重層的非決定?

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2005年09月15日

■ 思考メモ3

最近安倍なつみと高橋愛、おのおのの「すごさ」というものについてつらつら考えている。安倍なつみに関してはいずれ書きたい。キーワードは「みんな」だ。ただし安倍ヲタ向けではない。むしろ不快感を催しかねないテキストになるかもしれない。

高橋愛。なんだかある意味で娘。という枠を突き抜けてしまっているように思うことがある。特定の一分野とはいえ、その分野においてこれほど突出したメンバーが出てしまう、というのは娘。においてこれまでなかったことではないか、という気さえする。安倍・後藤全盛期においても、歌・踊り・バラエティどれをとっても、「いや、私の方が」という気概がメンバー内に溢れているように感じられた。今高橋にそれだけの対抗心を持っているメンバーはいるのだろうか。高橋が自覚しているかどうかはさておき、皆に一目置かせてしまうオーラが漂っているように感じられる。バラエティ・トークももはや「苦手」なのではなく、やらなくていい特別な存在であるかのごとく。

リアルでは見られないので例によってごにょごにょして「娘DOKYU!」なる番組を一週間近く遅れて見ているのだが、最近の久住特集を見ていて、改めてそう思ったりする。歌、踊りに関して、彼女は娘。全体のリーダー的存在になっているように見える。もちろん悪い経験ではない。しかし現役プレーヤーである彼女にとって、指導者としての経験よりもっと経験したいものがあるのではないか。娘。という枠を捨てることは全くないが、何かその外へ出た活動の道筋がどこかにつけられないものか。

投稿者 althusser : 2005年09月15日 00:00

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