重層的非決定?

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2009年04月24日

■ 美女呆談

超へたれ体質なもので、人並みに仕事をしているときにはここを更新する気力、体力がなかったりする。

それでもそれなりに妄想的には生きているわけで、公式携帯サイトポケモーのQ&Aコーナーで「春に行きたい観光名所はどこですか?」という問に愛ちゃんこと高橋愛が「足羽山」と答えているのを見て、そういえば福井公演のついでに足羽山観光をしたというレポートをあげている人はほとんどいなかったな、私は足羽山に行って、そのレポートも書いたぞ、やっぱり愛ちゃんは私のものだ、とかそんなくだらないことを考えたりもする。

そういえば大ハロプロ(旧エルダー含む)の新番組「美女放談」初回・二回目に高橋愛が登場して細川護煕夫人と対談をしていたことについて、感想文を書こうとも思っていたのだった。初回を見たときは、これはいい番組だ!と思って、いっぱい褒めまくろうと思っていたのだが、ちょっと機会を逃して、二回目を見たら細川さんのしゃべりの内容に腹が立って、すっかりそういう気がなくなった。それで逆に批判記事でもあげようかと思ったが、それはそれで結構エネルギーがいるので放置して今に至る。ざっくりものすごく教条的に言うと細川さんというひとは徹底的に「ブルジョワ」的視点でしかものをしゃべれないひとなんだなあ、と。特に彼女が熱心にかかわっているはずの障害者についての語りの粗雑さにはあきれてしまった。

かれらはとっても純粋で嘘ついたりひとをだましたりすると言うことは絶対しない人なの。とっても誠実なの。優しいの。あるがままなの。飾らないの。

こういうイノセントであるがゆえのユートピア的な理想像をかぶせるのもステロタイプの押しつけ以外の何者でもない。そしてこういう思考でもって障害者差別を乗り越えたと考えるおめでたさはそれこそ半端な道徳教育を受けた小学生あたりが作文で書けそうな内容ではないか。こういう思考を悪しき意味で抽象的思考(=70年代的左翼用語でブルジョワ的思考)というのだ。実際彼女はスペシャルオリンピックスなどでもっと深く色々かかわっていると言っているのだ。小学生レベルの道徳を説教がましく開陳している暇があったら、もっと実際に自分がかかわった具体的な個人の生き様を語ったらどうか。

高橋愛はかつて身体障害者のバスケットボールチームとテレビ番組で競演した際、出演者の中でただ一人、車いすに乗る練習を黙々としていたというエピソードがある。それこそが具体的な態度というものだ。そんな高橋愛に細川夫人が説教をたれているのを見ていると、なんだかとても滑稽で馬鹿馬鹿しくなってきた。

細川夫人の思考の抽象性は「若者の自殺」を語る際にも遺憾なく発揮される。若くして命を自ら立つ人の存在を「信じられない」とばっさり切ったあとで、命の大切さを説く。一人の人間の25代前の先祖の数は3355万人、それだけ多くにひとの命をいただいて今自分たちは生きているのだ、それで命の大切さを思い知れ、だと。

これこそ抽象的思考の最たるものではないか。ただの数学でしかない。それにこの数学は正しくない。その数学を続ければ、人類誕生の時の人類の数はどれだけの人数になるのだ。生命の受け継ぎはこんな単純なねずみ算では計算できない(単純な生物学のレベルで)。馬鹿馬鹿しい詐術的な言辞を労するなと言いたい。

こんなのだったら、まだなっちこと安倍なつみのメルヘン話、恐竜時代から続いたきずなだなんだという話のほうがよほどまともだ。

3000万人だかのご先祖様の重みだなんだというのが駄目なのは、この話はコンテキストを変えれば180度逆の結論を導き出すことも出来てしまうからだ。先祖代々受け継がれた大切なものを守るために自爆テロに駆り立てられる、そういう社会だって存在しうるし、おそらく存在しているのだ。大切なのは25代前だとか、そんな顔も見たことのないご先祖様ではなくて、まさに今私たちが、かれらが生きている環境そのものに他ならない。

