重層的非決定?

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2009年03月31日

■ 携帯ストラップ

安倍なつみラジオ番組Five Stars卒業回。

そこで安倍なつみより衝撃のお話が。

あたしねえ、(携帯にストラップを)なんにもつけてないの。そうなの、もうシンプルイズベストみたいな。

えー!?

私はなっちとおそろいだと思って、アコなちはにわっちストラップをずっと付けているのに!

■ 夢なら醒めないで

今ツアー、高橋愛ファン待望のソロ曲「夢から醒めて」。

私は、最近の更新を見ると忘れられそうな気もしなくもないが、第一義的には安倍なつみファン。というところもあって、この曲に対する思いは少し違う。

「夢から醒めて」はGyaoドラマの主題歌。同じくGyaoドラマの主題歌として安倍なつみの「たからもの」がある。いずれもつんく♂プロデュースではない曲、そして「いつものハロプロ」曲とは違う伸びやかな曲調、ヴォーカルの「素」な感じの声がストレートに堪能できる曲。というので、私の中ではどうしても比較対象になる曲。

本来曲とかその歌唱とかを比較して、まして勝ち負けを決めるなんてことは粋じゃないのだけれども、あえてその粋じゃないことを書こう。

「たからもの」と「夢から醒めて」、正直言って安倍なつみ「たからもの」の方が断然いい、と思っていた。

まずは曲の背景。

「たからもの」のドラマは神戸震災をテーマにしたものだった。大好きな父親が震災でなくなった、それで閉ざされた心が再び動き出す流れを追ったドラマ。名作だった。地上波で流しても良かった、名作ドラマだった。そしてそのバックグラウンドに流れる「たからもの」。

何も変わらないものに 囲まれながら

たからものは 知らぬ間にどこかに行ってしまった

やさしい かなしい 思い出を残して

ドラマの世界と歌の世界がしっかり対応していて、歌を聴けば自然とその背景にある様々なものが浮かび上がってくる。人の心の傷、思い出、そして未来への希望、そうしたそれぞれに重いテーマがしっかり胸の中に刻み込まれ、反芻される。

一方「夢から醒めて」。ドラマ自体はよく分からないドラマだった。「エコ」がテーマの「シュール」なドラマらしいのだが、エコがテーマらしいことは分かるけれども何が「シュール」なのかも分からないし、結局何を訴えたかったドラマだったのかもよく分からなかった。高橋愛が出ている、という意義しかないはっきり言って駄作だった。

曲自体はいい曲だ。なのにその背景にあるドラマがそれをスポイルしてしまっている。なまじ背景にそんなドラマなどない方が良かった。しかし私の記憶の中ではこの曲を聴くとあのドラマがよみがえってしまう。全く余計な風景が。

そして歌唱。

歌い手のストレートな感情が表出されやすいこの手の素朴な曲に対しての歌い手の表現力。こういうのは安倍なつみとか中澤裕子とかが秀でているように思う。歌唱における「気合い」派。一方高橋愛とか後藤真希は私の中では「技巧」派。特に高橋愛はフェイクっぽく歌ったりそういう場面で特に力を発揮するタイプ、私の中での分類はそう。

例えばモーニング娘。。初期曲「ふるさと」。この曲も同じような意味を持っていると私は思っていて、この曲を高橋愛は数度ソロで歌っている。FC向けの企画DVDで歌ったのは私は知らないのだけれども、2005年モーニング娘。コンサートで歌われた高橋愛ソロ「ふるさと」。高橋愛ファン絶賛のこの歌唱、私はDVDで見ただけだが、その限り、「そんなにいいか?」と思った。同時期の高橋愛の歌唱ならばその次のツアーで歌われた田中れいな・亀井絵里との「ラストキッス」のほうが断然良かった。高橋愛に合うのは断然こちらだと思った。

2006年、この「ふるさと」を高橋愛と安倍なつみがデュオで歌った。果たして私の中では安倍なつみの「圧勝」だった。

「夢から醒めて」。私はこの曲は2007年に初めて生で聴いた。保田圭・矢口真里とのディナーショー。高橋愛(という人)を「感じる」という意味ではいいと思った。しかし高橋愛の芸を堪能するという意味では最高だとは思わなかった。

そして今回のツアー。私の中での最高の高橋愛はソロパートがそれほど多いわけでもない「情熱のキスを一つ」の高橋愛だ。踊りとか衣装とか表情がエロくていい、とかそういうことじゃなくて(それは絶対的にあるのだが)、高橋愛の歌唱を楽しむという意味で断然こちらこそ高橋愛の力量がよく出ている曲だと思う。

しかし。福井夜公演での「夢から醒めて」。良かった。とても良かった。

黄色に染まる会場、安倍なつみなら感激のあまりに崩れるこの場面(それはそれで安倍なつみのパフォーマーとして秀でたところだ)で、しかし高橋愛は毅然と歌いきった。(おそらく)万感の思いを胸に、それを歌声に乗せて、聞かせてくれた。気合いと、技術と、そして歌手としてのプライドが見事に調和した歌唱だった。伸びやかな声に繊細な感情とほとばしる気合いを込めて。

毎度の月並みな表現ながら、本当に夢の中にいるようで、その時間がもっとずっと続いて欲しいと願うも、その時は駆け足のように過ぎていき、そして何事もなかったように次の曲「Take off is now」でいつものごとくとてもエロティックなパフォーマンスを披露する高橋愛がいた。

■ 不埒な願い

私はモーニング娘。のファンだ。そして私はモーニング娘。のコンサートに行った。それは間違いない。

しかし私はモーニング娘。のライブを語る資格を本質的に持たない。モーニング娘。のパフォーマンスを語ることが出来ない。何となれば高橋愛がステージにいる時間はほとんど高橋愛しか見ていないからだ。ひどいなあ。

今そのときメインで歌っていたり、踊っていたりするメンバーを見ようとも思うのだけれども、DVDになったときに見られるよな、と思い、逆にこんな時(高橋愛に焦点が当たっていないとき)の高橋愛は今しか見られない、と思うとどうしても高橋愛から目が離せなくなってしまう。そして高橋愛がフォーカスされているときには、もちろん高橋愛を見る。

本当にひどいことに、だから、道重さゆみソロ曲の「It's you」も、バックダンサーとして高橋愛がいるので、そっちしか見ていない。本当にひどい奴だ。

もっとももう少し可愛らしい感じとか、元気良い感じの曲の時にはまだ他のメンバーにも目をやろうと思う。しかし「It's you」とか、新垣里沙・田中れいなとの曲「情熱のキスを一つ」「Take of is now」とか、エロティックな表現をしている曲はもうただひたすら高橋愛。そして「情熱のキスを一つ」の中でフェイクっぽく咆哮する高橋愛の歌声に私は耽溺するのだ。

高橋愛の地元福井。私の陣取るファミリー最後列から高橋愛の知り合いっぽい女性の集団とか、ちょっとお年を召した方やらが見える。そういう人たちの前で、体のラインが見える衣装を着て、エロティックな表情をして、エロティックなダンスを披露し、咆哮する高橋愛、なんだか凄いなあ、と思う。そしてMCではすっかり素な感じで、ちょっと照れながら訥々としたトーク。「なっちは噛むの!そういうもんだと思っといて」と開き直る安倍なつみとは対照的に、いまだに噛むことを気にし、それでも噛んでしまう高橋愛。

パフォーマンスモードの時と素モードの時のこのギャップ。スペシャリスト、舞台人、そういう言葉がしっくり来る。

地元公演ということでソロMC担当、そしてダブルアンコールで再び登場して簡単な挨拶。最近あまり見る機会もなくなった「素」モードの高橋愛を見られて、安倍なつみコンサートでは毎回なっちのぐだぐだトークを満喫していることを思い起こし、つい願ってしまうのだ。

高橋愛のソロライブを見たい!

モーニング娘。を卒業しなくても良い、夏以降のメンバー別ソロ展開の一環として高橋愛のスペシャルライブを企画してもらえないものだろうか。FC限定とかじゃなくて、STBとかライブハウスとか希望しても入れない人が出るような狭い会場じゃなくて、中野サンプラザとか大阪厚生年金会館ホールとかそのぐらいの規模で。東名阪3日6公演とか、やって欲しいなあ。可能なら6公演ともいっちゃうよ。

■ 輝く光の中で

「凱旋」公演。そのメンバー固有に定められた色(FCが販売するメンバー別Tシャツの色)のサイリュームを掲げ、そのメンバーの愛称を呼んでアンコールするのが一般化している。琵琶湖ホールではその「祭り」を呼びかけるサイトまで立ち上げて、光井愛佳の色、紫のサイリュームが配布されていた。そして高橋愛の地元福井公演。

ネット上の企画サイトは作られず、mixi内でコミュニティを立ち上げて企画が進められていた。ネット上のサイトならばブログからもリンクが貼られ、広がりやすいのだが、mixiではやや宣伝効果が薄い。実際琵琶湖企画は私はかなり前からその詳細を知っていたが、福井企画は直前にざっと当該mixiコミュニティを見ただけ。それでも夜公演にはサイリュームを配るということ、高橋愛ソロ曲でもサイリュームの色をそろえたいけれども、それを呼びかけると「ネタバレ」に繋がるので断念する、ということを知る。

昼公園前のグッズ購入時。黄色サイリュームを2本購入。普段はファミリー席ということもあって(一般席の時も、だが)サイリュームなど使わない。また安倍なつみ誕生日コンサート時には白サイリュームを掲げる企画があったが、そのときはグッズ列に並んでいる最中に企画サイドからサイリュームをもらったのでそれを使った。そして今回。

昼公演は大々的にはやらず、参加者各々の思いで会場が黄色に染まればいいな、というノリだったようだ。前日の琵琶湖公演では昼夜とも紫に染まったので、それだったら福井昼も、という思いになって、昼はアンコール時に黄色サイリュームを点灯させる。はたして会場は黄色に染まった。

そして夜公演。企画サイドがサイリュームを配り歩く。私は既に持っているからとお断りする。

そして高橋愛ソロ曲。アンコール時はメンバーはステージ上にはいないので、一色に染まった客席を直接見ることはない。だから直接客席を見ているソロ曲の時に、と思う。安倍なつみなら本編ラストの「愛しき人」の時。そして今回高橋愛にはソロ曲「夢から醒めて」の時に。

果たして見事に会場は黄色一色になった。

サイリューム祭りは、私の知る限り、モーニング娘。内ユニット「タンポポ」へのリスペクトから自然発生的に始まったのが初めてだかで有名。そしてそのときの色がタンポポの黄色。私はその場にはいなかったけれども、伝説となった黄色サイリューム祭り。そのタンポポとは無関係だった高橋愛に対しての黄色サイリューム祭り。安倍なつみの「白」は本人が好きな色、そしてファンが選んだ安倍なつみの色、ということで色自体への思いも積極的なものだが、黄色は高橋愛が好きな色だというのも聞いたことがない、単に事務所都合で(おそらく)機械的に割り当てられた色。そして「夢から醒めて」という曲にも「黄色」という色はあまり関係があるとも思えない。そうした色々な意味でちょっと微妙と思うところもあった。

