重層的非決定?

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2009年04月02日

■ ふるさと論返し

3月29日の福井公演以来ずっと私の耳には「夢から醒めて」が残っている。これまでいまいち心に響かなかったこの曲が、少なくともここ数日、一番心に残る曲となっている。澄んだ、よく響く声、穏やかな旋律なのに歌唱には躍動感が感じられる。あるいは黄色のひかりに包まれたステージの引き起こした錯覚なのだろうか、2007年のディナーショーや前日の滋賀公演では感じることのなかった歌の力をひしひしと感じられた。

思えば高橋愛も不安定な人だ。ある意味当たり前の話ではあるが、気合い・気負いによって萎縮することもあれば、一層力を増すこともある。ディナーショーの時は気負いが緊張に変わってしまって、やや萎縮しているように感じられた。そして福井では歌に魂がこもった。

私はずっと高橋愛という人は緊張とかプレッシャーとかには少し弱い人だと思っていた。リラックスしているときにより高いパフォーマンスを出せる人。モーニング娘。内でも先輩が卒業していき、先輩に気兼ねすることが少なくなってから大いに存在感を増してきた。地元福井公演は気合いは入っても、精神的には逆にリラックス出来たのだろうか。

「ふるさと」(「兎追いし」ではない)。最高の「ふるさと」は何かと問えば、迷わず2005年福井公演での高橋愛の「ふるさと」だという人(ex.はっちまん。さん)もいるし、いや北海道で安倍なつみが歌う「ふるさと」こそ最高だ、という人もいるだろう。私はどちらも聞いていない。だから私にはどうとも言えないのだが、ただもともと「ふるさと」は安倍なつみに合わせて作られた曲ゆえ、彼女の音域にもあっているし、安倍なつみにとっては歌いやすい曲ではあるだろう。そして2006年高橋愛と安倍なつみの二人で歌われた「ふるさと」は私には安倍なつみの歌唱のほうが数段上に感じた。高橋愛は明らかに萎縮していた。

福井公演と同じツアーでDVD収録がなされた東京公演の「ふるさと」もやはり緊張感が表に出ているように感じられた。私は高橋愛の力が発揮された「ふるさと」を聞く機会はこれまでなかった。そして東京公演よりもおそらく力が入ったであろう福井公演での「ふるさと」も、たぶん私の中ではある種の見積もりをしてしまっていたのかも知れない。

しかしおそらくその見積もりは誤っていたのだろう。ある種の緊張やら気負いやらが彼女に大いに力を与えることもあるのだ、ということを今回の公演で私は身をもって知った。福井公演での「ふるさと」が最高の「ふるさと」であったのだ、という可能性を今は十分な納得感でもって受け入れられる。もちろんだからといって「いや、北海道での安倍なつみの『ふるさと』こそ最高だ」という主張を否定するものではない。

などといいながら、実を言うと私は「ふるさと」という曲自体にはそれほど思い入れがなかったりするんですけどね。安倍なつみ最高の曲は「微風」かも知れず、「空 LIFE GOES ON」かもしれず、「愛しき人」かも知れず、「たからもの」かもしれず、まだまだ候補はあげられるのだけれども、私の中で「ふるさと」は出てこない。そして高橋愛の歌唱の中で最高の曲は、といわれても同じく「ふるさと」はまず出てこない。安倍なつみが北海道で歌う「ふるさと」、高橋愛が福井で歌う「ふるさと」を聞けばいずれにおいてもまた気持ちが変わるのかも知れないけれど。実際、これまで高橋愛最高のパフォーマンス曲の候補に入れることのなかった「夢から醒めて」が、筆頭候補にあげられるようになったのだから。

やはり高橋愛なら高橋愛を「一番」に見ている人は、そうでない人とは少し見ているものが違うのだ、という当たり前のことを改めて思い知った次第。

投稿者 althusser : 2009年04月02日 17:16

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コメント

何が一番か?というのはその人によって違いがあるとは思います。少なくとも一緒に歌ったときのはどう聴いても安倍さんの方が数段上でしたし、ベストショットのも出来は良いとは感じていないですし。
いずれにしましても「夢から醒めて」を評価してくれるのは嬉しい限りです。

投稿者 はっちまん。 : 2009年04月02日 23:32

確かに客観的な順位付けは野暮ですね。

でもその人にとっての一番の歌唱がある、聞けた、というのは幸せなことだと思います。

福井の「ふるさと」は聞けませんでしたが、福井の「夢から醒めて」を聞けたこと、高橋愛さんのファンとして大切にしていきたいと思います。

投稿者 はたの : 2009年04月03日 23:32