2007年03月26日
■ ありがとう、さようなら
私は古くは福ちゃんこと福田明日香さんや、最近ではカントリー娘。のあさみさんやみうなさんを見送ったのと同じ思いで彼女のことを見送らなければならない。これまでの活動への感謝の気持ちと、ありうべきだったこれからの舞台の上での活躍への惜別の思いと、そして今後の彼女の将来への祈念と。
「週刊現代」。少しばかりの反体制を気取るこの雑誌が、その実、十代の女の子の尻をストーカーまがいに追いかけ、その子の将来を絶って、恬として恥じない糞雑誌であることを再認した。大げさでなく、私はこの雑誌、およびその編集長加藤晴之のことは生涯許さないだろう。
一緒にいたという30代後半の男性。私と同年代じゃないか。あまり相手のことは悪し様には言いたくはない。実際私が応援してやまないメンバーの「スクープねた」相手の俳優のことを私は否定的に表現したこともなければ、否定的な感情をもったこともない。ドラマに頻繁に出ていたときには、ごく普通に楽しんでみていたぐらいだ。でも彼奴のことは許せない。タバコが原因で謹慎中の、そしていよいよ復帰に向けて動き出さんとする、とても大切な時期にあった未成年の女性タレントを温泉まで連れまわし、その車中ですぱすぱタバコを吸って、挙句写真に撮られ、その子のタレントとしての将来を絶ったこの破廉恥な奴のことを私は絶対に許せない。私がものを書く限り絶対に文字にはするまいと心に決めている二文字が頭の中をめぐる。サ行で始まり、ナ行で終わる二文字。その二文字が、ぐるぐる、ぐるぐる、頭の中を何度も駆け巡る。
それでも、この知らせを知ったとき、私は彼女の引退はやむをえない、と思った。報じられている行為一つ一つは取るに足らないくだらないことだ。しかし、今この時期に、そうした行為を積み重ねてしまう、それはどう考えてみても、彼女の舞台への思いを疑わせしめるには十分だった。舞台に立ちたいという思いを見せられない人を、一ファンとしてどう応援して行けというのか。
あるいはこんなことも考えた。もしかすると、彼女は本当にもう辞めたがっているのではないのか。もし続けたいと願いつつ、かの行為を行ったのだとすれば、それは私にはほとんど自壊行為にしか見えない。そしてあるいはそうかもしれないとも思う。しかしそれは想像するにはあまりにも痛ましいことだった。そうではなくて、彼女は端的にもう辞めてしまいたいと思っているのではないか。
本当のところは私にはわからない。わかりようもない。ただ、いずれにしても、彼女に「舞台に立て」と願うことはもはや無理だと、私は思った。
だから私はこの知らせを聞いて、私なりに消化したとき、この件に対して私が書くべきこととして最初に浮かんだのは本当に短い言葉だけだった。でもその言葉の前にもう少し言葉を足しておこう。
今までありがとう。楽しかったよ。
そして最初に浮かんだのは次の言葉。
バイバイ、加護ちゃん。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: