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2008年09月01日
■ アナクロソツメンヲタはかく語りき
モーニング娘。は死んだ。モーニング娘。は死んだままだ。そして我々がモーニング娘。を殺したのだ。
長年続いた日曜昼の「ハロモニ」が終了、平日夜帯番組枠にモーニング娘。、ベリキュー、真野なんちゃらちゃんのハロプロ若手アイドル班の「ワンダ」組が集結。「よろしくセンセイ」こと「よろセン!」がスタートとか。誰が「センセイ」役なの?とか真野なんちゃらちゃんって誰?というのはさておき、肝心のモーニング娘。の行き先が見えない。
モーニング娘。卒業メンバーおよび前田有紀、松浦亜弥、里田まいら「エルダー」組は各々知名度やらスキルやらキャラやらを生かして適材適所の多面展開、これはまあ、分かる。
ベリキューら「若手」は若さやら新鮮さやら可愛らしさやらを生かして、「ふれあい」を中心としたB級アイドル展開、これも(私は好きではないが)、まあ、分かる。
しかし知名度・スキルともエルダーにさして引けを取るとも思えない(こともないか)モーニング娘。は、ベリキューらと同じ「ワンダ」に組み込まれ、B級アイドル化を自ら進める一方で、B級アイドルとしてはベリキューに見劣りするような状況に追い込まれていって、どんどんその価値を目減りさせていっているかのように感じられてならない。
いったい何故こうなってしまったのか、その決定的契機は何か、などと考えていたりするわけだ。
さかのぼればいくらでもさかのぼれる。辻加護の卒業、安倍なつみの卒業、後藤真希の卒業、中澤裕子の卒業、いや4期メンバーの加入、いや後藤真希の加入。それでも現在のモーニング娘。のB級アイドル路線を決定づけたと私に思えてならないのは、これまたずいぶんと古い話だが、やはり矢口真里の「脱退」だったろう。
モーニング娘。が恋愛禁止だというのは実は発足当初からである。「うたばん」で石黒彩が「アイドルは純粋でしょう」とにやりと微笑んでいったごとく、モーニング娘。は恋愛禁止であった。
ただしそれは、たとえは悪いが、水商売の女性に「彼氏は今いない」のとほぼ同程度の意味合いであったと思っている。
24歳の水商売経験者の元OL、19歳で鼻ピアスをしてバンド活動を行っていた女子短大生がいるグループで、平然と「アイドルは純粋」と言い切るその厚顔さこそが、モーニング娘。をして小泉今日子の「何てったってアイドル」を凌ぐメタアイドルたらしめるものであった。歌詞という言葉の上にとどまらず、そのキャラクター全体をそこに投下して見せたのだ。
ただしそれは事務所の明示的な戦略というわけではない。あくまで「受け手」の解釈の次元においてである。そして事務所の方針自体は、実は終始一貫したものであったと思う。モーニング娘。発足から、今に至るまで。ベリキューを含めて。
私の見る限り事務所の恋愛に対する対応は「アイドルグループにいる限り、恋愛は認めない」、「恋愛が発覚したら、別れろ」の一点張りである。「処分」が状況によってバラバラだといわれることがあるが、おそらく明示的な「処分」を事務所から行ってはいないように思う。とにかく是が非でも「別れろ」。それをメンバーが受け入れれば、明示的な処分はなし(歌のパートを一時的に減らすとかその程度のことはやっているかも知れない)、受け入れない以上は自分からグループを脱退するしかなくなる。この方針でこれまでの各メンバーの恋愛スキャンダルの結果はすべて説明できる。
私はこの事務所の方針を支持してはいないので、そこから生み出された結果において、当該メンバーを否定的に見ることはしない。その上で続ける。
メンバーが「別れる」に応じているうちは、「スキャンダル」は内々で処理される。明示的な処分が出ることはなく、しかも恋愛はしていない、という建前は維持され、モーニング娘。の言説上のメタアイドル性は守られる。もちろん「本当」は実質強制的に「別れ」させている時点で実はメタでも何でもないベタアイドルにすぎなかったわけだが。
この危ういバランスが打ち破られ、モーニング娘。が言説上においても単なるベタアイドルにすぎないと見なされるようになった契機を、「恋愛」を貫いたが故に「脱退」することになった矢口真里にみる。事務所の対応は変わっていなくても、みる側からの印象は全く別のものとなる。「恋愛すると辞めさせられるんだ」、「ネタだと思っていたのに、本気で処女性なんて守ろうとしているんだ」。そしてベタアイドルファンたちの「歓喜」の声。「モーニング娘。はアイドルだ!」。アイドルでありながら恋愛を貫くという矢口真里の「叛乱」が、モーニング娘。のアイドル化を推し進めたのはなんとも皮肉なことであった。
