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2005年02月17日
■ 空気売ります。プライス最高38万円
安倍なつみさんのレビューが終わる。私はもちろん東京まで出るだけの気力・体力・財力なく見送り。ネットでの情報集めに終始する。
レビュー参加者の中で、レビューの質自体に疑問を投げる声を聞く。いわく「楽しいのは楽しいが、果たして作品としての質はどうなのか?」という疑問である。
それは正直、とてもよく理解できるのだ。私も一度だけなちコンには参加したことがあるが、同じようなことを感じた。楽しいか楽しくないか、と聞かれたら、圧倒的に楽しい。いろいろ物足りなかったり、ぐだぐだだなと思ったり、なっち噛みまくっているよ、と思ったりしたが、それもこれもすべて「楽しさ」を後押しするという奇妙な状態だったが、しかし改めてこれを「安倍なつみを送り手とするショーとして批評せよ」といわれたら、辛口の採点をせざるを得ない、と思った。
この場合、評価方法は、安倍なつみのパフォーマンス、歌・しゃべり・煽り・踊り、そういったものを個別に採点して合計する、というようなイメージである。それだと、私は見ていないので断言は出来ないが、ネットでの表を読む限り、あるいはテレビでのパフォーマンスを見る限り、ハロプロ内で言っても、後藤真希や松浦亜弥のほうが上なのはほぼ確かであろう。
それではなちコンの評価をそれで決してよいか、というとやはりそれは違うように思う。現に参加者の多くはとても満足しているではないか。パフォーマンス不足を指摘する同じ文の中で、あえてそれでも「楽しかった」と言う文言がことさらに付け加えられるテキストの山。後藤コンや松浦コンでは、体調不良などでパフォーマンス不足が指摘されると、多くの場合、「次回は体調を整えてがんばってほしい」というような激励が多く見られるのとは対照的だ。そしてショーの本質を演者のパフォーマンスに求めるとすれば、正常なのは後藤・松浦コンでの反応だ。
要するになちコンは、売りものが違うのだ。安倍なつみの歌や踊りといったパフォーマンスを売っているのではなくて、「なっちがいる空間・その空気」が売り物なのだ。だから安倍が体調不良などで声が出ていなければ、「なっち大丈夫かな?」と心配する、それも売り物のひとつなのだ。
そんなのは邪道だ、という人はまじめな人だと思うが、やや視野が狭い。文化の本質論からして、歌にせよ、踊りにせよ、究極的にはそれらも別の何物かの代替、ありていに言えば「エロス」の代償に過ぎず、なちコンとそのレベルでは同じである。そしていずれも文化としては同じく王道である。
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