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2008年10月31日
■ ラジオ話二点
ラジオでの発言を巡る諸々。
道重さゆみ。ミュージカル「シンデレラ」で自らの台詞の少なさ、そのときのやるせなさを告白し、ラジオ中に泣き出してしまったが、その時のことをリスナーから触れられ、再度そのときの心境を告白。
「(そのときの収録時までは)心のよりどころがなくて、すごく寂しかった」
って、おいおい、大丈夫かよ。
私は単に過去を思い出して、感極まったのだと思っていたが、違うじゃねえか。ラジオで泣き出すそのときまで現在進行形で、ずっとその時の自らの不遇をくすぶらせていたってことだよね。なんだかなあ。
前の放送の時には「結果的には大成功で良かった!」みたいなことを言っていたけれど、それはどっちかというと建前で、最終日を迎えて、次の仕事が始まっても、いろいろ抱え込んでいた、ということを伺わせるわけで、ちょっときついなあ、と思う。
そりゃ、初期メンバーだって「なんでなっちばっかりがメインなの?」という不満、鬱屈を抱えてきたことは随所に伺えたわけで、それこそがモーニング娘。の伝統とはいえるけれど、問題なのは不満を持つことじゃなくて、その不満をどういう方向のエネルギーとして編成していくか、だと思う。初期メンは「なにくそ」と思い、何かあれば我こそは、と爪を研いでいたように見えるわけだけれど、道重さゆみはただただ自分の中にため込んでいってしまっているだけのように感じられてしまう。ラジオでしゃべってすっきりした、っていうのは何ら状況を変化させてはいないわけで、ひたすら自分の心の中に閉じたところで話が終わってしまっている。矢口真里から「現メンはライバル心が足りない」とか言われるのも宜なるかな、ともいえるわけだ。
まあ今回のケースでは、メンバー相手に発散することができなかった(他メンバーはおのおのなりに与えられた役所に納得して前向きに取り組んでいたように見えるので)というのが一番痛かったのだろうなと思うのだけれど、ちょっと不安になる状況ではある。
たとえばメンバー内でのコミュニケーションにやや問題があるようにも思える。友達感覚で仲がいいというのは伺えるけれど、それ以上に何か不足している部分があるのではないか、とか。
さらにはスタッフサイドのケアが不十分なのが問題なのではないかとも思えるし、そもそもプロデュース側が「モーニング娘。」としてのあり方、進むべき方向性(「ヴィジョン」って奴?)についてきちんと説明できていないのではないか、とも思える。今ここで「シンデレラ」をやるグループとしての意義、「モーニング娘。」として一つの舞台を作り上げるということの意義、そしてそれに関わるメンバーおのおのに期待される積極的な意味、それが「頭ではわかる」レベルでしか行き届いていないように感じる。そういうグループとしての目標感を持たせられていない、というのはプロデュース側として端的に失敗だと思う。
ということで、悪いのはすべて事務所にしておけば、万事OK、八方丸く収まりますな。
田中れいな。イベントの時、一回目では自分の名前が入ったTシャツを着ていたファンが、同じ日の二回目のイベントでは後輩の光井愛佳のTシャツを着ていたりするのを見るとショックだ、とか。
いやはや、がめついねえ。現状モーニング娘。人気No.1なんだから、それぐらいいいじゃん、というのは野暮で、それを「ショック」というところがれいなのれいなたるところ。それにしても「もう自分はピークを過ぎている」とか「15歳とか若い子の方がいいんだろう」とか寂しいこと言ってくれるねえ。まあ負けん気が強いから、ちょっとでもそういう動きが見えると悔しくなるのかもしれないけれど、ファン全体からしてれいなからみっつぃ〜に「推し替え」した人ってかなり少数だと思うんだけれど。
つ〜か、同じ日の一回目と二回目でTシャツを着替えるって、それは「推し替え」をしたって話じゃないじゃん。そんな一日で応援対象を変えたりはしないよ。単に両方のファンで、両方に「仁義を切った」ってだけの話だと思うんだけれど、二人を同時に応援してます、ってのもれいな的にはいかんのか。
それって嫉妬?れいなに嫉妬されるとはうらやましい奴だ>Tシャツを着替えた人。
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