しかし、美しかった。半ば自発的になされた黄色サイリューム祭り。しかし会場の照明までもが(急遽だかどうだかは分からないが)黄色でステージを照らし、まるで会場全体が金色に包まれたようだった。その中で純白のドレスに身を包み、ちょっとはにかんだ表情を浮かべながら、しかし凜と立つ高橋愛の姿。そして感激のあまり歌が崩れる安倍なつみとは対照的に高橋愛の歌声は全く乱れることなく、むしろこれまでで最高に響く伸びやかな声で毅然と歌いきる。まさに神々しいばかりの姿。

「新しい明日を、迎えよう」

金色の景色にふさわしいフレーズで曲が終わる。

■ 最高のライブの中の汚点

ネガティブな話を先に書いてしまおう。

福井公演、昼夜とも私の席はファミリー席最後列。後ろは一般席。それはいいのだけれども。

夜公演、私の後ろの人、「お、立ち最前じゃん、結構いい席ちゃう?」とかなんとか大はしゃぎ。私もその会話をほほえましく聞いていた。しかし・・・。

やってくれました。メドレー中のリンリンのソロ。本ツアー随一の見せ場。一緒に声を出して歌いやがる。聞けよ、じっくり聞けよ。なんでリンリンの素晴らしい歌声を調子っぱずれなお前の歌混じりできかなあかんねん。

こういうのは安倍なつみコンサートでもよくあって、そのケースでは客が安倍なつみに心酔しきっていて、同一化しようと歌っているという感じで、それはそれで腹が立つのだけれども、今回のはもっとひどかった。歌い終わった後、そいつがしゃべる。「一緒に歌い上げてやったわ」。お前は何者だ?歌い手に対する最低限のリスペクトも感じられなかった。最低最悪の野郎だった。その後に控える高橋愛ソロの時が不安になる。そいつの着ているTシャツを見るとそいつがだれファンかが分かる。高橋愛ファンではなかった。そうであるだけに「やらかす」だろうとおもうと気持ちがざわめく。

リンリンとジュンジュンの「シャニムニパラダイス」。ここでそいつとその連れが私語をした。やはりこいつらには歌い手へのリスペクトなどかけらもないのだとわかり、振り返って睨み付けて「歌の最中にはしゃべらないでもらえますか」と注意した。そいつは何も言わなかった。

そして高橋愛ソロ。果たしてこの馬鹿、歌い始めた。もう凄い勢いで振り向いて睨み付けると、先ほどの注意が効いたのか、歌うのをやめた。それでも一小節「無駄」にした。もしこれでやめなかったら、公演終了後にでもアップフロント関係者を呼び出して、そいつのいた席番号を知らせて、(どうせFC席だろうから)FCサイドで何らかの対処を断固求めるところまでやるつもりだった。それでどうなるかは想像の埒外だけれども、FC席でしょうもない鑑賞態度でいる人、こういう覚悟でいる客もいるので、一応注意されたい。それがかりに「転売」されたものであっても、私は知らない。

客が一緒に歌う曲があってもいいとは思う。私はあまりそういうのも好きじゃないけれど。安倍なつみでいえば「愛しき人」とか、歌い手もそれを望み煽っているようなのはもう合唱曲としていいだろう。でもリンリンのソロパートといい、高橋愛のソロ曲といい、どれほどの期待と思いでこちらはその歌を聴こうとしているのか、それぐらいくみ取ってくれてもいいじゃないか。特に高橋愛ファンでもない人間が、高橋愛ファンにとって何物にも代え難い「凱旋」公演でのそのソロ曲を台無しにしようとするなんて、本当に信じられない。そしてこういう馬鹿がいる以上、私はモーニング娘。コンサートを「最高」だとは言えないのだ。

■ 琵琶湖めぐりII

3月29日。目覚ましを使わずに起床。それなりに緊張しているのだろうか。

早い目に起床したので、普通列車で行っても開演には十分間に合いそうだったが、やはりここは早い目に、と思ってサンダーバードに乗り込む。昨日は琵琶湖を北西方向に見ながら、そして今日は琵琶湖を南東方向に見ながら進むことになる。

サンダーバード、一度乗ってみたかった。旧来の雷鳥に使われている車両と比べてどうなのか。

なんだか新幹線っぽいな、というのがその感想。新しいだけあって、座席も大振りでゆったりしていて、中々よろしいのだけれども、ほとんど乗る機会がない在来線の特急に乗っている、という感慨にはほど遠い。

福井駅に降り立つ。寒い。京都でも十分寒かったが、さらに寒い。急ぎ足で会場に向かう。結構距離もあるが、歩けない距離でもない。

事前調べは一切していないので、昼食をどこで、という目算なし。高橋愛お勧めヨーロッパ軒でソースカツ丼を、というのは当然思いとしてはあるのだが、肝心のヨーロッパ軒がどこにあるのかをよく知らない。そのあたりはホテルで調べてから、翌日に、と思っていたので、今日は会場付近で適当なところがあれば、と。

会場前、既に客が多数たむろしている。寒い中外に既にグッズ列が。私は昨日の反省を元に、まずは昼食を、と思い、会場向かいにコンビニのイートインコーナーを発見、そこでソースカツ丼を食す。ソースが辛くて、かつが薄くて、かなり辛い。味噌汁、サラダはおいしかったのだが。結局カツを一枚残す。

やはり会場限定写真を目当てに、ついでに琵琶湖ホールでは昼公演時には販売されなかった「モーニング娘。チョコクランチ」なるものも買おうとグッズ列に並ぶ。またしても列が全然動かず、そのまま開場時間に。2時間寒い中並んだ労も報われず、勝手に出来た入場列から入場。馬鹿馬鹿しい。

それでも何とか購入したのは会場限定写真高橋愛。愛ちゃんには珍しくメッセージが長い。

HELLOーーーーーー

みんなーただいまっ!!!地元だよ。

久々なので、テンション↑↑だと思いますが・・・

からまわりせんように...笑 頑張りマスっっ!

ちなみに前日琵琶湖ホール版は「WELCOMEー」と「みっつぃー」。

クランチチョコはなんとなく2個購入。おまけ?のメンバー写真は高橋愛と田中れいな。愛ちゃんが来たよ。ついでに下世話な話だけれどもこの手の写真ものでは人気の田中れいなを引いた、というのもちょっと幸運な気がして、さい先良し。

昼公演終了後、予約していたワシントンホテル(4月1日からはホテルフジタになるらしい)に向かい、チェックイン。工事中だからということで格安4300円でしかもツインの部屋を用意してくれていた。ネットも使い放題。荷物を置いて少し休んでまた会場に向かう。途中まで歩いてふと気づく。チケット忘れた。あわててチケットを取りに戻る。疲れる。

夜公演、無事終了。まずはホテルに帰って、それから夕食を、と思うが、福井休日の夜は厳しい。店がない。飲み屋はそれなりにあったが、一人ではいるのも何だし、とあれこれ探すと駅前の商店街にチェーン店形式のソースカツ丼屋が。小川屋。昼に続いてソースカツ丼。こちらはソースも辛すぎず、それなりにおいしくいただけた。二食連続でソースカツ丼。そういえば仙台にいったときは牛タン定食ばっかり食っていたな、と思い出す。

ホテルに帰ってテレビを付けるも、チャンネル少なく、見るものもなく、ネットで今日の公演のレポートを読むがまだそれほど本数も上がっておらず(当然だが)、福井についてあれこれ調べていたら、いい時間になったのでそのまま眠る。

翌朝、あまり早くにホテルを出ても時間をつぶすのに困るので、だらだらと部屋で時間をつぶし、10時前に福井市内を探索。昼食はヨーロッパ軒と決めていたので、それまで市内から離れるわけにも行かない。県庁のある福井城をぐるりと回ったり、と無理矢理時間をつぶして、ヨーロッパ軒の開店時間11時になるのを待つ。

時間をつぶしきれずに10:30ぐらいに店の前を通ると、既に開店待ちの人が。見るからに娘。ファン。一緒に並ぶのも何なので、さらに付近探索をして開店直前に戻る。列はさらに伸びていたが、それでも2階席を無事確保。ソースカツ丼定食を注文。三食連続ソースカツ丼。

店内はいい意味で古びていて、雰囲気良く、あれこれサービスもいい。ソースカツ丼自体は小川屋との劇的な差は感じなかったけれども、とにもかくにも高橋愛お勧めの「本家」でソースカツ丼を食したことに満足。

これでほぼ福井に来た目的は達せられたので、あとはだらだらと福井見物をして、愛ちゃんゆかりのおみやげを買って帰ればそれでおしまい。

福井といえば、というほどでもないけれども、足羽山へいって、継体天皇やら新田義貞やらゆかりの神社などを見物。しかし新田義貞ゆかりのはずの藤島神社、新田義貞の新の一字もなかった。人っ子一人いないし。まあどうでもいいけれど。

時間をつぶすのも限界が来たので、そのまま福井駅に行き、駅構内の土産物屋で高橋愛お薦めの銘菓「五月ヶ瀬」、そしてその宣伝をしたお礼ということで作られたという「ai(愛)」を購入。特に「ai(愛)」はライブ中に愛ちゃんが宣伝をしたおかげか注文殺到で、やや品薄らしい。私はちょうど棚に新たに並べられたところに行き会わせ、無事入手。

帰りはまったり普通列車の旅。しかしもっと乗り継ぎが不便かと思っていたが、敦賀乗り換えで後はそのまま姫路行き新快速が出ていた。なんだ、名古屋ー京都よりずっと便利じゃん。

とそんなこんなでライブ、ヨーロッパ軒でのソースカツ丼、おみやげ、と高橋愛づくしの幸せな二日間でした。こうなるとなっちこと安倍なつみ地元ライブにも行きたいなと思うのだけれども、いかんせん関西から北海道は遠い!はてさて、どうしたものか。

■ 琵琶湖めぐりI

3月28日は琵琶湖ホール、そして3月29日は福井フェニックスホールにてモーニング娘。コンサート。

琵琶湖ホールはJRでの最寄り駅は膳所。自宅から片道400円。職場の一つがある瀬田よりもさらに近い(京都都雅都雅よりは遠いけれど)。一方福井。そんなに遠くはないはずだが、例えば東海道線上の名古屋にくらべると乗り継ぎ他が不便。おまけに今回ライブの終了時間が21:00前後。京都までの最終列車が21:24、間に合うか、やや微妙。

最初この日程を聞いたときには、琵琶湖ホールいって、そのままその周辺のホテルに泊まって、そのまま福井に向かう、という旅程が頭に浮かんだ。えーと、膳所から福井まで行こうと思うといったん山科に戻ってそこから湖西線ですか。ぜんぜん「そのまま」じゃありません。

3月29日、JR膳所駅着。さてここからどう行こうか。近場だけれども膳所で降りることなんてないもので、土地勘は全然働かない。とにかく琵琶湖へ行こうと適当に歩く。

それなりの時間歩いて湖岸に行き着く。魚釣りをしている人々を横目に岸沿いを歩いて琵琶湖ホールに向かう。これまた結構な距離。それでも会場到着は10:30。早すぎる。グッズ列には既に多くの人が並んでいたが、どこかで昼ご飯を食べねばならず、その場所探しに出かける。

