重層的非決定?

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2005年06月07日

■ ライブ空間の歴史性

知っている人も多いと思うが、

パソコンテレビ GyaO [ギャオ]無料動画

でモーニング娘。のライブ映像が無料で見られる。発売されているDVDを配信しているものだと思うが、未入手のものなのでありがたい。

現在配信されているのは1999年春の福田明日香卒業コンサートと2000年春の市井紗耶香卒業コンサート。わずか一年の間を経たメンバーの入れ替わりとライブそのものの雰囲気の変化。1999年の時にはまだこのグループがどうなるのか、先が見えない不安さがにじみ出ていて、それだけに無限の可能性をも感じさせられる。「脱退」という非常事態に挑むメンバーの悲壮感が漂い、緊張感あふれる中の凛とした雰囲気。薄暗い景色の中に明るい日差しをを求める祈りの空間。その宗教的ともいうべき雰囲気からすると2000年のコンサートはずっと牧歌的で明るいユートピアだ。現在のモーニング娘。あるいはつんく本来の構想たる「お得なモーニングセット」的なものへ回帰する途上ともいえようか。

それでもあくまで「途上」というのは、いい悪いは別にして、加入して2年たつ6期メンバーの安定振りに比べての同じく加入して2年間での市井紗耶香の変貌振り、そして脱退、その落差に表象されている。

それからさらに5年もの時間が流れ、今のモーニング娘。を「保守的」なヲタは競争や緊張感がない、と批判する。しかし好みはどうあれ、そのようなものは今取り戻しうるものでも取り戻すべきものでもあるまい。確かに私は1999年のライブをこそ最高にすばらしいものだと思った。同じ卒業コンサートでも、安倍なつみ卒業コンサートの映像よりも断然惹かれるものを感じた。「卒業」という事態の持つ重みがまったく別物なのだ。1999年のコンサートでは、私(たち)が卒業という言葉で想起するカタルシスを存分に味わうことが出来る。しかし安倍なつみ卒業コンサートではそれは多くの部分形骸化されており、制度的なものとして飼いならされてしまっている。

しかし歴史はあくまで歴史だ。私(たち)は1999年の映像の中に、今のモーニング娘。に宿るユートピアを見なくてはならないし、逆に今のモーニング娘。の安定感の中に初期娘。に漂う不安感、亀裂の痕跡を読み込まなければならないのだ。

投稿者 althusser : 2005年06月07日 00:00

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