矢口真里「脱退」後のハロプロ合同コンサートでは、モーニング娘。は「純粋培養」グループベリキューとともに「ワンダ」組として、「エルダー」組に組み入れられた主要モーニング娘。卒業組とは切り離される。
かくしてモーニング娘。は名実ともにべたべたなアイドルとなった。藤本美貴の脱退はその反復にすぎない。ただしその反復こそがだめ押しになったわけだが。
改めてこのだめ押しはいかにも痛かった。おまけにその直前には藤本美貴と並んで「べたべたアイドル」路線にそぐっていなかった吉澤ひとみが「卒業」していった。もはやモーニング娘。をしてメタアイドルたらしめる要素は何も残ってはいなかった。
メタアイドルモーニング娘。はかくして死んだ。
世の中、***な人って本当にいるんだなあ、ということを再認した(苦笑)。別に読者がこのエントリをどう解釈してもいいけれど、その勝手な解釈で他の読者をミスリードするのは何だな。まあ、この人自体はどうでもいいけれど。
それでもこの文章を読んで、現在のモーニング娘。のパフォーマンスを否定しているものだ!と解釈する人がいるとは想定の範囲外だよ。
一応まっとうな理解力を持った読者であっても、あほな誤読に引きづられないとも限らず(多分その危険性は薄いと思うけれど)、それは迷惑なので、そういう(まっとうな理解力を持った)読者のために補足しておくと、上の文章は、「処女性」なる妖怪に振り回される類の(限定用法)「アイドル」の秩序において、モーニング娘。がその超越的地位を失墜した、といっているのであって、モーニング娘。のパフォーマンスについての否定的評価など一切していない(よね)。むしろ(そう直接言っているわけではないが)そのパフォーマンスが正当な価値を持って評価されがたい言説空間の中にモーニング娘。がおかれてしまっていることを問題にしているのだ。
「アイドル」と言えば「処女性」が掛け金として投入されてしまうこのアイドル言説空間(アイドルは処女性を維持していなければならない、という「ファン」と、そのようなことを求められるアイドルなんてださいと拒否する「一般層」との対立が発生する空間)において、かつてのモーニング娘。はなお特権的な位置(松田聖子において処女性が問題にならないのと同等の)をもてていたのが、今はそうではなくなってしまったその現状を指摘しているわけだ。この言説空間ではこの対立はパフォーマンス評価の前に生成されてしまうために、パフォーマンスの善し悪しがそもそも問題とされない。「モー娘。ださい」、「所詮モー娘。」といった支配言説はまさにこのアイドル言説空間の中で立ち上がってしまっている。
かつてのモーニング娘。はこのアイドル言説空間の中においてなお、「国民的」と冠せられるだけの地位を保持できていた(それを持って「メタアイドル」と呼んでいるのだ)が、今はその立場を失ってしまった、それを持ってメタアイドル(としての)モーニング娘。の死と言っているわけ。
となれば次なる戦略はアイドル言説空間自体の組み替え以外にないと私は考えているわけで、しかしその戦略については本エントリは何も述べていない。ただ今の事務所は(ある意味状況的には「仕方がない」かもしれないけれど)、このアイドル言説空間にどっぷりつかっており、その空間にモーニング娘。を押し込めようとしている。そして「我々」ファンもまたその網に絡め取られてしまっているのは確かだろう。「我々が」殺したのだ、というのはつまりそういうことだ。
件の解釈者を相手にしたくないのは、そもそもこのエントリがこのブログ全体でどういう位置づけで、どういうコンテキストでここにおかれているのかを一切読み取ろうとせず、言葉の上っ面だけをなめて文意をねじ曲げてくるから。よほどレトリカルな文章を読解する力がないのか、相手の趣旨を読み取る気が最初からないのか、どちらかなのだろう。このエントリだって冒頭の文章はあえて扇情的なレトリックを借用して、かかれていることぐらいはふつう読み取れるだろう。そうであれば、このサイトのこれまでのスタンスと併せて、このレトリックをここで用いて何を言わんとしているかを読み取ろうとするのが「解釈」というものだ。それができないなら、「このエントリはわからん」ですませればそれでよいのに、あほなつっこみをするからあほだ、というしかないのだ。
ということでそのサイトから訪問された方、一つよろしく(苦笑)。
もっともベリキューファンの方から、ベリキューを「処女性」に振り回される類のアイドルにおとしめるな、といわれると、その批判は甘んじて受け止めなければならないけれど。モーニング娘。はベリキューと一体とされることで、このアイドル言説空間からどんどん抜け出せなくなる、つまりベリキューは(モーニング娘。とは違い)最初からこのアイドル空間を補完する存在でしかない、と現状私が思っていることは確かなので。
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