少し歩くと大津パルコに行き着く。ここで初めて気づく。ああ、光井愛佳と亀井絵里がラジオ公開放送をやっていたところじゃないか。そっか、あのときも膳所だったか。自分の記憶力に改めて感動する。

大津パルコ内のフードコートに近江牛カレーの店があって、ここで昼食にしようかと思ったが、まだ食欲がなかったので、もう少し後にしようと思い、会場に引き返す。

グッズ列を見ると建物の外に並んでいる列が凄く短かったので、これならすぐに終わるかと思って並んでみる。買い終わってから昼食に行けばいいか。

まずは建物に入って列の状態を見極めるべきだった。建物に入ってからが長い。しかも列が全然進まない。その時点で断念すれば良かったのだが、いったん並ぶとなんだか意地になってしまって、ずっと並び続けてしまった。昼飯時も過ぎ、いよいよ開場時間が近づく。大阪公演だったらグッズ列はそのまま入場列になるのだが、こちらはそういうしきりをしない。全くこれまで並んでもいなかった人が勝手に入場列を作ってしまって、馬鹿正直に並んでいたものが馬鹿を見る羽目に。グッズは入場してから買った方がずっと早く購入できる。こういう仕切りをするのなら、会場外グッズ販売はチケットを持っていない時だけ並んで、チケットを持っている場合には入場列目当てでぶらぶらしていたほうがよい、ということになる。でも少なくともチケットを持っている人がきちんと並んでいる列がある以上、そういうやり方って、いわゆる「出し抜き」って奴じゃないの?私は好きじゃない。仕切りも悪い。

気分の悪いことを二度も書くのは嫌なので、ここで書いてしまうけれども、福井でも全く同じ仕切りだった。そして「出し抜き」狙いで(福井の場合は寒い外でずっと並んでいた)グッズ列をすっ飛ばして、暖かい会場内でたむろしていた人が勝手に列を作って、これが入場列だと言い張る。ひどいと思う。

結局昼ご飯は食べそびれて、目当てのDVDマガジンにビジュアルブック、そして会場限定販売の高橋愛ソロ写真を購入。ちなみに光井愛佳ソロ写真は既に売り切れていた。

2時間気分の悪い思いをして並んだ割にはたいしたものを買っていない感じだが、この愛ちゃんの写真が実にいい。この手の写真だと結構表情が硬かったりすることがおおい高橋愛だが、今回はとてもナチュラルでいい笑顔をしている。頑張った甲斐があった!

昼公演終了。夜公演は当日券も出ていたようだが、光井愛佳のカラー紫色に染まった会場を目に浮かべながら、明日明日とつぶやきつつ、会場を後にする。

行きはどうやらかなり遠回りをしていたらしい。帰りは大津パルコからそのままほぼまっすぐ膳所に向かう。そう、ラジオ公開放送の時と同じルート。まあ行きはまったり琵琶湖を眺めたのも悪くはなかったか。帰りは急ぎ足で膳所に到着、そのまま自宅へ。自宅に着いたときはまだ夜公演開演前。地元というのはいいものだ。

2009年03月30日

■ 黄金色の時

ホテルで少しずつ光を失いつつある二本の黄色のサイリュームを眺めつつ、現在、過去、そして未来に思いを致す。

思えばこの二本のサイリューム、私が初めて買って点灯させたサイリュームだった。

会場が黄色に染まったなかで歌われた「夢から醒めて」を頭の中で反芻させる。悲しい中にも希望を求めるこの曲が、黄金色の会場の中によく映えた。そしてまたダブルアンコールで登場したときの、最近はめっきり聴けなくなった福井弁をあえてしゃべる高橋愛の顔を思い出す。最近見る機会が減ったちょっと照れたようなくしゃっとした笑顔を。

4年前、同じく福井のコンサートに駆けつけた中にも、今はファンを止めた人も多くいるだろう。しかしそのときには福井に行くだなんて夢想だにしなかったのに、今回駆けつけた私のような者もいる。そして高橋愛プロパーではない立場から愛ちゃんファンの人たちへ一言。

今まで愛ちゃんを支えてくれてありがとう。そして今後も愛ちゃんをよろしく!

2009年03月29日

■ プラチナ9DISCO福井公演全体総括

とにかくすばらしい。

高橋愛がすばらしいのはもちろんなんだけれども、高橋愛のいる風景全体がすばらしい。

抽象的かつ断片的な更新で申し訳なし。少しずつ言語化していきます。

■ ああ、福井

ホテルに帰って一息ついたことだし、劇場版「相棒」でもながら見してまったりしようか、と思ってテレビをつける。

やってねえ!!!

福井、テレビ局、少なすぎ。

ま、おかげで今日のライブをひたすら振り返れます。

■ プラチナ9DISCO福井公演終了!!!

すごーくいやーな一言から。

福井に来られなかった愛ちゃんファンの方、本当にすみませんでした!!!

いや、来られなかった人ともいろいろ分かち合いたいんですよ、もちろん。

でもまずもって自慢したいんだもん!!!

2009年03月28日

■ プラチナ9DISCO滋賀昼公演

濃いね、濃い。

今日は明日の予行演習というか、まあそういう気分も正直あったりの、ちょっと節約モードであったりので、昼公演だけで帰ってきたわけだけれども、十分満腹感が得られた。いい意味で時間が長く感じられたというか。

作り一つ一つの完成度が高くて、凝縮感がある。衣装・証明・パフォーマンス、どこにも手を抜いた感じがない。

そうしてある意味常に高いテンションで時間が過ぎるから、例えば昨年秋のコンサートに比べるとメリハリというかカタルシスの到来感とか、そういうのはちょっと薄いかも知れない。例えば前回の「Take off is now」から「どうにもとまらない」と続くグゥワァアという感じとかは今回はない。

同じエロさでもぐっと完成度が上がって芸術性を増す方向に昇華した感じ。「情熱のキスを一つ」とか道重さゆみソロの「It's you」でバックダンサーを務める高橋愛とか、とてもエロいんだけれども、即物的なエロさではない。また腕を上げたな、と。え?そんなものは娘。には求めてない?いや、私は求めているんで、少なくとも高橋愛には。

これまでのレポートなどを読む限り微妙に評判がよろしくない田中れいなソロの松浦亜弥カバー「The 美学」。れいなのパフォーマンスではなく、選曲に対する違和感が語られているのだけれども、私はいいと思った。これまでのれいなソロの中で一番彼女にあっているんじゃないか。曲に勢いがあるし、ちょっとお茶目な雰囲気もあって、れいなに良く合っている。れいなも楽しそうだし、実に上手く曲の世界を表現できている。カバーとなるとどうしてもオリジナルとの「勝負」となって、相手が松浦亜弥となると分が悪いかな、と思うところもあったけれども、全然問題なし。完全に自分のものにしている。

亀井絵里。ビジュアル的にはどんどん大人っぽく、美しくなる。亀ちゃんはもうちょっと可愛らしい雰囲気だと思っていて、途中高橋愛だと思ってみていたら亀ちゃんだった、ということが何度かあった。でもソロ曲「片思いの終わりに」を歌う彼女はかつてのハロモニ。の時の雰囲気そのままにどこかぽけっとした可愛らしい亀ちゃんだった。ほっとするところもあると同時に、もっと大人っぽい曲を歌う亀ちゃんも見たいかなとも思ったり。

新垣里沙。発声は昨年のシンデレラあたりから急速に存在感を増してきて、凄いなあ、と思っていたのだけれども、そこに繊細な表現力がついてきた。「情熱のキスを一つ」を実にしっとりと歌い上げるガキさんを見て、また一段上がったなあ、と思った。後は艶っぽさが出れば高橋愛に並ぶんだけどな。といいながら私がガキさんにはそれを求めていなかったりするんだけれども。

光井愛佳。今日の滋賀公演は彼女の凱旋公演。「ハロプロファン」が「祭り好き」というところはあるにせよ、会場はみっつぃ〜一色。そして彼女もそれに答えるように、隠しきれない感激を出しながら、しかし実に堂々としたパフォーマンス。逆にこれだけの観客相手に堂々としながら、芸能人ズレしたところが全く感じられない。ああ、この娘は徹頭徹尾娘。なんだ、と思う。芸歴10年を超えてもいまだに初々しいところを残した先輩の「精神」をしっかり受け継いでいる。

今日一番感動したのはリンリン。既にレポートなどで聞いてはいたものの、実際聞くとびっくりする。メドレー途中「青空がいつまでも続くような未来であれ!」でリンリンのソロパートがあるのだけれども、アレンジからして凝っていて、元曲が何かが分からないくらいにムーディ。その曲をリンリンがまさに「歌い上げる」。この部分だけを切り出せば、ハロプロ(広義の)のなかでも最上位を争うぐらいに上手い。久々に歌を聴いて鳥肌が立った。「アイドル」、モーニング娘。を馬鹿にしているような人に聞かせてやりたい。

とまあ、そんなこんなで、愛ちゃんファンとしては「前哨戦」ぐらいの気分でいった割には語ることがたっぷりあった。

明日は待望の福井公演。会場はことによるとかなり微妙かも知れず、色々不満も残るかも知れないけれども、その場にいた、というだけでも価値がある公演。精一杯高橋愛を感じてこよう。

2009年03月26日

■ インペリアリズム宣言

藤本美貴婚約に関するファンブログを見ていると、妊娠していない、というところに好意的なメッセージを寄せているのがちらほら目についた。順番を守ったから素直に祝福できる、と。

ええと、それって辻ちゃんとか飯田さんとかのときには素直に祝福できなかったってことですか。それは人それぞれの倫理観・道徳観・結婚観などに関わる話なので、いいけれど。

とりあえず秋からは舞台が入っている、というのは先に聞いていたので、妊娠していたらそれは難しくなるだろうから、そういう部分では良かったとは思うけどさ。

そんなことよりも「藤本美貴婚約の御報告」にある次の文言のほうが私は気になったんだけどな。

今後藤本美貴は、結婚後も家庭を優先しながら芸能活動を行っていく予定でございます。

えーと、ゴウマンかましてよかですか。

「しょーじさんよ、あんたが家庭を優先して美貴帝さまの仕事を支えろよ!!!」

2009年03月25日

■ 祈りを込めて

少し不愉快な(ネガティブな)話をします。

モーニング娘。最新オリジナルアルバムの売上が(オリコン発表によると)最新シングルの3分の1を下回ったようだ。

オリコンという調査会社まがいの広告会社の問題はさておき、同じ会社の発表したシングルとアルバムの数字を比較すること自体にはそれなりに意味があるだろう。そしてそれがこの結果。

ショックを受けた。藤本美貴の婚約よりもずっと、比較にならないぐらいショックだった。

そのぐらいのこと分かっていなかったのか?と問われれば、なんとなくは、と答えるしかない。しかしいざ数字として提示されてしまうと、とても悲しい気持ちになった。

色々なことを考えた。結論の出しようもない、色々なことを考えた。「誰が悪いのか」という私が一番嫌いな方向にも頭が働いた(この場合、「結論」は既にあって、悪いことはつんく♂に押しつけておけという安直かつ「正しい」結論を得られて、少し気持ちが落ち着いた。けれどもすぐにむなしくなった)。

