2010年02月28日
■ なんば散策
家にいても気分がくさくさするので無理矢理外出。
大阪日本橋電気街「でんでんタウン」。名前とは裏腹に、数年前から秋葉原と同様「萌え」系の街に変貌してしまった印象があって、しばらくご無沙汰していたが、久しぶりに行ってみた。
印象などというのはいい加減なものだった。たしかにアニメやらアダルト系やらの店が目につくが、中古PC、パーツ類を売っている店もまだまだ多くあって、電気街としての面目は保っていた。
中古売り場には往年の名機が結構並んでいたりして、懐かしい。私が今メインで使っているThinkpad T60が6万円とかで売られていて少し悲しい気分になったり。パーツ屋にもSSDが結構安くで売られていたりして、まだまだがんばっている。中古PCにせよ、パーツにせよ、いまではネットで探した方がずっと楽に安いものが見つかる時代、なかなかリアル店舗というのは大変だろうと思うが、思っていたよりも盛況だった。
ついでなので先週メロン記念日ライブを見たなんばHatchにまで足を伸ばしてみる。今日はハロプロ年少選抜ユニットBuono!のライブがあるらしい。私が行かないライブゆえ、ちょっと客層に興味があって会場前まで行ってみる。
もういやというほどありきたりな「ハロプロ」現場だった。多少は客層とかに違いがあるものかと思ったが、ほとんど差を感じることはなかった。出演者が若いのだから多少は客層も若いかと思ったが、特にそういう印象もない。いわゆる一つのハロプロ現場。
ただ入場口付近になぜかかなりの血の跡があって係員が掃除をしていた。何があったのだろうと思っていると、程なく警察がやってきた。どうやら暴力行為があったらしい。見ているといい年扱いたおっさんが警察官に連れられていった。
前週のメロン記念日と比べて客数はざっと倍、1100人超。Buono!はさすがと見るべきか、メロン記念日がやはり少なすぎた、と見るべきかはよくわかない。
せっかくだから一公演ぐらい見てみようかと思わないでもなかったが、財布を見てみたら3000円しかお金が入っていなかったので、そのまま引き返す。もっとも本気で見る気があったら銀行に走ればよい話。その時点で当日券が買えたかどうかはわからないけれど。
2010年02月26日
■ 初めてのe-tax
確定申告の季節。
紙ベースの作業が大嫌いなので早々にe-taxで確定申告すべきだと思いつつ、事前手続きというものがこれまたいやで結局これまでずっと紙に印刷して郵送していた。作業自体はWebで行って、印刷して、封筒に詰めて送ればいいのだから、大したことないと言えば大したことない。どう考えてもあちこちに事前手続きをして、そのために役場にも行き、などというよりも手間が少ない。
しかし今年は違う。私は住基カードをすでに持っているのだ。生高橋愛を見たい一心で必死に取得した住基カード。これがあればオンラインですべてが終わる、かもしれない。確か前はe-taxを利用するには事前に税務署に郵送で書類を送らなければならなかった記憶があるが、そんなことするぐらいなら確定申告書本体を送りつけるわ、と思っていたが、今はどうやらそういうのもすべてWeb上の作業でいけるらしい。
自宅にFelicaポートを内蔵したVAIOがあるので、直ちに作業開始。事前登録はあっさり終了。いよいよ申告書作成だ、とおもって電子証明書の登録を行おうとする。無理。普通のFelicaポートじゃ無理らしい。きちんと公的個人認証サービスに対応した端末が必要。ああそうですか。
というわけでAmazonに注文。Pasori RC-S330。2680円なり。もっと安い端末もあったが、e-tax以外にもいろいろ使えるのがこれぐらいだったので。というのは嘘で何となく最初にこれが見つかったので、何も考えずにそのまま注文して、改めて考えてみれば、無駄に高いのを注文しちゃったなあ、とちょっと後悔。まあICCOCAの履歴とか見られるし。+1000円払った甲斐はきっとあるだろう。
翌日到着。亀井絵里写真集「Sweet」と一緒に佐川の人が持ってきた。亀ちゃん写真集は発売日に到着。Amazonもなかなかやる。ローライズの白ビキニにくらっとしつつ、作業開始。
モーニング娘。コンサートツアー2009秋ナインスマイルDVDを再生しながら、作業を進める。今度は我が住基カードをきちんと認識して、パスワード入力を求めてくる。えーとパスワードって何を設定したっけ?利用者識別番号入手の際に登録したパスワードではだめ。別物らしい。確か住基カードを発行してもらった際に登録したものがあったな。それを入力するがだめ。ほかに心当たりのあるものを何度か試してみたがすべてだめ。まもなく「何度も認証に失敗したからロックをかけたので後はよろしく」というようなメッセージが出た。なにーーー!ロックがかかっただとぉ。ああそうですか。そういうものですか。ということで役場に電話して問い合わせる。直接カードを持ってこいと言われる。郵送とかする手間を惜しんでe-taxを使うことにしたのに、直接役場まで出向く羽目になるとは。でもすでにお金をかけてしまっているので今更後には引けない。
幸い役場までは徒歩で15分足らず。考えてみればたいした手間ではない。窓口の人に事情を改めて説明する。窓口の人の言うには住基カードのパスワードは二種類あって、カード自体のパスワードと個人認証の電子証明書のパスワードは別物らしい。どちらも再設定しますかと聞かれたが、どう考えても電子証明書の方の問題だろうと思い、そちらの再設定を依頼する。すると、電子証明書用のロック解除とパスワード再申請の用紙を渡される。それに記入してパスワード再発行。よしよし、これで大丈夫なはず。
戻って作業再開。でも認証が通らない。さっき設定したばかりのパスワード。間違えるわけもない、はず。どうしたものかと考えて、ふと思い当たる。私、電子証明書の発行なんてしてもらったか?単に写真付き身分証明書がほしかっただけだから、住基カードは申請したが、電子証明書の申請なんてしていないような。でもパスワードは再発行してもらったのだが。うーむ。でもやはり電子証明書の発行手続きはしてもらっていない気がしてきたので、改めて役場に行く。一日に二度も役場詣でをするとは。
窓口の人に改めて事情を説明する。結構恥ずかしい。窓口の人もちょっと首をひねって確認してみます、と。そしてやはり電子証明書は発行されていませんね、でもパスワードは変えられるんですね、と苦笑い。改めて(何回改まっているのか)電子証明書の発行を申請する。500円払って即時発行。
再度挑戦。ようやく電子証明書の登録も無事に終わり、ちゃっちゃとデータ入力。このあたりは例年やっていること。計算も全部自動でやってくれるので、難しいことはない。いよいよ仕上がった申告書を送信する。失敗。よくわからないエラーメッセージが出て、データ送信ができない。ネットで検索して調べてみるとよくあることらしく、どうも個人認証データの読み取りに関してはかなりシビアにできていて、何度かやり直したらうまくいくことがあるようだ。というのでUSBをつなぎ直したりして何度かチャレンジして何とか無事送信完了。このあたりは相性もあるようで、あとで別のPCで試してみたら、そっちは何の問題も発生しない。同じThinkpadだがWindows7搭載のX200sは問題なく、Vista搭載のT60は成功するケースの方が少ない。来年からはX200sで作業することにしよう。
銀行引き落としはだいぶん前から申請済み。源泉徴収票は送付しなくても省略可だという。社会保険がらみの書類も送付不要。ということで役場には二度足を運んだが、郵送するものはないようだ。というかこれでほかに改めて何かを郵送しろと言われたら、たぶんキレる。
e-tax利用は初めてなので、一回きりの特典5000円の控除を受けて、郵送費もかからない。紙代、トナー代もかからない。逆に余分に支払った金額リーダー代2700+電子証明書発行代500で3200円。差し引き2000円弱の儲け。ついでにICCOCAの履歴がいつでも確認できる。最高だぜ、e-tax!
2010年02月23日
■ ただの日記
下半期(後期)ということで受けた仕事の依頼の書類がなぜか上半期(前期)で来た。しかも二度目。前回もくれぐれも後期にしか受けられないし、そういう約束で受けた仕事だから、と念を押し、修正してもらったはずなのに。普段は短気な私も今日ばかりはちょっといらっとした声を出してしまった。
今日の晩ご飯。タジン料理。鍋にオリーブオイルを入れて塩こしょうした豚バラを炒め、ブロッコリー、シメジ、エノキ、プチトマトを適当に入れてしばらく蒸し、バターをのせ、塩こしょう、少量の醤油で味を調える。最後はチーズを入れて仕上げるつもりだったが量が多かったので、そのままで食す。残った分はまたチーズを入れてグラタン風にして食べよう。
■ 一段落
とりあえず「宿題」は終わったのでしばらくはまったりします。
しばらくはPCネタ(Thinkpad)が中心になるかな。
2010年02月22日
■ 本ブログについて
一応こっちにもあらためて書いておこうか。
本ブログは更新停止はしません。しかしハロプロ系ブログという自認はしませんので、内容は完全に雑多なものになります。前からそうすると言っておきながら、それでもアンテナ登録していただいているののほとんどすべてがハロプロ系としてのそれなので、一応そういうものとして更新し、それ以外のネタは何となく遠慮してきたところがありましたが、そういう配慮はもうしません。
内容はPCネタ、文化批評関連(映画・テレビドラマなど)、社会批評関連(ネット言説中心その他もろもろ)、「ハロプロ」ネタもやらないわけではありません。そんな雑多なブログを誰が読みたいのかは不明。
早い話、「ハロプロファン言説」から逃走(闘争ではなく)しようとあがいている最中ということです。
2010年01月09日
■ Don't follow me!
といっても本来コミュニケーションツールのはずだが、単にメモ帳としてしか使う気がなかったりする。公開メモ帳なんで、突っ込みがあれば受けますが、基本はチラシの裏なんで、適当に。
公開しなくてもいいような内容だけれども、一応は「見られているかもしれない」という状態のほうが少しは緊張感を持ってかけるかな、と。ここに書くには不十分、散漫なネタを適当に書き散らす予定。いずれまとまればここにきちんと書くかもしれないし、ボツネタになるかもしれない、というそういう感じで。
2009年10月21日
■ 物量作戦の前に立ち尽くす
巨大組織の大々的な物量作戦の前にいかんせん。。。
ハロプロの話ではない。私個人の話。
たいしてお金にはならないが、大きな意義のある仕事が回ってきたと思ったら、今度は金銭面で柱となっている仕事がなくなりそう。相手が悪すぎる。巨人だぜ、巨人。球団じゃなくてね。こっちは蟻みたいなものだからなあ。
テレビドラマあたりでは「仲間」と組んで絶対的に不利な状況に立ち向かう、なんてお話に満ちあふれているが、こっちにはそういう人員すらいない。。。早くも厭戦気分。まあやれるだけのことはやるけれども、リソースが絶対的に不足しているのはどうしようもない。
来年のことは(収入的には)仕方がないとして、それ以降はちょっといろいろ考えなければならないな。本当に今更で、年齢的にもなにだが、新たにいただいた仕事の方面で実績作りして、そっちにシフトしていくしかないか。。。
そっちの仕事の関係上、「第47回部落問題研究者全国集会」に顔出ししたいんだけれども、その日の夜には東京にいなくてはならない。会場から京都駅までが結構遠いし、微妙なんだよなあ。途中退出する方向で考えるか。。。
2009年08月29日
■ 投票行って外食するんだ
明日の話だけど。
衆議院のほうはよいとして、もう一つ最高裁判所判事の国民審査、こっちも忘れちゃいけない。というわけで「今回の総選挙では政権交代より重要な事がある」を紹介しておく。
米国のイラク攻撃を支持して、自衛隊派遣に尽力したのが竹内行夫判事。それを支持する人は粛々と信任すればいいし、どうでもいい人も信任すればいいし、いやちがうだろ、と思う人は不信任にすればいい。一応情報として。
その後はホテルで食事。
2008年11月05日
■ 私信−特定の読者へ向けて
これはほとんど私信なんだけれど、具体的には痛井ッ亭。氏のサイトとうちのサイトを両方見ている人(いるでしょ?)で、痛井ッ亭。氏のことを多少なりとも好意的に見ている人。ちょっとは考えてもらいたい。
氏の運営している掲示板「ノノ*^ー^)<えりちゃんねる モ娘(亀)」の♪♪モ娘(豆) ガキさん絶賛スレッド♪♪というスレッドの書き込み、もちろん投稿者は氏自身である。
直接見てもらえればわかるけれど、2ch中のさるメンバーに対する悪口スレッドに対して好意的なリンクを張り、アクセスを誘導している。今は2chのそのスレッドは落ちていて、もう具体的な書き込みは直接は読めないけれど、少なくとも私が見たときにはそのレス中には当該メンバーへの明々白々な誹謗中傷(薄汚い性的な妄想話をさぞ真実であるかのように言いつのる別のスレッドへの誘導)が書かれていた(キャッシュを確認したところ、氏がこの投稿をしたときには上記誹謗中傷はすでに書き込まれていた。それを知っていてなおなんの留保もなしにこのスレッドへのリンクを張ったわけです)。
ちょっと前に自身が認定した「誹謗中傷」的な言明を含むエントリに好意的なレスを返した人にしつこく食い下がり、誹謗中傷に対する態度表明をしろと言い続けていた男が、ですよ。娘。を守る、娘。を愛するなどとほざいていた男が2chの娘。メンバーへの悪口スレッドへ好意的な誘導をする。まあ私はこの男のその手の言い分など全く信用ならないと以前から言っているけれど、彼の恋愛擁護論とかに共鳴している人、彼のこの行動をどう評価するのでしょうか?ちょっとでも娘。を愛する気があれば、最低限絶対やらないことだと私は思うのですが、どうなのですか?
これを見て、まだ彼に対して肯定的な反応をする人がいるとしたら、私はその人の娘。あるいはハロプロ「愛」に対しても大いなる疑いを持たざるを得ないですね。該当する方、どう思いますか?
