重層的非決定?

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2006年06月11日

■ 安穏な激しさ

高野ヒロシさんが安倍なつみのアルバム「2nd ~染みわたる想い~」への感想として

私がこのアルバムから受け取った印象を非常に大まかに幾つかの言葉で表わすならば「女性」「安穏」「諦観」みたいなものでした

と書かれているのを読んで、なるほどと納得した。かつて小倉千加子さんが山口百恵の後期の作品を評して伝統的日本女性へ回帰してしまったというようなことを言っていたことがあるが、それとも通じるものがある。穏やかなメロディーに過去を振り返り、懐かしむ歌詞の世界。

そして考えてみれば「安倍なつみ」においてはある意味、それは一貫してそうであったと言うべきではないのかとも思う。彼女のソロ色が強い初期の作品「ふるさと」、モーニング娘。セカンドアルバム収録曲「せんこう花火」、つんくが彼女に与えた世界は当初からそういうものであった、と私には思われる。そうした意味で私は彼女の娘。時代の(実質)ソロ曲を楽曲として評価してこなかった。

考えが変わったのはいつぐらいだろう。いつしか、私にとって重要なのは表現された世界そのものではなくて、安倍なつみの、何かを表現しようとするその意思、姿勢である、と感じるようになった。楽曲それ自体は「「女性」「安穏」「諦観」みたいなもの」なのだが、そしてそれが確かに安倍なつみによって表現されているのだが、表現されたものではなくて、表現する意思のレベルにおいてはそこに収まらない激しさのようなものが私には感じられたのである。「安穏」な世界を作り上げる激しさ。それをアルバムにおいても、そして今回のコンサートにも感じた。

2年前のコンサートの自由にして「ぐだぐだ」な世界は安倍なつみの持つ独特の世界である。そしてまた今回のコンサートのように作るべきものをきっちり作り上げるその「強さ」もまた安倍なつみの持つ世界である。

投稿者 althusser : 2006年06月11日 00:00

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