まあ愛ちゃんは馬鹿のつくほど正直でナイーブな乙女だから、こんな抽象論から来るお説教に感動して涙なんか流しちゃったりするわけで、それはそれでいい娘だなあ、と思ったりはするわけだけれども。それでも、本来全然関係のないところに話を飛ばしてしまうのだけれども、冷徹にグロテスクな形で「現実」を切り出そうとしたブレヒトの舞台に出演する安倍なつみと、こんなブルジョワおばさんのお説教に付き合わされる高橋愛とを無意味に比較したくなったりしてしまったわけだ。もっとも安倍さんだって「オーラの泉」とか出て喜んでいたわけで、本来はどちらがどうという話でもないのだけれども。それでも(これも悪しき権威主義なんだけれども)ブレヒト劇に出ている、というだけで、なっちはいい立ち位置にいるなあ、と思ってしまうし、愛ちゃんにも近い将来そういう舞台(広義の)に立って欲しいものだとも思うのだ。

そういえば愛ちゃんは最近特に「今後の夢」みたいな話を語るようになってきた。ブロードウェイの舞台に立ちたい、そのために留学したい、みたいな話。確かにアップフロントのしょうもない人脈作りに付き合わされるぐらいだったら、アメリカに行って勉強に励んだ方がずっといい、とも思うのだけれども、ファン的にはアメリカなんぞに行かれたらそれこそほとんど消息不明になってしまうわけで、それはそれであまりにも寂しい話だと思ったり。やっぱり安倍なつみぐらいに国内で上質な舞台に出て、ファン向けにツアーをやる、というぐらいがほどよく嬉しいな、とか、まあ我ながらなんとわがままな願いを持っているのかと呆れてしまった。

2009年04月06日

■ 女児演劇もとい叙事演劇とは何か

三文オペラ。私は5月になるまでは見に行かないのだが、ネタバレ歓迎なので、色々なサイトを見回っている。

色々と難しいところもある劇のようで、微妙な表現もちらほら。

見ていない私が言うのも何だけれども、これはそういう劇なんだと思うよ。なんと言ってもブレヒトだもん、と知ったようなことを言おうと思って、ブレヒトとか叙事的演劇とかをキーワードに色々調べてみた。とりあえず書棚にあった「ベンヤミン・コレクション1」(ちくま学芸文庫)より「ベルト・ブレヒト」と「叙事演劇とは何か」をざっくり読む。なるほど、なるほどと思い、そのあたりのことを私なりにかみ砕いてここに記そうかと思って、でもその前に「せりふの時代」の宮本亜門と安倍なつみの対談を読み返したら、亜門さんが既にそのあたりのことをかみ砕いて説明してくれていた。なんだ、書いてあるじゃん。というわけでその部分を紹介。

各場面のストーリーも、シーンが始まる前に説明している。これからこんなお話になりますよと教えてしまう、という戯曲です。つまりそれは、大切なのはストーリーを追うことじゃありませんよと観客に伝えているということなんです。歌もミュージカルのように、感情が高まってそれが歌になるというのは、きっとブレヒトにとっては白々しいんでしょうね。

・・・

最近は観客が物語の中にどっぷり入り込んで、カタルシスや感情でおぼれさせてくれるような作品が面白いということになっている。とにかく泣けるのが名作みたいな風潮もあります。でも、それはちょっと待ってよと僕は思います。・・・演劇というのは、もともとそういうところからスタートしてはいない。「三文オペラ」はあくまで観客がそこにいるということを意識させ、観客に考えさせ、その場を共有するための芝居です。