その雑ぱくな気持ちの変遷をつらつらと以下に記す。とりとめもなく、落ちも結論もなく。


つんく♂が悪い、という結論はある意味本当に正しくて、それは色々な方向から言えるのだけれども、安倍なつみファンという立場からいえば、昨年の「スクリーン」と「微風」、この二曲に対する評価に帰着する。私はこの界隈にいるアンチつんく♂派ではないので、仮に「スクリーン」だけを出されれば、それはまあそれなり(ちょっと理想とは違うけれど)、と思えただろう。しかしその直後に「微風」を出されてしまった。別の選択肢があったのだということをリアルに提示されてしまい、その選択肢がとても良いものであったのを「知って」しまった。そのときの「なんで『スクリーン』だったんだろう?」「なんでつんく♂だったんだろう」という思いはいまだに抜けることがない。


それでも明確な代替が提示されてしまった安倍なつみのケースとは異なり、今回に関しては私は特に不服は感じなかった。もともと私は音楽的素養がない人間ゆえ、アレンジがどうとかもよく分からないし、好みの音楽的方向というものも特に持ってはいない。もっと良い曲があれば、そっちのほうがよいとは思うだろうけれども、とりあえず出された曲は出されたなりに楽しめる。ただ私は歌い手の声、その歌い回し、に思いがあり、それがよく聞ければ、それで納得できる。

だから今回つんく♂以外の制作陣を用いていたら、もっと良いものになっていたのかどうかは私には分からない、としかいいようがない。つんく♂を悪者にするのは私には無理そうだ。


そもそも売れ行きなんてどうでもいい。私もそう思う。というよりもそう思いたい。でもそう簡単に割り切れない。


安倍なつみが「オーラの泉」に出演したとき、「ヒット曲が欲しい」といった。それを聴いたとき、何ともいたたまれない気持ちになった。安倍なつみに関してはとっくに「忘れていた」ことにしていた思いが掘り出されたように感じた。私はもはや安倍なつみには「ヒット」は望まないつもりだった。そして今もそれを明確に望んではいない(「望んではいない」というのは少し語弊があるかも知れない。私が安倍なつみの活動に望む様々な事柄の中での優先順位が低いということだ)。


CDを複数枚買う話。

私は「スクリーン」は五枚買いました。そう、複数枚買い。何のため?


昔話。

むかしむかし、私はさる(アイドル)歌手が好きだった。そしてあるシングルをやはり5枚買った。

その(アイドル)歌手はもはや(アイドル)歌手としての寿命は尽きていた。それはファンも、そしておそらく本人も、皆が分かっていた。売上が下がり、楽曲発表のペースも落ちていた。その状態を引っ張って1年、待望のシングル発売。私は「祈り」を込めた。「後もう一曲」。しかしその(アイドル)歌手がその後新曲を発表することはなかった。「祈り」は届かなかった。


「祈り」と、そしてファンレターの替わりと。

私はあなたの歌が好きです。そのメッセージを一枚のCD購入に込めて。


だから私は複数枚買いしたCDは捨てたことがない。「祈り」を込めたラブレターだから、捨てられるわけがない。15年前の五枚のCDだって、いまだにきちんと持っている。もちろん「スクリーン」も。


娘。最新シングル「泣いちゃうかも」、白状すると私は四枚購入しました。初回限定A,B各一枚、通常版二枚。普段買わない通常版二枚買ったのは色々な意味合いがあって(もちろん「握手会」抽選というのが頭になかったわけはない。現に四枚とも応募に使ったし)、2008年のリベンジというか、そういうのも含めた「祈り」も込めた。

でも本当は握手会とかのないアルバムこそ、ファンレターとしては正しいはずだ。「あなたの歌が好き」。握手会付きのシングルとは購入枚数を変えたくはなかった。でもアルバムは高かった。だからせめて、二枚。

私に関してはシングルの二分の一の購入枚数。そして全体においては三分の一。シングルとアルバムの落差作りに私も荷担した。そして私自身が荷担したこの落差に私はショックを受けた。


娘。への祈りとは「せめて後一曲」という後のない切実さではなく、安倍なつみの願い、「ヒット曲を」という祈りだ。歌い手としてのモーニング娘。の(再)評価。でももうそれを祈り続けるのは疲れた。何が、誰が悪いとかはともかく、今回のアルバム売上の結果を見て(もちろんそれはきっかけに過ぎず、それ以前の様々な状況を通じて)、もはやその祈りを込める気力が失せた。


後に残るのは「私はあなたの歌が好きです」、そのメッセージ。私は高橋愛の、そして娘。たちの歌が好き。それでいい。


CDというのは(音)データの詰まった媒体に過ぎず、あるいは握手券の包装に過ぎず、それ以上の意味を持たせるのは単なるフェティシズムなのかもしれないけれども。そして「チャート」というのは歌手活動の実体の一つを示す指標であると同時に宣伝素材でもあって(オリコンはまさにここにフォーカスを当てきっていて、だからこそ「調査対象店」を公表するという「調査会社」としてはあるまじき破廉恥なことも平然と出来るのだ)、宣伝になると思えばこそ、何ら「実体」を反映しないようなやり方を用いてでもチャートを引き上げようとする行為も経済的合理性を持つわけで、これもまた資本主義の織りなすフェティシズムの産物。二つのフェティシズムの狭間であがきつつ、考えたこと。

2009年03月24日

■ おめでとう!!!!!!

藤本美貴が婚約!?

なーんなんだろ、この妙に複雑な気持ちは。

別に私は将来藤本美貴と結婚したいとかいう妄想を持ったこともないし、そういう次元の話はどうでもいい、と思っていたはずなのに、なんか複雑。

というか、はじめてだよ、「ハロメン」(ハロプロメンバー)の不幸をちょっとだけでも願ったりするのは。

1年後とかに藤本美貴、早期破局!とかいうニュースが流れたら、思わずにんまりしそうだよ。

というわけで、ミキティ、婚約おめでとう!

2009年03月19日

■ プラチナ9DISC通常版

モーニング娘。2年ぶりのオリジナルアルバム「プラチナ9DISC」通常版購入。通常版なので付録のDVDは見られません。

えーと、Amazonに注文したのはDVD付きの初回限定版のはずなんだけれども、何故か手元にあるのは通常版という。ちなみに私の手元に届くはずの初回限定版は今頃京都八幡市にまで来ているようです。

というわけで、CD複数枚買いを批判するようなことを書いて、私もやっているわけです。ちょっと大阪に出る用事があったので、ハロプロに優しい梅田J&Pにて購入。ちなみに家の近所のTUTAYAには影も形もありませんでした。娘。と松浦亜弥に関してはシングルはおいてくれているけれども、アルバムはスルーみたい。真野ちゃんとかノースリーブズはシングルもスルー。ま、田舎なんてこんなものでしょ。

通常版と初回限定版はジャケット写真が違うし、メンバー別のフォトカードが一枚だけ入っているし、その写真が欲しかったんだよ、とか、いやいや通常版はCDが欲しくて買って、初回限定版はDVDが欲しいんだよ、とか、通常版はWindowsPC用で初回限定版はMac用だとか、まあいろいろあるわけです。

私の「複数枚買い」についてはまた別にエントリを立てて書こうかな、と。ちょっとキモめでお送りする予定。

さて肝心のCD、既発のシングルが多かったり、昨年秋コンサートで披露済みの曲が入っていたり、ということで、初聴の曲が少なく、さらにソロ曲が入っていたりするので、娘。としての曲が少なかったり、というところで、やや物足りなく感じられるところもあるけれども、コンサート披露済みの曲が入っているというのは本来マイナスの材料たるべきではないので、それを考慮すれば「不足感」もそれほどではないかな、と。

私のアルバム評価は基本的には一曲、「すごく良い」と思う曲があればそれで結構納得して、あとは「これはないだろう」という曲が少なければ満足、さらに2,3曲結構いい曲が入っていれば良盤、という具合で、結構閾値が低い。

それを踏まえて思い返せば、「すごく良い」曲が6曲入っていた「セカンドモーニング」は本当に私にとっては神のようなアルバムだったなあ、とか。評判の悪かった「3rd-LOVEパラダイス」でも「くちづけのその後」が入っていただけでも結構満足していたかな。それに対して今見返しても「うーん」となるのが「No.5」。曲名を見返しただけでは、どんな曲か思い出せない曲がちらほら。前作「Sexy 8 Beat」は「元気+」この一曲でおなかいっぱい。

今作。モーニング娘。名義の曲ではないのがちょっと・・・となるけれども高橋愛・新垣里沙・田中れいなの「情熱のキスを一つ」、これがかなり気に入った。この一曲に2500円ぐらいは元を取った感じ。あと私にとっては「捨て曲」が一曲もないのがポイント高い。細かいことを言えば、曲によっては「もうちょっとこうしてくれたら」とか、「ここはいまいち」とかあるけれども、娘。のアルバムとして私は結構好きな方かも。

2009年03月18日

■ たかが円盤、されど円盤

うちのサイトを読んでいる人なら既読だろうと思いつつ、紹介したいテキストがあった。

好きで×8+αさんのdialyより2009/03/17更新分「やっぱり疑問に感じること」

ここのサイトさんぐらいさらっと正論が書けたらいいのに、と思う。どうしても私はよけいなノイズを入れてしまう。

歌手にとっては曲っていうのは唯一無二な存在なわけでして、芸能人である以上は、色々な形の仕事がそこにあるとは思いますが、自分たちの曲、そして歌を唄うこと以外というのは、あくまでも手段であって目的ではあり得ないものだと思うんです。

・・・

イベントをやるのは別に良いとは思うんですけど、歌手のファンがその歌手にとって唯一無二であるはずの楽曲が実体のあるモノとなっているCDを、その付録ほしさに単なるプラスチック製のややこしい形をした過剰包装然として扱っているのは如何なものかと。

つんくの楽曲がどうのと「音楽通」ぶったテキストをものすくせに、この手のイベントに疑問を呈するのは「ひがみだ」というような情けないことをいう人(特定の新「ハロプロ」ファンのサイトさんを想定しているけれども、まあ特定の誰かではなくてそういう感じの人、いっぱいいますよね)には噛みしめてもらいたい、とかそういう余計なことを私は書くからだめなんだよね。

CDを一片の紙切れで十分なイベント応募券に代替させるこの「転倒」、そしてこの過剰包装による大量のゴミの発生、そういう事態を引き起こすことを「エコ」イベントにも度々登場するグループ(「ハロプロ」だ!)がやっているというこの二重三重の馬鹿馬鹿しさに何とも思わず万歳できる人って、やっぱり私にはよくわからないわけです。

先日紹介した英字新聞の記事を読んで、私はプロデュースサイドをちょっと見直した。「歌手」としてのメンバーたちの想いを受け止めて、それを実現しようと頑張っている、そう感じるところがあった。なのにその矢先の今回のCD「応募券」化。

まあ今までも散々やってきたことなのに何を今更、というのはあるけれども、そのCDにクレジットされてもいない人を「餌」にしてCDを買わせる、というのはさらにもう一段転倒を重ねてくれるわけで(しかもこれはかなり本質に関わる転倒だ!)、私としてはあきれかえるしかないわけだ。

で、そういうのを万歳する人に限って自分は客観的だとか何とか言いながら、ハロプロの未来とかプロモーションがどうとか語っちゃうわけで。お前はアップフロントの営業か!

