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2009年12月24日
■ すべってこその高橋愛
「盛り上がってるかあ・・・。えっと、清く正しくをモットーにやってます。えっと、モーニング娘。リーダーやらしてもらってます、高橋愛です。えっと、好きな芸人さんは明石家さんまさんです」
どうもここのところ「ものを書く」ということに対する意欲が0状態。そんなわけでずっと放置。そうした中で放送された番組がモーニング娘。現メンバーとOGが出演したトーク番組「しゃべクリスマス」。視聴終わって早速感想を書こう!と思わないでもなかったけれども、執筆意欲0状態ゆえ、なんとなく日和ってネット上で感想をつらつら見ていたらしょうもないテキストを何本か読んでいよいよ更新意欲もうせた。
今日もまたつらつら感想を読む。ちなみに一番くだらないのは(2chを除くと)「ファンサイト」掲示板。Youtubeコメント欄はまだましなぐらい。一番まともなのはmixi。mixi自体は好きではないが、「モー娘。」あたりで検索かけると非ファンの日記が多くヒットし、これが中々まとも。メンバーの足を一番引っ張るのが「ファン」だといういつもの見慣れた風景。
とまあ、こうして自分が「ファン」ブログを更新するのもあほらしくなる中、一つのテキストに出会った。おお、まだこんなテキストの書き手がいたかと驚く。2000年ぐらいの娘。テキスト界隈ではよく見かけた雰囲気の文章。洒脱で、ちょっと意地悪な書きかたもしているけれども、対象への愛に貫かれている。「推しメン」にはつねに「最高!」と賛辞を送り、そうでないメンバーに対しては執拗に「戦犯」探しの視線を向ける、そんなくそったれな「ファン」テキスト界隈とは全く別物のテキスト。
あまりに素晴らしいので、そのテキストを紹介すれば、もう私は何も書く必要はないな、ということでまたまた更新意欲減少。
せめてそのテキストだけは紹介しようと思ったのだけれども、出来ない。なぜならそのテキストはmixi内のテキストだからだ。いかに「全体に公開」されていても、mixiという閉ざされたコミュニティサイトの文章をその外で引用したり、直接リンクを貼ったりは出来ない(私はしない)。がっかり。
ざっくり概要を説明すると、冒頭の高橋愛の自己紹介の華麗なる「すべり」具合を称揚したもの。そうなのですよ、これは芸術的ともいうべきすべりかたなのだ。かつてダウンタウンの松本人志をうならせた伝説のすべり芸が再び日の目を見たというのに、周りの突っ込みが甘すぎたので、半端なすべりになってしまった。まあそれでも相当なすべり方ではあったけれど。
もう道重さゆみなんて「やった!愛ちゃんだ!」てな具合で実に嬉しそうに笑っているのだけれどもいかんせん距離が遠かった。結局「内」の突っ込みは中澤裕子が担ったのだけれども、中澤さんはちょっと優しい。「なんでそれ?!」。それを受けて「外」の芸人一同も微妙なフォロー付きの突っ込み。惜しい、実に惜しい。
この自己紹介に入る前の振りで、単なる自己紹介ではなくてライブでやるような本気モードの自己紹介をしてもらおう、という話になる。そして「高橋愛届いてる〜?」という実にくさくて素晴らしい例が示される。
「自己紹介をする」という段階では余裕ありげだった高橋さんがとたんに不安丸出しに。道重さんは自分のほうは余裕綽々で、高橋さんが困っている様子を見て嬉しそうに手を叩く。もうここではすべることが期待されている。
だったら堂々とすべり芸を披露するのが形。たとえばこんなの。
「高橋愛届いてる〜?清く正しく美しくがモットー、リーダー、高橋愛です!好きなファイナルファンタジーのキャラはエドガーです!」。
例えばこんなのと比較して、高橋さんのしゃべりはここ彼処で「日和ってる」。ふりの「ぱくり」がないのはまあいいとして、「美しく」がない。この微妙な謙虚さ。口調の堅さはまあいいとして、決定的なのは「好きな芸人」。司会サイドが芸人だから、そっちのほうが接点があって良かろうという「配慮」。ここで何の脈絡もなければ、ほとんど食いつける人もいないゲームネタを出せば見事にすべれたものを。そして視聴者なりにゲームファンがいれば、「わかるわかる」と共感してもらえる。この二重においしいチャンスを逃し、「日和る」。
でもやはりこの日和った半端さこそが高橋愛のすべり芸なのだ。加入して、先輩におびえ、気を遣いまくりなのに、「空気が読めない」キャラを貫いた、まさに高橋愛そのものなのだ。いまや最年長リーダーとなっても、トーク場面となれば何かと後輩にフォローされ、「噛んでこその高橋愛」とまでいわれる高橋愛の面目躍如というべきところなのだ。
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