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2006年11月12日
■ 二つの物語
安倍なつみがモーニング娘。において紡いでいた物語は「成長」の物語であった。「ソロ」としては今一歩という5人を集めて、将来のソロ化を目指して活動する、という制作側が用意した物語に、少なくとも安倍なつみは見事に即応していた。ソロ化の意味づけは次第に変わり、ただの出発点ではなく、一つの到達点を示す「卒業」に変わったが、しかし本筋は何ら変更される必要はなかった。仲間とともにあって、ともに生活し、時に諍いもし、そうしたプロセスを繰り返しつつ、次第に独り立ちしていく。つまりこの物語は「私」が絶対的にして安定的な、まさに自分がその一部であり、かつ逆に自分にとっての一部である共同体から次第に巣立っていく、まさに典型的な「成長」の物語だったのだ。
一方高橋愛がモーニング娘。で紡いでいる物語はそうではない。高橋愛(やその他のいわゆる「新メンバー」)にとってモーニング娘。は最初疎遠なものとして現れる。それは既に自分の外部に存在しており、「私」の参入を拒んでいる。従ってまずもって必要なのは、こうした疎外状況の解消の物語なのである。そして高橋愛にとって、この物語がとりわけ長く続いた。
途上はたしかにはらはらさせられるものであった。それでも最後にはハッピーエンドになる、それがモーニング娘。の持つユートピア性なのである。安倍なつみはもはやモーニング娘。を必要とはしていない(というには本当はまだ少し不安なところがあって、それもまた一興なのだが)。そして高橋愛ももはやモーニング娘。を畏れてはいない(というには本当はまだ少し不安なところがあって、それもまた一興なのだが)。
「物語は終わった」(神の声で)。でもまた別の物語が紡がれるであろう。
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