少なくとも私は彼女たちの生み出す作品にもうちょっと敬意を払いたい。私は作品の生産者・「表現者」としての彼女たちを愛している。私は私がいいと思う作品を生み出す人を完全なる主観的立場でもって称えたい。

せっかくの素敵なテキストを私の難癖に利用してしまいました。うーむ、やっぱり私はノイズをたてすぎる。

■ オウム真理教を蔑称ネタとして用いること

ハロプロ大手ファンサイトにおいて、設立当初から運営に関わっていた人が、現在運営の主導権を握っている人の逆鱗に触れる発言を当該ファンサイト外部の別サイトにおいて行い、ファンサイトから「追放」。

この一件が多少話題になっている。

もめ事はそのサイトさん内部の問題で、外部からあれこれいうことでもないけれども、微妙に妙な論点で語られているところがある気がしたので、ちょっとだけ私の思ったことを書いておく。

切られた側は饒舌にいろいろしゃべっているのにたいして、切った側はあまり多くを語っていない。 「何度も時間をおいて読み返したがどうしても譲れない部分があった」とだけ指摘している。ここが具体的に何を指しているかが分からないだけに、あれこれいわれることになっている(そして私もあれこれ言うのだ)。

「追放」された人は自サイトにおいてAKB48の握手会に行き、その楽しさをレポートし、その際にハロプロの握手会のひどさについて触れた。そしてもうハロプロにこだわらずに、AKB48のほうに来たら、という勧誘を行った。

非常に雑ぱくに状況を説明するとこういう感じ。それで「追放」されたということで、ハロプロファンとAKB48ファンの気持ちのすれ違い、みたいな文脈で解釈して、ハロプロの「余裕のなさ」を言い立てる人がいたけれども、ちょっと違うんじゃないかと思う。

問題となった記述、ハロプロに拘泥するファンを「オウム真理教」に見立てて、「ハロプロサティアン」とか「ポア」とかいう言葉を用いていた。

私が「譲れない部分」を感じるとしたら、まさにここにある。

前にヒトラーを話題にしたことがあったけれども、それとある意味同じ構造。「オウム真理教」というのは今なお私たちの心の中に様々な思いや傷を残している。すくなくともこの更新をした人も私と同年代ぐらいだろうから、今の何も知らない「若者」と違って、そういう状況についての記憶ぐらいはあるだろう。そしてその記憶があれば、「オウム真理教」を単に人を誹り、笑い者にするためネタとすべきではない、ということを感じるべきだと私は思う。2chではそういう馬鹿な言葉が充ち満ちているけれども、この人はそういう2chのノリを「外」のファンサイトにまで持ち込んでしまった。この人には前からそういう言動はたびたびあって、私もかつて直接メールで糺したことがあった(黙殺されたけれど)。その悪い面が今回あからさまに出た、ということだと思う。

部外者としてみて、さて私が管理サイドだったら、と考えてみたが、私だったら「イエローカード」を出して、いきなり「切る」ことはしなかっただろうとは思った。それはそのサイト構成の問題だ。問題となった発言を行った場所は、当該ファンサイトから直接リンクをはられていたわけではなかった、一応別所での言動ゆえ、その言動でもってサイトから「追放」というのはやや違和感は感じる。

ただ「切った」側の「どうしても譲れない部分があった」という思いはそういうサイト構成といった理屈を越えた思いだったのだろう。それは「ハロプロファンのAKB48に対する余裕のなさ」などというような理屈付けとは全く異質なものだし、こういう「分析」をして悦に入っている人も実にくだらない。

2009年03月17日

■ プラチナ9DISC発売間近!

明日はモーニング娘。2年ぶりのオリジナルアルバムプラチナ9DISC発売日。

というわけでこのページを見た人は・・・、もう飽きた、つまんない。

でも同日発売のシングルを宣伝?しちゃったので、娘。をスキップするわけにも行かず、でもまだ当然私は聞いていないので、感想を書くわけにもいかず、我ながらしょうもない更新と相成った。

■ FC発足イベント!

新ハロプロFCイベント参加は真野ちゃん新シングル購入が条件!

ま、私はFC会員じゃないからさらっと流すけれど、私が会員だったらかなりぐちゃぐちゃ文句言いたくなるお話。FC会員をなんだと思っているんでしょうね。ま、私はFC会員じゃないから文句言う資格無いけど。日程が5月だというのに4月発売の℃-uteのシングルとか5月発売のモーニング娘。シングルでは応募資格が発生しないみたい。いや、あとからそれでも応募できます、といわれても、とりあえずFCイベントに参加したければ真野CD買うしかない、と思うよね。

これを見たらAKB48はなんて良心的なんだ!と思えてくる。そうそう、同日に我らがこじはること小嶋陽菜属するノースリーブスもシングル発表するので、よろしくね。もちろん真野ちゃんのシングルもね。

2009年03月16日

■ 「場」としてのモーニング娘。

最近プロデューサー気取りが多くて疲れません?

ということで、私は(文化の)受容者という立場を基本的には崩さないようにして語ろうと思っている。否定的なことを書く場合でも「これこれすべきだ」「こうだからだめなんだ」、ではなくて「こうあってほしい」「これこれが不満だ」。同じようでも違う。あくまで受容者としての主観的立場で語ること、それが文化を語るということだ。

「こうしないから斜陽なのだ」、「こうすればうまくいく」、無責任なことを言うなって感じなんだよね。「あそこでバントさせたからこの試合負けたんだ」、そんな居酒屋でくだを巻くプロ野球ファンと同レベルの情けないことをブログで書くなっていうの。「あそこでバントさせるからつまらない試合になってしまった」、同じようでも違う。この違いがわからない人、ここのスタンスが違う人とは意見交換もできそうもない、ということを最近特に強く感じる。せいぜいチラシの裏でプロデューサーごっこを楽しんでください。

なんて言いながら、ちょっと私もプロデューサーごっこをしたくなってきたのだ。AKB48との比較におけるモーニング娘。のあり方、進むべき道。

AKB48については私は詳しくないので、ほとんど聞きかじりの知識で進める。

AKB48は複数の芸能事務所の連合プロジェクトであって、今後のメジャーデビューを目指すメンバーと、すでに大手の芸能事務所に所属していて、ソロでの活動も(AKB48とは独立して)行う力も持っているし、現に行っているメンバーとが混在している。しかしそういうメンバー構成においても、グループとしての目標を一つ掲げている。「武道館でコンサートを!」。

一方のモーニング娘。。考えてみればグループとしての目標というのはあまりなかったように思う。もちろん「オリコン一位」とか「紅白出場」とかいろいろあったとは思うけれども、それを事前に(ファンに向けても)掲げて活動を行う、ということはなかった。メディアで煽られて伸びてきたグループ故、これは一見不思議な気もするけれども、実はある意味当たり前のことなのかもしれない。

所属メンバーは(少なくとも建前上は)ソロ活動をするには「足りない」ために、モーニング娘。の活動を通じてスキルを磨き、将来のソロ活動へとつなげていく、それがモーニング娘。の「目標」だったからだ。グループとして何かをなすのではなくて、あくまで所属する個人が成し遂げることが求められていた。一部メンバーの知名度、人気をグループに還元しつつ、グループとしても目標を達成せんとするAKB48モデルと違い、その本義に於いてはメンバーの成長の場としてグループが存在している。メンバーが人気を取り、グループ人気に還元することは本義に於いては補足的なものなのだ。AKB48のグループが「組織」であるならば、モーニング娘。のグループとは「場」である。

しかし今、そのグループとしての本義が弱まっている。「卒業」自体がグループとしての力を削いでしまうので(本来から言うとそれはそれで一向かまわなかったはずだ。オリメン5人が独り立ちできるようになったときに華々しく解散!が成立当初の目標だったはずだから)、グループを守るために、力のあるメンバーの卒業も遅れ気味になる。そして遅れるあまり、本来の意味からすると「卒業」であってしうるべきメンバーがスキャンダルの汚名を着せられて「脱退」させられる。グループとしての力はますます弱まり、メンバーをだんだんと固定化させざるをえなくなってきている。

こうしてグループの本義を見失った結果、ファン界隈にどことなく「惰性」感が漂っている。それが今のモーニング娘。の状況ではないか。

ではAKB48と同じく「武道館コンサートを!」を掲げればよいか、というとそれは難しいだろう。何となれば、それはその気になれば多分できてしまうからだ。コンサートツアーの会場数を大幅に減らす。そして関東圏を1日か2日だけに絞って、武道館を会場にする。各地のモーニング娘。ファンがその日、その会場に行かざるをえなくすれば、それなりに会場は埋まるだろう。それでも不安ならゲストに卒業メンバーを呼べばいい。それでスペシャル感を演出すれば、ほぼ間違いあるまい。でも、それでいいのか?

コンサート会場を減らす、というのは全然前向きな話ではない。卒業メンバーを呼ぶ、というのも前向きな気がしない。そんな前向きでない施策で実現できてしまうことを「目標」とすることはできない。しかもかつてはそんなことをしなくても余裕で実現できていたことを。

さりとてそれに変わるような「目標」も、さっとは思いつかない。モーニング娘。デビュー時の「愛の種」5万枚に対抗して、握手会やりまくりで売上10万枚、というのは行けるかもしれない。でもこれもそれほど前向きな気もしない。

それなら「本義」に立ち返って、メンバーのソロ活動を充実させ、「卒業」後の方向をファンにもアピールする、というのは「正しい」方向のように私には感じられる。メンバー個別の活動の土台、「場」としてモーニング娘。を再定義すること。そして次の「堂々たる」卒業者を迎えること。後藤真希の卒業の知らせに悔し涙に暮れた安倍なつみを見守ってきた私にとっては、やはりそれこそがモーニング娘。だと思うのだ。


プロデューサーごっこ、確かに楽しい。やみつきになるかも、かも、かも。

■ The Japan Times

The Japan Timesの記事より。Morning Musume not ready to graduate yet

既出の話も多いけれども、ちょっと新鮮な話もちらほら。

(メンバーの?)「卒業」

Generation eight of the group, with nine members, is the longest-running incarnation so far, celebrating its two-year anniversary this month. Yet under the tutelage of producer Tsunku, "graduation" is likely never far away.

9人のメンバーからなるグループ8世代は今までで最も長く続いており、今月2年目を迎えた。しかし、プロデューサーつんくの後見のもと、「卒業」はまだまだありそうもない。

まあ、これはどこまで字義通り読んでいいのやらわからない話だけれども。

モーニング娘。の楽曲について

"Recently, the songs Mr. Tsunku gives us are kind of mature and lonesome," says Niigaki.