今回のFC分割に事務所の高橋愛へのごり押しという意志を読み取り、それを自ブログで披露なさっている方もいらっしゃるようで、前にその方は別の方の別のメンバーへの批判的言及を評して、「事務所による高橋愛ゴリ推し」という事態が実在し、他メン(とそのヲタ)は嫉妬から愛ちゃんを批判・誹謗中傷し、高橋ヲタ側は反撃として他メン(とそのヲタ)を攻撃し返すという、なんとも情けなく、陰惨で、不幸な構図」(痛井ッ亭。氏のお言葉より)を所与のものとした言葉のプロレスだとかおっしゃっていたが、それをまさにご自分で反復されるあたりは素敵だな、と思いました。
でもまあ、自分の言葉で自分の観察し得た事象についてものを申されているだけなので、それについて私からとやかく申し上げることもございますまい。痛井ッ亭。氏とは気心が通じていらっしゃるようだが、まあそれもいいでしょう。
とりあえずメンバー批判、事務所を巡る状況批判をするのは結構だけれど、せめて自分の観察した事象に関して自分の言葉で、批判してほしいな、とだけ思っているわけです。痛井ッ亭。氏はその人・状況を批判する最低限のマナー(と私は思っている)を守らなかったから最低だ、といっているわけです。
そんな気はなかった、てへてへ、ってか。で、逆ギレ。何が「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」だ。盗っ人猛々しいとはこのことだ。
2chネタというのをどう扱うべきか、その慎重さに対する感性が全く欠落しているとしか思えん。まあ、2ch「固定ハンドル」としてそこの人たちと「なれ合う」のがお好きみたいだから、感性が違う、といわれればそれまでだが。
しかし2ch内の話をそこですませるのはまだしも、それをその外のブログで出す、ということにはことのほか慎重であるべきだ、と思うんだが、そうは思わない人もいるのかねえ。
2chなんて最初は悪口かネタかが微妙なスレッドが立っても、すぐに「アンチ」が押し寄せてきて、アンチスレッド化するのなんて、恒例のことで、そういう言説空間を自分は扱っているのだ、という自覚がない人間に何を話しても無駄。それはわかっているからこの男とは直接話しはしないのだが、また彼となれ合っている2chあたりの人とも別に話をしようとは思わないのだが、うちのサイトにアンテナを張ってくれているまともなブログ主が彼となれ合っているのを見るのはどうにも忍びないし、少なくとも2ch言説の扱いについてはおのおのもう少しきちんと考えてもらいたい、と思う。
繰り返すがあそこは本当にそれこそ「刑法」レベルの誹謗中傷が反復されている場所なのだ。そのことは改めて留意されたい。
私の2ch言及。最初はそれなりに中立的にとらえようとしているが、2004年後半から完全に敵意むき出しだな。
私の2ch批判には私なりの思想的基盤も個人的怨念も私なりの義憤もあるのだけれど、実際、実生活で2chを話題にしてみればわかるけれど、2chに書き込んでいるとかもしいったら、本気で軽蔑される場面って結構あると思うよ。それがわからない人はちょっとネットに浸りすぎだと思う。特に若い人は意識しておいた方がよい。まかり間違って就職活動とか、仕事での上司とかに2ch好きなことを仄めかしたら、結構割を食うことは厳然としてあるだろうし、それはまたやむを得ないことだと私は思う。
狼リテラシーの重要性(真に受けるか〜100%値引きして捉えるかの判断 =大人の常識
読者責任という発想
これがまかり通るのなら、世の中のあらゆる「誹謗中傷」はすべて「100%値引きして捉えるかの判断」をしてくれ、といわれたら消し飛んでしまうのだが。自分はこれまでさんざん他人のブログに書かれた俺様基準での「誹謗中傷」を攻撃しておいて。自分の明々白々な誹謗中傷書き込みへの好意的言及はこれだ。こいつはどこまで俺様基準でだけものをしゃべるんだ(呆)。
もういいでしょ。
上の引用を見てもらえればもはや明々白々。誹謗中傷書き込みがあっても「読者責任」で書き手はその責任は問われない。彼はそう言明したわけだ。匿名で何を書いても「読者責任」。誹謗中傷はすべてネタ。まさに2ch的居直りをこの男は100%肯定すると宣言したわけです。それが確認できただけでも甲斐があった。
他者には書き手責任を言い立てるくせに、自身は「大人の常識」、「100%値引き」、「読者責任」とやらで逃げ切るわけですね。この男の記述は今後そういうスタンスだと見なしてもかまわないわけです。それでもこの男の記述をまともに取り扱おうという人はどういうつもりなんでしょうか?
もうこの人は自分で何を言っているかのコントロールもできなくなっているんだろうね。
2007年03月17日
■ 良い加減
モーニング娘。が新メンバーとして中国からの留学生を迎える、というので、いわゆる匿名掲示板のみならずファンサイト掲示板でも捨てハン(言い捨て用ペンネーム)の者たちを中心に政治的に扇動的な書き込みが溢れ、ファン界隈で少しいやな空気になるかと思われたが。
その「留学生」の写真がネットで出回ると、結構空気が変わる。「可愛いからよし」。
それでいいのか?
いいのだ。
2006年12月25日
■ アンチ言説
正直この手の言説に関わると、こっちは疲弊するばかりでろくなことがない。これならまだ「アンチ」言説を相手にしている方がましだ、と書きかけたが、アンチなどという立場がそれそのものとして成立するはずがなく、それ自体が別の立場を隠蔽し、その隠蔽した立場から対象を攻撃する言説こそが「アンチ」言説の正体だ。
■ 幽霊言説
ある事象に関わる二つの立場があったとしよう。仮にそれをA,Bと呼ぶ。その事象について当事者意識をもって何かを述べるものは、A,Bいずれの立場に立って語っているのかが明らかであるというのが一般的だ。もっとも第三の立場というものも成立する。A,Bいずれの立場とも異なるCという立場を取る、それも可能だ。しかし「当事者意識を持って」いる限り、CもまたA,Bと同じ地平にある。ある事象の登場人物として直接は立ち現れてこなくても、Cもまたこの事象に関して一定の利害関係を担う隠れた登場人物としてそこにいる。
こうした「当事者性」を保持した語りとは全く別の言説がある。その事象のどこにも存在しておらず、あるいはその事象のどこにも関わらないことを暗黙的・明示的に語り続ける言説である。その言説には立つ場所がない。何の足場も持たず、ただどこからか漂ってきて、その場限りの言葉を投げ捨てる。その事象に関する利害関係はない(と主張する)、それ故己は客観的だ(と主張する)、そうして事象に関わる利害闘争には巻き込まれず、己の安全は担保にとって、事象に対して言葉を投げ捨てる。このような言説を「幽霊言説」と呼ぼう。
2chは匿名を基本とするが故にこの「幽霊言説」を生産し続ける。しかし匿名性が幽霊言説の本質ではない。ただ自分は事象とは直接関わらず、すなわちAともBとも独立の立場であることを表明し、しかるにCの立場性を説明もしないでいることこそがこの「幽霊言説」の構造である。
この幽霊言説は鵺のように立場を自由に移動させうる。ああいえばこういう、それが可能である。少なくとも正体を明かさず、あれこれいうのだから、まずはおまえは何者かを問うところから始めないと話が始まらないのだが、その正体を明かすことをひたすら遅延し続ける。時には法律だ、一般常識だ、それを振りかざして己の立場を明かさない。
不毛だ。疲れる。
2006年11月28日
■ 批評と中傷
誰それの歌はぬかみそ腐る、とか誰それの演技は正視に耐えない、は批評だが、誰それは子どを堕ろした、とか、誰それは整形手術をしている、は名誉毀損である、このことがわからない人間はネットで文章をさらすべきではない。
2006年07月02日
■ 移転
いろいろ思う所あって「はてな」より移転。
過去ログを全部引き継ぐためにはマイナーなブログシステムより、メジャーなMovable Type、ということで書き込みなどはかなり重いけれど、当面はこれで運用してみる。
しかしはてなの時とは違って、いちいちhtmlタグを自分で書かなければいけないのがかなり面倒だ。もう一つ運営しているサイトで用いているμ-sはphpベースの割と軽いシステムだったので、かなり自分好みにカスタマイズできたのだが、Movable Typeはそうも行かない。
移転したと言っても、しばらくはテスト運用。まだ移転の案内は全くしていない。さりげなくリンクだけは張り替えているので、気づいてきていただいた方へのさしあたりのご挨拶。
それにしても逝的人間さんにリンクを張っていただいたばかりなのに、タイミングが悪い。ご無礼の段、平にご容赦を。
2006年06月24日
■ 反省
いやはや、参りました。
某キーワードに関して編集に関わった方をまとめて批判しましたが、その中で最後に議論をしていた方はとてもまともな主張をなさっていた、ということに最後に「分かった」。件のキーワードの存続に関しては私は未だ問題意識を持っていますが、とりあえず、その削除待った!、という主張自体はもっと慎重に傾聴するべきでした。
というわけでtriptych1989さんには数々の失礼な対応をしたことを深くお詫び申し上げます。
キーワード全体に対する私の主張自体はまた改めてまとめたいと思います。論点は「主観」と「客観」、「具体」と「抽象」そして立場の「一貫性」です。概略をいうと、キーワード編集(作成、削除を含む)に「客観」性を要求するのは違うのではないか、それらはそのキーワードの対象に関わるものたちの「主観」的な思いのもとになされてしかるべきものである、ただし、自分と同じレベルの主観を相手も持っている、それゆえ最低限の一貫性は保持しておかないと、自分にとって不快なものは削除するが、他人にとって不快なものの削除は許さない、ということを相互にやり合う、およそむちゃくちゃな「闘争」状態に入ってしまう。
ただキーワード削除基準が現状、人によって違っており、その部分での諍いが生じるのはどうにもやむを得ないところだと思います。つまり「お互い不快なものは極力削除してしまいましょう」という立場と「お互い不快なものであっても情報は極力残しましょう」という立場はいずれも双方とも一貫性を持っており、いずれが妥当とも言い難い訳です。
この両者の対立に対しては私も悩むところです。基本的には私は後者の立場ではあるのですが、しかし後者の立場を取るものには、しかしそれだけに絶対に忘れてはならない重要事項があると思っています。それはたとえ一人であっても、その言葉で深刻に傷を負うものがいるのであれば、それには最大限の配慮が必要である、ということです。もちろんこれもまだ非常に曖昧なものです。「深刻な傷」というもの自体が流動的なものであるからです。しかし大原則としてはこの事項を考慮に入れておかないと、一つ間違えれば、無神経なマジョリティによる集団いじめのような現象を生成する危険性が出てきてしまう。
それでは前者と後者の対立がなくなるではないか、というとそうではありません。上の留意事項は、たとえ一人でも当事者の深刻な告発は尊重せよ、ということを言っているのであるのに対して、前者(不快とおぼしき情報は極力削除)の主張はより抽象的なレベル/段階での判断を要求するものなのです。そしてその抽象的なレベルでの判断とは、しばしば「常識」を根拠とする。それでは逆に「たとえ一人」の深刻さを取り逃がす危険性をもってしまう、私はそのように考えているのです。
未だまとまっていませんが、また後で考えたいと思います。
2006年06月20日
■ ヒトリゴト
なんか梅雨時のためかどうだか知らないが、蠅が集って困っている。ここぞとばかりに「その周辺」の連中が集るんだよな。しかもなぜだか順序よく。
こういう蠅が集まる場所からは早く逃げ出したいのだが、いかんせん時間が取れない。
2006年06月15日
■ コミュニケーションを全力で拒絶するもの
「話せばわかる(はず)」という前提が実は一番暴力的なのだ。
話してもわからないことがある、システムというものはその可能性をどこかに含み込んでおくことによって、逆にその幅の広さを持つことも出来るものだ。
コミュニケーションを全力で拒絶しているものに「話し合いで解決」などというのは偽善にもならない。もしその対象に何かできることがあるとすれば、それはただその全力で拒絶する意志を作り上げたものが何であるのかを想像することだけである。そしてコミュニケーションを全力で拒絶するという態度は、「話し合いで解決」なる欺瞞への抵抗を含んでいるのではあるまいか。
いずれにせよ、コミュニケーションを全力で拒絶しているものへの最後になしうるコミュニケーションとは、拗くれた態度に執着するその主体を消去することだ。酷薄なようだが、しかし「執着」への固着からの解放してやるにはそれよりない。
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トラックバック代わりに
2006年06月12日
■ 移転について
できればこれまでと違うシステムを使いたい、ということで定番のMovable Typeを使おうと思っているのだが、我が貧弱なるサーバ、データベースを使うためか、どうにも動作が重い。また大規模なシステム故、全容がなかなか見えず、カスタマイズするのもちょっと苦労しそうだ。という訳でもう少し研究中。
2006年06月11日
■ キーワードはだれのものか
なかなかまとまった時間が取れないので、論点を思いつくままに書き連ねる。
私はある個人が芸能人なり著名人なり、そうではなくても何かしらの表現物の作者およびその表現物に対して、辛辣な批評を行い、それを「誹謗中傷」だと受け取る人が現れても、それはそれで仕方がないと思う。不満があれば、不満に思う人が自ら場を設けて反論するよりないことである。もっとも表象されたものではないゴシップネタのようなものはまた別の評価となるだろう。
重要なのは、その批評を行ったものが誰なのか、その批評文の文責が明確なことである。「誰」と言っても本名が明らかになっているとかそういうことではない。筆名であれ、ハンドルネームであれ、場合によっては書き捨てのための仮名であっても、その内容の責任の所在ははっきりしている。書き捨ての仮名で書かれた内容にはそれにふさわしい評価付けがなされるだけのことである。それもまた文章表現に対する一つの責任の負い方ではあるのだ。
その意味では、匿名掲示板に書き連ねられる内容もまた、文責ははっきりしているのであって、それは確かに掲示板運営者とは別の存在である。もちろん掲示板運営者には運営者としての責任は問われるし、現に負っている。しかしそれは書き込まれた内容に関する文責とは別の責任である。その意味で匿名掲示板運営者が、自分たちはインフラを提供しているにすぎず、内容には関知しない、と仮に言うのであれば、それはそれで筋が通っている(そうであるからにして、例えば「電車男」の著作権を2ch運営者が主張することもなかったはずだ)。
はてなのキーワードはそうではない。このシステムは複数の者が一つのキーワードを共同して編集するものであって、個別の編集者が今あるキーワードの内容に関する責任を負うのは難しい。そしてまた権利を主張することもできない。実際、はてなユーザ以外の者がはてなキーワードを見れば、その編集履歴は隠されており、単に「はてな」のキーワードとしてしか認識されない。またはてなダイアリーガイドにおいても明確にキーワードの知的財産権ははてなに帰属するとうたわれている。こうした意味においてキーワードの内容を語っているのは「はてな」自身でしかあり得ないのだ。キーワードに特定の主張が掲載されたとする。その主張が掲載されている限りにおいて、その主張は「はてな」が語っている。果たしてはてな運営サイドにはその自覚があるのか。語り手としての責任を全うする覚悟があるのか。
そしてはてなに登録された数多くのキーワードはネットの検索エンジンなどの働きによって、多くのネット利用者のアクセスをはてなに引き入れる役割を負っており、それ自体は全く正当なことであるが、運営者である株式会社 はてなはそれを元に収益を上げている。その意味ではてなは確かにキーワードを所有しており、その所有権を行使しているのだ。
権利のみを得て、責任を果たさないとすれば、「搾取」とのそしりは免れがたい。はてなはキーワードの所有者としての権利を主張し、かつ行使しているはずだが、一方でキーワードの語り手としての責任を果たしているのだろうか。その責任をユーザ相互の「意見交換」を尊重するといった美名の元に投げ出しているだけではないのか。
2006年06月10日
■ 移転検討中
はてなからの移転先は現在検討中。自前のサーバを使うということも含めて。ただどのシステムを用いるか、折角だからMovable Typeにしようか、これまで別に運用してきたPHPベースのシステムにするか、など悩みの種は尽きない。
移転しようと思ったのは、単に一つのキーワードの問題ではない。それは契機とはなったが、理由はもっと別にある。私ははてな運営側の考える民主的言論とでもいうべきもののあり方に対してある疑念を持っているのだが、そしてその疑念は突き詰めれば、はてなキーワードシステムを運営するのに必要な責任を放棄することによって、結果的にユーザによるキーワード編集の成果を搾取しているのではないかというところにつながるのだが、その議論をまとめるのにはもう少し時間が必要。4月5月働き詰めの分の休みももう終わり、またしばらくは仕事をしなければならず、この作業をする時間がなかなかとれそうもない。
まずは契機となったそのキーワードの行方は見守る。はてな運営側が口にするユートピアは果たしてネット言論に到来するのか、一つのケースとして観察しよう。
2006年05月02日
■ mourning musume.
