重層的非決定?

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2008年01月13日

■ 語りの場

ハロプロ楽曲大賞の「推しメン部門」の結果を分析するよ、シリーズ番外編。

mixiなるソーシャルネットワークサービスが流行っている。授業中にもこっそりmixiをやっている者がいて、迷惑千万なるサービスである。私もさる仕事関係の人に後学のためと誘われて入会してアカウントだけはもっている。しかしその後何もやっていないのでmixi上のお友達「マイミク」はいまだに一人しかいない。その人とも今はおつきあいがないので、いつその関係を切られても文句は言えない。

と、どうでも良い話だが、そのmixiには同好会のようなものがあって、「コミュニティ」と呼ばれている。ハロプロ関連のコミュニティも数多くある。こうしたタレント関連コミュニティの在籍者数をざっくり紹介すると以下の感じ(日々変化するものなので、定数ではない)。

  • スザンヌ 8119
  • 鈴木亜美 3616
  • 島谷ひとみ 3303
  • 松浦亜弥 3162
  • 安倍なつみ 1760

この圧倒的な「差」を見て、我らハロプロファンは慨嘆する。「嗚呼、我がハロプロの貧弱なること!」。ハロプロとは所詮「地下アイドル」に過ぎない、とまで言う。「一流」のタレントとの圧倒的な差を見よ。スザンヌなどというヘキサゴンでちょっと人気を博した「お馬鹿タレント」との差、そしてかつてのライバル、そして一時は完全に圧倒していたはずの鈴木亜美にまで完敗、島谷ひとみにも及ばない、これがハロプロの力なのだ。

それは違うのだ。およそデータを見るときには、目の前にあるデータは数あるデータの数一つであることを忘れてはいけない。ハロプロ大賞「推しメン」部門データを見るときにもそうだ。単にこのデータだけを見て、「誰は誰よりも人気がある」という結論を導き出すのは危険だ。それはこのデータにはこの企画に参加し、投票を行ったファンの傾向、「偏り」があるからだ。

そしてmixiにももちろん偏りはある。いやむしろ偏りはハロプロの方にあるというべきかもしれない。なんと言ってもハロプロは、その発展においてネット言説の力を大いに借りている。ハロプロの発展はネットの広まりとともにあったのだ。ネットに一般ユーザが参画しだしたただ中にモーニング娘。はデビューした。ネットニュースに代わって「掲示板」がネットでの情報交換の主流になったとき、モーニング娘。関連の掲示板も数多く立ち上がった。そしてYahooでの掲示板サービスでもモーニング娘。は特に大きな場所をもうけられ、大量の投稿がなされた。2chにおいてもモーニング娘。関連「板」は他のタレントとは一線を画した場を設けられている。「テキストサイト」も流行った。そして今はブログ。モーニング娘。、ハロプロは常にネットで語る場所を多大なまでに持ち続けていたのだ。

既に語りの場はそこにある。そういう状況の中で、それより遙かに閉鎖的なmixiという場でさらに語りの場を広げるモチベーションは高くはならない。もちろんmixiの持つ特性、プライベートに仲間内だけで話をする、という使われ方はしているのかもしれない。しかし「コミュニティ」という一般的な場を今更ハロプロファンは必要とはしていないのではないか。

実際ハロプロ関連のコミュニティを覗いてみた。閑散としている。他のタレントと比較して、ではない。そうではなくて、ファンサイトの掲示板と比較して、である。情報は集中する。人の集まらないところにわざわざ情報を書き込もうとはしない。mixiのコミュニティという場は、交流の場としてハロプロファンは選択しなかったのだ。

一方ハロプロファンが「選択した」場の一つであるブログシステム「はてな」の場合を見てみよう。雑ぱくなデータだが、「はてな」にはキーワードの「言及数」をグラフ化する仕掛けがある。それを用いて「安倍なつみ」と「スザンヌ」を比較したグラフを作成してみた。

「はてな」における「安倍なつみ」と「スザンヌ」言及数の比較グラフ

これは一例だが、ハロプロファンとたとえばスザンヌファンとが選択した語りの場の違いが浮かび上がってこよう。

ということで、たとえばこんなところでもいちいちハロプロファンは卑屈になる事なかれ。mixiコミュニティの参加者が少ないのはハロプロファンが他のタレントと比べるとファンの絶対数が少ないため、ではない。他に語りの場を既に持っていて、また多くの言及がネットを普通に検索すれば出てくるために、わざわざmixiに交流の場を求める必要がなかっただけなのだ。一方ネットでの言及が少ないタレントのファンは、少しでも語りの場を求めて、いろいろな場を探し続ける。実際かつてちょっと興味を持って島谷ひとみのファンサイトをネットで探したが、質・量とも圧倒的に不足していた。不足だと思えばあちこち探し回る。mixiにも人は集まる。集まっても大して言及があるわけでもない。「数打ちゃ当たる」場の一つとしてmixiコミュニティも残されているだけだ。

そしてハロプロファンはmixiコミュニティを必要としなかった。ただそれだけのことだ。

投稿者 althusser : 2008年01月13日 22:49

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