Asked how they may differ if they were in control, Niigaki replies: "If I could write a song, I'd like to write a little funny and jolly tune!"

"(I'd do) something cool. A danceable tune!" says Takahashi. "Like Destiny's Child."

Revealing their very different personalities, the Lin Lin suggests "rock music! A very crazy song! And the lyrics would be written in Chinese, Japanese and English!"

「最近のつんくさんが提供してくださる歌は大人っぽくて、悲しい感じの曲です」と新垣里沙は言う。

じゃあもし自分たちで曲を作るとしたらと聞かれて新垣里沙は答える。「曲を作れるんだとしたら、ちょっとおもしろくて陽気な曲を書きたいです!」。

「わたしだったらクールなもの。ダンサブルな曲!」高橋愛は言う。「デスティニーズ・チャイルドみたいなの」。

おのおの全く異なった個性を出す。元気いっぱいのリンリンは「ロック!はちゃめちゃな曲!歌詞は中国語、日本語、英語が混ざってるの!」

おのおのの曲の好みがかいま見えてちょっとおもしろい。その一方で最近の曲のパターンにやや飽き気味なのがちらりと感じられたり・・・?

メンバーの卒業と今の課題

Morning Musume have recently been on a slow decline in terms of sales, and the group's revolving-door regeneration has had the negative effect that few consumers today recognize individual members. However, the girls' different personalities are highly apparent, and it's clear the management is keen to cultivate their individual abilities to reverse the slide.

"Each one should be recognized as being in Morning Musume in her prime," says Nishikata. "It used be like that. Morning Musume were well known, but also (original member) Natsumi Abe was well known (in her own right). But nobody knows who is in Morning Musume anymore."

モーニング娘。は最近セールスという観点からは緩やかに下降傾向にある。そしてグループとしての世代交代は、メンバー個別を認識できる人が今日ほとんどいないというネガティブな効果をもたらした。しかしながら、メンバーおのおのの個性は明確にあって、今の状況を逆転するためにはその個々の能力を引き出すマネジメントをすることが重要であることは明白だ。

「メンバーはまず第一にモーニング娘。の一員として認識されねばなりません」、西方は言う。「かつてはこうでした。モーニング娘。は有名だったが、それと同様に安倍なつみも個人として有名だった。しかし今モーニング娘。に誰がいるのか知る人はいません。」

率直すぎて、言葉が・・・。結構シビアに現状認識を行っていることは確かなよう。

今後の活動について

"I'd really like to make sure each one of them continues to work after their graduation," explains Nishikata. "We have promoted them as a group so far, but from now on, we'd like to promote them one by one, so I hope they can do more personal work after this summer."

「私は卒業後もメンバーが確実に仕事を続けられるようにしたいと思っています」、西方は言う。「これまでグループとしてプロモートを行ってきました。しかし今からは個人としてもプロモートしていきたいと思っています。そのためにもこの夏からは個人の仕事を増やせるように願っています」

「卒業後」をメンバーサイドでしっかり見据えている、というのは、当たり前のことながら、ちょっと安心させられる。そしてそういう方向は少しずつ見えてきているし、今ツアーが終わったらだんだん本格化させていく、ということだろうか。期待していいのかな?

ファンのあり方

At Morning Musume's inception, the group's fan base was diverse, attracting young girls, boys and parents. But another probable reason for their recent decline can be attributed to the resurgent otaku (obsessive fans). At a recent Hello! Project show in front of around 14,000 in Yokohama Arena, barely a single woman could be spotted among the dedicated and exuberant middle-age male crowd.

In April 2004, audio footage recorded backstage reportedly captured then-member Rika Ishikawa exclaiming: "Look at them. Grownups screaming like that! I can't believe it. So stupid!" Although such a scandal is rare in the micromanaged Musume life, standing in front of such frenzied supporters clearly affects the girls.

モーニング娘。初期に於いては、女の子や男の子、その両親をも惹きつけるなどファン層は多様なものだった。しかし最近のモーニング娘。衰退の(メンバーの卒業とは)別の理由として、妄想的なファンである「ヲタク」のせいだと考えることができる。1万4千人を集めた横浜アリーナでの最近のハロプロコンサートでは、女性一人の客はほとんど見られず、必死で熱狂的な中年男性で埋め尽くされていた。

2004年4月、舞台裏の音源に当時のメンバー石川梨華が叫んだ声が録音されていたらしい。「見てよ!大の大人があんな風に叫んでる!信じられない。馬鹿じゃないの」。こうしたスキャンダルは娘。においてはほとんど無いが、こうした「いっちゃった」客の前に立つことは年頃の女性には影響がある。

いろいろ残念な話だけれども、正論です。それでは「中年男性」ファンとして何ができるか。。。

海外での活動

Morning Musume's move into China has been seen as the next logical step for the group. However, all has not gone according to plan.

"The attempt to launch Morning Musume into China hasn't gone very well," admits Nishikata. "CDs don't sell well, because they are soon pirated. Two years ago, when Lin Lin and Jun Jun (22) joined, we tried to push them hard to China, but it didn't go so well. We are still trying to find a way."

The future of succeeding generations of Morning Musume is clearly something Nishikata is working hard to secure. And a move to the West is a definite possibility.

"In Europe and the U.S., there are many fans of Morning Musume and Japanese idoru (manufactured entertainers), thanks to the Internet," says Nishikata. "(We) were invited to an event in L.A. called A.X. (Anime Expo) as a music guest this July. There are already a lot of fans of Japanese animation (in the U.S.), so it might be easy to get in through that."

モーニング娘。の中国進出はグループとして次なるもっともなステップとして考えられる。しかしすべてが計画通りに進んでいるわけではない。

「中国でモーニング娘。を立ち上げようという試みは必ずしもうまくいっていません」、西方は認める。「CDがあまり売れていない。海賊版が出回ってしまうのです。2年前、リンリンとジュンジュンが加入したとき、強く売り込みをかけましたが、あまりうまくいきませんでした。今やり方を模索しているところです」。

次世代のモーニング娘。の未来は明確な像としてあって、それを実現すべく西方は取り組んでいる。そして西洋への進出は明確な可能性として見えている。

「ヨーロッパとアメリカにはインターネットのおかげでモーニング娘。と日本のアイドルファンが多くいます」、西方は続ける。「七月にはL.A.のアニメエキスポに歌手ゲストとして招待されました。アメリカにはすでに日本アニメのファンがたくさんおり、それを通じて分け入るのは簡単かもしれません」。

中国進出もいいけれど、それで日本がおろそかになったきらいもあったような。。。お呼ばれしていくぐらいはいいと思うけれど。アメリカも。

結び

No matter where they go next, the curiosity is that Morning Musume, the concept, will no doubt continue to outlast any of its members.

興味深いのは、モーニング娘。がどこに行こうとも、概念としての「モーニング娘。」はいま在籍しているどのメンバーよりも長く続いていくことは間違いないということだ。

モーニング娘。は永遠なれ!でしょうか。


追記。高橋愛ファン目線で。

休みを夏・冬・正月に5日ずつもらっているという話を受けて

Exuding self-confidence, Takahashi bursts out, "I went to New York! I saw Blue Man Group and Broadway musicals like 'Phantom of the Opera,' 'The Producers' and 'Chicago!' "

自信をみなぎらせて高橋愛は言う。「ニューヨークに行きました。Blue Man Groupと「オペラ座の怪人」「プロデューサーズ」そして「シカゴ!」といったブロードウェイミュージカルを見ました」。

娘。加入

"In my case," says Takahashi, "since I was little I've loved singing in front of people. So, when I saw Morning Musume, I wanted to join them. But more than that, I just wanted to be a singer.

「私の場合、小さい頃、人前で歌うのが大好きでした。それでモーニング娘。を見て、入りたいと思いました。しかしそれ以上に、とにかく歌手になりたかったんです」

それ以外にもリーダー・サブリーダー関係とか、グループ全体の運営話とか、各メンバーのエピソードとかいろいろ盛りだくさんなので、興味があればそれ以外の部分も是非。英語が苦手でも翻訳サイトを使えばまずまず意味はとれます。


一応ざっくりとした全文訳。機械翻訳よりはましなはず?

続きを読む "The Japan Times"

2009年03月14日

■ 批評もどき

「外圧」があると、言説に微妙に乱れが生じて、これはこれで面白い。

モーニング娘。の「現状」を語るに際して、先日はモーニング娘。ファンにおいて、「おニャン子クラブ」への態度の違いについて話題にしたけれども、もうひとつ、どの時期のモーニング娘。が好きか、あるいはいつモーニング娘。にはまったか、というものもあるように思う。

最近特に私が違和感を感じるのが、いわゆる「黄金期」(広義には後藤真希加入から卒業までぐらい)を至上のものとする人たちの最近の言説。「勢い」を感じられるものこそ素晴らしい、今勢いがあるのはAKB48であり、それに比べてモーニング娘。は「負けて」おり、駄目だ、というようなもの。

「勢いがあるから素晴らしい」という価値観が私には全く理解も共感も出来ない。それって勝ち馬に乗りたいってこと?順序が逆だろうと思う。自分がよいと思うものが広く多くの人に支持されている、というのは嬉しいことだ。メンバーたちだって多くの人々に支持される方が嬉しかろう。でもそれを「支持されている」から価値があるのだ、という風にいってしまうと、この人にとって「文化」って何なのだろうと思ってしまう。

ちなみに私が好きなモーニング娘。は、例えば「真夏の光線」から「セカンドモーニング」の頃。鈴木亜美の勢いに完全に「負けて」いた頃。ボーカルとコーラスが美しく混ざり合い、質の高い楽曲が提供されていた頃。「限界」「解散」がささやかれ、メンバーにはとても大変だっただろうこの頃が、しかし私はたぶん「過去の」モーニング娘。としては一番好きだった(「今の」モーニング娘。はまた別)。

もちろん「勢い」を単に発表している楽曲などの作品の内部で語るのならば、それはそれで十分理解も共感も出来るはずだし、そういう語りもあるだろうけれども、ここ数日私がたまたま読んだのがそういうものではなかったということ。ただそういう(私からすると)質の低い語りがなんとなく主流言説になりそうな気がした、ということでちょっと釘を刺したくなった。

そもそも文化批評とは鑑賞者の主観を一般的な言語で語るものであって、チャートだ何だといった「客観的」な数字は批評の外部にあるものだ。それこそマーケティング分析みたいなのをやりたいのなら、そっちのほうが大事だろうけれども。

■ THE QUIZ SHOW

あややこと松浦亜弥、連ドラ出演決定

春夏の予定が全然出てこないので、何かあるといわれていたのが来ました。

個人的にはドラマはいいね。あややが出ていなくても見る枠だから、ありがたい。普段見ないバラエティとかわざわざ見るのがかったるくて。安倍なつみがここのところ出ていたバラエティ番組、録画したきり全然見ていないし。

それにしても去年後半から今年にかけて、「ハロプロ」全体として結構いろいろ動きが出てきているような。何というか、事務所が仕事しているな、というか。

ん?じゃあ「仕事をしていなかった」時っていつだ?何となく茫漠とした不満が界隈に渦巻いていたから、そんな気がしていたけれども、思い返せばそれなりにやることはやっていた気もしてきた。ま、去年モーニング娘。のシングル・アルバムをろくに出さなかったことだけはガチだけれど。

