2006年02月14日
■ 虎の威を借る
この問題を語り続けるのは止めようという主張もあると思う。それはそれで正しい。ただ私は「前の」安倍なつみの問題の時も結局2ヶ月書き続けたし、今度も書き続けることになるだろうと思う。これはいい悪いの問題ではない。私は個人の感情において、この問題がなかったかのごとく、ハロプロの話題をする気にはとうていなれない、ということだ。
ネットの語りは安倍さんの時に比べればずいぶんとおとなしいものだ。なんだかんだ言って「一般人」の反応はまるで違う。基本は「たかが煙草」というのがある。バッシングをしているのは「ファン」と称するものたちと、そして一部のパラノイアだけだ。この手合いは何かことがあれば、それに対して己の正義をひけらかすことで己の精神の安定を図ろうとする。例えば「加護亜依」のキーワードを、普段ハロプロの話題に触れたこともないくせにこのときだけ編集に手を出す輩などはその典型だ。「正しい」「公正」なことをしていると自分では思いこんでいるようだ。歪んでいる。
私が一番いらだっているのは、今回は事務所とその周辺の対応だ。
例えばハロモニ。単にテロップで「この放送は何時何時に収録されたものです」で良いではないか。他の局の番組はそうしていた。また安倍さんの時もその程度の対応であった。なのに今回は大幅な編集で加護さんの部分をカットする。
例えば「処分」。安倍さんの時は「2ヶ月活動自粛」だった。今回は「無期限謹慎」。
なにやら、ネットでの言説とは違い、事務所的には「盗作」よりも「未成年喫煙」の方が罪が重いらしい。
私の感覚では「盗作」が2ヶ月なら「未成年喫煙」など3日で十分だ。私は安倍さんのことが明るみに出たときには「くだらない」とは書かなかった。決まったばかりの紅白出場を辞退すべきだ、と書いた。加護さんの時の第一印象は「くだらない」。私の価値感ではそれだけの差がある。2ヶ月を超える謹慎を加護さんが強いられるとしたら、それはとてつもなくバランスを欠いた処置だ、と私には思える。
法律論をかざす気はないが、しかし両者に関わる法律の趣旨とてこの感覚を支持している。未成年者禁煙法には当事者たる未成年を罰する意味合いは全くない。今回の一件で多方面に迷惑がかかっているのは「法に触れた」ためであって、問題となった行為自体に直接の原因があるわけではない。問題となった行為(喫煙)自体は、喫煙をした本人のためにならないということで保護責任を負う人たちから叱られればすむことであって、部外者にやいのやいの責められるたぐいのものではない。その行為自体で誰かの権利を侵害したりしたわけではないのだ。
私は安倍さんのしたことは、彼女が「表現者」でいる限り、忘れないと思う。彼女が「チェインギャング」を歌えば、その歌詞の中に彼女のその行為の意味を思い出す。私はその行為を織り込んだ上で、彼女を見る。その行為は、彼女の表現者としての人格の中に織り込まれている。
加護さんのしたことなど、加護さんが再び私たちの前に出てきたときに、一言「ごめんなさい」と言えば(別に謝って欲しいわけではないが、儀礼的にその程度のことは言ってもよいのは確かだ)、その瞬間に忘れていいことだ。背負い続ける価値など全くない。
一応言っておくと私は喫煙に甘いつもりは全くない。私自身生まれてこの方煙草を吸ったことはない。また未成年者相手の仕事をする人が喫煙をするのは「けしからん」とさえ思っている。職員室で喫煙をする教師がもしいるとしたら、教師失格だと思う。家で吸うにしても、煙草のにおいを学校に持ち込むのも「けしからん」。
ハロプロでも同じだ。未成年者をメンバーとして抱える「プロジェクト」だ。成年メンバーも、スタッフも、未成年メンバーの前で煙草を吸うなどとんでもないことだ。もしそんなことをしているメンバーやスタッフがいるのであれば、即刻止めて(辞めてとまでは言わない)もらいたい、そう思う。
しかし煙草の害というのは徹底して実利的な問題だ。彼女の表現者としての価値を損なう必要など本来全くないことだ。「イメージが云々」というのはプライベートな恋愛を暴き立てて「イメージが云々」と曰うストーカー的視線と同レベルのものにすぎない。恋愛と違って未成年者の喫煙は確かに「よくない」ことだ。その一点の妥当性を持って、己のストーカー的視線までも正当化しようとする。今や恋愛では「アイドル」に対する己の願望の押しつけがおおっぴらには出来なくなったものたちの足掻きの場が「法に守られた」喫煙という場なのだ。
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