2007年03月28日
■ なごり雪
一点どうしても言っておかなければならないことができた。
加護サイト閉鎖ファンも見放す
元モーニング娘。の加護亜依(19)が謹慎中の喫煙行為を認め、所属事務所から契約解除された問題が波紋を広げている。一夜明けた27日、加護の大手ファンサイト「AI am…」が今月末の閉鎖を決定。「一連の件は自業自得」などと見放されており、ファン離れが急速に進んでいる。
nikkan sports.comより。
「「自業自得」などと見放されて」いるだと?そういうサイトもあるだろう。しかし、たとえば私が「やむをえない」と書いたのは「自業自得」という言葉とは何の関係もない。私が見たサイトの中にも今回の事務所の決定を「やむをえない」と受け止めているところはあった。しかしおそらくその多くは私と同じく、「自業自得」などという意味でそういっているのではないだろう。ここははっきりさせておかなければならない。
大体一般論として人に「自業自得」などという言葉を投げかけるのは卑しい心性だ。己の行為の結果を一番真摯に受け止めざるを得ないのはその本人であるのが明白な状況で、第三者がしたり顔で「自業自得」などという。言いたいことは「ざまあ見ろ」ということだろう。そういう卑しい自分の心性を隠して、「自業自得」などという言葉を並べる。
「自業自得」という言葉で納得せよと命じている対象はまさにその結果をいやおうなしに受け止めざるを得ない当事者だ。一方「やむをえない」という言葉で納得させようとしているのはほかならぬ私自身だ。
この一件を聞いたとき、事務所は彼女との契約を解消するだろう、とすぐに思った。それをどう受け止めるべきか。酷薄だ、彼女を守れない事務所を許すな、というような主張も心には浮かんだ。でもそれは私の思いとは違うと思った。私は事務所の決定を受け入れざるを得ないだろう、と思った。「悪の枢軸」に事務所を入れようとは思わなかった。事務所は事務所なりに彼女のことを真剣に考えていた、私にはそう思えた。そして事務所は怒りに任せて彼女を切り捨てたのではなく、まさに泣いて馬謖を切る思いで今回の決定を下したのだろうとも。
私は彼女の行為を不誠実だなどと思わなければ、また軽率だったとも思っていない。もっと彼女にとっては切実で必然的なものであったように思えた。そしてまたその切実さの由来を彼女自身も実はわかっていないのではないか、とも思う。もちろん私にもわからない。ただ私(たち)の前で歌うことよりも大切だと思えることがそのときの彼女にはあったのだろう。それは単に一時の気の迷いだろうか。確かに具体的な行為自体はそうだと言ってやりたい。でも「歌いたい」と願いつつ、それをご破算にしかねない行為をあえて行う(ちなみにここでは喫煙の話はしていない。禁煙を成功させるのはとても難しいことだ、たぶん)というその矛盾の中に、*それ*を埋めることを希いつつ、永遠に埋まらない、彼女の中にある「空白」としか言いようのないものが現れているのではないか。
ともあれ、またしても私(たち)は振られたのだ。これまでの「卒業」と同じく、私(たち)が振られたのだ。振られたものは「やむをえない」。ただ私(たち)を振って巣立っていくはずの彼女の未来が見えない。それが悲しい。
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