重層的非決定?

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2009年03月25日

■ 祈りを込めて

少し不愉快な(ネガティブな)話をします。

モーニング娘。最新オリジナルアルバムの売上が(オリコン発表によると)最新シングルの3分の1を下回ったようだ。

オリコンという調査会社まがいの広告会社の問題はさておき、同じ会社の発表したシングルとアルバムの数字を比較すること自体にはそれなりに意味があるだろう。そしてそれがこの結果。

ショックを受けた。藤本美貴の婚約よりもずっと、比較にならないぐらいショックだった。

そのぐらいのこと分かっていなかったのか?と問われれば、なんとなくは、と答えるしかない。しかしいざ数字として提示されてしまうと、とても悲しい気持ちになった。

色々なことを考えた。結論の出しようもない、色々なことを考えた。「誰が悪いのか」という私が一番嫌いな方向にも頭が働いた(この場合、「結論」は既にあって、悪いことはつんく♂に押しつけておけという安直かつ「正しい」結論を得られて、少し気持ちが落ち着いた。けれどもすぐにむなしくなった)。

その雑ぱくな気持ちの変遷をつらつらと以下に記す。とりとめもなく、落ちも結論もなく。


つんく♂が悪い、という結論はある意味本当に正しくて、それは色々な方向から言えるのだけれども、安倍なつみファンという立場からいえば、昨年の「スクリーン」と「微風」、この二曲に対する評価に帰着する。私はこの界隈にいるアンチつんく♂派ではないので、仮に「スクリーン」だけを出されれば、それはまあそれなり(ちょっと理想とは違うけれど)、と思えただろう。しかしその直後に「微風」を出されてしまった。別の選択肢があったのだということをリアルに提示されてしまい、その選択肢がとても良いものであったのを「知って」しまった。そのときの「なんで『スクリーン』だったんだろう?」「なんでつんく♂だったんだろう」という思いはいまだに抜けることがない。


それでも明確な代替が提示されてしまった安倍なつみのケースとは異なり、今回に関しては私は特に不服は感じなかった。もともと私は音楽的素養がない人間ゆえ、アレンジがどうとかもよく分からないし、好みの音楽的方向というものも特に持ってはいない。もっと良い曲があれば、そっちのほうがよいとは思うだろうけれども、とりあえず出された曲は出されたなりに楽しめる。ただ私は歌い手の声、その歌い回し、に思いがあり、それがよく聞ければ、それで納得できる。

だから今回つんく♂以外の制作陣を用いていたら、もっと良いものになっていたのかどうかは私には分からない、としかいいようがない。つんく♂を悪者にするのは私には無理そうだ。


そもそも売れ行きなんてどうでもいい。私もそう思う。というよりもそう思いたい。でもそう簡単に割り切れない。


安倍なつみが「オーラの泉」に出演したとき、「ヒット曲が欲しい」といった。それを聴いたとき、何ともいたたまれない気持ちになった。安倍なつみに関してはとっくに「忘れていた」ことにしていた思いが掘り出されたように感じた。私はもはや安倍なつみには「ヒット」は望まないつもりだった。そして今もそれを明確に望んではいない(「望んではいない」というのは少し語弊があるかも知れない。私が安倍なつみの活動に望む様々な事柄の中での優先順位が低いということだ)。


CDを複数枚買う話。

私は「スクリーン」は五枚買いました。そう、複数枚買い。何のため?


昔話。

むかしむかし、私はさる(アイドル)歌手が好きだった。そしてあるシングルをやはり5枚買った。

その(アイドル)歌手はもはや(アイドル)歌手としての寿命は尽きていた。それはファンも、そしておそらく本人も、皆が分かっていた。売上が下がり、楽曲発表のペースも落ちていた。その状態を引っ張って1年、待望のシングル発売。私は「祈り」を込めた。「後もう一曲」。しかしその(アイドル)歌手がその後新曲を発表することはなかった。「祈り」は届かなかった。


「祈り」と、そしてファンレターの替わりと。

私はあなたの歌が好きです。そのメッセージを一枚のCD購入に込めて。


だから私は複数枚買いしたCDは捨てたことがない。「祈り」を込めたラブレターだから、捨てられるわけがない。15年前の五枚のCDだって、いまだにきちんと持っている。もちろん「スクリーン」も。


娘。最新シングル「泣いちゃうかも」、白状すると私は四枚購入しました。初回限定A,B各一枚、通常版二枚。普段買わない通常版二枚買ったのは色々な意味合いがあって(もちろん「握手会」抽選というのが頭になかったわけはない。現に四枚とも応募に使ったし)、2008年のリベンジというか、そういうのも含めた「祈り」も込めた。

でも本当は握手会とかのないアルバムこそ、ファンレターとしては正しいはずだ。「あなたの歌が好き」。握手会付きのシングルとは購入枚数を変えたくはなかった。でもアルバムは高かった。だからせめて、二枚。

私に関してはシングルの二分の一の購入枚数。そして全体においては三分の一。シングルとアルバムの落差作りに私も荷担した。そして私自身が荷担したこの落差に私はショックを受けた。


娘。への祈りとは「せめて後一曲」という後のない切実さではなく、安倍なつみの願い、「ヒット曲を」という祈りだ。歌い手としてのモーニング娘。の(再)評価。でももうそれを祈り続けるのは疲れた。何が、誰が悪いとかはともかく、今回のアルバム売上の結果を見て(もちろんそれはきっかけに過ぎず、それ以前の様々な状況を通じて)、もはやその祈りを込める気力が失せた。


後に残るのは「私はあなたの歌が好きです」、そのメッセージ。私は高橋愛の、そして娘。たちの歌が好き。それでいい。


CDというのは(音)データの詰まった媒体に過ぎず、あるいは握手券の包装に過ぎず、それ以上の意味を持たせるのは単なるフェティシズムなのかもしれないけれども。そして「チャート」というのは歌手活動の実体の一つを示す指標であると同時に宣伝素材でもあって(オリコンはまさにここにフォーカスを当てきっていて、だからこそ「調査対象店」を公表するという「調査会社」としてはあるまじき破廉恥なことも平然と出来るのだ)、宣伝になると思えばこそ、何ら「実体」を反映しないようなやり方を用いてでもチャートを引き上げようとする行為も経済的合理性を持つわけで、これもまた資本主義の織りなすフェティシズムの産物。二つのフェティシズムの狭間であがきつつ、考えたこと。

投稿者 althusser : 2009年03月25日 00:33

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