重層的非決定?

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2005年09月27日

■ 期待

大阪コンサート中になっち、テレビ出演2件。

ハロモニ。いつかラジオで話していた久住小春さんとの共演。久住さんのことが可愛くて仕方がない、という表情。もう、モーニング娘。のミラクルエース決定。久住小春以外に誰がミラクルエースを務められるんだっての。

「島田紳助が芸能界の厳しさ教えます!芸能人だって恋愛したいスペシャル」。アンタッチャブルの山崎さんというお笑い芸人が安倍なつみに番組上で「告白」するというコーナー。安倍ヲタ内で賛否両論みたいだけれど、いい扱いだったと思うけどなあ。

およそ1年ぶりの大阪国際会議場でのコンサート、DEF.DIVA、そして久々の一般向けテレビ番組での露出、そこにユートピア的徴候を読むのはいささか楽観的すぎるのか。

■ 安倍なつみはかく語りき

安倍なつみコンサートツアー大阪昼のMC。

疑問:「いかに人間は人間となりしか」

回答:「人間はアウストラロピテクスから進化してきた」

補足:「神は人間の行動を常に観察し給う」

なっち、アメリカ大統領選に出ちゃいなよ。教育における進化論と創造論との論争を一気に止揚しちまったよ。

ついでに大阪夜のMC。

仮説:「ウィスターソースとオイスターソースとの間には差異はない」

検証:「オイスターソースの代わりにウィスターソースを使用してみる」

結果:「仮説は覆された」

なっち、科学者になっちゃいなよ。仮説検証型論証のお手本だよ。

というか、「ウィスターソース」って何だ?

なっち、料理発明家になっちゃいなよ。

■ 「女王の教室」再び

朝日新聞のドラマ批評、島崎京子さんが「女王の教室」を取り上げていた。最終回前の「本当はいい先生なのかも」に嫌な予感がして、最終回を観てがっかりきた、と。私は主人公の教師が児童の「犯人捜し」をやった時点でこの結末を予期していたけどね。前にも書いたとおり、あそこまでやってしまうと、逆に遮二無二価値を反転させるしか、作り手には手段がなくなってしまう。もっと丁寧に「いい者か悪者か」の境界を描き出せば、また違った展開があり得たのだが、そこまでの力量がドラマ制作者になかった、ということだ。

最終的には似たメッセージを扱いながら、きちんとメッセージが伝達されたのは「ドラゴン桜」の方だった、というのも全面的に同意。

2005年09月26日

■ 正義の証明

9月26日、朝日新聞朝刊のコラム「時の墓碑銘」にヒトラー「我が闘争」が紹介されている。

その中で引用されていた「我が闘争」の一節(以下、引用の引用)。

民衆はどんな時代でも、敵に対する容赦のない攻撃を加えることの中に自分の正義の証明を見いだす。

2chあたりで日々バッシングに明け暮れる馬鹿者どもの心理を数十年前に喝破していたヒトラーは、やはり一種の天才なのだ。

■ 24カラット

およそ一年ぶりに安倍なつみコンサートを見に行く。

以下、とてもささやかながら一応「ネタバレ」あり。

何となく気が急いて早い目に会場に着いたら、いかにもアイドルヲタクという服装をした人の群れ。何となくいたたまれなくて、まだ当日券の発売が行われていないことを確認して、早々に逃げ出す。24歳の(アイドル)歌手にこのようなファンがつく、というのはやはり凄いことなのだ、と改めて思う。

突然過去の記憶がよみがえる。今から10数年前、今の安倍さんよりも一つ若い23歳の(アイドル)歌手のコンサートに行ったときのことだ。

平日の夜のコンサートだった故であろう、背広姿のファンが目立った。その中に一人だけ、当時の言葉で言ういわゆる「親衛隊」の格好をしたファンがいた。とても浮いていた。いたたまれないほどに浮いていた。ちなみにそのコンサート、ほとんどの客は7割方の曲は座って聞いていた。声援もまばら。ひたすら歌を聴こうとしていた。アイドルとしての寿命をすでに終え、歌手としての曲のリリースもままならない状況の「バラドル」に残った歌手としての彼女のファンの想いに溢れたコンサートだった。そしてそれが彼女の最後のコンサートであった。

そんなほろ苦い思い出に浸りながら会場を一旦はける途中に、「安倍なつみ親衛隊」という縫い込みの入った衣装を着ているファンに出くわす。「親衛隊」、まだ死語ではなかったことに驚く。

関西将棋会館を冷やかしてから、一旦梅田まで引き上げ、ヨドバシカメラ、ソフマップで時間つぶしをして、歩いて会場に戻る。すでにかなり多くのファンが集まり出すと、当初見たいわゆる「濃い」ファンの密度が下がり、何となく安心する。

会場は2600人だかが入るということで、昨年の奈良での会場より大会場となるので、当日券ではかなり見づらい席になるのではないか、と危惧したが、ファミリー席を頼んだら、2階の前から2番目、ステージとの距離こそ遠いがとても見晴らしの良い席であった。ファミリー席ということで立ち上がること禁止、踊る人の頭の隙間からのぞいていた去年よりもむしろ環境は良かった。元々私は歌はじっくり聞いて、終われば拍手、という応援しかできない(し、10数年前はそれで通用していた)ので、一般席ではただ突っ立っているだけのはた迷惑な観客、ファミリー席が取れたのは良かった。ファミリー席はさすがに家族連れ、女性客が目につき、そしてロマンスグレーとでも表現するのが適当な「紳士」然とした客もいる。

