重層的非決定?

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2009年01月24日

■ Q.E.D.落ち穂拾い

本質に迫るドラマ批評を書けた満足感でとりあえず今はいっぱいなのだが、些末なところにも少しだけ触れておく。

演技。高橋愛の演技についてはその評価にかなりばらつきが見られる。でも第一回分はともかく、二回目、三回目の演技はきちんと見れば、絶対に下手ではないよ。まあ、あれだ、歌手グループの歌を聴いて、一人が音をはずすとグループ全体が下手という印象を持たれるのと同じ。ちょっとまずい台詞回しがあった、というだけで、もうそういう印象を持ってしまっている人がいる、ということだろう。二回目、三回目はかなり微妙な感情を、決して舞台演技ではない、抑えた良い演技で表現できている。というよりもいい意味で演技をしていない。素な高橋愛をそのまま出している。素直で、繊細で、でもどこかがさつ。

三回目でもまだ多少のばらつきはあるけれど、「若手アイドル女優」と呼ばれる面々の水準には達している。特に台詞回しよりも個人的には重要だと思っている「目の演技」がきちんと出来ている。「目」の中に自らの中に宿る思いがけない恋心に戸惑い、相手の反応にいらつき、しかし愛おしく思う、そんな心の動きがきちんと表現されている。この「目力」はハロプロにおいてドラマ演技で一定の評価を得られている安倍なつみよりも上でしょう。

ドラマ全体としてはもはや推理ものとしての魅力はほとんどなく、高校生男女の成長物語からだんだんと恋物語へと進みつつある。原作は決して恋愛ものではない、という風に聞いていたので、第三回放送分でここまで恋心をほのめかしてくるとは正直思っていなかった。切なくも甘酸っぱい仄かな恋の香り。初恋の時のあの胸のときめきを思い出させてくれるドラマ。

というわけで愛ちゃんとの疑似恋愛モードで見れば、このドラマは傑作としか言いようがない。だったら原作はQ.E.D.でなくてもいいじゃないか、という突っ込みはこの際却下。

投稿者 althusser : 2009年01月24日 17:23

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