・・・

その部分(政治的なメッセージ)を甘くしては、この作品をやる意味がないと思います。

ただ、また極端になりすぎてメッセージを伝えることだけになったら、プロパガンダになってしまう。

・・・

生きるとは、社会とは、資本主義の矛盾とはなど、メッセージがやたらとちりばめられている作品です。・・・そして自分をさらけ出しつつ、世の中の露骨さも全部さらけ出して欲しい。

・・・

(この作品が演劇の世界で)評価されるはずがないと思っているし、そういうことを目的としているのではないんです。観にきた観客がハッと何かを考えたり、自らを省みたりするためにつくる作品だと僕は思っています。

せっかくなのでベンヤミンの説明も少し引用しておこう。

叙事演劇の技巧とは、感情移入ではなく、それに代わってむしろ、驚きを呼び醒ますことなのだ。定式化して言えば、観衆は、主人公に感情移入することではなく、それに代わってむしろ、主人公の振る舞いを規定している状況に驚くことを学ぶ、これこそを期待されている。

ブレヒトの考えるところでは、叙事演劇は筋を展開させるよりも、状況を表現しなければならない。だが、ここに言う表現とは、自然主義の理論家たちが言う意味での再現のことではない。むしろ、何よりも重要なのは、まずもって状況を発見することなのだ。(状況を異化させること、と言ってもよいであろう。)

さらにそれを演じる俳優の使命についてもベンヤミンは次のように解説する。

叙事演劇は、映画フィルムの映像のように、ひとコマずつ進行する。・・・こうして、切れ目となる合間が生じ、それが観衆のイリュージョンをむしろ阻害する。感情移入しようと構えている観衆のこころの用意を萎えさせてしまうのだ。こうした合間は、観衆が・・・批判的な態度決定をするためのものなのである。表現の手法に関して言えば、叙事演劇における俳優の使命は、彼が演技中にも冷静な頭を保持していることを、その演技の中で証明することにある。俳優にとっても、感情移入はほとんど使用できない。

ということで、ブレヒトの演劇においては徹底して感情的・感性的ではない理知的・批判的な鑑賞姿勢が求められているのだ。

あるいはこういう言い方も出来るだろう。叙事演劇は、落としどころの見えた、ファンタジックにして抽象的で予定調和的な感動を再認させるためのものではない。そうではなくて、現実のある側面をグロテスクに切り出し、それを観客に突きつけることで、観客の安寧なる精神を破壊し、状況に対する批判的思考を呼び覚ますためのものなのだ。劇の最終場面はカタルシスを呼び覚ますものであってはならない。むしろ様々なクエスチョンマークが観客の頭によぎること、それがこの劇のあるべき姿だ。

だからもし観客が「トゥーランドット」に比べてわかりにくい、感情移入できない、と嘆いたとすれば、それはこの演劇が成功していることの証である。逆に「トゥーランドット」と同じように感動した観客がいれば、それこそブレヒトは嘆くだろうし、宮本亜門は作品を堕落させたのだ、という評価が免れがたいものとなるだろう。

もちろん作品自体に対する感想・評価は実際に見た人が各々に持つべきことなのだけれども、仮にこの作品を駄作だと感じたとしても、安倍なつみがこれほど政治的・思想的に突っ込んだ演劇に出演するということ、そのことの意義については積極的に受け止めて欲しいかな。そしてそれこそが安倍なつみがこの作品に出演するということの「スキャンダラス」性だということも。これまでのハロプロ出演作品の「安全」さからするとそこにこそ驚きがある。ちなみにキスシーンがどうとか、胸を触られたとかそういう話はどうでもいい。そんなのは「スキャンダラス」なことでも何でもない。そしてそういうレベルでぎゃーぎゃー言うような「ハロプロ」なんてものとは安倍なつみはお別れして当然だし、私も一刻も早くおさらばしたいと改めて思うのだ。

