重層的非決定?

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2008年10月22日

■ グロ言説

なぜか「高橋愛」にとりつかれてしまった人のパラノイア的妄想にかかずらされてしまった。だいたい発端となったエントリがかかれたのってもう一週間前のことじゃねーか。本来ならすっかり沈静化していてしるべきことを、いちいち自分が扇動して高橋愛まで無理矢理絡めて、話題を引っ張って、あげく「みんながものすごく敏感になっているときにだ。(道重さゆみがラジオで)わざわざその名前(高橋愛)を出すとは」ってもうね。どんな妄想の世界に生きているんだ(まあ2chにどっぷりつかって生きているという最低最悪の人種ですな)。「みんな」って誰だよって話だよ。

本来うちのサイトポリシー「2chおよびそのエピゴーネンサイトは封じ込めるべし」に照らしてリンクは張らないつもりだったのだけれど(関わりたくない人だし)、引きづり出されてしまったので、今回だけはリンクを張っておくことにした。

というわけで先日のエントリ「不愉快な話」の言及対象も同じサイトです。まあ両方見ている人が多いだろうし、そういう人向けに起こしたエントリなので、そういう「ヲタ論争」みたいなのには全く興味がない人には黙殺していただきたい感じです。私は誰ファンが誰ファンをたたいているとかそういう図式を編成・表象する言説が大嫌いですし、そんなものはそれこそ2chに封じ込めておくべき見苦しき言説だと思っています。そんな見苦しい言説を生産した当該サイト主を私は軽蔑していますし、それに結果的に荷担した己の不明を恥じ入るばかりです。


私は前から書いているように2chにはものを書いてはならない、と思っている。見てはいますよ。最低最悪の人種の生産する言説を観察するためにね。まあその中には速報という意味では有益な情報も結構あったりして、結果的には重宝している部分もあるけれど、2chがなくなればその手の情報は別のファンサイトなりなんなりに行くだけの話であって、2chは無くなるべき場所である、という私の主張を揺るがすものではない。ましてそんな2ch的思考、言説を2ch以外の場所でもがなる奴は断固許さないし、はっきり心の底から軽蔑する。

2chには書き込むな。あの腐りきった言説空間を維持することは有害である。改めて主張する。


アンジェラスさんが誹謗中傷に同調しないことが分かって安心しました■10月23日追記。

問題を指摘し、批判したことが、そのヲタへの攻撃であり、それは間接的にその推しメンへの誹謗中傷なのだ、などという論理はまったく愚かで短絡的な誤謬推理だと思いますが、そう考える愚劣な人間が実在するのは事実です。どうしてそう簡単に「一部のヲタ」と「推しメン」を同一視できるのか。養老孟司か茂木健一郎に脳を解剖して一度調べてもらったら……なんにも分かりませんね。

もう呆れてものも言えないのだが、一応あちこちで己の所行をごまかして、あらぬデマゴギーを振りまいているみたいなので、釘を刺しておきます。

問題(「刑法」が出てくるぐらいの「誹謗中傷」発言を行う)の指摘にその問題になんの関係もないメンバーの名前を取り出して、そのファンが起こした問題であると強調したのは誰だって話ですよ。「短絡」させているのはお前じゃないか。

例えば窃盗事件を起こした人がいて、その人がたまたまモーニング娘。ファンであったとして、窃盗事件の論評にモーニング娘。ファンであることがことさらに取りざたされたら、そこにはモーニング娘。に対する悪意が込められている、と感じるだろうし、そう見なすでしょう。そういう論評姿勢こそが個別のファンとファン全体とを「短絡」させ、ファン全体のイメージを下げようとする悪質な言説そのものじゃないか。

これ以上まだ言葉を足さなければならないのかなあ?


10月24日深夜(早朝)追記分

新しいエントリを起こすのも何だからどんどんここに追記していこう。各々がいつの追記とか記録してねえな、まあどうでもいいか。

うちのサイトの読者をアクセス解析なんかで見てみると、基本的になっち情報を求めている感じなんで、あやや目当てもほとんどいない感じで、ましてヲタ論争目当ての読者って少数派なんだよね、当たり前か。まあそういうので、あまり変な更新を続けてもウザいだけだろうから、ここにだらだらと追記しておこうかと。

