2009年01月10日
■ Q.E.D. 証明終了
高橋愛主演ドラマ「Q.E.D. 証明終了」。
私はドラマオタクだ。ハロプロメンバー出演番組を見る時間よりもドラマを見る時間のほうが圧倒的に長い。主要なドラマはほぼすべてを見ることにしている(昼ドラは除く)。かつては簡単だが一つ一つ批評文を物していたこともある。しかも結構シビアな見方をする。
今回の「Q.E.D.」だって高橋愛主演とは無関係に見る対象になるドラマ。当然、ドラマファンという視点で見る。シビアな視点だって保持する。それがドラマファンとしての矜恃というものだ。ここで「愛ちゃんきゃわ」なんて感想文を書いたら、それはドラマという文化作品への愚弄に他ならない。
さあ、始まった。しっかり見て、久々にドラマ批評をしっかり書くことにしよう。
第一回終了。さあ、批評文をば。
愛ちゃんきゃわ!愛ちゃんきゃわ!
というエントリで更新する予定だったのだが、もう少しまじめに書くことにする。
とりあえずハードディスクが磨り減るぐらい見返している。一応それが私のこの作品への評価のすべてだと言うことだ。愛ちゃんきゃわ!愛ちゃんきゃわ!
いや、だからそうではなくて、演技だとかストーリーだとか。
推理ものとしてはまあいろいろ突っ込みが入るところだろう。特に「容疑者」3人のキャラがあまりたっていないので、一回見ただけでは話の流れがよく分からなかった。これは辛い。少しゲスト役者が地味すぎたように思う。第2回放送予定を見るとキャラのたった役者さんが出演されるのを見てそう思った。トリックもまあ、いややめておこう。そこを突っ込めばきりがない。
演技・演出と言うところではいろいろ言っている人もいるようだけれど、これは演出サイドとして、かなりわかりやすい、小学生でも分かるような演技を求めたのだと想像できる。基本的に子ども向けドラマの演出。石黒賢さんの演技を見ているとそのように理解できる。繊細で、微妙な心理的変化を描く意図はなく、誰が見ても同じ心理解釈が可能な演出。ただその割に台詞の滑舌が悪い場面があったりして、すんなりストーリーが頭に入ってこないところがあったのは少し痛い。
高橋愛の演技についても基本的にはそれを踏襲したものと言うしかないだろう。もちろん堅さも見られたが、その点については場面ごとにずいぶん印象が違ったので、撮影開始当初の演技はかなり堅かったが、段々こなれてきた可能性があり、今後はもっと良くなっていくだろう。あと女言葉でしゃべっているシーンは少しわざとらしさが感じられるので、作中人物像(暴力的なところもある元気娘)からしても、普通に中性言葉でしゃべらせる方がいいと思う。
とくに最終場面、天才少年燈馬想が高橋愛演じる水原可奈に「Q.E.D.」の言葉の意味の説明をし、「いつかQ.E.D.できるのかな」とつぶやくところの二人は表情を含め、良い演技をしていた。そしてこの場面こそ、毎回の謎解きとは別に、このドラマ全体を貫くおそらく最も重要なテーマに関わる部分、ここがしっかりしていた、というのは大切なポイントだ。
あ〜、落ちに繋がらない。え?どんな落ちを用意していたんだって?
愛ちゃんきゃわ!愛ちゃんきゃわ!
ワンパターン。つまんない。
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