重層的非決定?

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2005年02月13日

■ 通常営業

コンサート(レビュー)といい、テレビといい、案外あっさりした復帰だったようで。

あまりあっさりしていて、引きずらずに済んだのはよかったのはよかったのだが、結局あれは何だったのだろうとむなしくもなる。

今だからあえて言うが、やはり安倍なつみさんには何かを学んでほしかった。災い転じて福となす。この件は0にはならないのだから、マイナスもあれば得るものもあった、というのでないとただただ無駄な2ヶ月と一曲(発売中止になった幻の新曲)だった、ということになる。

2ヶ月間、反省のために普通のOL並みにお茶汲みをして社会勉強をしていたのだという。何がお茶汲みだ、と思う。「女性」タレントだからお茶汲みが「普通」だとさ。世間の、働いている女性の代表的な仕事がお茶汲みだとでも言いたいのか?教育とは現実に即しつつも一定の理念を提示するものだと思っていたが、ただ悪しき現実のみをなぞらせる。そんな教育からいったい彼女が何を学べるというのか。

散々書いてきたが、彼女の「罪」は言葉に対する安直な姿勢にある。彼女自身は、会見で「言葉たち」など擬人化するほどに愛着を持っているその言葉に対する姿勢が問われたのだ。だったら、発表するしないは別にしても、今回の一件を自らきちんと文章でまとめる、そしてその手助けをする人をつけてやる、など創作とは何かをきちんと知らしめる、それ以外に「反省」などというものはないだろうに。

投稿者 althusser : 2005年02月13日 00:00

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