恋はいつかは終わる。常にそのように覚悟をせざるを得ない恋しかしてこられなかった。だから逢瀬はいつもこれが最後かもしれない、という覚悟を伴っていた。おかげで最後の逢瀬の記憶は常にしっかりと胸に刻まれている。15年前も、5年前も、去年の記憶もまた。
後は、いつかどこかでばったり出会うことを妄想するのみ、だが、出会ったときにどれだけ胸を張って語れることがあるか、だと思う。そしてそれが今は甚だ心もとない。
互ひに知らぬ場處で「頑張つて」生きてゐることを信じて、なほかつそのやうに生きることを實行することがすべてだとおもふ。
それがすべてだが、なかなかできない。
■ 裏事情
「裏」を読むというのが嫌いだ。
何ごとにも裏と表があるという。そして私たちに見えている「表」で納得ができないことがあると「裏」の事情というやつがしゃしゃり出てきて、「表」を説明し、解釈してくれる。それで私たちは何事かを理解し、納得した気になる。
「裏」は裏なのだから、誰もその内容を確認することはできない。しかし「表」の背後に実在し、「表」を支えている何ものかなのだから、「妄想」とは区別される。「裏」の事情を推察する権利は誰にでもあり、しかしそれは妄想とは違い、事実のあり方を左右するかのごとく流通する。妄想と出自は変わらないはずなのに、語り手が「裏」だと言い張れば、事実に介入する権利を獲得できてしまう。「裏」は事実のあり方を決定するという意味において、事実の上位に立つ。
「裏」など存在しないのだ。もちろん私たちの知らない事実、事情というのはあるだろう。それは端的に私たちは知らないのであって、それについての語りはすべて妄想に他ならない。もちろん妄想大いに結構。文化は妄想に支えられてきたのだ。
妄想もまた事実の一断片を構成する。ただし妄想は「表」にある。それは「公式発表」などと並んで陳列されているのであって、言説の一部として事実を構成しているのだ。
2006年02月26日
■ 白い
デザイン変更。
「白い・・・」。
■ デザインテーマ
といって、単にテーマCityのデフォルトの配色に戻しただけですが。
画像を使わないという制限の中で、テーマをそのまま使うことによって他の人と全く同じデザインになるのは避けたいと思っているのだが、なかなか難しい。
今までは背景色を変えることでそれなりに雰囲気を変えていたのだけれど、飽きてきたのでシンプルなデザインにしたくなった。シンプルといえば白だろう、というので白くしようと思ったらそれがデフォルトの背景色だったという。
まあとりあえず「白い・・・」からいいや。
2006年02月24日
■ 「抵抗」としての論理(メモ)
「私」にとって違和感があったり、時に不愉快であったりするものの存在を容認、尊重する力を授けるのが論理性ではないか、などと思ったりする*1。
2006年02月23日
■ 追記
ありや、今見たらまだ終わっていなかったようで。eulearさんが妥協に応じた時点で終わりだと思っていたが、まだ続くのか。nozorinne2さんの主張も正当なんだけれど、ねえ。
今はムラ社会がネット文化も支配しつつあるから評議会にかけて多数決になるとこのキーワード自体が消えちゃうよ、きっと。元の内容も議論の経緯も貴重なものだから、消してしまうのはいかにも惜しい。eulearさんが引いたのもその辺を鑑みての上なのではないかなあ。
■ ムラ社会・モヒカン族についてのメモ
「ムラ社会」は「常識」と、そしてムラ内部の「合理性」を重んじる。「合理性」とはムラ社会のある流儀(「常識」)を正当化するイデオロギーにすぎない。
「モヒカン族」が重視するのは「合理性」ではなく、論理性である。論理性に裏打ちされたものを合理的であると見なすのである。
■ 追記2
フレーム化していた(いる)ので突っ込まないようにしてきたのだが、終わったと思って言及してしまった手前、もう少し考えてみた。
# nozorinne2 『「紺野」と内容が重複していますね。本名とは別に愛称のキーワードが独立している場合は、愛称を愛称の解説のみを書き、本名に生年月日などの profileを書くことが通例となっています。当キーワードの場合ですと、「紺野」が大元のキーワード。「紺野さん」が紺野の愛称という扱いになるので、紺野への誘導キーワード、あるいは紺野さんと呼ばれる場合はどんなときかなどの解説を書く以外に役割は果たせません。』 (2006/02/23 23:55)
これは非常に正しい指摘だ。「紺野」と「紺野さん」で同じ内容のキーワードを造ることにはいかにも意味がなく、「紺野さん」は「紺野」が指示する特定の人物に対する愛称としてのみキーワードとしての意味を持つ。
となれば、紺野あさ美を指示したい時、「紺野さん」という表現が単に姓+敬称ではなく、「こんこん」や「加護ちゃん」「なっち」などと同列の「愛称」として機能しているか、というのが焦点となるだろう。
それでちょっと興味を持っていろいろみてみたのだが、感覚的に言えば、紺野あさ美さんへの言及に「こんこん」とか「紺ちゃん」とかではなく、「紺野さん」が使われる比率が、例えば安倍なつみさんへの言及に「安倍さん」が使われる比率よりも高い、という印象を持つ(調査するほどの意欲はないので数値的に示すとかそんな気はない)。それは他のモーニング娘。(卒業者含む)メンバーとの比較からしてもそんな気がする。つまり紺野あさ美さんにおける「紺野さん」という指示語はそれ相当の「意味」を持っているのではないかという気は確かにするのだ(実際に数えたわけではないので間違っているかも知れない。従ってこの一文をキーワード論争の素材にはしないように)。
ただ現状の解説文「親しみを込めて」では説明としては足りないように思う。むしろ「名字」+「さん」は他の愛称に比べると疎遠な印象を持つ。それにもかかわらず紺野あさ美さんに対してはファンがすすんで「紺野さん」を愛称として採用するとすればそれはなぜなのか、それが「紺野さんと呼ばれる場合はどんなときかなどの解説を書く以外に役割は果たせません」に対する実践的な解答となるはずだ*1。
*1:ただしその解を示したところでおそらくキーワードの削除動議はなされ続けるものと思われるので、この「解」を示すことはキーワード削除論議への「解」にはならない
■ ムラの掟
しばらくそれどころではなく、放置している間にもめにもめていたキーワード「紺野さん」が解決した様子。途中でいろんな人が出てきてしまって、議論が面白くなくなったというのもある。途中までは、両者の議論はすれ違ってはいたが、そのすれ違いが「ムラ社会」人間と「モヒカン族」人間との間のすれ違いの一ケースとして非常に面白かった。
結果としての妥協点は、まあこんなものか*1、と思うが、しかしずいぶんと「艶」がなくなったものだ、と思う。合理的で正しいがしゃれがない。こういう風にして世の中からしゃれというのがなくなっていくのだろう、と思ったりもする。
ちょっと面白いのは技術至上主義的な立場に立つ「モヒカン族」サイドに立っていた人の推していた内容の方がしゃれっ気があって、「ムラ社会」サイドに立っている人の推す内容の方が合理的と言えば合理的だったことだ。ちょっと見には逆になりそうに思う。しかし世の中得てしてそういうものだ。実際このサイトは途中からモヒカン族グループのキーワードがリンクされるようになっているが、それらを見てもらえれば(例えば「善意」とか)、その辺の感覚はご理解いただけるものと思う。
ムラの掟というのはその狭い世界において合理的かつ厳格なものだ。ムラ社会に棲まうものはそれを至上のものとしてしか生きていけない。それはきっと尊重しなければならないのだろう。ただどこかでその掟を揺るがすような攪乱要因を残したい、私がここでテキストを書く理由の一つにはそれがある。
もはやhatenaユーザしか見られなくなってしまった元の「紺野さん」の内容をここに残す。
紺野あさ美。モーニング娘。5期メンバー。食いしん坊な癒し系の女の子。けっこうかわいい。
ハロプロファンのダイアリーでは、親しみをこめて「紺野さん」と書かれることが多い。
ついでにキーワード「加護ちゃん」も是非見て欲しい。今、この状況なればこそ胸にしみるものとなっている。加護ちゃんは、今でも加護ちゃんなのである。
*1:それでも2006/02/23 21:06:32の更新は「最悪」で、当初このキーワードにあった「艶」を残す余地を一切なくしてしまった
■ 追記3
ついでにこの手の削除合戦には必ず「キーワード削除反対論者」が一枚かんできてよけいに議論がおかしくなるのだが、実を言うと私はこの「キーワード削除反対論者」と近い思想(のようなもの)は持っている。「ゴミ」のような情報の中にたからものがある。それがネットのよいところだ。前にも引用したeulearさんの記述。それはべつとして... - キーワードの件などなど。 …續きを書いた。
マイナーな亊物をも流通させることができるのが電網の良點なのだといふことを忘れないはうがよい。
に対する共感も同じものである。その情報が存在することによって具体的に迷惑を被る状況が生じる*1、あるいはシステム上そうした「ゴミ」情報を抱える余裕がない、という場合を除いては情報は極力温存されるべきだ。それがこの社会の余裕というものだ。それを認めない「削除論者」の理想とするものとは根本的に違うようだ。
キーワード論議に関心のない人も多いと思うが、これは大げさに言えば社会論にも通ずる議論なのである。
*1:この問題はこの問題で非常に重要である。情報は単に垂れ流されればよい、というものではない、というのもまた改めて強調されるべきことだ
2006年02月21日
■ 「正しさ」を希求する言説
人は正しくありたい、と思うところをどこかしら持っているだろう。そしてその「正しさ」に確信が持てない場合、どこかに「正しさ」の根拠を見いだし、己の正当性を再認したい、そんな欲望を持っているのだろう。「正当性」それは確かに社会的存在としての人間の行動原理に深く刻まれている。
しかし自身の行為なり発言が正当なものであらんとする心性と、「正しいこと」を述べることでもって、自身の正当性を再認しようとする行為には大きな違いがあるように思う。「正しいこと」を主張している私は正しい、この「正しさ」の再認プロセスは自己準拠的なシステムを構築し、閉ざされた論理の中で肥大化してしまう。そしてそれとは別の「正しさ」の可能性を閉ざしてしまう。自身の信ずる「正しさ」に反する者は「悪」なのだ。そうした言説の行き着く先は「プチファシズム」だ。
民衆はどんな時代でも、敵に対する容赦のない攻撃を加えることの中に自分の正義の証明を見いだす。
「世間」というのはこの自己準拠的システムが見いだした「外部」なのであろう。私の正しさは世間の常識が支えてくれる。そこに私の正しさの根拠を置いている限り、私は自家撞着には陥っていない。
しかしそれは本当に「外部」なのだろうか。社会は多くの「正しさ」を抱え込んでいる。その中の一つを参照しただけで、それが今私が主張している事象において一番の優先順位を持っていると判断したのは私なのだ。私が主張している「正しさ」と同じものを社会が持っているからと言って、私の主張することが正しいことを保証してくれるものではない。そして「世間」とは、私が選択した優先順位付けを共有している者を「みんな」とすることによって造られた閉ざされた空間ではないのか。
私はここで価値相対主義を主張したいのではない。ただ「正しさ」を目的化することの危険性を言いたいだけだ。「正しいこと」はきっともっと曖昧な形でしか存在しておらず、個々の利害関係者の葛藤のプロセスの中に事後的に見いだされるものなのだ。喫煙問題でも、キーワード問題でも、己の利害を(おそらく善意に)隠蔽して「正しい」ことを語る者たちの言説を読むにつれ、そう思う。
2006年02月09日
■ キーワード削除に関する補足
上のエントリを読み返して、やや早書きすぎたな、と思うところがあったので補足。「情報の削除」の理由として二つをあげたが、これは一般論。「はてな」の場合にはもちろん「はてな」のローカルルールも重要だ。
このルールに反しているキーワードはもちろん削除されても仕方がない。そしてもちろんこのルールは上で挙げた「1」を含んでいる。前に書いたように「2」は「はてな」システムにおいては削除の理由とはならない。つまり「はてな」のキーワード削除の是非に関しては上記ガイドラインを参照すれば十分ということだ。そこからはずれた「一般論」だとか「常識」などは意味を持たない。もちろんガイドラインを読むのには「常識」は必要だろうが。
■ 切り棄てられるもの
先日来リンクを貼らせていただいている「それはべつとして...」さんのサイトの中で特に私が共感した文を改めて引用させていただく。
ある語句がキーワードとして制定されるには、それなりの必然があつたからに違ひないはずで、しかも、運用の過程で新たな用途が發生してゐる可能性さへあるのだ。一般論を判斷のモノサシとして振りかざし、それらを切り棄てゝゆくといふのは、物亊の「別の局面での在りやう」を無きものとする發想だ。
これはネットの情報の関する指摘にとどまらない。もっと社会一般に広げても妥当する指摘だと思う。特に今の社会において行われているこうした「切り棄て」の問題こそ、私が今一番考えようとしてきたことではないか、とさえ思う。
これについては今後じっくり考えていきたい。
■ ムラ社会
仕事の締め切りが迫っている(というかすでに遅れている)ので、あまりまとまったことはかけない。とりあえず先日書いた「ムラ社会」「モヒカン族」の問題について、いずれ近いうちにきちんと書きたいと思っている。この概念について知ったのはそれはべつとして...さんのサイトを読んで初めてだったのだが、しかし前々から同じようなことは思っていた。ネットという情報流通の場を支えて来たものたちとそれとは全く別の「常識」とやらを持ったものたちとの対立。