とりあえずコンサートグッズ売り場を見る。恒例のDVDマガジンはとにもかくにも入手。写真は買わない。それよりも「役に立つ」ものをというわけで、抱き枕は残念ながら売っていなかったので(売っていても買わないが)、4800円の財布を購入。物自体は2500円ぐらいの革の財布にツアーロゴを刻印したもの、想像していたよりもまともなものであった。しかし考えてみれば、今使っている財布はまだまだ綺麗で買い換える予定など一切なかった。全然役に立たない。そんなグッズで計7000円の出費。

一曲ごとの感想など書けるほどの記憶力はない。ただ全体の印象として、音響が悪く、かなり聞き苦しかった。またハロプロ系のコンサートでは期待すべくもないが、コンサート独自のアレンジを施した生バンド演奏をバックにつけるぐらいのことは本来はして欲しいものだ。妹の安倍麻美のライブでも生バンド演奏をしていたと聞く。10数年前とはいえ、3000円で入れた先の(アイドル)歌手のコンサートも生バンド付きであった。いかにはロプロメンバーが歌、踊りに想いを持って精進しようとも、根本的な作りがこれではアイドルの顔見世興行の域を出ることはあるまい。

昨年は仕事のかねあいで、昼のみの鑑賞となり、やや不完全燃焼になったので、今年は昼夜連続して鑑賞。おそらく毎回そうだと伝え聞くごとく夜の方が声援大きく「盛り上がる」。

私も昼はいまいちしっくり来なかったが、夜が終わってようやくしっくりきた。ただしそれは会場の盛り上がりの差ばかりではない。私自身の構えの問題だ。

私は昼は昨年度の延長でこのコンサートを捉えようとしていた。ゲストという名の「仲間」と、楽屋トークと変わらぬ「ぐだぐだ」話を延々と続ける。そこに不思議なことに安倍なつみの世界が現れる。そしてその世界の中に安倍なつみの歌が響く。演者のいささかナイーブな心情がそのまま提示される空間。それを観客は「観る」のではなくて、共有する。

しかし今年のコンサートはそういう空間ではなかった。考えてみればセットリストからしても昨年とは違う。ゲストを交えた台本なしの素人トークがなくなり、代わりに挟み込まれたのが台本がきっちり決まっている「寸劇」。その場のその一瞬にのみ価値を持つ「空気」ではなく、きちんとトレーニングされ、例えばDVDなどとして切り出された際にも見せ物として価値を持つ芸。

その変化を、私は何となく、娘。コンサートの変遷に重ね合わせていた。といっても私はDVDで鑑賞しただけだが。福田明日香、市井紗耶香卒業コンサートの、各々仲間との別れをきちんと消化しないまま、各々複雑な思いをそのまま提示するしかなかったステージと、次第に恒例化、儀式化していくその後の卒業コンサート。それはやはり見せ物としての進化であったことは確かだと思う。安倍なつみコンサートもそれと同等の進化をしたのだと思った。

そのように理解してしまえば、なるほど今回のコンサートはとてもできがよい。カントリー娘。のパフォーマンスはとても良いし、なにより里田舞、みうなは体格良くて、ステージ映えする。しゃべりもそれなりにオチがある。とても安心してみていられるコンサートであった。

唯一心残りはカントリー娘。と一緒に歌っていた「愛車ローンで」。この曲にはとてもアイドルチックな振りが付いているのだが、それを完璧にこなす演者の映像の前に、その振りを微妙に気恥ずかしげに踊る娘。時代の中澤裕子さんの映像がちらついて、目の前のステージに集中できなかったことだった。

2005年09月24日

■ チケットがない

とりあえず仕事の報告書提出したぞー。ここ二日ほぼ徹夜して、その代わり昼寝をして、何とか仕上げたぞー。何とか明日は時間がとれそうだぞー。先方からの返事次第ではまだ若干作業が残る可能性はあるが、何とかなるでしょう。

というわけで、明日大阪に行くことにしたのだが、チケットがない。当日券が出るだろうと勝手に決め込む。

YahooID持っていないし、何となく転売屋さんみたいなの、好きじゃないし、といって前売りを買うだけの行動力もなし、たとえ「糞席」でも立ち見でも、当日券を頼る。このような引きこもり体質の改善を本来まずは克服すべきなのだが、一度やったらやめられないヒッキー生活、簡単には抜け出せそうもない。

当日券があるものと決めてかかった上でも、問題はまだ2点残る。昼夜逆転している今の生活において、明日朝きちんと起きられるのか?そしてヒッキーで地理音痴の私が無事会場に行き着けるのか。課題は山積みである。

■ りんね。。。

明日はカントリー娘。がゲストということで、カントリー娘。の曲の予習。

  • 初めてのハッピーバースディ!
  • 雪景色
  • 恋人は心の応援団
  • 北海道シャララ
  • 女の子の取り調べタイム
  • 恋がすてきな季節
  • 二人の北海道
  • 片思いはホットミルク
  • 雪だより
  • どっちが綺麗ですか
  • ああ恋しくて

何か間違っていますか?

2005年09月19日

■ 懐メロ

先日ハロモニ。の「ラストフレーズ歌っちゃダメダメ」を話題にした際、「真夏の光線」は現メンバーは歌えないだろう、などとふざけたことを言ったが、すっかり忘れていました。今年の夏のハロコンで現メンバーで「真夏の光線」、披露していたんでしたね。

で、例によってごにょごにょして、NHK BS hiで放送されたものを見ました。

・・・・

ちゃんと歌えているし。

ただ中澤さんたちの名誉のために言っておくと、言及したハロモニ。でまともに歌えなかったというのは、自分たちが練習してきたのとは違うパートをいきなり歌わされるというのが結構難しいと言うことで、とくに「真夏の光線」はパート割りが結構こっているところがあるので、あの手のゲームでは難しい、ということです。

