重層的非決定?

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2006年02月15日

■ 「教育」欲望

彼女をなぜかくも「偉そうに」叩く人がいるのか。それは煙草を吸ったからだ。なぜ煙草を吸うと(健康に良くないとかそんな話じゃなく、あたかも邪悪なことをしたかのごとく)叩かれなければならないのか。それは煙草を吸うことが「非行」だからだ。

「非行」問題とは畢竟秩序問題である。非行とは秩序の境界を脅かす行為であり、秩序を挑発する行為であると認識される。逆に言えば非行をただすことが「良き秩序」を守ることになるのだ。

非行者とは秩序を乱し、秩序からはずれたものであって、逆にそれを秩序の元に戻すことによって秩序は秩序たり得る。逆説的に非行者は秩序を維持する効果を持つ。その効果こそが「教育」である。

未成年の喫煙は非行の代表的なものとされる。それは「非行-教育」に必要な形式をすべて備えているからだ。

  • (健康という)本人にとって良くないことである。
  • (健康という)身体に関わる問題である。
  • (大人にだけ許されていることをするという意味において)大人/子どもの境界の侵犯である。

彼女を叩くものたちは、彼女のために、そして社会のために、彼女を叩く。いや、叩いているのではなく、子どもである彼女と、それに同調する餓鬼どもを「教育」しようとしているのだ。

投稿者 althusser : 2006年02月15日 00:00

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