私が初めて「はてな」においてキーワード論争とやらに関わったとき、私は根本的に誤解していた。キーワードを削除しようなどという運動を起こしているものたちの動機を完全に誤認していた。情報の削除などというものを行うのは私にとっては二つの理由しかあり得ない。
- 情報を掲載されることにより、その情報の当事者が迷惑をするというケース
- 技術的理由により情報がこれ以上増えるとシステムが破綻するというケース
私が昨年の7月に関わったときに問題になっていたキーワードは1が問題になっているとは思われなかった。だから私は2の問題だと思いこんでいた。それならば優先順位付けを、そのキーワードに関わる場にいるものたちが付けなければならない。それで私はキーワードの選別に賛同したのだ。しかし私は無知だった。情報収集を怠った。システムサイドはキーワードの削除など必要としていなかった。まだ十分余裕があるし、もし将来余裕がなくなることがあってもシステムの増強で対応するつもりのようだった。そりゃそうだわな。それが「はてな」の売りだからだ。
私は己の常識(まさか上記二つ以外の理由でキーワードの削除など行うものがいるなど思いもしない)にかまけて情報収集を怠った。その点は今更ながら自己批判しよう。
それにしてもキーワード削除に熱心なものたちの「常識」のなさには改めてあきれる。一時は削除の理由として「リンクスコア」などというものを持ち出していた。「リンクスコア」の持つ意味、それをあえて低く設定するということの持ってきた意味を全く黙殺してキーワードの要不要に意味をすり替える。キーワードとその周辺の事柄が置かれてきた文脈を全く無視して、自分勝手に設定した「常識」とやらで物事を裁断する。「常識」が聞いてあきれる。
まずは「リンクスコア」をキーワードの要不要の問題にすり替えた議論をしたものたちは、「リンクスコア」が持つ意味、それがどのような議論を経てどのような意味を担ってきたのかをきちんとフォローし、その上で改めて己の見解を述べよ。キーワード編集に関わるのはその後だ。それもしないで、自分勝手な主張でキーワード編集に関わる資格などありはしないのだ。
2006年02月08日
■ キーワードの効用
昨日リンクを貼らせていただいたそれはべつとして...さんのところに「ネットでものを書く」ということに関する本来当たり前だが、忘れられかけている重要な指摘を見つけた。
ファンサイトであつても、インターネットを利用して文章の公表をする以上「誰が讀んでも判るやうに」書くといふのは必定なのだ。「はてな」ではそれをコマゴマとしないで濟むのはキーワードによる內容補足があるからだ。
いかにもその通りであって、私も「はてな」ではないところで娘。関係の文章を書くときとここで娘。関係の文章を書くときとでは明確に説明の丁寧さを変えている。「はてな」を使わず娘。関係の文章を書いていたときには、どこまで説明が必要か、どこまで一般的な大衆文化として通用するか、その兼ね合いにはそれなりに神経を使ったものだ。「はてな」はそうした手間を省かせてくれる。一般人の理解しがたい「ヲタ」用語であればあるほど、キーワードによる補足は重要なのだ。実際ハロプロメンバーの顔文字のキーワードは私は非常に重宝している。いちいち覚えていないものが多数あるからだ。キーワードによる補足なしでは文意が理解しがたいサイトがモーヲタである私でさえ散見される。
マイナーな亊物をも流通させることができるのが電網の良點なのだといふことを忘れないはうがよい。
これまた当たり前のことながら、重要な指摘である。こんなことさえ改めて指摘されなければならないムラ社会*1の良識とやらにはうんざりする。
2006年02月07日
■ キーワード
キーワード論議にはもうあまり関わりたくはないのだが、非常に重要なことを書いている指摘を見つけたのでリンクを貼らせていただく。
キーワード論議に興味のある方は是非一読を。
2005年11月29日
■ 更新情報
理由は分からないけれどアンテナで重層的非決定の更新情報が取得できないので、こっちで告知。
政治的な話とかが多いので、万人にはお勧めしません。ハロプロネタはほとんどありません。
それにしてもあるときまで取得できていた更新情報が取得できなくなるとは、合点がいかぬ。事と次第によってはこっちも覚悟が必要。アンテナに関しては*私*が利用しているのではなくて、情報流通のインフラとして使われているもの、それを特定の政治的主張を排除することは許されぬはず。
2005年10月08日
■ 部分移転
先日予告しておりましたとおり、サイトの運営方針を若干改め、本ブログの一部を移転します。
ただし上記URLは恒常的なものになるとは限りませんので、
からアクセスしていただく方が確実です。まあ、URLが変わるときには告知はしますので、大丈夫とは思いますが。
移転先はこれまでここの[nacci]以外のカテゴリーの内容全般が対象となります。ということで「nacci]以外のカテゴリーの読者の方(いるのか?)はそちらの方をよろしくお願いいたします。向こうでもハロプロ関連は取り上げることもあり得ますが、かならずしも「ファン」としてのスタンスで書くわけではありませんので、人によっては不愉快な記述もあり得ます。
こちらのサイトでは引き続き[nacci]カテゴリーを更新していきます。たまに[memo」も書くかも知れません。政治ネタなどは扱いません。スタンスとしてはこれまでよりも「ファン」としての立場を意識して書きます。
もともとこのサイトはファンサイトではありませんでした。あくまでも社会・文化批評を行う場として設けたものであり、たまたま書き手がハロプロ・安倍なつみファンであった、というだけのことでした。そして政治・哲学・社会思想・アイドルを同時に、等価なものとして語る、という理念をサイト名に込めました。そうして私が目指したのは「アルチュセールでモーニング娘。を語り、モーニング娘。でアルチュセールを語る」というものでした。
上記もくろみはさておき、政治ネタとハロプロネタを同時に記述する、というのはとても危ういことであることはわかっていました。政治ネタ、その他のネタで本サイトにきた人にモーニング娘。の宣伝をするのは本意でしたが、その逆、モーニング娘。ネタで来た人にある種の政治的な主張を読ませるのは本意ではありません。元々のサイトはモーニング娘。ファンなど来るはずもないサイトだったので、そちらの方はあまり気にする必要がなかったのですが、ここ「はてな」に来てからは、キーワードシステムのおかげで、モーニング娘。関連で来る人が明らかに増えました。そしてまたファンサイトからリンクを張っていただけるようにもなりました。それは元のサイトの状況からするとまさに天国のような状況です。改めて言うことでもありませんが、私はそれをとてもうれしく、かつ誇らしく思っています。そしてそれだけにモーニング娘。関連で来ていただいた読者に対する責任のようなものを考えるようになりました。それはつまりモーニング娘。をある種の政治宣伝の道具にすることを止めなければならない、ということです。
わたしはファンサイトで「嫌韓・反中」感情を書き立てるサイトに敬意を表する気はありません。またファンサイトの掲示板でそのような書き込みをするものを軽蔑しています。わたしはモーニング娘。に文化的なユートピアを見ようとしている、それをくだらない、吐き気を催すような「政治」的亀裂を無理矢理生み出すような記述で汚すことを認めることは出来ない。しかしある水準で私がやっていることもそれと同じではないか、と言われると、本質的には違うと思っているけれども、表面的にはやはり同じようなものだ、と見なされることもやむを得ないとも思う。結局モーニング娘。を政治的対立の具にしているという意味では確かに大差はない。
別の角度からこうも言えます。「安倍なつみ」に対して中立的で、政治的には私とは真逆の立場の人がこのサイトを見たとき、私の主張に対する嫌悪感が「安倍なつみ」に対する嫌悪感にすり替わる危険性を排除できない。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というのは幼稚なようであれ、それほど馬鹿にした感情でもないだろう、と言うのが私には感覚としてあります。
いずれにせよ、そうしたことを、実はこれまでもそれなりに意識して、自分で言い訳をしながら書いてきた、それは少なからず私の書きたいことを書く、と言う上ではブレーキになってきた。しかしそれは元々サイトを運営してきた私の意図からすると少し違うのではないか、そういう思いが強くなってきたのです。
ものを書くという行為は人を傷つけることが多分にある行為である。それは一般的に言ってまさしくその通りです。そして「だからそれを意識して、書く内容をコントロールしよう」というのも正しいことです。しかし時にはそれとは逆に、「人を傷つけうることを知りつつ、断固として書く」ということが大切なこともある。それだけの覚悟を持った文章というものはそれだけの価値がある。私は本質的にそのように考えてきました。もちろんそれはただ「書き殴る」「書き散らす」と言うことではありません。そのような行為には覚悟もへったくれもありません。
私は、それなりにこのサイトの文章を読んでいただければ、わかると思いますが、多分にパラノイア気質を持った人間です。納得の出来ないことにはとことん食い下がる。客観的に重要である、ないの判断以前に、引っかかったものに拘泥する。それは情報に満ちあふれた現代、ちょっと情報を見聞きしただけで、物事を裁断してしまう「評論家」たちに対する抵抗という意味合いも多分に意識しています。
ファンサイトなどでなされる「評論家」的見方に反対する主張としては「そこに愛はあるのか?」という問いがある。まさにその通り、「評論家」たちには「愛」がない。ただファンサイトの言う「愛」と私の思う「愛」は違う。例えば「愛ある批判なら良い」という言い方があります。それはいわば自らを応援対象に対して教え導く、啓蒙的な立場に置くことです。私はそのような立場に立ってものを言うつもりはない。私の言う「愛」とは、言ってみれば「関心」のことにすぎず、批判とは対象のためにするものではなく、私自身のためにするものに他なりません。
例えば私はこのサイトで矢口真里さんに対して批判的なことを書きましたが、別に矢口さんに対するメッセージ的な意味を込めて書いたわけではない。単に彼女の言動が私からして不可解であったから取り上げたのであって、しかもそうした不可解さが、現代社会の症候の一つを表現しているように思えるが故に、私は矢口さんから目を離せないのです。改めて言うまでもありませんが、その症候は矢口真里さんの症候ではなく、私自身の症候です。
こうした態度は、しかしファンサイトとして読まれる限り、大いに誤読を招くものです。そしてそれは、たとえば矢口さんファンと安倍さんファンとの間に亀裂をもたらしかねない危険さを持っています。そのような亀裂をわざわざこの場にもたらすのは全く持って不適切でしょう。「批評」的言説の持つ力を一方で確信を持ちながら、それをこの場で行うことの意味を考えたとき、やはりここの場所で「批評」的言説を連ねることは止めようと思うに至りました。
長々と書いてきましたが、話は簡単で、キーワードからリンクが張られ、サイトの趣旨とは無関係に読み流される「はてな」の場では「批評」など出来ないし、するべきでもない、というのが私の結論です。あわてて言い添えますが、これは「はてな」批判ではありません。単に場の不整合というだけのことです。「はてな」自体は依然としてとてもおもしろい場だと感じています。それ故、この場はこの場として、少しスタンスを変えて残します。ここはいわば「ファンをする」という実践の場となれば、と思います。と言っても所詮「在宅ヲタ」、実践と言ってもたかが知れていることは今から明らかではありますが。
ということで長々と書きましたが、こちらと向こう、各々よろしくお願いいたします。
言い忘れましたが、こちらのサイト名は変更するかも知れません。今のところ未定です。
2005年09月15日
■ 思考メモ
仕事がせっぱ詰まってきていて、かなりフラストレーションがたまっているので、それを解消するための殴り書き。あるいは今後の更新メモ。
諸個人の選択と社会状況との関係を社会科学的な視野で見定めること。
死者をむち打つな、という論理、死ねば皆仏様だなどという論理で、当時の社会状況全体を免罪化することは出来ない。
戦争の免罪化は以下の筋書きで達成される。
死者を敬え→死者の選択に敬意を払え→戦争に荷担した軍人を責めることは出来ない→戦争は一般的な悲劇であって、死者はすべて被害者であり、誰かを批判するのは間違いである→戦争は災害などと同じもののごとく扱われる(批判の対象ではなくなる)
この筋書きのどこに飛躍(嘘)があるのか。こうした詐術を見破れなくなっている現代日本の状況。社会科学教育の貧困。
そしてこの詐術的論旨展開は各所で敷衍される。たとえば選挙結果批判への牽制。様々な社会批判を無効化させ、ひたすら現状肯定の論理を反復させる魔の論理。
同時に現状変革の魔の論理もあるはずだが、今思いついたところなので、時間があるときに考える。いずれも個人と社会とのずさんな理論付けによるものであるはず。
2005年09月02日
■ 悪夢
鬱状態である。
本当はすでに発売されているなっちこと安倍なつみの新曲「恋の花」なんてとうに入手済みで感想の一つも書いていてしかるべきなのに、まだ入手していない。火曜日から今日までずっと引きこもっていたのだ。
自宅でやらなければならない作業がある。それが引きこもる大義名分だったが、作業なんて1mmも進んでいない。ネットをつらつら見て、眠くなったら寝る。一日の睡眠時間14時間ぐらいだった。たぶん医者に行けば、しかるべき病名をつけてくれるのではないか、と思ったりする。