何はともあれ、こういう懐かしい曲がコンサートで披露される、というのは、守旧派ファンにとってはありがたいこと。今行われている安倍なつみコンサートでも、守旧派ファンなら懐かしくて涙が出てきそうなあの名曲がセットリストに入っているとか。25日大阪、行きたいなあ。チケットないけど。当日券出ないのかな?ヒッキーかつファンクラブ未入会なので、前売り券の入手の仕方がよくわからない。

ついでに勢いで、同じハロコンでの卒業メンバーによる「LOVEマシーン」も見た。あまりオリジナル感を感じなかった。石黒、市井のいないラブマなんて。

2005年09月16日

■ iPod yayo

常に一週間近く遅れで番組を見聞きしている田舎ものです。こんにちは。

いや、AMラジオ、しかも関西の放送局のは本来楽勝リアルタイムで聞けるはずだな。ラジオなるものを持っていないだけだ。

というわけで先週のヤンタンを今更ながら聞く。そこでiPodが話題になっていた。高橋愛がiPodを誕生日プレゼントとして明石家さんまさんからもらうことになっていて、それはもう用意してあるらしいのだが、でもつい先日iPodの新型が発売されて驚いた、とかそういう話。

さんま「iPodよりもすごい奴が出てるから、さっきも話したように、それをどうすんねんという話で」

高橋「それが欲しいです」

・・・

さんま「まさか新製品が出ると思わへんかった」

高橋「確かに私もニュース見てびっくりしました」

さんま「あんなん、ずるいよなあ。次から次へ新製品って。iPodも去年やっけ」

・・・

高橋「シャッフルも最近だし」

さんま「それでまたあんな新しい商品になるんやったら、早めにその新しい商品出せという話よなあ」

高橋「すっごい薄いんですよね、あれ」

出てすぐのiPodの新商品の情報をしっかりチェックしている愛ちゃん。というか、結構詳しい。

というわけで、愛ちゃんもほしがるiPod nano、いいなあ。

■ 昔は良かった

昨日も触れたハロモニ。「ラストフレーズ歌っちゃダメダメ」、道重さんが歌う番になって「抱いてHold on me!」のイントロが流れたとき、一瞬きょとんとしていた。途中でどうにか思い出したようで、彼女なりにがんばって歌っていたのだが、あれが「抱いてHold on me!」ではなくて、「真夏の光線」だったら、という悪魔のように意地の悪い考えが頭をよぎった。道重さんは果たして対応できたのだろうか。呆然と見送るだけに終わったのではないか。次の亀井さんも首をひねってワンフレーズだけかろうじて叫んで、早々に逃げ出す。

そしてそれを見た意地の悪い旧ヲタは言うのだ。卒メンはそんな無様なまねは見せなかった。ああ、私が愛したモーニング娘。も落ちぶれたものだ。

ん?なんかこんなこと、はるか昔書いた記憶があるぞ。昔サイトにあげた文章を検索する。

重層的非決定

この曲(「真夏の光線」)が先週のハロモニ。で、メンバーがワンフレーズずつを歌うゲームに登場し、小川、飯田、中澤、石川、矢口、加護と歌っていったが、まともに歌えたのが、飯田だけだった。小川が全く歌えないのを見たときには、「新メンバーなさけねえ」と思ったが、中澤、矢口が歌えないのでは仕方がない。その点飯田はやはりさすがで、当時自分が歌うことのなかったメインパートをきちんとこなしていた。

改めてビデオを見返すと、中澤さん、順番が回る前から首をひねり、いざ回ってくると主旋律をまともに追えずに苦笑して早々にリタイア、矢口さんも回ってきたフレーズの「窓を開けて」をほとんどまともに歌わず逃亡。

モーニング娘。不変なり。

2005年09月15日

■ 思考メモ

仕事がせっぱ詰まってきていて、かなりフラストレーションがたまっているので、それを解消するための殴り書き。あるいは今後の更新メモ。

諸個人の選択と社会状況との関係を社会科学的な視野で見定めること。

死者をむち打つな、という論理、死ねば皆仏様だなどという論理で、当時の社会状況全体を免罪化することは出来ない。

戦争の免罪化は以下の筋書きで達成される。

死者を敬え→死者の選択に敬意を払え→戦争に荷担した軍人を責めることは出来ない→戦争は一般的な悲劇であって、死者はすべて被害者であり、誰かを批判するのは間違いである→戦争は災害などと同じもののごとく扱われる(批判の対象ではなくなる)

この筋書きのどこに飛躍(嘘)があるのか。こうした詐術を見破れなくなっている現代日本の状況。社会科学教育の貧困。

そしてこの詐術的論旨展開は各所で敷衍される。たとえば選挙結果批判への牽制。様々な社会批判を無効化させ、ひたすら現状肯定の論理を反復させる魔の論理。

同時に現状変革の魔の論理もあるはずだが、今思いついたところなので、時間があるときに考える。いずれも個人と社会とのずさんな理論付けによるものであるはず。

■ 思考メモ2

最近考えているのが、主義としてのDD、ということ。しばしばハロプロ界隈で言うところの「右翼」、ある特定のメンバーを強く応援する志向、とDD、ハロプロメンバーを幅広く応援する志向、とは対立するものとされている。DDという言葉に含まれる意味があまりに幅広く、明確な概念規定が確立されているわけではないため、整理は難しいが、この「右翼」とDDは果たして対立しなければならない概念なのか?むしろ逆に「右翼」であればこそ、DDであろうとするという態度も十分あり得るのではないか。

私の愛する某(ハロプロメンバー)の仲間であるハロープロジェクトのメンバーは、すべて私が愛する対象である。

この主義としてのDDはしかし実際にはなかなか貫くのは難しい。ともすれば己の一方的な理想の押しつけに終始し、応援するという名目の下、ただ腐すだけに終わることが散見されるからである。しかしそれは単に己の敗北を意味するだけのことであり、真にDDを貫ければ、それこそが「右翼」を超えた「原理主義」的態度というものではないか。

