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2009年03月18日
■ たかが円盤、されど円盤
うちのサイトを読んでいる人なら既読だろうと思いつつ、紹介したいテキストがあった。
好きで×8+αさんのdialyより2009/03/17更新分「やっぱり疑問に感じること」
ここのサイトさんぐらいさらっと正論が書けたらいいのに、と思う。どうしても私はよけいなノイズを入れてしまう。
歌手にとっては曲っていうのは唯一無二な存在なわけでして、芸能人である以上は、色々な形の仕事がそこにあるとは思いますが、自分たちの曲、そして歌を唄うこと以外というのは、あくまでも手段であって目的ではあり得ないものだと思うんです。
・・・
イベントをやるのは別に良いとは思うんですけど、歌手のファンがその歌手にとって唯一無二であるはずの楽曲が実体のあるモノとなっているCDを、その付録ほしさに単なるプラスチック製のややこしい形をした過剰包装然として扱っているのは如何なものかと。
つんくの楽曲がどうのと「音楽通」ぶったテキストをものすくせに、この手のイベントに疑問を呈するのは「ひがみだ」というような情けないことをいう人(特定の新「ハロプロ」ファンのサイトさんを想定しているけれども、まあ特定の誰かではなくてそういう感じの人、いっぱいいますよね)には噛みしめてもらいたい、とかそういう余計なことを私は書くからだめなんだよね。
CDを一片の紙切れで十分なイベント応募券に代替させるこの「転倒」、そしてこの過剰包装による大量のゴミの発生、そういう事態を引き起こすことを「エコ」イベントにも度々登場するグループ(「ハロプロ」だ!)がやっているというこの二重三重の馬鹿馬鹿しさに何とも思わず万歳できる人って、やっぱり私にはよくわからないわけです。
先日紹介した英字新聞の記事を読んで、私はプロデュースサイドをちょっと見直した。「歌手」としてのメンバーたちの想いを受け止めて、それを実現しようと頑張っている、そう感じるところがあった。なのにその矢先の今回のCD「応募券」化。
まあ今までも散々やってきたことなのに何を今更、というのはあるけれども、そのCDにクレジットされてもいない人を「餌」にしてCDを買わせる、というのはさらにもう一段転倒を重ねてくれるわけで(しかもこれはかなり本質に関わる転倒だ!)、私としてはあきれかえるしかないわけだ。
で、そういうのを万歳する人に限って自分は客観的だとか何とか言いながら、ハロプロの未来とかプロモーションがどうとか語っちゃうわけで。お前はアップフロントの営業か!
少なくとも私は彼女たちの生み出す作品にもうちょっと敬意を払いたい。私は作品の生産者・「表現者」としての彼女たちを愛している。私は私がいいと思う作品を生み出す人を完全なる主観的立場でもって称えたい。
せっかくの素敵なテキストを私の難癖に利用してしまいました。うーむ、やっぱり私はノイズをたてすぎる。
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