重層的非決定?

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2009年02月02日

■ Smile

私は待っていたのだと思う。高橋愛のある想いを察せられる機会を。

その機会は最大限に早くやってきた。明石家さんまさんとのラジオ「ヤンタン」。

件のネタが三流イエロージャーナリズムに流れて最初の放送。もし「声」からだけでも何かを感じられれば、と思っていた。しかしおそらく誰かが気を利かせたのかもしれない、かなり迂回した形だが、タイムリーなネタが振られた。

「(恋愛)スキャンダル」ネタ。そのことについて語る高橋愛の声は、いつものようにどこか茫洋としつつ、しかし心の底には確たる意志を感じさせられる凛とした響きの中に、かすかな怒気が覗いていた。

私がおそれていたもの。それは高橋愛の声の中にかすかな「恐れ」が感じられること。

「恐れ」の種がやがて根を張り、「ファン」への不信感となり、そうして彼女が去っていくこと。私たちはかつてそのようにしてあるメンバーを失った。私たちは振られたのだ、と思った。私はもうあんな形で振られたくはなかった。

もちろんそのときと今回とではいろいろな状況が違う。だからすぐに彼女が去ってしまうことまで心配したわけではなかったが、それでも彼女の中にかすかに芽生えた私たち(ファン)への恐れ・不信感を彼女の中に見ながら、彼女を見つめていくことは辛いと思った。彼女のファンへの笑顔の中に曇りが見られるとしたら、それはとても辛いことだと思った。

でも彼女の声には「恐れ」はなかった。そうではなくて「怒り」だった。まだ見捨てられていない、と思った。馬鹿息子を叱る母親のような、どこかおおらかな怒りを感じたとき、私は自身の中にあった不安が一掃されたように感じた。

2月1日、ハロプロコンサート。彼女の笑顔にためらいの影は見えなかった。どこまでもすんだ笑顔だった。

投稿者 althusser : 2009年02月02日 00:39

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