2009年01月16日
■ 「Q.E.D.」二回目
愛ちゃんこと高橋愛主演ドラマ「Q.E.D.証明終了」二回目。
その前にまた地デジがらみの愚痴を。
10日土曜日は「Q.E.D.」の宣伝でNHKの土曜スタジオパークに出演。愛ちゃんのトーク番組なんてあまりに貴重、当然地デジでがっちり録画するぞと準備万端。
なのに、録画を開始すると同時にエラー。あわててPCを再起動したりして、なんとか途中から録画したけれど、出だし10分が飛ぶ。ああ、ショック。まあ急遽アナログで見られたから・・・。ああ、ショック。
写真集を唐突に出されて照れまくる愛ちゃんとか、デビュー前の映像を出されて恥ずかしがる愛ちゃんとか高画質で保存しておきたかったのに。。。
でもこの愛ちゃん、中々どうして、結構しっかりしゃべる。細かすぎて誰にも分からない物まねも披露してくれたし。「これやるの二回目なんですよね」とつぶやいていたその一回目は今は亡きハロモニ@。確か浴衣姿で「ノゥノゥノゥ!」と叫んでました。
終始謙虚で可愛らしく、しかも結構しっかりしたお姉さんぶりを発揮して、まあこの番組を見ていた人で愛ちゃんを好きにならない人とは人間としてどこか欠陥を抱えていると確信するのだけれど、一点、歌を披露する場面で「ラブマシーン」を照れまくってごまかして一節だけ歌ったのはもったいない。かつては藤井隆司会のバラエティ「マシュー」でうざく歌いまくっていた(ま、演出だけど)のに。もったいない、実にもったいない。
そして「本番」Q.E.D.二回目。今度はエラーを起こさないように前もってPCを再起動して準備万端。
とおもいきや、なまじ再起動をしたばかりに外付けUSBのキャプチャボックスを認識せずにまたしてもエラー。別所でリアルタイムに見ていたために録画されていないことすら知らずに、さあ見返すぞと思ってPCを見たら、全く録画されていなかった。録画失敗率高すぎ。
とりあえず低画質のファイルが手元にあるので、それを見返して我慢することにする。再放送があるらしいとのことで、私が取りそびれた2回目は2月初旬ぐらいのはず。それまで低画質ファイルで我慢するのだ。
肝心のドラマの内容だが、これがもう、1回目とは別物。2回目がこのできになるのなら1回目はもっと酷評しておいても良かった。やっぱり今回ぐらいのクオリティは欲しいよね。前回ははっきり言って高橋愛が出てなければ見るのをやめようかというレベル(ちなみに私はドラマは結構しつこく見る方)だったけれど、今回のできだったら、愛ちゃんがいるいないは無関係に見ようと思いますわ。
今回は事前にゲストキャストをみて楽しみにしていた江波杏子さんにつきる。やっぱりこのクラスの役者さんが出てくるとドラマの質が変わる。
もうトリックとかはどうでも良くて(演出・脚本サイドもそれ以外の部分で見せようとしている。それは前回からすでに覗えた)、今回でいえば「親の愛情」が主テーマになっているわけだが、これをぬるく描かずに、実に強烈な描き方をしている。死してなお娘を守らんとする母親の愛情から来る殺人なのだが、その母親を演じる江波杏子さんが鬼気迫る演技を最後の最後にするのだ。台詞もなく、ただ細工を施した人形のなかにじっとその魂を潜ませているというだけのシーンなのだが、そのシーンが狂気に満ちた恐ろしさを感じさせる。同じテーマで、同じ事件ネタでももっとぬるく描くことはいくらでも出来るのだけれども(まあ、「殺人」なのだから、余り綺麗に描かれても困るといえば困るのだけれども)、あえて狂気を前面に出すことで「母親の愛情」の強烈なまでの深さを描き出しているのだ。ちょっとしたホラー仕立ての、背中がぞくっと来るシーンでありながら、なぜか泣けてくる。これは最近のテレビドラマの中では名場面の一つに数えてもいいと思う。
ドラマ全体としては探偵役の天才少年燈馬想演じる中村蒼さんの余り目から鼻に抜ける感じがしないキャラが原作好きからは微妙に評判がよろしくないところもあるようだけれども、ドラマ制作意図からすれば、彼のナイーブな演技・演出も正しいものだと思う。主役高橋愛演じる水原可奈の母親が既に亡くなっていることと合わせて、天才少年の鮮やかな推理が売りのドラマではなくて、「主人公二人の成長」のドラマなのだ。
ドラマとしての完成度が上がるのに合わせて、高橋愛の演技も飛躍的に良くなっている。1回目は上手いか下手かと聞かれれば、「下手」と迷わず答えた(でもそう言いきるのが「ファン」として逡巡してしまったので前回は煮え切らないエントリとなった)が、今回の演技ならばほぼ問題なし。台詞が浮いたところもほとんどなく、表情も自然、抑えた演技をするべきところはきっちり抑えられていて、感情がナチュラルに伝わってくる。単なる元気だけが取り柄の「超健康優良女子高校生」ではなく、かすかな寂しさ、喪失感と、そこから来る愛情深さ、やさしさがシーンの端々に自然に浮かび出てきている。地が決して「脳天気」系ではない高橋愛の素の繊細さが良い方向に出ている。
ついでにやや余談ながら、最後の謎解きの場面で愛ちゃんが涙流しているのは、あれは絶対に目薬とかじゃありませんから。きちんと地で泣ける人。それも含めて、「きゃわ」とかじゃなくて、普通にドラマ批評的な視点から見ても、及第点。
もちろん愛ちゃんファン視点からしたら、終始「愛ちゃん、きゃわ!」の40分でした。あ、結局そこですか。ああ、そうですよ。
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