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2006年02月09日
■ 切り棄てられるもの
先日来リンクを貼らせていただいている「それはべつとして...」さんのサイトの中で特に私が共感した文を改めて引用させていただく。
ある語句がキーワードとして制定されるには、それなりの必然があつたからに違ひないはずで、しかも、運用の過程で新たな用途が發生してゐる可能性さへあるのだ。一般論を判斷のモノサシとして振りかざし、それらを切り棄てゝゆくといふのは、物亊の「別の局面での在りやう」を無きものとする發想だ。
これはネットの情報の関する指摘にとどまらない。もっと社会一般に広げても妥当する指摘だと思う。特に今の社会において行われているこうした「切り棄て」の問題こそ、私が今一番考えようとしてきたことではないか、とさえ思う。
これについては今後じっくり考えていきたい。
投稿者 althusser : 2006年02月09日 00:00
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