そんな状態なのに今日は授業。鬱の人間が、看護学校という鬱とは全く相容れない、むしろ躁状態の連中の前で授業をしなければならない。なんだか呼吸が苦しくなる。夜中に目が覚めたら寝汗をかいていた。なにやら嫌な夢を見ていた記憶がある。10時間先というほんのわずか先の自分の「未来」が見えない。
■ 雨 晴れ のち 鬱
結局看護学校の授業は、無理矢理躁状態になって、戦争責任問題やら教科書問題やらをしゃべり散らした。ま、授業の趣旨は私が勝手に決めてよいことになっている(のか?)ので問題なし、と。
授業の主な内容は、前に紹介した原爆開発に携わった科学者に私が扮し、学生さんからいろいろ追求させて、私がそれに回答するというもの。学生さんもそれなりに日本の被爆体験という「被害」体験には感情移入は出来るようで、いろいろ言ってくるが、私が扮する科学者の方が状況に対する情報量も多ければ、一応弁も立つので簡単に論破される。ちょっと学生さんを悔しがらせたところで、私の「詭弁」を解説する。ちょっと汚いやり方だが、きれい事を並べた(と学生さんが受け取る可能性のある)説明よりは効果的なように思う。そしてそのあたりから敷衍して、「戦争責任」一般の問題についてしゃべり散らす。
学生さんの戦争問題に関する関心はそれなりに高く、結構いろいろ質問してくる。特に靖国神社が、戦争被害者一般をまつっているものではない、というのは知らなかったようで、それなりにインパクトがあったようだ。
というわけで、躁鬱である。
2005年08月29日
■ 病原体
個人的な仕事の愚痴。
私は自分以外の「他者」を「馬鹿」だと思う気質は確かにあって、今日もそういう思いをしてきたのだけれど、考えてみれば当たり前の話だが、私以外の人もそういう風に考えている人はいるものだ。
「お、あなたも私と同類ですか。本当に困ったもんですなあ、がはは」となればよいのだが(よいのか?)、そうはいかない。他者を「馬鹿」だと思うプロセスが違うのだ。
私はたとえば目の前にいる人間の具体的な発言だとか行動だとか、ネットやほかのメディアを介しても、そこから伝わる具体的な発言を聞いたり読んだりして「馬鹿」を判定する。逆に読まれているかも知れないが、実はたとえば「若者一般」を馬鹿だとは思ってはいない。現在の言説状況に憂慮するところはあるが、そして一定の言説を生産する主体を「馬鹿」とラベリングはするが、特定の世代、いわゆる「若者」と呼ばれる世代に属する人間一般に関しては、現状はどうあれ、潜在的な能力や感性には究極的には絶対的に肯定的な思いを持っている。
だから逆にたとえば大学生一般を馬鹿と見積もり、それを前提に話を進めるやつとはどうにも共感が出来ない。結局そういうやつがやろうとしていることは、相手を低く見積もることで己の仕事の質を下げる言い訳を手にしようとしているだけなのだ。
そういうやつが「評論家」をしているぶんには一行かまわないが、教育産業に関わられると、「おまえは己の馬鹿を伝染する気か」と一括してやりたくなる。
2005年08月27日
■ 疎外からの回復
変に忙しく、かつ体調が悪い。
8月は13日間も仕事に出て、おまけにそれ関係の作業を自宅で大量にしなければならない。なにやら作業をしていると、何かを生産している気にはなるが、その成果物はすべて私にとって疎遠なものでしかない。まさに初期マルクスの「疎外」概念を地でいく話だ。全く達成感とか充実感などということを得るものもなく、といって機械作業、流れ作業でこなせるものでもなく、時間や肉体だけならまだしも、頭・精神をつぎ込んでこのむなしさ、何をやっているのだと思う。
そのフラストレーション解消の一環か、モーニング娘。の曲集めに精を出す。一旦集め出すと足りないものをなくそうと躍起になる。事務所には全然還元できていないな、と思いつつ、中古屋巡りをして、娘。名義の曲ほぼすべてを網羅する。ささやかな達成感を得る。
私は何をやっているのだ。
2005年08月11日
■ 残暑見舞い
郵政民営化に反対する奴らめ、思い知ったか!!!
既得権にしがみつく奴らのせいでこのままでは日本は駄目になる。そんな守旧派の奴らを追い出して、日本を立て直さなければならない。それこそが日本を救う唯一の道なのだ。このような大事な選挙をまさか棄権するなんてやつはいないだろうな。造反組を当選させた選挙区の奴らは非国民だ。
対韓国、中国に対する姿勢といい、小泉こそは日本の救世主、ヒーローだ。モーヲタも小池百合子さんが守旧派のやつと戦うから、全力で支援しよう。そうだ、エコモニ。のよしみで娘。も応援演説すればいい。
ついでにへたれ民主党なんてこの機会につぶれればいい。西村慎吾のおっさんだけは何とか自民に戻ってきてくれないかな。夫婦別姓論者の野田聖子は非公認、売国奴野中はいなくなったし、いよいよ全力で自民党を応援できるぜ。
さあ、みんなでこの機会に選挙に行って日本を少しでもよくしていこうぜ!!!
フラストレーション解消の一助になれば。
2005年08月10日
■ 注意
はてなシステム上、結構いろいろなところからアクセスがあるわけですが、本サイトは元々非常に政治的に偏ったサイトとして成立しています。というわけで、ハロプロ関係の読者は[nacci]カテゴリーだけを読むことをおすすめします。
といっても、サイト名はたとえばアイドルと政治思想を等価に語る、そして安倍なつみでアルチュセールを語るという理念を表したものではあるのですが。
2005年07月23日
■ 最悪
この人物のでたらめさを確認するために保存。
# UandU 『「不憫」とは「かわいそう」という意味ですか?不便ではなくて。私のハロプロキャラのAA削除移行に際して頂いた意見は日記上で散見され拝見したのですが、思うにこれはキーワード属性的には「愛称」に近い存在なのかという感覚を得ました。この愛称的AA登録をもって「このAAが持つ萌え属性レベルが近い同好」の言及日記を捕捉するために有用なのかという私側の理解です。復帰される意向をお持ちなら特に異存はございません。それなら何故削除したと言われそうですが、私個人で存在に疑問を持ち、登録及び使用者にこのキーワードの必要性をお教え願いたかったからですので悪しからず。しかしながら、これを「愛称的なキーワード登録」と分類しても機種依存文字の問題や完全一致特性に則さないという問題を孕んだままであり、存在の違和感が変わらないことは事実です。以上お騒がせ致しました。』 (2005/07/24 01:46)
「個人」で疑問?ほう。
で、お騒がせしました?ほう。
で、カテゴリー変更はそのまま?
自分勝手の域を超えていますね。
■ 地雷
# UandU 『このキーワードもid:althusserさんがいずれ復帰されるでしょうが、はてなダイアリーキーワードは削除することで問題提起(編集者にメールが届く)するシステムとなっています。しかしながら、私の問いに答えてくれた人が皆無で復帰というのはいささか寂しいですね。』 (2005/07/23 15:07)
編集もコメントもしたことのないキーワードに名前を出していただいて光栄でございます。
何というか、ヒステリー*1を起こさせちゃったみたいね。何となく人間像がうかがい知れるなあ。関わりたくはないけれど精神分析的観察対象としてはとてもすてき。
*1:キーワードの「ヒステリー」の説明の貧弱さにがっかり。きちんとフロイト先生の説明をふまえた説明文を書いてほしかったなあ
2005年07月21日
■ 荒らし
警告にもかかわらずまたもトラックバックを送ってきましたね。
そういえば「荒らし」の項目を読むと、最初からのこの人の行為はそれに該当するわけで。
ま、そういうことです。
■ 議論
半ば一般論ですが、議論というのはする甲斐のある相手とする場合のみ価値があるものです。例えば青山通りさんが疲弊しきって議論をやめてしまおうとされたのは大変にもったいないわけだけれども、一方で疲弊するのが当然であったわけで、それは議論をする方向、相手を間違えていたからです。それはもったいないよ、と私は青山通りさんに伝えられればそれでよかったし、私の見る限り常識的に伝わったはずです。
おかげで私は甲斐ない相手に付きまとわれてうっとうしいことこの上ないわけですが、それなりに慣れてはいるつもりです。私は普段の会議の場でも甲斐ない相手を追い払うことをあれやこれややっているわけで、おかげさまで一方では重宝がられ、一方ではうらまれているわけですが、私個人が恨みを買おうがどうしようが、議論がそれなりに建設的な方向に動けばそれで十分です。
■ 警告
キーワード編集は「はてな市民」のみが行える、というのがキーワード編集に関する大原則なわけで、30日間日記をつけることによって、その資格が得られる、というのはこのコミュニティにとって重要な意味を持っているはずです。
それを単にキーワード編集の資格を得るためだけに空白の日記をつけて日数を稼いでキーワード編集を行う人物とまともに話をする筋合いは最初からないわけで、その手の「とんでも」サイトからのトラックバックは受け付けません。
何度削除してもトラックバックを送信し続けるようですが、それもマナー違反もいいところですね。これ以上のトラックバックの送信は荒らしとみなします。
2005年07月20日
■ キーワード2
「お仕置き」なんちゃらというキーワードもいじったのだが、こちらはそのキーワードの編集者ではなく、ユーザに対するあからさまな侮蔑的表現が含まれていたので一応修正しておいたということです。
しかし不思議なのはそのキーワードの説明がそのような状態で残っているにもかかわらず、キーワードの必要性を主張されている方の誰もがその説明を修正せず、そのまま放置されていたことです。
まともに存続させる気がないのなら、自分たちで削除すればよいのでは?存続を主張される方の気持ちがよくわかりません。
■ キーワード
はてなキーワードについての議論が喧しい。
なるべく静観していたかったのだが、あまりにも一方的なやり方をする人がいて、どうにも我慢がならず反応してしまう。
そもそもキーワードを整理しようという意図自体が私には「おせっかい」としか思えず、あまり共感できないのだが、問題提起としてわからないこともない。しかし問題提起はあくまで問題提起であって、それをきっかけにはてなユーザの間でさまざまな議論が巻き起こって、一定の方向性が出ればそれが理想ということであって、性急に結果を求めることではない。少なくともあるキーワードを削除することで不満に思うユーザがいるのであれば、一旦はペンディングにして何らかの合意が出来るのを待つ、というぐらいの余裕は必要ではないのか。それでは何も進まない、とは確かに思う。しかしどうしても進めなければならない必然性があるとも思えない。実際削除をしている人がどういう「被害」をこうむるのかがまったく説明されないのでは、理解のしようもない。
件のキーワードについては私は削除もありだと思っている。しかしもう少し時間をかけてもよいではないか。安倍なつみにかかわるキーワードなんだから、安倍なつみの言及を日常的にしているユーザがいろいろ考えて、「やっぱいらないよね」となればそれで問題なく削除されるだろう。
私は私でid:natsumi-crazyさんに「やっぱいらないんじゃない?」という問いかけをする用意はある。しかし今の削除のやり方にはまったく同意できない。
2005年07月19日
■ 便りがないのが
またまた長い更新停止。
基本的にここの更新をするのは仕事がないとき。そういう意味ではあまり頻繁な更新は、私がまともに働いていない痕跡。逆に更新をしていないときは、仕事を抱えているときか、暑さで頭をやられているときか、その両方か。更新されていても、されていなくても、心配してね>なっち。
2005年06月21日
■ 締め切りのその後で
締め切りすぎているのに、まだ仕事が終わらない。
あまり詳しくは書かないが、「人の評価」を数値化してレポートとして出す作業。
仕事相手が理系人間で、数値化することを全面的に価値化していて、とにかく数値で結果を出すように言ってくる。しかしその肝心の数値化の根拠はあいまい。それでも数値化するという結果だけが重要だと割り切っているのがはっきりしていればそれはそれで、見上げたものだと思うしかないが、どうもそこまで割り切れているようには思えない。真に客観的な数値的指標があって、それを結果として出せるはずだ、と思っている節がある。それがいたたまれない。
理系の人が「人間」「社会」にかかわるととてつもなくナイーブになる、というのはこれまでも散々経験してきているのだが、なまじ自分たちの専門分野ではそれなりの仕事をしてきた人たちだけに、自分がどれほどナイーブなことを言っているのか、なんてことを想像してみることすら出来ない。「言説」に分析の主軸をおいた現代の社会科学も捨てたものじゃないですぜ、とつぶやくのみ。
2005年06月15日
■ ポイ捨て
20日締め切りの仕事が進まない。
というかやる気がしない。
ほとんど作業量0でほぼ一週間無駄にした。
まあ、仕事なんてそんなものなのかもしれないけれど、やってて全然面白くないし、というかむしろ仕事の内容は私の理念とは合わないし、要するにお金のための仕事でしかないし、なんて愚痴を言っても何も始まらないんだけれど、まあ、愚痴を垂れ流すのもブログの効用ということで。それで読者を失うのも私の自由だしな。
ホリエモンの言い分(ジャーナリズムの否定)を私はそのまま賛成はしないが、ある部分正しいと思っていて、「便所の落書き」の集積もそれ自体として価値を持つだろうと。もちろん「勝ち」といっても正の価値か、不の価値かはわからないのだけれど、何かの価値、あるいは社会的効果は及ぼしているだろう。
よくインターネットを評していわれる、ごみの山の中に宝がある、というのは半分間違っていて、ごみ自体が宝となりうるのだ、というのが正しいだろう。
結局何がいいたいってこともなくて、単に仕事をやりたくない、まともな思考をする精神的余裕がない、ということで。
バイチャ。
2005年06月05日
