重層的非決定?

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2006年02月08日

■ キーワードの効用

昨日リンクを貼らせていただいたそれはべつとして...さんのところに「ネットでものを書く」ということに関する本来当たり前だが、忘れられかけている重要な指摘を見つけた。

ファンサイトであつても、インターネットを利用して文章の公表をする以上「誰が讀んでも判るやうに」書くといふのは必定なのだ。「はてな」ではそれをコマゴマとしないで濟むのはキーワードによる內容補足があるからだ。

いかにもその通りであって、私も「はてな」ではないところで娘。関係の文章を書くときとここで娘。関係の文章を書くときとでは明確に説明の丁寧さを変えている。「はてな」を使わず娘。関係の文章を書いていたときには、どこまで説明が必要か、どこまで一般的な大衆文化として通用するか、その兼ね合いにはそれなりに神経を使ったものだ。「はてな」はそうした手間を省かせてくれる。一般人の理解しがたい「ヲタ」用語であればあるほど、キーワードによる補足は重要なのだ。実際ハロプロメンバーの顔文字のキーワードは私は非常に重宝している。いちいち覚えていないものが多数あるからだ。キーワードによる補足なしでは文意が理解しがたいサイトがモーヲタである私でさえ散見される。

マイナーな亊物をも流通させることができるのが電網の良點なのだといふことを忘れないはうがよい。

これまた当たり前のことながら、重要な指摘である。こんなことさえ改めて指摘されなければならないムラ社会*1の良識とやらにはうんざりする。

*1:このあたりの状況についてはキーワード「モヒカン族」あたりからご確認を

投稿者 althusser : 2006年02月08日 00:00

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