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2005年09月15日
■ 思考メモ2
最近考えているのが、主義としてのDD、ということ。しばしばハロプロ界隈で言うところの「右翼」、ある特定のメンバーを強く応援する志向、とDD、ハロプロメンバーを幅広く応援する志向、とは対立するものとされている。DDという言葉に含まれる意味があまりに幅広く、明確な概念規定が確立されているわけではないため、整理は難しいが、この「右翼」とDDは果たして対立しなければならない概念なのか?むしろ逆に「右翼」であればこそ、DDであろうとするという態度も十分あり得るのではないか。
私の愛する某(ハロプロメンバー)の仲間であるハロープロジェクトのメンバーは、すべて私が愛する対象である。
この主義としてのDDはしかし実際にはなかなか貫くのは難しい。ともすれば己の一方的な理想の押しつけに終始し、応援するという名目の下、ただ腐すだけに終わることが散見されるからである。しかしそれは単に己の敗北を意味するだけのことであり、真にDDを貫ければ、それこそが「右翼」を超えた「原理主義」的態度というものではないか。
投稿者 althusser : 2005年09月15日 00:00
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