■ 思考メモ3

最近安倍なつみと高橋愛、おのおのの「すごさ」というものについてつらつら考えている。安倍なつみに関してはいずれ書きたい。キーワードは「みんな」だ。ただし安倍ヲタ向けではない。むしろ不快感を催しかねないテキストになるかもしれない。

高橋愛。なんだかある意味で娘。という枠を突き抜けてしまっているように思うことがある。特定の一分野とはいえ、その分野においてこれほど突出したメンバーが出てしまう、というのは娘。においてこれまでなかったことではないか、という気さえする。安倍・後藤全盛期においても、歌・踊り・バラエティどれをとっても、「いや、私の方が」という気概がメンバー内に溢れているように感じられた。今高橋にそれだけの対抗心を持っているメンバーはいるのだろうか。高橋が自覚しているかどうかはさておき、皆に一目置かせてしまうオーラが漂っているように感じられる。バラエティ・トークももはや「苦手」なのではなく、やらなくていい特別な存在であるかのごとく。

リアルでは見られないので例によってごにょごにょして「娘DOKYU!」なる番組を一週間近く遅れて見ているのだが、最近の久住特集を見ていて、改めてそう思ったりする。歌、踊りに関して、彼女は娘。全体のリーダー的存在になっているように見える。もちろん悪い経験ではない。しかし現役プレーヤーである彼女にとって、指導者としての経験よりもっと経験したいものがあるのではないか。娘。という枠を捨てることは全くないが、何かその外へ出た活動の道筋がどこかにつけられないものか。

2005年09月14日

■ 無党派(*1)は馬鹿だ

選挙結果をふまえて、毎日新聞で高村薫が「無党派は馬鹿だ」という趣旨のことを書いている。いや、本当は「無党派は保守だ」という題名なのだが、でも内容は「馬鹿だ」と言いたげなのが丸出しという。

それ以外にも「識者」がそういう趣旨の発言を繰り返しているのに対する反発する主張をネットで読む。そりゃそうだわな。選挙結果という民意が結果として出ている、それを馬鹿扱いされるのは完全に有権者の選択を馬鹿にしている、おまえは何様だ、ということだ。

でもね、そこで怒ったらまさに「馬鹿」という批判が己に妥当してしまうのよ。今回の選挙結果を批判している人たちは個々の選択ではなく、その総和としての結果を「馬鹿」といっているわけ。たとえば堀江とかその辺のIT長者とかが規制緩和、郵政民営化、そこから流出するかも知れない大量の資金を当て込んで、自民党に投票することは全然「馬鹿」ではない。非常に合理的かつ正しい選択だ。そのことを否定する人は、たぶん、誰もいない。だから自分の選択に自信を持って、その結果により、株価も上がったし、結構なこと、と思っている人は「馬鹿」にいちいち反応する必要もない。

「馬鹿」なのは、民意という奴をむちゃくちゃにねじ曲げて、勝者と敗者を極端に分かつ小選挙区制という制度(そしてこの制度を推進した奴らは民主党に多くいる。こういうのを馬鹿というのだ)それ自体であり、改革か守旧かという単純二元論で政治を語ろうとするマスコミ(その主犯はテレビ朝日だ)であり、投票率を上げることだけを至上の価値であるとして、難しいことはさておきとにもかくにも「選挙に行こう」などとあおったマスコミであり、普段は政治にコミットしないということをなぜか誇らしく思っているくせに、マスコミにあおられて「難しいことはよくわからない」などと注釈をつけながら投票に行く「無党派」という馬鹿者である。

それから話は変わるが、自分はどこに投票したとかしゃべり散らすのも、どうかと思う。それは他者には語らないのが「秘密投票」の原則である。私はこれまで家族にもどこに投票したかを明示的にいったことはない(つもり)。いかにバレバレであっても、それは口にしないのが、お約束である。それが「原則」というものだ。自分で勝手にしゃべり散らす奴は、まあそれはそれでいいとして、他者にそれを要求する人って何なんだろうね。きっと「己の政治的立場を明確に」というような主張とごっちゃにしてしゃべっているのだろうけれど、「秘密投票」の原則を知らないか、「原則」の意義を理解していないのか、いずれにせよ、とても「はしたない」行為だ、というぐらいのことは今後は自覚するように。


*1(ここでいう「無党派」とは特定の支持政党を持たないということではなく、普段政治にコミットしないということを価値として考えている人間集団のことである)

■ 誕生日

いつの間にか愛ちゃんこと高橋愛ちゃんの誕生日が過ぎていたわけで、完全に乗り遅れている訳なのだが、一応言及はしておかないと。

最近見た愛ちゃんはハロモニ。の「ラストフレーズ歌っちゃダメダメ」という歌がらみのコーナーで、こういう歌がらみのになるととたんに余裕たっぷり、とても格好いい姿が見られる。完全にお遊びのコーナーなのに、いちいちかっこよくて、上手い。歌詞に英語が混じると、その部分はかなりきちんとした発音になるのもさすが。まだ10代とは思えないオーラに溢れている。

優等生だけれど、何かちょっとおどついた感じで、何にも自信なげにはにかんでいて可愛かった高橋愛はそこにはなく、ちょっと言葉は悪いが、なにやら女王然とした高橋愛がいる。それでも今でもトークになると時々かつての高橋愛が戻ってくるところもご愛敬。