■ 学生−教師関係
ホテル住まいの仕事が先週の火曜日で終了。新たに看護学校が始まる。
看護学校もいい加減ルーティン化したいのだが、毎年こちらのざっくりした予定を裏切る学生の「質」の低さに、その場での軌道修正を余儀なくされる。今年もまたまたひどいのがいて、担任さんに「今年の学生はどうでしたか?」と聴かれ、思わず愚痴ったが、その愚痴には何の意味もなかった、と言った直後に後悔。いいたいことがあれば学生に直接何らかの形で伝えるしかない。そんなことはわかりきったことなのに、己の弱さがこぼれ出る。
大学。飽きもせずにハロプロメンバーの名前を借用したダミーデータを使用。そのデータを見た女子学生がぼっそりと「モー娘。すきやなあ」とつぶやくのが聞こえる。
ああ、好きですよ。悪かったな。もうこうなったら意地だ。次の日付計算用の資料は娘。の誕生日一覧を持っていって現在の年齢を計算させる練習問題にしてやる、かなあ。
2005年05月22日
■ 一ヶ月の収支
ようやく4月から私の精神と肉体の自由を奪ってきた仕事の先が見えた。
4月後半から今月末まで週4日ホテル缶詰でのお仕事。徹夜及びそれに準ずる作業をすること3回。この仕事をするために購入した資料代、数万円。
失ったもの、若干の人間関係、某ボランティア団体との関係(微妙にラッキー??)。
得たもの。50万円足らずの現金。
固守したもの。テレビドラマの視聴。なっちの新曲のCD、DVDの入手。
2005年04月30日
■ 小休止
ありえない重労働の日々も黄金週間により、ちょっと一息。
仕事中はずっとホテル暮らし。テレビの視聴が追いつかない。今クールのドラマもほぼ全て録画。この休みを利用して消化中。
さすがに内館某のドラマ「汚れた舌」とか何とかいうドラマは見るからに不快そうなので最初からスルー。アタックNo1も私の思うドラマというジャンルからは外れるのでスルー。それ以外の9時10時台のドラマはほぼ見ている、つもり。
今クールのドラマは、見ている限りははずれもないが、断然一押しというのもない。前クールの「みんな昔は子供だった」の子供に敬語を使う国仲涼子先生のような萌キャラが見当たらない。ドラマ自体の面白さでは宮藤官九郎の「タイガー&ドラゴン」なのだが、例えば伊東美咲を酒井若菜にしてくれれば最高なのだが、そのあたりの詰めがやや甘い。
仕事先ホテルではケーブルテレビのネットが使い放題。あまりの速さにやはり我が家のADSL1.5MBはもはや限界、と思って帰宅したら、思っていたよりも早く我が家にも光が来た。早速ThinkPadT40を使って速度を測ると6Mbbs。遅い、と思ってLet's NoteR3で計測しなおすと27Mbbs。T40の有線LANって遅いのか?よくわからない。
2005年04月09日
■ 碌なことがない日常の日々
憂鬱。いろいろ。
忘れてしまいたいことごとが山積。忘却力には抜群の自信を誇るが、全然おっつかない。他人のせいにしていられるうちはまだ良い。矛先を自分にしか向けようがなくなると、いよいよ精神的に追い詰められる。
そういったことごとの気を晴らす場面もない。なっちこと安倍なつみも全然「復活」してくれない。新曲発売間近だというのに全然盛り上がってこない。PopJam出演だけはあるようだが、天下のNHKが出すというのだから、どこに出てもいいと思うのだが、ほかの話がない。
とりあえず写真集発売とかいうことで、ヲタは盛り上がっているようだが、個人的に写真集にはあまり興味がないということもあって、そんな固定ファン向けの「閉じた」露出だけじゃあ、などとネガティブなことを考える。そしてそんな方向でものを考えるぐらいなら、情報を遮断したほうがましだ、という気にもなる。ネットでもハロプロ界隈はほとんど見ていない。ますますなっち不足。
もっとも露出不足なのはなっちだけじゃなくて、娘。全体でもそうだ。ハロモニ以外で娘。を見ない。関西人だしな。つまらない。
2005年04月05日
■ プッチ復活
いつの間にかエイプリルフールも過ぎた。
某取引先は3月31日を持って解散。その後は金の請求先もないのに、係っていた事業の後始末に奔走する。ボランティア精神のかけらもない人間なのに、そんな暇があったら家で寝ていたい人間なのに、というか、もっと金を稼げ。
なっちこと安倍なつみの新曲がいよいよ具体的に情報が出だす。曲が当初発表されていたのと変わって、「夢ならば」。なちヲタごのみの好曲との評判。私の好みとはズレるかも。まだ全然聴いていない。
とりあえず新曲発売前後には多少の露出はあるだろうか。取り立てて悪いこともないけれども、取り立てて情報もない低空飛行状態。ハロモニなっちの笑顔も3分咲き。こっちもそれに連動してか、開花見込み無し。
2005年03月26日
■ 腐敗する精神
なんと長い間更新していないものよ。
なっちこと安倍なつみが娘。コンだかどこかで新曲を披露したと聞くが、まったく蚊帳の外。テレビでの披露か、CD発売までのお預け。
身辺がいろいろ慌しい。3月末で解散する某三セク関連の仕事がようやく明日で終了するはず。小泉構造改革とやらがこうしたインチキ三セクをぶっ壊すことに狙いがあるのだとすれば、その限りにおいては支持しなくてはならない、と実感させられた仕事だった。でも実際はその三セクはぶっ壊れたが、その引き受け先がそれを上回る暴利をむさぼる「財団法人」だという落ち、まったく世の中変わらないものだ。
4月5月は別の仕事で、ちょっと私には耐えられない重労働が続く(週40時間強労働)のだが、6月以降の仕事はさっぱり。それでさる会社から仕事を手伝ってほしい、と依頼を受けたが、その会社、インチキ三セクでの仕事相手、これまた民間のくせにでたらめな会社でその尻拭いに散々走らされた会社。そこが根本から従業員をたたきなおすから、ぜひ来てくれ、とかそういう話ならともかく、下っ端の待遇で手伝え、とかいう話なので、あんなアホどもと同じ扱いあるいはその下で働けるかと、でも実際は気が弱いのでやんわりと断る。
忙しいとそれだけで精神が腐っていく。感動や感慨や悲しみや、そういったものがことごとく瞬時の体感レベルに押し込められて、それらが言語のロジックをくぐって一般化されることがない。きわめて浅い感覚で日々が過ぎていき、何かを突き詰めて考えるということを放棄している日が続く。
2005年03月13日
■ 年度末
とりあえず私の一番苦手な営業・客先でのプレゼンが終了。後は中身を作りこめばよいので、作業量は多いが、一応気は楽。それにしてもいつものことながら、世の中、いい加減なところで仕事が進むものだな、と実感。中身もまだないすっからかんの状態でのプレゼンでなんの突っ込みもなくスルーされてしまうのだから。
当面の仕事は看護学校の採点。40人分のレポートを木曜日までに読まなければならない。非常に気が重い作業なのだが、今年は答案をざっと見た限り、例年よりも文章がまともな感じ。問題に工夫を凝らして、単なる感想文が書けないようにした苦心が実を結んだ、と自賛。
3月で終わる仕事の後片付けと引継ぎもやらなければいけないはずだが、責任とか誇りとか言う言葉とは無縁の三セク相手なので、まともに仕事をするだけ無駄。あまりの無責任振りにことあるごとにいやみを言ってきたが、改善するどころかどんどん悪化。そりゃそうだわな。いやみ言われてまともな仕事をするわけもないしな。人はほめて育てなければならないということは特に最近身にしみてわかってきているのだが、学生さんならともかく私より給料もらっているアホを何で私がほめて育ててやらなければならないんだ、というのも多分それなりに正しいはず。でもそんな正しさをいくら押し出してみてもむなしいだけだった。まあ、もうかかわることもない奴らだから、どうでもいいが。
2005年03月06日
■ 王さまの耳はロバの耳
ただの仕事上の愚痴。
インターネットの虚空間に向けて、意味なく叫ぶ。
全然パーツが足りるわけないパズルを人に押しつけんじゃねえ。無責任な勘だけで仕事やってんじゃねえよ。
せっかく録画したハロモニなんて見る余裕がない。といって、ハロモニも見ずにキーボードを適当にたたいたところでぜんぜん仕事は進まない。私もいい加減ハッタリの多い人間だが、それでもハッタリだらけなのにその自覚があるのかないのかさえよくわからない人と仕事をするのもさすがに疲れてきた。
身近に愚痴を聞いてくれそうな人がいないのがつらい。そのパズルが絶対完成するはずがないことを再確認してくれるだけでいいのだが、それで私の憤りの正当性の一片が自分で確認できればそれでいいのだが、そんな人がいない。
年末にメールを出してみた人から返事が来たが、私がただただ前進し続けていることを根拠もなく前提とした内容だった。要するに、ただの儀礼メール。使えない。
2005年03月02日
■ 貧乏暇なし
うわっ。
ぜんぜん更新していない。
フリーで仕事していると、仕事の流量がぜんぜん調整できない。世間はどうだか知らないが、私の仕事許容量をオーバーしている状態がしばらく続いている。そんな状態が5月末まで。
仕事繁盛で結構なことだが、6月以降になると途端にほぼスケジュールが真っ白。それも含めて、どうしよう。
なっちこと安倍なつみ復活といっても関西の片田舎に引きこもっていると、実は全然実感がない。まだ「復活」以降一度もなっちの動いている姿を見ていない。復活しているのに「なっち、元気ですよ」なんて情報を語るゴマキいうなぁ〜こと後藤真希も相変わらず可笑しいが、その情報を有難く感じる状態というのもね。
とりあえずは次週のハロモニか。仕事でリアルタイムに見られないや。
2005年02月23日
■ 悪循環
なんとなく気分がむしゃくしゃする。理由はたぶんに個人的なことだ。
なんとなく寝付けないので、ネットめぐりをする。比較的好意的に見ていたサイトに次のような文を見る。「無断リンク禁止」。
一気にさめる。逆にむしゃくしゃした気分が増幅される。そんなことを言うなら「ネット」という大通りで商売するのやめろよ。公の場で大声でしゃべりながら、内容は聞くな、というのに等しい。いったい何様だ、と思う。ネットという文化に対する根本的な考え方の違い、と言うしかないが、この両者の隔たりは右翼・左翼とかそういう政治的な隔たりをはるかに超えるものがあるようなので、その手のサイトには最初から近寄らないのが吉。私は2chを好いてはいないが、それでもネット文化としてははるかにその手のサイトよりは好意的に見ている。
もちろん私のサイトはすべてリンクは自由、引用も自由、「リンクを張るのも、はがすのも、晒すのも自由」を掲げているが、しかし無断リンク禁止のサイトだけは一切の言及を禁止と主張しようか、と思ったりする。GPLと同じ理屈だな。残念ながらわがサイトにGPL的な理念を掲げるだけの価値はないけれど。
安倍なつみの件とつなげようと思ったのだが、うまくつながらなかった。とりあえずなっち最高、ということで。なんのこっちゃ。
次回ハロモニにもなっちは出ないらしい、といううわさを聞く。ますます持って気分が落ち込む。
2005年02月17日
■ 没落したままの引きこもり自営業者
月火と二日働くと水曜日は疲れ果てて、一日ごろごろしている。木曜日にようやく持ち直し、ここの更新でもしようか、という気になる。日々働きながら、日々サイトを更新できる人を正直尊敬する。
3月いっぱいで今の業務委託元との契約が終わる。契約が終わるというより、業務委託元の会社自体がなくなってしまう(解散)。新たな仕事先はあるにはあるが、そこはオフィスを持っていないので、基本的に仕事は自宅ですることになる。ますます引きこもりに拍車がかかる。
家で仕事をするのに必要なサーバとして玄箱の設定がほぼ終わる。後は回線がADSL1.5MBというのが、サーバ使用としてはどうにも不安なので、光を引こうか、という話になる。今後の仕事の流量が不透明なのに、出費ばかりが増える。
ニートと自営業の狭間を歩む人生。
ああ、小さなころに、ああ、描いてた理想の大人
にまた一歩近づいた。
2005年01月19日
■ 近況(更新しなかった言い訳)
看護学校の授業が後2回、ということでようやくやり切る目処がついた。年間計画立てていないのかい!、と自分で突っ込みたくなるが、そこはもごもご。
後は大学の採点、試験をやらなかったので、出欠+授業ごとの小レポート提出状況により採点。かなりの作業量。
ついでに懸案のノートPC新調。Let's note CF-R3。ソフマップで179800円、ポイントが25000円分。単純に引き算ずれば価格.com系の店並みの価格になったのでここで注文。今日か明日当たりに届く見込み。
本当は天板の色を変える(希望はワインレッドかピーチブロッサム)サービスを受けたかったが、値段がかなり違うので、標準色ホワイトシルバーで。デザイン的にはほとんど面白みもそそるものもないが、実用第一。
アンダー1kgといえば、一昔前なら「ミニノート」と分類されるような重量。バッテリ持ち時間9時間はPDA並み。それでXGAの解像度の液晶を持ち、WindowsXPが動くのだから、ずいぶん世界が広がる(と妄想する)。
そうは言いながら、いままで2台のPCをまともに使い分けられた経験がない。2台持っていてもすぐにどちらだけを使うようになる。さて使わなくなるのはThinkPad T40か、買ったばかりのLet's noteか。
2005年01月02日
■ 謝罪
一応前に話題にしたので島田紳助さんについて。
といっても「踊る大捜査線」見おわって、チャンネル回したら「行列のできる法律相談所」に引っかかって、ついでだからと見ていただけで、それ自体としては実はあまり関心が無い。視聴者に向けての謝罪にさして意味を感じていないので。
まあ、タレントのADやらマネージャやらに対する暴力を肯定的にネタにするような風潮に歯止めがかかれば、私はそれ以上どうこう言うものは無い。
