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2009年09月20日
■ 久住小春卒業
とりあえず「残念!」といった類の、ある種ネガティブな反応があるのはむしろ当然。全員が「やった!」では娘。サイドからしても小春サイドからしても寂しい限りだ。
私も、娘。サイドから、せっかく界隈から全体的にいい雰囲気になってきたこの時期に何でまた、と正直かなり落胆もした。できれば今の9人で続けて欲しいという思いは変わらない。
それでもこれはこれで妥当なことだったのだ、とも思う。
モーニング娘。はメンバーを交代させることで鮮度を保ってきた、云々という方向性は私は今は支持しないし、実際事務所サイドでも今はそういう方向性は志向していないというインタビュー記事もあった。だからそういう意味では今回の卒業もする必要があったとはいささかも思わない。
ただそれとは別に「去る者は追わず」的な鷹揚さ、娘。を出たほうがさらによい活動が出来ると考えられる場合には娘。には縛り付けない、というのもあって、それ自体は今でもあり得べき志向だと思う。そしてそういう意味では久住小春の今後を考え、娘。に縛り付けるのに限界を感じた、というのであれば、私は今回の卒業を支持しよう。
実際久住小春のタレントとしての指向性は今の(ここ数年来の)娘。の方向性とは確かにズレを感じるところはある。そういうズレを包含するところが娘。の良さであるのは確かだ。しかしそれが娘。にとってではなく、久住小春にとって負担となるズレなのであれば、そのずれを放置し続けるのが良策とは言えないだろう。
こういうズレといえば道重さゆみの名前を挙げる人も多そうだけれども、私は道重さゆみはその指向性において、今の娘。の方向性とのズレはないと考えている。道重さゆみにとって、今のモーニング娘。は自分の最高の居場所だと感じているだろうと私には思えるのだ。
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コメント
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どこぞの匿名掲示板あたりで使われているような小汚い「概念」をうちのブログで使われても迷惑です。そんな「概念」をまき散らすのにこのブログを使わせるつもりはありません。
あしからず
投稿者 はたの : 2009年09月22日 10:48