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2009年03月16日
■ 「場」としてのモーニング娘。
最近プロデューサー気取りが多くて疲れません?
ということで、私は(文化の)受容者という立場を基本的には崩さないようにして語ろうと思っている。否定的なことを書く場合でも「これこれすべきだ」「こうだからだめなんだ」、ではなくて「こうあってほしい」「これこれが不満だ」。同じようでも違う。あくまで受容者としての主観的立場で語ること、それが文化を語るということだ。
「こうしないから斜陽なのだ」、「こうすればうまくいく」、無責任なことを言うなって感じなんだよね。「あそこでバントさせたからこの試合負けたんだ」、そんな居酒屋でくだを巻くプロ野球ファンと同レベルの情けないことをブログで書くなっていうの。「あそこでバントさせるからつまらない試合になってしまった」、同じようでも違う。この違いがわからない人、ここのスタンスが違う人とは意見交換もできそうもない、ということを最近特に強く感じる。せいぜいチラシの裏でプロデューサーごっこを楽しんでください。
なんて言いながら、ちょっと私もプロデューサーごっこをしたくなってきたのだ。AKB48との比較におけるモーニング娘。のあり方、進むべき道。
AKB48については私は詳しくないので、ほとんど聞きかじりの知識で進める。
AKB48は複数の芸能事務所の連合プロジェクトであって、今後のメジャーデビューを目指すメンバーと、すでに大手の芸能事務所に所属していて、ソロでの活動も(AKB48とは独立して)行う力も持っているし、現に行っているメンバーとが混在している。しかしそういうメンバー構成においても、グループとしての目標を一つ掲げている。「武道館でコンサートを!」。
一方のモーニング娘。。考えてみればグループとしての目標というのはあまりなかったように思う。もちろん「オリコン一位」とか「紅白出場」とかいろいろあったとは思うけれども、それを事前に(ファンに向けても)掲げて活動を行う、ということはなかった。メディアで煽られて伸びてきたグループ故、これは一見不思議な気もするけれども、実はある意味当たり前のことなのかもしれない。
所属メンバーは(少なくとも建前上は)ソロ活動をするには「足りない」ために、モーニング娘。の活動を通じてスキルを磨き、将来のソロ活動へとつなげていく、それがモーニング娘。の「目標」だったからだ。グループとして何かをなすのではなくて、あくまで所属する個人が成し遂げることが求められていた。一部メンバーの知名度、人気をグループに還元しつつ、グループとしても目標を達成せんとするAKB48モデルと違い、その本義に於いてはメンバーの成長の場としてグループが存在している。メンバーが人気を取り、グループ人気に還元することは本義に於いては補足的なものなのだ。AKB48のグループが「組織」であるならば、モーニング娘。のグループとは「場」である。
しかし今、そのグループとしての本義が弱まっている。「卒業」自体がグループとしての力を削いでしまうので(本来から言うとそれはそれで一向かまわなかったはずだ。オリメン5人が独り立ちできるようになったときに華々しく解散!が成立当初の目標だったはずだから)、グループを守るために、力のあるメンバーの卒業も遅れ気味になる。そして遅れるあまり、本来の意味からすると「卒業」であってしうるべきメンバーがスキャンダルの汚名を着せられて「脱退」させられる。グループとしての力はますます弱まり、メンバーをだんだんと固定化させざるをえなくなってきている。
こうしてグループの本義を見失った結果、ファン界隈にどことなく「惰性」感が漂っている。それが今のモーニング娘。の状況ではないか。
ではAKB48と同じく「武道館コンサートを!」を掲げればよいか、というとそれは難しいだろう。何となれば、それはその気になれば多分できてしまうからだ。コンサートツアーの会場数を大幅に減らす。そして関東圏を1日か2日だけに絞って、武道館を会場にする。各地のモーニング娘。ファンがその日、その会場に行かざるをえなくすれば、それなりに会場は埋まるだろう。それでも不安ならゲストに卒業メンバーを呼べばいい。それでスペシャル感を演出すれば、ほぼ間違いあるまい。でも、それでいいのか?
コンサート会場を減らす、というのは全然前向きな話ではない。卒業メンバーを呼ぶ、というのも前向きな気がしない。そんな前向きでない施策で実現できてしまうことを「目標」とすることはできない。しかもかつてはそんなことをしなくても余裕で実現できていたことを。
さりとてそれに変わるような「目標」も、さっとは思いつかない。モーニング娘。デビュー時の「愛の種」5万枚に対抗して、握手会やりまくりで売上10万枚、というのは行けるかもしれない。でもこれもそれほど前向きな気もしない。
それなら「本義」に立ち返って、メンバーのソロ活動を充実させ、「卒業」後の方向をファンにもアピールする、というのは「正しい」方向のように私には感じられる。メンバー個別の活動の土台、「場」としてモーニング娘。を再定義すること。そして次の「堂々たる」卒業者を迎えること。後藤真希の卒業の知らせに悔し涙に暮れた安倍なつみを見守ってきた私にとっては、やはりそれこそがモーニング娘。だと思うのだ。
プロデューサーごっこ、確かに楽しい。やみつきになるかも、かも、かも。
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