謝罪自体は、これ以上もこれ以下もない、というもので、といっても批判の余地は多分あると思うし、本当に本質的な部分での反省にいたったのか、と仮に問えば、そうではないだろう、と思うが、一般論として本質的な反省・謝罪なんて無理なんだよね。少なくともテレビカメラを通じて、語る形式では無理。文章で、しかも謝罪文とかではなく、エッセイという形式で、己の内面を自ら解きほぐす(もちろんその際には単に謝罪するだけではなくて、逆に己の正当な部分はどこまでもそう主張しなければ意味がない)、とかそういうことをやれば、かなりのものになるだろうが、そこまでやるべきか、というとそうは思わない。少なくとも他者から要求されてできる性質のものではないわけで。
だから、正直言って安倍なつみさんの復帰も気が重い。島田紳助さん以上に本質的な謝罪なんて無理だろう。スタッフから「悪いことだった」と教えられたからそう認識はしているだろうが、理解なんて全然出来ていないと思う。島田紳助さんは、まあ、割とどうでもいいんで、神妙な顔を「そら、そういう顔をするしかないわな」とスルーできるけれど、安倍なつみさんが神妙な顔をして見せても、きっとうそ臭く見えてしまうだろう。そうしてそういう嘘をついていると見えてしまう顔を彼女がしているのを見るのは忍びない。
まあ島田紳助さんが、「司会者」でありながら、あれだけきちんと演技して見せたのだから、安倍さんは「女優」としてしっかりやってくれ、というぐらいだろうか。
2005年01月01日
■ 年賀状
一年ぶりに年賀状を書く。当たり前か。
年末に新年の挨拶を書く気にはどうにもなれないので、というか、誰に出すとか考えるものめんどくさいので、というかヒッキーなので原則年賀状を出す人もいなければ習慣も無いのだが、それでも送ってくださった方がいたので返事を出しがてら、たまたま思いついた人にも出すことにした。
もともとの悪筆がさらに悪化しているので、プリントアウトしようと思ったのだが、プリンタが不調でうまく印刷が出来ない。結局全部手書き。
いまや希少なローテク年賀状と相成った。
2004年12月31日
■ 謹賀新年
初期設定のまま使っているので、6時にならないと日付変わりません。
とりあえずこのまま、あけましておめでとうございます。
2004年12月26日
■ アノミー
年末。年内の仕事も一段落ついて、時間的に余裕が出れば、いろいろ余計なことも考える。ひたすら時間に追われて仕事に励み、精神の自由を失えば、逆に精神的な安定を得られる。裕福にはなれるかもしれないが、階級社会的安寧。
逆に自由な状態とは、飢え死にする自由とまではならないが、精神的な揺らぎが大きくなる。漠然とした期待と、比較的具体的な不安。デュルケーム・マートンそのまんまじゃねえか、なんてつぶやいてみる。
今日、2年近くぶりにある人にメールを送った。余計なことをと知りつつ、送信する。数パーセントの期待のほうが百パーセントの否定より残酷なことを散々思い知ったはずなのに。
2004年12月25日
■ クリスマスプレゼント
貴方様の整理番号は115です。決定いたしました。締め切りは明日の23:00までとなっております。 下記のアドレス宛にお返事を一通頂ければ、確実に、この権利を守る事が出来ます。 継続方法は下記のアドレスに、継続希望とメールを一通頂ければ、継続手続きと今回の特典を手に入れる事が可能です。 締め切りは明日の23:00までとなっておりますので、お急ぎ下さい。 tim_keizoku_25@yahoo.co.jp お待ちしております。 24時間、いつでも自動返信にて即対応させて頂かせておりますので、お時間の心配なくご利用頂けます。 tim_keizoku_25@yahoo.co.jp
ほしい人はどうぞ
2004年12月22日
■ 仕事納め
ようやく一仕事終了、後は24日クリスマスイブに非常勤先の補講が一本あるだけ。一本つっても4コマまる一日だが。
クリスマスイブの補講なんて学生さん来ないんじゃないか、と心配されたりしたのだが、大丈夫、半年(一年)間の授業の中の一番肝になる部分だから、休んだらやばいよ、と脅しておいたので、8割がたは来るでしょう。不満げな学生さんには、キリスト教系じゃなく仏教系の大学を選んだのが不運だったね、と慰めておいた。というか、私が学生のころ、12月24日って平気で集中講義に出ていた記憶があるのだが。
クリスマスイブもこの歳になると腹の底からどうでもよい。唯物論者だし。
2004年12月21日
■ 近況
更新がしばらく止まっているが、なっちが活動自粛中で燃料もなく、こっちも年末締めの仕事でいっぱいいっぱい。24日が仕事納めになるはずで、それからは少し精神の自由を回復できるはず。
でも今は来年度の仕事で必要なJAVAに頭がいっぱい。まだよちよち歩きだが、JAVA、かなり面白くなってきた。
2004年12月16日
■ 近況
年末。他の仕事の関係で休講にした分の補講とか、なっち問題にかまけて進まなかった仕事とか、その辺の後始末に追われる。
なっち問題ではいろいろ思うところ多く、それを一気に吐き出したら、すっきりしたと言うべきか、それ以上何かをいうことも今は思いつかない。やや呆け状態。
2004年12月10日
■ ブルジョワフリーター
東京より帰宅。仕事の終了時間や仕事先から東京駅までの移動時間が上手く見積もれなかったので、直接東京駅に行ったら指定席が空いているのは2時間以上後の列車と言われ、反射的に「じゃ、グリーンで」といってしまった。ちょっと前だったら、その列車を抑えて、それまでは東京見物と決めていただろうに。東京の書店をちょっと探せばもしかしたら「ALBUM」を発見できるかもしれないし(無理だろうけれど)。
気分はすっかり、財布の中身を忘れる限り、ブルジョワジー。イヤホンを持っていたので、新幹線内で流れているFMを聞く。前に飛行機乗ったときはハロプロ系の曲も流れていたが、今日の新幹線は岩崎宏美と井上陽水。そんなにブルジョワな楽曲でもない。
京都について、普通列車に乗り換える。全然ブルジョワじゃない。でもブルジョワだってこの列車に乗るしかないよな。いや、ブルジョワは京都から運転手付リムジンが来るのか。というかブルジョワはこんなところに住んでいない。納得。
2004年12月05日
■ 便所の落書き
明日の授業準備が出来ていない。今日一日「陽光」の入手を含め、ほぼ安倍なつみ問題に費やした。我ながら馬鹿じゃないかと思う。下記の続きはまた後日ということにしないとさすがに社会生活に堪える。
大体2chあいてに剥きになってどうする、と他サイトさんからはやんわりと釘を刺されているのだが、はたして2chごとき、というのが正しいものか、それとも無視できない害毒言説の集積であるのか、それはこの問題以前から図りかねているのだ。
さしあたり2chには日本社会のある種の病みが表出される場である、そしてその病みこそが社会学が対象にすべき社会的事実である、との立場から、どうにも黙殺するのが正しいようには思えないのだ。
もちろんだからといって2chと直接関わるつもりはなくて、あくまで観察素材として扱うというスタンスは崩さないようにはしているつもりだが、微妙にそこから逸脱している気がしなくもない。
2004年11月30日
■ 女の子色
昨夜、沖縄より帰宅。沖縄旅行記は重層的非決定で後日改めて書くとして、とりあえず3日間バカンスをしていたおかげか、帰宅当日にがっさり抱えていた仕事を片付ける。なっち盗作騒ぎもどうでもよくなっている。ただただ自宅PC VAIOの不調でハロモニの録画に失敗したことを悔いる。
沖縄での最大の収穫は、美ら海水族館のみやげ物売り場で購入したマナティーのぬいぐるみ。1mぐらいの大型サイズで5000円、とても可愛い。雅恵とかなっちとか名前を付けるわけもなく、なぜかこの手の動物のぬいぐるみの性別を想定すれば男の子だな、と思ったりもするのが、その理由は分からず少し不思議。
そういえば旅先で、仕事相手が私のピンクの携帯をみて、「可愛い色。彼女にでももらったのか」とか突っ込まれたが、私の部屋は全体的にピンク調なのだが、何か問題ありますか。もしiPod miniを買うとしても断然ピンクだし。
2004年11月27日
■ 仕事終了
沖縄4日目。那覇に帰って東横INに宿泊。
めっちゃいいホテルだ。LANが使える。それだけですばらしい。朝ごはんも無料。新聞も無料。交通至便。
昨夜は国際通りを散策。入り口に電気屋。わざわざ沖縄に来て電気屋に入る己のPC依存具合に呆れる。VAIO X505Extremeの型落ち発見。16万円。思わず衝動買いしかける。本当は安いんだか高いんだかわからない。さすがにT40を持ってきていてさらにPCを荷物として持つのは論外、わざわざ京都まで送ってもらうのも何、というより沖縄でPCを買うのはさすがに気分的に変なのでやめる。
1年ぶりの国際通り。記憶よりも雑多。沖縄料理屋がもっと密集していた気がしたが、それほどでもなかった。横浜中華街とは違う。それでもやはりなかなか面白い通り。高い金払ってもいいから確実にうまいものを食べるぞ、という目的には則さないが、何が出るか玉手箱的な面白さがある。
もっとゆっくり散策したかったが、仕事終了といえども、別の仕事の締め切りを突然言いつけられ、それが沖縄滞在中なので、ホテルでお仕事。作業量多く、今日も明日も夜はホテルでお仕事。
2004年11月23日
■ 沖縄初日
そんなこんなで沖縄。
仕事が中部であるのだからその周辺でも観光しようと思い、那覇から沖縄市行きのバスを探す。が、なかなか見当たらない。よくわからないままに「コザ」方面行きのバスが沖縄市に行くような気がしてそれに乗る。おそらく「コザ」とは沖縄市の一部なのだろう、と推測を付ける。
案の定、沖縄市役所などがある沖縄市中心部に行き着く。しかし想像していた「沖縄市」とはずいぶん違う雰囲気だった。私が想像していたのは雑多だがアメリカ情緒のあふれる活気ある街、だったのだが、実際は「かつては賑わっていた名残はあるが、今はすっかり寂れた街」だった。看板の文字が一文字かけている、なんて当たり前、多くの店にシャッターが閉まっている。祝日の午後、という日時が悪いのか。昼ごはんを食べようにもままならない。いまさらながら観光案内を手に入れようと本屋を探すが、古本屋しかない。何とか探した定食屋みたいなところで肉そばとたこ焼きを食す。たこ焼きの量の多さに満腹。早々に逃げ出すことにして北谷行きのバスを探す。
バス待ちの間、CD屋に入るとやはり本土とは趣が違い、沖縄出身歌手のCDが大量に並んでいる。京都のCD屋で京都出身歌手のCDを並べるなんて見たことがない。もっとも歌手の数が違うか、沖縄出身の歌手ってたくさんいるしな、京都出身の歌手って誰がいたっけ?中澤裕子か、でも京都を代表する歌手って感じじゃないな、なんて馬鹿なことを考えたりする。
昨年も泊まった北谷美浜のアメリカンビレッジ。昨年食べておいしかったタコスの店に寄ろうとするとその店の前でなにやらイベントをやっている。デビューしたばかりだという沖縄出身のD-51というバンドがライブをやっていた。人数はよくわからないが、かなり盛況。秋葉原の前田有紀イベントの5倍ぐらいの人数か。京都で中澤裕子のライブをやったらどれくらい集まるだろう、とかいうのはもういいとして、そのおかげか、タコスの店も満員で店では食べられそうもない。仕方なく持ち帰りにするが、問題はビール。宿泊先の自動販売機にあったはず、とこっそり持ち帰るが、自動販売機にはなぜか「販売停止」の文字が。結局お茶で冷えたタコスを食べることになる。
出足、不調。
2004年11月22日
■ 統計学
大学で社会調査実習なんてものを担当し、また企業相手にデータマイニング研修なんてものをやるくせに、実は統計は素人なもので、ネットであわてて勉強に励む。いまさらながら知らなかったこと。
判別分析で目からうろこが落ちた説明。
判別分析は,要因が被説明変数で結果が説明変数である
あ、うまいこと言うなあ、と。で、その逆、要因を説明変数にして結果を被説明変数とする0,1の判定モデルがロジスティック回帰分析である、と。必ずしも絶対の「正解」でもないらしいが、さしあたり私はすっきりした。
■ 沖縄
明日から沖縄。帰るのは月曜日の夕方。
うち金曜日の夜だけはネットが使えるホテル。研修マネジメント会社が研修終了後の後泊用に予約してくれた那覇近辺のビジネスホテル、東横IN。
仕事中は北谷にあるサンセット美浜なる保養所。設備はさっぱりしていて、ビジネスホテルより高めで、ネットが使えない。あまりうれしくない。
自腹で泊まる分は一泊1万5千円で強制ツインのリゾートホテル。本土の都市圏とは物価が違うから、大体2万円超クラスという感じか。両親のツアーでの指定ホテルになんとなく合わせたら高くついた。2泊で3万円。本来は両親の旅費も私が持つものだろうが、いかんせん経済力が違いすぎるので、そんな提案するのも気恥ずかしい。
初日は足もない、荷物も多い、泊まる場所は(私にとっては)観光に適していない北谷。朝一に伊丹を出て午前中には那覇に着くが、そこからホテル入りまでの予定が決まらない。
まだきちんと見ていない(!)なっちソロコンDVDでも持っていって砂浜でゆったり見ようか、などと半ば本気で考えたりする。
2004年11月21日
■ 雑記
たまっていた仕事が少しはける。少し気分に余裕が出る。
そういえば昨日から熊本で日本社会学会が開催されているはず。仕事に気をとられてすっかり忘れていた。行こうか、という気もあったのだが、行く行かないの決断をする前に存在を忘れる。
火曜日から仕事で沖縄に行く。土日熊本でそのまま沖縄入り、というプランもありえたが、そういうことを考える余裕がなかった。また「取り残された」との思いを持つ。
仕事での沖縄、来年あるかどうか怪しい状況なので、今年はきちんと観光しておこうと思い、しかし去年一人で観光してみて一人旅の限界を知り、誰か誘おうと思う。できれば車の運転ができる人。沖縄料理を楽しめそうな人。などと選別するまでもなく、旅行に誘いたい人、誘える人など限られていて、希望より可能性を優先したら、両親になってしまった。親孝行?でも両親の旅費は両親持ちなのだが、事実上運転手として呼んだだけという説もあるが、それでも親孝行になるだろうか。