愛ちゃん、早くこっちへ来い。


ベンヤミンを読んだついでに、ちょっと気になるところを引用。「ベルト・ブレヒト」冒頭。

現存している詩人についてある評者が、非党派的に、いかなる囚われも排して、客観的に語ると称するなら、その態度はつねに、不誠実というものである。しかもそれは人間的に不誠実であるというばかりでなく、おそらくそれ以上に・・・とりわけ学問的に不誠実なのだ。・・・この場合の叙述には・・・批評の形式こそ、この叙述にかなった形式なのである。そして、批評という形式は、安易な高尚気取りから遠ざかっていればいるほど、作品のまさにアクチュアルな局面に決然としてかかわってゆけばゆくほど、形式としてそれだけますます厳密なものになる。

まさに高尚気取りで、自分を客観的な分析者に位置づけたがるブログ主に聞かせてやりたい言葉だね。「自分はだれだれ基準というものをもたない」とか「客観的に流れを分析している」とかそういうことをいって、自分の大好きな誰それちゃん以外のメンバーにネガティブな評をぶつける輩がいっぱいだからね、この界隈。私に言わせればこんなのは「学問的」以前に「人間的に不誠実」なことなのだ。

ファンブログが(ベンヤミンのいう意味での)批評的である必要はないけれども、「作品のアクチュアルな局面」にかかわらずに妄想的な「分析」とやらを垂れ流すことはとても恥ずかしいことだということは言っておきたいかな。それだったらまだ誰それちゃんきゃわ!、萌え〜とか言っている方がよほどましだよ。

■ 可奈のQ.E.D.ブログ

軽い告知。

携帯サイトNHKドラマストリート 「Q.E.D.証明終了」の「高橋愛独占 可奈のQ.E.D.ブログ」が今更ながらの更新。動画2本(更新日は不明。3/20以降に更新されていたのはAct11「廃校ロケ風景」、Act12「印象に残るロケは?」)。

有料サイトで、私も3月で解約するつもりだったのだけれども、解約を忘れていて、今日見てみたら、しっかり更新されていたという(苦笑)。同じ境遇の人がいたら、一応チェックしてみればいいかも。今からわざわざ会費払うほどのものかどうかは不明。

2009年04月04日

■ 一途な浮気者

長らく愛ちゃんモードでお送りいたしておりましたが、ようやく来ましたよ。なっちこと安倍なつみ「三文オペラ」。

テレビ・雑誌での宣伝もちらちら出てきて、特に「せりふの時代」の宮本亜門さんとの対談とか亜門さんの安倍さんへの深い信頼が感じられたりして、なんというか「うちの娘もすっかり立派になったなあ」というか、そんな気分になったり。昨年のトゥーランドット初日終了後の様々な記事とか鑑賞者のブログとかを読んだ時の気分がよみがえってきた。あと久々に週刊アスキーなんか買ったりして、アスキー編集人の福岡さんとの対談記事を見て、いやあ福岡さんも年を取ったなあとか変な感慨にふけったり。週刊アスキー前身のアイコン時代には童顔編集長とか言われていたのを思い出して。どうでもいい話だけれど。

今年はマスコミの注目度は昨年トゥーランドットよりは低いけれども(トゥーランドットは舞台としてはやや別格の話題性)、作品の質というか出演者にとっての難度は相当あがっているようで、その中での安倍なつみの演技には今からどきどきする。といっても私が見に行くのは5月大阪公演なので、当面は鑑賞者のレポート待ちなのだけれども。

そしてその後のアコなちツアーではヴァイオリンが入るというので、これまた「来た来た」という感じ。東京でも山梨でも行っちゃうよー、とすっかり安倍なつみモードになったのだけれど。

次の現場ってゴールデンウィークのモーニング娘。コンサート大阪公演なんだよな。そうそう5月6日結局昼夜娘。コンに行くことにしてしまった。三文オペラはチケット予約済みの最終公演前にどこかで入るかどうかは未定。

というわけでまた愛ちゃんモードに引き戻されたりするのか。我ながら忙しいことだ。

2009年04月02日

■ スニーカーで河口湖散策

安倍なつみ夏のコンサートツアーの名前が「やっぱりスニーカーがすき」、意味わかんねえ。

とりあえず地元大阪と最終で会場の広い東京に行くか、と思っていたら。なんとその後にスペシャルライブと称して山梨河口湖公演があるというではないですか。しかも会場の広さが東京を上回り最大。大丈夫かね?

