重層的非決定?

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2006年04月12日

■ 妄想の愛

劇団ひとりの短編小説集「陰日向に咲く」所収の「拝啓、僕のアイドル様」だけを読んだのだが、最初はその妄想の世界に非常に共感して読めたのだが、最後の落ちにがっかりした。あるいは私が誤読しているのだろうか、と思ってほかのところも流し読んでみたが、そこまでの誤読を誘うほどトリッキーな小説でもなさそうだった。

ネタバレで書くけれど、なぜ妄想の世界をそこで完結させなかったのだろうか。妄想の世界を中途半端な「現実」と接続してしまった瞬間、妄想はもろくも現実の前に敗れ去る。せっかくの「愛の妄想力」を自ら無効化してしまった。最後の落ちも妄想だったのだ、と言うのならまだ分かるが、それでも妄想は過去に逃げてはいけない。妄想は常に未来に開かれていなければならない。

2005年07月23日

■ 「靖国問題」

靖国問題

靖国問題

かなり前に購入。平易に議論が進められていて、ざっくり読める。

印象に残った箇所。

日本では、中国は「A級戦犯」合祀を理由に日本の首相の靖国神社参拝を批判することによって、日本の戦争責任を徹底追求しているのだ、という印象が広まっている。しかし私の見方は、ある意味で逆である。中国政府は、この問題を「A級戦犯」合祀に絞り込むことによって問題を限定し、一種の「政治的決着」を図ろうとしているのである。

全く持って見事な洞察と言うよりない。

そもそも当初より中国政府は一貫して「日本人民」の政治責任は問わないと明言し続けてきたのである。むしろ「日本人民」も「軍国主義者」たちの被害者なのだ、と。そういう認識に立った上で、中国政府は新生日本に戦後賠償を求めなかったのである。こうした中国政府の問題の「矮小化」に日本は大いに助けられた。中国からすればそれはある意味「貸し」に近いものであったはずだ。そういう経緯があったはずなのに、中国が最低限責任の主体として措定した「A級戦犯」がまつられているところに新生日本の総理大臣が参拝する。それは中国側からすれば「恩を仇で返」されたことに他ならない。

2005年06月08日

■ 「日本赤軍派」

仕事が一段落ついて、ヒッキーの暮らしがよみがえってきて、ようやく本を読む気力・体力が戻ってきたところ。昨日触れた「日本赤軍派」読了。

これって早い話素材が面白すぎて、何を読んでも「面白い」という感想が出てきてしまう。もちろん本書も十分面白かった。

実を言えば赤軍関係の本をきちんと読むのはこれが初めてなので、事実経緯レベルでいろいろ知るところが多かった。日本赤軍と連合赤軍の関係、とか。知っているようで知らない、という。「うろ覚えゼミナール」で取り上げてもらいたいな。

象徴的相互作用論の枠組みで事件を読み解いた、というものらしいが、象徴的相互作用論じたいがそれほど強力な理論ではない、という印象を個人的には持っていて、その意味では理論レベルで特に触発されるものはなかった。その分、事件の流れなどが小説を読むような、レアなものとして頭に入ってくる。特に新たな視点を得られたわけではないが、実に納得の行く経過報告を読んだ、という感じである。

このあたりの事実経緯についての了解は、新左翼運動というものをどれだけ同時代的なものとして接触したのか、というベタな話に回帰するようにも思える。

身も蓋もないことを言ってしまえば、この事件の「了解」には理論などいらないのではないか、と思う。なぜ「粛清」がなされたのか、という問いを、この事件自体に向けるほど、この事件は特異なものだとは私には思えないのだ。昨日も書いたように、この事件の一つ一つの事柄はことごとく「既視感」がある。例えば「共産主義化」を求める「総括」はまさに当時広く行われていた「糾弾」闘争と同じ構造をなす。とてもありうべき「平凡」な状況の中で、ありうべきひとつの帰結として、「凄惨な」殺人があったのではないか。ここで行われるあらゆる事柄が、その時代の表象物にほかならない。

構造分析よりも本書のようなある意味ジャーナリスティックなレアな記述のほうがより「面白い」と私が感じるのは、私がこの事件を引き起こしたのがある種の構造的必然というよりは、当時社会に底流していたある種の力の発露のひとつとして捉えるべきではないか、という印象を持っていることと符合する。そしてまた今の状況、構造的には平凡きわまりないいまの言説空間においても、ところどころで小規模ながら噴出する力の流れにこそ着目すべきではないのか、という私の思いにつながっている。

2005年06月05日

■ 本購入記録

とりあえず仕事が一段落ついたということで、少しリハビリに入ることにする。というわけで安倍さんの写真集をスルーして買い込んだ本数冊。

身体なき器官

身体なき器官

嗤う日本の「ナショナリズム」

嗤う日本の「ナショナリズム」

「身体なき器官」から読み始めたが、リハビリには少しハードすぎるかも。ドゥルーズ、よくわからんし。まあ、ぼちぼち、ということで。

2004年12月07日

■ 久々の書籍購入

昨日大阪で買ってきた本。

中澤裕子エッセイ『ずっと後ろから見てきた』

中澤裕子エッセイ『ずっと後ろから見てきた』

帝国的ナショナリズム―日本とアメリカの変容

帝国的ナショナリズム―日本とアメリカの変容

前者は昨日言及した通り。後者は未読。