■ 写し鏡

関西地区のテレビ番組「ちちんぷいぷい」という番組にAKB48が出ているのを見た。AKB48をテレビで見るのは初めて、歌を聴くのもほとんど初めてだったので、ちょっとその感想などを書こう。

しかし曲の純粋な感想を語る前に、いろいろ余計な思いを付け加えたくなる。そういう余計なメッセージを付加したくなる、それはそういう売り方をAKB48サイドがやっているからだという面が正直ある。

CD販売チャートがライブ活動を行う際の指標ともなるという話もあるようだし、歌手活動を円滑に行うに際して単にCD販売の利益に止まらない意味を持つ、というのはそれなりに理解はしているつもりだ。しかしそれでもチャートを無理矢理引き上げるということを相互にやり合う今の状況はやはり「引く」ものがある。

やり出せばきりがない。AKB48のやり方が「あり」なのなら、極端な話、今後コンサートチケットをCD5枚セットとかにするということも「あり」となるだろう。CDを買わせるネタとして、「握手」か「ライブ」か、どっちがましかという程度の話だ。ライブに来たければCDセットを買いなさい。買う側の負担がこれまでの紙のチケットと変わらなければ、これはこれで十分成立してしまうのではないか。2000人規模のコンサートを4回行えば4万枚の売上。モーニング娘。のコンサート規模だったら、20万枚の売上だって無理ではない。

もちろん紙のチケットを製造するよりもCD5枚セットを製造する方が遙かにコストがかかる。だから本来だったら意味がない。でもチャートとやらの宣伝効果がそれほどあると思えば、やるところが出てもおかしくもない。恐ろしいのはCD販売チャートにせよ、テレビの視聴率にせよ、「数字」となるとそれが「実体化」され、一人歩きすることだ。そして制作サイドも、「ファン」もそれに振り回される。前に書いたとおり、私がAKB48のやり方に不快感を催すのは、それがハロプロの嫌な部分を見せつけられているように感じるからだ。

いわなくてもいい話ではあったけれども、さる音楽ファンサイトを見ていたら、AKB48について「曲はいいのに、あの売り方でイメージを悪くしている」という意見が散見されたので、私もちょっと反復してみた。

曲自体の印象に入る前にもう一点、AKB48制作サイドの発するメッセージも好きになれない部分がある。

例えば去年のAKB48のコンサート「まさか、このコンサートの音源は流出しないよね?」という名称がついていた。今年のコンサートは「神公演予定 諸般の事情により神公演にならない場合もありますので、ご了承下さい」となっている。

これは完全に私の好みの問題だが、この手のセンスが私にはついて行けない。特に前者の「流出」なんてことを制作サイドがネタにして、どう?面白いでしょ、といわんばかりにやられても、私は不愉快になるだけなのだ。全てを面白おかしくネタにしてしまえ、そういう軽さ、斜に構えた姿勢、私にとっての80年代文化の嫌な部分を反復されているように感じられてしまう。そしてなるほど秋元康だ、と私は妙に納得してしまうのだ。

そういえばモーニング娘。初期、おニャン子クラブとの比較がしきりになされた。モーニング娘。ファンサイドの反応はまっぷたつに分かれていたように思う。おニャン子クラブとの近似性を認め、それなればこそファンになった人と、逆にそれとの断絶を強調する人と。ある年代のモーニング娘。ファンの中にはおニャン子クラブを好きだった層と、嫌いだった層とが混在していた。

ちなみに私は「嫌い」ではなかったが、あまり好きにはなれなかった方。アイドル一般が好きではなかったわけではなく(中森明菜とか結構好きだった)、おニャン子クラブのある種の「軽さ」が好きになれなかったのだと思う。

いまのAKB48に対する好悪の分かれ方はそのときの「対立」が反復されているのか、とも思う。

それではモーニング娘。制作サイドの発するメッセージはどうなのか、となるとこれはとても難しい。そもそも私はモーニング娘。発祥の番組「ASAYAN」をほとんど見ておらず、見たときにも不快感を感じることの方が多かった。あとになって中澤裕子があるASAYANの「演出」について「嫌だった」と感想を述べたときに、心の中で快哉を叫んだ。

ただ、何故か集まってきたメンバーがよかった。それはASAYAN後でもそうだ。そしてそういう「いい」メンバーを集めるセンス、それがあればこそ、私は究極的に今の事務所を否定できないのだ。自らが行う「表現」というものに対するいじらしいばかりのひたむきさ、まじめさ、そういったものを私は多くのメンバーから読み取ってきた。そういうものを感じさせられる場が多く提供された。そして私の中でそういういじらしさがとてもよく感じられた二人が安倍なつみと高橋愛なのだ。

AKB48のメンバーについては私はほとんど何も知らず、ただ一人小島陽菜はドラマで見かけて、「悪くないな」と思った、それぐらい。今後とくに歌の場面で「良いな」と思うメンバーが出てくれば、制作サイドの嫌な部分とは別にAKB48を評価できるようになるかも知れない。果たして。

というところで、ようやく今日見た歌披露の感想。

曲自体は悪くないと思った。というか、こういうのもハロプロもやれよ、と思った。最近とみにつんく♂への風あたりが強いが、少し理解できる気がした。モーニング娘。もBerryz工房も℃-uteも、どれもあまりにも代わり映えがしない。もっとさっぱりさわやかに明るい曲があってもいい。

ただそれではAKB48に私が「はまる」かというと、そういう要素は今のところ皆無だった。ボーカルの魅力が感じられない。同年代の女の子を適当に同程度の人数集めてきて、歌わせてもほとんど同じような歌唱になるだろうと感じられた。歌がうまいとか下手だとかではなく、ボーカルの個性・魅力を引き出すような作りにそもそもなっていない。なるほどおニャン子クラブなのだ、と妙に納得がいった。あのような作りでは、少なくともテレビを通じてだけだったら、モーニング娘。メンバーに感じるひたむきさをAKB48メンバーから感じることは出来ないと思った。もちろん「現場」に行けばそういうのも感じられるのかも知れない。しかしそもそも現場にまで行こうとは今のところ(そしてたぶん永遠的に)思わない。

ということで、初めてAKB48を(グループとして)見て、ハロプロ・モーニング娘。の嫌な部分と、そして良き部分を再確認させられた。その限りにおいて今日見たAKB48はとても興味深かった。

2009年03月13日

■ 無事終了

幸せな三ヶ月でした。

またライブ・舞台等々でいい作品に出会えることを願っています。

2009年03月12日

■ 悩んじゃうかも

チケットを諸々入手。

3月

愛ちゃんこと高橋愛の出身地福井公演の前日、みっつぃーこと光井愛佳出身地の滋賀で公演がある。こちらのほうが私にとっては近場、大阪に行くよりもむしろ便利。会場も福井公演の会場よりもよさそうというので、本来だったらこちらのほうが狙いのはず。でも「高橋愛凱旋公演」に負けて福井公演を選択してしまった。しかもまたこの福井公演の時間が微妙。京都へ帰る最終列車が実にきわどい。開演を全体的に1時間早めてくれれば余裕なのに。終了時間にそわそわするのも嫌なので、ホテルを予約してしまった。横浜でも日帰りだったのに福井ごときで一泊とは。まあ翌日はまったり福井観光でもしますか。

そして滋賀公演、翌日昼夜二公演見ることだし、どうするか、と迷っていたら、いつの間にかチケット発売日が過ぎていた。そしてチケット完売。福井は即日完売という感じでもなかったので(今見てみたら完売だった)滋賀でも多少の猶予はあるかなと思っていたが、甘かった。京都人は「山のあなたの空遠く、滋賀県あると人の言う」なんて言ったりしたものだが、なめてはいけません。普通に関西圏から交通至便だし。関東圏からの「遠征」組も京都駅からちょっと戻ればいいだけだから大阪厚生年金に行くよりもよほど楽。激戦になるのも宜なるかな。

もともと行こうかどうしようかしようか悩んでいたぐらいだから、いいか、と諦めていたのだけれども、ふとプレイガイドサイトを見ていると昼公演のファミリー席が追加で出ていた。ふらふらと購入。夜公演もチケットはあったが、こちらは自重。翌日二公演あることだし。

5月

4回立て続けに抽選で振られたなっちこと安倍なつみ出演の三文オペラ最終日、あっさりチケット確保。今でも普通に買える。抽選の率の悪さは何だったのだろう。まあいいけれど。

そしてゴールデンウィーク最終日、5月6日。モーニング娘。コンサート大阪夜公演のチケットを入手。先行申し込みで抽選で当選。500円余分にかかるけれど。先行申し込みしなくても一般受付でチケットは取れると思うけれども、一般販売初日がちょうど福井公演の日なので、抑えられるうちに抑えておくか、と。

問題はその日の昼。会場の大阪厚生年金会館、娘。コンサートは大ホールなのだが、三文オペラが併設されている芸術ホールなのだ。夜は娘コンを見るとして、昼は三文オペラも見られるし、娘コンも見られる。同じ厚生年金会館に娘。と安倍なつみが全く別の公演で鉢合わせする、というのも何とも不思議な感じがする。はてさて、どちらを選ぶか。

つらつらと思い返す。そういえば仙台では藤本美貴イベントと安倍なつみコンサートがぶつかったな。もちろんなっちコンのチケットを持って仙台まで行ったのだから、悩む余地はなかったけれど。先日は娘。イベントと藤本美貴コンサートがバッティングしていて、娘。イベントからミキティコンサートに「はしご」をしたな。

今回は娘。と安倍なつみ、か。なんだか私の中での頂上対決、だな。

娘。大阪4公演のどこかでガキさんこと新垣里沙あたりが「ちょうど安倍さんも隣のホールで舞台をしていて〜」とか話題にしそうな気もして、出来るならそれも聞きたい!、から昼は娘。コンにしようかと思ったり、でもそれは私が行く前日の公演で話すかも知れず、もちろん全く触れないかも知れず、既にチケットを取った夜公演で話すかも知れず、そのために昼公演、というのもちょっと違うだろう、とか。娘。コンは既に4公演確保しているのだから、昼は三文オペラにしたほうがいいんじゃないか、とか。三文オペラを初めて見るのが最終公演というのでは、どうしてももう一回みたい!と思ってももうかなわないわけだし。でもチケット代は娘。コンの方が安いんだよな、とか。

そんなに悩むんだったら、三文オペラのほうをさらに別の日に行けばいいじゃないか、とも思うのだけれども、大阪厚生年金に通い詰めるのもなんだなあ、とか。お金も有限だしなあ。

そしてさらになんと安倍なつみの初夏ツアーが開催されるとか。去年と同じ路線かあ。今年は春に小規模ライブを既にやったから、あとは夏秋ツアー一本になるかな、と思ったけれど、やっちゃうんですね。松浦亜弥が不気味に動きを止めているのと比較して、今年の安倍なつみはずいぶんいろいろ動いているなあ、という感じ。テレビ出演も妙に増やしているし。初夏にツアーを入れちゃったと言うことは秋は秋でまた何かをやるということだろうから、お金が。。。

とりあえず大阪二公演は行くとして、あとは最終東京厚生年金会館公演だろうか。東京はあまり行きたくないのだけれども、会場規模からして、この公演だけはバンドメンバーを増やしてくる可能性が高いから。名古屋はどうしようかというところ。こちらはチケットの入手が難しければ、あっさり諦めるかな。

と、そんなこんなで夏まで予定が決まってしまった。

なかなかハロプロ(旧)から離れられない、かも。

2009年03月08日

■ あっひゃひゃ

ちょっと不快な話を書いちゃったけれども、実は最近は機嫌がいい。スマイリーキクチさんや辻ちゃんの行動も胸がすく思いがしたし、とても機嫌がいい愛ちゃんこと高橋愛の笑い声を聞いたのも大きい。

2/28ヤンタンより

さんま「21日に放送されたCDTV恋人にしたいアーチストに愛ちゃんが堂々の3位」、え〜!