やっぱりあまりに空席が多いのは悲しいし、ここはファンとしては何とか行くべきだろう。バンマスとなるらしい和田さんによるとバンド編成もこの公演(と東京公演)は他とは変わるらしいし。まあ東京よりは西だから、この河口湖公演は関西人にとっては行きやすいよね。でもどうやっていくんだろう。ちょっくら乗り換え案内で調べてみよう。

えーと、京都から新幹線で新横浜、八王子から中央線特急で30分、そこからさらに富士急で40分?いやいや、名古屋から松本経由とかなんかもっといいルートあるでしょう?え、八王子ー中央線ルートが最速?お金もどう行こうと片道15,6千円?参った。

夜行バスが最安かあ。でも往復夜行バスっていうのも辛い。うーむ、悩む。

というか、なんで河口湖なんだ?去年イルカさんのイベントに安倍さんも参加したときの会場ということで、ご本人が気に入った、というのは想像できるけれど、会場規模と交通の便とを考えると正直動員大丈夫かねと一ファンながら心配になるんだけれど。

東京と河口湖、両方行くのは辛いなあ。どっちかを選ぶとなると、頑張って河口湖、行くのかなあ。

■ ふるさと論返し

3月29日の福井公演以来ずっと私の耳には「夢から醒めて」が残っている。これまでいまいち心に響かなかったこの曲が、少なくともここ数日、一番心に残る曲となっている。澄んだ、よく響く声、穏やかな旋律なのに歌唱には躍動感が感じられる。あるいは黄色のひかりに包まれたステージの引き起こした錯覚なのだろうか、2007年のディナーショーや前日の滋賀公演では感じることのなかった歌の力をひしひしと感じられた。

思えば高橋愛も不安定な人だ。ある意味当たり前の話ではあるが、気合い・気負いによって萎縮することもあれば、一層力を増すこともある。ディナーショーの時は気負いが緊張に変わってしまって、やや萎縮しているように感じられた。そして福井では歌に魂がこもった。

私はずっと高橋愛という人は緊張とかプレッシャーとかには少し弱い人だと思っていた。リラックスしているときにより高いパフォーマンスを出せる人。モーニング娘。内でも先輩が卒業していき、先輩に気兼ねすることが少なくなってから大いに存在感を増してきた。地元福井公演は気合いは入っても、精神的には逆にリラックス出来たのだろうか。

「ふるさと」(「兎追いし」ではない)。最高の「ふるさと」は何かと問えば、迷わず2005年福井公演での高橋愛の「ふるさと」だという人(ex.はっちまん。さん)もいるし、いや北海道で安倍なつみが歌う「ふるさと」こそ最高だ、という人もいるだろう。私はどちらも聞いていない。だから私にはどうとも言えないのだが、ただもともと「ふるさと」は安倍なつみに合わせて作られた曲ゆえ、彼女の音域にもあっているし、安倍なつみにとっては歌いやすい曲ではあるだろう。そして2006年高橋愛と安倍なつみの二人で歌われた「ふるさと」は私には安倍なつみの歌唱のほうが数段上に感じた。高橋愛は明らかに萎縮していた。

福井公演と同じツアーでDVD収録がなされた東京公演の「ふるさと」もやはり緊張感が表に出ているように感じられた。私は高橋愛の力が発揮された「ふるさと」を聞く機会はこれまでなかった。そして東京公演よりもおそらく力が入ったであろう福井公演での「ふるさと」も、たぶん私の中ではある種の見積もりをしてしまっていたのかも知れない。

