重層的非決定?

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2005年05月02日

■ 武道館デビューとか

アイドルとは確かに所詮虚像であるのは確かだが、しかしその虚像も、観客が貼り付ける「振り」をするのが最低限のお約束だと思う。もちろんそうした虚像をこしらえたくなるような演出はあるだろう。しかし観客がほとんど何もイメージを持つ前に「ミラクル」だ、「ゴマキの再来だ」なんだと製作サイドから言われてもそんなものを受け入れるわけには行きません。

なんかですね、古い話で恐縮ですが、横浜銀蠅の妹とか言う触れ込みで武道館デビューした岩井小百合さんとか、そんなのを思い出してしまうのですよ。岩井さん、デビュー後10数年ぶりかにテレビ東京の何かで見て、ああ、この人もとてもきれいで品のいい人なんだな、と、そのときの禍々しい宣伝のせいで見ようもなかった印象をはじめて持てたりした。確かにあの宣伝がなければ、私は岩井小百合さんなんて人を知ることもなかったのかもしれない、しかしあの宣伝のせいで、私は岩井小百合さんという人を私の「目」で見ることが出来なかった。

モーニング娘。はいまでこそそういうことを思う人もいないのかもしれないが、当初は観客が各々ストーリーを読み込んで、各々思い入れを持つ、そういう物語幻想に支えられてきたアイドルだったわけで、それには儀式もあればプロセスも必要なのに、そういうものを全て断ち切って、一方的に作り手がミラクルだ何だと言ってイメージを押し付けてこられても、少なくとも私はそれをまずは拒絶するしかないわけです。

もっと見せ方として、観客にイメージを想起させるような宣伝メッセージはなかったものか。プロデューサーのつんく氏の言葉の貧困さが恨めしい。

投稿者 althusser : 2005年05月02日 00:00

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