2004年11月17日
■ 気楽な稼業と来たもんだ
通常の週4日労働のほかに今現在2つの仕事を抱えている。マルチタスク人間ではない私にとって、それらが心に引っかかってほかの事に気が回らない。具体的な作業時間は大したことがないのに、私の精神を縛り付ける。
そのうちひとつの仕事がようやく方向性が見えてきた。作業自体はこれからだが、とりあえず精神的には一段落がついた感じ。具体的作業に拘束されているときのほうが精神は自由だ、というのも皮肉な感じだ。
今日は通常業務のひとつ、看護学校。一コマだけなので、朝一に行って昼前に帰る。帰り道にここ数日放置していた日記を物す。
2004年11月14日
■ 日記
できるだけ毎日日記を書こう、という意気込みもどこへやら、もとの重層的非決定と同程度の更新頻度に逆戻り。
ここは本当にただの日記なのだから、内容などなくてもかまわない。そもそもブログなんてそんなもののはずなのに、重層的非決定を上回るアクセス数にちょっと恐れをなした。それでは何をやっているのかわからない。
木曜日は大学。今年最後となる外国書購読。再履修組の後始末。一度単位を落としている学生だけあって、受講態度きわめて不真面目。思わず説教をする。
金曜日。PHPで某パソコン研修用のオンライン実習ページ作成。単に課題をアップロードさせ、掲示板でサポートする、というだけの簡単なシステム。でも細部に凝ったら妙に時間を食って、夜3時過ぎまで作業をしてしまう。Dr.コトーはしっかり見る。
土曜日。前日の疲れで一日中寝て暮らす。Dr.コトー二日目。沖縄の離島で医者を志す小学生。その父親である漁師がその子のために船を売り、子どもを東京に行かせる。子どもからすればとても残酷な話だと思う。高校に入って例えば文学に目覚めても、絶対に医者を目指すしかない。続編を作るとすれば、その辺のときの流れとともにずれる父子の思い、なんてテーマで作れば、とても悲しいストーリーができそうだ。作るかな。
こうして日記を書かなかった日を振り返ると、なるほど、なぜ更新が滞ったのかが見えてくる。なっちが出てこないじゃないか。なっち不足。
昨日はなっちならぬあっちこと安倍麻美がクイズ番組に出ていた。2chあたりでは「ブサカワエロい」などといわれているように、姉よりも「不細工」だがそれなりに可愛くて、姉より「エロ」チックな雰囲気がある。燃料の補給にはならないが。
2004年11月10日
■ 看護学校
看護学校。授業名は「教育学」だが、私がやってきたのは「教育社会学」。「斜めから見る」、「脱常識」を旗印にしてきた社会学を*無邪気な*かれらに伝える気にはどうにもなれない。社会学界も良くも悪くも、そういうスタンスを変えつつあるし、私自身もそういう「ずらし」志向をなくしている。それが「実用」的な、例えば社会政策学のようなものに向かうのか、「批判」的な社会批評に向かうのか。
とりあえず看護学校ではかれらにとっての「実用」性を標榜した、ロジカルシンキングのトレーニングと称して、ブレーンストーミングとか紹介しつつ、適当に遊んでいます。
手抜きだな。精神衛生上はとてもいいのだが。
2004年11月07日
■ 憲法25条
更新が滞っている。
そもそも更新以前に、後浦なつみPVも、なっちコンDVDもまだ通しては見ていない。忙しい。
週休3日制がきちんと維持できていない。昼寝の時間も不十分だ。とくになっちコンDVDは気合を入れてみようと思うから、疲れているとまず昼寝が優先される。そんなこんなで全然消化出来ていない。サイトの更新も頻繁には出来ない。
私には睡眠時間一日平均10時間と完全週休3日制が必要なのだ。それでもってようやく「健康で」(一日の疲れを癒すのに必要な睡眠時間)、「文化的な」(ハロプロDVDほかドラマ、ハロモニ視聴)生活を営むが出来る。
ああ、我が生活に憲法の精神が貫徹されんことを!!!
2004年11月04日
■ アクセス流出
いつの間にかここのアクセス、Would-be Marxist’s Pageからのアクセスが最大になっていた。ちなみにこっちからあっちへのアクセスはほとんどない。ちょっとだけ虚しい。
■ 疲労
どうも疲れている。今日も非常勤でミスをした。
夜中にネットをあさっていたら、偉愚庵亭憮録というサイトを見つけた。小田嶋隆さんのブログ。昔からとても真っ当かつ洒脱な文章を書く人で見かけたら読んでいた。ここではこれ以上話題にする気はないが、島田紳助司会者の一件で私が見た限りもっともまともな論評を載せている。
それを昼休みにだらだら読んでいたら、授業時間が来る。ややあわてて教室に向かう。学生さん誰も来ていない。履修者も少ないし、遅刻の多いクラスだから仕方ないか、と10分近く待つが誰も来ない。どういうつもりだといらだちつつも、小田島さんのブログおよびそれについたコメントを読んで時間つぶししていた。
突然頭に電気がつく。時間割間違えている。私が待っている教室はその次の時間のものだ。誰も来るはずがない。今の時間は別の教室で授業だ。大慌てで本来の教室に向かうと学生さん、教室にも入れず、待ち疲れていた。15分の遅刻。10分遅れで始め、10分前に終わるのがまともな教師というのは15年以上前の話。今そんなことをやっていればただの給料泥棒。
反省、反省。
2004年11月03日
■ 夜中に気合を入れて
ホテル缶詰の仕事はどうにも疲労がたまる。今日は昼前まで寝ていて、それからたまっていたビデオを消化。そして9時過ぎにはいったん寝てしまった。起きたらこの時間(時間を記録するのを忘れていた。夜中の3時に書いた)。
来年度の仕事がいろいろ厳しくなってきた。今までの連続でだらだらやっていてはだんだん仕事が縮小してしまう。何か動かなくてはならない状況。どの方向に動くか、思案中。どの方向に動いても勝算はない。アカデミズム復帰も頭によぎる。全方位外交と行きたいが虻蜂取らずになりかねない、何せ体力がない。
このところよいことがない。アメリカ大統領選の結果は確かめたくもない結果になっているだろう、巨人・オリックスの犬、楽天がプロ野球に参入するし、娘。の新曲はぐだぐだ。なっちの次のCDの見通しが出てこない(2ndアルバムの話がなぜか立ち消え、飯田さんのアルバムが先、シングルも後藤さん、松浦さんが次々出すのに安倍さんの話がない)。
とりあえずリハビリを「書く」だけではよいはずもなく、何かを読むことも始めよう。新しいものをいきなり読むのは敷居が高いので、既に一回読んだものを再読。軽めにジジェクあたりからか?
2004年11月01日
■ ほろ酔い状態
はてな?というこのシステム、とてもよく出来たシステムであることは相違ない。ただやはり私にとってはとても微妙なシステムだ。
例えば先の暴力事件のこと、タレントの好き嫌いで議論を進める主張がはてな?において散見される。好き嫌いの問題で語るな、理念の問題だろう、といいたくなる。そんな次元でいちいちネットでものをしゃべるな、そんなのを語りたければ身内・友達同士でしゃべればいいではないか。わざわざネットという場で語ることか。
しかし私自身ここをそのような構えのいらない場にしたかったのだ。ひっそりと、己の心情を書き連ねる場。たまに何かで間違えた人だけが見るかもしれない、そんな場。その中で一般的にひとに見せるに値する内容だけを本サイトにアップする。そういうつもりだった。
しかし実際にはこっちのアクセスがあっさり向こうを上回る。来る人が多ければ、それなりのものを書かねばならぬと思う。結局当初の思いとはズレる。さりとてせっかくのアクセス、無にするのも忍びないとの思いもまたあり。もっともここのアクセス数にいちいち意味を感じるのも間違いか、との思いもまたある。
ま、基本はロリコン・モーヲタ・なちヲタサイトなので、そのつもりで。
2004年10月30日
■ ネットの大通りで左翼を名乗る
正直ちょっと失敗したかもしれない。
ここでは元サイトの下書きとかその程度の位置づけで使おうと思っていた。単に更新が楽だ、という理由で。それならそれで選ぶシステムを間違えていたような気がするのだ。
ここのはてな?システムはキーワードにどんどんリンクを張っていくことによって、書かれた情報がどんどん「公開」されていく。ひっそりと未整理の思考をぶちまけるのにはまったく適していないように思えてきた。
なんといっても元サイトよりもアクセスが多いのだ。全然ひっそりとしていない。しかも訪問者の層が、リンク元のキーワードより察するに、向こうとはまったく異なっているように思われる。あっちも確かにただの芸能ネタ目当てのアクセスは結構あるが、元の趣旨を踏まえた訪問者も十分多かった。そうなればこそ、政治ネタ、例えば天皇制について、なども一定の文脈での読者がいるものとして、書くことが出来る。ここでそれと同じ文脈でものを書くことが果たしてふさわしいのか。
たとえて言えば、看護学校の授業で哲学話を引っ張る、とかあるいは娘。ファンサイトで政治ネタをぶつ、とか、そういう行儀の悪い振る舞いを行っているような、そんな居心地の悪さを感じる。
2004年10月28日
■ 被害妄想
大学非常勤、またまた失敗。
情報処理実習IIAと情報処理IIBという授業が半期単位であって、あわせて一年、一貫した内容でやるので、当然受講者は同じだと思い込んでいた。見知った顔の学生もいた。それが落とし穴。
なんと前期と後期、受講者は受講クラスを選択する権利があったらしくて、五分の一程度入れ替わっていた。勘弁してくださいよ。こっちは「実質」通年だと信じてカリキュラム組んでいたのに。授業開始して4回目の終わりになって気づく私が悪いんだけどさ。別のクラス担当の人と面識がないから、打ち合わせも調整もできず。
前期私のクラスにいて後期から別のクラスに行った学生も困っているだろうな。全然やってること違うし。おまけに私の授業のほうが「楽」といううわさが流れたようで、力のない学生が増えている様子だし。
なんか私だけが貧乏くじを引かされた気分だ。
■ 抵抗
非常勤、今期で終了する英書購読。マルクス主義の歴史概念について喋り散らす。そんなつもりでもなく、何の下準備もしていなかったのに、口から言葉が流れ出る。学生さんは興味がなさそうだったけれど、止まらなかった。まだまだマルクス主義に関しては現役だな、と自画自賛する。
帰り道、元同業者と一緒になる。向こうはまだ現役なので、そっちモードで話をする。学会人事ネタにはあまりうまく対応できず、ややオロつく。社会学全体の動向などの話になるとまずまずまともに遣り合える。まだまだ捨てたものでもない、と自賛する。
まだ私にやれることはあるのだろうか。
■ デザイン変更
なんとなくこっちのサイトはもう少し柔らかな雰囲気にしたくなって、いまさらながらデザインを変更してみました。また気が向いたら、全然別のデザインになっている可能性もありえます。割とあきやすい性格なもので。
2004年10月27日
■ 授業終了
結局自己紹介で全15回の授業のうち4回を消費。別に故意にだらだらやったわけではないのだが、何とか形式主義に陥らずに、全員の自己紹介にコメントをしていると時間を食ってしまった。
予定ではブレーンストーミングの練習をゲーム感覚でやろうと思っていたのだが、それは次回回し。
メタな話はしないようにしつつ、何とか思考トレーニングみたいなものができるようになればいいな、と考えている。なんだかんだ言って割り切らずに、何かを伝えようとしている自分が結構滑稽。今日の仕事はこれで終了。なんだかんだ言って世間的に見れば楽な仕事をやっている。
■ いまだなれず 0:30
新しい日の日記を書くのにどうすればよいのかわからない。日が変わり、「日記を書く」をクリックすれば新しい日のためのフォームが出てくるのかと思ったら、前日の編集画面が出てくる。
その画面をいちいち書き直して新しい日の記述を始めなければならないのか。なんとなくシステムとして不自然な気がする。
まだまだ奥が深い。
■ 看護学校 1:00
明日は看護学校。全然準備できていない。自己紹介もさすがに明日の20分ぐらいで終わるはず、その後何か新しい時間つぶしを考えないと。
「はてな」なんていじっている場合じゃないはずなんだよな。
2004年10月26日
■ 初はてな
■ 挨拶代わり
まだ機能のテスト中ということで、キーワードのリンクをいろいろ試す。
モーニング娘。/安倍なつみ/ なっち/ メロン記念日/ 大谷雅恵/ 松本典子
アルチュセール/ マルクス/ ジジェク/ ラカン/ ジェイムソン/ デリダ
Thinkpad/ PHP/ VAIO/ モバイル/ ノートPC
■ 一応の趣旨説明
まだここのサイトの使い方がよくわかっていないけれど、テストを兼ねて更新。
とりあえずここの名前は「重層的非決定?」ということで、まとまらない・ただの思いつきの・日常の戯言を書き流すことにする。
多分こちらの更新だけをすることになるだろうと思いつつ、それはそれ、HTMLをほとんど書かず、FTPすることもなければ、更新頻度も上がるだろうと期待。
このサイトのソースはあまり見たくもない汚さだが、そういうことを気にする場所でもあるまい。
2004年10月25日
■ About
書き手 | はたの |
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一行紹介 | 半ヒッキーによるなっち観察日記 |
プロフィール | アルチュセールと安倍なつみをこよなく愛する半ヒッキー ついでに愛ちゃんこと高橋愛にもぞっこん(死語) 仕事は一応教育関係(情報系中心) 本当は言説系の授業も持ちたいが、当ても伝手も無い。 |
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