今回の追記はどうしても書かなければならない話でもないけれど、一応確認のため。

時系列的に簡単に整理しておく。

ハッチマンさんの問題のエントリ「道重造反」がアップされたのが10/15。

それに対して名前を出すのもはばかられる頭の痛い御仁が道重さゆみ擁護のエントリ「道重さゆみのシンデレラ」をアップしたのが10/16。さらに続いて「下衆の勘ぐり」をキーワードにしながら、何故かハッチマンさんが高橋愛ファンであることこそがその発言の背景にあるのだ!というまさに「下衆の勘ぐり」をするという楽しいエントリ「ハッチマン氏の発言の問題点について」がアップされたのが10/17。ちなみにこの間、その頭の痛いお人はハッチマンさんのエントリにコメントを付けるがハッチマンさんはまともに取り合わず。「下衆の勘ぐり」をするならば、ここでまともに取り合ってもらえなかったことが頭の痛い人の精神をいたく刺激したと思われる。

私が関連エントリ「ウザちゃんピース」をアップしたのが10/17。本来スルーする予定だったが、この「論争」に高橋愛の名を入れたくてたまらない馬鹿が騒ぎ出しているようだったので魔除けのつもりで。しかし当該エントリを読んでもらえれば分かるとおり、道重さゆみ批判をも無効化しようともしている。真っ正面からの擁護はかの発言に違和感を感じた人を逆に刺激する可能性があるゆえ、その違和感をむしろ肯定する方向に言説を編成しようともくろむ(もちろん無力なのは承知の上で)。

その後頭の痛い人がヒートアップして様々な人を巻き込もうと複数のサイトでコメントばらまき開始。自身のサイトでも言及を続ける(このあたりは正確にフォローするのは面倒なので省略)。とにかくハッチマンけしからん!の輿論作りにいそしんだものと思われる。しかしあまりうまくいかず、どんどんとヒートアップ。

ここまでは私は基本的に静観。最初の「ウザちゃんピース」以降は特になにも発言はしていない。

10/21。とつぜん頭の痛い人が狂気に満ちた驚愕のエントリ「問題はビジョンの有無ではなく道重さゆみへの誹謗中傷である」をアップ。自分の味方になる(と勝手に期待していた)人がむしろハッチマンさんの言い分に同調するかの発言を行い、道重さゆみの「ビジョン」を問いただす方向に議論が進んだことが気に入らなかったらしい。

そしてその時点では私は道重さゆみビジョン問題とやらには一切口を挟んでおらず、またそもそもそういう方向での問題意識も持っていなかった。ところが頭の痛い人は何の脈絡もなく、ハッチマンさんと同じ高橋愛ファンの「痛さ」の例として同じくこの問題に何ら口を挟んでいない(どころかここ数ヶ月ハロプロ関連の話題を口にしていないと思われる)つばめさんとともに私の名前を挙げる。しかも私は安倍なつみファンであるし、つばめさんは嗣永桃子ファンであるというおまけ付き(爆笑)。

私は精神をやられている人に取り憑かれたなあ、と困惑しつつ、火の粉を払っておこうと無駄にあがく。精神をやられている人には勝てませんわ。でも一応こういう場合の常として馬鹿に対するお手本としての「正しい」つっこみを実践しようとハッチマンさんに突っ込みを入れる。ハッチマンさんからは望外の丁寧な対応をいただく。

でも想定の範囲内だが、そうした行為はすべて無駄に終わり、頭の痛い人の発狂が続いて現在に至る。

問題はあの馬鹿が拘泥し、謝罪と撤回(笑)を求め続けている「誹謗と中傷」とオレ、全く何の関係もないよね、ということですよ。あの馬鹿が「誹謗と中傷」と馬鹿の一つ覚えで反復し続けているキモの内容の部分はむしろ私の突っ込みでハッチマンさんは撤回はしないまでも、留保はすると明言したわけだ。私は「謝罪と撤回」厨ではないので、もともとそんなことを望んでいたわけではないけれど、あの馬鹿からすれば不十分でも少しは前進だよね。あの馬鹿のわめきよりもよっぽど私のほうが事態を前進させているよね。

そのあたりの評価を最大限に妥協しても、私が道重さゆみへの「誹謗と中傷」とやらに荷担した事実は全くないよね。それとも「ウザい」呼ばわりが「誹謗と中傷」なのか知らん。それを言われると、冗談一つかけなくなるわな。なっちウザなんて私はずっと前から言っているし、オレはなっちを誹謗中傷し続けていたのか!ああ、愛しのなっち、あなたは今何をしているのだろう!。

