2008年07月20日
■ 文化闘争に敗北す
暑さにかまけている間にもどんどん日が過ぎていく。いつの間にか小中学校は夏休みだ。
何の脈絡もないが、何となく携帯電話の機種を変更した。今話題のiPhoneではない。もちろんそれにはやんごとなき事情がある。ソフトバンクが嫌いだとか、回線維持費用が高すぎるだとか、メールに即時性を持たせにくいだとか、そんなことは些細なことだ。もっともっと致命的な問題があった。
これまで使ってきた端末は63ヶ月使用したのだとか。仕事がらみで携帯を買わざるを得なくなり、0円端末をもらってきたら、契約したauが回線方式を変えて、古いのはもうおしまいだというので、また無料で当時それなりに新しい「カメラ付き」携帯をもらった。しかしカメラはどうでも良い。ケータイサイトが一応は見られた、これが結果的に重要だった。絵文字も多少は使えた。
私はネット文化においては旧人類に属する。初めて「ネット」(正確には少し違うが)に触れたのは大型計算機だった。パソコンとかUnixワークステーションですらない。ケータイこそが「ネット」だという人とは二世代ぐらいギャップがある。
当然ケータイ文化はなじまない。もともと電話が嫌いなのだ。だから電話はよほどの用事でなければかけないし、かかってきても出ない。ケータイサイトなんていう半端なサイトは見ない。ケータイメールも使わない。すべてPC+b-moblieですませる。
iPhoneは「次世代携帯」とか煽っているが、違うだろうと思う。むしろ私のごとき旧世代人のためのものだと思った。PC覇権主義。
では私のケータイは何に使っていたのか、というと、電波時計だった。時間あわせをしなくてもいい。それに月3000円高の基本料金を黙々と払ってきた。ローレックスより安い、と言い聞かせながら。
さすがにそれはないだろうと思って、昨年あたりから少しケータイ文化に歩み寄ってみた。絵文字メールも受け取るようになった。しかし我が貧弱なる端末、絵文字が所々表示できない。結構悲しい。ケータイサイトも見るようになった。しかし表現力が乏しくて結構悲しい状態だった。それでもケータイ文化の一端に触れたとは思った。
その世代ギャップをさらに乗り越えんとして、新しく購入した端末は日立製のW53Hというもの。ワンセグが映り、LISMOとかいう音楽機能が使えるとか、他よく分からない。単にその端末のカラーバリエーションのユーロパープルというのを店頭で見かけて、惚れ込んで買った。去年のモデルなので格安4200円。生まれて初めてケータイ端末に金を払う。
絵文字メールがきちんと見られる。ケータイサイトも全機能がきちんと閲覧できる。ワンセグも見てみたけれど、大したことはない。LISMOには興味がない。音楽は専用機で聴く。動画も同じく。
iPhoneではね、駄目なんですよ。絵文字メールは読めないし、ケータイサイトが見られない。それでは意味がない。
メールを送ってくれるのはもちろん小春ですよ。小春。ケータイサイトではなっちのデコメールを見られました。愛ちゃんとれいなの待ち受け画像をダウンロードしました。鮮明。
iPhoneじゃ駄目なんですよ。
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