2005年09月11日

■ 零のかなたへ

終戦60年特別ドラマ。さすがテレビ朝日、戦争の悲惨さと平和の大切さを考えさせるよいドラマでした。

で、この項を閉めたいのだけれど、それは多分9割以上の読者に誤読されるので、まじめに書く。

意味不明。何を描きたかったのか、まったくわからない。お国のためという大義名分だけでは人間なかなか死ねないから、さらに家族のため、という大義名分をかぶせれば、「男」は安らかに戦地に赴ける、とそういうことが言いたいドラマですか?で、今なら家族を養うため、と自らを鼓舞して、悪徳企業にこき使われて過労死するまで働け、と。それが「男」だ、と。なるほど、「女王の教室」などという甘ったれたドラマとは比較にならないぐらい現実の過酷さを教えてくれるよいドラマでした。

■ 感情と論理

選挙結果、楽しいことになりました。日本の未来はバラ色、ピンク色、ピンクの象さんがお花畑でうた歌っているよね。

とりあえず選挙前にはあえて言わなかった、とても説教くさいことを今更ながら言っておこう。上の記事についたコメントを見ていても、いかにも「頭でものを考える」ということの出来ない人間を目の当たりにすると、どうにも説教の一つも垂れたくなる。年寄りというほど年取ってはいないが、それでも私より若い世代に人に、意味あるなしは別にして、何かを言わねばならない気がしてならないのだ。

「零のかなたへ」に対する方々の感想文を読んでいても思うけれども、その場その場の感情でしか物事を判断できない連中が増殖しているんだろうな、と改めて思う。「悪いやつがいる」と誰かが叫べば、反射的にバッシングに荷担する、「愛する人を守る」とか言われれば、何はともあれ感動してみせる。小泉一派から見れば本当に御しやすい集団だろうな。

たかが省庁間の権力争いの一つにすぎない話が、財務省の犬である小泉がちょっと物語をこしらえて絶叫すれば、日本の将来を決める選挙に早変わりだもんな。で、本当に日本の将来が決まってしまう、という。まあ、あれだ、アメリカでブッシュに投票した連中と同じだ。ブッシュを選ぶ、というのがどういうことなのかを判断もせずに選んでおいて、後になっていろいろわかってきても、もう時すでに遅し、と。

もちろん一般論として、投票には一人でも多くの有権者が行くべきなのだけれど、投票するからには己の感性ではなくて、知性で判断しなければいけないのだ。別に選挙の争点全部についてきちんとした判断が下せなくとも良い、そんなのは無理だ。ただ一点でも良いから自分にとって重要な争点について、自分できっちり理解して投票することだ。特に大切なのは、「自分にとって重要な」争点をきちんと持ち、それを見極める、ということだ。候補者が言う「重要な争点」ではない。その争点が本当に「自分にとって」重要なものなのかどうかも含めて、自分なりの判断をしなければならない。このような、己というものに軸をおいて、己の言語で物事を考え、判断する、という習慣なのか、機会なのかが欠落しているのではないか、そんな気がしてならない。

己の感情を、他人の論理を借りて正当化して、何かを理解し、判断できた気になっている、そういう思考停止に陥っている言説が、少なくともネット周辺に満ちあふれている。

ドラマの話に戻る。「零のかなたへ」をみて、「平和の大切さを思った」という趣旨のことを書いている人たち、ドラマを見て本当に自分の頭でそのような感想を持ったのですか?単に自分が感動した戦争物のドラマを肯定的に評しようとすれば、そのように書くものだと思って書いているのではありませんか?

もしあのドラマを見て、「愛する人のために死ぬ、なんかいいなあ」と思ったのなら、一度は己の頭の中でそう表現してみるべきです。そしてその感想と、たとえば己がなぜか身につけてきた「平和は大切だ」というようなメッセージとの間に整合性があるのかないのか、きっちり考えてみる。もしかしたら己の感想からの帰結として、漠然とした平和などよりも命を賭してでも「敵」と戦うということが価値として見いだされるかも知れない。そこには戦争を肯定し、そこに多くの人々を巻き込んでいくロジックの一端がすでに現れている。それを改めて自分で評価してみるのです。

自前の論理などなかなか簡単には持つことは出来ない。だからこそ、己の感情と他人の論理との対話を不断に行うこと、テレビドラマ一つの中にもそのための材料はふんだんにある。

「零のかなたへ」に対するブログ周辺の反応と、今回の選挙結果、我ながらやや強引にも思えるが、しかし私が思った感情、「薄っぺらいな」を言語化してみました。

■ 補足〜本編より長い

上の二つのドラマについて触れたブログを読んでいると、もう少し補足する必要があると思えてきたので、少し続ける。

まず「女王の教室」。

このドラマの製作者にいかに教育に対する主張がないか、というのは、主人公の教師と同じ学年担当の女性教師のドラマ中での扱いを見ればわかる。この女性教師、口では理想を言うけれど、実際にはうまく学級運営が出来ておらず、親からの突き上げもあったりしてかなり悩んでいる、という役どころ。この設定は悪くない。しかしこの教師が次第に「開眼」した結果、彼女は「(生徒に対して)教師としてではなくて、友達でいることにした」などとのたまう。開眼した結果、アホに成らせてどうするつもりですか?給料をもらって教師をやっていて、「友達」はないだろう。そんなアホ教師を肯定的に描く教育ドラマのどこが「辛口」ですか、ということだ。その一方で主人公の教師は学級を恐怖政治で支配しておいて、それは最終的には子どもの自立を促す計算だ、とか。

このドラマの作り手は、このドラマを通してどんな教育を理念型として提示したかったのか。友達として子どもに接するお気楽極楽教師なのか、子ども集団の微妙な心理的あやまで全て見通した上で、本来危険極まりないことまで平然とやってのける超人教師なのか。まったくわからない。

そもそも子どもに窃盗の濡れ衣を着せて、いじめに合う危険性まで冒したその行為はドラマ製作者として肯定的な価値を持つものとしてきちんと主張できるのか。主人公の教師を「いい先生」として提示するというのは、そういうことも全て含んでしまう、ということをこのドラマ製作者は「覚えて」いるのか。単に視聴率のためだかに刺激的な部分を盛り込んで、それはなかったことにしてアドホックに主人公を「よい先生」に仕立て上げようとしているだけではないか。