しかしおそらくその見積もりは誤っていたのだろう。ある種の緊張やら気負いやらが彼女に大いに力を与えることもあるのだ、ということを今回の公演で私は身をもって知った。福井公演での「ふるさと」が最高の「ふるさと」であったのだ、という可能性を今は十分な納得感でもって受け入れられる。もちろんだからといって「いや、北海道での安倍なつみの『ふるさと』こそ最高だ」という主張を否定するものではない。

などといいながら、実を言うと私は「ふるさと」という曲自体にはそれほど思い入れがなかったりするんですけどね。安倍なつみ最高の曲は「微風」かも知れず、「空 LIFE GOES ON」かもしれず、「愛しき人」かも知れず、「たからもの」かもしれず、まだまだ候補はあげられるのだけれども、私の中で「ふるさと」は出てこない。そして高橋愛の歌唱の中で最高の曲は、といわれても同じく「ふるさと」はまず出てこない。安倍なつみが北海道で歌う「ふるさと」、高橋愛が福井で歌う「ふるさと」を聞けばいずれにおいてもまた気持ちが変わるのかも知れないけれど。実際、これまで高橋愛最高のパフォーマンス曲の候補に入れることのなかった「夢から醒めて」が、筆頭候補にあげられるようになったのだから。

やはり高橋愛なら高橋愛を「一番」に見ている人は、そうでない人とは少し見ているものが違うのだ、という当たり前のことを改めて思い知った次第。

■ ひそひそ話II

黒田 なんか前のエントリを書く前から、落ちがバレバレっぽいんですけど。それに俺の名前も勝手に変えられているし。

白井 まあ単なるエイプリルフールネタというよりもこれを機会に「推し」について改めて考えてみよう、ということだからいいんじゃね。

黒田 それにしても微妙なところをやるよね。狙いがきわどすぎるというか。せめて一推しがなっちから真野ちゃんに変わりました!ぐらいにしておけよ、と。

白井 そこをあえてリアルなネタにするから、膨らむ話もあるわけでさ。

黒田 で、結局あの「お知らせ」はエイプリルフールってことでいいんだよね?

長 それは秘密です。

白井・黒田 そこでひっぱるなよ!

2009年04月01日

■ ひそひそ話I

馬原 やあ、久しぶり。

小鹿 大晦日の「ハロプロ大賞」以来か。で、今日はなんだい?

馬原 いや、唐突な「推し替え」宣言があったので、ちょっとそのあたりについて語ろうかな、と。

小鹿 うーん、いきなり来たねえ。確かに「愛ちゃん愛ちゃん」な更新が増えているなとは思っていたけれど、一方でさりげに安倍なつみが一番なんだというアピールもしていたからねえ。

馬原 そう。それに11年、11年だよ、11年間守ってきた一推しを変更するという宣言をあんな短いエントリですまそう、っていうのが信じられない。そんなこんなでちょっと何考えてんだ、と。

小鹿 ただまあ、気持ちが変わっちゃったのだとすれば、それはどうしようもないからねえ。なまじあれこれ「推し替え」をした原因を語られても、変にネガティブな内容になりかねないし。

馬原 うーむ、納得がいかん。

小鹿 まあいい機会だから奴の推し遍歴を振り返ってみようよ。

馬原 振り返るも何も少なくともこれまではずーーっと一推し安倍なつみ、でしょ?

小鹿 いや、二推し遍歴のほうだ。

馬原 二推しか(苦笑)。そういえばあまり二推しの話は聞いたことがなかった。一推し安倍なつみ、二推しそれ以外、みたいなところもあったような。

小鹿 基本的にそういうところのある奴だが、それでもうっすらと二推しはいたりしたんだよ。

馬原 へー。

小鹿 なんか関心なさそうだけれども、振り返ると、「中澤裕子→市井紗耶香→加護亜依」。ここまででだいたい2003年半ば。その後は「加護亜依、藤本美貴、高橋愛」あたりでぐちゃぐちゃだった。

馬原 2003-4年といえば安倍なつみの卒業がらみで、そっちにしか神経が行っていなかったというのもあるしな。ところで大谷雅恵は?

