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2006年02月23日
■ 追記2
フレーム化していた(いる)ので突っ込まないようにしてきたのだが、終わったと思って言及してしまった手前、もう少し考えてみた。
# nozorinne2 『「紺野」と内容が重複していますね。本名とは別に愛称のキーワードが独立している場合は、愛称を愛称の解説のみを書き、本名に生年月日などの profileを書くことが通例となっています。当キーワードの場合ですと、「紺野」が大元のキーワード。「紺野さん」が紺野の愛称という扱いになるので、紺野への誘導キーワード、あるいは紺野さんと呼ばれる場合はどんなときかなどの解説を書く以外に役割は果たせません。』 (2006/02/23 23:55)
これは非常に正しい指摘だ。「紺野」と「紺野さん」で同じ内容のキーワードを造ることにはいかにも意味がなく、「紺野さん」は「紺野」が指示する特定の人物に対する愛称としてのみキーワードとしての意味を持つ。
となれば、紺野あさ美を指示したい時、「紺野さん」という表現が単に姓+敬称ではなく、「こんこん」や「加護ちゃん」「なっち」などと同列の「愛称」として機能しているか、というのが焦点となるだろう。
それでちょっと興味を持っていろいろみてみたのだが、感覚的に言えば、紺野あさ美さんへの言及に「こんこん」とか「紺ちゃん」とかではなく、「紺野さん」が使われる比率が、例えば安倍なつみさんへの言及に「安倍さん」が使われる比率よりも高い、という印象を持つ(調査するほどの意欲はないので数値的に示すとかそんな気はない)。それは他のモーニング娘。(卒業者含む)メンバーとの比較からしてもそんな気がする。つまり紺野あさ美さんにおける「紺野さん」という指示語はそれ相当の「意味」を持っているのではないかという気は確かにするのだ(実際に数えたわけではないので間違っているかも知れない。従ってこの一文をキーワード論争の素材にはしないように)。
ただ現状の解説文「親しみを込めて」では説明としては足りないように思う。むしろ「名字」+「さん」は他の愛称に比べると疎遠な印象を持つ。それにもかかわらず紺野あさ美さんに対してはファンがすすんで「紺野さん」を愛称として採用するとすればそれはなぜなのか、それが「紺野さんと呼ばれる場合はどんなときかなどの解説を書く以外に役割は果たせません」に対する実践的な解答となるはずだ*1。
*1:ただしその解を示したところでおそらくキーワードの削除動議はなされ続けるものと思われるので、この「解」を示すことはキーワード削除論議への「解」にはならない
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