ところが奴が私のことを語る際に、この騒動の主題であるはずの道重さゆみの言動に対する私の評価については一切、一言も語らないのね。それでもう丸バレな訳ですよ。

このような悲しい誤解を生んだだけに終わるなら、本当に不毛なことで、申し訳ないけれどもシゲさんには泥をかぶってもらって黙って見過ごしていたほうがよかった、と、弱気にもなってしまいます。

「アンジェラスさんが誹謗中傷に同調しないことが分かって安心しました」

なんてことを書いて、自分は道重さゆみを守るナイトであるかのごとき妄想に浸る振りをしながら、実際には道重さゆみのことなんてどうでもいいってことが。馬鹿だからこういう大見得を切ってもすぐ馬脚を現すのな。

だって、そうでしょ?もし道重さゆみ擁護がメインテーマだったら、私について言及する必要なんて最初から全くなかったわけですよ。むしろ「はたのは気に入らない奴だが、道重さゆみ論においてはいいことを言っている」ぐらいに感謝してもらいたいぐらいだ。そうじゃないなら、道重問題で私の発言のどこに問題があったのか、指摘してみろって話だよ。え、「ウザちゃんピース」が道重さゆみを愚弄している?それは困りましたな。

けっきゃくあの馬鹿にとっては道重さゆみなんてどうでも良くて、自分が正当だと信じ込んでいた突っ込みをまともに取り合ってもらえなくて(謝罪と撤回をすぐにしてもらえるとでも期待していたのでしょうか(笑))、あまつさえ、味方だと思っていた人からも満足のいく反応をもらえなくて、ヒステリーを起こして、周囲に当たり散らしたら、その流れ弾にあたった私が大人げなく反応したものだから、さらにヒステリーを加速させた、とそうとしか解釈できませんね。ナイト気取りも大概にしろ。お前は自分だけが大事な卑怯で馬鹿な2ch引きこもりなのだよ。せいぜい2ch内でお仲間集めてリハビリでもしてろ。どんどん悪化しそうだがな。

というわけで、これからもまったりその病状の進行は観察させていただきますよ。言説上の症候分析が私のライフワークでもあるのでね。まあせいぜい人に迷惑をかけない程度にグロ言説を生産し続けてください。


10月27日追記。

遠吠えをやっているようなので、主治医として一応見立てておいてあげるね。

砂漠に砂を撒くような不毛な啓蒙からは手を引こう

ちょっとだけこいつを見直したわ。「砂漠に砂をまく」ことをやっていたのだと自覚していた訳ね。そりゃ最初から不毛というよりは意図通りの結果だろうさ。

なんて言葉尻をとらえるのは止めておいて、「またそういうことに手を出してるところを発見したら誰か止めてください」って、今回止めてやったのは私なんだから、感謝しろよ。

「そして文筆系ヲタ活動のまとめに入る。店仕舞いの準備」。能書きたれてないでさっさと店仕舞いしなさい。そうやって「辞めてやる!」と騒いで誰かが止めてくれるのを待っているんでしょうが。メメしい。

最後のポエム(笑)。これを読めばこいつがいかにだめかがよくわかる。こいつの頭の中では最後まで自分は哀れな被害者なのな。手前から一方的に人に難癖つけておいて、よくこれだけ一方的に被害者ぶれるよ。

もう醜いものはみません

もう愚かなものはみません

鏡は見た方がいいぞ、社会人のたしなみとしてな、というつっこみは置いておいて。

一番醜いのは自分かもしれない、一番愚かなのは自分かもしれない。そういう可能性すら考慮に入れようとしない、そういう発想が頭に浮かびもしない時点で、こいつは物書きとしてだめだ。まして小説(笑)とか。ちなみにこれは一般論としていっている。別に今回一番愚かで一番醜かったのはお前だ、という含意でいっている訳じゃなくてね。まあ実際はそうなのだけれど、それを今こいつに認識せよ、というほど私はこいつの認識能力には期待していない。

醜いもの、愚かなものの中にこそ真実もあれば、ユートピアへの力学も働くのだということ、それこそが芸術の弁証法そのものなのに、こいつは弁証法のなんたるかも全くわからず、しかし恥ずかしげも無く弁証法がどうとか口にする。文学・芸術の素養もなければ、哲学の素養もゼロだ。実際こいつの書いている「小説」(笑)なんて美しいものは美しい、と反復しているだけの空疎な自己満足ポエムだったしね。弁証法・唯物論が聞いてあきれる。