小鹿 永遠の三推しらしい(苦笑)。でもこうして二推し遍歴を振り返ると、なんだかんだ「若い方」「新しい方」へ流れていっているんだよね。

馬原 二推しなんてものは割とどうでもいいと考えていたところもあるから、そんなものなのかも知れない。

小鹿 そして2005年、「大阪 恋の歌」でセンターでメインを張る高橋愛の姿を見て、「落ちた」。娘。が色々苦境にある中で、毅然とした立ち姿がとてもまぶしかったとか何とか。これ以降は「二推し」がどうでもいい感じじゃなくなった。

馬原 逆に彼の高橋愛遍歴はどうなの?

小鹿 加入直後は五期メンバーでは一番歌も上手いし、可愛らしいし、いいんじゃないかとか言っていた。そんなに関心はなさそうだったけれど。それからハロモニでの露出が増えてきて、そこそこ気に入っていた感じ。一方でハロモニで高橋愛のコーナーが他メンバーよりも多めというのでバッシングめいたことがなされ出したのもこの時期。

馬原 アホやね。

小鹿 そう、そういう部分での同情も含めて結構好意的な方だったとは思う。そしてミニモニ。「Crazy about you」、このときの高橋愛の歌唱を聴いて、かなりはまっていた。娘。のアルバムも買っていなかったこの時期にミニモニ。のアルバムを買ったりしていた。実を言うとこのあたりではまだ安倍なつみは歌唱面ではそれほど評価していなくて、高橋愛の歌唱をハロプロ内ではかなり高く評価していた。でもその後さっきあったように安倍なつみのモーニング娘。卒業で安倍なつみしか見ていない時期に突入する。

馬原 で、「大阪 恋の歌」で「再発見」するわけか。

小鹿 娘。のCDもまた買い出した。そしてなにより次のシングル「色っぽいじれったい」の握手会イベントに応募、そして当選。こういうのってあまり応募とかしないほうだから、この段階でもうかなり愛ちゃん愛ちゃんなんだよ。

馬原 ただまだ娘。のコンサートには行っていないんだよな。

小鹿 当日券で確実に入れなければ行かない、というものぐさ振りだったから、まあ行かないわな。

馬原 2006年、高橋愛主演ミュージカル「リボンの騎士」、ここで初めて東京にまで駆けつけた。いわゆる初「遠征」。

小鹿 最初に「リボンの騎士」を見たのは別の用事で東京にいたときだから、「遠征」とはちょっと違ったんだけどね。その時はゲストが松浦亜弥だったんで、どうしても安倍なつみゲストの回も見たい、と言うことでそこで「遠征」をした。だから初「遠征」は安倍なつみのためだったんだよ。でも実際はステージを見るときは高橋愛のほうに注目していた節もあったけれど。その後は「在宅」が続いて、2007年夏に高橋愛のディナーショーに参加、秋にはモーニング娘。コンサートに初参加。

馬原 安倍なつみの在籍時にも行かなかった娘。コンサートにここで初参加とはねえ。

小鹿 もちろん高橋愛がリーダーになったモーニング娘。を見たい!というのもあったのは確かだけれども、前売りチケットの買い方をようやく覚えた、というのも大きい。

馬原 前売りの買い方って、そんなん少しも難しくないがな。

小鹿 それが出来ない奴なんだよ。

馬原 でもディナーショーって前売りしかないでしょ?