道重 すご〜い!

村上 ほんま?

さんま うそやん!

高橋 あっひゃひゃひゃ

村上 まじでぇ〜

高橋 うそやんってそんなに言わんでも、ひゃひゃひゃ

文字には上手くできない愛ちゃんの笑い声、そういえば小川麻琴もネタにしていた。

一緒にお笑いのDVD見てたんですが相変わらず愛ちゃんの笑い方は独特です(笑)

お泊まり/小川麻琴モバゲータウン

■ 日曜の昼間っから申し訳ありません

「夜分遅くに申し訳ありません」辻希美オフィシャルブログのんピース

プチメールで勉強になる事も沢山あります!

でも言葉一つによって相手を傷つけたり、嫌な気持ちにさせたりしてしまう事もあると思います!

希空の悪口や、成長の事もです!

子供は何も悪くありません!!

公開されているコメントではなく、非公開の「プチメール」に(おそらく)大量の「批判」が投稿されたことに対して辻ちゃんこと辻希美が反論。

引用部分だけでなく、全文を読んでもらえれば分かるとおり、辻ちゃんが本当に怒っているということがストレートに伝わってくる。辻ちゃんの、何の衒いもない、まっすぐな気持ちが伝わってきて、胸が痛む。

「芸能人ブログ」でここまではっきりと書いたというのは、もちろん推測だけれども、よほどひどい投稿があったのだろう。親切ごかしの、その実悪意に満ちた投稿。

前にも書いたとおり、この手の「批判」を行う連中は明確に悪意を持っている奴と、自分では真に正しいことをしていると思っている奴らがいて、最初から悪意しか持っていない奴には何をしても無駄なんだけれども、自分は正しいと思っている連中に対してはこの手の反論は私は意味があるんじゃないかと思う。このエントリを読んで、少なからずはっとさせられたひともいるんじゃないか。


スマイリーキクチさんの一件があって、ちょっとしばらく2chのさる部分を観察してみた。その直前を観察していないために直接的な比較は出来ず、あくまで感覚的な印象に止まるのだけれども、以前だったらしきりに書かれていたさる誹謗中傷ネタがものの見事に消え去っていた。そしてちらちらとスマイリーキクチさんの一件をちらつかせる(うかつなことを書くと摘発されるぞという「警告」として)書き込みも見られる。

私は2chの改善とかそんなものにはほとんど価値を感じないけれども、それでもやはりましになるに越したことはない。2chは残念ながらハロプロファンが選んだ有力な言説空間であることは事実なのだから。2chからしてこうなのだから、きっとネット言説全体においてスマイリーキクチさんの一件は私は肯定的な効果をもたらしたのだと思っている。反撃すべきところではきちんと反撃すること。

どんなくだらないネタでも、しつこく反復されれば力を持ってしまうことがある。沈黙はやましいところがあるからだ、と解釈する人が根強くいるし、そういう人は往々にして意地でも沈黙を破らせようと躍起にネタを反復する。そして自分で最低限の事実確認もしない無責任な「一般人」がそのネタを肴に無責任な「批評」をする。いつの間にかネタは既成事実化する。


高橋愛の「熱愛」の一件だって、非ハロプロファンのほうがナイーブに信じていたりする。Q.E.D.ファンのブログで「ドラマ放送中ぐらいは自重しろ」なんてことが書いてあったりするのだ。2chの「アンチ」連中ですらネタとしてしか扱っていないことでも、馬鹿メディアが垂れ流してしまえば既成事実化してしまう。

「最低限の事実確認すらしない」というのは、要するにその言葉の定義において「状況」にコミットしないことを意味する「一般人」からすればある意味当たり前のことだ。でも「ハロプロファン」ならば、2chを見てようが見てなかろうが、このネタがどういう類のネタで、それを垂れ流している「メディア」がどういうものなのかぐらいは多少なりとも判断は出来るだろう。なのにさる松浦亜弥ファンブログがこのネタを今更ながら扱って、「処分」云々と話題にしているのを読んでものすごく腹が立った。ハロプロファン界隈にいて、あのネタの事実性を「真」として扱う人間はよほど悪意があるか、決定的にメディアリテラシーに欠落を抱えているかどちらかだ。普通だったらいちいち腹を立てることでもないのだけれども、そのブログは私がアンテナ登録していたところだったから、余計に腹が立った。もちろん直ちにアンテナ登録は外したし、今後は二度と見ない。

あ〜あ、私が把握している限り、あややファンブログの書き手って結構微妙に数が少ない気がして、その意味ではそのブログも結構重宝していたんだけれどもね。どっかまた探してこないとあややへのモチベーションが下がってしまう。毎週のラジオは私は聴けないし、レギュラー番組も私は見られないし(関西人はね)、ファンブログが結構重要な情報提供元になるだけにね。どこかいいあややファンブログがあれば紹介してください。


ぐだぐだ書いてきたけれど、要するに何が言いたいかというと、辻ちゃん頑張れ!圧倒的に頑張れ!ってことです。

2009年03月05日

■ 壁の裏

2/1(日)18:00〜行われました、「Hello! Project 2009 Winter 決定!ハロ☆プロアワード’09 エルダークラブ卒業記念スペシャル」横浜アリーナでの最終公演にて、追加で開放しましたバックステージ席において、後日、一部のお客様より「ステージが見えなかった」との苦情が寄せられました。

バックステージ席を開放・販売するにあたって、バックステージという席種の特性上、一般席と比較して、演出的に視覚的な問題がある旨を事前にお伝えして、ご理解の上ご購入いただいたという事と認識しておりましたが、一部表現や、解釈についての相違があり、公演当日、不快な思いをしたお客様がいらっしゃった事が分かりました。

Hello! Project 2009 Winter決定!ハロ☆プロアワード’09エルダークラブ卒業記念スペシャル横浜アリーナ最終公演のバックステージ席に関して

「一部表現や、解釈についての相違」ではないと思う。

いかにバックステージといえども、客席とステージの間に「壁」を作る無神経なステージ設営が非難されているのだと思うけれど。バックステージといってもステージ上のメンバーの後ろ姿を中心に見られると思っていたら、壁でメインステージが全く見えない、とか。スピーカやら何やらで視界は遮られるのは想定していても、壁はないだろう。

私個人はバックステージ席と言っても、実際はサイドステージだったので直接の被害者ではないけれども、開演前に「バックステージ」を見てみて、そのひどさにはあきれた。

邪推だろうけれども、少し思う。私がサイドステージで見られたのはそれが一般プレイガイド購入だったからではないか。壁に遮られた客席は、事前にどう「表現」しようと客がプレイガイドにクレームを付けたらさすがに問題になるのではないか。だからプレイガイド経由の購入客には比較的ましな席を売った。そしてクレームが直接事務所に来るファンクラブ会員には壁の裏の席を売った。そういうようにも思える。

いずれにせよ、ブログを見ていても、この仕打ちに怒りよりも落胆し、そのままファンをやめようと思っている人をちらほら見かけた。いかにメンバーが頑張っていても、こんなことで少しずつ、しかし着実にファンは失われていくのだろう。

この事務所のしでかした許さざるべきことのリストにまた一つ項目が加わった。

2009年03月04日

■ 私はアイドルファンではない

芸能人のフットサルリーグ、そこに芸能人ではなかった学生運動部クラスの選手を一人コーチ役として投入する。もともと芸能人じゃない人がチームにいるじゃないかと、同じリーグのチームがプロレベルの選手をチーム入りさせる。そうして際限ない「補強」を各チームが行う。

越えてはいけない一線を越えたのは誰なのだろう。それともそんな「一線」なんてものは存在しないのか。

握手をネタにCDを複数枚買わせる商法を大々的に行う。それを見た別のアイドルグループがそれをさらに強化したネタでCDを大量枚購入させる。

越えてはいけない一線はあるのか、ないのか。

フットサルのたとえ話はは私の曖昧な記憶で書いたものなので、現実にあった状況を正確に表現できているわけではないので、あくまで一つの仮想例としてみてもらえれば。

別に明確なルールがあるわけでもないわけで、「一線」なんてものはなかった、というのが正しいのだろう。けれどもそういう状況を見て、引いてしまう心理というのがあるのもまた現実。ハロプロが及び腰にやった「手」が戯画的に拡大され、その負の部分が最大限に引き延ばされて、醜悪なものとして提示されてしまった、ということなのだろう。

ハロプロファン心理としては「おいおい、もうちょっと空気を読めよ」と言いたくもなるのだが、その不快感の源泉は自身の中にあるという。


AKB48の仕掛け人(?)秋元康がかつて作詞した曲に「なんてったってアイドル 」というのがある。アイドルという存在を徹底的に戯画化して好評を博した作品だ。もともとが美しい存在であるアイドル自身を戯画化しているうちは笑えた。しかし美しからぬアイドルファンを戯画化するのはいささか悪趣味が過ぎる。

かつて(私にとってそれなりに共感できる方向で)熱心なハロプロファンだった人がAKB48のCDを大量枚購入したという記事をブログで書いているのを読んで感じる何とも言えない乾いた感情というのも、私のハロプロを応援していた想いに対する、私自身が何故か必要とした正当化が、損なわれたという意識に由来するのだろうと思う。

それはハロプロ内で同じく握手会のために数十枚CDを買ったという購入報告を読んで感じる嫌な感情とも同じだし、ライブ会場で見かける「アイドルオタク」丸出しの衣装のファンを見る不快感とも重なるだろうし、同じくライブ会場で私の視線を直接遮るわけではない場所でサイリウムを振る客に対する不快感もそれに近いのかも知れない(ちょっと違うかも知れない)。

「私はいわゆるアイドルファンではない」。


購入記録。といっても一週間前の話だけれども。

  • モーニング娘。「泣いちゃうかも」DVD。
  • 前田有紀新曲「ケンチャナ」。

amazonによると「ケンチャナ」はハロプロエッグのユニット「しゅごキャラエッグ」の曲「しゅごしゅご!」と併わせて購入されているらしい。

そんな「いわゆるアイドルファンではない」人たちを引き裂きかねないファンクラブの分割。乾いた空気が流れている。