こいつのこの手のはったりでもっとも醜いものを今更ながら指摘しておく。

問題はビジョンの有無ではなく道重さゆみへの誹謗中傷である

「これ以上言いたければ御自分のブログでどうぞ」とコメントを拒絶したつばめ氏。「もうわたしのブログにはコメントしないでください」とコメントを拒絶したはたの氏。そして今回、わたしの真摯な疑義には一切答えずTBを反映させないようにしたハッチマン氏。この3者がいずれも高橋愛のファンであることは単なる偶然なのであろうか、それとも何らかの内的な関連性があるのだろうか。その点について精神分析学的観点から考察したら、何か興味深いことが分かるだろうか。

やれるものならやってみろ、っていうわけだ。こいつが口だけで全然やってくれないから、こっちがお返しにこいつの精神分析をして差し上げたわけだがね。結果からすると多少なりとも効能はあったみたいだから、せいぜい感謝しろよ。

「内的な関連性」を一向に出せないからには、こいつははったりを言ったというにとどまらず、明確に高橋愛ファンに対して根拠のない愚弄を口にしたことになるわけだが、その自覚すら最後まで無かった。もちろん高橋愛ファンとしての内的な関連性なんてものはあろうはずもなく、分析しなければならないのは多くの人に(今回だって「お仲間」(と勝手に思っているようだが、向こうはどう思っているかは不明)に実質コメント放置されているじゃねえか)まともに取り合ってもらえない己の発言の馬鹿さなのだが、それを相手の高橋愛ファンという属性のせいにする。こいつがどうしようもなく醜いのはこういうところだ。

もっとも高橋愛ファンだとかそういうのを抜きにすれば、この3人にちょっとはお前は感謝しろ、というところではあるのだがな。この件で他サイトにもコメントしまくっていたが、途中で気を利かしたか(そんな芸当がこの馬鹿にもできたとは!)、コメントを控えるようなまねもしていたしね。ちょっとは学習能力を持っているんじゃないか。おかげでちょっとは手前の体面も保たれたところもあるんだから、マジで感謝してほしいね。だいたい手前は人のサイトに勝手なことを書き殴っておいて、自分の時には「繰り返しはやめにしたい」とかいって一方的に終了宣言しているんだから、こいつには一貫性も何もあったもんじゃない。単に俺様ルールを通しているだけだ。何が「閉じない」だ。お前は精神も何もかも自分の中に閉じこもっているのだ。お前はその精神、思考、すべてにおいて己自身の中に引きこもっている。お前はまさにその全存在においてイデオロギーそのものなのだ。ママのおなかの中に戻るのがお前には一番ふさわしいのだが、それはもちろんかなわない。だからせいぜい2chあたりでお仲間を集めてなれ合うのが関の山だ。それが私のお前に対する見立てだ。せいぜい参考にしたまえ。もっとも「不愉快な」ものは見ないらしいから(お前の存在が一番不愉快なのだがな)、ますます裸の王様もとい裸の引きこもり化が加速されてしまって、このありがたい見立てを読むチャンスがないのが残念だ。

最後?に言っておくと、この最後の記述がなければ、この件で私が積極的に口を挟むことはなかった。「精神分析」なんて私が大好きな(といっても私は徹頭徹尾、*言説の*精神分析専門だが)言葉を出されれば、応じないわけにはいかない、というのもあるし、それ以上にこの記述を読んで私は言いようのない怒りを覚えたわけだ。

そう、私はこの馬鹿と違って、いろいろ自覚はしていますよ。私は明確にこの馬鹿に対して悪意を持って、一連の文章を書いた。その己の醜さを抱きつつ、私はこいつを攻撃したわけだ。そこには「啓蒙」なんて思いは最初からゼロ。単にこの馬鹿をこのまま野放しにしておく気になれなかっただけだ。


この手の「ヲタ論争」なんてものは、娘。およびそのファン界隈にとって有益なことは何もない。単に己の薄っぺらな自尊心を満足させるためだけのものにすぎない、ということは自覚しておいた方がよいだろう。こんなものをものしている暇があったら、ライブレポートの一本でも書け、てなわけですな。ハイ、その方向で。