私がこのドラマを否定するのは、このドラマで描かれている教育理念が私の理念と反しているから、ではない。そうではなくて、このドラマを通してドラマ製作者が伝えることになるメッセージに対して、ドラマ制作者があまりに不誠実だから、私はこのドラマを否定するのだ。

「零のかなたへ」。

「国のため」に死ぬことには納得しない、現代からタイムスリップして、特攻隊員の軍人に成り代わった漫才師が、「家族のため」に死ぬことに納得して、喜んで特攻隊として身を投げていく、これほどシンプルな戦争賛美ドラマ、そうは見られるものではない。特攻隊として米艦船に突っ込んでいくことのどこが「家族のため」になるのか。そう納得するしか精神の落ち着かせようがない時代状況として、当時の人間がそう納得させられている様を描くのは理解できる。しかし現代からタイムスリップした主人公がその価値観を共有してしまっては、「タイムスリップ」という設定の意味がなくなる。第三者的、論理的にはおよそむちゃくちゃでしかない「家族のため」と特攻隊という結びつきが妥当なものとして理解させられてしまう、そのような時代性をこそ、現代人という視点を持ち込んだタイムスリップ物のドラマが描くべきではないのか。

後、その素材を後どう料理するかはいろいろあるだろうが、私ならこうする。

「家族のための死」に納得して、笑顔で特攻していく仲間を見送りながら、漫才師は心の中で叫ぶ。

「違うだろ。俺は、家族のために死にたくないんだ」。

しかし本来軍人のものである身体が言うことをきかず、笑顔で敬礼してしまう。そうこうしているうちに漫才師自身が出撃を命じられる。必死で断ろうとするのに、またしても身体が出撃命令を受け入れる。そうして出撃していく戦闘機の中で漫才師は叫ぶ。

「俺は死にたくない。家族のために、俺は死にたくないんだ」。

驚いたことにそれは声として機内に響き渡った。しかし手足は依然として言うことをきかず、戦闘機は米艦船へ向かって飛んでいく。漫才師は考える。

「口までは俺の精神が支配できているのに、手足はまだいうことを聞いてくれないのか」。

何とかしなければ、と焦るが、どうにもならない。そのうち逆に精神にまで元の軍人が宿りだしていることに気づく。その軍人の精神が叫ぶ。

「俺は死にたくない」。

ようやく漫才師は気づく。なぜさっき声が出たのか。あの声は俺の声ではなかった。身体の持ち主である軍人の声だった。しかし元の身体の持ち主の精神にまで逆らって、身体は戦闘機を巧みに操縦し、米艦船に接近していく。

次第に今自分がどっちなのか、だんだん境界がわからなくなっていくままに、戦闘機は米艦船の対空砲火を潜り抜け、間近に敵船体が見える。意識が遠のく。

最後に機内に声が響く。

「天皇陛下万歳」。

■ 女王の教室

「女王の教室」。そろそろ最終回だし、批判した手前、最後はきちんと見定めておかないと。

というので、見たが、ああ、予想通り、というか、やっちゃったね。

「本当はいい先生じゃないのかな」。

「勉強は自らしたいと思うものです」。

このドラマは「辛口」でいいと褒め称えていた連中はこれをどう評価するつもりだろう。ずいぶんと甘ったるい言い分ではないか。

そもそもこのドラマが決定的に駄目なのは、ドラマとしてアンフェアだからだ。いじめの種を教師自らばら撒いたり、子ども同士でスパイをやらせたりしたのも全部、子どもたちが自立するきっかけを育てるためだ?そして現にそれを乗り越え、クラスはまとまってきた?クラスという人間集団をそのように先を全て見通して意のままに動かす教師、そんなのを登場させてしまったら教育もののドラマは成立しない。

たとえて言うならば、サスペンスもので、超能力で人を殺す犯人が出てきたり、超能力で事件を解決する刑事が出てくる、ぐらいにアンフェアだ。主人公の教師が超人的なのはドラマだからかまわない、と言う主張があるが、そうではない。どのジャンルのドラマにも最低限のお約束がある。超能力者を出すのはドラマ一般としてはかまわないが、サスペンスではタブーである。同様に人間集団の行動を、先の先まで見通して、動かすリーダーが出てくるのは、例えばスポ根ドラマならありだが、教育ドラマではタブーなのだ。

少なくともこのドラマの作り手は「教育」に関して何らかのメッセージを送ろうと標榜していたはずだ。それならば、どこをどう作り物にしてもかまわないが、最低限「教育」の本質のかかわる部分だけは丁寧に描かなければならなかった。一人の教師がクラスという人間集団をどう動かしうるのか、そこに現実に存在しうる困難を踏まえつつ、ドラマとしての解を示すのが教育ドラマと言うものだ。その肝心要の部分を「全て見通していた」では、ドラマとしての説得力にあまりに欠くと言わざるを得ない。とくに窃盗の疑いを無実の子どもにかぶせるなどというのは一般的に言って取り返しのつかない事態だって想定される、危険極まりない行為だ。それを「全て見通していた」などで片付けられては、主人公の教師の覚悟もドラマ制作者の覚悟もあったものじゃない。

2005年09月10日

■ マニフェスト占いその2

ついでに上記「占い」、日本共産党と社会民主党を十把一絡げにまとめているのだが、それもひどい話だ。え?社民党と共産党なんて似たようなもので、どんな質問項目を付け加えたら両者が識別されるか、わからない?そんなの簡単じゃないか。

宮本顕治は偉大だと思いますか。

これで一発。え?そんな人知らない?それじゃあ、これでどうだ。

三里塚闘争はニセ左翼暴力集団の煽動によって引き起こされたものだと思う。

なんかよくわからないけれど話題がやばそう?じゃあもうちょっと穏健な話題で。

講座派と労農派なら講座派を支持する。

全然意味がわからない?困りましたな。

もう少しまじめに言うと、部落解放基本法に反対しているのが共産党、賛成しているのが社民党、人権擁護法に根本的に反対しているのが共産党で、政府案に問題ありと修正を求めているのが社民党、とまあ、結構具体的な部分でも違うわけです。え、どっちにもどうせ投票しないからどうでもいい?

