« 勝手に期待して勝手に裏切られたと思う | メイン | GAMに希望を »
2007年06月02日
■ わかっていること
一方的に辞めたわけでも、逆に辞めさせられたわけでもなくて、双方の思惑の落としどころとしてこういう結果になったはずで、そうであるならば一方的に藤本さんをどうこう言えるものではない。それはわかっている。
彼女が娘。に残って、リーダー職を全うする、と決断すれば、それは可能だっただろう。もちろんそれにはさまざまな犠牲が伴っただろうし、その中にはおよそ非人間的なもの(報道された人と「別れる」)も含まれていたと思うから、それを受け入れるべきだった、などとは到底いえない。それはわかっている。
「モーニング娘。としての約束を破る」だなんてかっこいいだけの言葉を残して辞めてしまう、というのはどうにも残念でならない。いいわけもかっこいい言葉も発せず、ただただ針の筵に座らされようとも敢然と舞台に立つ、そういう人をこそ、私は応援したかった。
私自身は針の筵に座らされるぐらいなら辞めてやるなどという、そういう人間だ。今もそう。ある仕事を続けるか、辞めるか、迷っている。そんな状態だから人のことをとやかく言える筋合いではない。それはわかっている。
でもそうであればこそ、私がモーニング娘。の中に見てきた「約束」とは「自分自身へのケジメ」なんてそれこそ軽くて仕方のない言葉で辞めてしまうようなものであって欲しくはなかった。
藤本美貴が高橋愛と出演しているラジオ番組「ヤンタン」での藤本美貴は、一見へらへらしているようでも、その実、いっぱいいっぱいで、それでもきっちり仕事をこなし、自分のことでいっぱいいっぱいなのに相変わらず高橋愛を気遣う彼女の態度は、番組最後に明石屋さんまさんに「よくがんばった」といわれていたように、立派な態度だったと私は思った。彼女が公式コメントで残した言葉はとても軽く感じるけれど、発表がこの時期にまでずれ込んだことからしても彼女は彼女なりに悩みぬいたのだと思う。決して軽い決断ではない。それはわかっている。
ヤンタンを聞いて、東京で行われたGAMコンでの彼女の様子をネットで読んで、彼女はモーニング娘。をやめないだろうと私が勝手に見積もったとき、私の中での彼女の「推し」度は最高に高まった。GAMコンにおいて、6:4で松浦亜弥乗りだった気持ちが9:1で藤本美貴乗りになるほどにまで、この期に及んでぐだぐだなコメントしかできない愛すべき高橋愛を一瞬しのぐほどにまで、高まった。その気持ちの落としどころがわからない。私が勝手に期待して、勝手に落胆しているだけだ。それはわかっている。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL: