重層的非決定?

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2006年02月24日

■ 「抵抗」としての論理(メモ)

「私」にとって違和感があったり、時に不愉快であったりするものの存在を容認、尊重する力を授けるのが論理性ではないか、などと思ったりする*1

常識」「・・・に決まっている」という言葉(イデオロギー)に抵抗するには論理の力が必要なのだ*2

*1:cf. mohicanグループキーワード:「変な」

*2:ここでの抵抗とは他者の言説への抵抗と「私」自身の感情への抵抗の二つを含む

投稿者 althusser : 2006年02月24日 00:00

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