あ、そ。

■ マニフェスト占い

投票日間近と言うことで、選挙ネタ

http://mani-uranai.com/

今の私にぴったりの政党を教えてくれるらしい。

これってやりようによっては特定の政党への誘導にも使えるな。こんなのを信用する人が多数いれば、の話だけれど。

とりあえずやってみました。私にぴったりな政党は民主党だそうです。これまで民主党に投票したことないけれど、占いではそうなるのだそうです。

それならお前は本来どこの政党を支持しているのかって?もちろん新党大地ですよ。というか、この占いでは新党大地がそもそも存在しないことになっているのですが。お遊びにしてもいまいちだな。

2005年09月09日

■ 購入報告

一応購入報告。

シングルV 「恋の花」

シングルV 「恋の花」

Missラブ探偵

Missラブ探偵

やる気のしない仕事を抱えていて、きちんと鑑賞する精神状態にはない。とりあえずダブルユーのは軽快な感じで、きれいに声が重なっていて、なかなかよいんではないでしょうか?辻加護はやっぱり歌うまいな、と。ただちょっと軽すぎるきらいもあって、やや淡白な感じもする。

DVDはなかなかじっくり見る時間がなくて、たまりまくっている。後浦なつみコンのもまだ通して見られていない。

そんな状態で生活していて、なお一日12時間の睡眠時間が確保できないのだから、世の中間違っている。

■ 小選挙区制

気がつけば、もうすぐ投票日。

それがらみで思い出した私の好きなイギリスのジョーク。

私は保守党の支持者だ。だから選挙区の保守党の候補者がたとえ豚でも、その候補者に投票する。もっとも候補者は豚ばかりだが。

2005年09月04日

■ 妄想ユニット

このユニット、安倍なつみじゃなくて藤本美貴の方が良かったとか、年齢が一人離れているだとか、安倍さん救済だとか、いろいろ言っているやつらがいて、そんなこと言われるぐらいだったら、「ごまっとうに石川梨華」でも「後浦梨華」でもやれば良かったのに、と啖呵の一つも切りたくなる。だいたい事務所もわかっていない。ヲタ同士の相性というものをもう少し考えてくれ、と。

「後浦梨華」で丸く収まるんだったら、それはそれで行って、どうしても安倍さんもユニットに入れたければそれこそ「ダブルユーに安倍なつみ」をやってほしい。このユニットなら、たぶん、安倍ヲタの脱落はほとんどない。ダブルユーヲタの脱落率は知らない。

■ 座布団2枚持って行って

新ユニット、DEF.DIVA、略してDD。

DDしか応援できないユニット、とか?

たぶん既出ネタだと思うけれど、思いついちゃったんだもん。

■ ドラマ感想文

今クールのドラマについてほとんど言及していなかった。というわけで結末が見え始めた今頃になってドラマ感想文。

いま、会いにゆきます・・・ファンタジーというのは要は妄想話なのだから、その妄想の限界をもう少しきちんと定めた方がよい。「黄泉がえり」のように集団妄想ものなら、それはそれなりに世界観の提示の仕方というものがある。しかしこの「いま、会いにゆきます」はきっとそういうまがまがしい世界観など不要な、絵本の世界が母親を亡くした父子の間で展開するとてもささやかな妄想物語なのだと思う。絵本の妄想の世界と現実の世界の境界がわずかに揺らぐとてもささやかな空間がここでは描かれていたはずで、絵本の世界とは別に生きている第三者をこれほどまでに巻き込んでしまっては、この空間の儚き美しさが消えてしまう。

スローダンス・・・深津絵里は結構好きなので、ついでに広末涼子も好きなので、それだけで楽しめるのだが、ストーリー自体は最初から落としどころが見えていて、早い話主人公の「スロー」な生活が最終的に実を結ぶことが見えているだけに、なんとなくつまらない。

海猿・・・海上保安庁宣伝ドラマ。ま、いいけれど。

がんばっていきまっしょい・・・相武紗季の顔を初めてきちんと認識した。

刑事部屋・・・前にも書いたっけ?とても偽善的で良いドラマ。皮肉ではなく。

おとなの夏休み・・・視聴率を本気でとろうと思ったのか、と見る前から思っていた。テーマといい、配役といい、低視聴率は最初から覚悟していたんでしょう。それはそれとして、私はそれなりにおもしろく見てはいますが。すでに世代的に過去のものでしかなくなった夏の喧噪が何となく懐かしくなるドラマ。

幸せになりたい!・・・織田裕二が出ていた「お金がない」というドラマと趣旨はにているが、ずいぶんと甘口に仕上がった。相変わらず深田恭子は深田恭子をやっていてとてもほほえましい。

