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2006年03月28日
■ 「とくばん」への注釈
ちょっと古い話題だが、まだ引きづられたりしている話題なので、「うたばん」について。
問題となったのは現モーニング娘。と元モーニング娘。が一堂に会してトータライザーでいろいろな質問に答える、という企画。その中で「生まれ変わってもまたモーニング娘。になりたい」という質問があった。それに対して元モーニング娘。は8人中7人が「またモーニング娘。になりたい」と回答した。それでも1人がそうは回答しなかったということで「え〜」と大ブーイングが起きるほどだった(ちなみにその1人は中澤さん、今度は結婚したい、という落ち)。それに対して現モーニング娘。は10人中3人しか「またモーニング娘。になりたい」と回答しなかったばかりか、それに対してありうべき「突っ込み」が司会からなされなかった(あるいはそれが放送されなかった)。それが「問題」になっているのだ。現モーニング娘。にはモーニング娘。愛がないのか?
もうあちこちで明らかにされていることだけれど、知らない人は知らないと思うので、ここで改めて書くと、あの放送は切り貼りをやりまくって一貫した(と見える)シーンを作り出しているので、放送されたワンシーンを切り取って何かを解釈するのはとても危険だ。はっきりしていることは現モーニング娘。と元モーニング娘。は同じ時間に同じスタジオにはいなかったのであって、両者バラバラに収録したものを一つのシーンとして描き出したものにすぎない。従って例えば元メンバーの回答に対する現メンバーの反応などというのは実在しない。それがあたかもあったかのごとくそれとは無関係な文脈でなされた反応を切り貼りしたものがあの放送なのだ。つまり8人中1人が「生まれ変わったらもうモーニング娘。にはなりたいとは思わない」という「驚くべき」回答をしたというのに対する現メンバーの反応として比較的「らしい」(とスタッフが判断した)シーンが挟み込まれたにすぎず、そのシーンにたまたまトータライザーの「3」という数字も映ってしまった、というだけのことだ。だからあの「3」という回答結果がどのような質問であったかは全く分からない。もちろん「生まれ変わってもまたモーニング娘。になりたい」という質問であったかもしれない、しかしそうではなかったかもしれない、それを判断する材料は視聴者である私たちは持っていない。確率的にいえば、切り貼り編集をした結果の一シーンがたまたま同じ質問に対する反応だった、という方が圧倒的に低い、と私は判断するが、でも分からないものは分からない。
ということで、あの一シーンからモーニング娘。の現メンバーと元メンバーの「差」を論じるのは無理だし、無効だ。
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