重層的非決定?

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2006年02月11日

■ 存在を否定する力

何かの存在を否定しようという力は、とてつもなく恐ろしい力だと私は思う。確かに彼女の否定的側面は語れるだろう。青少年の喫煙を防止するのにマイナスだとか何とか。あるいはハロプロ全体のイメージに関わるとか何とか。しかしそんなことが、彼女の存在の否定にまでつながるようなことか?青少年への影響を軽視しているのではない。しかしそれは彼女の存在を否定しなければ救えないことなのか?何かの存在を否定しなくても十分守れる手段があるのであれば(そして一般的に言ってあるに決まっている)、そのものの存在をことさらに否定するべきではない。

何かの存在を否定するということは、否定されるものの抹殺のみならず、それに思いを寄せ、それに関わるものたちのこころを踏みにじる。存在するが故に邪魔なことがあっても、その存在するものを無視するのは簡単だ。しかし存在を抹殺されたものには救いの道はないのだ。

常識」や「正論」は時として何かの存在を否定しようとする。常識を盾に何かを主張するのも良いが、しかしこのことは常に意識しておいたほうがよい。

投稿者 althusser : 2006年02月11日 00:00

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