投稿者 althusser : 2008年10月22日 15:00

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コメント

こんにちは。直接でははじめまして。

1ヶ月以上も前なので、また掘り起こして申し訳ないけれども、はたのさん、これは流石に言いすぎだろうと思ったので。
このエントリはヲタ論争というよりは、ただの個人の人格攻撃に見えます。はたのさんご自身文章最後にあるように「悪意を持ってして」書かれていて、例えば、悪意を持ってして書くのなら何書いてもいいのかというつっこみなんかも、想定してらっしゃるとは思う。はたのさんに文章としては直接書かれてない何かしらの意図があるのか、それともそのまま文章がすべてなのか、なんてことはわからないです。なので、そういう風に見えました、そういう風に読みましたということだけをコメントとして残したい、そう考えて投稿ボタンを押す次第です。

投稿者 青木ヨーマ : 2008年12月06日 11:02

この文章については書かれている文章がすべてです。
 文章とは本来そういうものだと思います。
 言葉の表層での激しさに目がいくのもそれはそれでいいとは思いますが、「論争」ですから双方の応酬・そこで交わした双方の文字に書かれた主張を読み取るのが読解というものだとは思います。
 さらに補足するなら「個人攻撃」とある種の「ヲタ論争」なら私はある種の「ヲタ論争」の方がずっと悪質だと思っています。ある種のというのは「某ヲタが」という類の議論の進め方です。これは愚劣であるばかりでなく、私は卑怯な議論の進め方だと思います。
 本来論争にせよ、「個人攻撃」にせよ、個人の発言したものに対してのものです。相手にも同等の反撃の機会も何もかもあります。一方対象をそれとは無関係なファン集団にすり替える「ヲタ論争」はそれとは比較にならない有害なものだというのが私の認識です。
 あと「人格攻撃」ということですが、ここで言われている「人格」とは何なのでしょうか。文章で表現したところのものに現れている「人格」が批判対象になるのは当然のことだと思いますが。私は相手をその相手の書いた文章以外には全く知らないので、それ以外の部分での「人格」を攻撃していると言われるとぽかーんとしてしまいます。そして書かれたものに対する批判と言うことなら、お互いに相手の書いたものを「愚劣だ」と言っているわけですから、質的には等価だと思いますけれど。もしかして量の問題ですか?私にとっては量はあまり本質的なことだとは思えないのでやはりぽかーんとしてしまうばかりです。

投稿者 はたの : 2008年12月06日 23:45

>この文章については書かれている文章がすべてです。
そうですか。

文章に見られる攻撃的な調子、表現がひどいなーと思ったものですから。なのでやはり前コメントの通り悪意を受け取りました。それだけしかわかりませんでした。

>人格
ここで言った「人格」というのは、彼が人間として持っているであろう心であるとか精神であるとか、そのようなものとして恐らく認められうる、そのように期待されるところの人間性とか主体性のようなものの意味でした。こんなくどくどしい説明は要求されていないと思います。ぼくも彼のことは文章以外にまったく知りません。どんな人だろうかといったことを想像したりはしますが。
はたのさん仰るところの、文章に現れている「人格」というものが、ぼくが今不肖ながら書いたところの「人格」とどういう関係にあるのかわからないです。ただ、書かれたものに対する批判ということでものされた文章だとしても、「醜い」とか「愚か」だと同じように書かれたら、ぼくならまさに自分の人格を攻撃されたと考えますし、傷つきます。尚もここに人格の概念の混同があり、心情において勝手に傷ついているだけだといわれれば全くそれまでです。
論争においてまた批判において、あるいは一般に人とのコミュニケーションのやりとりにおいて、仮にこのような侮蔑の表現が単に「言葉の表層での激しさ」に過ぎないものとされるとしても、逆にはたのさんの論述のその肝心の内容を、当のコミュニケーションの相手をして捉え損ねさせるとしたら、そういう事態がはたのさんの望まれるところでない限りで、本当じゃないように思えます。

投稿者 青木ヨーマ : 2008年12月08日 22:40

おっしゃることはよくわかります。
 ただ一つご留意いただきたいのは、これは双方がいわばノーガードで打ち合ったうちの一つの文章です。相手の方の文章は掲示板やら、ブログやらで散逸はしていますが、「醜い」も「愚か」も双方が使っている言葉です。そのうちの一方の文章を固定してとらえられても、それ自体は確かにひどい表現をしていますよね、としか言いようがありません。
 でもご忠告はごもっともですし、もちろん私もこの文章をものしたこと自体に何の躊躇も後悔もない、ということはありません。ただ(それは相手も同じだと思いますが)そうした言葉を投げつけるだけの怒りを持たせるものがやりとりの中であった、ということです。

投稿者 はたの : 2008年12月09日 00:36