電車男・・・ネット掲示板の描き方がかなり嘘くさい。ヲタクの描き方も微妙にリアリティに欠く。なんて言うのは私がヲタクだからだろう。

ドラゴン桜・・・ちょっと設定に無理があるが、主役の阿部寛に絶対的な説得力があるので成立している。ドラマで言われていること自体はほぼ正しい。

女王の教室・・・賛否両論らしいが、どちらの主張もあまりに的はずれであきれる。主人公の教師の言い分を支持する人がこのドラマを支持し、納得できないという人がこのドラマを批判している、とか。逆でしょ?この教師の主張に正しいものが含まれているからこそ、その正しい主張をする教師はもっときちんとしてもらわなければならないのだ。主張以前にこの教師のやっていることは否定されてしまう。ゲシュタポまがいの密告を奨励し、いじめを助長しているのよ?それを最後まで正しきものと描くだけの根性があれば、それはそれで認めはするが、最後に何らかの形で逆転させようとしているのが見え見えではないか。「辛口」の教育ドラマなら、もっと問答無用に正しく、冷徹かつ完璧に管理をやってのける教師を演じさせてほしい。

2005年09月02日

■ 太陽神戸三井住友銀行

なんて書いていたら、嘘か誠か、「後浦なつみに石川梨華(美勇伝)」みたいなユニットが誕生するとかいう噂が。どうせなら「後加護のつみに中石圭織」みたいな感じのユニットでいいのにとか思ったり。さて、このユニット、何人組でしょう?

■ 買え

大阪に行ったついでにCD屋に行っていろいろ買い込んできた。

マッキング Gold 1

マッキング Gold 1

2ペイント イット ゴールド

2ペイント イット ゴールド

全部中古。カントリー娘。のが一番高く1200円。後藤真希さんのはファーストが210円、セカンドが800円。

一番高かったカントリー娘。のは「北海道シャララ」が聞きたくて購入。りんね、最高だよ、りんね。

後藤さんのは曲名だけをみていると「・・・version」が多くて、ちょっと微妙かなと思ったけれど、結構安かったのと、最近なぜか後藤真希がちょっとしたマイブームなので購入。うん、後藤さんの歌は良いわ。なっちのちょっとまったりした感じとは対照的で、勢いがあってこれはこれでとても心地よい。

あえて最後に、もちろん買ってきました。なっちこと安倍なつみ、ニューシングル。

恋の花

恋の花

表題曲の「恋の花」はすでにテレビでも見ていたので、すでに「知った曲」だけれど、カップリング「愛ひとひら」、作曲がたいせーと聞いて、最近やはり中古で買った市井紗耶香のシングル(作曲たいせー)を聞いていて、全く期待していなかったが、こっちが望外に良かった。こっちが表題曲であれば、とは思わないけれど、カップリングとしては佳曲。「セカンドモーニング」の安倍なつみを思い出す、ともいえるし、それよりももっと古い80年代のちょっとムーディな歌謡曲を彷彿させるものがある、とも思う。

二曲併せて、全く違う安倍なつみの歌が聴けて、一枚で二度おいしい、というとてもお得な一枚、是非一家に10枚常備を。

■ 悪夢

鬱状態である。

本当はすでに発売されているなっちこと安倍なつみの新曲「恋の花」なんてとうに入手済みで感想の一つも書いていてしかるべきなのに、まだ入手していない。火曜日から今日までずっと引きこもっていたのだ。

自宅でやらなければならない作業がある。それが引きこもる大義名分だったが、作業なんて1mmも進んでいない。ネットをつらつら見て、眠くなったら寝る。一日の睡眠時間14時間ぐらいだった。たぶん医者に行けば、しかるべき病名をつけてくれるのではないか、と思ったりする。

そんな状態なのに今日は授業。鬱の人間が、看護学校という鬱とは全く相容れない、むしろ躁状態の連中の前で授業をしなければならない。なんだか呼吸が苦しくなる。夜中に目が覚めたら寝汗をかいていた。なにやら嫌な夢を見ていた記憶がある。10時間先というほんのわずか先の自分の「未来」が見えない。

■ 博愛主義者

せっかくの新曲、なかなかテレビ披露の機会がないが、どっかの有料放送で及川奈央さんが司会する番組でゲスト出演したと言うことで、ごにょごにょして見る。

及川奈央さん、ググればけっこう何な画像とかいっぱい出てくるのだが、この番組ではとても上品そうないい感じの人だった。同い年ということで、それなりにノリよく、楽しげに盛り上がってはいるようなのだが、何となく話がかみ合わない。もちろん例によって、安倍さんがちょっと変なのだけれど。及川さんやそっちのファンの人にどう思われたかはよくわからないけれど、「らしい」安倍さんが堪能できて、私は満足しました。というわけで及川奈央さん推し決定。

ついでにラジオネタ。安倍さん、久住小春さんと仲良くなった、とうれしそうに報告していた。確かにああいうまっすぐでひねりのない娘。、いかにも安倍さんがかわいがりそうだ。というわけで久住小春さん推し決定。

■ 雨 晴れ のち 鬱

結局看護学校の授業は、無理矢理躁状態になって、戦争責任問題やら教科書問題やらをしゃべり散らした。ま、授業の趣旨は私が勝手に決めてよいことになっている(のか?)ので問題なし、と。

授業の主な内容は、前に紹介した原爆開発に携わった科学者に私が扮し、学生さんからいろいろ追求させて、私がそれに回答するというもの。学生さんもそれなりに日本の被爆体験という「被害」体験には感情移入は出来るようで、いろいろ言ってくるが、私が扮する科学者の方が状況に対する情報量も多ければ、一応弁も立つので簡単に論破される。ちょっと学生さんを悔しがらせたところで、私の「詭弁」を解説する。ちょっと汚いやり方だが、きれい事を並べた(と学生さんが受け取る可能性のある)説明よりは効果的なように思う。そしてそのあたりから敷衍して、「戦争責任」一般の問題についてしゃべり散らす。

学生さんの戦争問題に関する関心はそれなりに高く、結構いろいろ質問してくる。特に靖国神社が、戦争被害者一般をまつっているものではない、というのは知らなかったようで、それなりにインパクトがあったようだ。

というわけで、躁鬱である。