも、おそらくなちコンでそういう場に居合わせたら、大げさでなく、生涯恨むと思う。

いまだなちコンでそれに似た話すら聞いたことはない。しかし徴候がないでもない。ハロプロ全体にチケットがあまり気味でずいぶん安い、あるいは無料で入場してくるものが結構いる。私が行ったときも、大声で「この席千円だった」とか何とか言い散らしている馬鹿がいた(安くで買うのはかまわないが、そんなのを周りに聞こえよがしに言えば、正価を払っているものからすればいい気がしないことぐらい想像できないのか)。そうなれば「安倍なつみ」のステージを見に来たのではなくて、単に騒ぎたいだけのものがどんどん入場してくるようになるかも知れない。今までの安倍なつみのステージを見に来たものたちとは根本的に心性が違うものたちが多く会場を埋めれば、コンサートの雰囲気などまったく変わってしまうかも知れない。

しかしまた、それとは違った、少しある意味きわどい想像もする。もし遅れて入場行進をして席に着く馬鹿がいたとして、ステージ上の安倍なつみは、少しでも好意的な反応をするだろうか。本音不愉快、でもプロとしてそしらぬ顔をして、自らのステージをつとめるのではないか。ステージを作るのはこの私だ、そういうプロ根性を安倍なつみにはひしひしと感じる。へらへらMCをやっているようでも、絶対的に空間を支配する力、私は安倍なつみにそれだけの力を感じている。

なぜ加護さんはあのような不埒な観客に、好意的とも受け取られかねない反応を返してしまったのだろうか。そしてなぜその場にいた観客たちの一部は、そのようなステージを評価したのだろうか。ハロプロパーティなるステージは、観客、演者にとって、いったい何の場であったのだろうか。

他のハロプロコンサートはさしあたり気にするまい。なちコンだけは、安倍なつみのステージを鑑賞する場であり続けることを願ってやまない。

投稿者 althusser : 2005年10月27日 00:00

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