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2006年05月02日
■ もちろんこれは妄想だ
音楽評論家能地祐子さんのブログLess Than Zero?で紺野あさ美さんと小川麻琴さんの卒業が話題として取り上げられている。
モーニング娘。としての自分は、今、どれだけきちんと役割を果たせているのだろうか?昨年の『モーニング娘。×つんく♂2』でのインタビューで会った時、偶然にもふたりとも同じような悩みを語っていた。もっともっと頑張らないといけないと思い、どんなふうに頑張っていったらよいのかを模索しているような、そういう季節に差しかかっているんだなぁという印象を受けた。
特に小川さんの「語学留学」という理由付けが評判が悪く、「卒業」を選ぶ理由として弱い、とされている。いかにも語学留学とモーニング娘。の活動を天秤にかけて語学留学を選択した、というのはしっくりこない。そうではなく、モーニング娘。としての自身の活動のあり方に対する悩みが先にあったとすれば、両者を対等に天秤にかける必要は無い。彼女の心の中には圧倒的に「モーニング娘。」があったのだ、彼女にとって「モーニング娘。」だけが問題であって、その問題に答える結果として「語学留学」が出てきたのだ。
モーニング娘。への想いが薄いから、海外留学という別の道を選んだのだ、私はその解釈にはどうにも納得ができない。好きだから一緒にいる、好きじゃなくなったから別れる、それで割り切れるものではないはずだ。
彼女たちにとってモーニング娘。とは仲間のいる共同体という側面と、ライバルと常に争う競争社会という側面を備えたものであっただろう。競争社会なれば好きだから一緒にいる、という単純なものではなくなる。一方でそうして常に競争を意識し続けるのはあまりに過酷であるが故に、例えば「5期」という同期の絆を軸にした共同体的側面が押し出されることもある。しかし、ここからは完全に私の妄想だが、その「5期」という場が、ガキさんこと新垣里沙さんほどには二人にとって共同体的なものではなかったとしたら。高橋愛という存在が、同期の仲間であるだけでなく、常に目標とするべき対象になっていたとしたら。「5期」という仲間の中にいてなお、彼女たちは自分の「役割」を常に考えてしまうことになっていたのではなかったか。
二人はモーニング娘。が大好きで、その中でセンターポジションを占める高橋愛が輝いて見えたが故に、そのまばゆい場所から一歩距離を置きたくなったのではないだろうか。
もちろんこれは妄想だ。しかし妄想ついでにもう一つ断言しておこう。
「もし生まれ変わっても再びモーニング娘。になりたい」。
紺野あさ美さんと小川麻琴さん、二人とも間違いなく「Yes」と答えるはずだ。私の妄想だが、間違いない。
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