小鹿 そっちは直接ホテルに電話すれば良かったから。プレイガイド経由のチケット購入方法がよく分からなかったみたいだよ。

馬原 意味不明。

小鹿 ただ07年の娘。コンはやや物足りなさそうな感じだった。しかし08年「シングル大全集」から「シンデレラ」、そして「リゾナントLive」と実に充実してきた。そして高橋愛主演ドラマQ.E.D.の話が。

馬原 やっぱ連ドラってでかいのかなあ。

小鹿 2009年に入ってなっち関連が微風ライブ浜松公演一本で、愛ちゃん関連が毎週のQ.E.D.に娘。新曲、そしてそのイベントじゃあねえ。そして福井凱旋コンサートと。

馬原 うーむ。でも奴にとっての「推し」ってそんなテンポラリな露出の有無で左右されるようなもんだったかなあ。もっとこう歴史とかそういうものを含めた「重い」ものだと思っていたよ。だって11年だよ。たかが3ヶ月の露出の差でひっくり返るなんて、ちょっと納得できない。

小鹿 言いたいことは分かるけれども、高橋愛だって4年間ずっと見守ってきたわけだし、そんなにテンポラリな話でもない。それとハロプロ内でのバッシング対象からほぼ安倍なつみが外れて、娘。そしてハロプロリーダーとなる愛ちゃんにあれこれ集中している、というのも残念だけど影響あるかも。

馬原 この界隈、アホが跋扈しているからねえ。

小鹿 それよりも逆にこれまで「推し」が入れ替わらなかったことのほうが不思議という見方も出来る。実際2004-05年段階の安倍なつみのパフォーマンスにはそれほど納得しきってはいなかったようだし。

馬原 その辺の話を掘り下げると98年までさかのぼらなくちゃならなくなるからねえ。あとハロモニ。の存在も大きかったかな。まだまだパフォーマンスよりもキャラ重視で「推」せていた頃だ。でも06年秋に娘。コンのチケットを取る行動力が奴にあれば、あるいは07年からの安倍なつみのパフォーマンスアップがなければ確かにちょっとやばかったかも知れない。チケットを前売りで買うスキルを身につけた07年は、ヴァンサンクコン、10年記念隊コン、アコなちコン、とこの年は完全になっちなっちな一年だった。

小鹿 逆に07年は娘。のほうは色々ごたついていて、中々本領発揮とは行かなかったしね。08年になって娘。も体制が整って、ようやくがちの勝負という感じになった。

馬原 2008年春のトゥーランドット。初日の記事を読んで、東京にまで見に行くべきだった!と悔やんでいたね。ここではまだまだなっちなっちだ。

小鹿 ただ内緒話だけれども、悔しがっていたことの原因の一つにレッドカーペットに高橋愛が登場したというのがあったんだけどね。

馬原 それはちょっと。

小鹿 そして夏のバースデーコンから秋のAngelicコンと実にいい流れ。でも娘。リゾナントLiveも熱かった。07年に後れを取った娘。が08年もよどみなく走る安倍なつみをひたひた追いつめた、という構図かな。

馬原 ってここまで話してて、ふと思ったんだけど、この「推し替え」ってやっぱネタじゃね?ほら、新年度より安倍なつみはハロプロメンバーじゃなくなるから、そのままハロプロでの一推しは高橋愛になるでしょ?とか、さ。

小鹿 ああ、なるほどね。確かにそういうネタを面白がる悪趣味なところはある奴だ。でもそれなら「一推し」を「変更」とは言わないんじゃない?単にハロプロ内一推しが高橋愛となりました、とだけ書くとかさ。それにあのエントリのどこにも「ハロプロ」なんて限定はされていないし。

馬原 うーん、そうかあ。対象範囲は全宇宙の女性アーティスト、か。4月1日の更新だから、ハロプロ卒業関連ネタかな、と思ったんだけど。。。ん?

小鹿 4月1日がどうかしたって?ん?

■ 重大なお知らせ

唐突であり、かつ私事ではありますが、私本日より「一推し」を安倍なつみから高橋愛に変更したことをお知らせいたします。