重層的非決定?

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2006年02月15日

■ 「監視」欲望

かつてのアイドルファンはもっと厳しくて、煙草を吸ったなんてことが分かったらファンが激減した、だからアイドルたちは律することが出来ていた、今のファンは甘い、だからアイドルたちは乱れている、という主張を読む。

本当に今のアイドルたちの方がより乱れているのか、この手の「昔は良かった」言説は一応眉唾物だと思っておいた方がよいのだが、それはさておき。

もし事実として昔のアイドルファンの方が厳しかったとして、その方がよいのだろうか。アイドルは何々であれ、という思い入れをプライベートな身体にまで込めて、そうしたまなざしで見続ける、ちょっと恋愛でも何でもスキャンダルがあれば致命傷、それがよい状況なのだろうか。

アイドルはプライベートでも見られることを意識せよ、大金をもらっている代償だ、などと曰う。なんと卑しき物言いなことか。他のアイドルは知らないが、加護亜依が、モーニング娘。のメンバーたちがそれなりのお金をもらっている(のだろう、知らないが)のは彼女の歌に、踊りに、そのパフォーマンスに価値があるからだ。プロとして立っているステージにお金を払って観たいと思うものたちがいて、それで彼女たちはお金を稼いでいるのだ。

「プライベートでも見られることを意識せよ」、それは疑似恋愛にせよ、本当の恋愛にせよ、恋愛相手に監視カメラでも付けて監視したいという「私」の欲望ではないのか。そしてそんな監視を甘んじて受けよ、というのはこの世界の彼女たちを収容する監獄にしようということだ。私は特定のものだけであっても、そのような監視(される)社会を良き社会だとは思わない。

今やアイドルたちの恋愛についてはかなり寛容な状況になってきている。恋愛をスキャンダルとして責め立てることを、今の社会はよしとしない。アイドルへの「監視」欲望は明らかにゆるんでいる。

それを面白からず思い、己の理想をアイドルに押しつけ続けたいものたちの後退戦が「喫煙」なのだろう。そしてかれらは己の欲望を押し隠し、ただひたすら秩序の守護者として、そして非行者に対する教育者として、語りを生産し続けるのだ。

投稿者 althusser : 2006年02月15日 00:00

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